04/28/14

驚くべきリアル / The Marvelous Real @東京都現代美術館

驚くべきリアル ー スペイン、ラテンアメリカの現代アート ーMUSACコレクション
THE MARVELOUS REAL@東京都現代美術館( http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/musac.html
2014年2月15日ー5月11日
* http://www.musac.es/# (MUSAC)

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東京都現代美術館で開催中の「驚くべきリアル」はカスティーリャ・イ・レオン現代美術館(MUSAC)のコレクションより、スペインとラテンアメリカ諸国の27人のアーティストの作品で構成される。MOTチーフキュレーターである長谷川裕子さんが企画した展覧会だ。この展覧会はずば抜けて面白いので、2014年5月11日まで開催されているので、東京に行かれることがあったらぜひともお薦めしたいのである。
本展覧会カタログによせた文章の冒頭で長谷川さんは、グレナダの詩人フェデリコ・ガルシアロルカFederico Garcia Lorca)の一節を引用している。

「スペインでは、他のどの国よりも死者が生き生きとしている。」(En España, los muertos están más vivos que en cualquier otro país del mundo.)

――∑(゚Д゚)アァ!?
マンガ的に反応すればこんな感じである。スペインでは他の国よりも死者が生き生きしている、死は生よりも活気をもっていると言われても、どうピンと来ていいか分からないだろう。確かにスペインという国は、歴史の中で独特のストーリーを紡いできた。宗教的なものの伝統は現代も生活の随所を支配し、彼らが経験した政治的問題は一目置かれるべきだ。1968年にこぞって「春」を経験したヨーロッパ諸国を横目に眺めながら、フランコ政権が倒れたのは実に1975年のことである。1939年に国家元首となったこの人は第二次世界大戦後の1946年から10年近くにわたって国際社会からスペインを孤立させ、75年に死ぬまで独裁を続けたのだ。スペインだけではない。この展覧会では、このようなスペインの影響を色濃く受け続けたラテンアメリカ諸国のアーティストの表現も目撃させてくれる。

さて、スペインでは生者より死者が生きている話に戻ろう。ガルシア・ロルカのこの命題への違和感は実は、生きているスペイン人がそもそも元気すぎるという一つのイメージに端を発する。彼らは高速・多忙な現代社会にあっても、シエスタの伝統を貫き、朝早く起きてまでお昼寝を確保し、夜な夜な夕食をとったあげく夜更かしをし、熱い夏は更に夜行性になり、情熱的なフラメンコを踊る女を口説くギターのうますぎる男と、赤ワインは果てしなく濃厚で、だからこそそのサングリアは最高…。彼らの突き抜ける明るさはしかし、彼らの奏でる音楽を耳にし、暗い色彩で塗り籠められた彼らの絵画を目にした瞬間、深い心配に変わる。彼らの救いようのない悲哀、絶望的な現世への嘆きのようなもの、そんなものを彼らは現世に存在する我々が決して手の届かない存在に語りかける。あるいは、死者が彼らに語りかけているのかもしれない。我々が生きている世界では、通常明確に隔絶していると信じられている二つのものの境目が曖昧になることがある。例えば生ける者の世界と、死せる者の世界の往来がそれだ。スペインの生ける者たちが見せる表現においては、それらが行き交い、その軌跡を時々可視化しながら、本当はそこに境界が存在しないことを向こう側の世界の声を介して我々に語りかける。

ガルシア•ロルカは38歳のとき1936年フランコ軍に銃殺された。
En España, los muertos están más vivos que en cualquier otro país del mundo.
死んでいることと生きていることの間が溶解する。
生と死に支配されない彼らは、強い。

 

前置きが長くなってしまったので、早速作品を見ていこう。

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Lara Almarcegui ララ・アルマルセーギの《穴掘り》(1988年)は、アムステルダムの空き地で毎日穴を掘り続ける様子を写真によって記録した作品である。ララ・アルマルセーギは、1972年スペインに生まれ、ロッテルダムで制作するアーティストだ。昨年は第55回ヴェネチア・ビエンナーレに参加し、スペイン館にて大量の石が部屋からこぼれ出ている未曾有のインスタレーション《廃墟》(Ruins)を発表し、鑑賞者を困惑させた。ストイックだがラディカルな方法はなるほど、ゴードン・マッタ=クラークの影響を彷彿とさせる。穴掘りで見られる見捨てられた/日常見向きもされない場所を人目に晒しだす手法は彼の一貫したテーマとして引き継がれる。

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Sergio Belinchon セルヒオ・ベリンチョンの《なだれ込む》(2007年)は、三枚のスクリーンが夜明け前の薄暗い森の中で行われる怪しげな出来事の始終を映し出すヴィデオ・インスタレーションである。静寂の森にふと我々と同じような普通の衣服を着て、子どもであったり老人であったり若者である人々が群れになって疾走している。それだけの人の群れが全速力で走り抜けているというだけで異常さに目が釘付けになるのだが、彼らの幾人かはハシゴのような物を抱えていて、こちら側と向こう側を仕切り分けるフェンスを力づくで乗り越えていく。Sergio Belinchonはヴァレンシア生れ、現在はベルリンで制作を行い、見つめるとハッとするような写真作品を発表してきている。柵を飛び越えてその向こう側へ行くというイベントは、具体的現実としての移民問題や差別問題を越えて人々の潜在的欲望を可視化するような試みにすら思える。

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Joan Fontcuberta ジョアン・フォンクベルタの表現は驚きに満ちていて、その物語の虚構性やアーティストの目論みは厳しく批判的である。ついこの間パリのヨーロッパ写真美術館ではジョアン・フォンクベルタの回顧展として、メディアや科学の信憑性を問うたFaunaシリーズに加え、彼がキュレータを務めた「スプートニク」展も部分的に再現された。フォンクベルタの表現に関しては、Faunaシリーズを再考することは必ず価値があるだろう。さて、作品《移民》(2005年)は、2003年にジブラルタル海峡近くの浜辺で殺された二人の移民の写真を一万枚のイメージで再構成した作品である。

