01/7/16

売春の壮麗と悲惨 @オルセー美術館/ Splendeurs et misères Images de la prostitution 1850-1910

年末に地元北海道で再会した音楽の師匠が最近見たもので「これは!」と思ったものはあったか、と私に尋ねた。「これは!」というもの。最近みた永青文庫での「春画展」がちらりと頭をよぎったが、申し訳ないけど特段これはということもなかったな、春画展を行なったということそれ自体は素晴らしいことだとは思うけれども…とモゴモゴしているうちにそういえばオルセー美術館で帰国前に見た念願の「娼婦展」なんてそれに比べて相当素晴らしかったじゃないか、と思い出す。開幕前から相当期待していたものの開幕後もなかなか赴けず、12月の半ばにようやく訪れることができた。

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そのヴォリュームたるや相当のもので、幕開けは静かに、Ambiguïté と名付けられた項目に、Le Moulin RougeやFolie-BergèreといったスペクタクルのPrositituéesを描いたものやカフェのテラスに腰掛ける女たちを描いたドガの絵画などを眺める。必ずしも説明的ではない展覧会であるが、それでも »Prosititution »という「文化」を包括的にあけっぴろげる勇敢な展覧会ではある。Prosititutionのコードや女たちのアトリビューションを見るのも、現代的な視点からすればなるほどなかなか興味深い部分はある。

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Maisons closesの部屋がこれに続く。まあだんだん見るに耐えなくはなって来るが、メゾンの中を描こうと、そこで行なわれていることを描こうと、あるいは道ゆくPrositituéesの華やかなドレスの様子を描こうと、高級娼婦の冷たい視線を高度に演出して描こうと、結局は顧客であったり観察者であったり分析者であったりするところの人々の »Splendeurs et misères »というタイトルが象徴するヴィジョンを浮き彫りにするだけである。彼女等の世界は、常軌を逸し、それがカタギの者の世ではないという点であまりに壮麗で輝かしいものなのであり、同時にそれはPrositituéesが何たるかを本質的な意味で受け入れて諦めた女たちの生き様の、その視線や表情や体躯にすら現れる悲惨さなのである。これに惹かれる者も、これを魅了する者も、あるいは同情する者すらも、共謀者である。

L’aristocratie du viceという一連のカテゴリーでは、ゾラの小説『Nana』に登場する高級娼婦たちのような、煌びやかな世界が垣間みられる。踊り子や女優、モデルとなるような若い女たちは、特別チャンスがあれば甘やかしてくれるパトロンに見初められて恵まれた人生を送る。99%の他の女たちはそんなことにはならないことを重々に承知でそれでも踊り続ける。

最後の章では著名なEdouard ManetのOlympia(1863)が近代のPrositiutionの姿としてスキャンダラスであったことが告げられるけれども、ここまでくるとProstitutionを描く様式そのものが高度にコード化されており、無論、ピカソやロートレックら著名な画家が繰り返し女たちを描いているけれどももはや、彼女等は出来上がった物語の中の既存の役割を充てがわれたに過ぎないような、そんな表情をして立ち尽くしている。

この展覧会がぶっちぎってスゴいのは、1839年以来撮影された、現代であればポルノグラフィと呼ばれるであろう大量の写真とポルノビデオのパイオニアであるビデオ小作品を大量に「十八禁の部屋」内に仕込んだことだ。ここはオルセー美術館という世界的にももっとも重要な美術館であって、ここにおいて開催された「娼婦展」のなかで、絵画からははみ出すけれども紛れもなく、写真と映画にとって重要なプロセスとしてのポルノグラフィの資料を、惜しげもなく見せたのは素晴らしい。

この18禁の部屋の雰囲気はなかなかよくて、しかしあまりに身も蓋もない性描写に、<エレガントな美術展>をゆっくり鑑賞しようとカップルでやってきた人々はなんだか落ち着かず、必ずどちらかはもう少し見たいと思っているにも関わらず「もう行こ…」と相方に言われて退散する羽目になっている。1人で来た鑑賞者は他者の目も気にせず、覗き穴から満足するまでフォトグラフィーを見つめている。贅沢な時間だ。

展覧会カタログは基本的に買わないことにしているが、針のふれた部分のある展覧会だと思ったので購入した。また、「売春のイロハ」(?) »Abécédaire de la prostitution »も購入してしまった。

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09/22/15

夷酋列像, the image of Ezo 北海道博物館 Hokkaido Museum

夷酋列像 the image of Ezo

『夷酋列像 蝦夷地イメージをめぐる人・物・世界』展が、現在、北海道博物館開館記念特別展で開催中です。本博物館は、北海道開拓の村http://www.kaitaku.or.jpという広大な敷地内にある1971年会館の北海道開拓記念館と道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、2015年4月にオープンしたばかりの博物館である。http://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/about/アイヌの歴史や文化、北海道のあり方に関する研究組織であり、学芸員や研究職員が所属する国内でも重要なアイヌ文化の研究機関である。

