04/4/21

死者を送ること

先月(2021年3月)初旬、年老いた友人を亡くした。7月には97歳になるところだった。20代の頃スペインから姉と共にフランスに渡り、理髪師の仕事をこつこつ頑張りながら、人生を切り拓いた。連れ添った夫は彼女よりも20以上も年上で、かなり前に亡くなっており、彼女に子供はいなかった。姪っ子や姪の子供たちを可愛がっていて、時々は自分で料理をして、日曜日の昼食に招待していた。スペインにも親戚があり、2年ほど前までは毎年夏を一ヶ月ほどそこで過ごしていた。四、五年前までは自分で旅行鞄を引っ掛けて電車に乗り、1000キロほどの道のりを一人旅していた。

自分の人生に満足しているといつも言っていた。私が長いこと学業をしたり、非常勤ばかりして定職を得ず、フリーランスで個別指導をしたり日本語教師をしたり、翻訳や通訳をしたり、色々なことをするのに走り回っていると、そういう働き方はわからないと言わんばかりに就職して働くべきだと諭すので、私がそういう方法でない働き方もあるなどと反論したりして何度も言い合いをした。彼女も言い分を曲げることなく、私もまた曲げないので、この話はいつも平行線になり、彼女が私の仕事の近況を聞くたびに同じ言い合いになった。

家に行くといつもシャンパンを薦めた。小さなボトルのシャンパンが彼女の家には何本か常にストックしてあって、それを、中庭に面した居間の窓を眺めながら、何度も一緒に飲んだ。息子が生まれてからは、シャンパンをたったのグラス一杯とはいえ、気がひけるので、車の時は飲まなかったから、最後に彼女とシャンパンを飲んだのはいつだろう(フランスではアルコール濃度によるが、たいていコップ一杯くらいの飲酒なら合法である)。息子が生まれて、私も子供のことで頭がいっぱいになり、そうしているうちに、彼女の具合も良くないことが頻繁になり、声をかけても家に押しかけられるのをやんわり断るようになり、なかなか会わなくなった。

年末、私が日本での展覧会の仕事で帰国した頃、彼女は長年渋っていた高齢者向けの施設への引越しを決めた。医療設備があり、買い物に行く必要も料理をする必要もない高齢者向け住宅。コロナ禍で、面会は不自由だったし、外出するにせよ、レストランもすべて閉まっている。彼女は呼吸補助の機材を日常的につけなければならなくなり、このようであるならば、もう生きながらえることを選ばないとはっきり伝えていたようだ。私は2月下旬に日本から戻り、早くに会いに行くつもりで過ごすうち、3月初旬に私自身が急な体調不良となり、一週間の絶対安静、その後もなかなかはっきりと回復せず、と過ごすうちに、彼女は死んでしまった。

人が死ぬというとき、長く生きながらえて、長いこと闘病して死ぬ人も多くいるし、急に逝ってしまったように言われる人もいる。どれだけの期間、どれほどの密度で死と近くに向き合っていたかというのは、近くにいた身内にはもちろん見えることがあるだろうけれども、多くの場合は本人にしかわからないように思う。コロナ禍の生活では、会いたい人と会えず、食べたいものを食べられず、行きたいところに行けず、それでも、ウイルスの蔓延を防いで息を殺して生きながらえる方がいいに決まってるじゃない、と説き伏せられており、年老いた人々も極力外出を控え、若い人のいる場所ではマスクの中側でも息を殺し、ワクチンが用意できたよと言われれば意を決して打ちにゆき、会いたくてたまらない孫の顔はスクリーン越しに眺めて過ごしているけれど、そういうもんなのかなあと疑問に思う。死んだら、葬儀には自ずと老人が集うというので、なかなか知人の葬儀へ行くのも勇気がいるだろうし、葬儀の執り行いについては現在でも死者が多すぎて火葬場も業者も手が足りておらず、二週間以上待ちなんだそうだ。

二週間以上待たされて、ようやく棺は閉められる。普通は近親者の面会で行われるこの儀式的な時間は、コロナ禍では特に、このタイミングが最後の面会と決められており、教会での葬儀の際はもう死者の顔を見ることはできない。二週間待たされ、二週間以上前に生きることに終止符を打った彼女を目の当たりにして、私は悲しくなった。髪に触れ、別れの言葉を言う。悲しくなったのは、生きていた彼女が死んだ、というよりも、彼女が生きるのをやめてから長く時間が経ったというのがはっきり感じられて、別れを言うその言葉を届けたい彼女が、もうすでに結構遠くまで旅立っていて、つまりは彼女はもうそこにいないという感じがあまりに明らかだったからである。

死者に別れをいうのは、生きている者にとって必要である。現代は、親を除いて親戚であっても年老いた叔父や叔母の面倒を最期まで看ることはないし、親ですら、ひょっとしたら高齢者施設や医療機関で最期の時を過ごすというとき、あまり近くにいる存在でないことだってありうる。死んでしまった後のケアはエンゼルケアとか呼ばれ、プロフェッショナルが職業としてお世話をする。葬儀もプランが色々あって、パーソナライズできる一部のチョイスを細々注文すれば、儀式は滞りなく執り行われ、火葬もそれ以降も、どうすればいいかわからず困るということがないように大体プランが準備されている。コロナ禍では、葬儀に参列せずに、オンライン葬儀やオンラインで参加を積極的にコマーシャライズしている業者を多く見かける。オンライン葬儀、そのあとの火葬から骨拾いまで全て請け負ってもらうことができる。

私たちは死者に会わないまま生き続ける選択肢を与えられたらしい。けれども、そんなことで、本当に生き続けることができるのかなあと思う。大切な人が突然いなくなり、死んだということがどういうことかを目の当たりにせず、別れを言うことなく、気がついたら灰となってお墓に眠っているよと説明を受けることによって、一体、私たちは生き続けることができるのだろうか。

生まれることと同様に、死ぬこともとても生々しいプロセスであると思う。人の子供はポイポイ生まれるように見え、あたかも急に小さな存在が世界に放り出されて生き始めたように見えるけれど、妊娠と出産も相当生々しく、美しいとか、感動だとか、そういうポジティブな表現とは相反する、痛く苦しくて、血だらけで、もはや拷問のようなプロセスなのである。倫理的に、生命の誕生は美しいと言うべきだと教わるので世間の産婦は敢えて言わないだけで、実はそうなのである。コロナ禍では、出産の立会いの制限や出産後の面会を全て禁止にしている状況がもはやかなり長期間にわたって続いている。驚くようなことだが、NICUに入っている新生児だと産んだ母親ですら、週に数時間とかほんの少ししか会えないそうなのである。貴重な経験をシェアされているブログ記事を拝読した際、産み落としたはいいけど、こんなに会えなくなると、自分が産んだという実感が薄れる気がするというまったく正直な感想を見つけ、酷い事態だと改めて思った。個人的には出産には父親である者が立ち会うのが望ましいと考えているし、兄弟や近しい家族もできるだけ早く新生児に会った方が良いと考えている。だが、もっとも大事なのはもちろん産み落とす母親であり、彼女の産み落とした実感と身体感によって新生児は守られて生き延びることができる。もちろんさまざまなケースがあって一緒にいられない場合もあるが、コロナ禍の出産経験に関する先述のケースなどはやはり改善されなければならないと願う。

生きている中で、生まれることと死ぬことは、「怖い」。それは生きているというよく知っているかのような状況が突然、違う世界に裂けており、そのことに気がついてしまうからだと思う。確かに怖いのだが、そのことが丁寧に隠されてしまった世界で騙されて生きるほうが、やはり私には気持ち悪く、生きづらく感じられる。