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1962年生れの女性写真家、Carmela Garcia カルメラ・ガルシアによる《無題》(2002年)は、三部作オフィーリアシリーズ(http://www.carmelagarcia.com/ofelias-3)の内のワンシーンである。オフィーリアは言うまでもなく、シェークスピアの《ハムレット》に登場するハムレットの恋人の美少女で、父ポローニアスを殺害されたのち、正気を失って両手いっぱいの花を抱え、野原を彷徨うようになり、ついに川で溺れて死んでしまう。オフィーリアは身を投げたのか、それとも足を滑らせて溺れ死んだのか? カルメラ・ガルシアの想像力は、そんな月並みな終着点を持たず、さらに問いかける。オフィーリアが水の中でもし突如正気に戻って、やはり生きるために世界に戻ってきたら? ハムレットなんかもはやどうでも良く、父も死んだがそれでも生きるために戻ってきたとしたら? 人は生きることを決められる。その逆も然り。世界はこのようにある。いや、それは結果としてオフィーリアが溺れ死んだとしても同じことなのだ。

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Anthony Goicolea アンソニー•ゴイコレアのショート•フィルム作品《両生類》(2002年, Amphibians : video here)にはドキモを抜かれる。赤ずきん風マントを被った男が、原っぱから森の中へ駆け抜けている。虫の羽音に混じって苦しそうな呼吸が響く。彼らは次第に集まって、木の幹に足を取られて時々転びながら、起き上がり、再び駆け、ついには水辺を発見する。いっせいに水の中を泳ぎ回り、そこではもう赤ずきんマントや重々しいブーツは不要となり、彼らは身一つでやっと地上の息苦しさから解放されたという風に、水の中で生命を取り戻す。彼らの泳ぎは魚達のそれよりずっと醜く不効率で、彼らの四肢は水を掻くには脆弱すぎる。それでも彼らは喜びきらめき、境目を越境することに成功する。

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《彼を内に守る山》(1989年)は1993年に36歳の若さで夭折したLeonilson レオニルソンが残した、心に残る一枚の絵である。サンパウロで学んだ画家は、政治的・社会的弾圧や差別に対する個人の生のあり方を見つめる作品を発表した。彼は同性愛者であったが、91年にエイズ感染が発覚してその二年後に亡くなった。

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Enrique Marty エンリケ・マルティの大作《家族》(1999年)は、それがリアリズムを越えたある主の強調であり、フィクションの要素を含むと理解した上でなお恐ろしい。それは確かに強調でありながら、同時に依然として現実を描いているためだ。本作品は、スナップ風の家族写真群である。よく見ると、女の顔は狂気に満ちていて、赤ん坊を可愛がる大人達はその性器に何かしている。あどけない少女は顔から出血しており、鼻は奇形化し、のどかな午後を思わせるワンシーンでは男が発狂し、病院のベッドに横たわる女の表情は既に死者が混じっている。これらがスナップ写真の「いたずら」で終わらずに、繰り返し我々の脳裏に蘇って来るのはなぜだろう。それは実は我々にとって全て、ある意味での既視イメージだからなのである。それを否定しても、受け入れても、我々はこのことを知っているのだ。

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Marina Nunez マリナ・ヌニェスの《モンスター》シリーズ(1998年)では、こちらを見つめる女の身体の一部がロボットやアンドロイドのボディの一部のように変容している。そしてそのストーリーの続きは、この異変はやがて女の身体全体を蝕んで、彼女をモンスターに変えてしまうことを約束しているのだ。映画《もののけ姫》でアシタカの身体を蝕む自然界からの呪いとは異なり、彼女らの異変は、彼女らが社会の中で抑圧された苦しみに由来する内的なものであるように見える。だからこそ彼女らはそれを受け入れて共にあるのだろうか。

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Javier Tellez ハビエル・テジェスが精神衛生施設のメンバーとのコラボレーションで実現した《保安官オイディプス》(2006年)は、想像力の天井をぶちぬいている。基本的に、ソポクレスのおなじみのギリシャ悲劇オイディプスを基礎としてストーリーが展開されるこの作品では、統合失調症のオイディプスは始終能面を付けて役を演じる。行く先のない、逃げ道のない、この古代悲劇を取り上げることに何の意味があるのだろう。鑑賞者は、能面を身につけているにもかかわらず構わず演じられる残酷なシーン、オイディプスが目をえぐるクライマックスシーンなどにまゆをひそめる。だが、物語は思いもよらず崩壊を向かえる。オイディプスは能面を外し、窒息するはずであった小さな世界の壁紙を破って、清々しく深呼吸し、物語を終えるのだ。何を悩んでいたんだろう? とでも言わんばかりに。

展覧会は5月11日まで。東京都現代美術館にて開催中である。

04/27/14

ガブリエル・アセベド・ベラルデ《舞台》/ Gabriel Acevedo Velarde, « Escenario »

世界の秘密を知ってしまったような、ーそれも、けっして知るべきではなかった類いの、そうでありながら、確認などする前からおよそ明らかであった類いのー、ばつの悪い瞬間だった。一人でそれを眺めていても十分に「良心の呵責」たるものを感じ得るのに、こともあろうにそこは東京の六本木の美術館の開かれた一室で、そこにはイノセントな子どもはもちろんさらにナイーブな大人すら出入りし、スクリーンに目をやって、そこには短い行為が反復されていることを認めると納得したようにその空間を去って行く。

《舞台》(Escenario, 2004)と題された映像作品は、ペルーのリマ出身のガブリエル・アセベド・ベラルデ(Gabriel Acevedo Velarde)の作品である。ガブリエル・アセベド・ベラルデは1976年生まれ、これまでビデオ作品を始め、ドローイングやインスタレーションを手がけているが、2011年にフランスのリヨン・ビエンナーレに本映像作品《舞台》を発表し、国際的な評価を受けたのである。

《舞台》は奇妙な作品である。
本作品は、六本木の森美術館の展示室において2014年5月6日までご覧いただけるが、こちらの一応こちらのウェブリンクも紹介しておく。3分程度のショート•アニメーション作品である。
video here 

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何が起こっているのだろうか?
このステージで繰り広げられるシナリオはいったい、何を意味しているのだろうか?