ちなみに北海道開拓の村は、北海道百年を記念して設置された、極めて「和人」的な、つまり和人のフロンティア征服の栄光を讃える的な匂いのしそうな施設と思われるかもしれないが、私の幼少からの経験では、北海道という土地の人民は、なんというか、アイヌの文化に対して今日エキゾチズムの視線でこれを高覧することもないし、過度にうやうやしくこれを「保護」しようと胡麻をすることもないし、北海道民自身は、この歴史と文化について、現代ではごく自然なリスペクト以上のものを振りかざしはしない、というのが率直な印象である。

これには幾つかの理由がある。

アイヌ民族は、研究により、続縄文文化、擦文文化を継承して独自の文化(アイヌ文化)を作り上げた民族だが、和人は歴史上ご存知のように、15世紀(1457年)、志海苔(函館)での接触をキッカケに戦闘に発展したコシャマインの戦いや、数々の戦いで彼らと衝突し、武力によって彼らを利用したり殺害したりしてきた。17世紀(1669年)に十分に北海道内陸である日高の静内で起きた松前藩とアイヌ民族の戦闘であるシャクシャインの戦い、これ以降、和人はアイヌ民族を強制労働者として利用したり、経済的に困窮させたことにより、ついにはクナシリ・メナシの戦い(1789年、ちなみにこれはフランス革命と同じ年)、北海道東部までアイヌ民族を追いつめての戦争、後に紹介する12人のアイヌの偉人の一人であるクナシリ首長ツキノエの留守を狙って大規模な殺害を濃なった悲惨な事件である。あまりに残虐な歴史であり、彼らの歴史や文化を研究するといえども、今日、アイヌ民族の人口は非常に少ない。

そしてこの「和人」の運命自体も着目すべきである。松前藩廃藩以降の、1871年に明治政府により官庁として設置された開拓使では、「蝦夷地之儀ハ皇国ノ北門」、言うまでもなくロシアの脅威の北方の壁となるべく身体を張って<「内地」(皇国)を守る>ことが使命であった。歴史の中で、どんな運命をたどるか、どんな興亡を見るかという、かなりのパーセンテージが実は、その地理的要因に拠るのである。北海道は、北方四島と樺太以北をめぐって、そのマージナルな地理を抱え、アイヌを利用しながら、ロシアと向き合い、内国の和人のエスプリと少しずつ確執を深めながら、この地に一世紀と数十年の歴史を築いてきた。北海道の冬は冗談でないほど大変である。たとえば暖かい国からやってきた農民だとか、たとえ東北出身者でもそれほどの厳しい冬を知らない移住者であれば、冬を越すことができなかったでしょう。政府は、越境のためにあまりに予算を食い過ぎる予想外の事態に、そそくさと予算を打ち切って断念しています(嵯峨藩士島義勇の島の計画)。

内地(皇国)のために矢面になるという役割は大正、昭和を通じて変わることはなく、悪名高いスターリン政権が武装解除した軍人を強制労働させたシベリア抑留が最大で11年に渡って行なわれ、日本人も50万人が抑留されたが、これはヤルタ協定での千島列島・南樺太の占領のみならず北海道の一部占領を要求したスターリンへのトルーマンからの対策だったのではないかと見る説もある。

今でもとてもワクワクする記憶として鮮明に思い出すのが、小学校のときの社会科の学習の一貫で、北海道の歴史を学んだ経験である。そこでアイヌ文化の紹介があり、アイヌ語のいくつかの言葉の紹介がある。北海道の地名や言葉のアイヌ語における意味が説明される。初めて出会う外国語に限りなく近い、しかし日常生活に密着した言葉の数々である。
「アーント!蟻!」「ペン!ペン…」と唱えていた嘗ての英語学習に比べたら、「さっぽろ」が、つまり「サツ・ポロ・ペツ」渇いた大きな川(そうです、豊平川のことでした!)であると知ったときの、あの喜びはなんとも心が踊る経験である。

さて12人の列像は、しかし「和人」によって描かれたものであるから、和人の文法を正しく使って、エンブレムを散りばめながら、作法に従って描かれたものである。例えば縄文人的な容貌、「一眉深眼、髪髭ながふして総身毛の生たる事熊のごとし」(坂倉源次郎が18世紀に記した『北海道随筆』における典型的描写)や、「三白眼」という黒目部分の非常に少ない眼の描き方、アザラシのブーツ、射た雀や鳥をベルトに結び、矢を引き、熊を犬のように連れ、仕留めた鹿を背負い…、彼らはそうやって、偉人(異人)伝説に登録されてきたのである。

げにいとめつらに気うときかたちしたり まゆは一文字につづきてまぶたのうへにおほひ ひげは三さかばかりありて口つきも見へず

なんてこった、昔の人の、異なる人を区別する視線は!
そんな風に、可笑しく思うかもしれないけれど、わたしたちは、
今日でも未だに、こんなことを世界のあちこちで、しています。

展覧会は巡回します。
日本のこと、和人と国の四隅で矢面になる各地の人々のこと、世界の異文化と異人のこと、考えるキッカケになると思います。

マウラタケ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。ポーズは仙人の図像集である『列仙図賛』を参考に描かれたもの。
ainu expo マウタラケ

