06/23/12

近藤佑子/kondoyuko ーセルフ・プロモーションの手法とパフォーマンスー(self promotion and performance)

近藤佑子/kondoyuko:京大工学部卒、現在東京大学大学院生。彼女の26歳の誕生日に開設した就活サイトが3日で1万いいね!、アクセスは10万PV/日を記録。Twitterでは個人名でトレンド入りし、ネット界のセレブリティとなる。彼女の大胆な就活態度とSNSを利用した新しいタイプの自己実現は、プロフェッショナル・一般人を問わず高い関心を集めた。

もはやヤバすぎて手がつけられなくなってしまった近藤佑子/kondoyuko(ちなみに私は今でも彼女を”ゆうこりん”と呼び続けている)は、京都大学交響楽団の後輩だ。京大オケの金管パートは、私達が在籍しているころ、京大が誇る吉田寮の目の前を練習場所として構えており、霧雨の日も、灼熱の日も、はたまた銀杏が降る日も、私達はそこで楽器を吹き鳴らしていた。私が美学を専攻している話した折に、学部で建築をやっているけど、現代アートや美学に高い関心があるんだといつぞやの酒の席で熱心に語っていたのを覚えている。ドクターマリオを愛してやまないことも聞いたことがある。ひょっとすると気のせいかもしれないけれど。

個人的な話だが、私自身は、彼女がメチャヤバのサイト(メチャクチャにヤバイ就活生 近藤佑子を採用しませんか?)で第一で最大の目的(おそらく!)として掲げている「就職活動」については、プロセスにも経験にも情報にも明るくない人間である。それに、確かに、日本社会における就活システムの在り方の理解は前提条件であるけれど、「就活サイトとしてとしてのメチャヤバがバズったのはなぜか」という視点ではもはや読み切れないほど沢山の素晴らしい記事が世間に発信されてしまったので、私としては、別の切り口から、近藤佑子のセルフ・プロモーションについて分析してみたい。

extrait du site "mechayaba" (kondoyuko.com)

私の彼女の表現活動への関心は、メチャヤバのサイトだけに限定されない。SNSもブログも、そしてリアル世界における彼女の社会生活へのスタンスのようなものも、トータルに見ることなしに、現象の本質をつかむのは不可能というものだ。近藤佑子は、「アマチュアの自己表現の可能性」というテーマに関わる現代のアクティヴィストであり、実験的パフォーマーでもある。

無論、彼女のウェブ上での活動は、メチャヤバずっと以前からとても活発であった。ツイッターやフェイスブックのアクティブユーザーであり、これらのメディアを単なる友人とのコミュニケーションツールとして捉えるのではなく、もっと開かれた可能性やリアルで生き生きとした関係性を追求し、文字通り積極的にこれらのメディアに向き合っていたように思う。

日本社会のSNS史を語る上で、スマートフォンの超速普及とほぼ同時にやってきたmixiからFacebook・Twitterへの移行現象(2009-2010年)を無視することはできない。近藤佑子も漏れなくmixiユーザーの一人である。mixiはこの世代の多くの日本人に、人に読まれることを前提とした日記のような、エッセイのような、ある程度の長さのあるテクストを日常的に書きまくる訓練をさせたメディアだ。彼女自身も、mixiをひとつのきっかけに、人に読まれるものを書く経験をしたことをインタビューの際に認めている。近藤佑子の発信する(広義の)メッセージの中で、彼女の語る印象的な「ことば」が果たす役割がとても大きいことは自明だろう。

extrait de la page de Twitter, kondoyuko, 2012.6

テクストをおよそ、その目的と長さに応じてカテゴライズすると、ブログがエッセイ調で最も長く、Facebookが文字数に自由度があり報告的内容やリンクを伝え、Twitterは日常的な出来事や個人感情や意見などを選ばれたことばで端的に表現することが求められる。(勿論その他にも沢山のメディアがあるが、今回はこの3つ+mixiを念頭に話をすすめる。より詳細な議論は別の機会に文書化したいと思う。) これらテクストを通じた自己表現に関して、近藤佑子のバランス感覚は卓越している。頻度と印象が重要であるTwitter、コミュニケーションの有用性が問われるFacebook、そしてまとまった思考をわかりやすくかつ話題性をもって表現することが問われるブログ。それぞれのメディアの特性と強みを生かし、しかし一個人としてナチュラルに、ネット上でのヴァーチャル・アイデンティティを確立していたといってよい。

先ほど言及したmixiとFacebookの関係であるが、日本社会では、Facebookが実名制であり、リアルの人間関係をあからさまに持ち込むという性質から、なかなか流行らなかった。身分を明らかにした上で、個人的で他愛ないことをつぶやく習慣がないという文化的背景から、Twitterにも腰が重かった。対して、私の印象では、近藤佑子というセルフ・プロモーターは、かなり早い時期から、この日本的な「もじもじした秘密主義」から脱皮していたのだろうと確信する。

例えば、チェックイン。自分がどこで何をしているのかを、一つには自分のメモリーとして、もう一つには他人と有用な情報をシェアするためにこれをマークする。あるいは、企業説明会のTogetter実況。これも端的にノートを取りながら、それを必要としている誰かとその内容を共有することを意図しての実践であろう。彼女は、自身のブログ、kondoyukoのカルチュラル・ハッカーズにおいて述べているように、「自分の生きづらさの解消」の手段としてのWebやSNSを通じた交流・コミュニケーションへの可能性を実に前向きに認識している。そしてそのモチベーションは、彼女のSNSを介した自己表象に非常に明確に現れている。現代のネット社会において、秘密を守ろうと徒労にも似た努力をするよりも、開き直って正面から世界に対峙し、これらの表現手段を自分のものにするほうがどれだけ面白そうな人生が送れそうかは、言うまでもない。

autoportrait de kondoyuko, photo profil sur Facebook

さて、長くなったがここで近藤佑子分析を終わるわけにはいかない。彼女のセルフ・プロモーションを「成功」させた鍵を握っているのは、実はテクストよりもむしろイメージのほうであるとはっきり述べておこう。

