10/28/14

書くことと話すことのモダリティ / Modalités d’ « écrire » et « raconter »

書くことと話すことのモダリティ

かつては「口頭」のみで行なわれた人々の様々な発話は、物語の伝承がそうであったように、だれかが語り、それを聴いた誰かがまた別の誰かに語ることを続けて、そうやって伝わってきた言葉がのこって、いつの日にか、文字でそれを記そうと思いついた人々の手によって、あたかもそれが「オリジナル」のお話であったように魔法をかけられて、それが書かれたことによって何らかの特権的で絶対的な存在様態を獲得したかのようにして、大切にされてきたし、現在でも非常に貴重な資料として大切にされている。しかし、あるときに突如、書く事によって切り出された「それ」は、それ以前どんな形であったかはもはや分からない。たまたま、発話が持っていた時間軸とは寄り添わない別の時間軸「書くこと」が現れて、発話の時間軸をある時点でつっつくことによって、そこに「偶然」あったものを取り出したのだ。

今日既に様々な言い方で気づかれてきているように、新しいメディアの登場は、そこにあった方法を置き換えるのではなく、相互に影響し合ってその両方が変化することを通じて時間を重ねていく。たとえば、話すことの刹那的な性質に嘆き、これを保存することに可能にする魅力的な手段として、書くことは実践され、もてはやされ、普及し、世界を覆ってきた。このキャパシティを追求し、まるでまわしっぱなしのウェブカメラが生きている時間を全て記憶する夢を叶えるように、書くことのメモリーも拡張され続け、考えが言語化されるのかタイプする指がそれを具体化するのか、といった疑問がふと脳裏をよぎるほど、私たちは身体的にも訓練されている。

現在私たちが経験しているのは、書くことが話すことにある意味で近づくという、運命的な変遷である。逆説的なことに、書くことのキャパシティが途方もなく広がったとき、それは、結果的には無に帰されてしまう。つまり、私たちの行動を24時間監視し続けるウェブカムが収録した24時間分の映像を、我々は同時に進む時間を生きながら追体験することが出来ないという当然の結果と同じことが、途方もないメモリーによって収められた書かれたものを見直すことが出来ないという結果に認めることができるのだ。

書かれたものが話されたものに近づいていく事態。それは様々な点で本質的な差異を含む。また、歴史が不可逆であるのと同様に、この変遷も不可逆であった。そして、これは「書かれたものが話されたものに近づいていく事態」であって決して、「戻っていく」でも「再び近づいていく」でもない。

そのように考える時、それでも、敢えて、ていねいに選ばれた言葉によって語られた発話や、素敵なことばによって紡がれた文章と言うものの有難さや輝きみたいなものの存在を嬉しく思う。

ecrire raconter

10/28/14

着ること/脱ぐことの記号論 / Sémiotics de s’habiller et se déshabiller

着ること/脱ぐことの記号論

私が学会員として活動させていただいている日本記号学会編のセミオトポス⑨
「着ること/脱ぐことの記号論」が出ました!
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表紙はどどーん。2012年5月神戸ファッションミュージアムでの記号学会に来て、学会員を新聞まみれ、会長に落書きと新聞ジャケットを贈呈、素敵なお話をしてくれた新聞女がクレーンで釣られている所です。あ、見えないですか?じゃあ要望にお応えして!
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この方は時々クレーンで釣られています。本の中には、彼女についてのテクスト「新聞女―アートは精神の解放」が収録されています!私が書きました。どうか読んでみてください。この記事を書くために、日々大忙しの新聞女に遠方からインタビューもさせていただいて、彼女の師匠である嶋本昭三先生のお話などもお聞きして、彼女がどうやって新聞女になったのか、これから新聞で世界をどうしていくのか、いろいろお聴きしました。ヤマモトヨシコさんの素敵な写真もご好意でたくさん掲載していただきました。心を込めて書きました。読んでね。

また、人はなぜ外国のファッションに憧れるのか?という問いをめぐる「ガールズ・トーク」を目指した第二部「「憧れ」を纏うこと」では、ファッションをめぐる表象や欲望の構造に着目し、文化や国を越境するファッションはどのように人間の衣服を纏う行為と関わるのかが問われ、高馬さんのファッションとエキゾチズム論、池田さんの大正昭和の映画に見られる「モガ」論、杉本ジェシカさんのゴシック・ロリータ論が面白いです!私は、「キャラ的身体とファッション」という議論で、私たちとアニメキャラの歩み寄り?!について書きました。この論考のために酒出とおるさんに素敵なイラストを書いてもらったんですよ。お礼の気持ちをこめて、ここに掲載しておきますね。ありがとう!

酒出とおる、とりあい、2013

酒出とおる、とりあい、2013

それから、会長の吉岡さんのテクストも冒頭掲載します。会長吉岡さんの落書きされて嬉しそうな写真なども、新聞女論の中でご覧ください!また、目次も以下に添付させていただきます。また、昨年逝去された山口昌男先生の追悼特集では、吉岡 洋さん、室井 尚さん、立花義遼さん、岡本慶一さんが珠玉のエピソードを寄せておられます。

新曜社 web page

着ること/脱ぐことの記号論 刊行によせて

日本記号学会会長 吉岡 洋

服を着るのは必要なことだろうか? そんなの当たり前じゃないかと、ほとんどの人は答えるだろう。もしも服を着ないで外を歩いたら、たちまち好奇の眼にさらされ、たぶん警察を呼ばれるだろうし、悪くするとテレビや新聞で晒しものになる。だいいち、寒くて風邪をひくではないか。服は必要にきまっている。

でも、ちょっと考えてみてほしい。服が必要不可欠にみえるのは、服を着ることが当たり前とされる社会に私たちが生きているからである。動物は服を着ないし、私たちの遠い祖先も服を着ていなかった。根本的な意味においては、服を着るのは必要ではなく、生きるためには本来しなくてもいいこと、ひとつの「過剰」にほかならないのである。

(… つづきは新曜社HPでどうぞ!)

 

着ること/脱ぐことの記号論 目次


刊行によせて 吉岡 洋



第一部 着ることを脱ぎ捨てること
〈脱ぐこと〉の哲学と美学 鷲田清一 vs 吉岡 洋

新聞女―アートは精神の解放 大久保美紀



第二部 「憧れ」を纏うこと
「なぜ外国のファッションに「憧れ」るのか」を問うということ 高馬京子

表象としての外国のファッション―エキゾチシズムをめぐって 高馬京子

日本映画に見る「モガ」の表象―洋装とアイデンティティ 池田淑子

キャラ的身体のためのファッション 大久保美紀

ヨーロッパの輸入、再生産、そして逆輸入と再々生産
―ゴスロリ・ファッションをめぐって 杉本バウエンス・ジェシカ
「憧れ」とともに生きる―シンポジウムを終えて 大久保美紀



第三部 (人を)着る(という)こと
袈裟とファッション 小野原教子
音を着る―フルクサスの場合 塩見允枝子
ギー・ドゥボールとその「作品」
―映画『サドのための叫び』における「芸術の乗り越え」と「状況の構築」 木下 誠
(人を)着る(という)こと 小野原教子



第四部 日本記号学会と山口昌男

山口昌男先生を偲んで 吉岡 洋・室井 尚・立花義遼・岡本慶一



第五部 記号論の諸相
研究論文
究極的な論理的解釈項としての「習慣」とパースにおける「共感」 佐古仁志
研究報告
家族関係修復のセミオシス─発達記号論ケース・スタディ 外山知徳
ペルシャの青─ホイチン(回青)の壺に現われた形而上の諸々 木戸敏郎