02/21/13

ICOMAG 2013「批評」のテーマから考えたこと/reflexion on the aim of ICOMAG 2013

先日、文化庁主催のメディア芸術コンヴェンションが東京六本木で開催された。私は遠方におり、非常に関心があったにもかかわらず参加することが出来なかった。しかし、海外でメディア芸術に携わるアーティストや研究者からもこの会議のコンセプトについてのコメントをもらうという座長吉岡洋さんの提案のおかげで、第3回メディア芸術コンヴェンションのテーマ(icomag site)について、すなわちハイブリッドカルチャーにおける批評の可能性について、パリ第8大学のジャンルイボワシエさんおよび彼のセミナーに所属する数名の研究者と意見を交換することが出来た。日本で行われたリアル会議とは別の文脈であるが、日本のポピュラーカルチャーについての考察(あるいは、一般的に文化の越境という現象を考えること)にかんして、あくまで私自身が日頃抱いている問題をまとめながら、この議論のことをこのブログに記録したい思う。

今日よく知られているようにフランスは、世界的で日本に次ぐマンガの消費国である。パリでは毎年(昨年は20万人を動員)ジャパンエクスポや、大規模なコミケ、パリ•マンガサロンなどが盛況を収め、日本のマンガは、彼らのオリジナルカルチャーであるバンド•デシネ(Bandes desinées)を経済効果の点で遥かに上回って(しまって)いる。日本のアニメやゲームの人気も高い。その勢いは日本食、日本語教育、伝統文化も一緒くたに波及し、ジャポンは、所謂「クールジャパン」でプロモーションされてきたセクターのみならず全体的にクールである。こういったファンタジー的憧れは、ワンダーランドとしての遠き島国を思い描く想像力がいかにも簡単に紡ぎだしそうな物語のひとつである。そしてこのシステムは、日本に対してのみ向けられる特異な視点を裏付けるものでは全くないのであり、むしろ、日本のガールズが花の都パリ(死語?)に憧憬の念を抱く際の一生懸命さ(およびそれを支える日本のコマースとツーリズムの努力)のほうがよほど素晴らしいし、この程度のファンタジーは世界中に溢れている。ただ、日本を巡る物語についてやや驚くべきことがあるとすれば、そのファンタジーが今日においてもまだ機能するという日本のしつこいワンダーランド性である。

座長吉岡洋さんが昨年の3月にブログに掲載した「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」を先日フランス語に翻訳し、ウェブに掲載した。( text in French on salon de mimi, on blog by Hiroshi Yoshioka, original text in Japanese is here.) その記事の末尾は「「メディア芸術」をめぐる過去2回の国際会議の企画とはわたしにとっては、日本におけるポスト植民地主義を目指す文化的闘争であったのだ。」と結ばれている。このテクストは、1980年代に成熟し90年代には既に海外で積極的に受容されたマンガやアニメを、生みの親である日本がなぜ、2000年代後半になるまで自らのナショナルな文化と認め、外交戦略化しなかったのかをクリアーに説明する。(なるほど、そういえば精華大学におけるマンガ学部設置は2006年、京都マンガミュージアムの会館も2006年、外務省のポップカルチャー発信士/通称カワイイ大使任命は2009年である。)このテクストは、さらに、なぜ海外で日本人としてポップカルチャーを発信する際になんとなく後ろめたさが伴うのだろうという私個人の内省的体験にも、ひとつの解釈を提示してくれた。(このことは自分のブログでゴシックロリータの装いで文化レクチャーをすることを綴った記事や、高嶺さんの展覧会を論じた記事でも書いた。) 私はこのテクストを次の二つの点で重要と見なし、日本語以外の言語に訳される意義を見いだしている。一つ目は、日本人が日本のポップカルチャーをに対して抱いている「恥ずかしさ」(「恥ずかしい」というのはつまり、何らかの後ろめたさやそれを認めたくないとする気持ち)の存在を率直に肯定したこと。二つ目は戦後日本の植民地主義/意識を巡る問題について、日本社会がこの問題を隠蔽し直接対峙することなく現代まで先延ばしにしてきたという筆者の考えを通じて正面から文章化したことである。もちろんこの二つの点は互いに強く関係し合っていて切り離すことは出来ない。

