09/3/13
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55th Biennale de Venezia part1/ 55th ヴェネチア•ビエンナーレ No.1

55th Biennale de Venezia part 1

Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

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今回アルセナーレ•ジャルディーニの両メイン会場で150人の作家が参加する企画展Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceのキュレーションを行ったのは、イタリアのMassimoliano Gioni(マッシミリアーノ•ジオーニ)である。1973年生れ、最年少でのヴェネチア•ビエンナーレ総合ディレクターだ。展示の共通テーマは百科事典的であること。作品のそれぞれが百科事典的な小宇宙を構成していると同時に、あまりにも異なる世界中の作家が一同に集うIl Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palaceの空間そのものが全体としての百科事典的な場となる。そこでは、芸術家とそうでない人の差を根本的に疑うような試みがあり、人類が表現とか芸術とか呼んできたものの起源にまで遡ろうとする試みがあり、現実や夢、目覚めていることと無意識であることの間をさまよう試みがあり、そもそも、形やイメージはなんであったのかを問うような試みすらある。
そのIl Palazzo Enciclopedicoのページを繰りながら、我々が思うのは、そのあまりにも巨大な百科事典に綴られた全ての知恵と知識を「身」に付けるのが大事なのではなくて、そこを、さまよってすり抜ける中で世界を目撃することこそが重要なのだということである。

パート1では、写真と映像作品に着目した。

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Camille Henrotは1978年パリ生まれの若手作家である。日本で生け花を学んだこともあるこの作家は、数々の植物を用いたインスタレーション作品を作ってきたほか、ドローイング、写真、映像作品も手がける。salon de mimiにおいては以前、パリのGalerie Rosascapeで行われた展覧会、“Jewels from the Personal Collection of Princess Salimah Aga Khan”についてレヴュー「Camille Henrot/カミーユ•アンロ, ジュエリーは押し花に敷かれて」と galerie kamel mennourでの展覧会「Est-il possible d’être révolutionnaire et d’aimer les fleurs ?」の写真をこちらに掲載している。今回ヴェネチア•ビエンナーレの百科事典的展示のために彼女が構想した作品はGrosse Fatigue(大いなる疲労)である。創世記の神話をもとにしたストーリーを、世界中の国立博物館のアーカイブを現代的な方法で提示する。多様な種が歴史の中でどのように変わって来たのか、あるいは人間もまた生物としてどのように歩んできたのか。地球の始まり、いや、宇宙の始まりにも遡って、そこから今日までの、人間の知っている全ての「知識」をコンピュータのスクリーン上にまとめあげようとする。だが、そこで気がつくのは、次々に開かれたたくさんのウィンドウの集積が表すのは客観的でただ一つの真理ではなくて、人々の思想が様々な角度から光を当てられた局面のようなものだということだ。

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Norbert Ghisolandが我々に見せるのは、第二次世界大戦中に彼のフォトスタジオで撮影されたこどもたちの記念写真である。こどもたちは今も昔も、誕生や入学や、あるいは様々な節句の折に、一人や他の兄弟姉妹と共に、非日常的で非現実的な衣装をまとわされて、カメラの前に立たされる。ここで作家は、親の夢を叶えるためにこの大変な仕事をまかされたこどもたちが、イメージの中でまったく不釣り合いな表情で立ち尽くしている様子。そこにある、ある種の滑稽さや不気味さを浮き彫りにしている。Norbert Ghisolandは1878年生れ、ベルギー出身の写真家である。10代から写真家として働き続けたGhisolandは生涯19000枚のイメージを残している。

