01/31/12

書くことの現在

大学のレポートや小論文、学位論文に至るまで、アカデミックな現場での「書く」行為にはたくさんのルールがある。この言い方はあまりぴったりとこない。つまり、アカデミックな文章を書くにはそれ専用のルールがあり、小説には小説のルールがあり、批評には批評のルール、雑誌記事には雑誌記事のルールがあるといったほうが、きっとよい。
ここ数日、フランスのニュースで学生のレポートや論文をめぐるコピペの問題が何をきっかけにか爆発したように紙面をにぎわしている。何を今更、若者のテクストの独自性のなさを嘆く意味があるのだろうと嫌気がさしながら、記事を斜め読みしていると、コピペ探知ソフトが開発され、その使用実施によって、コピペをした学生に処分を下したり、論文を否認するというフィルターがかけられるようになるといった展望についての、ホットな話題であるということがわかった。

そもそも、コピペをフィルターで発見するということが現実的にどれほど可能なのだろうか。コピペなのかコピペじゃないのかという線引きは一体どこでなされるべきなのか。
文字通り文章をコピーしてペーストし、一字一句が同一であるならば、それを自分の書いたものとして提出した場合、盗作と呼ばれるだろう。カギカッコのなかにいれて、引用と注釈をつけて、ソースを相手につたえて、これは私の作った文章じゃありませんと断ることがルールだからだ。ほんの少し言い回しを変えた場合は?品詞の順番を変えたり、文体を変えたり、少し意訳するというかたちで原文に手を加えるということは、ある言語を自在に操る能力のある人にとって、全く困難なことではない。この場合もこのコピペ探知ソフト(あるいは将来のコピペ探知ソフト)は、大学教員に向かって、親切にも何らかの警笛を鳴らしてやることができるのだろうか。

そもそもオリジナルな文章なんてあるのだろうか。きっとあるのだろう。どこにも見たことが無く、言葉が異化され続けているような、新鮮な文章がきっとどこかにはあるのだろう。
しかし、多くの場合、大学やあるいは教育機関によって求められているレポートや小論文と言ったものは、決められた課題が与えられて、その十分に限定された問題について作文することを要求されている。誰にもわからないような、見たことも無いような文章が求められていないことは明らかであるが、私がここで言いたいのは、そのように、すでに課題として出題されうるほど既に多くの人々によって考え抜かれ、書き尽くされてきた内容に対して(メタファーとしてのコピペを含む)コピペをすることなしに、「私の考え」を編み出すことなど、不可能であるということなのだ。いや、可能だとか可能じゃないかいうことではなくて、それ自体に価値があるのかすらわからない。

新しいことを書くことができないのなら、なぜ人はそれでも書かなければならないのか。
自分の書いていることが斬新であると信じることのできる人は、これまでの人生でよっぽど何も読んだことがないか、あるいは自他をポジティブに差異化する能力に優れていてそのうえそれを信仰することのできるナルシストである。
なぜ書き続けるのだろう。それは、ひとつには文章というかたちで思考を集積することにより、それはいずれ集積としてまったく別の何かを創りだすことにつながるかもしれないからだ。
生命には創発性という性質がある。ひとつひとつの細胞や組織はきわめて単純な化学反応や生命活動を行っているけれど、それが一つの器官という集積として働いたとき、神経細胞のあつまりである脳はその細胞の単純さからは予想もつかないような複雑な機能を果たす。
人が書き続ける理由はこれに似ている。集積された思考は、それまでの断片が単体では果たさなかった役割を果たすことがある。
これは全くもってオリジナリティーとは関係のない話なのだ。

大学生のコピペ事情から、遠いところに来てしまった。
そもそも、このコピペ探査ソフトは誰の為なのだろうか。
大学側は、若者の考える力や構成力の低下を指摘し、物事に関する基本的な知識や教養の不足を嘆いている。だから、コピペレポートは探査ソフトで発見されて、レポートを作成した学生は退学になり、学生達は恐怖におびえながら、興味があまりないテーマだけれども山のように積まれたレポート課題を、インターネットなんてなるべく使わないで、図書館の湿った本のページを繰りながら、すこしずつ言い回しを変えたり、引用を明記したりしながら、膨大な時間を使えばいいというのだろうか。
あるいは、こうも言える。大学の先生たるもの、生徒がいとも簡単にコピペしてきたものくらい、どうしてそれが彼ら自身で考えた文章ではなくて有名な理論家(批評家、研究者)のページから持ってこられたものだということを、見抜けないのですかと。
これはこれで不可能なのは明らかだ。そもそも現代、どれくらいの書かれたものがインターネット上にもっともらしく存在しているのか、想像して頂ければわかる。「読むべき本」や「共通知識としての云々」なんか、もう存在していない。あるいは、サイクルが早すぎて、すべてをさばききる前に、それは古いものになってしまっている。だから、星の数ほど散らばっている文章から、学生がどこをのなにをコピペしてきたかなんて言うことを、血眼になって探すだけの元気があるのはコンピューターだけである。