ガブリエル・アセベド・ベラルデは、そのドローイングやビデオ作品において、個人の人間と公的なるもの(大きな組織や集団)が、明確な衝突に至らずにそれが一見日常的で平和的状況のなかで対峙する場面においてうごめいている「なにか」を可視化しようとする。

作品《舞台》では、無個性の個人が観衆となって一つのステージの前にひしめく。登場人物はおよそ、それら無個性の個人と、彼らを選別し、整列させ、「舞台」に連れてゆき、光線を当てる、彼らがつよい光線によって変性したのちに集団にもどす一連の働きをする役人たちがいる。役人たちは、無個性の個人たちよりも体格がよく、身長も大きい。言って見れば、選別されるべき個人は半ズボンを履いた子どもで、役人は小学校の先生のようである。子どもは舞台に連れ出され、大砲のような装置で強烈な光と音を浴びて倒れてしまう。一見暴力的なシーンに思われるが、次の瞬間観客はその悪い予感を拭い取られ、安心する。なぜなら、倒れた子どもは役人に抱きかかえられた後にすぐに自力で歩いて集団にもどり、他の子どもと元気にステージを鑑賞しはじめるのだ。表面上、誰も傷つかず、何も壊れず、そのムーブメントはひたすらに繰り返され、私たちは鳴り響く光線大砲の音とその強烈な光の断続の中に、映像の物語を追う動機を見失うだろう。

だが私たちは全てを見せられている。

光線大砲で気絶させられるのは、世界が見えるようになってしまった子どもたちなのだ。無個性な個人は、時間が経つに連れて目を開き、見てはならないものを目にしてしまう。見てはならないものを見ることは、役人の意図に反するばかりか、個人の身を脅かす危険すらある。だから、個人は逃げたりしない。無意味に長い整列の道筋に列をつくり、黙って並び、審判を待つ。光線大砲を受けることになれば、覚悟はできているというふうにまっすぐにステージに登って、もう一度盲目となる。溢れる光の中に全てはホワイトアウトし、これでもう、世界の秘密を目撃せずにすむ。これでもう、集団から切り離されてひとりぼっちにならなくて良い。見えないことは幸せとなり、彼らはもういちど、見ることを奪われることによって自由を得た集団の中に身をうずめる。しかしその幸せも長くは続かない。光線大砲の魔法は少しずつ溶けてゆき、そこでは世界はたちまち不穏なものとなってしまう。そのことをだれかに密告される前に、自己申告し、整列するべきなのだ。もういちど盲目になるために。

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世界の秘密は見えてはならない。それは見えることによって、脆弱な個人を脅かすだろう。
大きく見える役人も、自分の目をしっかりと守っている。彼らはそれがあることを知りながら常に瞼を半分下ろし、そちらに目をやらないことによって、自分自身が存続する世界を守っていると信じ込んでいるのだ。

盲目となることによって、あるいはまた、見てみない振りをすることによって束の間の幸せを享受する個人たちは、共通した思い込みがある。

それは、その世界を囲む塀はとうてい超えられないほど高く、高く、彼らを閉じ込めていて、そこからは出られないのだ、だから、そこにいて、繰り返しながら、従うのだ。

ガブリエル・アセベド・ベラルデはこのことに対し、明確な異論を唱えている。
彼らの小さなステージと、慎ましいコミュニティを囲む柵はたとえようなくお粗末で、その外側には言うまでもなくずっとひろい外側の世界が広がっており、簡単に飛び越えられる、ということを。

主催: 森美術館
企画: 荒木夏実(森美術館キュレーター)
会場: 森美術館 六本木ヒルズ森タワー53階
http://www.mori.art.museum/contents/mamproject/project020/

04/27/14

パラ人 PARAZINE, 京都国際現代芸術祭 PARASOPHIAを盛り上げるヨ

きたーーーーー。

パラ人 PARAZINE  が 届いた!

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えっ?

 

この表紙、見るとビックリしませんか。ビックリするのわたしだけ?じゃないはず。

 

驚きのレイアウト、驚きの色彩、驚きのデザイン。

驚きは続く。

 

こんなにふんわししたデザインなのに、こんなにパステルな色使いなのに、巻頭の(この手のフリーペーパーのデザインに、巻頭というものがあるのかどうか知らないが)吉岡洋さんのお言葉は「歩き出した〈パラ人〉」と書いてある。怖すぎるじゃないか。いったい、誰なんだ、歩き出したパラ人って!そして、表紙と裏表紙ページの背景を支配している、ブレインストーミング・メモの形跡も、とても怪しい。天才科学者とか、神の声を聞いた予言者とかが、トランスミッションした筆跡みたいである。

 

眺め続けても仕方ないので、とりあえず開いてみる。何枚かあるので、驚きすぎないように、一枚だけピラッとめくってみる。

 

やっぱり貫かれたこの、気の抜ける水色、カッコつけないニュートラルなフォント、で、PARA – WHAT  ? ? って書いてある。書いてあるぞー。目を凝らすと、「パラソフィアに、悩む。」って書いてある。

 

あっ、そもそも、パラソフィアっていうのは、京都国際現代芸術祭 PARASOPHIA(2015年3月7日~5月10日に京都で開催されるアートの祭典)のことで、芸術祭組織委員会、京都府、京都市が主催して、河本信治さんがアーティスティック・ディレクターを務めているプロジェクトのことなのですが、最近参加アーティストも第一弾が発表されましたね。

 

蔡國強(ツァイ・グオチャン)

ヘフナー/ザックス(Hoefner/Sachs)

石橋義正(いしばし よしまさ)

ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist)

ウィリアム・ケントリッジ(William Kentridge)

