Hundertwasser @ Kunst Haus Wien ,@ Hundertwasserhaus

Musique en Sorbonneオーケストラの演奏旅行でウイーンにも立ち寄った。朝8時にチェコのPribramを出発し、結構渋滞しており、ウイーン公演前に観光時間が3時間ほど辛うじて与えられるというハードスケジュール。ゲネプロに遅刻はできないけれど、機会は逃したくない。ミッテ駅からトラムに乗るなら、Radetzkyplatsで下車するとちょうどよい。私はミッテから走りました。一生懸命走れば15分強くらい。
というわけで、Kunst Haus Wienと目と鼻の先に位置するHundertwasser Hausの両方を見学してきた。

Hundertwasser(フンデルト・ヴァッサー)は、1928年ウイーン生まれの建築家・芸術家。ユダヤ系の両親を持つヴァッサーは、戦争中をユダヤ人街の地下室で過ごしながらそれでも幼い頃の創作への憧憬を忘れなかった。ヴァッサーは始め、画家を志して北アフリカに旅に出ている。彼が建築家として最初の作品を発表したのは1952年のことだ。彼が表明している芸術へのスタンスは、彼が幼い頃愛した自然の要素に基づくもの。彼の建築は独特な方法で人と環境の双方を有機的に結びつける。

クンスト・ハウスは4階建て、カフェ・レストラン、美術館、ショップを含む見応えたっぷりの異空間だ。ここに来ればヴァッサーの常設展作品が見られる。

正面入口はこんな感じ。界隈はドナウ運河から遠くない、本当に静かな住宅街。駅から近いけれど、雑然とした表通りから一本中に入っているのだ。

ヴァッサー旗発見。素敵だな。ヴァッサー建築のファサードはしばしばくっきりと真っ赤な血が流れ伝うようなペイントが有名なのだが、1991年にオープンし、彼の晩年の建築にあたるこのミュゼの外壁はもう血を流してはいない。

ミュゼの入り口のちょうど裏側にはカフェが。このカフェも隅から隅までデコレーションに余念がない。陶器タイル使いがとくに美しくて新しい印象を与える。

カフェの中。外も中も緑がいっぱい。植物たちはどれもとてもよく手入れされており元気で、中にもたっぷりの日が差し込む。

ここが私がもっとも愛した壁デコのポイントである。トイレである。白と黒のタイルデコを基調に、男の子と女の子の壁画。これは文句なしに素敵だ。誰がなんと言おうと素敵だ。

トイレの前でうっとりしている間に、ゲネプロの時間が近づいてきてしまった。私は走った。全力で走り抜けられる距離です。

さて、こちらはHundertwasser Haus。こちらは住宅なので内部見学はできない。ウイーンで最も奇抜な市営住宅と呼ばれているヴァッサーハウスは、1986年に完成した。1972年に当時のテレビ番組‘Wünsch dir was'(あなたの夢、叶えます的な番組)に出演した際、ヴァッサーは、植物と共存できる家の建築に対する夢を語った。5年後の1977年、ウイーン市長Leopold Gratzの提言をきっかけとして着工が決まった。まさに夢の家だ。

彼が植物と共存できる家と名付けた建築に必要な要素は、木々が地面に張り巡らせるしっかりとした根のような安定して力強い建築、窓から差し込むたっぷりの陽の光、ファサードはこの光を存分に得るために立派に構えること。噴水や実際の木々も植えられており、ヴァッサーの夢見た住宅を目にできた喜びは大きかった。

ヴァッサーハウスに実際に住んでみると、どのように植物との共生を実感できるのか。こんなお天気の良い日に朝日が差し込む様子や、風のある日や雨の降る日、この家はどんなふうに生きているのか。ヴァッサーハウスに住む友人を作らないと好奇心は欲求不満のままである。

ヴァッサー建築は、ウイーンにあろうが、日本にあろうが(大阪市環境局舞洲工場、2001年、および大阪市舞洲スラッジセンター、2004年)、あるいはものすごくモダンなデザインの界隈にあろうが何れにしても異色を放ち、異空間を創りだすだろう。なぜなら、それらは、何にも似ておらず、これまで見たことがない建築であるからだ。
ユニークであるということは、どこから出てきたかわからぬ突拍子のないもの、ということではない。分かりそうで分かり得ない、捉えたようで捉えきれていない興味深いものが見え隠れしており、人の心を強く惹きつけて離さない何かを持っている存在だ。
Hundert Wasserの残した植物と人と建築を含むその環境は、強烈な印象で訪れる人を迎え入れ続けるだろう。

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