02/12/14

「反重力 」展 @豊田市美術館/ Anti-Gravity @Toyota Municipal Museum

反重力 Anti-Gravity
2013年9月14日[土]-12月24日[火]
豊田市美術館
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豊田市美術館に訪れたのは二回目で、私はこの美術館がとても好きである。初めて訪れたのは、2012年「みえるもの/みえないもの」というコレクション展で、ソフィ•カルの『盲目の人々』や志賀理恵子の『カナリア』などの名作を、メルロポンティ現象学が取り組んだvisible/invisibleの間に思いを馳せながら鑑賞するとても良い展覧会であった。その日のお天気や、近くに生えていた梅の花がどのくらい咲いていたかすら明確に思い出せる。salon de mimiのポストにもその展覧会のレビュー(http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=384)が掲載されているので、ぜひご覧頂きたい。

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さて、能勢陽子さんがキュレーションされた展覧会「反重力」は、魅力的なタイトルの展覧会である。「反重力」は「無重力」ではない。あくまでも、Gravityに対峙する、Anti-Gravityなのだ。それは次のように説明される。

引用)「反重力とは、創成時の宇宙にインフレーションを起こし、今日の宇宙を加速膨張させているといわれる、重力に反する仮説の力です。SF作品では(中略)物質•物体に関わる重力を無効にし、調節する架空の技術として登場します。」(本展覧会カタログp.2)

当展覧会のカタログに掲載された吉岡洋さんの「飛行、浮遊、そして反重力へ」という文章中にも述べられているが、反重力はしばしば、SF的想像力(宇宙飛行、テレポートなど)の原理として登場し、それは必然的にに科学(物理)的説明を期待される。だが、その言葉によって展覧会を構成するのは、芸術の展覧会にいたずらに科学の権威を掲げようとするためではないし、よくわからないが魅力的な言葉で鑑賞者を煙に巻くためでもない。ソーカル事件を通じて「ソーカルのやった行為は(略)芸術的•批評的観点からみれば的外れ」であるという考えには私も同感である。槍玉にあげられたのは、ラカンやボードリヤール、ドゥルーズといったフランス現代思想家たちだ。彼らによる科学用語の濫用が神聖な科学を歪曲する欺瞞だという。ソーカル的な問題意識や排他的棲み分けは、今日においても何も解決されておらず、むしろ無意識的に多くの人によって共有される伝染病のようなものだ。現代の哲学者も心理学者も、社会学者も芸術家も、科学的な用語を使う。科学的な概念を使い、科学的な思想に拠る。それを全て否定し弾圧するならば、今日より後の世界には、なんの変化も驚きも、訪れることはないだろう。

したがって、「反重力」は、現時点ではSF上の仮説の力にすぎないが、それは私たちの、慣習的に同じ流れに向かうつまらない思想を全く思いもよらず跳ね返すことによって、見たことのない表現を創り出すのかもしれない。そのとき、「反重力」はすでに実在する力となり、我々に働きかけているのだ。

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ジルヴィナス•ケンピナス(Zilvinas Kempinas)Beyond the fans(2013)は、磁気テープが二つ向かい合った扇風機の風によって円状に浮かび続けている。磁気テープは扇風機から与えられる風の力で空中に浮かび続けており、そこには何のマジックもない。だが私たちは、自分が近寄れば僅かながら空気に別の流れができたり、他の鑑賞者などが通ってまわりの空気は動かされ続けているにも関わらず、そのくらいのことでは決して軌道から外れて落ちてきたりしない、この単純な装置の安定さや強さを美しく思う。思いのほかに物事は、結びつけたり固めたりしなくても変化しないのだ。

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『微小重力環境におけるライナスの毛布のための試作』は、中原浩大+井上明彦による、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の共同研究の実験的作品である。このプロジェクトは、宇宙飛行士のためだけでなく、将来宇宙に旅立ち、そこで生き続けるかもしれない一般の人々のためでもある。触れたことのないタッチのクッションや毛布。地球で生まれた人間は地上の重力環境に慣れており、長期間宇宙に滞在し、微小重力のもとにおかれると、心理的•生理的不安を抱くそうである。人間が拠って立つことを可能にし、頼れなさを緩和してくれるもの。不安は、フィジカルなオブジェによっても満たされるのだ。