まずは、「恥ずかしさ」を切り開らくことから始めよう。

当たり前のことだが、我々日本人がクールジャパンを恥ずかしく思っているなどということは、特定の社会的コンテクストを共有しない外国人には知られておらず、この内実は理屈で理解されることは可能であれ、いささか複雑化され過ぎており、日本人自身が言語化しきれずにいるという事実がある。ともあれ、そんなことは彼らの日本現代文化への熱意を邪魔もしなければその魅力を傷つけもせず、つまりは比較的どうでもいいことですらある。つまり、日本の外(あるいは内)でサブカルで括られる表現活動を受容吸収する多くの若者(あるいは若くない人々)にとって、異種混交的文化(hybride culture)とは、ある程度国際的で一般的な状況に収集できる事態である。誤解を恐れず言うなら、大きな流れとして今日の世界は、日本でもヨーロッパでも共通の枠組みに置かれていると見なしうる。文化の商業化•脱政治化傾向もまた、国際的なコンテクストで語られ得る。

それはそれでよいのだと私は考えている。日本固有の社会•歴史的背景に基づき、日本的ハイブリッドの特殊性を分析し、それを語ることは繊細で丁寧な仕事であり、必要不可欠なプロセスである。一方、日本でしばしば議論されてきた「メディア芸術/Media Geijutsuとは何か?」に代表される問いはとても厄介である。なぜなら、「メディア芸術」という言葉をMedia ArtではなくMedia Geijutsuと英訳すること自体がややもすれば対話を拒絶する姿勢の表明であると解釈されかねないからだ。このことはもっと丁寧に説明されるべきであり、ひょっとしたら語弊があるかもしれないが、私は「メディア芸術とはなにか」とか「メディア芸術のどの点をもって芸術なのか」という命題の答えを定めることに重要性を感じていない。むしろ、芸術という日本語の言葉が予め持っている特性に関わりすぎることに拠って、もっと大きなものが見えなくなる恐れがある。こういうのこそ実は、潜在的にotaku-likeな言説の一つになりかねない議論であり、言語ゲームに終始するならばただのdis-communicationに陥ってしまう。

オタクは「彼らが属するコミュニティー内では社会的態度でふるまうが、その社会性はコミュニティー内部に限られる」という側面がその意味の核を作っており、オタク的○○あるいはotaku-likeな○○という表現に応用されることによって、マンガ•アニメのフィールドに関わらず、広く使用できる。たとえば、メディアートを語るための専門的でテクニカルな言葉、科学の研究者が使う一般人の理解を全く期待しない専門用語、あるいは、(言語の壁までもその対象になるとすれば)、日本人にしか理解しがたい議論、それをあたかも翻訳不能であるかのように努力もせずに語る態度はすべてotaku-likeである。じつは、日本のマンガやアニメ、ゲームの領域が自己再生産的に成長できる自給自足のシステムをもっていることが、この領域の批評の難しさの本質をついている。フィールドのオタク的なあり方それ自身が、自らが理解される可能性を自己閉鎖していると言えよう。専門化したフィールドに対話の可能性を見いだしていくのが批評だとすれば、そのプロセスは、そのフィールドの内側にある言葉を大切にし、その言葉を通じる言葉(もっと意味のある言葉)に言い直すことから始まるに違いない。

現代のハイブリッドカルチャーにおける批評可能性は、したがって、通じる言葉で語る人々とそれに心静かに対応するotオタクの人々のやりとりを活性化することにある。私はotaku-likeな言説それ自体を否定しない。なぜなら、otaku-likeな語りこそ、各々の表現活動の現場にもっとも違い場所で生まれて語られる言葉だからだ。それらはただ、開かれて相互理解可能になればいい。

