Espèce parapluie / アンブレラ種 Art Award in the CUBE 2023入選
清流の国ぎふ芸術祭 Art Award in the CUBE 2023 に florian gadenne + miki okuboの作品Espèce parapluie / アンブレラ種が入選し、2023年4月22日から6月18日まで岐阜県美術館にて展示中です。ご高覧いただけましたら幸いです。

清流の国ぎふ芸術祭 Art Award in the CUBE 2023 に florian gadenne + miki okuboの作品Espèce parapluie / アンブレラ種が入選し、2023年4月22日から6月18日まで岐阜県美術館にて展示中です。ご高覧いただけましたら幸いです。
パートナーであるFlorian Gadenneとのユニットで出展中の500m美術館賞展にて、我々の展示 »Visions lyriques »(叙情的幻視)がグランプリを受賞しました。
« Visions lyriques »は、Gadenneが2021年に札幌に移住後、異国における日常生活を通じて得た様々なインスピレーションと詩的な〈奇なるものとの出会い〉を描いた小さな水彩画のシリーズで、全体では19のテーマについて100枚以上の作品がある中、今回の展示では2基のガラスケースに合わせて、札幌の生活と特に関連の強い70点を展示しています。通底する主題は「エコロジー」。都市生活における私たちの生活の歪んだ対環境的態度がユーモアを交えて浮き彫りにされます。
今回の展示では、作品に加えて、Gadenneが制作過程を全て中継したInstagram上でシェアされた着想源および、原画展示のない30点強を含め50inchiの大画面でご覧いただけるようモニターを設置しています。
展示は3月29日まで。ご高覧いただけましたら幸いです。
明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は5月から6月にかけて企画した展覧会「ファルマコン:新生への捧げもの」(@The Terminal KYOTO)を開催し、関連するオンラインレクチャーをYouTubeチャンネル「展覧会ファルマコン」でアーカイブさせていただきました。(アーカイブ:https://www.youtube.com/@user-mw5vt7zy3n/videos)
今年もファルマコンをテーマとした展覧会企画は継続していければと思っています。また詳細が決まりましたら発表させていただきます。
そのほか、今年は、1月21日から3月29日までの札幌での展覧会500m美術館賞(@札幌大通地下ギャラリー)、4月22日から6月18日までの「清流の国ぎふ芸術祭Art Award IN THE CUBE 2023」(@岐阜県美術館)に美術家の夫とのユニットflorian gadenne + miki okuboとして出展予定です。
今年は皆様にお会いできますように、楽しみにしています。
2023年1月1日 大久保美紀
先月(2021年3月)初旬、年老いた友人を亡くした。7月には97歳になるところだった。20代の頃スペインから姉と共にフランスに渡り、理髪師の仕事をこつこつ頑張りながら、人生を切り拓いた。連れ添った夫は彼女よりも20以上も年上で、かなり前に亡くなっており、彼女に子供はいなかった。姪っ子や姪の子供たちを可愛がっていて、時々は自分で料理をして、日曜日の昼食に招待していた。スペインにも親戚があり、2年ほど前までは毎年夏を一ヶ月ほどそこで過ごしていた。四、五年前までは自分で旅行鞄を引っ掛けて電車に乗り、1000キロほどの道のりを一人旅していた。
自分の人生に満足しているといつも言っていた。私が長いこと学業をしたり、非常勤ばかりして定職を得ず、フリーランスで個別指導をしたり日本語教師をしたり、翻訳や通訳をしたり、色々なことをするのに走り回っていると、そういう働き方はわからないと言わんばかりに就職して働くべきだと諭すので、私がそういう方法でない働き方もあるなどと反論したりして何度も言い合いをした。彼女も言い分を曲げることなく、私もまた曲げないので、この話はいつも平行線になり、彼女が私の仕事の近況を聞くたびに同じ言い合いになった。