スーザン・フィリップス(Susan Philipsz)

ドミニク・ゴンザレス=フォルステル(Dominique Gonzalez-Foerster)

やなぎみわ(やなぎ みわ)

参考ウェブサイト: http://www.parasophia.jp/news/

 

それで、そうそう、パラ人ですが、パラ人は2003年に「高速スローネス」をテーマに開催された京都ビエンナーレのアーティスティック・ディレクターを務めた吉岡洋さんが編集長となって、PARASOPHIAを盛り上げるための刊行物を2015年の3月まで、ボランティアの学生たちといっしょに発行しつづけるというプロジェクトなのですね。

 

そういうわけで、パラ人、は実はPARAZINEなのですよ。

 

しかし、彼らは悩みに悩み、悩み過ぎて、PARAZINEの特集が PARA – WHAT  ? ?  なる主題になってしまったのです。しかし、彼らの悩みは、それを読むだれかの悩み。彼らの議論は、それを受け取る誰かの解決を示す。彼らの対話は、それが届かないほど遠くにいる誰かの思考と繋がって、歩き始めたパラ人は、もっともっと、世界中に繁茂する植物のように、増えるのです。繋がって、大きくなる。

 

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私はここにエッセイを書いています。

PARASOPHIA AU MONDEっていうエッセイです。京都にいなくても、パラ人のエスプリを共有できるのか? 読んでみてのお楽しみということで。

 

パラ人は、京都を出発し、現在日本各地、世界各地に広がっています。

欲しい人! ぜひぜひ読んでください。 手に入れられるはずです。

どこにアクセスすればいいんですか?

すいません、わかり次第ここに載せます。

私にご連絡くださってももちろんオッケーです。

 

とりあえず、パラ人のことがもっともっとよくわかるインタビューをご紹介します。

http://www.ameet.jp/feature/feature_20140401/

それから、ニッシャ印刷文化振興財団さまから助成してもらえることが決まったころの記事!

http://www.parasophia.jp/contents/news/2014/03/08/763/

数日のうちに、ゲット方法も掲載するので、お見逃しなくです。

ぜひ5冊ぜんぶ集めてくださいね! ワクワク。

 

 

04/13/14

ミヒャエル ボレマンス:アドバンテージ ー 生きることの潜在的なかたち/ Michaël Borremans : The Advantage @Hara Museum

ミヒャエル・ボレマンス:アドバンテージ
Michaël Borremans : The Advantage

2014年1月11日(土) - 3月30日(日)
原美術館

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東京品川の原美術館で開催されているミヒャエル・ボレマンスの展示をどうにか間に合って見に行くことができたのは幸運である。東京滞在が短かったので実はちょっと迷っていた。むしろ、殆ど行けない様子であった…が、東京在住の友人が薦めてくれたことに感謝している。決して作品数の多くないボレマンスの絵画を集合的に見たのは初めてだったし、部分的印象でしかなかったボレマンスの世界観の奇妙さというものが、言ってみれば理解可能な奇妙さとして立ち現れてくれたような気がする。そのことは、気持ちの良いことだ。

さて、ミヒャエル・ボレマンスは、1963年生れ、ブリュッセルのアートカレッジで学び、現在ゲントで制作をしている。彼が1990年代半ばを機にこれまでの写真家としての活動から歴史的絵画の手法を組み入れた油彩に転向したことは知られている。彼がその伝統的な手法を模倣し、彼の画法に統一的で繊細な印象を与えているのは、ベラスケスやマネ、ドガの世界観であり、奇妙さと不穏なオーラを醸し出させているのは、なるほどシュールレアリスム的主題に似ているものである。ボレマンスは一般的にこのような二つの要素で語られるが、それがなぜあたかも語り得ないような不気味なものとして、あまりにもデリケートに説明されるのかは一度正面から考えてみなければならない。

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たしかに、ボレマンスの絵画は深く物語的である。彼の絵画の中に登場するモチーフは、幾つかの典型的なものを挙げることができるのだが、たとえば、今回の原美術館での展覧会「アドバンテージ」の扉を飾っている作品「Mombakkes II」(2007年, 36 x 30 cm、カンヴァスに油彩)では、白い衣服を纏い、横分けの髪を撫で付けたような一人の人物の表情の奇妙さに目を奪われる。男性とも女性とも見えるこの人物の顔はあたかもピエロのそれのように、強すぎる眉と青いアイシャドウ、艶やかでこぼれそうな頬と真っ赤な口紅に彩られているが、その表面はところどころが光を反射し過ぎており、視線を全体にすべらせるうちに、この鮮やかな顔は作り物であるということが明らかになる。撫で付けられた髪の額と生え際を見てみればそれは、透明な膜のような材質のマスクであることに気づく。そう、ボレマンスの作品には、この透明なマスクの要素、そして、シュルレアルである半透明性による層の重ね合わせと透視が頻繁に顔を見せる。当「Mombakkes II」の脱ぎ捨てられたマスクもボレマンスは描いている。その偽の皮膚は、人間の顔を覆ったときにはこぼれるほどの笑顔を見せたにも関わらず、脱ぎ捨てられて輪郭を失った今、もうちっとも楽しそうではない。マスクは言うまでもなく、覆われた顔の本当の表情を包み隠すのであり、そのことが象徴的に表現するメッセージを現代性へと結びつけるのは容易だ。

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また、先ほど述べた、シュルレアルな半透明性は、世界のレイヤーの重層性を描くような、つまり、有り得たはずの物語と実際に行われた行為の間を我々に想起させる。それは、常に様々な可能性の中から、一つの世界が分岐していくのだが、それは一つが残されて他が消えてしまうという方法ではなく、全てを置き去りに無数に分岐しながら、我々はいまここにあることしか知り得ないという運命を認識させる。あるいは、現在ある世界がそのように見えており我々はそのあり方を目にしているのだが、それが過去や未来において「リアルに」このようではなかったのだという誰一人知らなかったことを暴露する。彼の作品にしばしば見られる、透明な身体や透き通った人物と別の存在の重なりは、このようなインスピレーションに関わる。そして、さらには肉体の一部を欠いたり、テーブルの上に上半身や腰上だけ存在するように描かれた人物像たちもまた、可能な一つの現れ方を提示している。