彼女のネットアイデンティティの特徴は、セルフ・イメージの一貫した管理にある。彼女のセルフ・イメージとして知られているのはメチャヤバサイトにあるiPhone自己取り写真が一枚と、メガネをくいっと持ち上げているアップの写真が一枚。それ以外は、例えばブログにおいては毒キノコ風アイコンを使用するなどしており、このたった2つのイメージよりもリアルな近藤佑子について想像できるイメージデータはWebの向こうにいる読者には与えられていない。本人により公表されている誕生日サイト企画案(この企画案はぜひチェック!)を見ると、企画段階ではストリップの写真と近藤佑子の合成写真を織り交ぜたり、ソープランドのぼかした写真を挿入したりと楽しいアイディアがあったことが伺えるが、結果としては、イメージ露出への潔癖な姿勢を保ったことが功を奏した。個人的な見解だが、このイメージに対するハングリー状態が、彼女の心を込めて制作したひとつの作品ともいうべきメチャヤバのサイトの大ヒットに一役を買ったことを忘れてはならないと思う。

「シェア」は近藤佑子を読み解くために一番大切なキーワードだ。彼女はシェアハウスについて日々考えているそうだし、お湯をわかちあう日本の素敵な文化である銭湯を愛している。もちろんWeb上で、思考や情報を共有することは日々ナチュラルに実践している。

最後に、東京・京都を一晩で結ぶゆうこの宅急便で有名なゆうこりんに、超遅配達便となること確実のsalon de mimiにフランスから配達してほしいものを聞いてみた。答えは香水。ナチュラルだけどあの毒キノコのイメージに合うような香水を見つけたいな、なんて考え始めると、夜も眠れなくなりそうであるが、兎にも角にも、これからも近藤佑子が繰り広げる面白い表現の可能性を、愛をこめて詮索していきたいと思う。

謝意:京都滞在中にも関わらず、夜中の1時半まで時差を超えてフランスとのスカイプインタビューにお付き合い頂いた近藤佑子りんに心から感謝いたします。どうもありがとう。(インタビュー:2012年6月20日0:21~1:29)

06/19/12

無秩序の巨匠展/ Maîtres du désordre @Musée Quai Branly

Maîtres du Désordre

「無秩序(Desorder)の巨匠たち」というすごいタイトルの展覧会が、エッフェル塔近くのMusée du Quai Branlyで2012年4月11日から7月29日まで開催されている。
展覧会のイントロダクションにはこのようにある。

「秩序あるものと無秩序なものを巡る終わりなき葛藤は、多くの伝統において表象されてきた。そして、 »秩序 »と »無秩序 »という相反するものが創り出す緊張状態は世界の均衡が保たれるために必要不可欠なものと考えられてきた。この展覧会は3つの軸で構成される。世界における無秩序、無秩序の制御とカタルシス、そして無秩序をめぐる神話と儀式的実践の創造。この3つの軸を通過することで、鑑賞者は、聖なる世界から俗的世界へ連れ出されることとなるだろう。
俗世とは、不完全で無秩序な世界である。世界の不完全さから生み出される不幸な運命から自らの身を守るために、そのアンビヴァレンスで危険な力を抑制する仲介人がふと姿を現す。われわれは、彼らのことを、「無秩序(Désordre)の巨匠たち」と呼ぶ。」

この展覧会を理解するにあたって、まず念頭に置いておかなければならないのは、この展覧会はDesordre/無秩序を集めた展覧会ではない、ということである。イントロダクションから明らかになるように、秩序vs無秩序は西洋的宗教観(といっても差し支えなかろう)に基づく、以下の図式を浮き彫りにする。

聖なるもの/神/完全性=秩序 vs 俗世/人間/不完全で不幸=無秩序

したがって、不完全で無秩序な世界に生きる人間であるわれわれが、その不運な境遇とどのようにうまく付き合い、生きて行くのかという問題に取り組んだ作家達の作品を集めた展覧会である、という主旨である。その作品は一見「無秩序」の表象のように見えたとしても、このコンテクストを忘れてはならないのではなかろうか。

西洋的宗教観、とりわけ全能で完全なる神と俗世界に堕ちてきた不完全な人間という構図に基づくとはいえ、Quai Branlyのキュレータ(Comissaire: Jean de Loisy assisté de Sandra Adam-Couraletら)たちに選ばれた作品群は非常に多岐に渡る。もちろん、Musée Quai Branlyのスペシャリティであるプリミティブなオブジェが数多く展示されていた。

Masque Tomanikはイヌイットのコスモスの神であるシラが強風を起こし、暴力的な大風を大地に吹き起こす。イヌイットにおいて天候を司る神は様々な姿で現れるのだが、とりわけ風を司る神の化身が身につけるのがこのTomanikのマスクだ。

Masque Tamanik (Faiseur de vent), Inuit

また、Quai Branlyらしいコレクションからの出展では、ブラジルのTopuが挙げられる。Topuは雷鳴の神、やはり天候を司るが、とりわけ激しい嵐や雷雨をコントロールしている。Topuはトランス状態のシャーマンに乗り移って彼らを傷つけることすらある。雨期が始まるときやってくる神だ。このTopu像は、人間の身体の形を当てられている。彼らが乗り移るところのシャーマン自身の容姿を模して作られているとても小さな人形だ。

