55th La Biennale de Venezia part3 / 55th ヴェネチア•ビエンナーレ no.3

 55th Biennale de Venezia  part 3

 Il Palazzo Enciclopedico / The Encyclopedic Palace

パート2では、人形/彫刻とインスタレーションに着目し、Paweł Althamerによるプラスチックテープの90人のヴェネチア人、繊細な作風で想像上の生き物の世界を表すShinichi Sawadaの陶器彫刻、サイズやプロポーションを異化することによって見る人の印象を変える彫刻を作るCharles RayPaul McCarthyの子どもの解剖学のための巨大ぬいぐるみ、女性のアイデンティティや家庭での立場を問うCathy Wikesのインスタレーション、日常に潜む生と死を描いたRosemarie Trockelの表現、そして、小さな人形を作り続けたMorton Barlettの想像上の家族たちを紹介してきた。
パート3では、ペインティングとドローイングについて紹介したい。

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Daniel Hesidenceは1975年アメリカのAkronに生まれる。彼の抽象画にはArt Informel(アンフォルメル)からの強い影響が見られ、視覚的情報から意味を抽出し、彼独自の哲学的考察とそれを詩的な方法で表すということをテーマとしてきた。プリミティブな洞窟絵画からモダニストの抽象表現までを視野に収め、それらの重なりから浮かび上がるイメージは、時代も色も形も、ただ一つの意味において確定することができない。Il Palazzo Enciclopedicoでは、Untitled (Martime Spring)が提示された。そこには何層にも重ねられた距離や深さ、異なる固さが混在し、溶け合っているのだが、キャンバスの宇宙の中にもういちど再構成されて調和しているようでもある。

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Maria Lassingは1919年生れのオーストリアの画家である。ヴェネチア•ビエンナーレには1980年にも参加しているほか、1996年にはポンピドーで回顧展も行っている。彼女の絵画の特徴は、一貫して、肉体が持っている意識に着目して、セルフポートレートを描き続けているということなのだが、彼女自身はそれを »body awareness painting »と呼ぶ。絵の中の彼女はいつも裸で、髪の毛もなく、年老いた肉体として描き出されているのだが、色彩も表情も全く奇妙である。drastic paintingのシリーズであるDu oder Ichは両手に持った銃の一方を自分のこめかみに当てながらもう片方はこちら側にはっきりと向けているLassingが描かれている。あるいは、Mother Natureにおいて彼女は森や動物、虫たちを両手に持ち頭部の髪の部分が自然と一体化している。いずれの絵画も背景が描かれず、非常に静謐としたムードを持つ。

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Lin Xueは1968年生れ、香港出身の画家である。彼の特徴である細かいドローイングは、先を尖らせた竹に墨をつけて描くことによって実現する。生態系における動植物のあり方を自分自身が山に入って行く経験をもとに紡ぎだして行くためには、この方法がもっとも基本的で根源的なやり方であると作家は信じる。竹で描く選択も、非常にリアルな細部も、この作家の自然への態度を反映している。今回のヴェネチア•ビエンナーレに彼が発表した作品はNature’s Vibration(振動する自然)。彼が自分の肌で確かめた生ける自然の相互にネットワークを築き上げている様を想像的に描いている。自然は彼によって分断され、再度複雑な塊に再構成される。結びつき合ったあたらしい「自然」は、エネルギーをその中心に帯び、その波は視る我々にも届きそうだ。

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Hans Bellmerのドローイングについて、敢えて何かを言うのは滑稽であると感じて止まない一方、だとすればそれらはそんなに明らかなのかと言えば、そういうわけでもない。ハンス•ベルメールは1902年生れ1975年に亡くなった。1934年にナチス政権下のドイツで、等身大人形を発表し、その写真集『人形』を発行する。これがパリ•シュールレアリズムの芸術運動に受け入れられる。後にはそれを発展させて球体関節人形を作成し、1957年、著作『イマージュの解剖学』を記す。今回出展されたドローイングは1968年に作成された版画、Petit traité de moraleで、Marquis de Sade(サド侯爵)から着想を得た。ベルメールは日本では、現在も球体関節人形や、リアルドールのイメージがその上に重ねられてきたので著名であるが、身体の分解や部分的な複製、性倒錯の主題はベルメールの独創性を示す指標でも何でもない。傷ついた身体萌えや廃墟萌え的な想像力の普遍性をむしろ明らかにする。人形や版画という形での「作品」、そのオブジェとしての再現度の高さが彼を結局は著名にしたのではないか。

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Ellen Altfestは、ハイパー•リアリストの画家で、静物画は、風景画に加え、肉体労働者の男性の裸体を描き続けている。最近パリのFondation Cartier pour l’art contemporainで展覧会を行ったRon Mueck(Ron Mueck exhibition review)のように、彼女は肉体を毛穴と毛と皺の一本まで描く。ありのままに描くということは、逆説的なことで、飼いならされた鑑賞者である我々は、しばしば描かれない見慣れないものを見つけるとむしろそれに着目してしまう事態に陥る。産毛やホクロ、皺やシミ、膨らんだ腹部や垂れた皮に目がいく。それは彼女の戦略通りだ。歴史の中でさんざん描かれてきた女性の裸に人々は免疫と知識とステレオタイプな鑑識眼を持っており、その一方で、男性の裸体にはひょっとするとナイーブなのである。彼女は、アトリエで男の裸を描く。しばしば毛むくじゃらの胸部や腹部、背から尻、あるいは男性器をその細部まで描く。我々は目を開けながら実は殆ど何も見つめてはいない。

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 次回は、各国パビリオン展示について、ダイジェストのダイジェストを書きます。

 

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