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引き続き、子どもの記念写真にかかわる作品を見てみよう。広告写真やスナップショット、マジックランタンやタブロー•ヴィヴォンの写真など、19世紀から20世紀に渡る数々の写真のコレクターとして知られるLinda Fregni Naglerが今回展示した997枚の一連の写真には、思わず足を止め、その様子を一枚一枚確認したくなるような共通点がある。それは、隠された母親の存在である。The Hidden Mother (2006-2013)は、ご存知のように露光時間が長かったダゲレオタイプの写真撮影ならではの困難の結果しばしば見られた奇妙な習慣を伝える。撮影の際、非常に小さな子どもを動かずじっとさせておくことは難しく、子どもだけの記念写真を撮るのは至難の業だった。そこで考えられたのが、母親がすぐそばで支えていれば子どもはじっとしているという当たり前のアイディアであったのだが、写真をみてみると、「写る必要のない」母は、黒い布を被って自らを隠している。(写真 下)そこには明らかに誰かがおり、その存在は誰の目にも明白なのだが、それでも、母は姿を現してはいけないのである。この種類の写真には、子どもを安心させ、じっとさせるためのものと、子どもの「没後写真」の二種類がある。(上のように、子どもの背を後ろから支えているものは没後写真。) 写真が発明され、人々が肖像画を撮るようになった頃、写真が提示するまったく本物らしいイメージは、あたかも死んでしまった人が生き返ったかのように、あるいは、生き返ってくれたらいいとう人々の願いを喚起することになり、生前のような服と姿勢で撮影する没後写真が盛んに撮影されるようになる。生命力の強くない子どもはしばしば幼くして命を落とし、かれらもまた、可愛らしいドレスを着せられ、隠された母親に抱かれ、撮影されている。(展示写真は1840年代から1920年代にわたって撮影され、ダゲレオタイプ、アンブロタイプ、フェロタイプが混在している。)

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Nikolay Bakharevが撮影した家族写真や若い女やカップルの写真において、人々はすこしためらいを表情に浮かべながら、しかしどちらかといえば嬉しそうな様子を見せている。ソヴィエト抑圧下の厳しい統制があった時代、「裸」を写したイメージは厳しく禁止され、それを現像することも所有することも重大な犯罪とされていた。家族や恋人と、肌の露出を伴った写真を頑に禁じられていた当時、人々に唯一許されていた機会は、ビーチで撮影した水着姿くらいであった。人々はとても幸せそうに、唯一の自分の若かった身体、子どもである身体、年をとった肉体をBakharevの向けるレンズに見せてくれた。我々の今日の肉体は、今日しかそこにない。

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Laurie SimmonsAllan McCollumは共にアメリカのアーティストである。Laurie Simmonsは、1949年ニューヨーク生まれ、ユダヤ系の家庭に育ち、70年代より独自の主題をシリーズ化した写真を撮り続けている。人形の家を撮影した初期の作品から一貫して、人形や人形の家を使った状況設定はSimmonsの写真に繰り返し見られる。人形に様々なコスチュームを着せた作品や、人形が世界中の観光名所を旅しているようなシリーズ« tourism »もあれば、« Ballet »もやはり踊る人形がバレエの写真や絵画と重ね合わされている。さらにもっとも最近の作品The Love Doll(2009-2011)では、リアルドールが着物や鵜ウェディングドレスなどを纏って、化粧を施され、リアルな背景や家具の中に身をおかれた写真を撮影している。一方、McCollumは、30年間にわたって、物の公共性とプライベート性についての問題提起を、大量生産される日用品をインスタレーションとして提示することによって続けている。そもそもMcCollumは、俳優を目指し一度イギリスに渡り、帰国の後飲食店の経営やキッチン用品の産業に興味を持って技術系のカレッジに通っている。その後、航空会社で飲食関係の仕事についたが、フルクサスや初期構造主義に影響を受けてアーティストになることを決意する。このような経緯から、大量生産のプロセスとその産物が彼の一貫したテーマの一つなのである。さて、ここでは1984年にAllan McCollumの協力によって実現したActual Picture(1985)が展示された。さて、映し出された人形はしばしば目や鼻がなく、そもそも身体の形も不自然である。表面がざらざらしていたり、鼻のあるべきところがつるっとしていたりする。これらは全て、それは人々のポートレートと同じような一定の大きさの写真に提示されている。ところが実は、この人形のそれぞれは小さな消しゴムほどの大きさしかないフィギュアなのである。一つ一つ肖像画風に提示されるとそれぞれの「人形」は、奇妙な存在感を帯びる。

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Autur ZumijewskiBlindly(2010)において、集まってもらった全盲の人々が太陽を描くところをビデオに収めている。それぞれは筆は使わずに、指や足を使って絵を作って行く。そのうちの一人の男性は途中で、筆を使うことを選ぶ。なぜなら、彼が描きたい太陽の光線の一本一本が、指などを使っていては到底表すことが出来ないからだ。Zumijewskiはワルシャワに1966年に生まれた。ホロコーストの記憶や、Ability(できること)とDisability(できないこと)のボーダーに触れ、歴史的あるいは身体的なトラウマを描き出し、強い感情を引き起こすような表現を行っている。Sumijewskiの作品におけるDisabilityはそれが強い感情を引き起こすものの、それは単純な同情や見ることの拒絶ではなく、人々にそれに見入ることを促すように働く。