また、マンガやアニメ、ゲームが堂々と日本文化の仲間入りするのを長年妨げた日本的思想に「文化や芸術を経済•産業に結びつけるなんて、なんだかはしたない!」という暗黙の了解がたしかにある。(「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」で指摘された通りである。)マンガやアニメ、ゲームの強力な経済活動との結びつきに批判的な目を向ける考え方だ。この妙にエレガントで日本的な思想は話し合いの参加者を驚かせることとなり、いわゆるハイアートであっても本質的に経済活動のコンテクストから逃れられないのだから、その点をもってハイとローの文化•芸術を分けることは出来ないという結論に至らせた。このハイとローの価値観、カルチャーとサブカルチャーといった対比そのものが今日やや時代遅れの議論ではないかという率直な感想も上がった。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)の意味するところは、4つある。大衆にさし向けられる文化、大衆が消費する文化、既存のものを覆すために大衆が生みだすアヴァンギャルド的な文化、そして、消費者の大衆が生産者も兼ねるような過渡段階に位置する文化。ポピュラーカルチャーと言う時、一般には大衆が消費する文化をさす場合が多いのだが、上述の4つの意味を考えるならば、なるほど、現在いわゆるハイカルチャーと考えられているフィールドだって一定時間よりも以前、オリジナルのものが大衆により「日本化」したこともあるし、既存のものを破壊する芸術運動から作り出されたものだって含まれる。そう思ってみれば、この区別も線を引くことに目くじらを立てずともよろしい。たしかに我々は、誰から教わったのか今となっては思い出せない超謙虚な姿勢を美徳として共有している。日本のハイカルチャーにはオリジナリティがなくていつも西洋の真似をしてきた、マンガとアニメくらいしかソフトパワーになってない、という考えがその典型だ。この考え方はいささかペシミスティックすぎる。

さて、otaku-likeなパロールの(悪)循環は、各々のフィールドのみならず、「日本語」という言葉すらその仕組みのなかにそのまま含むことができてしまう。どういうことか。特定の社会や文化についての共通知識を前提として要求するような話(存在する殆どの議論はもちろん何らかのコンテクストをもっているが)では、デリケートな内容はなかなか翻訳されにくいので、そこには高い言葉の壁があるように見える。あるストーリーが言語間を越境する困難はあっていい。それがうまく伝わらないのも、理解が難しいと受け止められるのも、いい。ただ、それを自己を防御し他者を攻撃する手段として利用するようなくだらないスタンスがあるとすれば、それは直ちに放棄するべきだと思う。非日本語話者に解らないからとインターネット上で日本語で誹謗中傷すること。水戸芸術館における高嶺さんの展覧会「高嶺格のクールジャパン」の「自由な発言の部屋」という大事な章は、日本社会のそういった問題にも焦点を当てる。ネットの言論は本来すべからく誰の目にも触れ、誰にも理解される可能性を孕む。今日明日ではなく、いつまでも。なぜなら、それはひとたび書かれたものだからで、ネットに接続された世界で生き、そして書き、そこで何かを語るクリティークという行為は、すべてそういう性質を請け負う。展覧会「天才でごめんなさい」の会田誠さんが、膨大なツイートを無許可転載し作品に利用したことがたいそう騒がれたようだが、そんなことに目くじらを立てることほどナンセンスなことはなく、現代における発言とはもはやそのようなものだと諦め認めて、むしろそれを慈しむ「おしゃべり/talkative」な語り手になることが、異種混交文化の中で「生きた」批評をすることに繋がるのではないかと今のところ信じている。

 

07/28/12

ダミアン・ハースト展/ Damien Hirst, Exhibition @Tate Modern, London

巨大なガラスケースの中に大量のハエの死骸と、皮を剥がれて既に少し肉が乾燥した牛の頭部。私達の日々の生活からも、「アート・エキジビション」という洗練された響きからもあまりにかけ離れた尋常ならざる装置を目の当たりにして、ワクワクしてやって来ていたはずの8歳くらいの少女は悲鳴を上げて彼女の母親のもとに走り寄った。

A thousand Years, 1990, photo by Oli Scarff/Getty Images

私は5分くらいの間、まだ生きているハエと、床に転がっている山のような死骸と、彼らの餌となっている真っ赤な牛の頭部、そして彼らの幼虫が住むハウスをまじまじと観察した後に、中でも最も親切そうにしているスタッフに、だれがどうやってこれを設置したのか、会期中どんな具合に環境を保っているのか尋ねた。いくら大きな美術館で仕事ができるからといって、こんなハエだらけのハードワークを覚悟できる人間が世の中に大勢いるとは思えない。

やる気に満ちた感じのスタッフは笑顔で答える。
「これは私達が設置したんじゃないんです、ハーストは専属のサイエンティスト・グループを持っているの。うちのキュレーターたちでも、こんなヤバイ装置の設置は無理。ハエの死骸の除去や餌交換もサイエンティスト・グループが行ってるんです。」

なるほど、現代アートはもはや、アーティストの手にも、アシスタントの手にも、そしてキュレーターの手にも負えなくなっているのか。ではハーストは一体、何を作っているのだろう?