家に行くといつもシャンパンを薦めた。小さなボトルのシャンパンが彼女の家には何本か常にストックしてあって、それを、中庭に面した居間の窓を眺めながら、何度も一緒に飲んだ。息子が生まれてからは、シャンパンをたったのグラス一杯とはいえ、気がひけるので、車の時は飲まなかったから、最後に彼女とシャンパンを飲んだのはいつだろう(フランスではアルコール濃度によるが、たいていコップ一杯くらいの飲酒なら合法である)。息子が生まれて、私も子供のことで頭がいっぱいになり、そうしているうちに、彼女の具合も良くないことが頻繁になり、声をかけても家に押しかけられるのをやんわり断るようになり、なかなか会わなくなった。
年末、私が日本での展覧会の仕事で帰国した頃、彼女は長年渋っていた高齢者向けの施設への引越しを決めた。医療設備があり、買い物に行く必要も料理をする必要もない高齢者向け住宅。コロナ禍で、面会は不自由だったし、外出するにせよ、レストランもすべて閉まっている。彼女は呼吸補助の機材を日常的につけなければならなくなり、このようであるならば、もう生きながらえることを選ばないとはっきり伝えていたようだ。私は2月下旬に日本から戻り、早くに会いに行くつもりで過ごすうち、3月初旬に私自身が急な体調不良となり、一週間の絶対安静、その後もなかなかはっきりと回復せず、と過ごすうちに、彼女は死んでしまった。
人が死ぬというとき、長く生きながらえて、長いこと闘病して死ぬ人も多くいるし、急に逝ってしまったように言われる人もいる。どれだけの期間、どれほどの密度で死と近くに向き合っていたかというのは、近くにいた身内にはもちろん見えることがあるだろうけれども、多くの場合は本人にしかわからないように思う。コロナ禍の生活では、会いたい人と会えず、食べたいものを食べられず、行きたいところに行けず、それでも、ウイルスの蔓延を防いで息を殺して生きながらえる方がいいに決まってるじゃない、と説き伏せられており、年老いた人々も極力外出を控え、若い人のいる場所ではマスクの中側でも息を殺し、ワクチンが用意できたよと言われれば意を決して打ちにゆき、会いたくてたまらない孫の顔はスクリーン越しに眺めて過ごしているけれど、そういうもんなのかなあと疑問に思う。死んだら、葬儀には自ずと老人が集うというので、なかなか知人の葬儀へ行くのも勇気がいるだろうし、葬儀の執り行いについては現在でも死者が多すぎて火葬場も業者も手が足りておらず、二週間以上待ちなんだそうだ。
二週間以上待たされて、ようやく棺は閉められる。普通は近親者の面会で行われるこの儀式的な時間は、コロナ禍では特に、このタイミングが最後の面会と決められており、教会での葬儀の際はもう死者の顔を見ることはできない。二週間待たされ、二週間以上前に生きることに終止符を打った彼女を目の当たりにして、私は悲しくなった。髪に触れ、別れの言葉を言う。悲しくなったのは、生きていた彼女が死んだ、というよりも、彼女が生きるのをやめてから長く時間が経ったというのがはっきり感じられて、別れを言うその言葉を届けたい彼女が、もうすでに結構遠くまで旅立っていて、つまりは彼女はもうそこにいないという感じがあまりに明らかだったからである。
死者に別れをいうのは、生きている者にとって必要である。現代は、親を除いて親戚であっても年老いた叔父や叔母の面倒を最期まで看ることはないし、親ですら、ひょっとしたら高齢者施設や医療機関で最期の時を過ごすというとき、あまり近くにいる存在でないことだってありうる。死んでしまった後のケアはエンゼルケアとか呼ばれ、プロフェッショナルが職業としてお世話をする。葬儀もプランが色々あって、パーソナライズできる一部のチョイスを細々注文すれば、儀式は滞りなく執り行われ、火葬もそれ以降も、どうすればいいかわからず困るということがないように大体プランが準備されている。コロナ禍では、葬儀に参列せずに、オンライン葬儀やオンラインで参加を積極的にコマーシャライズしている業者を多く見かける。オンライン葬儀、そのあとの火葬から骨拾いまで全て請け負ってもらうことができる。