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カーステン•ヘラー(Carsten Höller) は、次のように述べる。
To five room to uncertainty, and to the beauty within uncertainty, in order to challenge the cultural environment we live in.
ネオン•エレベーター(2005)は、人間の目の錯覚に訴えかける。鑑賞者を取り巻く形で配置された壁の中には水平のネオンライトが上から下に向かって明滅する。その光の動きに目を凝らしていると、自分の立っている空間が光のエレベーターとなって上昇していくように感じられる。どれほど分析され、理解が進んだとしても、我々の認識は錯覚のような曖昧さで満ちており、それはしばしば我々を今ここから解放することを助ける。

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やくしまるえつこは、アインシュタインの宇宙項や『相対性理論』などの原理から着想を得た表現を提案している。ボーカル、作詞、作曲、プロデュースを手がける彼女は、作品『Λ Girl』において、お互いに引き合おうとばかりする世界の物質に対して、たったひとりで、万物から遠のくことを選んだひとりの少女のΛの存在を、モニターや72台のスピーカーを介して、我々の目の前に引き出すことを試みる。

少女は逃げ惑い、私たちは決して彼女に追いつけない。モニター上の少女は鑑賞者がいる場所の正反対の位置に逃げ、彼女の声も向こう側からしか聞こえない。たくさんの人間の存在に、点滅し惑う少女はひょっとして喪失してしまうのではないかという恐怖に似た直観がよぎる。でも案ずることはない。Λ(ラムダ)は世界の存在に反しながら、ここにはいないのだから。

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レアンドロ•エルリッヒ(Leandro Erilich)の作品は、我々の日常にインスピレーションを与え、その見方すら回転してくれるかもしれない。

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中村竜治の構造『ダンス』は、太さの異なるピアノ線で構成された、軽やかな彫刻である。『ダンス』とは素敵な名前だと思う。マチスの『ダンス』において肉体は、ほとんど普通の意味での肉体であることをやめ、ムーブメントと化しており、作家はマチスの『ダンス』から着想を得たと話す。重力と物体の緊張感を尊重した作品である。

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クワクボリョウタ『ロスト•グラヴィティ』は、アーティストが取り組むテーマの一つ、機械と人間の境界を真っ向から問うた作品であると言えよう。暗闇の壁に映し出される様々な形の光は、部屋の中央に置かれたザルやスポンジ、待ち針など日常的で単純な形状のオブジェの影だ。それらは、単純なシステムによって回転し、光を受けて、彼らの隙間を投影する。そこにあるのは、繰り返される回転の音とパタンである。しかし、暗闇に身を置き、その光を見つめたならば、ロマンティックで懐かしい感情におそわれ、心が温まるのはなぜだろうか。

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エルネスト•ネトは、ストッキングなど伸縮性のある素材を用いて上からぶら下がる不思議な形状のインスタレーションを数多く発表している。今回豊田市美術館で我々が経験するのは、『私たちという神殿、小さな女神から、世界そして生命が芽吹く』という、母体(あるいは子宮)をモチーフとした生命体の中に我々を包み込むようなインスタレーションだ。天井は描写しがたい暖色をうっすらと帯び、外の様子を感じられるが、内部にいる我々は守られている。

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中谷芙二子の霧彫刻が美術館の池から立ち昇った。霧彫刻は彼女が述べるように「ライブ彫刻」であり、その時の湿度、風、温度、地形など環境に応じて形を変える。我々人間は、微粒子ノズルと高圧ポンプで自然の霧のひな形を創り出してしまう。彼女は1970年の大阪万博のためのプロジェクト以降世界中で霧彫刻を発生させ、そこにはなかったはずの霧の中に多くの人々を包み、異型の体験を生み出した。その日は雨で、沸き上がった霧は雨に叩き付けられて、地面を這い、淀むことなく広がって美術館を包み込んだ。

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さて、最後の作品に出会おう。

内藤礼『母型』は心に響く。それは、大きな空間を満たす白い光と、繊細なビーズが吊るされている空間の隅、中央に横たわる人形と、ロウソクの火、それらが取り囲む場所に身をおくと、世界に存在することを人生の最初に遡って肯定された感じがするからだ。円形の小さな紙に書かれたメッセージ、「おいで」という声が、向こう側からやわらかく聴こえてくる。もう一体の人形が、上のほうから見守っており、その声は、生まれ直すことを許すのかもしれない。反重力の世界では、ひょっとして様々なものが逆さまになって、長い人生の折り重ねてきた時間を反対側に辿って、おいで、というその声を耳にする瞬間まで立ち戻ることを可能にするかもしれない。その声は温かく、私たちは幸せである。

