01/4/15

Fondation Louis Vuitton, architecture et expositions / ルイ・ヴィトン財団美術館 

年の瀬、秋より新しくオープンしたFondation Louis Vuittonの美術館に行ってきました。
Bernard Arnaultがアメリカの建築家Frank Gehryに依頼して、2002年ころより昨年のオープンまで10年越しのプロジェクトになったのですね。
Frank GehryとLa Fondation Louis Vuittonのネゴシエーションやその歩みは、「I:50 Confirmation Model」が出来るまでのたくさんのアイディアやマケットの展示によって見て取ることができます。個人的には、下に掲載したモデルと原画が良かったですが。 

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そして、Olafur Eliasson の展覧会「Contact」です。この巨大なスペースにあまりに展示が少ないことで、「???」と思われるヴィジターもいるようなのですが、ファンデーションからの説明では、オープン初期は、何よりもFrank Gehryの建築を体験してもらうのを目的として、ギャラリー/美術館としての機能は後にとっておくそう。Olafur Eliassonは1967年生まれ、アイスランドとデンマークで育った現代アーティストです。絵画・彫刻・写真をあわせたインスタレーション作品で、独自の空間の使い方を模索しています。本展覧会でも、Fondation Louis Vuittonの建築から着想を得て、この特殊性と協働しながら、彼がこれまでテーマとしてきた空間における確からしさや、振動、光と影といった要素を展開させています。

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そして、コレクション(財団収蔵品)の部屋。
今回は15名ほどのアーティストによる作品の展示がありました。そのなかでも、Wolfgang Tillmansの植物の写真は、好きですね。生が勝手にあり、それを満たす光が射し込んで、広がる雰囲気がとてもいいです。
また、Ed Atkins の Us Dead Talk Love (2012)ですね。アバターのような人物が視角的・聴覚的にシュミレーションしながらあるテーマについてモノローグを繰り広げるという、近年の作品のうちのひとつ。
続いては、Rachel Harrison のZombie Rothko (2011)、そしてAnnette Messagerのコレクション展示です。

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新しいアキジションの作品、Cerith Wyn EvansのA=F=L=O=A=T (2014)は、1990年代から作家が取り組んでいる、オーディオ・ヴィジュアルのインスタレーションの試みの一つで、空間の持つ特殊性と空間を満たす音/静寂との関係によってインタラクティブな作品である。20本のフルートは、作家によって作曲された音楽を奏でているのだが、その音楽は、室内のコンポジッションが異なれば、別の方法で共鳴するのである。

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ブローニュの森からはちょうど、ラデファンスが見渡せる。
パリの、気球も。

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11/17/13

Christian Lacroix « Mon île de Montmajour » @Abbaye de Montmajour/ クリスチャン•ラクロワ

Mon Île de Montmajour
Par Christian Lacroix, avec le Cirva
du 5 mai au 3 novembre 2013
web site : here
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クリスチャン•ラクロワがマルセイユのガラス美術館CIRVAとの協力により実現した、『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』展に際し、Lacroixは次のような言葉を寄せている。

『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』
モンマジュールはその名前(最も高い丘)が示すように、10世紀よりアルルとその周辺の地域を収めた要地であった。修道院のまわりには魚がたくさんいるような沼地と草原が広がっており、モンマジュールの島と呼ばれ、15世紀にプロヴァンスを治めたあの善良王のルネ王(Roi René)が秋に果物を食するため足を運んだという。(中略)ガラス美術館CIRVAの協力、ムーランと南仏の聖母訪問修道女会の18世紀から現代までのコレクション、そしてFérard Traquandiによる教会のインスタレーション、そして私(ラクロワ)のケルンでの『アイーダ』のコスチュームの数々の展示で展覧会は構成されている。(略)
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巨大な修道院はアルルの北方に位置し、フランスでも最も美しい町のひとつに数えられるBaux-de-Provenceに隣接している。修道院の建設が始められたのは948年のことであり、11世紀から13世紀、宗教的•軍事的要地として機能した。なかでも12世紀に建設された教会部分は最も重要な空間として保存され、9つの独立した部分からなる丸天井は16メートルの高さをもち、張り間は未完のままである。3つある窓は南に開いている。この展覧会では、修道院の礼拝堂から宝物室、塔までを利用したセノグラフィとなっている。道筋はまず、鑑賞者を礼拝堂へと案内する。
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CRYPTE
Pascal BroccolichiによるEspace résonné(2013)は、CIRVAとアーティストが2年間をかけて取り組んできたプロジェクトであり、『終わらないハーモニー』をガラスの中に響く共鳴現象を利用して実現したものである。一度発生した音はガラスの空間の中で共鳴を続け、その響きは更なるハーモニーを作り出し、それは果てしないループとなって止むことがない。
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Christian LacroixのCostumes pour le choeur femme « Aïda »(2010)は、 ラクロワがケルンでオペラ『アイーダ』のために制作したコスチューム(女性)のインスタレーションである。ラクロワは1951年にアルルに生れ、モンペリエで美術史を専攻している。クチュリエとしてのラクロワの表現には、今日ではますます貴重になっている西欧の伝統的な服飾技術、刺繍やレースの装飾の極めて質の高いものを追求しており、それらのアートへの彼の関心を明らかにしている。
オペラの中で身体に纏われる場合と異なり、肉体から自由になって宙を舞うドレスの群れは、差し込んでくる光の隙間を縫うように漂い、軽やかである。
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(Robert Wilson, Concept 1.2.3.5.6(1994-2003))

