11/12/14

授業とは何か:伝える人と伝わる人とのあいだ(1)/ le cours : la signification de la transmission et de la réception

授業とは何か:伝える人と伝わる人とのあいだ(1)

 漢字が書けないなあと、以前はよく思っていたのに、最近では漢字が書けないことにすら気がつかなくなった。多分書けないのだが、書く機会がないので気がつかないのである。漢字はとても好きなのに、残念なことだ。書かなくなったのは、むろん漢字だけではない。私は文通が好きだ。筆跡というのが、愛しい人も、生意気を言う人も、賢そうな人も、何を考えているのか分からない人も、その距離という距離を吹っ飛ばして、「その人が手を動かして書いている感じ」を直接的に伝えるからである。いまここにはいないその人が、ペンや鉛筆を握って紙をぐいぐい押しながら、まるっぽい動きや角張った動きによって、そこに記号の集積をデッサンしている様が、なんとも温かく感じられるのである。思い返せば小中学校では書道の授業もあったし、文字を「綺麗」に書くことが、読めるように書く以上の付加的意味をもっていたからこそ、手で書くのが好きになったり、嫌いになったり、文通が好きになったり、筆無精になったりしたのだろう。

 手書き原稿を破り捨てつつ、つぎつぎ新しい原稿用紙にペンを走らせるような歴史的典型的小説家でもないかぎり、我々の経験において「文字をたくさん書いたなあ」というのは、学校の授業や課題、作文やレポートであるような気がする。とりわけ、大学はその限りではないが、小中高の教育において「板書」はなかなかシンボリックな身体的鍛錬であるように思える。個人的には、書いたから覚えるとも、書きまくれば覚えられるとも思わない一方で、日本風の板書授業がダメで、反復や暗記よりも一度の理解が重要とも一概に言えないと思う。

 ただひとつ確信しているのは、スマートフォンなどのディヴァイスで板書やプレゼンを撮影するという記録の取り方は、記述をせずに書かれた内容を眺めるのとも、書かれた内容を無心に書き写すのとも異なる記録の方法であり、したがって内容の把握の仕方と把握されたものの質は自ずと異なったものとなるということだ。だが、次のように思う人もいるだろう。無心で書き写すのと、カメラで写真を撮るのとは、結果はよく似ている、と。それは間違ってはいない。その二つの行為はつまり、書かれたものを自分の持ち物、自分にとってアヴェイラブルである物(ノート、記録媒体)に保存するということなのだから。

 では、何が異なるのか。物が手の動きを通じて書き写される際、とくに内容が膨大である時、そこには筆記者による取捨選択が行われている。筆記する者は、数十秒あるいは数分ではコピーしきれない「書かれた情報」のなかから、必要なもの自分に関係あると思われるもの魅力的に感じられるものなどを選び取っているのだ。この点で、この行為における認識には奥行きがあり、捨てられるものと選ばれるもの、その判断をするための内容への介入が存在している。
 また、板書をとらずに書かれたものを眺めるという行為においてはどうだろう。実感を持って多くの人が気がつくであろうが、我々は何かを眺めている時、その全体を均一に見ているということはない。そのどこかを見ているし、どこかしか見ていない。板書を眺める人もまた、無意識的であれ、内容の選別を行い、限られたメッセージをキャッチしているだろう。

では、カメラで書かれたものを撮影する人々の行為はどのように解釈できるだろう。手がかりとして、彼らの意識がどこにあるか考えてみよう。彼らは素早く「撮影すべき対象」をカメラのフレーム内におさめ、シャッターをきる(といっても画面にタッチするだけだが)という一連の行為を素早くて企画に行なうことに集中している。実はここでは「書かれたもの」の意味も部分もいっさい浮き上がることなく、解かれてバラバラにされることもなく、完成した一枚のイメージとしてキャッチされるのである。写真を取り損ねた撮影者は、手によって板書がとり終わらなかった筆記者さながらに悔しがる。彼らは、的確にフレームのなかに「撮影されるべき対象」をおさめて焦点を合わせて撮影する、という一連の動きが時間内にできなかったことが悔しいのだ。

さて、2時間半も授業をすれば、撮影されたイメージはさぞ膨大だろう。それを丁寧に見直す手間を考えると頭が下がる。だが感心する必要もない。なぜなら、ここから始まるのは他の記録の仕方によって既に行なわれていたがこの三つ目の記録方法においてはすっかり後回しにされていた「解読」と「選択」が遅ればせに始まるだけなのだから。この途方もない遅れと膨大な必要時間と労力は、私が以前、「書き散らかしの信仰」で論じたウェブに書き捨てられる言葉の塊や、ウェブカメラや監視カメラが記録し続ける時間の記録と深く関連があるのである。

