
有毒女子通信第11号が出た。
有毒女子通信とは、編集長の吉岡洋さんとMATSUO MEGUMI+VOICE GALLERYの松尾恵さんが作っておられる名前通り非常に可愛らしい雑誌で、私はデザインが一新された先号より「<小さな幸福>をめぐる物語」と称してピースフルなエッセイを連載させていただいている。
第10号は、愛と施錠についてのおはなし。愛と施錠と言えば、貞操帯(ていそうたい)という詩的なオブジェクトについて、書いた。(「愛と施錠の物語」/ PETITS RÉCITS SUR LE BONHEUR EPISODE 1 click!)まだお読みになられていない方!売り切れちゃうよ♡ お気軽にご連絡ください!
第11号は、特集が「少女たちの行方」であったので、「ぱんつを売る少女」について書いた。リクエストにこたえて、大サービスで三行だけマル秘公開。続きは、全国の書店(ルビ:ヴォイスギャラリーおよび編集長)でお買い求めください♪ グラビア付きだよ!!(ホントかいな…。真偽はご自身でお確かめください)
「ぱんつを売る少女」は本当にいた。しんしんと粉雪の舞う静かな夜、凍える小さな手を吐息で温め、燐寸はいりませんかー、と道行く人に声をかける燐寸売りの少女を尻目に、ぱんつを脱ぎ捨てそれを売り、彼女は生きた。少女はなぜ、大切なぱんつを脱いだのか。 (『有毒女子通信第11号』より)
さて、少女はぱんつを売っても売らなくても、肉体を売っても売らなくても、ものごとの本質は微動だにしない。生身の人間としての少女は、思い悩むひつようも、傷つけられるひつようもない。
いつの頃からこの国には、生身の少女とまったく関係のない、いたいけな一人の少女がたくましく育ち、やがてあらゆる人々の思考を蝕み尽くした。蝕まれた思考は蜘蛛が巣を広げてゆくように、ネットワークを拡大し、そこに迷い込んでくる哀れな蚊だと蛾だとかを一度捕まえたらもう二度と逃がさなかった。少女はあまりに印象深いので、世の中の人々はやがてどの女性を見ても、その少女と脳裏で重ね合わせるようにして、いや、むしろ、その少女のようにみることしか、できなくなってしまったのだ。
要するに、イメージの問題である。
我々は、たかだか、バーチャル少女の終わりなき遊びに翻弄されているだけなのである。
繰り返すが、要するに、イメージの問題なのだ。
女性の坊主がなぜそんなにスキャンダルなのか?なぜそれをウェブ上の動画で見ることが、某アイドルに対して同情をあおることにつながり、あるいはドラマチックな展開に胸を痛めたり、はたまたそれを見てしまったこと自体にばつの悪さや罪悪感を感じるのだろうか。女は、少女の遊びのために、自らの肉体を貸し与えたに過ぎないのに。
アイドルやスポーツ選手や子どもタレントだった少女が、煙草を吸ったり、外泊したり、ドラッグで捕まったり、予想外に妊娠したりすると世間から過剰なほど憤慨され、嫌われ、疎外されるのはなぜか?それくらいのことは、彼女らよりもずっとずっと身近な知り合いのあいだで絶えず繰り広げられている他愛もないことなのに。そもそも、そのナイーブで平凡な理想をかかげることは、あなたの思考があの少女に乗っ取られていることを暴露する以外のなにものでもないというのに。
少女が受肉し、楽しく遊ぶのはすばらしい。
自らの肉体を貸し与える女たちは勇敢である。
蜘蛛が編んでゆく精緻な巣の構造はあまりにうつくしい。
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