ÉGLISE
礼拝堂から教会へと足を進める。細い通路をくぐり抜けて辿り着くと、真っ白な光に満ちた世界が広がって、16メートルあるという丸天井のもとには赤いガラスで構成されたJames Lee Byarsの天使のインスタレーションと、そこから丸天井の上まで昇ることを許されたもののための、真っ白の階段がぐるりとぶら下がっている。 (Lang / Baumann, beautiful Steps #4(2009))
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Christian Lacroix
Robe de mariée créée pour Philoména de Tornos(2009)
さらには天に続く真っ白な階段の右手の部屋には、ラクロワのウェディングドレスが、やや空気の中で緊張した様子で佇んでいる。
Jean-Luc Moulène の鳥かご(For Birds(2012))が窓のすぐ前におかれており、空っぽのガラスの鳥かごは、外から入ってくる眩しい光をさらに集めて青白くしながら、花嫁のウェディングドレスに対峙している。ガラスの鳥かごに住む小鳥は、どんな鳥だろう。ガラスの鳥かごは溢れんばかりの光を通し、窓を持たない。明るすぎる教会の中に独りで立ち続けるラクロワの花嫁もその階段を上ってそこから逃げ出すことはできない。
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SACRISTE
15世紀に建設された聖具納室。聖職者たちのコスチュームやアクセサリーが保存され、 « Vraie Croix »のレプリカがおかれている。聖職者のコスチュームはゴージャスである。金糸の刺繍(キャネティール)、宝石、銀のラメ、上質の絹地、レース、金メッキの金具、輝くサテン地。人間は金や宝石のような輝く物を身にまとうことによって「聖なる」存在に近づくことが出来るのだろうか。
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CLOÎ TRE
12世紀に修道院が拡大する途中で建設されたときからある修道院の回廊である。4つの部屋の入り口に面し、その中心には中庭を持つ。ここではまたラクロワの『アイーダ』より男性コーラスの衣装である。先ほどの明るく空を舞う女性の衣装とは異なり、黒や紫を基調としたおどろおどろしい色彩に、衣装を纏うマネキン人形もファントムのような人形を使用している。この展示では『アイーダの悪夢』と題されている。 (Christian Lacroix, Costime pour le choeur homme, Cauchemar de « Aïda »(2010))
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RÉFECTOIRE
食堂には数多くのガラス作品の展示と共に、Thorsten Brinkmannのポートレートシリーズ、 Série « Portraits of a Serialsammler »(2006-2008)が展示された。奇妙なポートレートは全て、アーティストが収拾した日用品や廃棄物、不要となったオブジェをマスクとしてすっぽりと頭部を覆っている。頭部が与える印象は大きいのは言うまでもないが、彼のコスチュームや画面の構成によって、頭部が変容した肉体は残された部分すら、その向きや性別、特徴などそれまで当たり前に見ていたはずのルールが抜け落ちて、バラバラに解体されるような印象を与えるのは驚きである。
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TOUR
『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』の終盤は、いつかまた明るい部屋に至れることを無根拠に信じて、塔を登って行く。そこに吹き荒れる風の強さ、そこに10世紀に渡って存在してきた巨大な石の塊の頑固さ、広がる畑や人々の生活に無関係の山肌と森、雲がすごい早さで動いて行くのと独立してある青い空。
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Jana Sterbakが構成するのは、石の壁によって覆われる静かな部屋で再現されるプラネタリウム (Planétarium(2002-2003))である。惑星のことを思うのが突飛ではないと感じられるような時間が、そこには流れている。
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08/29/12

Louisiana Museum of Modern Art @Humlebaek, Denmark

世界で最も美しい環境に佇む美術館と言われている、ルイジアナ美術館/Louisiana Museumを訪れた。ルイジアナ美術館は、デンマークの首都コペンハーゲンから国鉄ローカル線でHelsingør行きに乗り、約35分、Humlebæk駅で下車し、そこからデンマーク情緒溢れる田舎道を10分強歩く。駅からの道はいたって簡単、案内板が丁寧に出ているし、だいたい皆目的地が同じであるので、迷うことは無い。海と緑に囲まれて、空気がひやり澄んだ北欧の地に静かに建っている。