コピペを見抜けない教育者のも不幸であるし、コピペレベルの仕事しか求められていない学生達も同様に不幸である。

これが書くことの現在であると、認識した上で、コピペ問題についての生産的な議論が行われているのであれば、そういった話は大いに聴きたいと思う。

01/31/12

La Saisie du Modèle, Rodin 300 Dessins

オーギュスト・ロダンは「考える人/penseur」を製作した彫刻家、パリとムードンにはロダン美術館があり、彼の製作した圧倒されるほど沢山の彫刻作品を目にすることができるのだ。私がパリのロダン美術館を訪れるのは3回目か4回目。今回は特別展「ロダンの300のデッサン 1890 – 1917」を訪れた。

Musée Rodin
79, rue de Varenne 75007 Paris
http://www.musee-rodin.fr/ (仏・英)

このデッサン展では、1890年から1917年の間に製作されたロダンの様々なタイプのデッサンを目にすることができる。彫刻家として有名なロダンは生涯に10000点ものデッサンを残しており、そのうちの7000点がパリのMusée Rodinによって所蔵されている。エチュードのためのデッサン、彫刻のプランとしてのデッサン。紙に描かれたデッサンは保存の都合上、なかなかまとめてお目にかかることができないので、今回こんなにも多くのデッサンがテーマに沿って公開されているのは、ロダンの身体の捉え方を知る上で非常に逃すことのできないチャンスと言える。

ロダンのデッサンは生の真なる姿というものを、できるだけ親密な方法でで描写したい、という欲望に基づいて制作されている。たいていのデッサンは、繊細な鉛筆の線で一筆書きされ、たったの数分で完成されてしまったものが多いのだ。その輪郭線は限りなく洗練されており、生の躍動感を巧みに表現している。鉛筆によるデッサンの上から水彩画材で彩りを与えられて、ロダンのデッサン作品は完成する。人間の身体をどのように捉え、表現の中でどのようにその動きを表すことができるのか、これがロダンデッサンの確信である。

この展覧会は、おおよそ年代順にロダンが取り組んだテーマと方法について章立てが構成されていた。自然=女性の裸体を生の姿として描く姿勢は、ロダンのキャリアの中で一貫して変わらない。展覧会はしたがって、自然をテーマとしたデッサンから始まり、即興的なデッサン、トレーシングペーパーを使用したデッサン、切り絵と貼り絵のデッサン、そして1900年以降のデッサンへと進んでいく。この前半の展開で興味深いのは、ロダンが彫刻の視点をあらゆる芸術表現行為に対しても貫いているということが見て取れる点である。女性の身体のラインは決してぼかされてはいないにもかかわらず、非常に繊細である。うっすらと白く一色塗りされ、限りなく簡略化されたかたちは、身体のかたちを独自の視線で追求したまったく新しい表現である。境界がはっきりとして極限まで単純化された美しいかたちは、マチスがめざした形態の単純化とも似ている。

後半のデッサンは、繰り返される幾つかのテーマ、例えばブルーのチュニックを着た女が紹介される。あるいはまた、動きをどう描くのかという問題意識に基づき、ダンスの主題がとりあげられ、1907年以降はさまざまな神話的逸話やメタモルフォーズをテーマにしたデッサン、愛を司るプシュケを数多く描いている。そして、親密な関係にあったモデルの存在がロダンに多様なポジションでのエチュードを可能にした、性の描写のデッサン群が提示される。

avant la création

グスターヴ・クールベの「世界の起源/L’ORIGINE DU MONDE」(1866)をイメージさせる、AVANT LA CRÉATIONは、つまり女性の露出された性器を鮮明に描き出している。ロダンはこの他にも数多くの女性の性器を描いたデッサンを残している。しばしばこのように露出したポジションで、あるときはモデルの手によって部分が隠された状態で。この女性の性器を描くというテーマは、ロダンにとって、最もミステリアスで秘められており、それゆえに我々の身体をもっとも本質的に表現するための主題であった。

deux femmes nues

このような色彩感がロダンのデッサンを印象づける典型的なものである。輪郭を綺麗に切り取ることができそうなほど完成されたフォルムの上に、よくのばされた水彩絵具で飾られている。不思議な印象と強さを感じる。ロダンはこの色彩をモデルの身体から即時に感じ取り、そのデッサンの輪郭線に素早く色をおいていった。生き生きとした色彩は自由自在に鉛筆の線の上で遊び、独特の雰囲気を作り上げている。

fleur de sommeil. jeune mère embrasse son entant

こちらは1900年の作品。かなりのばされた水彩絵具をデッサンに重ねてある。その散り方は水墨画のそれを思わせる。このデッサンは、 »Fleur de Sommeil » の彫刻作品のもととなったものである。見るものの目を奪ってしまう、女性の顎から胸にかけての大きなシミは、ロダン自身によって意図的に与えられたものであると解釈されている。芸術家としての制作過程における偶然性を重要視を鑑賞者に暗示するためである。
ロダンの作品は彫刻においてもデッサンにおいても、しばしばタイトルが後付けされている。周りの者によってつけられることすらある。ロダンにとって本質的なのは、名前を与えて作品を作ることではなく、もともとそこに存在するnatureから正確に意味を読み取ることであるという。この点は、ロダンが彫刻の複製やデッサンにおける偶然性や即興性を重視し、近代的芸術概念からの飛躍を感じされる一方で、やはり依然として近代的なものを感じてしまう。
 今度またゆっくり考えてみよう。