Topu, Brésil, 1960-1972

ふと私たちの良く知る顔を見かける。埴輪。

埴輪, Japon

埴輪はご存知のように、古墳時代に多く作られ、聖域を俗世界と明確に区画するため、死者の身分の高尚性を表すため、死者の霊を悪霊から守るため、など様々な目的で墓に配置され、一緒に埋められたと考えられているが、果たしてこれについて、「無秩序」をコントロールするための媒体としてのオブジェであったとコンテクストづけていいものだろうか。展覧会趣旨からするとやや疑問を投げかけたくなる選択であると言わざるを得ない。Quai Branlyのように、プリミティブコレクションを数多く持つ美術館は、しばしば例えば今回の展覧会のように彼らの美術館収蔵品と、現代アーティストの作品をコラボレーションさせて、たとえば「無秩序の巨匠」のように一貫したストーリーに位置づける。全体としてなめらかに結合させるのはしばしば簡単なことではない。これは、フランスやヨーロッパにある「モノをたくさんもっている美術館」がどうやって若いヴィジターの心をつかみ、新しい展覧会を作って行くことができるかという問題に関わる大切な取り組みだ。

masquesの天井

天井からたくさんのマスクに見下ろされている廊下を通り抜けると、フランス人の女性アーティスト、アネット•メサジェ(Annette Messager)の「リスのパレード」という作品がある。

Parade de l'Ecureuil, Annette Messager, 1994

アネット•メサジェはいのちの記憶、オブジェや動物、人間の個別のおもいでに焦点を当てて表現してきたアーティストだ。彼女のマテリアルは壊れた人形、分解されたぬいぐるみ、そして、動物の剥製など、傷ついた生を思い起こさせるものが多い。重ねられたざぶとんの上に配置されたカラフルなオブジェを纏う死んだリスは、目が粗いけれども決して抜け出すことは出来ない、重苦しい黒いネットに絡めとられている。そしてよくみればリスが装備しているのは他の動物達のからだの断片、足や尾っぽなどではないか。リスはそれでも楽しくパレードをする。その様子は統一感が無く、ごちゃまぜに見えるとしても、メサジェのなかで、このパレードは混沌とした生を表象しながら、それに向き合い戦う小さな彫刻のようなものであるのだろう。リスは、その小さな手を上げ遠いどこかを指差し、黒いマスクを被ってバラバラにされた他の動物達の果たされなかった願いを背負い戦う小さな戦士のようだ。

Paroles d'inities

さいごに、私がインスタレーションとして面白いと思った展示スペースがこちらの電話の受話器から世界中のイニシエ(現代におけるシャーマンたち)の話を聞くというものだ。世界からの画像と声を発信するためにもうけられた14のスクリーンと受話器が設置され、それら機材をぐるっと取り巻くベンチに腰掛けて、人々はそれに耳を傾ける。そもそも今日でもシャーマンと呼ばれる人々はたくさん存在する。14人の現代シャーマンがそれぞれ歌や物語、ダンスによって彼らの身体が開かれていく始終がスクリーン上に映し出され、人々は電話の受話器の音声と合わせて興味深く観察していた。電話の受話器がそれを耳に当てている人にしか聞こえないこと、このインスタレーションがなんとなく洞窟らしい雰囲気でひっそりと設置されていることは有無を言わさず、シャーマン達のトランス状態を「こっそりと盗み見る」態度を鑑賞者に強いる。本来的にシャーマンの仕事は、テレビで報道されたり、美術館で展示されたりする状況とは無縁のものだからだ。

幾つかの疑問や問題を残しつつも、コンセプトとして、楽しむことの出来る展覧会であったのではないだろうか。このエクスポは7月29日まで、Musée du Quai Branlyで開催中である。

06/18/12

国際シンポジウム téléphone mobile et création

téléphone mobile et création

2012年6月14日•15日、ケータイ電話とクリエーションに関わる国際シンポジウムがパリ2区のINHAで行われた。主催はIRCAVとパリ第3大学。IRCAV(l’Institut de Recherche en Cinéma et Audiovisuel)の中心人物は、映画とイメージの研究およびケータイなどのニューメディアのコミュニケーション研究のフランスでの先駆者としてパリ第3大学で教鞭をとってきたRoger Odin, そして今回のオーガナイザー、Laurence Allard, Laurent Creton, アーティストでありエンジニアであるBenoit Labourdetteの4名のエキスパートたちだ。ケータイとコミュニケーションに関わる国際シンポということで、今回の討論会の様子はツイッター中継および録画され、近々全貌がMobile Créationのサイトにアップされる予定である。
twitter Facebookはこちら

Roger Odin, Laurent Creton, Benoit Labourdette, Laurence Allard, Maurizio Ferraris

さて、プログラムは以下である。一日目は8時から8時半に受付を済ませて、8時半からイントロダクション開始、17時までというややハードな日程。2日目は9時から13時まで、5人の招待講演者による発表で幕を閉じる。

6/14
8h-8h30/ Accueil et inscriptions
8h30-9h/ Introduction : Laurent Creton, Roger Odin, Laurence Allard, Benoit Labourdette

Session 1/
9h-11h / Mobile, Ecriture et mNovel (Présidence : Roger Odin)
−L’explosion de la documentalité/Explosion of ‘Documentalité’, Maurizio Ferraris (Université de Turin)

−Le SMS entre forme et geste : analyse d’une pratique d’écriture/ Writing onmobile: gesture and forms: SMS/MMS
Joëlle Menrath (Discours et Pratiques) et Anne Jarrigeon (Université Paris Est)
m-Novels en Afrique du Sud : impliquer les lecteurs grâce aux téléphones portables/m-Novels for Africa: Engaging Readers through Mobile Phones, Steve Vosloo (yozaproject.com)

