08/15/16

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim

本テクストは、『有毒女子通信』第12号 特集:「食べないこととか」(2013年刊行)のために執筆・掲載した食と産業についてのエッセイです。庭で赤くなるまで太陽を浴びたトマトがなぜこんなにも美味しいのかと反芻することは、グロテスクな口紅のようなピンク色のトマトの、それらもまた食べられるべくしてそれらを基盤として生計を立てる人々の関係から関係を通って、我々のフォークを突き立てるその皿にスライスされて登場するにいたっているということを了解した上でもなお、それを摂取することへの苦痛を催すきっかけとなる。あるいは、食物がクリーンであることへのオブセッションや、それが肉体に与えうる恩恵や損害を思うとき、ひょっとするともう何ものも摂取することができないのではないかという恐れと、いっそのこと一切の執着を捨てるのが良かろうとする相反する二つのアイディアの板挟みになるかもしれない。

環境においてのみ生きる我々が、それを望むエッセンスのみに収斂することなど叶わず、同時に思うことを放棄することもまた叶わないことを、どこかで直観しているにも関わらず。

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim
大久保美紀

We Feed the Worldは、オーストリアの作家・映画監督のエルヴィン・ヴァーゲンホーファー(Erwin Wagenhofer, 1961-)の撮影による長編ドキュメンタリーである。2005年の初上映以来、ドイツ、フランスを始め、ヨーロッパ諸国で反響を呼び、日本でも字幕を伴って 『ありあまるごちそう』 というタイトルで上映された。映画は、食糧生産やその廃棄に携わる人々の日々をありのままに伝え、彼らの率直な言葉と労働の現状を淡々と映す。あるいは、 「世界は120億人を養えるだけの食料を生産しながら、今この瞬間にも飢餓で死ぬ者がいる。この現実は、殺人としか言いようがない」と 当時国連の食糧の権利特別報告官であったJean Zieglerが憤慨し、他方、遺伝子組み換えの種子開発の最先端を行き、世界の食糧大量生産を支えるネスレの元ディレクター、Peter Brabeckがこの世界の行く先を語る。

 この映画を見て震え上がり、明日の食卓をゼロからの見直し決意し、スーパーの安価な魚や鶏を貪るのを断念し、最小限の消費と廃棄を誓って、貧しい国で今も飢える幼子の苦しみに心を痛める、ナイーブで心優しい鑑賞者を前に、「この偽善者め!」と言い放って彼らの気を悪くするつもりはない。しかし、その程度のインパクトに留まるのなら、このフィルムは所詮、これまで幾度となくマスメディアが特集し、ドキュメンタリー化し、国際社会が早急に取り組むべきだと声高に叫ぶその問題を描く無数の試みの水準を逸することなく、今日の世界を変えはしないだろう。我々は、もはや聞き飽きてしまった問題を別の方法で聴く努力をするべきなのだ。そのことより他に、不理解という現状を乗り越える術はない。

 さて、We Feed the Worldはヨーロッパの食糧問題に焦点を当てたドキュメンタリーである。ヴァーゲンホーファーはまず、最重要の食糧であるパンの生産と廃棄に携わる人々の声を聴く。十年以上の間毎晩同じルートを往復し、トラック一杯のパンを廃棄場に運ぶ男は、時折、年配者の厳しい批難に遭う。彼が廃棄するのは、少なくともあと二日は食べられるパンである。年間に捨てられる何千トンのパンで救える飢餓民を想像せよという憤りは勿論理解可能だが、豊かな国で過剰生産されたパンはいずれにせよ廃棄される。そこに在るのは、「 あなたはこのパンを買うか、買わないか」という問いのみだ。我々の無駄な消費の有無に関わらず、店には常に品物が溢れて大量のパンが捨てら、そのことはもはや、我々の行為と直接的因果関係を持たない。
 トマトを始めとするヨーロッパ産の野菜の多くは、その生産をアフリカ人移民の低賃金労働力に頼っている。国産の三分の一という破格で農産物を売りつけるヨーロッパ諸国のダンピングはアフリカの農業を破綻に追い込み、彼らを不安定な移民労働者にする。
 ついさっき生まれたばかりのひな鳥が養鶏場から屠殺・加工工場へ送られて行くシーンは、このドキュメンタリーのクライマックスと言える。にもかかわらず、一切の付加的演出がないどころか、ブロイラーと加工場労働者は、短期間・低コストで若鶏を生産し、効率的に加工するメカニズムの情報を我々に与えるのみである。詰め混まれた雌鳥の中に数羽の発情期の鶏が放り込まれ、たった数秒で雌と交尾を済ませる。産み落とされた卵は大きなマシンに回収され、40℃の温かい構造の中で数日保存された後、数十日後の屠殺を予め運命づけられた雛が殻を突き破る。雛鳥の小さな足ですら足の踏み場がない場所にどんどん詰め込まれ、飼料を頬張って成長する。「鶏には暗闇に感じられ、動物のパニックを避けることが出来る」と屠殺業者が説明する青い光の中で、鶏は撲殺から鶏肉パックになるまでのベルトコンベアーに乗る。ハンガーのような機械に両脚を引っ掛けて宙づりされ、撲殺、脱羽機をくぐり抜け、頭と両脚を失ってパックされる。

