12/11/16

artists’ talk: miki okubo & florian gadenne »When arts meet sciences: beyond the gap between art and nature »

『artists’ talk: miki okubo & florian gadenne »When arts meet sciences: beyond the gap between art and nature »』アーティストトーク:大久保美紀 & フロリアン・ガデン”アートがサイエンスに出会うとき:「アート」vs「自然」を越えて

年末にイベントをします!どうぞお越し下さい。14991958_325438104515693_1492988070828960799_n

https://www.facebook.com/events/1726238051029309/

日時:12月28日20:00~22:00(予定)
集合:地下鉄中津駅2番出口上がり19:50集合
内容:対話&交流会
会場:511
参加費:1000円
定員:30名
申込方法:FBか『511』サイト『CONTACT』より申込
http://waon511.jimdo.com/

florian gadenne/フロリアン・ガデン
1987年仏生まれ。美術家。2013年ナント美術大学(ESBANM)卒、芸術修士。サヴィニー・シュル・オルジュ(パリ郊外)にて制作。パリ、ナントを中心にヨーロッパにおける展覧会に多数参加。近年は、Château de Oironにおける子どもアトリエ“ Expériences Hasardeuses”(「偶然的経験」、2016年)、植物/無機物/有機物の相互的関係を科学的に考察する実験的作品を多数発表。芸術と科学の領域横断的研究、とりわけ、バイオロジー、環境の生態系に及ぼす影響が主要テーマ。物や生物に蓄積される記憶や物理的刻印に関するプロジェクト“ Objets cultes ”など長期に渡るプロジェクト多数。2016年第三回PARISARTISTESにノミネート、パリ東駅横Couvent des Recolletsにおいて “ Cellule babélienne”を展示。
website : http://floriangadennecom.over-blog.com/

miki okubo/大久保美紀
1984年札幌生まれ。美学・現代芸術博士。芸術批評、エッセイスト、美術家。INSEEC Business School 非常勤講師。パリ第8大学芸術学部講師。同大学大学院美学・芸術の科学とテクノロジー専修造形芸術・写真専攻で論文『可動的・流動的時代における自己表象』(Exposition de soi à l’époque mobile/liquide, 2015)により博士号取得。研究テーマは自己表象、ファッションの身体論、日記と私小説、参加型アート・インタラクティブアート、ポピュラーカルチャー、芸術と大衆文化の境界。アーティスト恊働のイベントや現代的筆記をテーマにしたワークショップを企画実施。ウェブサイトsalon de mimiに展覧会レビューや作家・作品論、批評誌『有毒女子通信』にエッセイを連載。フランス、日本を中心に講演、研究発表多数。
website : http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/

10/4/16

L’UN L’AUTRE, exposition à Nantes en novembre 2016

展覧会L’UN L’AUTREは、ナント市の医療研究機関IRS2の開館に際して、本研究機関構内および屋上を利用した展覧会です。私はアート批評家として、本展覧会カタログ掲載のテクストを執筆、参加アーティストの作品についての論評および展覧会趣旨についてのマニフェストを寄せています。

本展覧会が焦点を当てているのは、感染症における宿主―病原体のインタラクションについてです。芸術的アプローチを通じて、このような専門的な主題に対して何かアクションを起こすことは可能なのか。専門的でありながら、医療や科学は私たちの日常や生きること、より良く生きることそのものに深く関わっています。本展覧会でアーティストたちがやってみせるのは、“先端”/“専門”領域に属するテーマについてパブリックの関心を喚起するための実験であり、研究であり、新しい実践であるということができます。例えば、清潔や健康という概念はさまざまな言説に取り巻かれており、何が正しい情報なのか、何が適切な知識なのか、非常に分かりにくいのです。芸術の役割あるいは重要な潜在性は、こういった閉じられた専門領域を開いてコミュニケーション可能にすることにあります。

本展覧会でアーティストたちによって提起されたアプローチは、多様な関係性への(環境―病原体―宿主―人間の身体―病気と生命)新たな解釈へと私たちを導いてくれます。

J’ai le plaisir de vous annoncer ma participation à l’exposition L’UN L’AUTRE à l’occasion de l’inauguration du bâtiment l’IRS2 à Nantes en novembre 2016. Je serai auteur du texte intégré dans le catalogue de l’exposition ainsi que l’extrait exposé dans cet espace. La thématique que nous travaillons est la réflexion sur l’interaction hôte-pathogène via éventuelles approches artistiques. Il s’agit d’abord d’une considération sur les maladies infectieuses. Il s’agit aussi à notre avis d’une recherche/ expérimentation/ nouvelle pratique qui permet potentiellement de sensibiliser le public sur des sujets scientifiques « spécialisés », d’éveiller la curiosité et l’intérêt sur des connaissances nécessaires à propos de l’hygiène et de la santé, et de créer un accès à tout ce dont on a besoin pour vivre mieux face aux situations actuelles: haute-spécialisation des connaissances scientifiques et médicales, sacralisation des domaines académiques et isolation des champs de recherches…

