08/14/15

La paix souffre d’une remède dérogeant la Constitution: Manga de Shiriagari Kotobuki/ 平和(ひらかず)さん、70歳の談話

le lien officiel du manga se trouve : http://politas.jp/features/8/article/427

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pour la suite : http://politas.jp/features/8/article/427

Ce manga réalisé par un auteur manga-ka Shiriagari Kotobuki parle d’une situation difficile d’aujourd’hui à propos de la PAIX de son pays le Japon qui dure quand même 70 ans depuis le 15 août 1945. Le personnage qui s’appelle Hirakazu (comme un prénom mais en fait c’est une autre façon de lire les kanjis signifiant la paix, heiwa, en japonais), âgé, un peu fatigué, souffre des nouvelles lois risquant la paix du pays. Il refuse de prendre un médicament proposé par une fillette, un remède appelé « anpo-nantoka » C’est bien sûr une métaphore des lois de sécurité qui ne respectent pas la Constitution, notamment son fameux 9ème chapitre.
Aujourd’hui le 15 août 2015, nous les Japonais, donc fêtons le 70ème anniversaire de ce personnage important « Hirakazu », c’est-à-dire, la paix (heiwa) de notre pays tout en souhaitant que ça dure.

l’auteur de ce manga Shiriagari Kotobuki a son blog et le compte de Twitter :
http://www.saruhage.com/blog/index.html
https://twitter.com/shillyxkotobuki

02/4/15

心の平和のために書いた文章

海外は治安がわるいからと、時々心配される。外国は恐ろしい事件とかあって、銃による事件とか、薬物の事件とか、宗教や民族の問題とかあって、あぶないんじゃないの、と心配される。

たしかに、1月7日の事件は、それがあまりに近くで起こったということや、多くの人々と同じようにそのとき外出中で、「気をつけて!犯人は逃走中よ!」と言われてもどう気をつけたらいいのか気をつけようがないという事情から、数日間とても治安のわるい感じ、ではあった。

だがハッキリ言うが、それは、道を歩いていたら危ないとか、周りの人が怖いとか、銃撃される危険とか、突然捕らえられるかもしれない危機とは、似ても似つかないものだ。世界には、戦争状態の非常事態としての日常が実在しており、あやまってもそういった非常事態の日常とは比べ物にならないほどに、パリの1月7日以降の世界は平和である。

なるほど、たしかにそれは日本の平和感とは全く違う。誤って電車でウトウトしたり、鞄やズボンのポケットからスマホやお財布をペロリとしたまま優雅に歩いたのでは、一瞬にしてそれらは失われてしまうかもしれないし、本当は楽しくとも悲しくともある程度つねに戦々恐々とした雰囲気だけ演じて歩かないと、体力のなさそうで優しそうな日本人はしばしば金銭的価値ある物を盗まれる標的になってしまう。そういった意味で、めんどくさいといえばめんどくさく、ぴりっとしてなければならないといえばその通りだ。でも、平和だ。

そんな平和に対して日本のほうが心穏やかに過ごせるし、危険もすくないし、安心だ、とも思わない。むしろ、こちらでは思いのよらないことが日本にいると日常的に起こる。「キレる大人」を見ることはかなり印象的な出来事のうちのひとつだ。いや、誤解を避けて先に言っておくが、フランス人もかなりキレる。かなりのキレキャラであるし、突然怒って喧嘩して、見事なスペクタクルが繰り広げられる。が、わりとすぐにおさまる。キレたあと、言い尽くしたあと、20秒くらいしてから追いかけて行って殴ったりしないし、今生に渡って人々に悪行を言い継ぎながら引きずったりもなかなかしない。あくまでも印象だが、ノーコントロールでキレるというよりは普通に怒って静まる、という、ふつうの怒った人、なのである。そこにきて、日本社会での「キレる大人」はキレ方が本気である。コントロールがないのはもちろんのこと、ほとんどがキレている内容ではなくて、外的要因についてのストレスが限界で、なにかのキッカケでキレるのである。たぶんこのキレ方は、日本社会だけでなくて、先進国の、大都会の、ストレス過多の、どうしようも忙しくてイライラしてしまうような日常生活の、中にしゅっと起こりやすい。これからの世界はこんな「キレる大人」が増えるんだろうか。

約束か仕事に遅れそうなのか、それとも疾走したい気分なのか、ゆーっくり歩くおばちゃん二人のスレスレを豪速のチャリンコ男性が走り抜けた。たのしく歩いていたのにあんまり暴力的な出来事だったので、おばちゃんは思わず「危ないじゃない!」と口走ってしまいました。チャリンコ男性は、急いでいたなら走り抜けたらよさそうであるのに、止まって、折り返してきて、口汚い言葉でさんざんおばちゃんを怒鳴りつけました。男の人の怒鳴っているのって、子どもでなくても怖いと思うよね。それも、急に近づいてきて、感情的に制御無しに怒鳴っているのはとても怖いと思うよね。このおばちゃんたちは、この経験を一生忘れることはなく、ずっと、怖かったなって、思い続けるのですよ。

ある日飛行機が少し遅れて、そういうときは搭乗口の近くで、ボーディングタイムが更新されるのを待ちます。放送もかかるし、どっちにしても、チェックインしていたら、最悪たとえトイレに行ってて一人だけ搭乗しそこねていたりなんかしても、かなりしつこく探してくれるから、空港に取り残されるなんてことは殆ど有り得ません。数十分機材の整備などで搭乗時間が押していて、なんどか放送がかかったし、やれやれみんな、どんどん機内に流れ込んで行く。60歳くらいの男性が、ゲートの女の子二人に怒鳴りつけている。いつ放送がかかったんだ!(だから、今だよ…)とか、いつお客様を呼んだんだ!(だから、今だってば…)とか、失礼じゃないか!(なんでだよ…)とか、こんなんで分かるか!ふざけるな!(じゃあ他にどうするアイディアがあるかね…)とか。とにかく怒鳴り続けて、女の子たちは、ほかのお客さんのチェックをしながら、泣きそうになりながら、すいません、とか言っている。どう見ても、そのおじさんがキレているのは、アナウンスの仕方や飛行機の遅延についてじゃないよね、人はその程度のことでは本気で憤ることなどできないものだよ。ただの、八つ当たりだし、別のイライラの放出だよね。でもねー、係の子たちは本気で怖い思いをして、怒鳴られて、近くで汚い言葉を浴びせられて、しかも縁もゆかりもない怒りによって。この子たちはこのことをずっと忘れられないくらい、怖い思いをするのだよ。

「キレる大人」はいけないんです。なぜなら、本当に人を傷つけるから。本当に怖い思いをさせるから。傷ついたたくさんの心がこれ以上傷つけられませんように。こんなくだらない経験が、世界に増えませんように。
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