08/17/15

完全なコンポジション 広さ / La composition absolue et la spatialité

とりわけ田舎暮らしを経験したこともないし、生まれ育ったのが自然環境が殊のほか豊かな地であったということもない。ただし、思うなら、広かったことは確かだ。
広かった。
広いというのは、向こう側が行き止りであるということが、たとえ本当はそうであったとしても、そのことに気がつかないほどに遠くまで見渡すことのできるような場所である。
どこを見ても視線が壁にぶつかるとか、外を見れば全ての辺がすぐに別の生活者の窓にぶちあたるとか、上も下も詰まっているとか、風がぐるぐる渦巻いてすぐにこちらに戻ってきてしまう感じとか。そういったことに、人はおそらく何十年経っても慣れることが出来ない。

アスパラ畑があり、アスパラは大きくなりすぎると実をつけて、木のようにニョキニョキ伸びていく様子とか、暑すぎもしないのに近くの木に止まった蝉が大きく鳴こうとしている気配とか、小さかったり、虫や鳥たちが味見したトウモロコシを包み込む葉やらひげやらを剥くのが度胸がいるのとか、ニラとタマネギの見分けがはっきりついたりつかなかったり、豆のツルがすばらしく巻き付いて横やら上やらに進んでいこうとする執拗な生命力をながめたり、奔放なきゅうりと鮮やかなナス、どうしてそんなに重い実に耐えることにしたのか茎の細胞の一つ一つの壁のかたさと耐え忍ぶ意志をかんじられるトマトの群。

あの畑のことを、いつか例えば簡単な数式とかシンプルな漢字の形とか行なってきた活動や出会ったことのある誰かを忘れるとしても、畑の土のすこし乾燥した粒のことや、トウモロコシの葉脈のこと、大根の葉が密集している緑色の表面のこと、すこしジャガイモが見えている部分が光合成を始めてしまっているなと思ったことなどを、忘れてしまったりしない。

あの畑はもうない。

実家では数年前から小さな家庭菜園で野菜を育てている。何度か食べた、ここのトマトはとても美味しい。野菜の味はこうやって育てたものでないとほんとうのことをいうと、何を食べているのか思考停止状態になる。味のしない野菜は、味のしないのでなく、どうやって育ったのか食べる私が理解できないためにあるいはそのことなどを身体的に受け入れることのできないために、有効な食物として摂取することができない。とはいえ世界の食べ物工場はいまや大規模なシステムとしてすばらしく機能していて世界の人間を養おうとしているのだから、そういやって私たちは日々土をいじることに膨大な時間を割くことなく、本を読んだり、テレビを見たり、その他の労働をしたりすることができる。

農業もまた、食肉のための動物を大量生産するのと同様に非自然的なことである。植物がクローンであっても品質改良されても、「麦が六倍体にされてかわいそう」と泣き叫ぶ人がおらないので、大麦やら大きな野菜の便利な恩恵を享受している。これも大きなシステムであり、便利で効率がよいことを断念すると、わたしたちは、別の人間とおしゃべりをする時間も、明日着る服のことを考えるひまもなくなってしまう。

真っ赤なトマトと棘の影まで鮮やかなきゅうり、アントシアニンの弾けそうなほどまぶしいナスのコンポジションが世の中にありうるもっとも美しいイメージのように感じられた。小さな実家の家庭菜園で育った野菜だそうである。

美味しいそうだねというと美味しいよと母がこたえる。

実家の野菜

08/15/15

Demande de participation (3 min !) / アンケートのお願い (3分くらいで♥)

Chers amis,
Je vous remercie infiniment pour votre participation à cette petite enquête que je prépare pour un workshop de la création autofictionnelle (sur la question de l’archive et de l’exposition de soi) !
Le jeu est très simple.
1 Choisissez 3 portraits qui vous plaisent plutôt.
2 Notez le numéro des portraits et choisissez 5 mots qui correspondent à chaque portrait choisi dans la liste ci-dessous.
3 Pensez à choisir les mots différents des autres participants, pensez à choisir même les portraits originaux par rapport les choix des autres.

La liste vocabulaire:
brillante, raisonnable, égoïste, extravertie, sincère, généreuse, modeste, altruiste, sensible, prétentieuse, inventive, tranquille, cordiale, consciencieuse, audacieuse, responsable, directe, détendue, sérieuse, maligne, stressée, active, dominante, bavarde, serviable, chaleureuse, instable, ordonnée, attirante, créative, méticuleuse, heureuse, hypocrite, souriante, optimiste, ambitieuse, mûre, entreprenante, fière, ennuyeuse, amusante, exigeante, intolérante, autoritaire, impitoyable, violente, naïve, débrouillarde, tenace, perfectionniste, affectueuse, solitaire, prudente, fragile, émotive, étourdie, fiable, volontaire, sympathique, sociable, agréable, arrogante, superficielle, attentive, agressive, impulsive, jalouse, lâche, sûre de soi, triste, avare, timide, réservée…