頑張って10分間歩いたら、向こう側にはすぐにスウェーデンが見えるという海岸沿いでかつ小高い丘で緑が鮮やかな一画に佇むルイジアナ美術館に到着する。
ルイジアナ美術館は近現代アートの美術館で、3000点以上のコレクションを所有する、スカンジナビア諸国最大級の美術館である。1945年頃のピカソの絵画を初め、ジャコメッティ、デュビュッフェ、ルイーズ•ブルジョワ、バゼリッツ、イヴ•クラインといったヨーロッパのアーティストの作品から、アンディー•ウォーホル、ラウシェンベルグのようなアメリカの絵画までを網羅している。年間4回〜6回ほどの企画展を開催し、北欧の地元アーティストやスカンジナビアならであの展覧会や、一挙にはとても並べきれない豊かなコレクションの中から、様々な表現形態を横断するようなコンセプトで鑑賞者に芸術における表現様式の問題について問いかけるような展覧会を行っている。

Lundgaard & Tranberg Arkitekter, Installation shot, a pavillon

コペンハーゲンから35分、駅から10分以上歩かなければならないという立地は、日本であるとヨーロッパであろうと、不便とは言わないまでも、交通の便がよいとは言えない。にもかかわらず、日々こんなにもたくさんのヴィジターを世界中から招き入れ、魅了し続けている美術館は世界に例を見ないのではないだろうか。ルイジアナ美術館が産声を上げたのは1958年、いまから半世紀以上も前のことだ。当初、美術館はデンマークアーティストの作品をコレクションし展示することを目的として開館された。しかし、後にニューヨークで大成功を収めたMOMAにインスピレーションを受けて、国際的な美術館へと方針転向したということだ。ルイジアナ美術館の名前は、1855年に現在の美術館のもとになるお屋敷が建てられた時の家主Alexander Brunが彼の生涯のおいて結婚した3人の女性がすべて「ルイーズ/Louise」といったことから名付けられたそうだ。(なんと!)

Alexander Brun邸が原型となっているmuseum house

皆さんは北海道は札幌の南にある、「札幌芸術の森」という施設をご存知だろうか。個人的な話だが、私は札幌出身なので、こういった自然とアートの融合というコンセプトを聞くと、自ずとこちらの野外美術館の森に囲まれた風景などを思い浮かべる。(札幌芸術の森野外美術館)あるいは、以前訪れた霧島アートの森(霧島アートの森HP)のイメージも近いかもしれない。どちらも豊かな自然に囲まれた野外スペースを彫刻や大きな作品に当てて、四季の営みや時間の流れを肌に感じるような異空間を作り上げている。とはいえ、ルイジアナ美術館が見事なのは、何と言っても海があることだ。スウェーデンを間近に臨む海岸線は空の青と混ざるようだが、よく目を凝らすとくっきりと独立しており、良く手入れされた芝生に腰を下ろし、それを眺めることには飽きがこない。

café, belle vue de la colline

アメリカ人人アーティスト、カルダー/Alexander Calderの例の彫刻がカフェの向かいに。カルダー/Calder(1989-1976)は、若い頃機械工学を学び、エンジニアとして働いたがパリに移り住んでからは、針金彫刻を作ったり、サーカスのパフォーマンスを行うなどして表現活動を始めた。動く彫刻、モビールというアイディアはそれまで動かないのが当たり前であった彫刻にまったく新たな可能性を付与した点で高く評価された。丘の上で森と海からの風を独り占めするルイジアナ美術館のモビールもまた、世界中に佇むモビールと同様にして、それ固有の時間を生きている。

vue face à la mer

Henry Mooreの彫刻。ヘンリー•ムーア/Henry Spencer Moore(1989-1986)は、イギリスの彫刻家である。モダニズム美術をイギリスに紹介し、「横たわる像」のような特徴あるフォルムの彫刻を多数制作した。Reclining Figure(横たわる像)のフォルムを追求することを通じて、既存のFormから自由になり、そして新しいFromを手に入れることを目指していた。多作であった彼の作品は日本でもたくさんの美術館のみならず、なんと、パブリックスペースにおいても出会うことが出来る。

Sculpture, Henry Moore

アーウィン•ワーム/Erwin Wurm(1954-)は、オーストリアの彫刻家。インパクト絶大の滑稽な彫刻を発表し続ける。実はウィーン•クンストアカデミー絵画科への入学を拒否され、彫刻に転向したというキャリアを持っている。後に両親の死に大きなショックを受け、1996年からは精力的に「一分間彫刻」と呼ばれるユーモア溢れるパフォーマンス(と呼ぶべきだろうか)をドローイングして展覧会場で展示するというアプローチをとった。一分間どんなことをするかというと、2つのメロンの上にバランスよく立ち続ける、とか、鼻の穴にキノコを入れてそれを一分間保つ、とか、敷き詰めたテニスボールの上に横になってバランスをとる、とかそういった行為である。写真は、ルノー社と1960年代からコラボレーションした後に実現した、斜めにプレスされたR25。これは、実際に走ることが出来る。