02/10/14

「リアル」になる「おしゃべり」

ツイッターやフェイスブック、あるいはブログやチャットに至るまで、ソーシャルメディアは、人々がある程度気が済むまで嘆き、怒り、語り、喧嘩し、捨て台詞や負け惜しみ、思い切りペシミスティックなレトリックを言い放つための、プラットフォームを与えることによって我々の心を穏やかにしてしまう最も恐るべき装置である。その覇気に満ちた言葉を発する「前」と発した「後」で世界は全体として何ひとつ変わっていない。我々がその充実したプラットフォームで繰り広げているのは、その程度の「おしゃべり」に過ぎないことを忘れてはならないのだ。

 誤解を避けて断っておけば、私は「おしゃべり」が世界を変えないなどとは一言も言っていない。むしろ、おしゃべりは世界を創りかえる。私たちの活動の多くはおしゃべりだ。私はよく何かを書き、大学や学校で様々な人と喋り、メールも電話もする。ブログも書くし、フェイスブックも使う。そのおしゃべりが無駄だとは思っていないし、喋ること、おしゃべりによって物事を解決すること(=和平)は、戦争の対義語として教えられており、そこまでの敬意をこめて、人間のおしゃべりは価値があると我々は生まれてからずっと教えられている。

 では何がよろしくないのか? それは、おしゃべりによって得られる予定された「満足」である。人はある程度言葉を吐き出してしまうと、それが、書いた物であれ、語りであれ、やり取りの有無や他者の反応を問わず、満足してしまう愚かで幸せな習性をもっている。

 江戸時代、8代将軍の徳川吉宗の治世に「目安箱」が設置されたことは小学生も歴史の授業で習う。将軍様が民衆の声に耳を傾けた、画期的な仕組みであり、町人や百姓の要望や訴えを真摯に検討するためのすばらしいシステムだった、などと教える学校の先生があるかもしれない。あれも一種のプラットフォームであろうか? などと考えては大間違いである。目安箱に投函されるのは訴状であり、現代のカスタマーサービスについてのアンケートなどとは緊張感が違う。江戸時代の町人や百姓の識字率は、寺子屋が本格的に普及するのが天保年間(1830年代)であったことからわかるように、その100年前に、百姓が身の回りで生じた困ったことについて、訴えることなどできなかったはずである。当然のことながらこの起訴は、住所•氏名を明記する記名制で、将軍が直接目を通して対応したと言われていることから分かるように、よほどの決意とリスクを背負う覚悟なしには使用されなかった。目安箱は一方で、「民衆の意思を汲む幕府」というプロパガンダには一役買ったに違いない。

 そのように、発言することが死の恐怖と隣り合わせであり、そもそも何かを書いたり語ったりするために伝播力あるメディアをもたなかった人たちに比べれば、現代の私たちは、自由である。いくらでも思ったままの荒削りの言葉を、それがどこに飛んで行くか見定めることなく放ることができる。ある大統領の顔写真を偽札に貼付けて、その紙幣の金額が示されるべき場所に「ゼロ」と記してソーシャルメディア上で拡散しても、翌朝獄中で手記を綴る危険などを覚悟する必要が全くないほどに、私たちは奔放だ。

 奔放な我々は激しく怒り、暴言を吐き、悲観し、慰め、勇気づけ、分かり合う。現実世界のそれと変わらず、インターネット上での他者との交わりもまた、抵抗を伴う。異なる意見、批判、議論、応答。人はこれらのことに疲労する。疲労はやがて充実感となってその人の、不満と怒りに満ちていたはずの心に穏やかさをもたらし、魔の満足は、忘れることを望まない心象を永遠に麻痺させる。本当に変えたかったそのものには何一つ届いておらず、現実世界はまだ変わっていないのに、勢いあった心象は突如希釈されてしまう。これが、プラットフォームの力だ。

 繰り返される衝動の麻痺と、現実世界で実現される結果への違和感。私たちは、このプラットフォームを、自分自身を慰めるためでなく、それが現実世界を震動させるエネルギーとなるよう、新たに考え認識するべきだ。サイバースペースが「ひみつ」を共有する、閉じられて匿名的な温室であったのは昔の話だ。我々は、ミクシーに飽きてフェイスブックやツイッターを始めたとき、「ひみつ」も同時に放棄したのだ。我々は、ソーシャルメディアには「アラブの春」を勇気づけるようなリアルなエネルギーへのキャパシティがあることを知っている。どれほどのフィジカルな動きが、それを介したかということを。