私が最も愛している画家の中のひとりに、アンリ・マチスがいる。晩年ニースで制作したマチスは年をとって自ら筆をもって描くことができなくなり、切り絵をしたりアシスタントに命じて制作させていたのは周知の事実だ。なにもマチスまで遡らなくたって、アーティストがコンセプトやアイディアを実現するためにアシスタントや専門家に仕事を依頼したり、業者に発注したり、さらには何も実態あるオブジェを作らないことすら、よくあると言ってよい。絵画展を見に行けば、そこに展示された絵画は画家本人によってデッサンされ、彩色され、サインされたのだろうと予想できるが、草間彌生の巨大なカボチャや花の彫刻が彼女一人の手で造形されていると予想する人はいないだろう(と信じたい)。

Flower Sculpture, Yayoi Kusama, photo by Miki OKUBO

ダミアン・ハーストの展覧会に足を踏み入れると、そこに展示された「物」の量や集合体としての「物」のインパクト、ホルムアルデヒド漬けにされた巨大なサメや縦割りにされた牛の親子の美しい薬品漬けを目の当たりにして、たしかにハーストすごいな、と感心せざるをえないのだが、現在これだけ著名なアーティストで、強烈な作品を通じて多くの鑑賞者に新たに衝撃を与え続けているハーストの、未だ十分に語られていない本質的な部分が残されているのではないか、という気がしてならない。動物の剥製やホルムアルデヒド漬け、薬品の陳列棚、生と死に関わる制作、現代の新しい死の概念、それ以外の何か。

The Physical Impossibility of Death, 1991, photo by Prudence Cuming Asociates

Mother and Child Divided exhibition copy, 2007 (original 1993)

photo by Graeme Robertson for the Guardian

さて、前置きが長くなったが、ロンドンの現代美術館、Tate Modernで今年の夏開催されている2大展覧会は、Damian HirstとMunch展。このムンク展はポンピドゥーに2011年9月~2012年1月まで開催された、あの展覧会であり、(私の過去展覧会レポートはこちら)そういうわけで、迷わずDamian Hirst展へ。おそらくこの展覧会、来年にはパリのポンピドーセンターに巡回するのではないかと思われるが、とにかくレポートしようと思う。

ダミアン・ハースト/ Damian Hirstといえば、1965年生まれ、1993年にはイギリス代表としてヴェネツイア・ビエンナーレに出展し、まっぷたつに縦割りされた牛の親子の標本彫刻(上の写真)で一躍有名となり、1995年に同作品でターナー賞を受賞した。先にも述べたように、それが発注であろうと、サイエンティストの仕事によろうと、彼の作品は常にマテリアル性を離れてはいない。アート市場では最も作品が高いアーティストの一人であるそうだ。ショーケースに入れられた色とりどりの錠剤、同様にケースの中に芸術的に並べられたマルボロの吸い殻、これらはなぜアートかなんて問わなくたって、そこにあるだけで、なんとなく「センスのいい」ものだ。剥ぎ取られた無数の蝶の羽根を綺麗に並べて貼り付けた祭壇画は美しいし、1995年ごろより覚せい剤などの薬物中毒であると告白している作家が錠剤を抽象的に描いたスポットペインティングは、そのポップカラーとシンプルな配置で人気だ。

damien hirst’s pharmacy, 1992

Damien Hirst poses infront of ‘Doorways to the Kingdom of Heaven’, photo by Graeme Robertson for the Guardian

Edge, 1988, photo from the exhibition catalogue

あるいは、「黒い太陽/ Black Sun」は息を呑む作品の一つで、無数のハエの死骸で構成されている。我々の世界に唯一存在することになっている太陽は光を放っているが、黒い太陽はその太陽と向きあって、そのすべての光を吸収しているかのようだ。そして、発信されたすべての光が行き着いた先には黒炭にも見紛うことのできる、大量の死骸。黒い大きなハエの死体の塊は、地球上の有機体が太陽によって燃え尽されてしまった、固く静かな集合のようにも見える。

Black Sun, 2004, photo from Museo Madre’s Site

よく議論される問題であるが、その作品制作の殆どをアシスタントや専門家や業者に発注するハーストが作家であるかどうかなんて難問は残念ながら実際には議論しても無駄である。なぜならば、「物理的な意味での作品を作るのがアーティストである」という前提は、メディア・アートやインターネット・アートを例に挙げるまでもなく、崩壊しているのであるし、現に奇抜なコンセプトをプロポーズして、それを形にし続けるハーストが世界で最も成功しているアーティストの一人として作品を売りまくっているのだから。