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劇場としての社会や人間の生を描き出すような試みはボレマンスの作品に連続してみられる。箱のような空間に並べられた人間とそれを見物する存在。その二者は通常何らかの方法で描き分けられていて、例えば巨人と小人、囚われた人間と自由な人間、オブジェ化された存在と権力を誇示する存在など、明確に描き分けられている。今回の展覧会「アドバンテージ」でも公開されたビデオ作品 »The German »(2004-2007)などはその構造はさらに拡張されていて、つまり、画面に大きすぎて写りきらないドイツ人の身振りが映し出される様子を箱の中の鑑賞者が眺めており、その様子を見られるドイツ人と対面するように我々が見つめることになる。

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最近東京で訪れた東京都現代美術館での「驚くべきリアル」展でご覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、スナップショット風のコレクティブな絵画の作品である『家族』(The familly, 1999)でエルティ・マルティは、一見すると日常的な家族団らんの一コマや何の変哲もない日々の生活の中に浮かび上がる狂気のようなものを描き出した。私はこの作品はとても面白く或る意味でポジティブに感じたのだが、ボレマンスのそのシュルレアルで不穏な感じというのも、実はそれほど暗闇の中に不可思議なものでもないのではないか、という直観を持っている。なるほど、繰り返される身振りや、非社会的な儀式的なもの、空間や時間の常識に逆らい、それを破壊するようなもの、それらはボレマンスの人間を見る視線を、しばしばフラグメントとして、また或るときはもっと全体的に媒介する。だがそれもまた、一つの実験的な行為であり、描くことはその世界に形を与え、外側にいる私たちをそれを結びつける。ちょうど、箱の中のスクリーンを眺める小人を私たちが目撃し、その時間を共有するかのように。

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コード化された儀式はしばしば意味を失うが、実は、個体の行為や営みにも意味はない。ボレマンスの絵画は、生きることの潜在的な形が、物語る人が言葉を途中でぴたりととめながら、またとめては続くように語られ、とても興味深い。

04/8/14

The Act of FLIRTING, Stephanie Comilang / フラーティング, ステファニー・コミラン @京都芸術センター

The Act of FLIRTING
Stephanie Comilang
2014年3月15日 (土) – 2014年4月6日 (日)、京都芸術センター

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京都芸術センターでつい数日前まで展示されていた映像作品「The Act of FLIRTING」を二回見た。「KACアーティスト・イン・レジデンス・プログラム」という若手アーティストや研究者に向けたプログラムで選出されたトロント出身のアーティストStephanie Comilangによる3ヶ月にわたるレジデンス滞在の集大成としての作品である。アーティストは、タイトルにもあるように「flirting」という行為をひとつの手がかりとして選び、この言葉の意味するところやこの行為が日本的な文脈でどのように受け取られ、実践されているのかに光を当てようとした。

芸術センターのサイトには次のようにある。
「flirting」(気になる相手の気をひく方法)をキーワードに、京都での滞在中にさまざまなリサーチを行いました。本展では、それらのリサーチを基に制作した映像作品を発表します。そこには、少しずつ日本と外国の文化や感覚の違いを理解しながら、彼女自身の肌で感じ取った「日本」が描かれています。この作品との出会いによって、人と人との距離感や人間関係を築いていく過程などにまつわる、私 たちが普段は特に気に留めることのないような日本人特有の感覚や意識について、改めて考えさせられることになるでしょう。(引用:https://www.kac.or.jp/events/11103/

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彼女がリサーチを始めたきっかけは、日本語にはフラーティングという言葉にピタリと該当する表現が見つからないという気づきであり、そこから、気になる相手の気を引くときの態度が、日本と西欧では異なるのではないかと予想したことにあるようだ。これは恋人や好きな人の気を引くだけでなく、子どもが親の気を引く、友だちの気を引く、といった広義のフラーティングを含める。その問題意識から、インタビューに出演する、年齢や仕事の異なる日本人に、フラーティングの方法とフラーティングされたことについて質問し、彼らが語ったことを映し出して行く。シナリオの中心に置かれるのは、祇園で舞妓の格好をしてホステスとして働いているという一人の若い女性で、彼女がどのようにお客さんに接し、お客さんの欲するサービスを提供するか、対人関係の中でどのように自分を演出するか、といったことを語りながら、「仕草」「勘違い」「話を聞いて、するべき反応をしてあげる」といったキーワードを散りばめる。そして、ホステスという仕事において期待される典型的なやり取りを演じてみせる。

フラーティングに関わらず、翻訳不可能であったり翻訳することによってニュアンスが変わってしまう言葉などハッキリ言って数えきれない。その発見は何も新しくなく、言うまでもないことであり、その点でこの作品がアイディアとして優れているとは思わない。さらに、インタビューされて語られることの多くは、言い古されたことや誰もがうなづくであろうこと、あるいは、聞き飽きている故につい反論してしまいたくなるようなことである。日本人と西洋人の人間関係の距離感が異なるというのも何ら斬新な気づきではないし、我々日本人にとっては耳にタコができるほど(?)語り尽くされた「日本人論」の外側にでることのないパロールではないだろうか?

