08/27/12

古市牧子/ Makiko Furuichi アーティストはハイブリッドな絵を描く

ある画家から「変態うさぎ」を購入した。「変態うさぎ」は、今は引っ越してしまったが画家の旧アトリエの白い壁で、画家が日々せっせと働いているのを見守りながら、大切にされていたにもかかわらず、機会があったらひょっこりトンズラしてしまおうとチャンスを伺っていたようだ。なぜそんなことを言うかと言えば、光に満ちた明るいアトリエのドアが開き、彼女に導かれてアトリエにお邪魔して、左側の壁をチラリと見た瞬間から、誰かの熱い視線のようなものが注がれているのを肌で感じずにはいられなかったのである。なんのことはない、初めから、気になって仕方なかった、というやつである、「変態うさぎ」のことが。

Lapin bizarre, Makiko Furuichi

アーティスト、古市牧子がフランスに渡ったのは2009年夏、金沢美大を卒業し、Nantes美大の修士課程に進み、昨年同大学で修士号を取得、現在もナント市でアトリエを持ち精力的な制作活動を行なっている。

彼女と知り合って、彼女のアーティスト活動を応援するようになり、かれこれ3年が経つ。お互いにフランスで生活したてのころ、彼女の水彩の作品、一枚はおしりで、もう一枚はちょっと宇宙人的な生き物、この二枚の絵が私の仕事部屋にやってきた。狭い仕事部屋で十分に日の目を見せてあげられないままだったが、私としてはとても大切にしていた。

一体何から話せば良かろう。まず始めに、彼女の描く生き物の不思議な魅力に取り憑かれた。それはたしかに、猫っぽかったり熊っぽかったり、猿っぽかったり、あるいはうさぎっぽかったりするのだが、だからといって「カワイイ」と描写できる純粋な生態からは本質的な意味でかけ離れているように思えた。プラネットが違うとでも言えば良いだろうか。とにかく私は、彼女の作品群において「ハイブリッド/hybride」に分類することのできるこの不思議な生き物たちの、見たことがないほど妙で、眺めても眺めても掴みきれないようなオーラに惚れ惚れとしてしまったのだ。それは彼女がもっとリアルな人間の身体を描いたときにも同じことだった。「絵画」という表現形態をとる作品において、色と輪郭/形、そして構図は言うまでもなく本質的な要素である。しかし、私の臆見だが、彼女の絵画作品において、描かれている生き物達が人であれ動物であれ、あまりに生き生きと絵から溢れ出しそうな色と形を呈しているので、見る人につい構図の問題を忘れさせてしまう。言ってみれば、水彩なら紙の、油彩ならキャンバスの縁がどこにあるかなんか気にならない。その絵のはじっこがどこにあるか、どこまでが絵で、どこからが絵じゃないのかということが問題にならない。そこに表象されているのは、あたかも、古市牧子の創り出すひとつのプラネットのワンシーンであって、その世界は不思議なハイブリッドの動物達を媒介にして、ずっと遠くまで広がって行くかのようなのだ。

さて、個人的な感想ばかりを語っていても仕方ないので、アトリエで撮影させていただいた絵を紹介していくことにする。

Atelier de l’artiste (〜7.2012), Maison de quartier madeleine champ de mars à Nantes

アトリエの壁にはたくさんの水彩作品。人間もいれば、ハイブリッドもいる、色鮮やかな鳥達もいる。このアトリエにいた一年間は、定期的にナント市の地域の人々と交流の機会を持ちながら、彼らに愛されて活動してきたようだ。アーティストがアトリエ近隣の住民に自分の仕事を公開し、交流を持ち、良い関係を築くことはお互いの日常のためにとても大切だ。古市牧子がどれだけナントの人たちとの関係を大切にしてきたかは、道で彼女に出会うナント市民の嬉しそうな表情を見れば一目瞭然だ。