チョウサマ
ウラヤスベツ(斜里町)の首長。同様に仙人図を参考にしたポーズ。アイヌの宝器を携えている。
ainu expo チョウサマ

ツキノエ
クナシリ(国後島)の首長。蝦夷錦の上に西洋の外套を纏っている。ポーズは中国三国時代の武将関羽に類似。
ainu expo ツキノエ

ションコ
ノッカマップ(根室)の首長。クナシリ・メナシの戦い終息のためにアイヌを説得したとされる。ノッカマップは、戦いに参加した多くのアイヌが処刑された場所である。
ainu expo ションコ

イトコイ
アッケシ(厚岸)の首長。紺の錦に赤い上着を羽織り、槍を携えている。
ainu expo イトコイ

シモチ
アッケシ(厚岸)の首長。弓術の名手として知られ、『和漢三才図会』はじめ多くの百科事典などに登場する弓をいるアイヌのモデルとなっている。
ainu expo シモチ

イニンカリ
アッケシバラサン(厚岸)の首長。白と黒の幼いヒグマを連れている。これは、弘法法師を高野山中で導いたとされる白と黒の犬を連れた狩人の図によると思われる。
ainu expo イニンカリ

ノチクサ
ノッカマップのシャモコタン(根室)の首長。鎌倉時代の武将、源平合戦の際に愛馬を担いで絶壁を駆け下りたという武士の怪力と野蛮さの象徴を象徴する畠山重忠の逸話を思わせる図である。
ainu expo ノチクサ

ポロヤ
ベッカイ(別海)の首長。右の襟を上に重ねる着方によって、和人の着物の着方との区別をしている記号的図像である。犬は洋犬として描かれている。
ainu expo ポロヤ

イコリカヤニ
ツキノエの末子。捉えた鴨を抱え、後ろに振り向いている。
ainu expo イコリカヤニ

ニシコマケ
アッケシ(厚岸)の首長。弓を抱えている。アザラシ皮の靴が、置かれることによって一層強調されている。
ainu expo ニシコマケ

チキリアシカイ
イトコイの母。ツキノエの妻という説もある。異国より手に入れた敷物のうえに毛皮を敷いて座っている。
ainu expo キチリアシカイ

蠣崎波響
蠣崎波響(1764−1826)は、松前藩主、松前道広の命を受け、クナシリ・メナシの戦いで功を奏したアイヌ首長12人の図を作成した。12人の絵に「夷酋列像序」という序文を持参して上洛し、多くの文人・貴族に披露した。さらに、光格天皇の目にも触れ、これらの列像は多く模写されることとなった。

09/21/15

BEACON 2015 Look Up! みあげてごらん, 空を仰ぐことの意味

9月13日、岐阜県美術館で開催中の「BEACON 2015」を体験してきました。BEACONは、1999年より断続的に名古屋や京都など、全国で発表・展示されている、映像・音響・理論・美術がひとつとなった作品である。伊藤高志さんの映像、稲垣貴士さんの音、吉岡洋さんのテキスト、小杉美穂子さん・安藤泰彦さん(KOSUGI+ANDO)が担当する美術が相互に影響し合って作り上げられた作品は、回転台の上で撮影された様々な土地の日常風景が展覧会場において同じく回転台の上で投影されるという形態を撮っている。

BEACONはいつも、人間の記憶に関わってきた。それはメディア環境における人間の記憶の問題であったり、日常を生きる我々の記憶の蓄積の比喩としてぐるりと連続する風景を回転台の上で投影することであったり。そこには人々の風景があり、声が聴こえ、光とオブジェがあり、今ここに居ないがいつか出会った人々の痕跡がある。

年のBEACON 2014は展示空間の特殊性が作品に極めて強くコミットしていた。東京都台東区の葬儀場を展示空間とする異例の作品展示、BEACON 2014は »memento »の副題がつけられ、インパクトある形で人間の生死を主題としていた。

今回のBEACON 2015は第7回目の作品発表となるそうだ。副題は »Look Up! みあげてごらん »。
作品中に登場する映像では、美術館のある岐阜、沖縄、福島の「日常風景」が回転しながら投影される。

« Look Up! みあげてごらん »、展覧会のチラシにも掲載された吉岡洋さんのテクストの中で、「みあげる」行為は以下のように説明される。

人はそもそも、どんなときに空を見上げるのだろうか?
 それはたとえば、この世の煩いから離れたいときであり、遠い存在に思いを馳せるときかもしれない。
 またそれは、希望を持とうとするとき、あるいは反対に、絶望したときであるかもしれない(見上げるという行為において、希望と絶望とはつながっている)。
 さらには乗り越えがたい障壁によって、突然行く手を阻まれたとき。それはつまり、自分は今まで閉じ込められていたのだと、知ったときだ。

ここには、みあげる行為の意味が明らかにされるだけでなく、なぜ混在する沖縄と福島と岐阜の日常風景を追体験するこのBEACON 2015という作品が「みあげてごらん」なのか、さらには、なぜBEACONがこんなにも直接的にフクシマの風景や沖縄の風景といったクリティカルな問題を映し出すにもかかわらず、そこに恣意的な声を潜ませることなく淡淡と回転台のプロジェクタが投影するイメージを届けるのか。