Renault 25/1991, Blue, 2009-2010, Erwin Wurm

ロニ•ホルン/Roni Horn(1955-)、アメリカ人女性アーティストである。30枚のポートレート写真に収められているのは、年齢も性別も職業も様々な人々、しかしよく見ると非常に良く似た眼差しをもっている人々。30人の人々は言うまでもなく、変装したロニ•ホルン彼女自身だ。

a.k.a., 2008-2009, Roni Horn

2008-2009年の作品だが、ポートレートの時代設定は古そうだ。ロニ•ホルンは彫刻、写真を経て、現在はヴィジュアルアートも手がけている。変装ポートレートと言えば、シンディー•シャーマンや森村泰昌が著名中の著名であるが、彼らとさほど年齢の変わらないロニ•ホルンが現代あえてこのクラシカルな主題を引き出してきた背景には、情報化時代のアイデンティティのあり方への興味が深く関わっている。インターネットである人の名前を入力し、画像検索すると、実にたくさんの写真の集合を目にすることが出来る。同姓同名の全くの他人もいるし、色々な折にどこかのサイトに掲載された自分自身の写真であることもある。ロニ•ホルンは、このような時代にひとりの人間をその人と認識し、同定するのはいったい何を意味するのか、という問題について思索する。

Roni Horn

 

ソフィ•カル/Sophie Calle(1953-)はフランス生まれの女性アーティスト、現実とフィクションを織り交ぜたような、日記のようなドキュメンタリーのような作品を作ることで知られている。日本を旅したせいで愛する人に振られてしまった、という悲劇的な幕開けから、出会った人々に彼ら自身の人生における最も辛かった経験を語ってもらうことによって失恋の傷が癒えていく課程を写真と短い日記で記録した「限局性激痛/Douleur Exquise」(1997)は東京の原美術館で2000年に行われた展覧会において注目を集めたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。

Kampfgruppendenkmal, 1996, Sophie Calle

今回展示されていたのは、1996年に彼女が発表した一連の写真と本の断片。「そこにあったモノ/ヒトの記憶」は彼女の表現に貫かれているテーマである。かつての東ドイツに存在していた– 今は消滅したものたちーの記憶。モノがなくなった後には、その跡が残っている。その跡が残っていないように見える場合にすら、それについて書かれたテクストが何かを語り続けるということがある。壁に吊るされた「不在のイメージ」は、それらがどれだけ時間が経って、一見歴史から洗い流されたように見えようとも事実は事実として残り続けるのだ、ということを静かに語る。

Square Bisected by Curve, 2008, Dan Graham

さて、ダン•グラハム/Dan Graham(1942-)のパビリオン、ガラスの壁とそれによって分けられた空間だ。ダン•グラハムは1960年代ニューヨークでドナルドジャッドやソルウィットらの影響を受けてミニマリズムに傾倒していた。後に、写真、ビデオ作品、そしてパフォーマンスを経て、建築ーとりわけ空間の「虚無/nothingness」について考えるような彫刻を作っている。ギャラリーのホワイトキューブではなく、庭という要素の多い空間に置かれたこのガラスの壁は、全く異なる印象を与える。

Temporary Exhibition « NEW NORDIC – Architecture & Identity »

Temporary Exhibitionの »NEW NORDIC »の展示の様子。ルイジアナ美術館では、コレクション展の他に年間に幾つかのこのような特別企画展示を行っている。

Alberto Giacometti collection

そして、ジャコメッティのお部屋。もはや、ジャコメッティをこんなに持ってるんですか、なんて野暮な感嘆をする気にはならない。そうこうしているうちに、日は暮れて、絶対に行きたかった美術館カフェは閉まってしまった。なんてことだろう。
22時半頃の、Humlebaek駅の様子。電車は20分に1本はあった。コペンハーゲンからの往復については、さすがに美術館訪問者のことを考慮しているのだろう。

Humlebæk Station

今回主に紹介させていただいたのは、3000点あると言われているルイジアナ美術館のコレクションに2009−2011年の間新しくアキジッションされた150作品56人のアーティスト作品展示風景からの一部だ。ルイジアナ美術館はスカンジナビア一の近現代アート美術館として、コレクションは美術館のDNA鎖である、という信念のもと新しい作品の購入、新しいアーティストとの出会いに熱心である。インドのグプタや中国のアイウェイウェイ、日本の草間彌生といった欧米のみならずアジアの芸術家も視野に入れている一方で、ここでしか見られない充実したコレクションとして、地元であるHumlebaek、デンマークおよびスカンジナビア諸国のアーティストたちの貴重な作品群をとっても大切にしているということも忘れてはならないだろう。そうでなければ、ヴィジターをはるばる電車に乗せて、海と丘のある素晴らしい場所に彼らを招待する意味は半減してしまうに違いない。

08/9/12

Joana Vasconcelos /ジョアンナ•ヴァスコンセロス@ヴェルサイユ宮殿

Joana Vasconcelos/ ジョアンナ•ヴァスコンセロス

過去と現代の女たちへのオマージュ
@Château de Versailles
du 19 juin au 30 septembre 2012
site: http://www.vasconcelos-versailles.com/

ジョアンナ•ヴァスコンセロス/ Joana Vasconcelos はリスボン在住のアーティスト、現在41歳、世界で最も精力的に活動している女性アーティストの一人だ。1971年生の彼女は、2005年のヴェネツィアビエンナーレにおいて発表した、La Fiancéeという25000個の生理用タンポンをシャンデリア風に構築した作品で一躍脚光を浴び、2006年以降は、スカートや洋服などの衣類や毛糸、レースなどのマテリアルを使用した作品を数多く制作している。