私たちは死者に会わないまま生き続ける選択肢を与えられたらしい。けれども、そんなことで、本当に生き続けることができるのかなあと思う。大切な人が突然いなくなり、死んだということがどういうことかを目の当たりにせず、別れを言うことなく、気がついたら灰となってお墓に眠っているよと説明を受けることによって、一体、私たちは生き続けることができるのだろうか。
生まれることと同様に、死ぬこともとても生々しいプロセスであると思う。人の子供はポイポイ生まれるように見え、あたかも急に小さな存在が世界に放り出されて生き始めたように見えるけれど、妊娠と出産も相当生々しく、美しいとか、感動だとか、そういうポジティブな表現とは相反する、痛く苦しくて、血だらけで、もはや拷問のようなプロセスなのである。倫理的に、生命の誕生は美しいと言うべきだと教わるので世間の産婦は敢えて言わないだけで、実はそうなのである。コロナ禍では、出産の立会いの制限や出産後の面会を全て禁止にしている状況がもはやかなり長期間にわたって続いている。驚くようなことだが、NICUに入っている新生児だと産んだ母親ですら、週に数時間とかほんの少ししか会えないそうなのである。貴重な経験をシェアされているブログ記事を拝読した際、産み落としたはいいけど、こんなに会えなくなると、自分が産んだという実感が薄れる気がするというまったく正直な感想を見つけ、酷い事態だと改めて思った。個人的には出産には父親である者が立ち会うのが望ましいと考えているし、兄弟や近しい家族もできるだけ早く新生児に会った方が良いと考えている。だが、もっとも大事なのはもちろん産み落とす母親であり、彼女の産み落とした実感と身体感によって新生児は守られて生き延びることができる。もちろんさまざまなケースがあって一緒にいられない場合もあるが、コロナ禍の出産経験に関する先述のケースなどはやはり改善されなければならないと願う。
生きている中で、生まれることと死ぬことは、「怖い」。それは生きているというよく知っているかのような状況が突然、違う世界に裂けており、そのことに気がついてしまうからだと思う。確かに怖いのだが、そのことが丁寧に隠されてしまった世界で騙されて生きるほうが、やはり私には気持ち悪く、生きづらく感じられる。
ホメオパシー(同種治療)について 1
2019年9月2日
ホメオパシー(homéopathie)は、同種療法、つまり、ある病や症状を起こしうる物質によってそれを治療することができるという考えに基づく治療法である。病や症状を起こしうる物質とは時に毒や身体に害のある物質のことであり、それを薬として利用することで心身の不調を治そうとする考え方だ。身体にとって毒となるような刺激によって病を防ぐという原理だけ聞くと、今日科学に基づく西洋医学に慣れている私たちは、「ワクチン」のことを思い出すかもしれない。しかしワクチンとホメオパシーのリメディ(ホメオパシーに使われる薬のこと)は決定的に異なる。ワクチンはご存知のように感染症の予防のために接種され、それは対象となる病の病原体から作られる抗原(弱毒化あるいは無毒化されている)を含んでおり、結果、身体は病原体に対する抗体を産生して感染症に対する免疫を獲得するというものだ。ここで、ワクチンの効果は医学的に証明されている。一方、ホメオパシーの効果は、現代の医学的見地から、プラセボ(偽薬、placebo)以上の効果はないとされ、それ自体に害はないがリメディーはただの砂糖玉に過ぎないとされている。
ホメオパシーは、用語としては18世紀末にドイツ人医師のサミュエル・ハーネマン(Samue Hhnemann, 1755-1845)によって用いられ、ヨーロッパにおいて各国で研究がなされた。ナチス・ドイツ時代にアドルフ・ヒトラーがホメオパシーを厚遇したことはよく知られているが、ユダヤ人強制収容所で行われた人体実験においてホメオパシーの偽薬以上の効果が検証されることはなかった。ドイツ以外の各国でも、今日までホメオパシーのリメディーによる治療が医学的見地から効果を認められたことはない。