みあげることは単純な希望の象徴ではない。人は、絶望したときも空を仰ぐ。そこにはなるほど、「いま、ここ」の限界を痛いほど認識する「わたし」がいるが、そんなものは世界にありふれたことかもしれないし、また明日別の状況に出会うことかもしれないし、「わたし」を今たまたま取り囲んでいるその偶然に満ちた環境によってこれまた偶然にでっちあげられたハリボテみたいなドラマセットに過ぎないのかもしれない。そんなふうに、みあげることは切り離すことであり、あるいは繋がることである。

みあげることは、ある意味で孤独であり、ある意味で本質的に力強い。それは、頼りない表面的な結びつきとか駆け引きなんかに基づく脆弱な人間関係ではなくて、困難に打ち拉がれ途方に暮れて空を仰いだところからのインディペンデントな連帯だからである。

Look Up ! みあげてごらん。
この作品は10月12日まで見られます、そこで福島と沖縄と岐阜の日常を見ることは、いまここを断絶し連携し、今日の私たちの状況について考えに至るキッカケにもなると思う。

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09/21/15

鈴木理策「意識の流れ」展 / Risaku Suzuki Stream of consciousness

鈴木理策さんの個展「意識の流れ」は東京オペラシティーであと2日、9月23日まで開催中です。

ウェブサイト:http://www.operacity.jp/ag/exh178/

鈴木理策さんは80年代より大判の写真作品で知られ、とりわけ熊野を撮影した写真や海や山などの自然を限りなく鮮明に、しかしそれは絵画のようにも映像のようにも見える作品を制作しています。今回の展覧会では写真作品が100点、映像が3点と大きな規模の回顧展と言える展覧会だと思います。
写真はいつから、ボケていてはいけないことになったんでしょうね。隅々まで鮮明に、できるだけ遠くを、できるだけ近くを、っというオブセッション。しかし我々の視野はもっとざっくりとしたもので、見えているけど見ていないものだらけだったりします。ぼうっとながめているとき、それらはぼやけているでしょう。焦点があっていない時だってあります、だからこそ写真の展覧会ではそのつややかな表面に、『ウォーリーを探せ!』と言わんばかりに塗り籠められた細部を見るのに大変疲れてしまうのです。
鈴木理策さんの写真は、そのピンぼけと鮮明さの両極の特徴で知られています。たしかに、「自然」に感じられるイメージという印象がある。自然に、というのは、がんばったり抵抗を乗り越えたりしなくてもよい、というような意味です。
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07/24/15

Mémoire de crayons et Album sans fin : Jean-Louis Boissier / Des histoires d’art et d’interactivité juin 2015

Mémoire de crayons 1995-2001
Jean-Louis Boissier
Exposition « Des histoires d’art et d’interactivité
Au musée des Arts et métiers, Paris
du 11 au 14 juin 2015
Dispositif
Deux grandes tables parallèles de 80×240 cm, séparées par un espace de la largeur d’une table. La première table est une vitrine qui renferme, en 32 cases, une collection de 1024 crayons à papier, elle est éclairée par deux lampes de bureau articulées. La deuxième table supporte un ordinateur avec son clavier et son écran.

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ヴィジターが鉛筆の情報(色、場所、その他レジェンド)を入力すると、データベースの中からその条件にあった鉛筆を見つけ出し、それを画面に提示する。

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1024本の鉛筆は番号がつけられていて、レジェンド(あるいは、レシ)と外観とともにデータベースに登録されている。ヴィジターは、ショーケースに整然と展示された鉛筆を見ながら、気に入った鉛筆を番号から検索し、その詳細な情報を得ることもできるし、関心のある鉛筆を見つけ出すために条件をコンピュータに入力し、これを探し出すことも出来る。

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この作品の作者であり、1024本の鉛筆のコレクターでもあるジャン=ルイ•ボワシエは、この作品をオブジェの記憶に関するもの(「オブジェに関する記憶および単独のオブジェの集積に言語が与えられるランガージュの可能性をめぐる考察」)であると述べている。ジャン=ジャック•ルソーの『告白』的なエクリチュールに影響を受けた自伝的経験が芸術作品のコンセプトの重要な位置を占めるのは、ジャン=ルイ・ボワシエのインタラクティブ作品において本質的な性格と言える。

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この作品は2001年にポンピドーセンターにおいて展示され、2015年6月11日〜14日のArts des métiersのスペース内(Futur en Seineのプロジェクトの枠組み:http://www.cnam.fr/des-histoires-d-art-et-d-interactivite-738738.kjsp)で展覧会 »Des histoires d’arts et d’interactivité »において展示された。

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同展覧会では彼の歴史的となったインタラクティブ作品Album sans fin, 1988-1989も同時に展示された。

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私にとっては、これを体験するあまりにも貴重な機会であった。

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07/15/15

Newspaper woman (Shinbunonna, 新聞女), Miyuk Nishizawa (English text)

Newspaper woman (Shinbunonna, 新聞女), Miyuk Nishizawa

On March 9, 2013 @Guggenheim Museum – A great night of something happened…
In early February 2013, Newspaper woman, her comrades and some AU members (Art Unidentified*) arrived in the USA. Kiki Nienaber (Director of Fuse Art Infrastructure) and Gregory Coates (Co-director of Lollipop Operations) hosted the Japanese artists in Allentown. They lived under the same roof for a month, each day bringing to life artistic events titled « Lollipop Gutai Influences. » These included performances, exhibitions and workshops in Allentown and New York.