Session 2/
11h-13h / Mobile, politique et formats transmédia / Mobile, Politics and Transmedia (Présidence : Laurence Allard)
−Vidéos mobile et politique : Iranian Stories/Mobile Videos and politics: Iranian Stories, Cyril Cadars et Thibault Lefèvre (iranianstories.org/)

−Vidéos et voix des peuples : Crowdvoice/Videos and People’s Voices: Crowdvoice, Esra’a Al Shafei (crowdvoice.org/)
Session 3/ 15h-17h / Cinéma mobile et création/ Movie, Mobile and Creation (Présidence : Benoit Labourdette)
−Une nouvelle culture de la création/A New Culture of creation
Serge Tisseron (psychiatre)
Alain Fleischer, Le Fresnoy

Ateliers de films mobiles /workshops and video screenings mobile

6/15
Session 4/
9h-13h / Géolocalisation, mobilité, nomadisme et réalité augmentée / Geolocalisation, Mobility, Nomadisme and Augmented Reality (Présidence : Laurent Creton)

−Algorithmic visions: towards a new documentary practice, William Uricchio (MIT/Utrecht)
−Play -Mobile Immuable, Nicolas Nova (Near Future Laboratory-Genève)

−Bollywood’s Rythm’n Games : les adaptations de films indiens sur téléphone mobile/Bollywood on mobile games
Alexis Blanchet (Université Paris 3-IRCAV)

−La musique des portables du désert/Music of Sahara Cellphones Christopher Kirkley (sahelsounds.com/)

−Téléphone mobile et création: une approche conceptuelle/Mobile and Creation: a conceptual approach, Thomas Paris (HEC)

sculpture à INHA, Paris

ケータイ電話とクリエーションというテーマを掲げた今回のシンポジウムであったが、全体の印象として、ケータイ電話を用いたクリエーションに焦点を当てて、ケータイでこそ可能となる表現行為について掘り下げた議論を行ったセッションは無かったように思う。いっぽうで、現代のメディア環境における人々の行動学的特徴や社会学的分析は、「ユビキタス」や「モバイル」といったおなじみのアイディアを下敷きとして展開され、その内容は、2000年以降からスマートフォンの到来以前まで、日本において特殊化した現象として語られた「ケータイ文化」論をもう一度なぞり直したものに近かった。

それもそのはず、ケータイ端末を介して人々が大きなインターネットの世界に接続しつづけるという状況は、日本社会においてはimodeを先駆とする諸処のサービスのおかげで、2007年のiPhoneずっと以前から定着していたが、むしろこれは国際的にみれば特殊な状況である。一般的に、全ての人々が個人が所有する端末を介してネットに接続されたのは、スマートフォンの到来以降なのだ。国際的にみてみたならば、インターネットがパソコンからでなくケータイから一般の人々に普及した国々も実にたくさんある。たとえば近年ソーシャルネットワークを媒介とした政治的アクティヴィストの運動が相次いで起こっている、イランやエジプトといった中東の国々は典型的にそのような国に分類されるだろう。ケータイ電話の普及によってはじめて、インターネットを利用した政治活動が一般の若者に開かれた。さらにはシンポジウムでSteve Voslooによって紹介されたmNovelとは、南アフリカの子ども達にケータイのメールを通じて200語程度に区切られた小説を送り、読書経験を豊かにするための教育プログラムであり、独自のディヴァイスを利用した実験的実践をすでに展開している。読書経験を積むだけでなく、創作意欲のある書き手を育てることも同時に目的としており、この文学形態はまさに、日本社会で2002年ころから起こった、ケータイ小説という新しい文学のあり方にも深く結びつく。ケータイというディバイスは言うまでもなく、表現行為の敷居を取り払う。

Joëlle Menrath, Anne Jarrigeon, Roger Odin, Steve Vosloo, Maurizio Ferraris

2日間に及ぶシンポジウムで、おそらくは外国人としての視点から、あるいは独自のケータイ文化を育ててきた日本において1990年代と2000年代を過ごした世代としての視点から、目に留まったことが一つある。それは、フランスにおいて如何にイメージの問題が重要か、シネマというカテゴリーが重要かということである。つまり、ケータイはたしかに、Joëlle MenrathとAnne Jarrigeonによって社会学的に分析されたように、SMSに代表される「書く行為」を一変させたディバイスである。私の個人的関心の半分は、やはり文章表現のあり方を作り替えた「メール」に情熱的に注がれている。だが、今回のシンポジウムのウエイトは、文章でないもう一つの媒体、「イメージ」のほうにずっしりと据えられていたように思う。mms(写メール)を送れること、録画した画像や動画を即座にインターネット上で共有できること、そして何よりも、ケータイというディヴァイスが電話から録音機あるいはヴィデオカメラに変化したこと。たしかに、この点については、まだまだ色々な意味で分析されずにいる部分が大きい。

私のケータイ電話とその創作への関心は非常に単純だ。だいいちに、全ての人を表現行為に駆り立てることのできるディヴァイスの可能性と、その際生み出される新しくて面白い表現行為の性質や可能性を見極めること。そして、それが人々をどうやってもっとわくわくさせて、もっと幸せにさせることができるのか、考え、話し合い、たくさんの人と一緒にもっとたくさんの人を繋ぐ楽しい「できごと」を創り出すことに尽きる。

le ciel blue à travers le plafond, 天井窓ごしに見える空

06/16/12

モニュメンタ ダニエル•ビュラン/ Monumenta 2012 Daniel Buren

モニュメンタ(Monumenta)は、グランパレの45mの高さ13500㎡というゴージャスな空間をたったひとつの作品で占有してしまおうという、スケールの大きいイベントだ。2007年から一年に一回ずつ開催されてきたこのイベントは、国際的に重要なアーティストとしてたった一人選ばれた作家が、グランパレの空間に合わせた斬新で巨大な作品を創り出すことで、第5回目となる2012年まで、世界中からのたくさんのヴィジターを魅了してきた。(2009年は行われていない。)