村上隆がヴェルサイユ宮殿をクール•ジャパン的ポップでマンガなワールドに作り替えた2010年の9月の展覧会(site) が記憶に新しいが、ルイ14世の全盛期に建立され、フランス絶対王政の富と権力の象徴であるヴェルサイユ宮殿で、現代アーティストとのコラボレーションが始まったのは2008年のジェフ•クーンズ/ Jeff Koons (site)
から、実に最近のことなのである。

ご存知のように、ヴェルサイユ宮殿は今日、ルーブル美術館と並んで、パリの旅行者には知らない者のない観光スポットであり、時期と曜日にもよって異なるとはいえ、日々多くの旅行者が長蛇の列を作り、庭園も含めると25ユーロほどの入場料を支払って城を見学している。なるほど、たしかに一生に一回のヴィジット、と意気揚々に宮殿に足を踏み入れたところ、鏡の間に見も知りもしない現代アートの彫刻がどすんと置かれていたり、王妃の寝室に何やら不気味な髪の毛のお化けが佇んでいたりしたら、文句をいう者や批判する者が出てくるのは想像に難くない。現に、第一回目のJeff Koonsの時はもちろんのこと、村上隆の展覧会の際にも、アニメやマンガから着想されたキャラクターたちに城が侵略されることを良く思わない一部の保守的な人々から厳しい批判の声が上がった。

ヴェルサイユ宮殿のような不朽の歴史的建造物はもちろん、ただ現状を維持し、改修•保存し続けるだけでもおそらく世界中からの観光客を呼び続けることができるのかもしれない。しかし、宮殿を毎年ひとりのアーティストの作品によってまったく新しい展示空間に作り替えてしまうことは、歴史的建造物であるのとは別の次元で非常に面白い試みなのだ。ヴェルサイユ宮殿のゴージャスな外装•内装からして、たしかに展示すべき作品の華やかさやスケールの大きさが求められることは間違いない。しかし、個人的にはアイディアとして素晴らしい試みであると高く評価すべきだと思っている。展覧会が美術館やギャラリーで行われることが多い今日、無地の壁でない、しかも政治的だったり社会的だったり性的であったりと、多様なコンテクストをまとった空間で作品に対峙するという体験はとても貴重だ。

La Fiancée 2005

ポルトガル出身のジョアンナ•ヴァスコンセロスは、ヴェルサイユ宮殿における現代アート展示第5回目にして、ようやく初めての女性アーティストとして宮殿に招かれた。会場である宮殿内と庭園には16点の作品、そのうちの8点がこの展覧会のために制作された作品だ。彼女がこれまである種、フェミニスト的なメッセージを掲げて制作してきたことはまず押さえておくべきだろう。前述した最も有名な作品、La Fiancéeとその相棒のCarmenはそれらが生理用品であるタンポンで作られているとかセクシュアルな意味を含有する作品はヴェルサイユ宮殿にふさわしくないとかいう理由で、宮殿の方針によって却下されてしまったのだ。そのことについて、アーティストは失望しながら以下のように述べている。

「まず最初に問題になったのは、La Fiancéeを宮殿に展示するかどうかでした。私はLa Fiancéeと対の作品であるCarmenを鏡の間に、具体的にはLa Fiancéeをあるべき位置(つまり鏡の間の内部)、Carmenをその外側に位置づけるという構図を夢見ていました。白いタンポンでできたLa Fiancéeは純真を表し、黒いCarmenは娼婦を表しているの。これらの作品は性的であるという解釈のもと、ヴェルサイユ宮殿にそぐわないものと判断された。あたかも、ヴェルサイユ宮殿には女性もセックスの話も存在しなかったかのように!」

La Fiancée en détail

女性アーティストを招き、しかも奇しくもフェミニズム的作品を制作することで知られるジョアンナを招いておきながら、25000個のタンポンによるLa Fiancéeが鏡の間に誇らしげに吊り下げられなかったことに、現在のヴェルサイユ宮殿と現代アートとの関係性の限界を感じざるを得ない。どうなっていくべきなのか、どうなっていくのか、まだその結論は出ていないのだ。

Marilyn(PA), 2012

そういった訳で、鏡の間には、Marliyn(マリリン)が展示された。鍋と鍋の蓋で信じられないほど精密に構築された巨大なハイヒールは、女性の性的アピールとしての魅力を象徴すると同時に、依然として女性の仕事であり続ける料理や掃除といった家事仕事のモチーフ(鍋)を意味している。さらにこの巨大な寸法は、ルイ14世が宮殿を建てさせた17世紀から今日に至るまで、全ての女性たちが努力の末獲得してきた権利や自由の大きさを象徴している。この展覧会のタイトルも、 »Hommages aux femmes du passé et aux femmes modernes »(過去と現代の女性たちへのオマージュ)である。

Marilyn (PA), back

この展覧会を訪れて一番最初に出会う作品、Mary Poppinもまた、Pamela Traversの小説に現れる女性へのオマージュであり、女性参政権と女性の自由のために戦った登場人物なのである。