様々な要因が次のような結果を生む。
リアルタイムの「授業」という場で撮影に集中し、後時的な「解読」と「選択」によって掘り起こされ再構築された「結果」はあまり遠くに行けないのである。一方、それがたとえ部分的でも誤解を孕んでいても、リアルタイムの場で得られたアイディアに基づいて書かれたものには、筆圧がその人の存在をありありと思い浮かばせるのと同様に、生き生きとして元気な考えや着眼を目にすることが多い。
今後、伝えるひとと伝わる人の間の対話がどのようになるか、記録という手段がどのように実践されていくのかわからないにせよ、上のようなことは、自身の書く目的によっては思い出して無駄のないことではないだろうか。

(2)では、伝える人の側の問題に焦点を当ててみたい。

lettre intime

11/3/14

「死者のための和気あいあいとした儀式」/ Un rite convivial pour la mort

Un rite convivial pour la mort

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11月2日は死者の日でした。日本のお盆もそうですが、この日あるいはこの日が近くなると死者は生きている我々との距離を一時的に縮めるようです。生きている人々も普段の生活の中でなかなか彼らを訪れられないので、一年に一回お墓にお参りをして近況を伝えたり近況を聴いたりします。この日の数日前より今年は普段よりたいそう体調が悪くなったりもしました。もう11月3日になってしまったので、死者の日は終わりました。

9月29日から4日間、ルアーブルの美大での死についてのワークショップに自主Intervenantesみたいな感じで参加してきました。ルアーブルは歴史的な港町で、第一次世界大戦で街全体に壊滅的な打撃を受け、戦後に新しい街として造り直されました。パリからは電車で2時間半くらいです。ジャン=ノエル・ラファルグさんの企画したワークショップで、彼がこのために設置し、たびたび情報を更新し続けているブログLa Mortは充実しているので、関心のある方はご覧になってください。

このワークショップについての記事は、同じく彼のブログ:こちら(http://hyperbate.fr/dernier/?p=31586)に記載されています。参加した学生の作品やコンセプトがラファルグ氏によって解説されています。私は4日間は滞在できなかったのですが、最終日にもう一度参加し、数分のビデオを発表してきました。私のヴィジットについても記事内で触れてくださったので、ご覧ください。こちらに引用もしておきます。

ブログの引用はこちら。
Le dernier jour, Miki Okubo, qui a été en quelque sorte la marraine de cette semaine de travail, est venue nous montrer un petit film sur la mort de sa grand-mère et a nourri tout le monde avec des makis qu’elle a préparés et des cookies en forme de pièces de dix yens comme celles que l’on incinère avec les défunts pour qu’ils paient leur passage vers le monde de leurs ancêtres — un étudiant s’est intéressé à une tradition proche : dans l’antiquité gréco-romaine, on plaçait dans la bouche ou sur les yeux des défunts des pièces destinées à payer à Charon pour la traversée du Styx.

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写真をみると、おやつ食べてるみたいですが、ショートフィルムを見た後にそのストーリーを共有した皆でいっしょに食事を摂るという趣旨でした。タイトルのUn rite convivial pour la mortは、「死者のための和気あいあいとした儀式」という意味で、convivial(和気あいあい)はしばしば、皆で食事を楽しくとって打ち解けるような状態を現します。このビデオは、基本的に全て私の撮影した画像と家族によるイラストを素材とした、祖母の死に関わる、極めて私小説的なストーリーです。時間は8分くらいで、彼女の死をめぐっての一つの不思議な話と死の間接的原因になった食事時の出来事についてあわあわと語っています。10円玉が消えたこと、生きるための摂食は時に生を奪いうること、物語を共有すること、食を共有すること。ストーリーはこのような問題に焦点を当てています。

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Vimeoにアップロードしましたのでこちらでご覧ください。数日間ここに載せておきます。何せ家族が出演し過ぎているので、ご覧になっていただける際は、パスワード2222を入れていただければと思います、お願いします。ワークショップの折りに急いで作成したものなので、何かと無骨ですが、いずれ全体をまた作り直そうと思いますが。さしあたっては多くの方にご覧頂けますように。

2014年11月3日 大久保美紀

 