2007年はドイツ人のアンセルム•キーファーによる絵画•インスタレーション。翌年の2008年はミニマリズム彫刻のリチャード•セラによる巨大彫刻。とりわけ2010年のクリスチャン•ボルタンスキーの古着のインスタレーションは、冬の寒くて暗い季節を選択して開催され、静かで大きな空間にたたずむ巨大な古着の山と不気味なクレーンの音が耳に残っていて、鮮明に覚えている。昨年2011年は、インドのアニッシュ•カプールの巨大なバルーン彫刻で、ボルタンスキーとは別の意味で内面的な生を感じさせる展示であった。(過去のモニュメンタ)

2012年5月18日〜6月21日という期間、6週間におよんでグランパレの占有権を得たのは、フランス人アーティスト、ダニエル•ビュランである。1960年代70年代、反芸術の運動でかなりラディカルに活動していたビュランへのフランス人の批評ははっきりしている。高く評価する者と反ビュランを訴える者。とはいえ、フランスを代表する国際的現代アーティストの、一貫した表現哲学には耳を傾けざるを得ない。

第一に « travail in situ » (現場での仕事)の重要性を主張する。パリのパレロワイヤルにも彫刻があるが、ストライプは彼の一貫したモチーフの一つだ。縞模様は幾何学的だ。そこにオリジナリティや差異化されたものが介在する余地はなく、とにかくストライプというパターンがそこにあるのみだ。彼がストライプを好んで用いてきたのは、作品自体が語る意味というものを限界まで消去し、作品がそれだけで意味をもたないことを鑑賞者に明確に意識させるためであった。環境において作品を作ること、空間との関係や時間、鑑賞者、光との関わり、それらすべてが彼の作品に絡めとられる要素と成る。

ビュランがグランパレを仕事の現場とする際、その環境を構成するのは言うまでもなく、その巨大な空間とガラス張りの天井から角度と彩度を変えながら差し込む太陽の光だ。2012年モニュメンタ•インタビューで、ビュラン自身、グランパレにおける展示の本質が「どのようにしてこの豊かな光を捉え、表現するか」であったと述べている。

驚くべきことだが、当初の計画では、この広大な敷地に、最も高い天井にあたる上の写真の部分に青のストライプを施す、という構想にとどまっていたらしい。この部分は普段トリコロールの国旗が風になびいているのがガラスを通してみることの出来る、グランパレの建築のなかでも最も美しい部分である。今回モニュメンタの会期中、フランス国旗はおろされ、かわりに青い円が描かれたモニュメンタ2012旗が空に向かって立てられている。

したがって、これら全ての光の森が構想されたのも、 »travail in situ » においてである。この光の森は、ビュランによってグランパレの光を効果的に捉えて、それを鑑賞者に還元するために生み出された。中に入ってみると、45mもあるはずの天井と広大な敷地はプラスチックの天井と所狭しと並べられた四角い柱によって分節化され、心地よい圧迫感と焦燥感に襲われる。

正面入り口の裏に位置する階段を上って、一度森を抜け、その全体と高い空を見上げた時にはじめて、その焦燥感がなんであったのかがわかる。そして、色彩の屋根の中に居たときにみていた光とまったく違う色の光が、そこに存在することに気がつく。

天井のガラスから差し込む光は、ビュランが意図したように、広い敷地の場所によって、時間によって、様々な表情を見せる。ときに重なり合って、ときに拡散して、ときに人々を巻き込んで、それでもビュランが意図した以上のことや意図しなかったことなどが今この瞬間にも起こっているのだと思うと、この森を抜け出せなくなる。

さて、会期中グランパレは眠らない。もとい、グランパレは深夜24時になるまで眠らない。夜のヴィジットはもう一つの作品鑑賞の視点だ。何よりも空いているし、ガラスがはっきりと鏡に成る。さらにグランパレの骨組みが緑色で塗られているのだが、この緑色と深い夜の空の色が、いつか童話で読んだようなヨーロッパの深い深い夜の森を彷彿とさせるのだ。魔女が出てきそうな、木々がざわめきあっていそうな、怖い森だ。

森は抜けることができる。なぜなら森には境界があるからだ。中心部には人々が集うことの出来るような円い鏡があり、座ったり、歩いたり、反射を利用して写真を撮ったり、ごろりと仰向けになって天井を見つめたり、色々なアプローチが許されているらしい。

そういえば、インタビューでビュランが面白いことを言っていた。「公共の空間」についての彼の考え方である。そもそも日本とフランス人の公共の場に対する感覚もかけ離れたものであるのだが、そのことについては後々くわしく考えてみたいのでスルーする。ビュランはグランパレを展示の場として与えられた際、グランパレという巨大な空間は、展示スペースというよりも、公共の場(place public)と思ったらしい。美術館というより路上に近い感覚、だからこそtravail in situである必要があるし、光や人々や音や温度といった環境全てがこの展示を形作る。

夜の森はライトアップのせいで過剰にはっきりとしてみえた。この夢みたいな明るい色はヘンゼルとグレーテルにでてくるお菓子の家の甘いあめ玉やカラフルな飾りみたいで、やっぱり少し不穏な感じがする。

