06/12/13

Keith Haring « The Political Line » @ Musée d’art moderne, Paris/ キース•へリング

Keith Haring

The Political Line
19 Avril – 18 Août 2013
Musée d’Art Moderne de la ville de Paris
www.mam.paris.fr

Keith Haringは、1958年生れ、ニューヨークでストリートアートの先駆的アーティストとして活動した。コラボレーションしたアーティストには、Warhol、Lichtenstein、Rauschenbergという当時のニューヨークのポップアートの巨匠たちや、あるいはアウトサイダーアートのBasquiatらがいる。

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彼の名が知れ渡ったのは、1980年、ニューヨークのメトロ構内の広告掲示板を彼自身のキャンバスに作り変えてしまうことによって始まったサブウェイ•ドローイングによってである。シンプルで明快、アニメーションやバンド•デシネのようなコミカルなデッサンはメトロ利用者(通勤者)の目にとまり、注目を集めた。
ストリートアートは彼にとって、誰の目にも触れる、もっとも平凡だがもっとも強力なマスメディアとして、彼の掲げる政治的であったり人道的であったりする様々なスローガンのプロパガンダのため有効だったのである。
パリ市立近代美術館(MAM)での回顧展となる今回の展覧会では、Keith Haringの多岐に渡った制作と関心のなかでも、展覧会のタイトル通りポリティカルなメッセージに着目して構成された。

参考までに、MAMのKeith Haring展 »The Political Line »のチャプターを以下に記しておく。
⁃ The individual against the state
⁃ Capitalism
⁃ Works in the public space
⁃ Religion
⁃ Mass Media
⁃ Racism
⁃ Ecocide, nuclear threat, apocalypse
⁃ Last works : Sex, AIDS and death

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国家と個人の章において見られる作品にはしばしば、国民を搾取し脅かす存在としての「犬」が悪役として描かれる。Keith Haringは個人の自由が最大限尊重されることが理想国家の姿であるといわば盲目的に信じていた。ドローイングの中には、自由を主張して牢獄にいれられる人々、人々を痛めつけて苦しめる暴れ犬のほかにも、棒のようなものを持ち指導的立場にあるが実は国家に心を売ったロボットのような存在、そしてさらには、個性を失い無思慮のまま国家に追随する匿名的存在が登場する。

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彼の生きた1960年代ー80年代、大量消費社会と経済成長のまっただ中、多くの表現者が様々に彼らの視野を示したようにKeith Haringもまたこのテーマに惹かれた。あるいは、公共空間の広告掲示板を自らの作品発表の場とするアイディアはこの大量消費社会とマスメディアに扇動され、豊かな生活を求めて毎日メトロで通勤するサラリーマンや労働者たちの目に触れることが前提である。したがって、そのナイーブな理想に水を差すようなメッセージは、通勤者の目を楽しませる以上の意味を持つことになる。

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Keith Haringは伝統的カトリックの家に生まれ育ち、宗教が扇動した植民地支配の歴史や、現世の生活にそぐわない習慣の数々に反感を抱きながら生きてきた。そういったわけで彼の作品の中にしばしば現れる神の姿は、一人一人の人間を支配し、自由を奪い、牢獄に押し込める時代遅れなものとしてネガティブに描き出される。そして、人種差別主義、アパルトヘイトを批判し、「悪者」としての白人が黒人を奴隷化し、彼らを貧困に陥れたのだというストーリーを繰り返し描く。

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また、1988年、広島の原爆ドームを見学したKeith Haringは大きな衝撃を受け、 »We know that ‘humans’ determine the future of this planet. We have the power to destroy and create. »と述べて、非核のための活動を精力的に始める。そして、1980年代よりアメリカでその脅威をふるい始めたAIDSの存在は、1985年に発表された顔中に赤い斑点を伴った自画像「ポートレート」に見られるように、彼の作品に姿を現してくる。1988年、自身がHIVウイルスに感染したことを知り、その2年後ニューヨークでその短い生涯を閉じた。

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Keith Haring の作品はこうしてポリティカルな文脈で整理されてみると、当時のニューヨークのムードの中で、政治や民族や宗教の問題に取り組み、マスメディアの浸透をシニカルに捉え、非核や非エイズのためのメッセージを精力的に送り続けた、主題は多岐にわたるけれどもとても明解だと、あまりにスッキリ納得されてしまいそうである。しかし、それだけではなさそうだと、私には感じられる。最後に、彼のペイントにおいて私が気になっている二つのことについて記しておきたい。一つ目は、Keith Haringの表現におけるセックスの意味、二つ目は、彼の絵の中にしばしば見られる穴の空いた身体をもつ人の意味である。