11/3/14

生きることを置き換えるという意味 / compter à la place de vivre

生きることを置き換えるという意味

三輪眞弘氏の作品「59049年カウンター ――2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」に関して吉岡洋さんが記したテキスト「生きるかわりに、数をかぞえる」(chez nous tanukinohirune)について、このごろ反復的に考えていたことについて書こうと思う。テキストの中で言及された、三輪さんの作品「59049年カウンター 」は、10人の桁人たち、二人の詠み人、そして一人の悪魔の13人によって上演される作品で、舞台上手側の5人で構成される「LST」チーム、下手側の「MST」チーム、それぞれが下位の5桁、上位の5桁を現し、10桁の三進法の数字をカウントしていく。この数値の最大値は「2222222222」、つまり十進法で「59049」(タイトルの数)になるのである。パフォーマーは防護服を思わせるレインコートのような衣装を纏っており、「フクシマ」のイメージを想起させる。
上述した吉岡さんのテクスト「生きるかわりに、数をかぞえる」は、この作品における二つの行為「生きること」と「数を数えること」の関係性に着目する。テキストでは二つの行為は以下のように関係付けられる。


(前略)
なぜなら、生きることと、数をかぞえることとは、同時に行なうことができないからである。そして人は、もう生きることができないと感じた時、数をかぞえるしかないからである。

もちろん数をかぞえている最中だって、私たちは生きている。そうでなければ、数えることすらできない。けれども、数をかぞえることに集中している時、生は、どこか彼方に追いやられている。
なぜか? 数というのは、どこかこの世界ではないところから、やって来たものだからだ。数は私たちのように形を持たず、私たちのように歳をとらない。
(中略)
生きることと、数をかぞえることとは、いっしょに行なうことができない。もう生きることができないと思える時は、数をかぞえるしかないのだ。数をかぞえることで私たちは、滅亡からわずかに逸れた場所にとどまり続ける。
数をかぞえることは、生を担保に入れることである。 

なぜ数えることなのか?それは、我々人間のように、経過する時間のなかでいつしか持てる肉体が衰えて死んでいく物質的存在が時間に切り離しがたく関わらざるをえない一方で、数とは時間軸から解放された普遍的な存在であり、宇宙的な絶対法則に関わるのではないかと我々を信じさせてくれるような、異次元や永遠の象徴存在であるということだ。だから、数を数えるという行為は、あたかも永遠的な何かに触れる行為であるかのように、表現者たちによって、「生きることと置き換えられるためのひとつの行為」に選び取られる。

「生きる代わりに」と表現されている二つの行為は実際に勿論並立している。ここで「生を置き換える」と表現されているのは、つまり、「生きること」そのものを忘れるように何かに没頭する、ということである。「没入(absorption)」はひとつの恩寵である。なぜなら、何かに没頭することができたとき、人は「生きること」について直に考え、それについて苦悩し、正面から取り組んで解決し得ない哲学的な問答を苦悩の中で繰り返すことから、逸脱することが出来る。「生を置き換える」とか「生を担保にいれる」と言われているのは、そういった事態を意味するのだろう。

このように考えた時、あるひとつの奇妙な気づき、あるいは深淵な心配に戸惑う。つまり、そのことが成し遂げられるのは、「人がもう生きられないと思った時」「生きることを諦める時」、生きることを正面から取り組んでいくことがもう出来ないから、そこから脱落する時なのである。このような文脈において、表現者たちは「生を担保に入れる」手段として「数を数えることに没頭する」。46年間をかけて1から5607249までをキャンバスに綴り続けた画家ロマン•オウパカ(Roman Opalka, 1931-2011)は、「数えることをしなかったら、私はもう生きられなかったでしょう」、といった言い方でこのことを証言する。

ロマン•オウパカは、1965年、ワルシャワのアトリエで《1965 / 1 – ∞》と題された終わりなき作品を思いつき、79歳まで続けた表現者である。この作品は二百枚以上のタブローに別れているが、ただひとつのタイトルをもつ《1965 / 1 – ∞》全体がひとつのタブローであり、ひとつの行為であり、1965年から2011年までの数える行為を物質化してそこに体現したものなのである。

数を数えることは、生きることとから脱落し、それでも死なないための行為なのだ。絶望とそう遠くない場所にあってすら、さしあたりこの世界に留まり、しかし生きることを別の行為に置き換えるということを、はたしてどのように理解したら良いのだろうか。それは単に、逃げることなのか。彼らは世界における世捨て人であり、彼の表現行為は顧みられるに値しないものなのか?

わたしには、むしろ逆であるかのように思われる。彼の表現行為は顧みられる価値のあるべきものだと直観する。絶望しながら絶望から出発し、異なるヴィジョンを通じて世界を見るような行為は、力のある行為なのだ。そのことは彼らが世界における世捨て人であることを肯定するかもしれないが、世捨て人でも良いのである。

「生きることを置き換える」とはなかなかいい得て妙であり、し得て妙である。前述したように、没入は恩寵であり、世捨て人はその肯定者であると解ることが、絶望を理解するひとつの鍵である気がする。

20141101_miki