あまりに不穏だったので、場違いなポーズをとってみた。しかし、コンテクストの無い場所で、「場違い」という事象自体がそもそもなりたたないということに、この写真を見て気がつく。この展示は、たしかにその展示物そのものからメッセージ性を読み取り、芸術について考えたり、人間の生について想いを馳せたりする類いのものではないのかもしれないと思う。カプールのように、人間の体内を思わせる生の営みとの関連付けや、ボルタンスキーが得意とする人々の記憶の集積から何かを語らせるような手法とは異なるアプローチである。

場違いなポーズをとってみているところ

果てしなく環境的だ。そう思う。流動的であり、形がないものなのだと思う。ビュランは、空間まかせ、観客まかせ、マテリアルまかせに、その表現を形作ることによって、頑固で柔軟性のかけらも無いスタンスでは決して実現できないようなものを形にすることができるアーティストなのだろう。

「現場での仕事だけがそこにある。この作品も、展覧会のために作って、展覧会が終わったらすべて壊して、ここには何も残らない。」(モニュメンタ•インタビューより)

06/13/12

マネキン(パレ•ド•トーキョー)/Mannequins au Palais de Tokyo

マネキンが好きだ。ボディの質感も好きだし、マネキンのボディが結構精密に複数のパーツから構成されているところも(その関節具合も)大好きだ。こんなに好きなのに、マネキンの製造過程を見学したことがないのはつくづく残念なので、機会があったらぜひぜひ見学したいと日々思っている。

マネキンの身体は匿名的だと言われる。身体はおろか、彼らの顔も特徴というものが無い。マネキンというのは、誰でもありそうで誰でもないように作られた人形であり、もちろん洋服かっこうよく着こなす目的上、程よく謙虚なナイスプロポーションを誇っている。誰からしくて誰でもないというのは、ミステリーな感じがしてとても素敵である。

大きな人形だからといって、実物っぽいのは好きではないのだ。たとえば蝋人形館で有名な、パリのミュゼ•グレヴァンやロンドンのマダム•タッソー館は行ったことがないので、何がどれだけすばらしいか知らずにいい加減なことは言えないが、どうにも興味を持つことが出来ない。誰かをモデルにした人形というのは、それ以上の解釈の可能性は無いし、ミステリーも秘密も、何にもない。あるべき姿が決まっていて、それに似せられただけだと思うと魅力が半減してしまう。

とにかく、10代の頃からマネキンが好きで、見よう見まねでちょこっとミシンをかけて洋服を作るのも好きなので、トルソーも好きである。気になるマネキンがいたら写真を撮るし、ショーウィンドーで裸のまま放っておかれているマネキンのやりきれない感じもたまらなく愛おしい。(持っていないし、あまり関係ないけれど、サラサラした生地で作られた身長くらいある大きな抱き枕もきっと好きだと思う。)

mannequin au Bon Marché, Paris

そうそう、せっかくなので、マネキン人形の控えめな歴史をこの場をかりてお話ししよう。
何を隠そうマネキンはその昔、私が嫌いなセレブを集めた蝋人形館の人形達のように、蝋で作られていた。重くてどうしようもなく、熱に弱くて壊れやすい、蝋人形。制作のコストも大きいので、1928年、島津製作所(現在の七彩マネキン)が洋装マネキンをファイバーで制作するようになり、改良が進んだ。戦後の1950年代には、FRP製のマネキンが制作されるようになり、低コスト軽量化が実現。

日本のマネキン史の中で重要な役割を担ったのは、1968年に渋谷西武百貨店に導入された「ツイッギーモデル」である。ツイッギーは当時大流行したイギリスのカワイイアイドル歌手で、マネキン人形のボディラインを大きく変えた。日本人体型だったマネキンは輸入マネキンに取って代わられる。このことは、ファッションを纏う身体の形が、日本人のものから西洋人のものになったことを意味する。理想ボディイメージのシフトとそのイメージの徹底した普及はハイピッチでなされたといえよう。

マネキンのフォルムは歴史とともに進化してきた。身体自体の形の変化とマネキンの形の変化には密接な関係がある。とはいえ、身体自体の形の変化には長い時間を要するいっぽう、マネキンボディはもっと軽やかに自らを作り替えることができる。それはもちろん、彼らが人形だからであり、彼らの形は人によって作られるからだ。マネキンの高速なフォルムチェンジが表しているのは、人々の「なりたいからだのかたち」である。マネキンは、全ての人の理想をうけとめて変化し続ける、鏡のような存在であり、そこに映し出されているものは必ずしも捉えきれない矛盾を孕んだ、ミステリアスな存在だ。

Florence NIEF "REGARDS", Galerie haute, Palais de Tokyo

本当は、今回パレ•ド•トーキョーで三日間だけ行われたマネキンを使用した展示を紹介しようと思っていたのだが、前置きが甚だ長くなってしまった。(Florence NIEF « Regards » du 8 au 10 juin 2012) 会期中はアーティストから話を聞くことができた。マネキンをマテリアルとして使用するのは初めてと述べる彼女が表現したのは、我々の現代的日常生活のあり方。腸とも脳みそとも、あるいは糞のようなものとも見て取れる無数のひもに絡めとられて、身動きが取れないマネキン達。彼らはそれぞれヘッドフォンを付け、ケータイを持ち、その思索はタブレットにイメージとして映し出される。マネキンの中には部分的にパーツを失ったものがあり、別の場所には断片化されたパーツが同じくひものようなものに絡めとられている。

私たちはこれを彼女が言うように現代生活として解釈しながら、彼らの足下をがんじがらめにする腸のような存在を、ネットワークとして読むことができる。そして、その中に断片化された身体の破片を、納得しながらももがいて生きている現代の生として見なすことは行き過ぎた考えではないだろうと思う。