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次回は、彫刻とインスタレーションについて書きます。

09/29/12

Camille Henrot/カミーユ•アンロ, ジュエリーは押し花に敷かれて

どこの街にもきっとそういう場所があるのかもしれない、と思う。活気ある通りを一本中通りに入り、impasse(行き止り)に数歩入っていくだけで、周りの雑踏が消し去られて自分がどこにいるのか分からなくなってしまう、パリにもそういう場所がある。そこは、オペラ界隈の人の多さを横目にLaffayette通をまっすぐ東にメトロの駅2つ、3つ分進んで行くと辿り着く、東のパリの活気を感じさせるエリアだ。交通量もレストランも多く、とてもにぎやか。このギャラリー、ROSASCAPEは一見そのようなカルティエにある。impasseに一歩足を踏み入れると、とりあえず、正面の壁の時代錯誤ぶりに言葉を失うことができる。そうか、ここは21世紀ではない。19世紀後半とか20世紀の、古き良き時代のパリが息をひそめて隠れていたのだ!

ギャラリーの扉を開けると、そこにはテーブルにずらりと並んだ、押し花。いや、よく見ると、各々がホンモノである押し花は一つ一つ丁寧に何か文字がプリントされた紙の上に貼付けられている。色々な花がある。葉と茎だけのものもあれば、パンジーのような大きな花をもつ植物も押し花にされて、色の鮮やかさを失った代償として、花びらもがくもそのままに丁寧に保存されている。

展覧会のタイトルは、« Jewels from the Personal Collection of Princess Salimah Aga Khan »。押し花と宝石のコレクションを結ぶアーティスト、Camille Henrot / カミーユ•アンロ(1978生、パリ)の個展だ。こんなセレブ感溢れる素敵なギャラリーでのことだから、サリマー姫の世界のコレクターも目を見張るような素晴らしいジュエリーの数々が見られる、なんて勘違いしてはいけない。ここに展示される姫のジュエリーコレクションは、姫のジュエリーコレクションのリスト(活字として印刷されたもの)だけであり、Camille Henrot の展覧会はむしろ、ホンモノのジュエリーどころか、一欠片のダイヤモンドの押し付けがましい輝きすら必要としていない。

展覧会の解説を始める前に、まずこのプリンセスがどれくらいセレブなお方であるのかをざっと知識を得ておく必要があるだろう。Princess Salimah Aga Khanは、49代イマールのアーガーハーン4世の元妻である。1940年、ニューデリー生まれのPrincess Salimahは、ファッションモデルとしてモード界に名を轟かせ、1959年19歳の時、ひとり目の旦那と結婚、9年後離婚し、翌年アーガーハーン4世と再婚した。さて、26年に渡ったアガーハーン4世との結婚生活の間贈られ続けた彼女のジュエリーコレクションは世界でも有名である。ヴァリエーション、質の高さ、珍しさ、それに由来する価値(価格)の前には、もはや、ゼロが幾つあるか、幾つあるからどうなのかすらよくわからない。
1995年にハーンと離婚した後、宝石コレクションを次々売りに出すようになる。ハーンからのプレゼントである宝石は、ハーンの妻としてふさわしく美しい輝きを放つように、プレゼントされたものなのだから、彼から離れることになれば、それらはむしろ消えてしまった方がいい。あるウェブサイトで販売に出しされたジュエリーの例を見ることが出来るが、ざっと、数千万単位のジュエリーがポンポン売りに出されて、富めるコレクター達の手に渡って行った。このレベルのジュエリーを何百も番号を振り、数十ページのリストブックにするほどたくさん持っていた。離婚以来、ジュエリーを売りに出している彼女は、そのお金をもとに人道奉仕活動を展開している。

彼女は幾度となくフランスを訪れ、元夫は馬を持っており、二人でゴルフをしばしば楽しんでいたこともあり、フランスの国に縁あるプリンセスとして、フランスの人々親しまれているようだ。そういうわけで、Camille Henrotが、サリマー姫のJewels Collectionを自身の表現の出発点として、対照する目的で参照するのには以上のような文脈がある。