Je crois qu’il existe une utilité importante portée par l’expression artistique dans un tel domaine peu associé à l’art selon la compréhension générale. Les propositions des artistes participants ouvriront une nouvelle voie vers la pensée sur la relation parmi: l’environnement, les agents pathogènes, l’hôte, le corps humain, la maladie et la vie.

Vous trouverez le lien ci-dessous expliquant le projet par l’Association Lotokoro :
http://lokotoro.org/index.php/archives/2-appel-a-projet-experimentation-en-culture-scientifique-sur-les-maladies-infectieuses

Vous trouverez également un projet de Florian Gadenne, artiste exposant, de la description sur son expérimentation autour de la Tour de Babel.
http://floriangadennecom.over-blog.com/2015/09/tour-de-babel-etho-biologique.html

Artistes exposants: Jérémy Segard, Evor, Florian Gadenne, Sylvie, Geoffroy Terrier et Miki Okubo (texte).

Au plaisir de vous voir à Nantes et à suivre pour la date et le détail de l’ouverture.

Miki OKUBO

09/13/16

un récit lucide d’une survie rituel

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expérimentation physique – isolation volontaire – tentation déshabituée

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sensation honnête – simulation naturelle – illusion réaliste

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mythe spatiale – rite animalier – prêtresse sonore

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peinture dynamique

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douleur extasiée

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intuition – soif – lucidité

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vide – cure – bonheur

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compréhensibilité réspirable – oxymoron inquiétante – pluralisme théâtral

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art mur – but simple – ouverture intelligente

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affection relative – sympathie cathartique – cycle répétitif

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nid – acte – vie

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images par miki okubo et florian gadenne (blog d’artiste)

tous droits réservés. toutes utilisations, reproductions sans accord des auteurs ne seront pas aimées

08/15/16

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim

本テクストは、『有毒女子通信』第12号 特集:「食べないこととか」(2013年刊行)のために執筆・掲載した食と産業についてのエッセイです。庭で赤くなるまで太陽を浴びたトマトがなぜこんなにも美味しいのかと反芻することは、グロテスクな口紅のようなピンク色のトマトの、それらもまた食べられるべくしてそれらを基盤として生計を立てる人々の関係から関係を通って、我々のフォークを突き立てるその皿にスライスされて登場するにいたっているということを了解した上でもなお、それを摂取することへの苦痛を催すきっかけとなる。あるいは、食物がクリーンであることへのオブセッションや、それが肉体に与えうる恩恵や損害を思うとき、ひょっとするともう何ものも摂取することができないのではないかという恐れと、いっそのこと一切の執着を捨てるのが良かろうとする相反する二つのアイディアの板挟みになるかもしれない。

環境においてのみ生きる我々が、それを望むエッセンスのみに収斂することなど叶わず、同時に思うことを放棄することもまた叶わないことを、どこかで直観しているにも関わらず。

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim
大久保美紀

We Feed the Worldは、オーストリアの作家・映画監督のエルヴィン・ヴァーゲンホーファー(Erwin Wagenhofer, 1961-)の撮影による長編ドキュメンタリーである。2005年の初上映以来、ドイツ、フランスを始め、ヨーロッパ諸国で反響を呼び、日本でも字幕を伴って 『ありあまるごちそう』 というタイトルで上映された。映画は、食糧生産やその廃棄に携わる人々の日々をありのままに伝え、彼らの率直な言葉と労働の現状を淡々と映す。あるいは、 「世界は120億人を養えるだけの食料を生産しながら、今この瞬間にも飢餓で死ぬ者がいる。この現実は、殺人としか言いようがない」と 当時国連の食糧の権利特別報告官であったJean Zieglerが憤慨し、他方、遺伝子組み換えの種子開発の最先端を行き、世界の食糧大量生産を支えるネスレの元ディレクター、Peter Brabeckがこの世界の行く先を語る。