Artiste dans son atelier, juillet 2012

「にやり、とすること!」
ほんとうに面白い人は、月並みで詰まらない問いをぶつけても、なかなか素敵な切り返しをしてみせてくれるものだ。彼女のアーティスト活動の根底にあるテーマのようなものは何か、という問いに対して、彼女は「にやりとすること」と、簡潔で明瞭に答えた。さて、そうは言っても、「にやり」とは一体なにごとか。
140字以内のツイッター要約ならぬ、10文字要約。にやり、とはなかなかセンスのいい表現だ。
自分の作品を見てにやりとして欲しい、人がついにやりとするような作品を作りたい、ということらしい。少なくとも私の方ではとりあえずそのように理解したのだが。
なるほど、ふと再び壁に貼付けられたり立てかけられている作品をぐるりと眺めると、なんとも楽しくなってしまう。楽しいといっても、胡散臭くて偽善に満ちた「にこっとした爽やかな微笑み」ではなくて、かといってブラックユーモアで「ククッ」とするのでもなくて、顔をくちゃくちゃにして大笑いするのでもなくて、他に表現しようがないあの笑い、「にやり」なのである。そう、私はこの「にやり」を別の言葉で言い換えることをハナから放棄している。こればかりは、彼女の作品に出会う人々に色眼鏡なしに味わってほしいと願うからだ。

série de body-builder

つい、にやりとしてしまう作品群のひとつに、ボディービルダーシリーズというのがある。ボディービルダーの肉体というのは確かにわざわざ構築され直しているだけあって独特な方法で異化され、その形もポーズも面白い。ボディービルディングというのは、勿論世界には女性ビルダーの存在もあることを承知の上で、それでもなお非常に男性的なイメージを想起させる。いっぽうで、古市牧子の描くボディービルダー達は、見るところ皆男性であるのだが、その生身の肉体に特有の「男性らしさ」をある意味で欠いている。そこにあるのは鮮やかな色彩と独特な形であり、隆々とした筋肉とか、滴る汗とか、生身の肉体が放つ体臭とか、肌のギラギラした光沢みたいなものが一切感じられない。それどころか、なぜだか分からないが通常ビルダー達の共通項であるつやのある小麦色の肌色は、突如黄緑色に反転させられてしまったりする。この、意味を無に帰すようなユーモアと、モデルの軽やかな中性性がにやりの正体の一側面であると言えよう。

série de body-builder

または、アイドルシリーズ。アイドルを翻訳しようとすると、フランス語にidoleというのが思い当たるが、これは日本のアイドルグループとは全く関係ない言葉である。むしろ、ぴたりと翻訳可能な言語を探す方が難しい。とても若い、しばしば十代後半の少女達がフェティッシュなコスチュームを身にまとってテンポの早い歌を踊り歌う、日本のあの独特なガールズの様子は、疑いなくユニークな文化である。古市牧子は、日本のアイドルの面白さににやりとしながらシリーズを作成した。皆一列にぴたっと並び、同じコスチュームを着て、ポーズをして、笑顔で。誤解を避けるため断っておくが、アーティストの面白いものへの関心は、皮肉や嘲笑とはおそらくかけ離れたものである。もっと本質的なレベルにある単純な関心のようなものではないかと思う。

Série des idoles de la chanson

さて、ここまで生き物ばかり解説してきたが、彼女の繊細なテクニックと豊かな色彩があまりに素敵な植物を描き出していたので掲載させていただいた。彼女は植物も大好きだ。お邪魔させていただいたアーティストのアパルトマンにも幾つもの鉢植えがあったと記憶している。それにしても、この植物のそれぞれの葉の色彩とその重なりを眺めているだけで飽きることが無い。葉の色彩をくるくると転換してみせる太陽の光と、その細くて繊細なツルを揺り動かす風が、目の前にはっきりと見えるような気さえする。

ナント滞在中、ちょうど延長会期中であった古市牧子の個展(あるコレクターの個人宅で行われていたもの)にお邪魔することが出来た。絵画作品を美術館やギャラリーといった、絵画を見せるための空間で目にすることが圧倒的に多いのだが、個人宅での個展というのもなかなか素敵であった。この個展では、アーティストが作成した作品集本も販売され、拝見させてもらったが、なるほど、一挙に作品を楽しむことが出来るし、本というメディアは静かに何度も見たいときに眺めることが出来るので、欲しくなってしまった。

Exposition chez un particulier, juillet 2012

古市牧子、金沢出身の、今やナント市民に愛されるアーティストの多彩なアートワークの中で、今回は絵画作品に焦点を当て、紹介させていただいた。日々パワフルに邁進する彼女の活動の様子やニュースはこちらのサイトをごらんいただければと思う。ヴィデオ作品やインスタレーション作品についての情報もある。
Makiko Furuichi
ハイブリッドな絵を描き、人々とのコミュニケーションを大切にし、人々をその「にやり」の中に招き続ける奇才なアーティストの活躍をこれからも追い続けることができれば、と願う。

謝辞:アトリエ引っ越しでお忙しい中のインタビュー、ほんとうに有難うございました。
(インタビュー:2012年7月9日、ナント、フランス)