そんなことよりもむしろ、彼の作品がしばしば我々に見せつける、皮肉的なまでの楽観、あるいは、諦め尽くされた苦悩のようなものを直感的に感じた瞬間こそ、ダミアン・ハーストの作品群がよりクレイジーに一人歩き始める瞬間であるのだ。

Detail of Doorways to the Kingdom of Heaven, 2007, photo from the exhibition’s catalogue

ハーストは、動物たちをホルムアルデヒド漬けにし、カラフルな薬を陳列棚に並べながら、物理的な死の不可能性や、自然的な死とはかけ離れた歪められた生の現実を我々に見せつける。大量の健康サプリや薬、医療の恩恵によって、私達はなるほど、私達の意志の及ばないところで世界に生かされているのかもしれない。そして、それは時に覚醒剤などの薬物によって、狂気じみたポップカラーで彩られるとても楽しい世界でありながら、同時にヘヴンに続くドア(Doorways to the Kingdom of Heaven)を美しい蝶の羽で彩り、ドアの向こうのその存在を望むことによってしか、生き続けることのできない、ハードな世界でもあるようなのだ。

ダミアン・ハースト/ Damien Hirstの回顧展は、Tate Modern, Londonにて2012年4月4日より9月9日まで、開催中である。

06/19/12

無秩序の巨匠展/ Maîtres du désordre @Musée Quai Branly

Maîtres du Désordre

「無秩序(Desorder)の巨匠たち」というすごいタイトルの展覧会が、エッフェル塔近くのMusée du Quai Branlyで2012年4月11日から7月29日まで開催されている。
展覧会のイントロダクションにはこのようにある。

「秩序あるものと無秩序なものを巡る終わりなき葛藤は、多くの伝統において表象されてきた。そして、 »秩序 »と »無秩序 »という相反するものが創り出す緊張状態は世界の均衡が保たれるために必要不可欠なものと考えられてきた。この展覧会は3つの軸で構成される。世界における無秩序、無秩序の制御とカタルシス、そして無秩序をめぐる神話と儀式的実践の創造。この3つの軸を通過することで、鑑賞者は、聖なる世界から俗的世界へ連れ出されることとなるだろう。
俗世とは、不完全で無秩序な世界である。世界の不完全さから生み出される不幸な運命から自らの身を守るために、そのアンビヴァレンスで危険な力を抑制する仲介人がふと姿を現す。われわれは、彼らのことを、「無秩序(Désordre)の巨匠たち」と呼ぶ。」

この展覧会を理解するにあたって、まず念頭に置いておかなければならないのは、この展覧会はDesordre/無秩序を集めた展覧会ではない、ということである。イントロダクションから明らかになるように、秩序vs無秩序は西洋的宗教観(といっても差し支えなかろう)に基づく、以下の図式を浮き彫りにする。

聖なるもの/神/完全性=秩序 vs 俗世/人間/不完全で不幸=無秩序

したがって、不完全で無秩序な世界に生きる人間であるわれわれが、その不運な境遇とどのようにうまく付き合い、生きて行くのかという問題に取り組んだ作家達の作品を集めた展覧会である、という主旨である。その作品は一見「無秩序」の表象のように見えたとしても、このコンテクストを忘れてはならないのではなかろうか。

西洋的宗教観、とりわけ全能で完全なる神と俗世界に堕ちてきた不完全な人間という構図に基づくとはいえ、Quai Branlyのキュレータ(Comissaire: Jean de Loisy assisté de Sandra Adam-Couraletら)たちに選ばれた作品群は非常に多岐に渡る。もちろん、Musée Quai Branlyのスペシャリティであるプリミティブなオブジェが数多く展示されていた。

Masque Tomanikはイヌイットのコスモスの神であるシラが強風を起こし、暴力的な大風を大地に吹き起こす。イヌイットにおいて天候を司る神は様々な姿で現れるのだが、とりわけ風を司る神の化身が身につけるのがこのTomanikのマスクだ。

Masque Tamanik (Faiseur de vent), Inuit

また、Quai Branlyらしいコレクションからの出展では、ブラジルのTopuが挙げられる。Topuは雷鳴の神、やはり天候を司るが、とりわけ激しい嵐や雷雨をコントロールしている。Topuはトランス状態のシャーマンに乗り移って彼らを傷つけることすらある。雨期が始まるときやってくる神だ。このTopu像は、人間の身体の形を当てられている。彼らが乗り移るところのシャーマン自身の容姿を模して作られているとても小さな人形だ。