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ではなぜこの作品を二回見てしまうのか? いや、実は一人で二回見て、そのあと別の日に一回見たので、全部で三回も見たことになる。シナリオもセリフの一部もリフレインできそうだ。とりわけ、この偽の舞妓ホステスがガラリと広い畳の間で蛍光灯を真っ白に浴びながら歌う一曲の歌は節回しや音程が微妙に低かった瞬間まで克明に覚えている。つまり、この映像はともあれ私を魅了した。言ってみればこの作品をフラーティングの解釈と日本文化におけるあり方として見ることに、私はさほど興味を持たなかったのだが、むしろ、そのように予定して構成されたシナリオと偽舞妓ホステスの証言と演技が、他者との会話に我々が見いだす欲望たるものを鮮やかに描き出す様に魅了されたのだと思う。我々は日々他者と言葉を交わしながら生きている。それも、様々な方法で。言葉を発するに至らない何かであることすらある。ホステスの言い放つ「聞いてあげる」「驚いてあげる」「笑ってあげる」、「ーしてあげる」という言い方に込められたニュアンスや、その実践を演じてみせる様。それらは分かりやすいように強調されているけれども、つまりは私たちの他者との交わりに等しいのである。そしてそれは「空気を読む」「まわりとの関係で自分のキャラクターを作る」など、いわゆる日本人的な特色を規定する言葉が添えられるが、本質的には、どんな異なる二つの個体の接触にも関わる作業の断片であるように思える。この作品の面白かった所は実は、日本文化と西洋文化の比較でもそのいずれの特殊化でもなく、逆説的にそこに見え隠れした変わらないものの存在である。

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04/8/14

彫刻家 井上佑吉, Yukichi INOUE, Sculpteur « Mille et une têtes »

彫刻家 井上佑吉, Yukichi INOUE, Sculpteur

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Yukichi INOUEさんは、1966年よりEcole Nationale supérieure des Beaux-Arts de Parisで学び、その後50年近くフランスで彫刻作品を制作しておられる。
私が生まれるよりもずっとずっとまえだ。私は1966年がどんな時代だったかを知らないし、1966年に彫刻を学ぶためにフランスに渡るということがどういうことかも知り得ない。彼がフランスにわたった1966年、パリには今よりもずっと少ない日本人が滞在しており、さらにパリ以外の地となると、もはや、日本人のコミュニティとはかけ離れた場所で完全なる移民として生活を送ることを意味するのだろう。彼は、アトリエのあるElancourtの街や、その近隣の街を拠点に多くの発表をしている。

HP ウェブサイト : http://milleetunetetes.com/yukichi-inoue

プロジェクト「沖縄の石」は、沖縄からやってきた何トンにもおよぶ彫刻作品だ。2005年、南城市玉城字堀川の武村石材建設で制作を行い、それらは船でフランスに運ばれ、Mille et une têtes として作品化されたものだ。作品タイトルMille et Une Tête s「1001人の顔」。集合としての1001体に及ぶ沖縄の石から削られた彫刻は一人一人異なる存在を表す結果になっている。1001体の彫刻、そして一体一体が少しずつ異なるといえば、人の背の高さほどの木造千手観音像がずらりと安置されている蓮華王院本堂三十三間堂のことを思い出すだろう。ちなみに蓮華王院本堂三十三間堂の観音像は殆どが鎌倉復興期に制作され、平安期の像も含む。さらに数体は国内の博物館に寄託され、異なる時代の異なる作者(しばしば作者不詳)による観音像の集合なのである。それは、似たような外観として同じ空間に長い年月安置されているが、いつしかはその場所からいなくなるかもしれないし、観音像として彫りだされる以前、彼らは異なる時代異なる場所に行きた木であっただろう。彼らの細胞は我々の知らない陽の光を浴びて成長し、我々の身も知らぬ空に向かって幹をのばし、そして今日、この場所に再発見されるのだ。

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Yukichi INOUEさんがマチエールとしての「石」について語ることは興味深い。彫刻家として、石だけでなく、もちろん様々な物質を作品の材料として彫りだしてきた彼は、その中でも石が内包することのできる時間の層の壮大さに強く惹かれる。石は、その中に、記憶を堆積する。それは、土の記憶であり、水の記憶であり、その中に生きとし生けるもの全ての記憶である。さらには、そこを吹き抜けた風のことや音のこと、匂いのことすらも含む。石を削るとき、石を切り出すとき、石に穴をあけ、石を象るとき、その壊された表面に次に現れるのは、まったく異なる時間の、まったく異なる場所の記憶かもしれない。そうやって現れる見知らぬ表面と出会うことがアーティストは好きなのだ。

展覧会を見学している最中、小さな子どもが何人も訪れていて、アーティストは彼らに幾つかのことを説明した。象られた顔の、小さな部分に現れた過去の生き物の姿、葉っぱの葉脈、閉じ込められながら突如晒されることになった貝殻、あるいは貝殻の跡。石の中に閉じ込められていた記憶が、パリンとその上に或る一層が剥がされた瞬間に、そこに現れる。それらはいつか水の中にあったり、早く泳いだり物を食したりして生きており、あるいは隣の欠片と出会いもしないほど遠くに存在していた。そんなものが、いま目の前にある。1001人の顔として。子ども達は、示された貝殻の跡やエビのような生き物、植物の欠片を好奇心に満ちた目で追う。

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なぜ、沖縄の石を?

Yukichi INOUEさんは1942年生れ、彼の父親は第二次世界大戦の終戦間近44年に徴兵され、45年沖縄戦で戦死した。沖縄で亡くなったことは分かっているが、それ以上詳しいことは分からないそうだ。2005年、戦後60年の戦没者追悼式に参列した年、アーティストはそれまでむしろ距離をとっていた「沖縄の石」を彫ることを決める。
石は、そこで起こったどんな出来事もその表面に纏った。それがどんなに昔や最近の出来事で、人間の起こした悲惨な出来事で、長く続くことや束の間のことであっても、耳を澄ませて聴いていた。

Yukichi INOUEさんは 彼の死んだ父親の記憶に出会うように沖縄の石を彫る。ただし、そこに聴かれる対話は、彼と彼の父の間にとどまらない。それはいま、フランスの子ども達に石の記憶を語り、それを目にするこの地の人々や現代の人々の記憶の中に入って、遠くにやって来たのであり、もっともっと遠くまで広がって行くだろう。1001人の顔は、重ねられた世界の時間と生き物の記憶を乗せて、地球のテレパシーのような存在になったのだと、私には感じられる。