さて、そんな長い前置きをふまえて、Camille Henrotの作品を見てみよう。

彼女のコンセプトはとても明確である。一方、それが意味するものは、ゆっくりと絵の具が滲むようにして現れてくる。プリンセス•サルマーの売却用宝石リストは、上述したように、ほとんどのページが活字のみで表されている。ごくまれに写真でジュエリーイメージが添付されているが、一色刷りである。リストには何が記載されているかというと、ジュエリーの番号、どんな宝石の組み合わせで出来ているか、なんという名前か、おいくらなのか、である。それぞれページの上には押し花、押し草。ページの下部には、植物学者による植物名の同定が手書きの文字で書き込まれている。

彼女の植物コレクションは、お庭で手塩にかけて大切に育てた植物に由来するのではない。これら押し花と押し草はすべて、Camille HenrotがNew York滞在中の夜中に、道ばたのプランターや人様の庭先、窓の桟におかれた鉢植えなどのスポットから、「盗んで」きたものだ。窃盗行為を遂行するCamille Henrot のようすは、若い学生フォトグラファーによって撮影されたスナップショット的に犯行現場として、しっかりと記録されている。

彼女はその証拠写真と、盗んできた植物で大切に作った押し花を、惜しげもなく、遠慮なく、プリンセス•サリマーの宝石リストの上に貼付ける。重ねられた部分は、なんというジュエリーで、どのような宝石がちりばめられていたのか、記述事項が全く読めない。それぞれがホンモノであるところの押し花は、印刷物であるところのジュエリーリストなんか、注目に及ばないほどの存在感を放つ。この様子が、何かしらアーティストの挑戦的あるいは暴力的なまでの強い意志を感じさせる、と読む事はあながち間違いではない。

核心に及んでしまう前に、もう少しだけ、このインスタレーションを楽しむための鍵について説明しておこう。Camille Henrotは、ヴィデオアート、メディアアート、コンセプチュアル作品などの多様な表現で活動を展開しているアーティストであり、数年前日本に滞在した際、生け花に興味を持ち、講習を受けてこれを熱心に勉強している。彼女がこの作品を作るために手がかりにしたのは、花言葉である。どのジュエリーに対して、どの植物の押し花を選択するかというとても重要そうな問題に対して、アーティストは、宝石にも言葉があり、花にも彼女らを表現する詩的な言葉がある事を指摘する。花言葉そのものはヨーロッパにも日本にも古来存在したが、当てられた言葉やその意味は同じではない。彼女がどのような花言葉を採用したか、定かではない。しかし、彼女の花をマテリアルとした他の展示、« Est-il Possible d’être Revolutionnaire et d’aimer les Fleurs? » (Galerie Kamel Mennour, Paris)なども参照してみると、彼女が宝石と花の言語を結びつけると同時に、それらの「かたち」や「うごき」といったものに関心を示しているのがすぐに読み取れる。

あるいはもう一つのキーワードは、宝石と花が両方とも伝統的に女性性に結びつけられていた周知の事実を、新しい視線で着目しようとするアプローチである。たしかに、宝石も花もそれらは女性的なオブジェと性を断定されながらも、実は非常に異なる。宝石は歴史において、男性から女性にプレゼントされ、贈られた宝石がどれだけ素晴らしいかが、しばしば女の価値を象徴するものとなり、宝石は女が死んでも、保存され、売り渡され、再利用されて残り続ける。花はそうはいかない。花は宝石との対比で言えばむしろ女自身のように、ある時とても美しかったのが、すぐに枯れて朽ちてしまう。特別な技術を使わない限り、何百年も保存される事はなかなか難しい。しかし、押し花はある意味で儚い花でありながら、時を越え得る強さを持った花の姿であろう。それは石よりも生き生きとしており、そして美しい。

Camille Henrotがここで表現したものは「あるものが上になり、もう一方のものがそれの下敷きとなり、二つのものを重ね合わせて眺めること」に収斂する。紙に置かれたアーティスト自身の押し花コレクションは、それが盗まれたものであろうとなんであろうと、心を込めて作られた押し花という強かな媒体となり、もはやそこにないジュエリーコレクションを下敷きにして、階級の差を訴え富める人々のコレクションを足蹴に鑑賞者の目の前に提示される。だが、女による女の征服はいつもそこに曖昧さを包有する。ジュエリーを隠し、押しやるために選び抜かれた生きたコレクションである押し花は、そこにあったジュエリーと「言葉」によって結びつき、お互いの「かたち」と「うごき」で会話し始める。相異なる二つのコレクションは、それが女のコレクションであるという限りにおいて、それが二重にかさなりあいながら、それが実は戦えないということを鑑賞者に語るのではないか。