Shozo Shimamoto, Co-founder of the Gutai arts movement in postwar Japan and Miyuki Nishizawa’s dear mentor, was clinging to his last moments of life when Miyuki received a personal invitation to perform at The Guggenheim Museum. Shimamoto passed away January, 25, 2013. Miyuki and the Newspaper Girls immediately abandoned their paid return tickets to Japan and vowed to meet the challenge to infuse the Guggenheim Museum with Shimamoto’s expressive spirit, to deliver happiness to all visitors participating in the events and to transmit that happiness not through just one night performance but as an infinite newspaper dream!
*Guggenheim museum held the exhibition « Gutai : Splendid Playground » February 15 – May 8, 2013

The powerful performance lasts until midnight. The backstage is in chaos, filled with newspapers and working staff while visitors arrive at the entrance. The event opens with an exceptional newspaper dress whose hem reaches to more than 30 meters long. A sign instructs visitors: « Please walk under here ». This work is in homage Shozo Shimatmoto, one of whose participative and interactive works is called « Please walk on here » (1955).

Participants are supposed to walk under the long hem of the artist’s huge skirt. They can touch the dress to turn it up, making a newspaper arc for visitors passing under. This long hem is intricately cut like lace fabric, making a sophisticated shadow on the floor (look at the picture!) In walking under the artist’s skirt, the exciting ambiance envelops us.

After the opening performance « Please walk under here », a parade starts with assorted newspaper costumes and characters. Panels of Yoshiko Yamamoto’s photography on the museums long slope involve the visitors on the floor while people donning larger-than-life newspaper jackets and Miyuki and the Newspaper Girls parade together in newspaper dresses. According to Miyuki, the concept of the giant jacket is « to enjoy wearing it and looking at people wearing it…even if the most intelligent university professor wears it, they will look so stupid! That’s the advantage of this work!”

Following the parade, a giant newspaper Teddy Bear appears slumped on the floor! A monster covered with newspaper shredded as thin as angel-hair pasta hair dances eccentrically around the giant teddy bear. Old-fashioned Japanese popular songs Enkas, 演歌 or Miyuki’s original music (BGM), drift through your ears while you risk being stuck with bizarre, colorful labels indicating a discount price on your clothes. These are the same labels used to indicate discounts in Japanese grocery stores. Everything here makes us laugh and feel happy!

In the final act of this Gutai experience, you’ll find Miyuki on the Guggenheim’s spiral ramp, wearing a beautiful cloth which is one of Shozo Shimamoto’s real works. She looks like an elegant and beautiful fairy.

Gutai mind and the birth of the Newspaper Woman
Shozo Shimamoto (1928-2013.1) is one of founding members of the Gutai Art Association. Shimamoto coined the term « Gutai » – “embodiment” in Japanese. He is known for performance paintings such as cannon shooting painting, crane performance painting etc. He also founded the art association « AU » (Art Unidentified) which aims to give amateurs an artistic experience. In his later years, he contributed to these activities to educate and help people through the arts. The term « Shimamoto meme » refers to the transmission of Shimamoto’s artistic mind and attitude towards the arts. This attitude is shared by many, including Miyuki, who was moved and touched deeply by his art and life. She is a follower of the Gutai conviction that Art is an activity for the liberation and opening of minds. Through her art, Miyuki overcame difficulties in her life. Art helped her to destroy the heavy chain that had long fastened her heart and then smash it into fragments.

In her youth, she suffered from strained parental relationships and social pressures formed by banal stereotypes. Pains she felt are not far from those we have when wearing un-suitable clothes, or by a corset confining our body from the chest to the hip. « Nyotaku »*, one of the most significant works of Shozo Shimamoto is worth analyzing. This important work received much unfair criticism and was misinterpreted by those who lack the capacity to understand its purpose. It was treated as a downright scandal in Japanese society. A play on the word “Gyotaku,” or “fish print/impression,” “Nyotaku” literally means “Female print.” Nyotaku is an ink rubbing of a female body on paper. Miyuki stripped naked to model for the Nyotaku works, at one point completely nude. Ben Shimons, a renowned American photographer, was deeply interested in Nyotaku, saying that in Nyotaku women are natural and free, representing their lives as they were. Miyuki became one of Ben Simons’ best loved models. He appreciated her inner energy and brilliant beauty. A young Miyuki gradually came to understand positive energy as the most important thing to survive in this world. The nourishing of her strong, exposed soul through her Nyotaku experience and Ben Simon’s photographic work helped her to find her way towards “Newspaper Woman.”