にもかかわらず、戦後も、どころか今日においても、ホメオパシーは「代替医療」として普及し実用化されている。ヨーロッパの国々の中でもフランスはホメオパシー実践が今日もなお盛んな国の一つである。ホメオパシーのリメディーの処方は、30パーセントまで保険が適応される<オフィシャルな治療>と現行の医療ではみなされている。(ただし、昨年の医療関係者124名による署名運動を含め、医学的に効果が証明されていない療法に保険適応をすることや処方を認め続けることについて議論は尽きない)
ホメオパシーは、現代主流の医学的見地から偽薬以上の効果がないことは明らかであるのに、医学先進国であるフランスにおいて今尚実践されていることはとても奇妙な事象だと思うし、そもそも効果がないということが一般に理解されているのかどうかも微妙なところであり、その現状も非常に謎めいている。なんとなくだが、ただの砂糖玉だと気がついてはいる一方で、砂糖玉にすらすがりたいと思わせるような魅力がホメオパシーにはあるのではないか、あるいはホメオパシーという不明瞭な代替医療が確からしく科学的な現代医学に対して一般の人々が抱く不満のようなものを受け止める役割をしているのではないか、と感じられてならない。
これから、どのくらいゆっくり考えていくことができるかわからないが、このなんとなく不穏な問題について、そのありうる答えを探っていきたいと思う。なぜホメオパシーを現代人の我々が頼りにするのか考えることは、私たちが抱えている身体に関する問題、現代医療に対する問題、よりよく生きることに対峙する仕方について思考を深めることを可能にしてくれると直感するからだ。
議論したいことはたくさんあるのだが、ひとまずは私がなぜホメオパシーのことが大変気になっているのか、そのきっかけについて述べたい。
私は2015年より、フランスのナント(Nantes)を基盤に医療と環境の問題を提起する大変興味深いアート活動を続けているアーティスト、ジェレミー・セガール(Jérémy Segard)との協働プロジェクトをいくつか展開してきた。彼とのプロジェクト展開において、やがて、ファルマコン (Pharmakon)という、ある物質や出来事はしばしば毒と薬の両義的役割を持っている、という興味深い概念に出会い、これについて、研究及び展覧会を通じて探求してきた(展覧会ファルマコン )。2017年に京都と大阪で9名のアーティストによるコレクティブな展示を行い、その開幕に合わせて開催したシンポジウムにお越しいただいた埼玉大学の加藤有希子さんは、新印象派のプラグマティズムについて色彩とホメオパシーに焦点を当てた講演をしてくださり、ホメオパシーが19世紀ヨーロッパである種の怪しげな宗教的な信仰を受けて支持されていたという状況や、同種療法が毒を用いて行おうとしたことに関心を抱く。そして、強烈だったのは自分自身のホメオパシー実戦である。私は2018年12月に出産し、半年ほど経った6月頃から度々授乳時の痛みや乳腺炎の手前までいくような乳腺の炎症を経験し、助産師に三回、医者に二回かかった。助産師は私に複数のリメディーを処方し、医者はアルコールと抗生物質を処方した。強い痛みや熱が伴い、崖っぷちの状況で、処方されたリメディーは言われるままに正しく摂取し続けたが、症状が落ち着くにつれて、ホメオパシーについて冷静に色々考え直してみると、砂糖玉によりすがったことが馬鹿らしくも思えてくるが、いやまさか、ちょっとは効いたのではないか、など思いたくもなってくる。多少保険が効くとはいえ、一時期だいぶん調子が悪くなって大量のリメディーを処方され、それを購入して摂取したのだ。偽薬でしたと片付けるには、助産師の処方もたいそう公的に行われているし、なんだか腑に落ちない。そもそも、この代替医療はかなり多くの妊婦・産婦、子供、老人、自然的なイメージの代替医療を好む患者によってしぶとく実践されている。これだけ情報の入手が可能な今日、自分が服用する薬がどんなものかは知らない手段がないわけでもないし、それなのにこれほどまでにホメオパシーが根強いとしたら、無視しづらい。
さて、こう言ったことが私の関心の原点だ。