 この映画を見て震え上がり、明日の食卓をゼロからの見直し決意し、スーパーの安価な魚や鶏を貪るのを断念し、最小限の消費と廃棄を誓って、貧しい国で今も飢える幼子の苦しみに心を痛める、ナイーブで心優しい鑑賞者を前に、「この偽善者め!」と言い放って彼らの気を悪くするつもりはない。しかし、その程度のインパクトに留まるのなら、このフィルムは所詮、これまで幾度となくマスメディアが特集し、ドキュメンタリー化し、国際社会が早急に取り組むべきだと声高に叫ぶその問題を描く無数の試みの水準を逸することなく、今日の世界を変えはしないだろう。我々は、もはや聞き飽きてしまった問題を別の方法で聴く努力をするべきなのだ。そのことより他に、不理解という現状を乗り越える術はない。

 さて、We Feed the Worldはヨーロッパの食糧問題に焦点を当てたドキュメンタリーである。ヴァーゲンホーファーはまず、最重要の食糧であるパンの生産と廃棄に携わる人々の声を聴く。十年以上の間毎晩同じルートを往復し、トラック一杯のパンを廃棄場に運ぶ男は、時折、年配者の厳しい批難に遭う。彼が廃棄するのは、少なくともあと二日は食べられるパンである。年間に捨てられる何千トンのパンで救える飢餓民を想像せよという憤りは勿論理解可能だが、豊かな国で過剰生産されたパンはいずれにせよ廃棄される。そこに在るのは、「 あなたはこのパンを買うか、買わないか」という問いのみだ。我々の無駄な消費の有無に関わらず、店には常に品物が溢れて大量のパンが捨てら、そのことはもはや、我々の行為と直接的因果関係を持たない。
 トマトを始めとするヨーロッパ産の野菜の多くは、その生産をアフリカ人移民の低賃金労働力に頼っている。国産の三分の一という破格で農産物を売りつけるヨーロッパ諸国のダンピングはアフリカの農業を破綻に追い込み、彼らを不安定な移民労働者にする。
 ついさっき生まれたばかりのひな鳥が養鶏場から屠殺・加工工場へ送られて行くシーンは、このドキュメンタリーのクライマックスと言える。にもかかわらず、一切の付加的演出がないどころか、ブロイラーと加工場労働者は、短期間・低コストで若鶏を生産し、効率的に加工するメカニズムの情報を我々に与えるのみである。詰め混まれた雌鳥の中に数羽の発情期の鶏が放り込まれ、たった数秒で雌と交尾を済ませる。産み落とされた卵は大きなマシンに回収され、40℃の温かい構造の中で数日保存された後、数十日後の屠殺を予め運命づけられた雛が殻を突き破る。雛鳥の小さな足ですら足の踏み場がない場所にどんどん詰め込まれ、飼料を頬張って成長する。「鶏には暗闇に感じられ、動物のパニックを避けることが出来る」と屠殺業者が説明する青い光の中で、鶏は撲殺から鶏肉パックになるまでのベルトコンベアーに乗る。ハンガーのような機械に両脚を引っ掛けて宙づりされ、撲殺、脱羽機をくぐり抜け、頭と両脚を失ってパックされる。

 ある日理科の授業で眼球の構造を学ぶため、少し生臭くなった牛の目の解剖をし、子どもたちの多くがその日の給食で「もう肉は食べられない」と言って残した。ならば一生食べなければよろしい。そう心の中で呟いた。
 フランスでは年に一度、ヨーロッパ最大の農業国としてのこの国のパワーを眩しすぎるほど誇示するイベント、国際農業見本市 が開催される。食肉業者も数多く出展し、1600キロもある巨大な肉牛や可愛らしい子豚などの食用動物が日頃動物など目にすることのないパリジャンの大人と子どものアイドルとなる。見本市は商品販売を同時に行っており、立派な食用動物がちやほやされているすぐ隣には、おぞましい様子で飾り立てられた最高品質の肉が販売されている。(写真1)フランスは飽食の国である。さすがは食糧自給率が120%の国だ。マルシェがたたまれた後の午後は大量の野菜や貝などが置き去りにされ、レストランで大盛りの御馳走を平らげることを皆あっさりと諦め、食べ物は余るくらいで丁度良く、食べ物のケチは悪徳である。
 日本人は、「もったいない」の精神を歌い、食べ物を粗末にしたがらず、ビュッフェレストランですら余分にサーブしないよう注意され、生ゴミを極力出さない食材使いを提案する料理をオシャレで「粋」と見なす。ひょっとすると、世界の他の先進国と比較しても食物の扱いに敏感だ。だからこそ、それが全くの事実であるにも関わらず、一人当たりの食糧廃棄量が世界一と批難されても全くピンと来ない。背景には問題の根本的な不理解がある。なぜ、日本語のタイトルは『ありあまるごちそう』なのか。わざわざ平仮名表記し、飢えるアフリカの子どもをキュートなイラスト化して、かわいらしい演出で「食の社会見学」と銘打つのはなぜか。態度の端々に滲むもの全てが、問題に対する我々の無関心と、世界現状の因果に自分が無関係だという認識を暴露する。(写真2)我々は、表層的なエコの賛美歌を熱唱し、欺瞞に満ちた「地球に優しい市民」を演じるのを直ちにやめ、それが途方もない狡猾な悪であるために、皆がこぞって我々の認識から乖離させようと必死になっている巨大なメカニズム、産業構造そのものを凝視せねばならない。食糧廃棄の構造的カムフラージュに甘んじる時代は終わった。
 ちなみに、フランス語タイトルはLe Marché de la Faim(飢餓市場)、世界全体が飢餓を生産する巨大な歯車の部品である。それは、我々が日々恩恵を受ける構造そのものへの懐疑であり、ハイブリッド野菜が地力を貪り尽くした畑に立つ男は、引き過ぎた手綱を緩めることを我々に問う。「ヒヨコが可哀想」などと戯言を言っているヒマは、本当はない。