Mary Poppin, 2010

このMary Poppinのマテリアル使いと大きくて奇怪な生き物のようなスタイルは、展覧会後半に現れる3つのワルキューレ彫刻にまで引き継がれている。レースやカラフルな布を使い、毛糸で鉤針あるいは棒針編みされた装飾が施されている。ワルキューレは北欧神話において、「戦場における生死を決定する女」であり、女性の神性の象徴的存在とアーティストによって捉えられている。

Walkyrie Trousseau, 2009

二つの向き合った手長エビは、Le Dauphine et La Dauphine(ドーファンとドーフィンヌ)と名付けられており、テーブルの上に向き合って配置されている。ポルトガルレースが施されており、ドーファンが雄でドーフィンヌが雌である。

Le Dauphin et La Dauphine, 2012

Gardesは文字通り、番をする2頭のライオンだ。勇ましく、好戦的で、強さの象徴である2頭のライオンを、ウエディングドレスに使うレースで装飾してしまうというアイディアの背後には、戦争を好む男性性を嘲笑するようなアイロニーが見え隠れする。

Gardes, 2012

Lilicoptèreはもちろんヘリコプターをかわいくもじった、ピンクのヘリコプターの作品だ。大量のダチョウの羽毛で飾り付けたヘリコプターは、王妃マリー•アントワネットが王宮をダチョウの羽で飾りたいと述べたという言い伝えから着想を得ているそうだ。

Lilicoptère,2012

さて、ご存知のように、フランスの歴代王妃は公開出産を強いられてきたのであり、ハプスブルク家から嫁いだマリー•アントワネットも例外ではなく、Chambre de la Reine(王妃の寝室) において公開出産した。La Fiancéeはむしろ、王妃の寝室に展示されても良かったのではないかと思うが、実際にはPerruque(カツラ掛け)がこの部屋のための作品として選ばれた。Perruqueは、赤褐色の卵形の立体からたくさんの突起が出ており、その各々から様々な色の髪の毛が垂れ下がっている、どう見ても奇異でグロテスクな様相をしたオブジェだ。ジョアンナ•ヴァスコンセロスは、このPerruqueの展示をめぐって再度宮殿側と衝突することになる。この作品を展示できないのなら、展覧会は無かったことにする、と言うことによってようやく展示が認められたという。

Perruque, 2012

Perruqueが物議を醸したのは、このオブジェがただ単に、あまりにロマンティックでフェミニンな王妃の部屋に似ても似つかぬグロテスクな形をしていたというだけが理由なのではない。細長い楕円の立体はまぎれも無く、女性の子宮の中に放り出される「卵(らん)」なのである。卵に纏われた多数の突起は、固くなったたくさんの男性器のようにも見えるし、何らかの暴力的なコンテクストによって歪められ、奇形化してしまった可哀想な卵子のようにも見える。 歴代王妃の公開出産が行われたとされる「王妃の寝室」において、この作品を展示しなければならないアーティストの主張は最もであるし、それを防ごうとした宮殿側の方針が存在することも理解できる。(突起と髪の毛は実際には19個取り付けられており、それは王位に就いた子どもも含めこの部屋で出産された全ての王室の子の数に相当する。)

 純真性を象徴するLa Fiancéeと娼婦であるCarmenが鏡の間の入り口を挟んで対面する、その劇的な瞬間を体験することの出来るもうひとつのヴェルサイユ宮殿現代アート展示とはいかなるものだったのだろう。私たちはそれを、残された16個の手がかりから推測し、深い想像に身を浸すほかなく、それは悔しさにも諦めにも似た感情である。それでもアーティストは作品を作っているし、彼らは議論している。変わって行くことも、たくさんあるのである。

06/16/12

モニュメンタ ダニエル•ビュラン/ Monumenta 2012 Daniel Buren

モニュメンタ(Monumenta)は、グランパレの45mの高さ13500㎡というゴージャスな空間をたったひとつの作品で占有してしまおうという、スケールの大きいイベントだ。2007年から一年に一回ずつ開催されてきたこのイベントは、国際的に重要なアーティストとしてたった一人選ばれた作家が、グランパレの空間に合わせた斬新で巨大な作品を創り出すことで、第5回目となる2012年まで、世界中からのたくさんのヴィジターを魅了してきた。(2009年は行われていない。)

2007年はドイツ人のアンセルム•キーファーによる絵画•インスタレーション。翌年の2008年はミニマリズム彫刻のリチャード•セラによる巨大彫刻。とりわけ2010年のクリスチャン•ボルタンスキーの古着のインスタレーションは、冬の寒くて暗い季節を選択して開催され、静かで大きな空間にたたずむ巨大な古着の山と不気味なクレーンの音が耳に残っていて、鮮明に覚えている。昨年2011年は、インドのアニッシュ•カプールの巨大なバルーン彫刻で、ボルタンスキーとは別の意味で内面的な生を感じさせる展示であった。(過去のモニュメンタ)