Si nous sommes ami sur Facebook, envoyez moi votre réponse par message ou répondez moi si vous avez reçu mon e-mail. Si on n’est pas ami sur Facebook et si vous pouvez répondre à cette enquête, envoyer moi votre réponse par message au compte facebook de Miki Okubo. Merci. Je vous remercie cordialement pour votre temps.(les photos plus grande taille sont après le texte japonais)

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ご協力いただける皆様へ
現在アーカイブと自己表象に関連し、オートフィクションの作品づくりのワークショップのために、アンケートを実施しています!ご協力いただけましたら大変たいへん助かります。よろしくおねがいします!
方法はたいへんシンプル!
1 気になる証明写真を3枚お選びください。
2 その証明写真の番号をお書きの上、それぞれの写真に対し、下の語彙リストから、その証明写真を説明する5つの語彙をお選びください。
3 参加者の皆さんが色々な語彙を選んでくださったほうがおもしろいです。さらには証明写真自体も他の方と違うと思われる写真を選んでくださったほうが面白いです。

語彙リスト:
聡明、合理的、エゴイスト、外向的な、誠実な、優しい、謙虚な、愛他的な、感受性豊かな、うぬぼれ屋、創意に富む、静かな、親切な、良心的な、勇敢な、責任感ある、直接的な、和やか、真面目、抜け目のない、ストレスフル、活動的、支配的、おしゃべり、世話好き、熱心な、不安定な、きちっとした、魅力的、独創的、細かい、幸せそうな、偽善的、にこやかな、楽観主義、野心的、成熟、進取の気性、高慢、面倒な、面白い、大げさな、忍耐力のない、いばった、無情な、暴力的な、お人よし、機転のきく、頑固な、自発的な、感じの良い、社交的、雰囲気の良い、傲慢な、うわべだけの、注意深い、攻撃的な、衝動的な、嫉妬しやすい、意気地なし、自信満々、悲しげ、ケチ、恥ずかしがり屋、控えめな

Facebookでお友達のみなさま、Facebookのメッセージに皆さんの回答をお返事いただけますと嬉しいです。またe-mailでお受け取りのみなさんはそのままメールでお返しください。いずれでもないけれどもご協力いただける方は、FacebookのMiki Okuboまでメッセージくださいませ。お忙しい中大変失礼いたしました。ありがとうございました。

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08/15/15

戦後70年

戦後70年
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戦後70年。
さきほど、しりあがり寿さんのまんがを読みました。
http://politas.jp/features/8/article/427
ひらかず(平和)さんが70歳のお誕生日をいわってもらう、
ひらかず(平和)さんは疲れ気味だけど、
処方されるアンポナントカという薬を拒絶する、というものです。
しりあがりさんによる談話もつづいています。
フランスのマンガが大好きな若い人たちにも日本のこういった状況を知ってもらいたいなあと、
部分的にシェアしました。翻訳掲載できたらしたいです。
http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=4130

私は1984年に生まれたので、物心はっきりついたころには戦後久しい感じだったのですが、
つまり半世紀とかです。久しいといっても、人間の一生を物差しにすれば、久しい、というか。
1984年だと、戦後39年です。それから31年経って、今年で戦後70年。

70年経つと、戦争を行なっていたころに大人だった世代は年老いて、あるいは既に亡くなられた方も多く、
だからといって人間の世代交代ごとに何度も戦時となるというのも、アニマルとしてあまりに愚かではないでしょうか。

世の中は、戦争をせずとも既にある意味で日々が戦いです。
日々が恐ろしく、日々がしんどくもあります。
暇でもなければ、平穏でも楽でもありません。
我々はまったく退屈していないし、特需を必要としていないし、
人間が人間を殺したりすることに興味がない。

非常事態というのは、罪や非人道的な行為をうやむやにする口実として、
歴史上はびこってきました。たとえば慰安やレイプの問題がそれです。

人類史をながめるなら、それはそれは戦争や紛争に満ちており、
一国として70年の平和が続いたところで、世界規模では日々人間が殺されており、
これだけ技術やテクノロジーが発展した今日に至っても未だに
マテリアルなレベルでの殺戮や破壊が行なわれている。

生き物の本質は、生まれて死ぬまで生きることやと思います。

病気になったりとか事故にあったりすることはあります。
でもつまりは途中でわざわざ死んだりしないで生きることやと思います。

人は人と結びつき、人間くさく社会の中で生きます。
戦争がなくても十分に忙しくて生きるのが大変です。
戦争がなくても十分に難しく心が折れそうになります。
ただでさえ肉親を失うのがつらく、年老いた家族を思って止みません。

生まれて死ぬまで生き抜くために、
平和であることはたいせつです。

2015年8月15日 

08/14/15

La paix souffre d’une remède dérogeant la Constitution: Manga de Shiriagari Kotobuki/ 平和(ひらかず)さん、70歳の談話

le lien officiel du manga se trouve : http://politas.jp/features/8/article/427

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pour la suite : http://politas.jp/features/8/article/427