Topu, Brésil, 1960-1972

ふと私たちの良く知る顔を見かける。埴輪。

埴輪, Japon

埴輪はご存知のように、古墳時代に多く作られ、聖域を俗世界と明確に区画するため、死者の身分の高尚性を表すため、死者の霊を悪霊から守るため、など様々な目的で墓に配置され、一緒に埋められたと考えられているが、果たしてこれについて、「無秩序」をコントロールするための媒体としてのオブジェであったとコンテクストづけていいものだろうか。展覧会趣旨からするとやや疑問を投げかけたくなる選択であると言わざるを得ない。Quai Branlyのように、プリミティブコレクションを数多く持つ美術館は、しばしば例えば今回の展覧会のように彼らの美術館収蔵品と、現代アーティストの作品をコラボレーションさせて、たとえば「無秩序の巨匠」のように一貫したストーリーに位置づける。全体としてなめらかに結合させるのはしばしば簡単なことではない。これは、フランスやヨーロッパにある「モノをたくさんもっている美術館」がどうやって若いヴィジターの心をつかみ、新しい展覧会を作って行くことができるかという問題に関わる大切な取り組みだ。

masquesの天井

天井からたくさんのマスクに見下ろされている廊下を通り抜けると、フランス人の女性アーティスト、アネット•メサジェ(Annette Messager)の「リスのパレード」という作品がある。

Parade de l'Ecureuil, Annette Messager, 1994

アネット•メサジェはいのちの記憶、オブジェや動物、人間の個別のおもいでに焦点を当てて表現してきたアーティストだ。彼女のマテリアルは壊れた人形、分解されたぬいぐるみ、そして、動物の剥製など、傷ついた生を思い起こさせるものが多い。重ねられたざぶとんの上に配置されたカラフルなオブジェを纏う死んだリスは、目が粗いけれども決して抜け出すことは出来ない、重苦しい黒いネットに絡めとられている。そしてよくみればリスが装備しているのは他の動物達のからだの断片、足や尾っぽなどではないか。リスはそれでも楽しくパレードをする。その様子は統一感が無く、ごちゃまぜに見えるとしても、メサジェのなかで、このパレードは混沌とした生を表象しながら、それに向き合い戦う小さな彫刻のようなものであるのだろう。リスは、その小さな手を上げ遠いどこかを指差し、黒いマスクを被ってバラバラにされた他の動物達の果たされなかった願いを背負い戦う小さな戦士のようだ。

Paroles d'inities

さいごに、私がインスタレーションとして面白いと思った展示スペースがこちらの電話の受話器から世界中のイニシエ(現代におけるシャーマンたち)の話を聞くというものだ。世界からの画像と声を発信するためにもうけられた14のスクリーンと受話器が設置され、それら機材をぐるっと取り巻くベンチに腰掛けて、人々はそれに耳を傾ける。そもそも今日でもシャーマンと呼ばれる人々はたくさん存在する。14人の現代シャーマンがそれぞれ歌や物語、ダンスによって彼らの身体が開かれていく始終がスクリーン上に映し出され、人々は電話の受話器の音声と合わせて興味深く観察していた。電話の受話器がそれを耳に当てている人にしか聞こえないこと、このインスタレーションがなんとなく洞窟らしい雰囲気でひっそりと設置されていることは有無を言わさず、シャーマン達のトランス状態を「こっそりと盗み見る」態度を鑑賞者に強いる。本来的にシャーマンの仕事は、テレビで報道されたり、美術館で展示されたりする状況とは無縁のものだからだ。

幾つかの疑問や問題を残しつつも、コンセプトとして、楽しむことの出来る展覧会であったのではないだろうか。このエクスポは7月29日まで、Musée du Quai Branlyで開催中である。

01/10/12

生を演じるのか、それとも生きるのか。/ jouer la vie? ou vivre la vie?