2012年5月18日〜6月21日という期間、6週間におよんでグランパレの占有権を得たのは、フランス人アーティスト、ダニエル•ビュランである。1960年代70年代、反芸術の運動でかなりラディカルに活動していたビュランへのフランス人の批評ははっきりしている。高く評価する者と反ビュランを訴える者。とはいえ、フランスを代表する国際的現代アーティストの、一貫した表現哲学には耳を傾けざるを得ない。

第一に « travail in situ » (現場での仕事)の重要性を主張する。パリのパレロワイヤルにも彫刻があるが、ストライプは彼の一貫したモチーフの一つだ。縞模様は幾何学的だ。そこにオリジナリティや差異化されたものが介在する余地はなく、とにかくストライプというパターンがそこにあるのみだ。彼がストライプを好んで用いてきたのは、作品自体が語る意味というものを限界まで消去し、作品がそれだけで意味をもたないことを鑑賞者に明確に意識させるためであった。環境において作品を作ること、空間との関係や時間、鑑賞者、光との関わり、それらすべてが彼の作品に絡めとられる要素と成る。

ビュランがグランパレを仕事の現場とする際、その環境を構成するのは言うまでもなく、その巨大な空間とガラス張りの天井から角度と彩度を変えながら差し込む太陽の光だ。2012年モニュメンタ•インタビューで、ビュラン自身、グランパレにおける展示の本質が「どのようにしてこの豊かな光を捉え、表現するか」であったと述べている。

驚くべきことだが、当初の計画では、この広大な敷地に、最も高い天井にあたる上の写真の部分に青のストライプを施す、という構想にとどまっていたらしい。この部分は普段トリコロールの国旗が風になびいているのがガラスを通してみることの出来る、グランパレの建築のなかでも最も美しい部分である。今回モニュメンタの会期中、フランス国旗はおろされ、かわりに青い円が描かれたモニュメンタ2012旗が空に向かって立てられている。

したがって、これら全ての光の森が構想されたのも、 »travail in situ » においてである。この光の森は、ビュランによってグランパレの光を効果的に捉えて、それを鑑賞者に還元するために生み出された。中に入ってみると、45mもあるはずの天井と広大な敷地はプラスチックの天井と所狭しと並べられた四角い柱によって分節化され、心地よい圧迫感と焦燥感に襲われる。

正面入り口の裏に位置する階段を上って、一度森を抜け、その全体と高い空を見上げた時にはじめて、その焦燥感がなんであったのかがわかる。そして、色彩の屋根の中に居たときにみていた光とまったく違う色の光が、そこに存在することに気がつく。

天井のガラスから差し込む光は、ビュランが意図したように、広い敷地の場所によって、時間によって、様々な表情を見せる。ときに重なり合って、ときに拡散して、ときに人々を巻き込んで、それでもビュランが意図した以上のことや意図しなかったことなどが今この瞬間にも起こっているのだと思うと、この森を抜け出せなくなる。

さて、会期中グランパレは眠らない。もとい、グランパレは深夜24時になるまで眠らない。夜のヴィジットはもう一つの作品鑑賞の視点だ。何よりも空いているし、ガラスがはっきりと鏡に成る。さらにグランパレの骨組みが緑色で塗られているのだが、この緑色と深い夜の空の色が、いつか童話で読んだようなヨーロッパの深い深い夜の森を彷彿とさせるのだ。魔女が出てきそうな、木々がざわめきあっていそうな、怖い森だ。

森は抜けることができる。なぜなら森には境界があるからだ。中心部には人々が集うことの出来るような円い鏡があり、座ったり、歩いたり、反射を利用して写真を撮ったり、ごろりと仰向けになって天井を見つめたり、色々なアプローチが許されているらしい。

そういえば、インタビューでビュランが面白いことを言っていた。「公共の空間」についての彼の考え方である。そもそも日本とフランス人の公共の場に対する感覚もかけ離れたものであるのだが、そのことについては後々くわしく考えてみたいのでスルーする。ビュランはグランパレを展示の場として与えられた際、グランパレという巨大な空間は、展示スペースというよりも、公共の場(place public)と思ったらしい。美術館というより路上に近い感覚、だからこそtravail in situである必要があるし、光や人々や音や温度といった環境全てがこの展示を形作る。

夜の森はライトアップのせいで過剰にはっきりとしてみえた。この夢みたいな明るい色はヘンゼルとグレーテルにでてくるお菓子の家の甘いあめ玉やカラフルな飾りみたいで、やっぱり少し不穏な感じがする。

あまりに不穏だったので、場違いなポーズをとってみた。しかし、コンテクストの無い場所で、「場違い」という事象自体がそもそもなりたたないということに、この写真を見て気がつく。この展示は、たしかにその展示物そのものからメッセージ性を読み取り、芸術について考えたり、人間の生について想いを馳せたりする類いのものではないのかもしれないと思う。カプールのように、人間の体内を思わせる生の営みとの関連付けや、ボルタンスキーが得意とする人々の記憶の集積から何かを語らせるような手法とは異なるアプローチである。