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受賞歴:
Prix Susse fondeur au Salon de la Jeune Sculpture, à Paris.
Premier prix à la Biennale de sculpture Contemporaine de Bressuire, à Deux Sèvres.
Prix de la Fondation de Coubertin au Salon de Mai, à Paris en 2001 et 2011.
Prix de la fondation Pierre Gianadda de l’Académie des beaux Arts

04/8/14

「とりいそぎ」について, Expression « Toriisogi »

「とりいそぎ」について

「とりいそぎ」という言葉が嫌いだ。

いや、ちょっと待てよ。ある物事について突如「嫌いだ」なんて書き出す記事にろくな文章がない。好きとか嫌いというのはそもそも書き手の関心にあまりに密着した言い方であって、つまりその後に続くのが、書き手の言いたい放題・書きたい放題ですよ、ということを瞬時に明らかにする、なんとも魅力のない言い方なのだ。筆者の語彙のなさを暴露するような、むしろ恥ずかしい書き出しではないか。それならば、こう言ってみよう。

「とりいそぎ」という言葉はよくない。

このほうがいい。昔学校の先生で、作文を否定形で書くのをやめなさいという人がいた。あるいは、文句を言い人を否定するのは簡単だが、じゃあどうしたらいいか解決策を言って見なさい!なんて教育的な人もいた。あるいはまた、ネガティブは何の役にも立たないのだから、人生常にポジティブに考えなさい!なんて理想主義者もいた。数々の箴言は、それぞれがある文脈において最大限の価値を発揮することを謹んで受け入れた上で、それでも、よいものはよく、よくないものはよくない。そのこともまた本当である。

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「とりいそぎ」という言葉は、家族や恋人、友だちとの間では殆ど使われない。当たり前である。べつに、とりいそぐ必要がないからである。あるいは、とりいそぐ意味もないからだ。「とりいそぎ」という言葉は、文字通り、ある事柄についてだけとりあえずいそいでお返事いたします、とか、他にも色々あるのですがいま時間がないのでとにかく「はい/いいえ」だけ急いでお伝えします、などをひらがな五字の簡潔な表現で置き換えることのできる便利な表現だ。そして、社会生活の中で、つまり仕事における連絡のなかで慣習的に利用されているために、ひょっとしたら違和感なく、礼を欠くことないビジネス表現として、好まれて用いられているのかもしれない。

ことばというのは往々にして、使用される中で慣用的な言葉になるので、「とりいそぎ」という言葉の「取り急ぐ」という意味に戻って、何やら今日的な言葉の使用を批判したいという気はまったくない。言葉というのはそういうものだ。しかしながら、「とりいそぎ」と言ったときには前提として、とりあえず何かをすぐに伝えるけれども他にも何か補うことがある、という含みや、とりあえず急いでイエス・ノーの返答だけするけれどもあとで詳しく連絡をする、などのニュアンスを持っているのは否定できない。この言葉の今日的使用が気持ち悪いのは、その「とりいそぎ」の後にくるべきものが決して補われることなく、補われないことを前提に、それでも「とりいそが」なければならないという状況に人々が置かれているという事実に由来する。先にも述べたように、家族や恋人の間で、とりいそぎ、は必要ない。あまりに仕事的語録に訓練されすぎた人はひょっとしたら家族への連絡でも「わかりました、とりいそぎ」なんてメッセージを書くのかもしれないが、まあ驚きに値する。所詮とりあえずの内容にすぎない、不完全な返事であるにもかかわらず、人々はそれでも即座に返答し、そのことが誠実さや対応の早さ、几帳面さや仕事の速さを計る指標となる。サッサとイエス・ノーを返答しないのは、無礼で愚鈍なのだ。

そして人々は「とりいそぎ」の言葉を発し続ける。「とりいそぎ」のあとに続くのもまた「とりいそぎ」であり、その取り急がれた性急な返答の周辺に置き去りにされたものは、二度と補われることも、二度と振り返られることもない。私たちは、いつも追い立てられていて、うしろをみるために割く時間などもちあわせていないからである。それはそれでいいのかもしれない。なぜなら、置き去りにできる程度のことは、ひょっとして本当はどうでもよかったかもしれないのだから。

どうでもよくないのだとしたら? そこではおそらく、物事に向かう、その各々のときに「とりいそぎ」という言葉で筆を置かないための、ほんの一瞬の躊躇をすればいい。それだけのことである。

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04/2/14

Young Pioneer’s Presentation vol.3

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Young Pioneer’s Presentation (YPP)Facebook YPP page

2014年3月22日、Young Pioneer’s Presentationに発表者として呼んでいただいた。この会は、京都大学交響楽団に所属していた折りお世話になっていた阿曽沼くんがオーガナイズしているこの会で、毎回複数の発表者(今回は二人)が自信の研究分野について話をし、共通ディスカッションを行っているそうだ。今回は、現代アートのコンセプトについて喋る私と、同期のヴァイオリニスト大谷くんの化学と折り紙の発表。阿曽沼くんが会の冒頭にも言っているように、私たちはなるほど、予想されている共通知識みたいなものを全く共有しない聞き手を前に話す機会にはそう恵まれてはいない。研究会も学会も、たとえば私のトピックでいえば、「芸術とは何か」、「作品とは何か」という問題そのものを話すことは稀であるし、それについて語るときにはそれに集中するかもしれない。しかし、具体的な作品について語りながら、それを捉える様々なシステムについても語るということはあまりない。感じると言うのがどういうことかそのものをあるレベルで定義しながら、ある特定の対象をどのように解釈するかを展開するのは、なるほど、七色に輝く小魚だらけの浅瀬の海の景色を3色の太いペンだけで描こうとするような、そんな思いがした。つまりは、相当悩んだ果てに、現代アートにおけるコンセプトと作品の鑑賞というトピックに関して、仕組みそのものを展開するよりは、普段わたしがこのブログを通じてお話しているようなことを、喋ることにした。

