01/19/13

現在住んでいる家の隣に当たる敷地は土木工事関係の仕事をしている個人企業を経営している男性が住んでおり、日頃から作業の騒音と3頭もいる猟犬の吠える声に悩まされている。彼はもっと若い時には、とても活字には出来ないような悪いことを沢山したらしく、そのことをときどき誇らしげにご近所に語っている。罪というのはシステムで決められた方法で償いさえすれば、その後の人生において底抜けに楽しく生きることが出来るという奇妙であるが、そのようである。

 

さて、その男性は犬を連れて狩りにいくのが趣味だそうだ。フランスでは免許を持っていて、申告していれば銃を問題なく所持できる。私は釣りには時々行ったが狩りには行ったことが無い。たぶん生涯行かないのではないかと予想している。家族も狩りにいく人はいなかった。ただ、父方の叔父が時期になるとやはり犬を連れて、シカやイノシシなどを捕っていたようだ。記憶の限りで私はそうやって叔父が捕ってきたシカやイノシシを口にしたことはなく、そもそもシカとイノシシは食べたことがないのではないかと思う。馬はある。馬刺というのが非常に貴重であるとか美味いとかいうことで、いつかの新年に親戚が叔父の家で集まっていた折に馬刺を食すという経験をしたのを、味も食感も全く覚えていないにも関わらず、肉の色とその表面が鮮やかに瞼の裏側に蘇ってくることによって、その事実が存在したということが裏付けられる。ちなみに、私はこの8年くらいの間、ほとんど肉を食べていないのだが、それは宗教上の理由にも動物愛護の理由にも体質的な理由にも拠っておらず、なんとなく、ということなのである。合理的な理由はない。なぜなら、私にとって、羊の肉と鯖の肉とイカの肉の間には本質的な違いが何もないのであり、子羊も子鯖も子イカもちっとも可哀想ではない。あるいは、どなたもおしなべて可哀想である。つまり、鯖とイカは食べて羊を食べない理由は、なんとなくでしかないのである。

 

昨年の11月はパリは寒い日が続いた。そんなひんやり澄み渡ったある日、事件は起こった。いや、事件などそうそう起こるものではないので、包み隠さず、一階から大家さんの悲鳴が聞こえた、とでも描写しておこう。悲壮な声である。いやむしろ、この世の悲痛を寄せ集めてしぼったような声である。私はとりあえず、ドキュメントをセーブしてから椅子から立ち上がった。階段から眺めおろすと、身体的に全く異変のない大家さんの姿があったが顔がへんである。というか、殆ど泣いている。これはただ事ではないと思ったのだが、よくみるとポーズも変である。かかしのように立ち、右腕が胴体から全力で離れるような格好になっている。右腕が、激しくつったのであろうか?

 

冗談はこれくらいにしておくが、要するに彼女は例の隣に住む前科者のおっさんから一羽の雉を、撃ち落とされたままプレゼントされたらしかった。雉の羽というのは間近で観るととても美しい。そしてさっきまで元気でいらっしゃったためにやはりつややかに感じられた。彼女は私に殆ど泣きながら雉を袋に入れてくれるように懇願した。私はそのことが非常に滑稽に感じられ、あなたはこの雉を食べるのかとたずねると、彼女は右手に雉を持ちながら、雉は美味しいと答えたので、私はさらに驚いて自分の仕事部屋に戻り、カメラを探してきて記念撮影した。タイトルは、雉とかのじょである。写真はとても良く撮れており、いい表情である。さんざん撮影して満足した後に私は雉を丁寧に袋に入れて、手渡した。あたりまえだが、すでに温かさはなかった。

 

私は魚はさばくが鳥やほかのほ乳類も解体する技術は身につけておらず、羽もむしったことはない。羽をむしれるかと聞かれたので、やったことは一度もないと答えた。彼女は、事件より一時間半くらいたってやっと平常心を取り戻しながら、そういえば友人に出来る人がいるからやってもらって調理してもらうと話した。

 

私は昔から、少しくらいならアニマルに関わるグロテスクなものは平気である。魚を初めてさばいたのも子どもの頃であったが、もちろん平気であった。食べ物はどこからくるの?的なドキュメント番組も凝視しても平気、小学校の理科の実習で牛の眼球の解剖をして、カッターでかなりアグレッシブに切り開かなければならないプロセスなどがあったがこれも平気、猫が捕ってきてしまう鳥を片付けるのも平気。というか、食べるのであれば、それが半身で海を泳いでいないことや、ハムが草原を走っていないことを知っているのは当然だし、そのプロセスを凝視しないまでも、最低限無視しないというか、存在は認めてあげるというか、そのレヴェルのことは感じてしかるべきであるように思ってきた。フランスでは毎年2月ころSalon d’Agriculture というのがあり、その一画で、最優秀賞に選ばれた1600キロくらいある肉牛が誇らしげに(あるいは迷惑そうに)メダルを下げて立派な衣を引っ掛けられて一週間ぼーっとしているのであるが、そのすぐに横ではお肉の販売もしているというタイムスリップ感満載のイベントである。このイベントは、普段食べているステーキがどんなアニマルか予想もつかない都会の子ども達に、これがその牛さんですよ、っていうのを見せてあげることも目的としているらしいのだが、それならばもう少しうまく間をつなぐことが出来そうであると残念にも思う。

 

さて、雉は翌々日幸いにもこれを扱い調理してくれる彼女の友人のおかげで3人の大人に美味しく食されたようである。私は捕られたアニマルがまっとうに被食されるのならそれでいいと思っている。それ以上でもそれ以下でもない。アニマルと食にまつわる、矛盾するようなことやすっきりと割り切れないことなどはヌーの群れの数よりも多く存在するのであろうから、多少滑稽なことや、奇妙なことがあろうとも、プロセスを割愛した断片化した知識であれども、とにかく、それでもいいと思っている。ひとつだけ、望むことがあるとしたら、撃ち落とされた雉は、あなたを襲ったり食べたりしないので、そんなに怖がらないでほしい。それらは少しもあなたを脅かすものではない。

 

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