“We Feed the World”(2005) by Erwin Wagenhofer, 96分, Allegro Film
http://www.we-feed-the-world.at/index.htm

写真1
ありあまるごちそう2

写真2 『ありあまるごちそう』チラシ(2011)
ありあまるごちそう1

11/24/15

Conférence : Intimité dans la création sonore et les nouveaux médias

(À PARTAGER)

Bonjour à toutes et tous, 

J’ai le plaisir de vous inviter à la conférence de Hiroshi YOSHIOKA, philosophe et professeur en Esthétique à l’Université de Kyoto, sur la réflexion sur l’intimité dans la création sonore et les nouveaux médias. Dans cette conférence, Hiroshi YOSHIOKA abordera le sujet de voix de synthèse dans la création sonore en présentant des artistes concernés tels Miku Hatsune et The Formant Brothers. Il analysera également le système de Siri à propos de la notion d’intimité.
Cette conférence sera suivie par la discussion avec Sophie Daste, artiste et chercheuse des espaces de fiction généré par les nouveaux médias.

Vous trouverez en pièce-jointe les informations.
La conférence dura une heure + une discussion avec Sophie Daste et le public. Je serai heureuse de vous accueillir le mardi 1 décembre à Paris 8.

Cordialement, 

Miki OKUBO

(宣伝お願いします!)

12月1日12時より吉岡洋さんの講演およびソフィ・ダストさんとのディスカッションを行ないます。「音楽創作とニューメディアにおける親密性」がテーマです。私たちの現代生活は様々な「声」に取り囲まれています。電車のアナウンス、電話のメッセージ、Siriなんかもあります。チャットや電話ですら、電子的に媒介された「声」です。よく考えてみると、実は私たちは肉声よりも電子的な声を聞くことのほうが多いのかもしれません。それらの声は人間の声を模倣するか電子的に作られたものですが、我々はそのような「声」に親近感を抱きもする。Siriやボーカロイドに人格を感じもする。
さて、来週火曜日、お昼からです。1時間半くらいを予定しています。パリにいらっしゃる方どうぞお越し下さい。お待ちしています。ご質問あれば連絡ください。
大久保美紀

Hiroshi Voix 20151201 Paris 8 のコピー

11/15/15

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

@Centre Pompidou, Cinéma 2
Lundi 16 Novembre, 19h
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/cyXpbr7/rMbpa9x
メディアアーティスト、ジャン=ルイ・ボワシエのポンピドーセンターでの講演会、MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIERが明日に迫っています。明日、ポンピドーセンターは開館しています。カンファレンスは19時から入場無料です、ぜひお越し下さい。ボワシエは、写真、映画、ヴィデオ、コンピュータ、CD-ROM、iPhone/iPad… 多岐にわたるメディアを通じて、インタラクティヴィティと遊戯性に関する作品創作を続けてきました。現在彼が名誉教授であるパリ第8大学は、現在のサン・ドニに移る以前、多様な実験的な芸術表現の追求の最先端の場所であったヴァンセンヌにありました。彼が多くのドキュメンタリーやシネマの実験を行なったのも、ヴァンセンヌでした。
明日のカンファレンスでは、彼の歩んできた半世紀近い »Itinéraire »を追体験するまたとない機会であり、歴史的重要な資料である彼の写真や未公開の映像作品なども初めて公開されます。
私自身、映画の中に少し出演させてもらっています。どうぞお越し下さい。
La conférence de Jean-Louis Boissier où nous découvrirons son parcours de (presque) une demie siècle, son expérimentation photographique, cinématographique et documentaire que nous verrons pour la première fois… Le Centre Pompidou sera ouvert au public demain. Venez nombreux pour cette conférence inédite !

