追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

追記:添い寝/Soine論 少女達のぬくもりを、さがすなかれ。

数日前、ソイネ屋という新たなニッポンの癒し産業についてテクスト(salon de mimi, soine)を書いた。「不穏に感じた」このサービスのまわりをウロウロする幽霊のような存在について、私自身が幽霊のようにしか言及できなかったことを残念に思ったし、そのことに関連して、いただいた感想のいくつかとコミュニケートしてみたいと感じた。私がここに、まだしつこく添い寝考を綴っているのは、そういうなりゆきである。

数日前に当ブログに掲載した添い寝論「添い寝 / soineがなぜ気になるのか」は、次のように締めくくられている。

我々は、あたたかく、やわらかく、いごこちがよく、おだやかで、へいわなものに向かって歩いているようだ。そこにむかう視野が極端に不明瞭であったとしても。

このことについて、ひとつ大切なことを付け加えたい。それは、「おだやかで、へいわな」添い寝は、何がどのように転ぼうと、明日目が覚めたら白亜紀の恐竜達が地球上に蘇っていようとも、そこにセックスの匂いはないということだ。添い寝サービスはとても不穏であるのだが、それは歪んだ欲望のかたちや本来ならば精神衛生上不自然な人と人との距離の均衡をつくりあげるからであって、それが「添い寝」という仮面を被った遊郭@秋葉原であるからでは、けっしてないのだ。

もう一度確認のために暗誦してみよう。
へいわなニッポンの癒しサービスである「添い寝」に、性の匂いを嗅ごうとするのは間違いである。今後まんがいち、このようなサービスをめぐって現実に性的な危機が立ちのぼってきたとしても、それは「添い寝」のほんとうの意味にとって、所詮文字揺れのようなものでしかない。

ニッポンの癒しである「添い寝」のお供は、ホイップクリームとイチゴやベリーがたくさん入った甘くてキレイなクレープみたいなものであり、あるいは、早く食べなきゃ溶けてしまうけれどスプンを入れるのが可哀想なほど素敵に盛りつけられたパフェのようなものである。添い寝にカクテルは必要ないし、ウイスキーの水割りを作る必要もない。私たちは甘いおやつでおなかを満たすのは自由だが、しらふでなければならない。

それから、彼女達が隣にいるからといって、あなたは「可愛い女の子がよこで寝ていて、緊張して眠れない」などと気の効いたセリフを言ってあげる義務もない。あなたは全力で眠ってよく、ワクワクするのもソワソワするのもあなたの自由であるが、その先には何もない。何もないというのは、その期待や欲望にたいして何らかの「行き止り」があるのではなく、文字通り「空虚」なのであるから、あなたの思いがどこかに跳ね返って戻ってきたり、あなた自身がどこかに衝突してしまうこともない。あるのは、ただ、「眠るあなたが独りぼっちではない」という事実だけである。誰かがそこにおり、あなたが眠ることができ、その瞬間あなたは物理的にその空間において独りぼっちではない。求めることができるのは、このことである。

彼女のぬくもりをさがすなかれ。あなたがそこで出会うのは、あなたが世界で一人にならないために、あなたの隣に静かに寄り添う「オンナノコ」なのである。彼女らにぬくもりはなく、その身体の触覚の深いところにある何かを求めても、あなたはもうどこにも行けない。

「少女達のぬくもりを、さがすなかれ。」それはあなたがいつかとても混乱してしまわないための、ひとつの魔法の呪文のようなものなのである。

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