今日は、先日アール•ブリュットに関して7枚組のデッサンを紹介した際にもちらりとお話しした、Galerie Christian Berst (Paris)にて2011年12月13日の19時に開催された講演会のテーマ「アール•ブリュットは現代アートのなかに溶解することができるのか?」(« L’art brut est-il soluble dans l’art contemporain? »)
について、スピーカーとして招待されていたクリスティアン•ボルタンスキーの発言をキーワードにしながら、少し深く考察してみたい。

アール•ブリュットは、今日芸術の一ジャンルとして注目を集めているが、何をどのようにアール•ブリュットのカテゴリーに分類するかはそうはっきりした境界線が無い。またの名を「アウトサイダー•アート」という通り、一般的に、型にはまった芸術教育やトレーニングをキャリアに持たない独学の芸術家をこれに当てはめてみたり、あるいは、精神疾患を持つ患者の独創的な制作行為というものもこれに分類されることがある。しかし、この講演では、近年盛んにもてはやされることになった新しいカテゴリーの確立自体が曖昧さを含むものだという点で議論が展開された。

ボルタンスキーが初めて自分自身の制作行為と「アウトサイダーなるもの」との結びつきを意識することになったのは1972年に遡るという。ただし、当時の意味されたものは現代のそれとは大きく異なる。芸術家が別個に個人的な神話を独自の方法で表現したり、ボディ•アートという斬新な方法がとられ、これまでの枠から逸脱する形で多くの芸術家が新しいパフォーマンスの形や表現様式を模索していた時代である。この背景からすれば、アウトサイダーは、これまでの規範を壊し、新しい「規則」/règleを芸術領域の中に造りだそうとする「よそもの」であった。したがって「アウトサイダー」はあくまでも芸術の外側あるいは境界に侵入しようとしていたのであり、カテゴリーではあり得なかったのである。

ボルタンスキーはアウトサイダー•アートとも芸術一般とも明言すること無く、芸術表現行為がひとつのユートピアを表象することが本質であると続ける。ただ芸術教育を受けた者が規範に従いながらユートピアを作ったならば、これはいわゆる「芸術」と呼ばれるが、たとえば芸術の素人や子ども、プリミティブな人々が日常的な行為の一環として、造形を通じた表現行為によってユートピアを実現したのなら、それはしばしば「アウトサイダー•アート」として命名され、そうでなければ「遊び」と命名されるのではないだろうか。このことは非常に重要で、そもそも「遊ぶ/jouer」ことは表現行為を成り立たせる欲望の本質である。この「遊び/jeux」の結果がユートピアの確立であり、それをしばしば「芸術」とよび、またあるときは名付けられることも無い。これら二つの結果を隔てる境界線が何かを考えるならば、それは表現者のキャリアの背後にある芸術教育の有無ということになってしまう。

これらをふまえた上で、この「よそ者(アウトサイダー)」と「芸術」はシステム上あたかも明確に隔てられているようだが、実際に作品のクオリティーや表現されたユートピアの性質を目にしたとき、これを二分するのは決して簡単ではない。カテゴリーとして明確に定義するのが難しいのも理解できよう。さらに、展示の方法が多様化し、「芸術=美術館で展示されている作品」という等式が過去のものとなった今日においてはこれらを発表方法において区別することも不適である。

「演じながら生きるのか、生きるために生きるのか/jouer la vie, vivre la vie」
ボルタンスキーによれば、芸術家として生きることによって、人生を演じるために生きることができるという。例えば自らの不幸を、不幸な私という作品の形にして発表し、人々に鑑賞してもらうことによって、自分の不幸をリアルなものから、あたかも演じるべきシナリオへと変貌させ、芸術家である自分自身はそのシナリオを人生というフィルムにおいて演じながら生きていくことができると彼は述べる。彼はまた、ルイーズ•ブルジョワや他の芸術家において、自己の精神的な苦痛や辛い記憶を同様のプロセスによって昇華させる方法としての表現行為の例を引用しながら、アウトサイダー•アートというカテゴリーの適切性を一度無に帰す形で、必要不可欠な行為としての制作が芸術表現であると断言する。

彼が述べた芸術表現の本質は、アートセラピーと呼ばれる精神疾患を抱えた人々が受ける治療とほぼ同じプロセスとゴールを持っている。今回テーマとして取り上げた、アール•ブリュットのカテゴリーの問題、あるいはアマチュアの表現行為を芸術とどのように関係づけるかという問題は、曖昧さを含むゆえか、とても興味深い。この講演では、「遊び」の問題をはじめ、幾つもの考察すべき重要なテーマがちりばめられていた。それらに関してもまた折りをみて考えてみたい。