16 nov JLB-1
16 nov JLB

10/4/15

Nuit Blanche 2015

Félicie d’Estienne d’Oves et Julie Rousse
EXO (installation)
@Espanade du millénaire Aubervilliers

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nuit blanche 2015 29
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Encore Heureux
Extinction (installation)
@Square Claude Bernard
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Sinato+ARCHIRR+Izumi Okayasu
Spectrum (Installation)
@Tunnel piétonnier de la Gare Rosa Park
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Keita Mori
Bug Report (Dessin)
Terrain d’éducation physique Archereau
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@Centquatre-Paris
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09/22/15

ディン・Q・レ「明日への記憶」/Dihn Q.Lê: Memory for Tomorrow

Dihn Q Le Mori museum
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森美術館で開催中のDihn Q.Lê: Memory to Tomorrow展(ディン・Q・レ「明日への記憶」,http://www.mori.art.museum/contents/dinh_q_le/)を見ました。ディン・Q・レはベトナムの伝統的なゴザ編みから着想を得た、写真のタペストリー「フォト•ウィービング」シリーズ(Photo waving series)で世界から着目されました。ベトナム戦争やハリウッド映画という象徴的イメージを自国の伝統工芸品の手法によって作品として織り成し、イメージは溶解、混合、再構成され、鑑賞者の前に再び突きつけられます。
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また、象徴的イメージを50メートルにも引き延ばした写真作品では、もはやそこに何が表象されていたのか分からないにも関わらず、マテリアルである写真はなおもそこにあり、何かを現し続けるという矛盾が生じている。
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ヘリコプターは実は、第二次世界大戦時には軍事に実用されなかった乗り物である。無論、1900年代初頭にフランスのモーリス•レジぇらが開発に成功しており、大戦末期に米軍が試用した実例はあるものの、実用化は1950年代以降、ターボシャフトエンジン搭載後のことで、さらに補助任務に留まらない本格的運用は、ベトナム戦争が初めてなのである。
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1964年ケネディ政権、1965年からのジョンソン政権のアメリカ政府が大規模介入を行なう。地上戦の険しさより、上空からの部隊展開を行なったのだ。これ以降ヘリコプターは地上戦が困難な際の主力兵器としての地位を獲得する。北ベトナム軍は山地を逃げ、ヘリコプターがこれを追う。軍人だけではない。一般の村民もまた、この上空からの脅威に怯えた。
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ディン・Q・レのヘリコプターに関わる作品は、ベトナム戦争の象徴的兵器としてのヘリコプターが人々の心に刻まれたトラウマとなっている事実と、それは今日農業を助け、人々の生活を格段に楽にする道具としての可能性を訴える人々のことばを三枚の連続するスクリーンに投影する。それぞれの思い出と、パロールと、ヘリコプターの脅威と可能性は、混ざり合い、拮抗して、流れる時間のことを考えさせる。
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枯れ葉剤の及ぼした健康被害は重大である。除草剤の一種でダイオキシン類を非常に高い濃度で含む薬品である。1961年から75年まで散布され続けた。1969年には明確に先天性奇形の出産異常が確認されていたにも関わらず、75年まで散布され続けたのである。
日本で分離手術を受けたベトちゃんドクちゃんで知られる結合性双生児のような癒合した双生児が数多く出産された。ディン・Q・レはこれに焦点を当て、Damaged Gene(1998)と名付けられた公共プロジェクトを発表。
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「人生は演じること」という作品は、それが日本人の軍服オタクの青年の<アイデンティティ探求>に関わる表現行為、と説明されるものの、そして数あるディン・Q・レのユーモアのエスプリが効いた作品であると納得しようと試みたとしても、喉に何かが詰まってうまく、飲み込むことができない。戦争も大災害も悲劇の記憶も、明日に向かって、明後日に向かって、そして百年後に向かって、その直接的な傷痕と、もだえるような痛みは風化されるのだろう。そしてそこに、物語が付与されたり、憧れる者が語り継いだり、共感する者が哀れみ続けたりすることによって、「明日への記憶」が形成されていくだろう。この作品を見ることは、容易くはない。
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