 ある日理科の授業で眼球の構造を学ぶため、少し生臭くなった牛の目の解剖をし、子どもたちの多くがその日の給食で「もう肉は食べられない」と言って残した。ならば一生食べなければよろしい。そう心の中で呟いた。
 フランスでは年に一度、ヨーロッパ最大の農業国としてのこの国のパワーを眩しすぎるほど誇示するイベント、国際農業見本市 が開催される。食肉業者も数多く出展し、1600キロもある巨大な肉牛や可愛らしい子豚などの食用動物が日頃動物など目にすることのないパリジャンの大人と子どものアイドルとなる。見本市は商品販売を同時に行っており、立派な食用動物がちやほやされているすぐ隣には、おぞましい様子で飾り立てられた最高品質の肉が販売されている。(写真1)フランスは飽食の国である。さすがは食糧自給率が120%の国だ。マルシェがたたまれた後の午後は大量の野菜や貝などが置き去りにされ、レストランで大盛りの御馳走を平らげることを皆あっさりと諦め、食べ物は余るくらいで丁度良く、食べ物のケチは悪徳である。
 日本人は、「もったいない」の精神を歌い、食べ物を粗末にしたがらず、ビュッフェレストランですら余分にサーブしないよう注意され、生ゴミを極力出さない食材使いを提案する料理をオシャレで「粋」と見なす。ひょっとすると、世界の他の先進国と比較しても食物の扱いに敏感だ。だからこそ、それが全くの事実であるにも関わらず、一人当たりの食糧廃棄量が世界一と批難されても全くピンと来ない。背景には問題の根本的な不理解がある。なぜ、日本語のタイトルは『ありあまるごちそう』なのか。わざわざ平仮名表記し、飢えるアフリカの子どもをキュートなイラスト化して、かわいらしい演出で「食の社会見学」と銘打つのはなぜか。態度の端々に滲むもの全てが、問題に対する我々の無関心と、世界現状の因果に自分が無関係だという認識を暴露する。(写真2)我々は、表層的なエコの賛美歌を熱唱し、欺瞞に満ちた「地球に優しい市民」を演じるのを直ちにやめ、それが途方もない狡猾な悪であるために、皆がこぞって我々の認識から乖離させようと必死になっている巨大なメカニズム、産業構造そのものを凝視せねばならない。食糧廃棄の構造的カムフラージュに甘んじる時代は終わった。
 ちなみに、フランス語タイトルはLe Marché de la Faim(飢餓市場)、世界全体が飢餓を生産する巨大な歯車の部品である。それは、我々が日々恩恵を受ける構造そのものへの懐疑であり、ハイブリッド野菜が地力を貪り尽くした畑に立つ男は、引き過ぎた手綱を緩めることを我々に問う。「ヒヨコが可哀想」などと戯言を言っているヒマは、本当はない。

“We Feed the World”(2005) by Erwin Wagenhofer, 96分, Allegro Film
http://www.we-feed-the-world.at/index.htm

写真1
ありあまるごちそう2

写真2 『ありあまるごちそう』チラシ(2011)
ありあまるごちそう1

07/13/16

nature morte: éponge, lunettes, verre et collier

 

