ホメオパシー(同種治療)について13 ホメオパシーとファルマコン 2

ホメオパシー(同種治療)について 13(2019年9月20日)
ホメオパシーとファルマコン 2

前回の記事では、ファルマコンの概念について触れながら、「身体に悪いものを摂取する」際の認識が果たす役割について考えてきた。ここで、前回立てた次の問題に立ち戻ってみたい。

果たして、ホメオパシーにとって、毒を摂取しているという認識そのものは大事だったのだろうか?

<毒を摂取している>という認識それ自体が、我々の身体になんらかの影響を及ぼすことはあるのだろうか。

ホメオパシーの実践にあたって、リメディーを服用する者が自己の身体に毒を与えていると認識することは意味のあることだと思われる。ホメオパシーは、身体の持つある種の<生来の記憶>に訴え、適切な刺激を与えることにより、身体の自然治癒力に期待して、病や症状を治そうとする療法であった。また、世界に存在する多くの物質は「ファルマコン」(毒にも薬にもなる)としての性質を持っていて、つまり、同じ物質がある人/時/環境では毒にも薬にもなりうる事実は、食養生やファルマコン についての記事において言及した通りである。ホメオパシーもまた、元来、微量の毒の摂取が、適切な症状に施される限りにおいて薬に変化するという考え方であった。(そして、同じ毒は、健全な人が服用した場合、その人の健康を害し、病気にしてしまうと考えた。=「類似性の原則」)ただし、今日のホメオパシー実戦の中では、ホメオパシーのリメディーはその毒としての意味を失い、あるいは希釈によって物理的に毒がかなり弱まり、かつての<錬金術的>な側面をしばしば失ってきていると言っても良いだろう。

さて、ホメオパシーは<錬金術的>な思想であると思う。理由は、ホメオパシーのリメディーに使用する原料は、病気や症状をもたらす毒そのものであることは稀で、それらは通常、<同質>/<同種>とホメオパット達が考えた(定義した)毒によって代わられているからだ。代替物であるなんらかの毒が、身体の自然治癒力のおかげで適切な刺激となって病や症状を改善し、身体の状態をよりよくすると考えた。原因そのものでないが同種のものから、身体での反応を通じて、結果を得ようとした。

ホメオパシーにおいて、同種の毒を摂取し、身体においてある種の錬金術的な反応を引き起こそうとする意思を、リメディーの服用者が持っていることは、それだけで異なる身体への影響を及ぼしたと思われる。それは、結局は慣習的な医療において「エビデンスがない」と打ち捨てられている部分で、月並みな言葉で「精神は身体に影響する」など言うほかなかなか適切な表現のないフィールドであり、そして、それは単なる偽薬効果(プラセボ)とも明らかに異なる。

これまで三週間、比較的密なリズムでホメオパシーを巡って様々な考察を行ってきた。まだまだ深まり切らない謎や問題が山積みだが、ひとまずここまでの13回で連続する記事は一回休憩して、またいろいろなことを書きながら、引き続きホメオパシーの毒の問題については考え続けて行きたいと思う。続編の再開の時にはまたお読みいただいて、ご意見などコメントしていただけると大変励みになり、有り難く読ませていただいている。

再開の折には引き続きお読みいただければ大変嬉しく思う。

*因みに、明日からは、12月上旬から神戸のギャラリー8で展示予定のフロリアン・ガデンの巨大ドローイング « oe »について、数回にわたって連載するのでどうか、Pharmakonのサイトもチェックして見てください!

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