場違いなポーズをとってみているところ

果てしなく環境的だ。そう思う。流動的であり、形がないものなのだと思う。ビュランは、空間まかせ、観客まかせ、マテリアルまかせに、その表現を形作ることによって、頑固で柔軟性のかけらも無いスタンスでは決して実現できないようなものを形にすることができるアーティストなのだろう。

「現場での仕事だけがそこにある。この作品も、展覧会のために作って、展覧会が終わったらすべて壊して、ここには何も残らない。」(モニュメンタ•インタビューより)

05/18/12

Hundertwasser @ Kunst Haus Wien ,@ Hundertwasserhaus

Musique en Sorbonneオーケストラの演奏旅行でウイーンにも立ち寄った。朝8時にチェコのPribramを出発し、結構渋滞しており、ウイーン公演前に観光時間が3時間ほど辛うじて与えられるというハードスケジュール。ゲネプロに遅刻はできないけれど、機会は逃したくない。ミッテ駅からトラムに乗るなら、Radetzkyplatsで下車するとちょうどよい。私はミッテから走りました。一生懸命走れば15分強くらい。
というわけで、Kunst Haus Wienと目と鼻の先に位置するHundertwasser Hausの両方を見学してきた。

Hundertwasser(フンデルト・ヴァッサー)は、1928年ウイーン生まれの建築家・芸術家。ユダヤ系の両親を持つヴァッサーは、戦争中をユダヤ人街の地下室で過ごしながらそれでも幼い頃の創作への憧憬を忘れなかった。ヴァッサーは始め、画家を志して北アフリカに旅に出ている。彼が建築家として最初の作品を発表したのは1952年のことだ。彼が表明している芸術へのスタンスは、彼が幼い頃愛した自然の要素に基づくもの。彼の建築は独特な方法で人と環境の双方を有機的に結びつける。

クンスト・ハウスは4階建て、カフェ・レストラン、美術館、ショップを含む見応えたっぷりの異空間だ。ここに来ればヴァッサーの常設展作品が見られる。

正面入口はこんな感じ。界隈はドナウ運河から遠くない、本当に静かな住宅街。駅から近いけれど、雑然とした表通りから一本中に入っているのだ。

ヴァッサー旗発見。素敵だな。ヴァッサー建築のファサードはしばしばくっきりと真っ赤な血が流れ伝うようなペイントが有名なのだが、1991年にオープンし、彼の晩年の建築にあたるこのミュゼの外壁はもう血を流してはいない。

ミュゼの入り口のちょうど裏側にはカフェが。このカフェも隅から隅までデコレーションに余念がない。陶器タイル使いがとくに美しくて新しい印象を与える。

カフェの中。外も中も緑がいっぱい。植物たちはどれもとてもよく手入れされており元気で、中にもたっぷりの日が差し込む。

ここが私がもっとも愛した壁デコのポイントである。トイレである。白と黒のタイルデコを基調に、男の子と女の子の壁画。これは文句なしに素敵だ。誰がなんと言おうと素敵だ。

トイレの前でうっとりしている間に、ゲネプロの時間が近づいてきてしまった。私は走った。全力で走り抜けられる距離です。

さて、こちらはHundertwasser Haus。こちらは住宅なので内部見学はできない。ウイーンで最も奇抜な市営住宅と呼ばれているヴァッサーハウスは、1986年に完成した。1972年に当時のテレビ番組‘Wünsch dir was'(あなたの夢、叶えます的な番組)に出演した際、ヴァッサーは、植物と共存できる家の建築に対する夢を語った。5年後の1977年、ウイーン市長Leopold Gratzの提言をきっかけとして着工が決まった。まさに夢の家だ。

彼が植物と共存できる家と名付けた建築に必要な要素は、木々が地面に張り巡らせるしっかりとした根のような安定して力強い建築、窓から差し込むたっぷりの陽の光、ファサードはこの光を存分に得るために立派に構えること。噴水や実際の木々も植えられており、ヴァッサーの夢見た住宅を目にできた喜びは大きかった。

ヴァッサーハウスに実際に住んでみると、どのように植物との共生を実感できるのか。こんなお天気の良い日に朝日が差し込む様子や、風のある日や雨の降る日、この家はどんなふうに生きているのか。ヴァッサーハウスに住む友人を作らないと好奇心は欲求不満のままである。

ヴァッサー建築は、ウイーンにあろうが、日本にあろうが(大阪市環境局舞洲工場、2001年、および大阪市舞洲スラッジセンター、2004年)、あるいはものすごくモダンなデザインの界隈にあろうが何れにしても異色を放ち、異空間を創りだすだろう。なぜなら、それらは、何にも似ておらず、これまで見たことがない建築であるからだ。
ユニークであるということは、どこから出てきたかわからぬ突拍子のないもの、ということではない。分かりそうで分かり得ない、捉えたようで捉えきれていない興味深いものが見え隠れしており、人の心を強く惹きつけて離さない何かを持っている存在だ。
Hundert Wasserの残した植物と人と建築を含むその環境は、強烈な印象で訪れる人を迎え入れ続けるだろう。