Miyuki is always smiling. In each of my personal encounters with her, and in her pictures online, she radiates happiness. I believe smiling people have a naturally positive influence on the world and enable the spread of joy by sheer presence. Smiling people are essentially much stronger than those who carry a depressed and sad look wherever they go. Miyuki’s positive energy, something most worthy of being transmitted from one individual to another, is precious and irreplaceable.

Newspaper woman and newspapers
Newspaper woman uses newspapers as the main material for her artworks. Every day, vast quantities of newspapers are published to inform their readers of news, only to be thrown away soon after. Newspapers are printed day by day in vain… Before working as an artist, Miyuki Nishizawa, studied fashion at university and worked for a company as designer for 12 years. She was unmoved by the high-paced fashion industry and the contemporary consummation society. She felt sick watching those around her carry out a lifestyle where material objects are purchased in great quantity and frequency only to be ignored or tossed aside. Indeed, the high-speed apparel industry’s scheme is very similar to that of newspapers as a materialized mass media. She decided to drop out of the barren cycle of consummation in order to start carrying out artistic activities by using newspapers as compensation for things she had abandoned thus far.

Shozo Shimamoto, her master, also used newspaper as a material for painting in the beginning of his career. The work is commonly known as « Holes »(1954, Shozo Shimamoto, Work Paint on newspaper, Ashiya City Museum of Art & History ). Its concept was born from the same moment of the avant-garde artist, Shozo Shimatmoto. Shimamoto, whose parents had not allowed him to major in arts at the University, decided to apprentice himself to Jiro Yoshihara(the leader of Gutai Art Association founded in 1954). Shimamoto painted everyday without capturing Yoshihara’s approval. In those days, just 5 or more years after the end of World War Ⅱ, the young man who lacked financial means to buy canvas, superimposed newspapers on the wood frame, coated it with boiled flour (imported from the U.S.A through the GHQ*) and finished with white paint. One day when he was pressed to finish a painting, a hole was ripped on the canvas because its surface hadn’t yet dried. –  » Am I the first artist who invented a painting with a hole ? » – As he expected, Yoshihara ardently praised the « broken » painting and he afterwards gained a positive reputation abroad. When Shimamoto’s early works obtained a durable existence with a permanent place in several museums, then newspaper canvas’ were fossilized at the cost of its liberty. In contrast, newspapers in Miyuki’s works are free and represented very differently: mobile, cut into fragments, shredded, teared, modeled, touched, worn, and thrown away immediately after her performances. Her newspapers live through a brief, joyful existence for the sake of Newspaper Woman’s performance participants.

*GHQ (General Headquarters): After the World War, the Allied Powers held by Douglas MacArthur ruled Japanese government during the Occupation of Japan. Supreme Commander for the Allied Powers (SCAP) is the official title however GHQ was the term generally used in Japan.

The « Eco-Art » (Art for the ecology) is not the only reason Miyuki uses newspapers. If you look more carefully into the real signification of the use of newspapers in her artworks, you can clearly understand the important character of newspapers as a « mass media ». Contrary to the beauty and joy in her artworks, the contents of newspapers always represent information about horrible accidents, scaring wars, durable tribal conflicts or political discords and bad business. When we let our eyes to follow these articles about depressing events, we cannot avoid getting the impression that the world is filled with tragic stories, and actually, it may be a kind of truth.

I’d like to introduce one of the most reputable works titled « Peace Road », presented in a famous Japanese art magazine, Bijutsu-Techo on June 2004. In this work, she faced the tragedy of 9.11 of the U.S.A by collecting paper articles about the issue. She blotted out the part concerning 9.11 with five colors: blue representing our planet, and white, black, red, yellow representing people’s skin colors. She created a 1.2 km long newspaper “Peace Road” passing through a shopping arcade in Kobe. An earnest hope for world peace and for contributing to people’s happiness is shared concepts in Miyuki’s work. This project is replicated worldwide, including several places in Japan and at Saint Mark’s square in Venice, setting paper streets round the globe!

On February 11 2013, Monumental crane performance in Allentown
The crane performance is symbolic of the dynamism and energy of Newspaper Woman. While Shimamoto’s crane performances were carried out to make a giant painting by throwing colorful, ink-filled glass bottles from the sky, it is Newspaper Woman herself who becomes a living sculpture in her crane performance. She wears a giant, 20 meters long newspaper dress. The giant paper skirt can enclose the spectators observing her from the ground as they look up into her skirt! Miyuki has a serious pathological fear of heights. However, her fears are undetectable as she appears chilled out and happy in the sky, sometimes releasing an elegant blizzard of falling newspaper fragments, like cherry blossom petals. The first task in Allentown this February was the crane performance. The preparation lasted all-night. There was heavy snowfall. Needless to say, rain or snow is most inconvenient for the paper works which break easily when wet. Journalists, local media interviewers and even the mayor of Allentown city came to see the spectacle. Miyuki felt heavy pressure knowing she was to carry out this performance in the place of the late Shozo Shimamoto, that is to say, she wouldn’t be excused of any small mistakes.

This celebrated performance ended in great success, surrounded by applauding spectators and their smiles.
« Then, I was caught by some odd sensation. Before, I had been down on the ground clapping my hands with other spectators, to cheer him on. However, this time I was in Mr.Shimamoto’s place, looking down at the people on the ground. » said MIyuki.