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さて、事前にFacebookのイベントページに掲載された私たちの発表内容は以下である。

【発表者】
・大久保美紀
パリ第8大学非常勤講師。美学。同大学大学院芸術学科博士後期課程、ニューメディア美学専修。批評のウェブサイト »salon de mimi »に展評•作家評•エッセイを多数掲載。研究テーマは現代の自己表象。ソーシャルメディアにおける自己語りと日記の関係性、現代アート、ファッションにおける身体意識・身体的表象に着目する。

・大谷亮
京都大学大学院工学研究科合成・生物化学専攻北川進研究室博士後期課程三回生。日本学術振興会特別研究員(DC1)。錯体化学、超分子化学。趣味は折り紙とヴァイオリン。餃子と寿司が好き。最近はピザも好き。前向き。小さじ1杯の悪意。笑う門には福来たるのかをこの人生で検証中。「何とかなると思うんだけどなー」が口癖らしい。

【発表内容】
大久保美紀
「コンセプチュアルなアートとその鑑賞 ー つくる人、みる人、かたる人」
皆さんは現代アートが好きですか?
現代アートは難しくて分からない、一体何がアートなの? ――私にもはっきりとは分かりません。
それらの疑問は、現代アートがしばしば概念的(コンセプチュアル)であることに由来します。
展覧会や作品のコンセプトは一般に、作品を理解するためのカギとして重要視されますが、 »提示された作品それ自体 »と »説明された複雑怪奇なコンセプト »があまりに隔たっている場合には、鑑賞者は困ってしまうでしょう。一方で、そんなふうに鑑賞者を煙に巻かない素敵な作品も必ずあります。本発表では、「難しくて分からない現代アート」のその不親切さを前に肩を落とさず、楽しく現代アートを体験する方法についてお話したいと思います。そこではつくる人とみる人、かたる人が相互に関わります。今日注目されている美術家の活動にも触れながら、現代アートについて一緒に考えてみましょう。

大谷亮
「趣味から始まるChemistry~折り紙と錯体化学、と私~」
皆さん、鶴は折れますか?
日本の文化、折り紙。小さい頃に遊びつつも次第に忘れられてしまう折り紙。しかし、現在「超複雑系」と呼ばれる折り紙が発展しています。知る人ぞ知る現代”折り紙”の一端に触れて頂きます。
更に、本発表者の専門である”錯体化学”とは。錯体は、ユニット折り紙のように構成分子を自在にくみ上げることで作られる物質群です。どのようなコンセプトから錯体化学研究が行われているのか、錯体化学研究の基礎から最新トピックスまで、ものすごーーーーくざっくりと分かりやすく説明します。

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紹介した作品は、ソフィ•カルの作品より『Les Dormeurs』『Prenez soins de vous』。ここでは、コンセプチュアルなアートの一つの例として、アーティストのつくるゲームのルールのようなものを第三者がパフォーマンスとして遂行した結果を、テキストや写真、ヴィデオなどの記録を通じて鑑賞者に総合的に追体験させるようなものを紹介した。(参考:添い寝がなぜ気になるのか)あるいは、作品としての「モノ」を作っているにも関わらずその主題や問題提起によってしばしば「なぜこれがアートなのか?」という問いを投げかけられる会田誠さんの作品『シリーズ:犬』について、私自身の解釈を提示し、『自殺未遂マシーン』についても考えた。(参考:会田誠「天才でごめんなさい」)最後に、1980年代をニューヨークで過ごし、コンセプチュアルアートの手法を研究したアイウェイウェイの最近の作品、ヴェネチアビエンナーレで公開された二つの『Dispositions』について論じた。(参考:アイウェイウェイ3つのストーリー映画『アイウェイウェイは謝らない』

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アイウェイウェイの作品を紹介するのは、Young Pioneer’s Presentationのように「現代アートとは何か?」という問題意識を持って話を聞きにきてくださった人の中には、現代アートは単に「コンセプチュアルで難しい」というだけでなく「奇異なもの」「突拍子のないもの」、更に、そうあらなければならない、と感じている人もおられたからである。現代アートは勿論複雑でなくていいし、分かり易くて構わないし、ヘンでなくてよろしい。つまり、力のある現代アートは眩しくないかもしれない、大切なことを伝える表現は必ずしも複雑怪奇な暗号に自らを隠してない。世界を良くするようなメッセージがミラーボールのような輝きを放っている義務などない。それは、くすんでさびていても、重苦しく目立たなくても、それらが現代アートというからには、現代の社会、現代の世界の問題に関わり、それに出会う私たちに何かを考えさせ、あわよくば勇気づけたり、生きることは良いと感じさせる。その意味で、表現をすることは意味があり、それを享受することにも意味があるのだと思う。私が考えていたのは、そのようなことである。

04/2/14

Images du printemps 2014

Quelques images du printemps 2014.
Le Kitano Tenman-gû, un sanctuaire shinto, situé à Kyoto.
Fondé en 947, il est voué au culte du dieu Tenjin.

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Une fille fait sa pose pour la prise de photo.

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Umés, fleurs de pruniers fleurissent plutôt que Sakura.
Sa couleur plus foncée et son bourgeon plus ferme que celui de Sakura.

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Comme on le voit dans cette image.

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Nous, les Japonais, prions pour tout, pour la réussite, la paix, la famille et la vie.

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En effet, prier quelque chose à Dieu fonctionne
pour organiser et réorganiser notre esprit.

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Une fille qui prie pour remercier à la grâce de Dieu.
Et innombrable de souhaits de l’être humain.

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La grande vache qui nous écoute depuis sa naissance.

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Le cimetière à côté d’où j’habite.

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Les cerisiers fleurissent magnifiquement.
La brise du printemps souffle doucement.

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Si magnifique que je suis inquiète.

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Les pétales de fleurs de cerisiers couvrent le terrain
jusqu’à ce que nous ne voyons plus rien
ce qui est dessous.

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Ces belles couleurs et la touche douce jouissent nos ancêtres.

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