Ce manga réalisé par un auteur manga-ka Shiriagari Kotobuki parle d’une situation difficile d’aujourd’hui à propos de la PAIX de son pays le Japon qui dure quand même 70 ans depuis le 15 août 1945. Le personnage qui s’appelle Hirakazu (comme un prénom mais en fait c’est une autre façon de lire les kanjis signifiant la paix, heiwa, en japonais), âgé, un peu fatigué, souffre des nouvelles lois risquant la paix du pays. Il refuse de prendre un médicament proposé par une fillette, un remède appelé « anpo-nantoka » C’est bien sûr une métaphore des lois de sécurité qui ne respectent pas la Constitution, notamment son fameux 9ème chapitre.
Aujourd’hui le 15 août 2015, nous les Japonais, donc fêtons le 70ème anniversaire de ce personnage important « Hirakazu », c’est-à-dire, la paix (heiwa) de notre pays tout en souhaitant que ça dure.

l’auteur de ce manga Shiriagari Kotobuki a son blog et le compte de Twitter :
http://www.saruhage.com/blog/index.html
https://twitter.com/shillyxkotobuki

08/5/15

発症前と発症後の治療ー傷を負った軍人の職業移行と戦争に行かないこと

ちかごろ、医療のことについて考えることがあり、とりわけ、いわゆる「治療」と「発症前の治療」について考えている。
お腹が痛くなって初めてお腹の存在に気がつく、とは良く言ったもので、なるほど調子がよいとき人は身体のことを考えない。
フランス語に »soin »という言い方があって、たとえば、「お大事に」(« Prenez soin de vous »)とか、「だれかの面倒をみる」(« prendre des soins de qq’un »)とか、つまり、世話や気配りのことを指すこともあれば、「美容」(« Soin de beauté »)だとか「医療行為」(« soins médicaux »)など、医療の分野で治療という意味でも用いる。
« Soins »はすなわち、なるべくよい状態のために気を配る、という意味なのだが、それは何らかの徴候が出た後に施すのが治療であり、そうなる以前に未然に防ぐために行なうのが気配りであったり世話であったりすると言える。

身体のことを話せば、いつしかは綻びて、さまざまな器官も少しずつ機能が果たせなくなって行く人間の運命みたいなところはある。もちろん、200年生きる個体は今のところいないし、80年くらい経つと個体差はあれどもさまざまな機能の不調が目立ってくる。生活における身体に良いことや悪いことは、なるほど情報が錯綜していて、気にし過ぎたなら脅迫的ですらある。現在は、生物学と医学の交差点における研究も進んで、遺伝子分析によって病の発症前にそれらを未然に防ぐという画期的とも言える解決策が打ち出されてもいる。いつしか遺伝子にマークされた将来の病の発症をある程度明確に分析し、事前に対策することが可能なとき、我々は単に、老衰によってのみ死を迎えるのだろうか。

この、「発症後の治療」と「発症前の治療」というふたつのアイディアは重要である。

実は今日、もう一点考えざるを得なかったメディアの報道があり、それは、アフガニスタンに派遣されて身体的・精神的に厳しい傷を負ったベテラン(アメリカ兵)の転職のことだ。軍人としてもはや働くことの出来ない肉体的・精神的な傷を負ったベテランは、専門の施設において、新たな人生を歩むための職業訓練と社会生活の訓練を受ける。たとえば、料理を学びシェフになるとか、軍隊での規律とは全くべつの「ふつうの生活」のため、社会とのコンタクトの仕方を習得することができる訓練を受ける専門施設に滞在する。精神を病み、あるいは手足を失い、ハンディを背負った絶望や殺戮の罪悪感から自殺する者も数多い。

施設には、心理カウンセラーや精神科医、多数の精鋭の専門家がいて、傷ついた彼らをケアするのだ。セラピー、治療、訓練、transition(移行)。

必要なことである。彼らが生き直すために。

だが、なぜ生き直さなければならないのだろうか? 「発症後の治療」と「発症前の治療」があるといったのは、この問題について言えば、つまり、傷を負ったベテランを国を挙げてケアするのは国の責任であり、そのためには最大の »soins »を尽くすというわけだ。

だが、だれも「そもそも、傷を負わなければよかった」とは言わない。

何年も、何十年もたってすら、悪夢にうなされて一生を苦しむ、彼らのその経験がなければよかったと、なぜ言わないのか。既に傷を負った彼らを慰めるのは良い。だが、これから生み出される次のベテランを、生み出す必要がないと、言っても構わないのではないか。

身体を壊して、それを治療することは、素晴らしいことであるし、そのことは多くの人を助ける。

そのことをじゅうぶんに認めるとともに、それでもなお、発症の前の »soins »がたいせつであると、思ってやまないのだ。