 我々のそれが、依然としてヴァーチャル(潜在的)なのだとすれば、それは、まだ我々が未だそれを使いあぐねているからである。それを利己的で繊細で虚飾的な道具としてしか使えていないからである。ネットは「リアル」に繋がる。傷つきやすく自己防御的なディスクールと、ドラッグに似た機械的満足感で、小さな世界を慰めようとするのを諦め、ほんとうのおしゃべりに身を乗り出すとき、ネットは「リアル」になるのだ。

02/7/14

宮永亮×つくるビル コラボレーション 『INSIDE-OUT』/Akira Miyanaga, Media Installation

宮永亮×つくるビルコラボレーション 『INSIDE-OUT』/ つくるビル
『INSIDE-OUT』:website
Miyanaga Akira
2013.11.20(水)~12.23(月・祝)

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作品《INSIDE-OUT》は、会場つくるビルが位置する京都の五条通りとその周辺の、数ヶ月に渡る記録映像をコラージュすることで生まれた、映像インスタレーションである。つくるビルの内部の展示会場では、複数の窓が次々と開かれ、そこに存在するあらゆるモノが宮永亮のスクリーンと化す。私たちは、自分自身では出会うことのなかった五条通のある夜の眩い喧噪や、白っぽく霞んだ昼間の影の形を知り、そこで揺れていた木々の緑や枝の付け根の形、どこかで見たような身のこなしの人が自転車でとおり過ぎていく様子、会社帰りのサラリーマンが無表情で足早に店に出たり入ったりするその速度、そんなものを観察する。それらはかつて在り、今はなく、混ざり合い、輝く。

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宮永の作品タイトル《INSIDE-OUT》は、文字通り、外側の世界の出来事が、つくるビル内部の壁やモノに映し出されることによって、内側の私たちの見つめる世界に置き代わってしまう「裏返し」を意味すると。壁やスクリーンに映し出されるイメージは、一つの場所の場合もあれば、重なり合って複数の時間と場所を映し出すこともある。イメージのコラージュは、したがって、映像の時間と場所を折り重ね、さらに凝縮した内部として再提示される。しかし私にとって、《INSIDE-OUT》が真に意味するのは、さらに別のディメンションに広がっていると感じられる。それは、内部と外部の反転の結果もたらされる、仮想世界と現実世界の反転であるように思われてならないのだ。

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アーティストが空間をスクリーンで満たす方法に着目してみよう。一般的な意味でスクリーンと呼べるのは、おそらく正面と左右の壁、振り返って向こう側にあるカフェのベニヤ板だ。一方、展示空間にはテーブルや時計、長イス、カフェと繋がる本物の窓とその桟の部分などがあり、それら全てがプロジェクションを受けて仮想的環境を構成する。その環境の中に一度身を置き、ポリフォニックな映像が、ある日ある場所の風景の断片を暴露するのを目の当たりにしたとき、ヴァーチャルな世界が突如リアルな経験として立ちのぼる。

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私たちの日常はそもそも、スクリーンの集積に似ている。外の世界で直に何かを経験することと、行き止りの壁に仮想窓を開き、そこに世界を感じることの間に本質的な差異を説明するのは実は難しい。それらは互いに侵犯し、共に生きることに関わり、私たちの生活を築いている。

02/7/14

存在へのアプローチ―暗闇、無限、日常―ポーランドの現代美術展 @KCUA /An Approach to Being, Polish Contemporary Art

存在へのアプローチ―暗闇、無限、日常―ポーランドの現代美術展 /京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
2013年12月7日 – 12月23日

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京都に滞在した昨年末、加須屋明子さんがIn Situ現代美術財団とともに企画された『存在へのアプローチ―暗闇、無限、日常―ポーランドの現代美術展』(@KCUA)に訪れることができた。私の大事な友人にポーランド育ちやポーランド生まれがおり、兼ねてから訪れたいと思っていたこの国に昨年夏、国際美学会(ヤギェウォ大学、クラコウ)で赴ことができた。その後、アウシュヴィッツとワルシャワを経て、西欧に戻ったのだが、印象深い経験であった。(Salon de mimi Posts : Aushwitz report, Wawsow exhibition report) 本展覧会の見学を通じて、紹介された幾つかの重要な作品、作家について記録しておきたい。

