10/25/11

秋の落ち葉の風景

耳の奥でシーンと速いけれど鋭くはない何かが響き、
きゅうに敷き詰められた落ち葉がカサカサと音を立てる。
落ち葉はどこに行くでもなく、人々が目にとめるわけでもなく。

空が晴れているということはそれだけで無条件に素晴らしく
雲におおわれて寒いということはそれだけで絶望的な気分を演出する。

黄色い落ち葉が敷き詰められた道を目にすると想い出す風景がふたつあり、
一つは大学生の時に楽器をたくさん練習していた場所の記憶。
もう一つはどことも限定できないのだけれど、高校生の時の通学路のある道の風景。

通っていた高校は家から自転車で20分くらいの場所にあり、
雪が降るまでは自転車、冬の間はJRか地下鉄で通っていた。

制服を着るのがたまらなく嫌で、よくわからずに日本の画一的教育を批判していた。
生きることや人生について考えたり、アンハッピーなふりをしたりしていた。
眠らないで頑張ろうと思ったり、できないことは全部できるようになろうとしていた。

何かを我慢して我慢して我慢して、次の日のこと次の年のことを考えれば
いつかとても幸せになれるのではないかとどこかで本気で思っていた。

考えなくてもよいことを考えすぎるのはおそらく無駄だということに気がつくのは
果たして素敵なことなのか、当たり前のことなのか、それとも誤解なのか

以前たくさん考えていたことは、ふと気がつけば今全然考えもしないことになっている。
時間がたくさん経ってしまうことはまだ怖いけれど、いつかそれすらも辛くない時が来るのだろう。