 

 

 

 

 

Nature morte, le 11 juillet 2016, Normandie

Miki OKUBO, modifié par Floriannature morte miki florian

05/17/16

La vie et les couleurs de la forêt, mai 2016

Les images prises du 14 au 16 mai 2016 à Malancourt la montagne.
Photo par Miki OKUBO
©MikiOkUBO

S’il y une chose qui revient sans arrêt à mon esprit quand je prends n’importes quelles images de la nature, c’est l’impossibilité ou notre incapacité de présenter ces existences en les cadrant en tant qu’une image photographique. Que faudrait-il faire avec cet appareil? Représenter la nature via les médias que nous apprivoisons? Non, ce ne serait pas nécessaire, nous ne sommes pas capables. La vie et les couleurs sont là.
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01/7/16

売春の壮麗と悲惨 @オルセー美術館/ Splendeurs et misères Images de la prostitution 1850-1910

年末に地元北海道で再会した音楽の師匠が最近見たもので「これは!」と思ったものはあったか、と私に尋ねた。「これは!」というもの。最近みた永青文庫での「春画展」がちらりと頭をよぎったが、申し訳ないけど特段これはということもなかったな、春画展を行なったということそれ自体は素晴らしいことだとは思うけれども…とモゴモゴしているうちにそういえばオルセー美術館で帰国前に見た念願の「娼婦展」なんてそれに比べて相当素晴らしかったじゃないか、と思い出す。開幕前から相当期待していたものの開幕後もなかなか赴けず、12月の半ばにようやく訪れることができた。

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そのヴォリュームたるや相当のもので、幕開けは静かに、Ambiguïté と名付けられた項目に、Le Moulin RougeやFolie-BergèreといったスペクタクルのPrositituéesを描いたものやカフェのテラスに腰掛ける女たちを描いたドガの絵画などを眺める。必ずしも説明的ではない展覧会であるが、それでも »Prosititution »という「文化」を包括的にあけっぴろげる勇敢な展覧会ではある。Prosititutionのコードや女たちのアトリビューションを見るのも、現代的な視点からすればなるほどなかなか興味深い部分はある。

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Maisons closesの部屋がこれに続く。まあだんだん見るに耐えなくはなって来るが、メゾンの中を描こうと、そこで行なわれていることを描こうと、あるいは道ゆくPrositituéesの華やかなドレスの様子を描こうと、高級娼婦の冷たい視線を高度に演出して描こうと、結局は顧客であったり観察者であったり分析者であったりするところの人々の »Splendeurs et misères »というタイトルが象徴するヴィジョンを浮き彫りにするだけである。彼女等の世界は、常軌を逸し、それがカタギの者の世ではないという点であまりに壮麗で輝かしいものなのであり、同時にそれはPrositituéesが何たるかを本質的な意味で受け入れて諦めた女たちの生き様の、その視線や表情や体躯にすら現れる悲惨さなのである。これに惹かれる者も、これを魅了する者も、あるいは同情する者すらも、共謀者である。

L’aristocratie du viceという一連のカテゴリーでは、ゾラの小説『Nana』に登場する高級娼婦たちのような、煌びやかな世界が垣間みられる。踊り子や女優、モデルとなるような若い女たちは、特別チャンスがあれば甘やかしてくれるパトロンに見初められて恵まれた人生を送る。99%の他の女たちはそんなことにはならないことを重々に承知でそれでも踊り続ける。

最後の章では著名なEdouard ManetのOlympia(1863)が近代のPrositiutionの姿としてスキャンダラスであったことが告げられるけれども、ここまでくるとProstitutionを描く様式そのものが高度にコード化されており、無論、ピカソやロートレックら著名な画家が繰り返し女たちを描いているけれどももはや、彼女等は出来上がった物語の中の既存の役割を充てがわれたに過ぎないような、そんな表情をして立ち尽くしている。

この展覧会がぶっちぎってスゴいのは、1839年以来撮影された、現代であればポルノグラフィと呼ばれるであろう大量の写真とポルノビデオのパイオニアであるビデオ小作品を大量に「十八禁の部屋」内に仕込んだことだ。ここはオルセー美術館という世界的にももっとも重要な美術館であって、ここにおいて開催された「娼婦展」のなかで、絵画からははみ出すけれども紛れもなく、写真と映画にとって重要なプロセスとしてのポルノグラフィの資料を、惜しげもなく見せたのは素晴らしい。