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ホモセクシュアルであったKeith Haringにとって、性行為は必ずしもアニマルとして生を再生産する「生殖」の含意に留まらなかったと思われる。さきほどの国家と個人の衝突の章であげた、匿名者が犬を犯するデッサンをもう一度見てみたい。犬に挿入した人間は、犬のオーラを得て、さらに無個性な人民によって崇められるセックスを獲得している。あるいは別のドローイングでは、抵抗する個人を征服しようとする棒を持った牢屋の番人は、彼らを支配するため彼らを犯す。Keith Haringにとっての男性器は、ある意味で凶器のように野蛮なものであり、理解不能なものでもあり、しかしある事柄の手段となるような存在であったのではないだろうか。彼の絵に見られる男性器挿入の意味を考えることは、避けて通れないように思える。

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また、胴体の真ん中にぽっかりと空洞をもったキャラクターが頻出する。彼らは、怪我をしている様子もその穴によって苦しんでいる様子も全くなく、むしろ、その他の普通の人間よりも何かが吹っ切れた存在であるように描かれている。身体に穴が穴があいていること、その中を自由に空気や犬などが通り抜けていくことは、彼らにとってどのような意味をもつのか。Keith Haringの残した言葉によれば、初めてこのイメージの着想を得たのは1980年、ジョン•レノンが殺されたことを知った日見た夢の中にこのようなイメージが現れたのだそうだ。彼は、他の多くの作品がそうであるように、この作品にこれ以上の説明も与えておらず、タイトルも与えていない。あるいはまた、口から肛門(あるいは女性器)に棒が貫通したキャラクターもしばしば登場する。これもまた、「穴の空いた人」であり、そのような身体の描き出しに見られる人間の感覚といったものが、Keith Haringの作品全体に充満する、空虚なようでしかし決して耳を塞ぐことのできない不穏な通奏低音を奏でている気がしてならないのである。

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*本展覧会は、8月13日までMusée d’Art Moderne, Parisで開催されている。

06/12/13

Joan Jonas « Reanimation » @Galerie Yvon Lambert, Paris / ジョーン•ジョナス « Reanimation »

Joan Jonas

Reanimation
April 27-May31 2013,
Galerie Yvon Lambert, Paris

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Joan Jonasは1936年ニューヨークに生まれ、彫刻を学ぶ傍ら、現代詩および中国文化とギリシャ神話やその伝承に興味を持つ。コロンビア大学でファインアートの修士号を取得すると、60年代半ばより、Warhol、John Cage、Allan Kaprow、あるいはフルクサスのメンバーたちやBruce Naumanらが精力的に活動を繰り広げるニューヨークの前衛的なムードの中にジョナス自身も参入し、これらの新しい芸術から得た刺激が、彼女をパフォーマンス•アートへと導いた。

Joan Jonasはそれまで一貫してポップ•アートとミニマリズムにもっとも強い影響を受けてきたのだが、1970年代始めの作品ーMirror Piece (1971)ーにおいて、女性の身体を見たことのないような仕方で描き出すと同時に、空間と音の可能性を探るような実験的でコンセプチュアルな方法を模索する。あるいは同年に発表された最も重要な作品、Organic Honey’s Visual Telepathy(1971)では、表現のコンセプトをプロセスとて淡々と鑑賞者に見せることを徹底し、ミニマリズム的枠組から完全に脱出した。「女性によって演じられる女性イメージ」を探求するため、Joan Jonas自信が奇妙なドール風マスクをまとって、フィクションとしての別のパーソナリティーを演じる。親密さとナルシシズム、イデアとしての女性のジェスチャーやコスチューム、それらがときに主観的に、あるときは皮肉なまでに客観的に描き出される。Joan Jonasは、フェミニズムのアーティストとして、しばしば自らを見つめ、語りかけるようにして、女性のイメージ、身体とアイデンティティの問題に取り組み、ある一つの文化や社会の女性像を越えていくような新しく不思議なディメンションをもった女性像を表明している。彼女は、民族伝承や中国や日本などアジアの文化、あるいは神話や歴史など幅広いソースから得たインスピレーションを、ヴィデオ、デッサン、写真、オブジェクト、音楽、パフォーマンスという多様なメディアを組み合わせることによって作品として織り成す。
Joan Jonasのパフォーマンスについてはまた別の機会に改めて、他の作品にも言及しながらお話しすることにしたい。