Florence NIEF, Palais de Tokyo ( du 8 au 10 juin 2012)

06/6/12

日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。part2

2012年5月13日(世間は日曜日)、この日の朝は早い。京大の加藤くんの発表が午前10時、9時半には機材チェックで集合。

この日一番ドキドキしたのは、個人発表のレジュメが足りなくなって、ファミリーマートに走った時だ。準備しているうちに、要旨に載せた作品分析の内容が思いっきりはみ出し、やむなく長々とレジュメに載せた部分があったし、心を込めて作ったレジュメでもあった。それに、せっかく日本で発表できる!!とワクワクやってきて、コピー代をケチってレジュメが足りないなんて、色々とおわってる(と思う)。せっかくファミマに行ったのに、ホワイトチョコ&クランベリークッキーを買い損ねたことには後悔の念が絶えない。

「なぜ人は外国のファッションに憧れるのか」は、二日目のシンポジウムのテーマである。コーディネートの高馬さんとは、スペインのコルーニャの学会で二人でフランス語で発表したという楽しい思い出がある。今回のシンポジウムでは、企画段階から当日まで、大変お世話になった。リトアニアからスカイプ電話をかけてくださったり、準備もとても楽しく勉強になった。いや、私なんかほとんど何も働けておらず、高馬さん、皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。

高馬さんがお話しされたエキゾチズムと未熟性への着目はとっても興味深い。西洋の日本のファッションへの憧れは、常にエキゾチズムの視点に立脚してきた。未熟性と無臭性を強調する日本のモードは、「アジアで最も西洋化した国」というアイデンティティーを西洋にもう一度突き返し、その価値を問う、盾であり矛であるのだ。

ジェシカさんの発表内容は、私自身もゴスロリとロリータカルチャーの海外輸出について色々調べたことがあるので、めずらしくちょこっと予備知識があった。だが、彼女の提示する視点は、さすが西欧の女性のものである。Yoji Yamamoto Comme des Garçons などの80年代以降パリのプレタ•ポルテで活躍したジャパンデザイナーが提案していた、クールでカッコいいファッションに憧れて日本にやってきた彼女が目にしたのが、少女というか人形というか子ども?!のようなフリフリ•ロリロリのスタイル。この流行を目に前にして、「日本のファッション界に騙された!!!」と思ったらしい。この発言はなかなかカッコいいなと惚れ惚れした。日本という国は、しばしば、小さくて美しい繊細な箱に入った、ノスタルジックなおとぎ話のように、ヨーロッパの人々に妄想されている。(日本人が、フランスに行けばマリー•アント•ワネットの世界が広がっていると妄想するように。) そう言われてみれば、Rei Kawakuboのギャルソンのスタイルは海外のアクティブで格好良くてオシャレなそしてやっぱりややギャルソンヌな女性に心から愛されているようだけれども、そのスタイルは、国内でティーンズやヤングのファッション雑誌のページの大部分を占めるような、いわゆる「はやりのスタイル」には成り得ない。ニッポンの女の子は、可愛くなきゃいかんらしい。

池田さんが見せてくださった映画の抜粋に登場する大正ゴスロリ少女は凄かった。少女というか、本来のゴシックの未亡人のようですらある。フリフリを軽く着こなすというのがいかに難しいかわかる。あまりに感動したので写真を撮った。

日本の映画に初登場のゴシックロリータ。

 

私自身は、「キャラ的身体とファッション」というテーマで、現代的なメディア環境に生きる中で、私たちのボディイメージとファッションへの感覚が変化しているのではないか、という話をした。アバターやアイコン、プロフィール写真で自分の顔を常に覆いながら、ネット上でのコミュニケーションに長い時間浸っていると、自分の生々しい肉体はほぼ意識の外に追放されて、二次元的のキャラ的イメージとして「わたし」を感覚してる状況に気がつく。このことが、テーマ「外国ファッションへの憧れ」にどうか関わるのかというと、つまり自分をキャラクター的に認識している身体意識は、リアルな外国人ボディを熱烈に目指していた身体意識とはまったく違うということを指摘した。

身体意識について、考え始めて久しい。そういえば以前は、身体イメージにより焦点を当てていた。このテーマについて語るとき、幾つか割り切れないエレメントがあって、それは、国(文化圏)と世代(年齢)だ。あまりに当たり前の要素で申し訳ないけれども、「キャラ的だよね!」なんて、一つのことを爽やかに言ってのけてみたいときに、これは大きなダメージを及ぼす。現象や文化はものすごく強烈に国や世代に結びつけられているとは言え、「キャラ的身体、なんて、日本社会内だけで通じる内輪ネタだよね!」とか、「二次元的に自己像を認識してるなんて、ネット世代だけでしょう」とかいう風に、希少動物保護地区に隔離されてしまうともう負けである。

いや、これはそもそも戦いではない。私たちがこれからすべきことは、国(文化圏)と世代(年齢)を越境できるちからをもった言葉で語ることだ。日本のネットが、日本のケータイが、日本のサブカルが、この先どこにも着地すること無く、ふわふわと漂って独自でガラパゴス的な伝説となるのなら、私たちはこれを語り、書き、残す必要は無い。少なくとも私はそんなことに興味がない。

学会の反省からやや脱線してしまった。だが、海外からの一部の視線によって形作られる、日本のファッションやアートに対するエキゾチズム風のちやほやモードの上で浮かれることなく、そんなものをむしろ突っ返すくらいパワーのある議論なり、書物なり、物語なりが、必要とされていると思うし、そういうものを発信していきたいと思う。

時間がほんとうにやばいと話をしているところ。室井先生有難うございました!!!