この18禁の部屋の雰囲気はなかなかよくて、しかしあまりに身も蓋もない性描写に、<エレガントな美術展>をゆっくり鑑賞しようとカップルでやってきた人々はなんだか落ち着かず、必ずどちらかはもう少し見たいと思っているにも関わらず「もう行こ…」と相方に言われて退散する羽目になっている。1人で来た鑑賞者は他者の目も気にせず、覗き穴から満足するまでフォトグラフィーを見つめている。贅沢な時間だ。

展覧会カタログは基本的に買わないことにしているが、針のふれた部分のある展覧会だと思ったので購入した。また、「売春のイロハ」(?) »Abécédaire de la prostitution »も購入してしまった。

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09/22/15

夷酋列像, the image of Ezo 北海道博物館 Hokkaido Museum

夷酋列像 the image of Ezo

『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』展が、現在、北海道博物館開館記念特別展で開催中です。本博物館は、北海道開拓の村http://www.kaitaku.or.jpという広大な敷地内にある1971年会館の北海道開拓記念館と道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、2015年4月にオープンしたばかりの博物館である。http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/about/アイヌの歴史や文化、北海道のあり方に関する研究組織であり、学芸員や研究職員が所属する国内でも重要なアイヌ文化の研究機関である。

ちなみに北海道開拓の村は、北海道百年を記念して設置された、極めて「和人」的な、つまり和人のフロンティア征服の栄光を讃える的な匂いのしそうな施設と思われるかもしれないが、私の幼少からの経験では、北海道という土地の人民は、なんというか、アイヌの文化に対して今日エキゾチズムの視線でこれを高覧することもないし、過度にうやうやしくこれを「保護」しようと胡麻をすることもないし、北海道民自身は、この歴史と文化について、現代ではごく自然なリスペクト以上のものを振りかざしはしない、というのが率直な印象である。

これには幾つかの理由がある。

アイヌ民族は、研究により、続縄文文化、擦文文化を継承して独自の文化(アイヌ文化)を作り上げた民族だが、和人は歴史上ご存知のように、15世紀(1457年)、志海苔(函館)での接触をキッカケに戦闘に発展したコシャマインの戦いや、数々の戦いで彼らと衝突し、武力によって彼らを利用したり殺害したりしてきた。17世紀(1669年)に十分に北海道内陸である日高の静内で起きた松前藩とアイヌ民族の戦闘であるシャクシャインの戦い、これ以降、和人はアイヌ民族を強制労働者として利用したり、経済的に困窮させたことにより、ついにはクナシリ・メナシの戦い(1789年、ちなみにこれはフランス革命と同じ年)、北海道東部までアイヌ民族を追いつめての戦争、後に紹介する12人のアイヌの偉人の一人であるクナシリ首長ツキノエの留守を狙って大規模な殺害を濃なった悲惨な事件である。あまりに残虐な歴史であり、彼らの歴史や文化を研究するといえども、今日、アイヌ民族の人口は非常に少ない。

そしてこの「和人」の運命自体も着目すべきである。松前藩廃藩以降の、1871年に明治政府により官庁として設置された開拓使では、「蝦夷地之儀ハ皇国ノ北門」、言うまでもなくロシアの脅威の北方の壁となるべく身体を張って<「内地」(皇国)を守る>ことが使命であった。歴史の中で、どんな運命をたどるか、どんな興亡を見るかという、かなりのパーセンテージが実は、その地理的要因に拠るのである。北海道は、北方四島と樺太以北をめぐって、そのマージナルな地理を抱え、アイヌを利用しながら、ロシアと向き合い、内国の和人のエスプリと少しずつ確執を深めながら、この地に一世紀と数十年の歴史を築いてきた。北海道の冬は冗談でないほど大変である。たとえば暖かい国からやってきた農民だとか、たとえ東北出身者でもそれほどの厳しい冬を知らない移住者であれば、冬を越すことができなかったでしょう。政府は、越境のためにあまりに予算を食い過ぎる予想外の事態に、そそくさと予算を打ち切って断念しています(嵯峨藩士島義勇の島の計画)。