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さて、今回Galerie Yvon Lambertで2013年4月より展示されたインスタレーション作品 « Reanimation 2 »(2012)は、実は昨年、六本木のギャラリー WAKO WORKS OF ARTにおいて2月から1ヶ月間に渡り展示会が行われたので、そちらでご覧になった方もいらっしゃるだろう。そもそも、この作品« Reanimation » は、2012年6月−9月のdOCUMENTA(13)(Kassel)のメイン会場の一つであるKarlsaue Parkで展示された。公園内に設置された木小屋は、dOCUMENTA(13)のキュレーターであるCarolyn Chritsov-Bakargiefの提案でアーティストに与えられたのだが、彼女はその小屋の窓をスクリーンとして作り直し、4面のスクリーンを通じてヴィデオ作品« Reanimation »(In a Meadow)ヴァージョンを創り出した。

photo by Nils Klinger (Hyperallergic)

photo by Nils Klinger (Hyperallergic)

この作品は、アイスランドの作家Hallfor Laxnessの小説« Under the Glacier’に着想を受けて2010年より制作が始められた。人間には触れえない絶対的な自然の姿や動物たちの命を描くLaxnessの小説と、しかしそのGlacierは今日の世界において溶け出し、地球全体に異変を及ぼしつつあるというJonasの想像力を混ぜ合わせ、その世界観を彼女の解釈によって再表象したものだ。

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dOCUMENTA(13)では、Glacierから二つのビデオ、もう一面にはFishのビデオを展示。残りの一面、最も大きなスクリーンには2012年に制作されたばかりの、Reanimation(2012)を展示した。氷と黒インクを使ったドローイング、氷は徐々に溶けていって黒インクはのばされながら、しかしどこまでのばされても決して透明にはならない。吊り下げられた無数のクリスタルがキラキラするフォトジェニックなスクラプチュアがアイスランドの秘境を彷彿とさせる。また、雪の粒というよりもむしろ氷の粒といえるほど透明な地面に黒インクで描き、そのインクが一瞬にしてその表面で冷たい粒と化すさまは、言語描写の限界を超えて、あまりにも美しい。

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Joan Jonasの展覧会を訪れる楽しみは、もちろん作品を前にパフォーマンスを伴っていれば彼女の身体のムーヴメントとヴィデオインスタレーションが生み出す生きた物語であるのは言うまでもない。純粋に展覧会について述べるなら、それは彼女のインスタレーションの空間に応じた様々な変化である。たとえば、Galerie Yvon Lambertでの展覧会« Reanimation 2 »と、dOCUMENTA(13)(Kassel)は、そのプレゼンテーションの仕方がまったくことなる。dOCUMENTAでは、鑑賞者は小屋の内側に入ることは出来ず、窓の外からスクリーンを覗き、さらにその家の中に展示されたデッサンやクリスタル彫刻を覗くことによって、極北の秘境を内側に向かってのぞき見する形をとっていたが、Galerie Yvon Lambertでは、鑑賞者はあたかも、物語の禁忌を犯すような大胆なシチュエーションに投げ出される。Laxnessの小説の内部、人間が足を踏み入れてはならない秘境にこっそり侵入し、本来見ることの出来ないはずの自然の営みや命の姿を盗み見る。そして、その大切なものが溶け出し、破壊されている様子すらも目の当たりにすることを強いられる。われわれは、温かく平和で、危険の無い「内側の世界」で、彼女が「外側の世界」のことを問いかけているのに耳を傾けるだろう。そして、その親密な語りは、我々の「内側」をとおりぬけて、それぞれの物語としてあつまり、やがて静かな音楽のように響き渡るだろう。

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*WAKO WORKS OF ARTのインスタレーションからGalerie Yvon Lambertでの展示を行うにあたり、Jonasは木枠と和紙で作ったスクリーンを利用し、日本の障子のような演出を施した。これは、より構造の内部にいるかのような鑑賞効果を高め、鑑賞者がダイレクトに映像に出会うためのアイディアである。

*dOCUMENTA(13) Reanimation (In a Meadow)
*WAKO WORKS OF ART Reanimation