01/7/12

Art Brut, les dessins d’hiver

アール•ブリュットは現代アートにおける新しい動きや芸術的な傾向を語る上で非常に重要なカテゴリーである。なぜなら今日、型にはまった芸術的教育を受けていない芸術家の活躍が注目されたり、テクノロジーの発展によって素人であるにもかかわらず写真や音楽を簡単に加工したりすることができるようになった結果、そもそも、「プロフェッショナルな芸術」とは一体何か、という根本的な問いが投げかけられるようになってきている為である。

芸術的教育を受けていないけれど彼らの制作が芸術領域で重要なものとして注目されている作家たちを「アウトサイダー」と呼んだりもする。遡れば、彼の死後に大量のデッサンが自宅から発見されて有名になったヘンリー•ダーカー/Henry Darger(1892年生)は日本的な「かわいい感性」に合致する為か日本で大変有名である。

ヘンリー•ダーカーは自身の中にある子どもの王国のイメージを制作し続けた。裸の少女にはしばしば男性器が見受けられる。それらは彼が19歳から構想を練っていた大長編小説、非現実の王国にて(In The Realms of the Unreal : The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion)の本人による挿絵である。

彼が引きこもってこの長編物語を執筆していたことは知られている。
彼のイラスト的な絵画を当時のものとして斬新と捉えたり、大きな文脈での重要性を発見することは自由だが、彼はおそらく自分の持ちきれないイメージを体現化するためのひとつの手段として、この長編小説を執筆していたのだろう。そして、目に見える風景を挿絵として描いていたのだろう。

アウトサイダーアートとして彼が有名になることはアウトサイダーアートというカテゴリーを必要とする現代のアートムードの都合でしかないのだ。

先日、アール•ブリュットを専門とするパリのギャラリーであるgalerie christian berstにおいてクリスティアン•ボルタンスキーとギャラリスト、フィリップ•ダジェンによる鼎談が行われた。テーマは、「アール•ブリュットは現代アートのなかにとけ込むことができるのか?/L’art brut est-il soluble dans l’art contemporain?」。議論は全体として、ボルタンスキーが自分自身を現代アートの文脈の中にどう位置づけているか、そしてアウトサイダーアートと自分自身の制作をどう位置づけているか、というラインを軸に進められた。

そもそも今日あいまいであるプロフェッショナルなアーティストとアマチュアの境界線。さらにはもっと曖昧であるアウトサイダーの定義。美大のディプロム、アーティストとしてのフォーメーションを経ていないと言う点でボルタンスキーは自身をアウトサイダーであると言わざるを得ないようだ。しかし、2010年のドキュメンタ、数々の展覧会に代表されるアート界第一線における活躍はいわゆるアウトサイダーアートの典型的な姿ではもちろんない。

もう一方にあるアウトサイダーアートの強烈なイメージは知的障害者や精神障害者によるアート、あるいは彼らの治療としてのアートセラピーという形。ボルタンスキーはこのことに引きつけて、付け加える。自分自身が精神的に大きな問題を抱えていたこと、芸術作品の発表という形でその問題を外側へ向けて解放してきたことによって、作品を制作する以前に比べて幸福な人生を送っているということ。必要不可欠な行為としての芸術表現行為を明言するのである。

アール•ブリュットはパリにもこのジャンルを専門にしているギャラリーが複数存在するほどに、現在モードのアートジャンルの一つである。しかし、その発見と発表については、彼らを大きなコンテクストの中に巧みに位置づけ、イントロデュースするギャラリストやキュレーターといった第三者の貢献が大部分を占めているように思える。

たしかに、さまざまな芸術的コンテクストを知らなければまったく理解することのできないような複雑きわまりない作品に頭を悩ませる状況からすれば、しばしば、子どもの絵やアウトサイダーの絵は非常に新鮮であり、斬新である。なぜだろう。それはしばしばストレートであり、またあるときは秘密無く「意外」だからである。

ここに、60歳を持って初めて定期的に絵を描き始めた私のよく知る一人の男性の一連の作品をあげる。絵というよりは、クロッキー帳になにげなく描かれたイラストのようだ。
私にとって、組み合わされたイラスト的要素や、多視角的な描写、色彩の組み合わせ方は非常に興味深い部分であるが、そのことについて論じることが大切である気はあまりしない。名作とアウトサイダーの作品、素人の作品と子どもの絵、これらにどのように言葉を与え、評価することができるのか、と考えてみることはわくわくするが同時にとても難しい。

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