内地(皇国)のために矢面になるという役割は大正、昭和を通じて変わることはなく、悪名高いスターリン政権が武装解除した軍人を強制労働させたシベリア抑留が最大で11年に渡って行なわれ、日本人も50万人が抑留されたが、これはヤルタ協定での千島列島・南樺太の占領のみならず北海道の一部占領を要求したスターリンへのトルーマンからの対策だったのではないかと見る説もある。

今でもとてもワクワクする記憶として鮮明に思い出すのが、小学校のときの社会科の学習の一貫で、北海道の歴史を学んだ経験である。そこでアイヌ文化の紹介があり、アイヌ語のいくつかの言葉の紹介がある。北海道の地名や言葉のアイヌ語における意味が説明される。初めて出会う外国語に限りなく近い、しかし日常生活に密着した言葉の数々である。
「アーント!蟻!」「ペン!ペン…」と唱えていた嘗ての英語学習に比べたら、「さっぽろ」が、つまり「サツ・ポロ・ペツ」渇いた大きな川(そうです、豊平川のことでした!)であると知ったときの、あの喜びはなんとも心が踊る経験である。

さて12人の列像は、しかし「和人」によって描かれたものであるから、和人の文法を正しく使って、エンブレムを散りばめながら、作法に従って描かれたものである。例えば縄文人的な容貌、「一眉深眼、髪髭ながふして総身毛の生たる事熊のごとし」(坂倉源次郎が18世紀に記した『北海道随筆』における典型的描写)や、「三白眼」という黒目部分の非常に少ない眼の描き方、アザラシのブーツ、射た雀や鳥をベルトに結び、矢を引き、熊を犬のように連れ、仕留めた鹿を背負い…、彼らはそうやって、偉人(異人)伝説に登録されてきたのである。

げにいとめつらに気うときかたちしたり まゆは一文字につづきてまぶたのうへにおほひ ひげは三さかばかりありて口つきも見へず

なんてこった、昔の人の、異なる人を区別する視線は!
そんな風に、可笑しく思うかもしれないけれど、わたしたちは、
今日でも未だに、こんなことを世界のあちこちで、しています。

展覧会は巡回します。
日本のこと、和人と国の四隅で矢面になる各地の人々のこと、世界の異文化と異人のこと、考えるキッカケになると思います。

マウラタケ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。ポーズは仙人の図像集である『列仙図賛』を参考に描かれたもの。
ainu expo マウタラケ

チョウサマ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。同様に仙人図を参考にしたポーズ。アイヌの宝器を携えている。
ainu expo チョウサマ

ツキノエ
クナシリ(国後島)の首長。蝦夷錦の上に西洋の外套を纏っている。ポーズは中国三国時代の武将関羽に類似。
ainu expo ツキノエ

ションコ
ノッカマップ(根室)の首長。クナシリ・メナシの戦い終息のためにアイヌを説得したとされる。ノッカマップは、戦いに参加した多くのアイヌが処刑された場所である。
ainu expo ションコ

イトコイ
アッケシ(厚岸)の首長。紺の錦に赤い上着を羽織り、槍を携えている。
ainu expo イトコイ

シモチ
アッケシ(厚岸)の首長。弓術の名手として知られ、『和漢三才図会』はじめ多くの百科事典などに登場する弓をいるアイヌのモデルとなっている。
ainu expo シモチ

イニンカリ
アッケシバラサン(厚岸)の首長。白と黒の幼いヒグマを連れている。これは、弘法法師を高野山中で導いたとされる白と黒の犬を連れた狩人の図によると思われる。
ainu expo イニンカリ

ノチクサ
ノッカマップのシャモコタン(根室)の首長。鎌倉時代の武将、源平合戦の際に愛馬を担いで絶壁を駆け下りたという武士の怪力と野蛮さの象徴を象徴する畠山重忠の逸話を思わせる図である。
ainu expo ノチクサ

ポロヤ
ベッカイ(別海)の首長。右の襟を上に重ねる着方によって、和人の着物の着方との区別をしている記号的図像である。犬は洋犬として描かれている。
ainu expo ポロヤ