ロマン•オウパカ(Roman Olpaka, 1931-2011)の46年間に及んだ「行為」をアートと呼ぶのはなぜだろう。オウパカはフランス北部の農村に生を受け、生涯をポーランドとフランスの間で生きた画家である。1965年、ワルシャワのアトリエで《1965 / 1 – ∞》と題された終わりなき作品を思いつき、79歳で亡くなるまで描き続けた。1から5607249まで可視化された数字は、始めは黒の、後には灰色の背景の上に現され、画家の死以来充溢した意味の集積として停止した。

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オウパカの数字が詰まったタブローは、彼の人生の時間そのものである。二百数十枚に及んだ絵画の一枚一枚は、彼にとって細部である。それは、存在し、増殖する全体の部分であり、全体の存在を確信させる部分である。タブローは彼の人生を象徴し、その時間の継続に意味を与える。オウパカは述べる。

「私たちは存在するように運命付けられています。(中略) 私たちは習慣から存在しているし、死を恐れるから生きている」

人間は、死を恐れながら存在するよう運命付けられた生き物である。いつか贈られる死のために、存在の意味を問いながらも自殺せず生きるには、命の最後の一欠片が煙になるまで数え続ける必要があった。アンジェイ•サビヤ*1のドキュメンタリー《一つの人生、一つの作品》(2010)は、オウパカの苦しみと道の模索、ついには強かな決断を私たちに伝える。

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展覧会『存在へのアプローチ』は、戦後ポーランドの芸術表現の特色と問題、そして、その魅力を明らかにする。大戦がもたらした悲劇の記憶、共産主義体制下の表現の抑圧、1989年の政変で失われたものや失われなかったものの存在は、表現しようとする者を駆り立ててきた。本展覧会を見るという経験は、ポーランドという一つの国の国境を越えて、人間が、迫害や差別などの不条理な状況に置かれ、絶望的と思われる大きな問題の前に立ちすくんでしまったとき、いかにして考え、表現し、伝えることができるかを私たちに教えるのである。

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1959年よりポーランドで学び、ワルシャワで作品を発表し続ける日本人美術家、鴨治晃次(1935−)の《空気》(1975)は、中心が切り抜かれた柔らかい質感の紙が等間隔で吊るされ、こちら側から向こう側を覗くことができる。穴の大きさは次第に小さく、あるいは次第に大きくなり、大きな窓から射し込む光は紙を微動だにせずすり抜けるが、我々がそこを通るとき、塊である我々は空気を邪魔して、その沈黙した等間隔を乱してしまう。

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ヤン•シフィジンスキ(Jan Świdziński)のパフォーマンス《空虚な身振り》*2がいつまでも瞼の奥に残っている。意思疎通のための日常的なジェスチャーや無意識的で意味を欠いた動きが、彼の厳密に制御された身体所作を通じて繰り返される。各々のジェスチャーは、確かにありふれていて、一度や二度見る限りでは、意味に冒されている。ところが、それが繰り返され、表情や文脈を欠いて続けられることによって、そこにあった臭いがすっかり失われて行く。個別の意味を充てがわれなくとも、自己の外に出るための、他者に何かを求める動きには、共通の訴えの形があるのだろうか。そこにあるのは、明瞭な声明であり、定まった意志であり、存在のための積極的な態度である。

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*1 Andrzej Sapija (1954-)はこれまで数々のドキュメンタリー映画を撮影し、国際的に高い評価を受けている。
*2 Jan Świdziński (1923-), « Empty Gesture », 2011

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02/7/14

創作の自由と暴力のこと, Free Expression or Violence

自由で暴力的な創作、あるいは創作の自由と暴力のこと

私は男尊女卑を支持しない。無論その逆も支持しない。
平等主義はシンプルで聞こえがいい。ただし、それは不可触な理想に似ている。
世界の人々が様々な理由から均質でないのと同じように、性差は、その他の個体差よりも遥かに大きな違いである。

『抑圧された人々ー男と女の役割が入れ代わる日』(Majorité opprimé : quand les rôles masculins et féminins sont inversés)という短編映画のリンクを数日前ソーシャルメディアでシェアした。10分ほどの短いストーリーで、そこに描かれるのはあからさまに不自然で、しかし有りそうもないかというと、かろうじて信じられる程度のリアリティが漂う日常世界だ。フランス語だが状況はヴィジュアルから十分に解釈することが可能なので、もし興味がある方はこちらのリンクをご覧になっていただいてもよいかもしれない。
http://www.lidd.fr/lidd/9252-majorite-opprimee-quand-roles-masculins-et-feminins-sont-inverses