The triumph of the crane performance in Allentown has a crucial significance for members of Shozo Shimamoto atelier, Newspaper Woman’s group and Miyuki Nishizawa herself.
Her dear master “has retired from his activities in the real world, » leaving amazing and testing opportunities for her and her comrades. This sensitive and fragile Nyotaku model has now become an independent artist who, suspended alone in the sky by a big crane, is applauded by people on the ground. Sometimes she appears in public elegantly or sometimes suddenly, like a guerrilla, making her beautiful music and dance experiences to spread joy to all people present. Everything she makes exists for « liberating people’s minds » and for delivering happiness to each person she meets.

She said,
« I have succeeded in freeing my mind thanks to the arts, as well as Mr.Shimamoto and many friends around me as well. Then, I want to help people who currently have difficulties living joyfully by liberating their minds from their suffering, even if for just a moment. I hope this happiness will be spread to young people of the next generation. »

 

Author :

Miki OKUBO
Born in 1984, in Sapporo, Japan
Docteur, Art Critic, Essayist, lecturer at the Université Paris 8.

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06/1/15

PEACE REPORT 2015 – « CORPUS » 盛圭太・西澤みゆき・大久保美紀

PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »

パフォーマンス=インスタレーション作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、西澤みゆき(新聞女)の作品「ピース・ロード」と、盛圭太による糸をメディアとしたドローイング・シリーズ「Bug Report」におけるコンセプトとモチーフが出会い、ダイナミックに結びつき、分断され、互いが変容する中で生み出された異型の再解釈の提案である。作品コンセプトの構築に関わって、私自身、盛圭太・西澤みゆきと語り合った。
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作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、何よりもまず、世界への積極的コミットを念頭に置いた表現である。平和への希求、端的に要約すればそのことに他ならないかもしれない。しかし我々が体現しようと試みたのは、あくまで現実の中にある幸福の追求に似た行為であるように思う。我々は、自由で豊かな想像の中では、パラダイスのような夢を見たり、理想主義的なディスコースを繰り広げたり、眩くて直視できないほど美しい客体などをでっちあげることが可能だ。カタルシスのようなもの、それはなるほど、芸術の一つのミッションであるのかもしれない。私たちが、盛圭太と西澤みゆきが、シャルリー・エブド襲撃事件から3ヶ月が経過したパリの中心で構築しようとしたのは、しかし、フィクションとしての平和の希求ではない。
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盛圭太のドローイング・シリーズ「Bug Report」とは、ピストル型のノリで糸を固定し、カッターで切断することによって壁やキャンバスに描き出される糸によるドローイングである。盛によって描き出される画面は、あるときは密集した構造を表し、あるときは放っておかれた自由な一本の糸がたるんだまま存続することを許している。また時には、精緻に構築された糸の造形は、アーティスト自身によって、バリバリと音を立てて破壊され、そこには造形の跡としてのノリの欠片や剥がされた紙の毛羽立ちが遺る。シリーズのタイトルである「Bug Report」は、誤謬(Bug)を孕んだ関係性の構築と読むことも出来るし、あるいはその誤謬そのものがオートノミーの性質を持っていて霊媒(fantom)的に客体を結びつけようとする自律的な営みそのものであるとも、読むことが出来る。
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盛のコンセプトが西澤のピース・ロードと結びつくのは偶然とも必然とも言うことができるが、西澤の作品「ピース・ロード」が2001年9月11日のニューヨーク連続テロの世界的衝撃と一瞬にして崩れ去った平和の脆さへの気づきから始められ、世界中を平和の象徴である一本の道で繋ぐことを目指しながら、これまで日本国内はもちろん、ベネチアなど海外でも実践されていることを鑑みれば、出会いは運命的であると感じられる。「新聞による一本の道」は無論メタファーで、断片として世界に遍在しうるし、オートノミーでもあり得る。突如パリの中心にある盛のアトリエを拠点に、これを結ぼうとする参加者によって自主的に道が開かれることも、作品「ピース・ロード」の延長線上にある出来事なのである。
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私たちの日常は、おぼつかない安心の元に拠っている。無根拠な平和への信頼、安全への信用、穏やかな日々は、束の間に失われる。あるいはまた、常に生きにくい人生を生き続ける人だって大勢いる。アートはそのような非常事態において有用性を問われ、直ちに無用であると切り捨てられるか、あるいは傷ついた人々の心を癒すために必要であるとかろうじてセラピストとしての才能を認められるか、高々その程度の評価である。それ以上の意味や有用性が、表現行為にはあるだろう。リアリティを直視しながら、その過酷な世界に、私たちの家族や、恋人や、子どもや子孫たちが置き去りにされていくという事実から目を背けることなく、生き続けるということについて積極的に紡ぐべき表現行為を、共有する術はきっとあるだろう。