イコリカヤニ
ツキノエの末子。捉えた鴨を抱え、後ろに振り向いている。
ainu expo イコリカヤニ

ニシコマケ
アッケシ(厚岸)の首長。弓を抱えている。アザラシ皮の靴が、置かれることによって一層強調されている。
ainu expo ニシコマケ

チキリアシカイ
イトコイの母。ツキノエの妻という説もある。異国より手に入れた敷物のうえに毛皮を敷いて座っている。
ainu expo キチリアシカイ

蠣崎波響
蠣崎波響(1764−1826)は、松前藩主、松前道広の命を受け、クナシリ・メナシの戦いで功を奏したアイヌ首長12人の図を作成した。12人の絵に「夷酋列像序」という序文を持参して上洛し、多くの文人・貴族に披露した。さらに、光格天皇の目にも触れ、これらの列像は多く模写されることとなった。

09/21/15

BEACON 2015 Look Up! みあげてごらん, 空を仰ぐことの意味

9月13日、岐阜県美術館で開催中の「BEACON 2015」を体験してきました。BEACONは、1999年より断続的に名古屋や京都など、全国で発表・展示されている、映像・音響・理論・美術がひとつとなった作品である。伊藤高志さんの映像、稲垣貴士さんの音、吉岡洋さんのテキスト、小杉美穂子さん・安藤泰彦さん(KOSUGI+ANDO)が担当する美術が相互に影響し合って作り上げられた作品は、回転台の上で撮影された様々な土地の日常風景が展覧会場において同じく回転台の上で投影されるという形態を撮っている。

BEACONはいつも、人間の記憶に関わってきた。それはメディア環境における人間の記憶の問題であったり、日常を生きる我々の記憶の蓄積の比喩としてぐるりと連続する風景を回転台の上で投影することであったり。そこには人々の風景があり、声が聴こえ、光とオブジェがあり、今ここに居ないがいつか出会った人々の痕跡がある。

年のBEACON 2014は展示空間の特殊性が作品に極めて強くコミットしていた。東京都台東区の葬儀場を展示空間とする異例の作品展示、BEACON 2014は »memento »の副題がつけられ、インパクトある形で人間の生死を主題としていた。

今回のBEACON 2015は第7回目の作品発表となるそうだ。副題は »Look Up! みあげてごらん »。
作品中に登場する映像では、美術館のある岐阜、沖縄、福島の「日常風景」が回転しながら投影される。

« Look Up! みあげてごらん »、展覧会のチラシにも掲載された吉岡洋さんのテクストの中で、「みあげる」行為は以下のように説明される。

人はそもそも、どんなときに空を見上げるのだろうか?
 それはたとえば、この世の煩いから離れたいときであり、遠い存在に思いを馳せるときかもしれない。
 またそれは、希望を持とうとするとき、あるいは反対に、絶望したときであるかもしれない(見上げるという行為において、希望と絶望とはつながっている)。
 さらには乗り越えがたい障壁によって、突然行く手を阻まれたとき。それはつまり、自分は今まで閉じ込められていたのだと、知ったときだ。

ここには、みあげる行為の意味が明らかにされるだけでなく、なぜ混在する沖縄と福島と岐阜の日常風景を追体験するこのBEACON 2015という作品が「みあげてごらん」なのか、さらには、なぜBEACONがこんなにも直接的にフクシマの風景や沖縄の風景といったクリティカルな問題を映し出すにもかかわらず、そこに恣意的な声を潜ませることなく淡淡と回転台のプロジェクタが投影するイメージを届けるのか。

みあげることは単純な希望の象徴ではない。人は、絶望したときも空を仰ぐ。そこにはなるほど、「いま、ここ」の限界を痛いほど認識する「わたし」がいるが、そんなものは世界にありふれたことかもしれないし、また明日別の状況に出会うことかもしれないし、「わたし」を今たまたま取り囲んでいるその偶然に満ちた環境によってこれまた偶然にでっちあげられたハリボテみたいなドラマセットに過ぎないのかもしれない。そんなふうに、みあげることは切り離すことであり、あるいは繋がることである。