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『男と女の役割が入れ代わる…』というタイトルを聞いて誰もがすぐに思い浮かべるのは、育児や家事をする男のことだが、この映画もその単純な想像力の例に漏れず、ベビーカーを押して細々した日常の所用を済ませる父親が主人公に設定されている。一歩外に出れば世界は陰鬱な嫌がらせで満ちている。偉そうな大家の年寄りの女が嫌みを言う、道を歩けばホームレスの女が口汚い言葉で軟弱な男を罵倒する。「笑顔見せてみろよ!」というのは現在もなおリアリティのある女への捨て台詞であり、「〈女なんだから〉しかめっ面してないで、愛想振りまいて、にっこりしてみろよ」という常套文句をこの映画の制作者が男女をひっくり返したのである。また、最終的に彼は細い路地で柄の悪い女のグループに出会い、勇気を振り絞って、女達の嘲笑に、一言二言、言い返すことに成功する。その態度にキレた若い女達のグループは、男を細い道に連れ込んで、脅し、ついには暴力を振るう。それは、「尊厳」という言葉を使うならば、その人の「尊厳」を踏みにじるような行為であり、性的な暴力であり、精神的な暴力であり、理解の余地のない暴力である。そもそも、暴力には理解の余地がもともとないのだが。警察での事情聴取、上司の女は若い男の部下にコーヒーを頼む。今日もなお、多くの「上司」が女性社員にお茶やコーヒーを入れさせるように。放心状態の旦那を迎えにきた妻は、たいそう可哀想に、と酷い目に遭った旦那を抱きしめる。だがその次の瞬間、この男がその妻のいたわりにも関わらずいつまでもぐずぐずとやり切れなさを口にしていると、妻は急に、「疲れてるんだからいい加減にしてよ!」というのである。私は外で働いて疲れてるんだから、家事してるあんたがこれ以上グダグダいうんじゃねえよ、というわけである。さて、重要なのはここからだ。

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しょうもない旦那を見放したキャリアウーマンの妻は、真っすぐ続く大きな道を闊歩する。足取りは次第に軽く楽しくなり、今にも飛び立ってしまうことができそうだ。でもどこに? だらしのない、身のこなしもぱっとしない、女々しい男を突き放して、ぐんぐん歩いて行く。彼女の開放感はクライマックスを迎え、私たちはそれが彼女の夢であったことを知る。夢、あるいは、妄想、彼女がもっとも望む世界。彼女の楽しさは増して行くが、私たちはそれが悲しいかな夢であることをはっきり知っている。彼女がどれほどそこから醒めて、戻ってきたくないとしても。

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表現の自由の前に、束の間の幸せを求めて暴力的な作品を作ることもまた、自由と呼ばれるのかもしれない。
ただし、この作品は、鑑賞者の中の何人かがあるいは潜在的にたくさんの人が、「いい気味!」「すっきりした!」「その通り!よくあるこういうこと!」「一度なってみたらいいのよ、逆に!」と、ひと時の勝利を手にする喜びに酔いしれるだけであって、その先に道はなく、どこにも行くことができない。このビデオを創ることも、それを目撃して十分間満足することも、つまりは、ビデオの中のあの女、本当は「抑圧」され、その苦しみのあまり男女の役割が入れ代わって男が女に暴力を振るわれる、という妄想を作り上げてしまった女の行き場のない夢を共有することに過ぎないのである。

仕返し、で世界が変わらないことは、あまりに明らかなことであり、仕返し、がなくならないこともまた事実だ。

少なくとも意識的でなければならない。違う者は平等ではない。役割を入れ替える発想そのものが妄想である。
創ることは自由であり、言葉を発することや同意を求めること、結びつこうとすることや、想像することは自由である。
ただし、私たちは、戻ってこなければならない。
たとえ遠くに飛んで行っても、まわりに何も見えないくらい離れて行っても、とても楽しくて何がなんだかよくわからなくなっても、私たちは、戻ってこなければならない。
生き続けるために、夢から醒めなければならない。

夢はなるほど、殺伐とした現実よりもまろやかな方が良い。
しかし、醒めてしまったことを、醒めている間じゅうずっと後悔する夢でないほうが、はるかに見たいと思えるのだ。

自由で暴力的な想像力は、目の前の壁を越えることができず、表現する意味を感じさせてくれる創作は、別のところにあると信じる。