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盛のアトリエの壁は、参加者たちによって切り出された昨今の新聞記事の見出しや写真、記事の一部、政界の著名人、経済界のニュース、紛争や戦争のニュースや写真、意味の分からぬ言語を切り抜くもの、偶然裏表が違ってしまったまま壁に貼られたもの、本来の記事の文脈を失ったテクスト、分断されたイメージ、それらが糸によって結びつけられたり、糸によって孤立させられることによって、無数の窓を持つことになった。切り出された各々の平面はつまり、個別のスクリーンとしての役割を果たし、それらは盛がコントロールするレゾーの構成要素となったり、なり得なかったりする。思えば我々の情報の受容とはこのように断片的・主観的でしか有り得ないものなのだが、その情報のピックアップとリエゾンの行為が複数の個人によって同時に行なわれ、共有される空間のなかで、可視的で可触的なスクリーンとして遍在するとき、その意味はもはや別のものになる。

« CORPUS »。盛はこの集積を想像して、こう呟いた。

共有される空間は我々にとっての内側であり、それには外側を想像することができる。共同体が包まれているものをひっくり返したとしたら、新しい内側にもやはり曖昧な結びつきが広がるだろう。情報のアーカイブのような空間としての »CORPUS »、意味があるようで意味のない、関係があるようで関係のない、存在様態の「集積」。それは我々の身体の内側にまでレゾーを引き込むことができる、リアルなあり方なのだ。

パフォーマンス=インスタレーション作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、2015年4月17日、盛のアトリエで生じ、開かれた無数の窓は、潜在的に、閉じない。

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感謝:
アーティスト 盛圭太、西澤みゆき
写真 Manon Giacone
撮影 杉浦岳史
参加者の皆様

05/16/15

少女文字の研究! @日本記号学会 「美少女の記号論」

美少女の記号論、昨日から始まっています!
日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学、今日の朝10時から、少女文字について発表します!

「自己表象としての筆致―書くことと書かれたものへのフェチシズム、現代のスタイルとは何か」
大久保美紀
<要旨>
「書く」行為は、今日の情報化社会において〈電子的に書く〉=〈キーボードを叩いて文字を入力する〉という新たな意味を帯びる以前、長い間、我々の身体的動作と深く結びついていた。研いだ石を用いて石板に傷を付けるのであれ、墨を含ませた筆を木簡に押し付けるのであれ、あるいは、ペンを紙の上に滑らせるのであれ、書く動作は書かれたものを生み出し、書かれる対象は、何らかの不可逆の作用を被る。例えば、ひとたび文字が綴られた石板は何世紀経っても内容を伝え、公的文書が書き記された木簡や巻物は、今日も重要な歴史的資料として保存されている。また、あたかもその不可逆性をキャンセルしてしまう発明のように見える〈鉛筆/消しゴム/紙〉による記述は、なるほど、書いたものを擦り取った後にまたその上から書くことが出来ると言う点で、それ以前の使い捨ての媒体とは一線を画すが、それもまた、鉛筆の筆圧による紙面の物理的変容や消しゴムの摩擦による紙表面の綻びを考慮すれば、伝統的な「書く」行為の枠組みを出ないと言わざるを得ない。

「書く」行為の物理的軌跡である「筆致」がしばしば、個人的で親密な表現と見なされるのは、上に述べたように、この行為が身体性に深く根ざしているためである。日本社会では、個人の筆致(あるいは筆跡)が、ある個人のアイデンティティを確定する一要素であることを越えて、その個人の属するコミュニティーを確定する特徴としての役割を担ってきた。例えば、1980-1990年代に女学生の間で流行した丸文字(丸字)や、2000年代のギャル字、あるいはヤンキー文字やグラフィティー文字。ある特定のコミュニティーのメンバーによって共有されている特定の字体を身体的鍛錬によって習得し、その字体を「書く」ことは、すなわち、自分がそのコミュニティーに属するのだという、外側の世界に向けて意思表明することを意味した。

あるいは、丸文字やギャル字という特定の字体を追求しなくとも、日本社会における個人の「筆致」が、アルファベット言語圏と比較すると、高度にフェティッシュな表現として認識されていることは特筆すべきである。この要因は、日本語の文字の形状的特徴や教育・文化的背景など、様々である。いずれにせよ、個人の「筆致」は、男女問わず、大人になっても自らの字体を恥じ、それを改善しようとペン字を習い、字体を好まぬばかりに筆無精となってしまう状況を生むほど、個人にとってデリケートな問題なのである。さらに、身体的動作によって紡ぎだされた直筆の文章―たとえば手書きの手紙―は、あたかも書く者の肉声を媒介し、その身体的存在を〈いま、ここ〉に具現化するような特別なオブジェとしての役割すら引き受けることができる。字体のみならず、文体(=スタイル)もまた、本来「筆致」の身体性と深く結びついたものであったと考えられる。

本発表では、「筆致」がどのように、書く者の身体的存在を代替するフェティッシュな存在としての役割を与えられ、それを演じて来たのか、伝統的な意味での手書きから、1990~2000年代の丸文字とギャル文字文化における直筆のあり方までを分析しながら明らかにする。そして、今日「書く」行為が引き受けた新たな意味と、それに呼応して起こる、表現としての「書かれたもの」の変容について考察する。

有毒女子通信第16号もでたよ!ここに少女文字について書いてるヨ!
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