みあげることは、ある意味で孤独であり、ある意味で本質的に力強い。それは、頼りない表面的な結びつきとか駆け引きなんかに基づく脆弱な人間関係ではなくて、困難に打ち拉がれ途方に暮れて空を仰いだところからのインディペンデントな連帯だからである。

Look Up ! みあげてごらん。
この作品は10月12日まで見られます、そこで福島と沖縄と岐阜の日常を見ることは、いまここを断絶し連携し、今日の私たちの状況について考えに至るキッカケにもなると思う。

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09/21/15

鈴木理策「意識の流れ」展 / Risaku Suzuki Stream of consciousness

鈴木理策さんの個展「意識の流れ」は東京オペラシティーであと2日、9月23日まで開催中です。

ウェブサイト:http://www.operacity.jp/ag/exh178/

鈴木理策さんは80年代より大判の写真作品で知られ、とりわけ熊野を撮影した写真や海や山などの自然を限りなく鮮明に、しかしそれは絵画のようにも映像のようにも見える作品を制作しています。今回の展覧会では写真作品が100点、映像が3点と大きな規模の回顧展と言える展覧会だと思います。
写真はいつから、ボケていてはいけないことになったんでしょうね。隅々まで鮮明に、できるだけ遠くを、できるだけ近くを、っというオブセッション。しかし我々の視野はもっとざっくりとしたもので、見えているけど見ていないものだらけだったりします。ぼうっとながめているとき、それらはぼやけているでしょう。焦点があっていない時だってあります、だからこそ写真の展覧会ではそのつややかな表面に、『ウォーリーを探せ!』と言わんばかりに塗り籠められた細部を見るのに大変疲れてしまうのです。
鈴木理策さんの写真は、そのピンぼけと鮮明さの両極の特徴で知られています。たしかに、「自然」に感じられるイメージという印象がある。自然に、というのは、がんばったり抵抗を乗り越えたりしなくてもよい、というような意味です。
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07/24/15

Mémoire de crayons et Album sans fin : Jean-Louis Boissier / Des histoires d’art et d’interactivité juin 2015

Mémoire de crayons 1995-2001
Jean-Louis Boissier
Exposition « Des histoires d’art et d’interactivité
Au musée des Arts et métiers, Paris
du 11 au 14 juin 2015
Dispositif
Deux grandes tables parallèles de 80×240 cm, séparées par un espace de la largeur d’une table. La première table est une vitrine qui renferme, en 32 cases, une collection de 1024 crayons à papier, elle est éclairée par deux lampes de bureau articulées. La deuxième table supporte un ordinateur avec son clavier et son écran.

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ヴィジターが鉛筆の情報(色、場所、その他レジェンド)を入力すると、データベースの中からその条件にあった鉛筆を見つけ出し、それを画面に提示する。

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1024本の鉛筆は番号がつけられていて、レジェンド(あるいは、レシ)と外観とともにデータベースに登録されている。ヴィジターは、ショーケースに整然と展示された鉛筆を見ながら、気に入った鉛筆を番号から検索し、その詳細な情報を得ることもできるし、関心のある鉛筆を見つけ出すために条件をコンピュータに入力し、これを探し出すことも出来る。

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この作品の作者であり、1024本の鉛筆のコレクターでもあるジャン=ルイ•ボワシエは、この作品をオブジェの記憶に関するもの(「オブジェに関する記憶および単独のオブジェの集積に言語が与えられるランガージュの可能性をめぐる考察」)であると述べている。ジャン=ジャック•ルソーの『告白』的なエクリチュールに影響を受けた自伝的経験が芸術作品のコンセプトの重要な位置を占めるのは、ジャン=ルイ・ボワシエのインタラクティブ作品において本質的な性格と言える。

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この作品は2001年にポンピドーセンターにおいて展示され、2015年6月11日〜14日のArts des métiersのスペース内(Futur en Seineのプロジェクトの枠組み:http://www.cnam.fr/des-histoires-d-art-et-d-interactivite-738738.kjsp)で展覧会 »Des histoires d’arts et d’interactivité »において展示された。

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同展覧会では彼の歴史的となったインタラクティブ作品Album sans fin, 1988-1989も同時に展示された。

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私にとっては、これを体験するあまりにも貴重な機会であった。

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