06/3/12

ゴスロリ衣装を外国で着ること。

Part2もお楽しみに!と見栄を切ったものの、Part1の次が必ずしもPart2でなければならないなんてことはなかろう。今回はただ、あることについて、長い間魚の骨が喉につっかかっているように、語り切らないはがゆさを少しでも拭い去るべくこの記事を書いてみる。

マンガ、オタク、クールジャパンの代名詞で語られる日本の現代文化は、多くの現象がそうであるように、当人の希望やコントロールの外で勝手に繁殖し、消費され、再生産されてきた。現代文化だけではない。いわゆる日本らしいイメージを喚起するもの、禅のエスプリや柔道・茶道、寿司を始めとする日本食、着物や和小物は、一度日本から旅立った後は、どのように享受され、発達させられるかは、日本人の意図にしばしば無関係だ。

某大先生が以前ご自身のブログに載せていらっしゃった、「”クールジャパン”はなぜ恥ずかしいのか」という凄い記事が私の喉に刺さった魚の骨をつるっと取ってくれる気がして、何回も読んだ。取れそうで取れなかった。そもそも、自分で考えようともしないで、先生の書いたものを読んで問題を解決しようなんて、安直な態度がいけないのだ。いや、この記事は凄いのだ。おかげで、なぜ「ゴスロリ衣装を外国できること」是非と意味を考えなければいけなくなってしまったのかは明確にわかったのだから。

私は人生で数えられる程度にゴスロリ衣装を着ている。一人で鏡の前で着たという極めてカウントしづらい状況を除くと、
1度目:京都大学交響楽団の定期演奏会後の打ち上げの席
2度目:大学4年生の時に京大で行われた日本記号学会大会
3度目:コルーニャで行われた国際記号学会
4度目:2010年のジャパン・エクスポ(パリ)
5度目:フランス国立東洋ギメ美術館で日本サブカルチャーについて講演した際
6度目:ニヨーという街で日本現代文化について講演した時
7度目:ランジスという街で日本文化と料理について講演した時
数えこぼしがあるかもしれないが、とにかくこんな程度である。
たしかに、日本で着ているより外国で着ている方が多い。

ちなみに私はコスプレイヤーではない。ゴシックロリータの衣装は一張羅だ。
コスプレイヤーではない、とは一体どういうことか。8回もコスプレをしているというのに。
私にとってのコスプレイヤーは、コスプレを楽しむ人であり、とりあえず利益を得るためでも、人に頼まれたわけでもなく自主的にコスプレをする人々だ。分析によると、私がコスプレをするのは、第一にリクエストがあった時、しかもそれが講演会などのお仕事の時、学会などで発表のテーマに関わるとき、打ち上げで絶対みんなにウケると確信を持っている時のみだ。この打算性は、コスプレイヤーの精神から程遠い。

しかし、文化現象が一度、元来のコンテクストを離れると、ふわふわと勝手に飛んでいってしまい、全く別の文化圏で異なった容貌に育ってしまうのと同様にして、私のこの堕落したコスプレは、それを目にする人にとって、私がコスプレイヤーであるか否か、私がホンモノかニセモノかの真偽とは別のレベルで、勝手に受容されてしまう。なるほど、外国でコスプレというコードを提示することは、いったい責任重大な行為なのだろうか?ニセモノコスプレイヤーの私がゴスロリを着てゴスロリを語ったら、それは人々を欺くことや、カルチャーを歪曲して伝達することになるだろうか。

私の答えはもちろん否である。

日本人であるアイデンティティを背負って、日本のサブカルチャーを語ることは無論、存在感のあることだ。一方で、ある文化現象について全くニュートラルな立場でありのままを伝えることが果たして可能だろうか。鑑賞者には、彼ら自身の関心を通じて、知りたい項目を選択し、勝手に理解し消化する権利がある。それと同様に、提示する者には、自身の目的とコンテクストに惹きつけて、バイアスを伴ってこれを語る権利がある。さらに言えば、私にとって、このことは権利の問題と言うよりも、「文化現象の越境」とは本質的にそういうものなのだ。完全に透明な文化紹介も、究極に無臭なカルチャー輸入も、存在しない。信じているとすれば、そんなものは、提示者の思い上がりである。提示者のアンバランスな語りを外から批評するのはたやすく無責任な行為だ。

世界でちやほやされてきた、クールジャパン・カルチャーは遅ればせに外国の人々に向けて日本人自身によっても語られるようになった。しかし、確かに多くの日本人がこの状況をどことなく不本意に感じているようだ。日本人です、と公表するやいなや、「マンガ!」「カワイイ!」と余りにも少ないキーワードで表象されてしまう現実に、屈辱に似た反感を抱いているようだ。

不本意に感じることや、誤解がある思えるならば、自らの言葉を使って直接コミュニケーションに乗り出すことができよう。提示する人それぞれが各々の目的に即してこれを語っているのと同様に。あるいは、例の「恥ずかしさ」を超えて、文化輸出とはこういうことだよね、と全ての結果に寛容になって達観することすらできよう。

私が外国でクール・ジャパンを語るとき、私は自分の目的に即して、語りたいことの文脈に引き付けてこれを提示する。それはニュートラルでも無臭でもないことを私は知っている。私はそのことに罪悪感を感じないし、それが私が語る意味だと確信している。ただひとつ、このような現場で、私は嘘を絶対つかないし、悪意で意味を歪曲させたりすることは、決して、ない。

なんとなく恥ずかしいと口を閉ざすよりも、それがどうして気になってしまうのか、知ろうとする態度を、私は選択する。

gothic lolita, 2010 summer, Paris