10/3/15

鹿児島大学法文学部レクチャー&ワークショップ「アーカイブと自己表象」

鹿児島大学法文学部レクチャー&ワークショップ
開催2015年9月2日
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「あっ!」という間に1ヶ月が経ってしまいました。なんてことでしょう!1ヶ月前、鹿児島大学でレクチャー&ワークショップをさせていただいたのでその報告です。

2015年9月2日、鹿児島大学法文学部にお邪魔し、レクチャー&ワークショップを行ないました。テーマは「アーカイブと自己表象」。今日の芸術作品を制作する手法として顕著である「アーカイブ的な方法」に着目し、アーカイブ的な方法を通じて表現される作品の意味や有用性、アーティストの意図について考えることを目指しました。そして、確かに今日、美術館・ギャラリー・アートイベント、さまざまな展示空間で頻繁に<オブジェの集積>のような形をとる作品を目にするのですが、この潮流はいったいどのように解釈することができるのでしょうか?

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具体的に、現代美術史のなかから、アーカイブを手法とした<オブジェの集積>たる作品を思い起こすことはそう難しくありません。たとえばゴミを集めたアルマンとか、クリスチャン・ボルタンスキーのMonumentaにおける大量の古着の展示( »Personne »)とか、ソフィ・カルのLe rituel d’anniversaireやジャン=ルイ・ボワシエのMémoire de crayonsなど、多くの作品がなるほど、絵画や彫刻のように芸術家の手仕事によって創作したオブジェではなくて、なんらかのルールによって集積したものを分類し、展示しているのですね。

込められた意味は様々です。産業的に大量生産されたオブジェを文脈から切り離して大量に見せることによって、モノを異化することもできるでしょう。大量の古着は、かつてそれを着たはずの身体が不在となる状況のなかで、逆説的にも衣服の身体性を感じさせるでしょう。私が忘れられるのが怖いという全く主観的な悩みから毎年盛大に誕生日パーティーを行い、そこでいただいた誕生日プレゼントを詳細にメモをとって保存する奇妙な儀式は、自己存在の記憶について鑑賞者にひとつのアイディアを与えるでしょう。個人のコレクションの1024本の鉛筆をコンピュータのデータから探したり、気に入った鉛筆のレジェンドを読んだりすることは、一個人の思い出に留まったはずのオブジェが潜在的な複数の鑑賞者の記憶まで広がって共有されることが可能になるでしょう。

つまり、単なるコレクションと、それを芸術作品として作り上げることの間には、言うまでもなくそれが作品として鑑賞者に共有されることの意味が見いだされる必要があります。

ワークショップでは、参加してくださった先生がた、学生のみなさんそれぞれが、<「私の思い出/私のコレクション」を芸術作品にするにはどうしたらいいか?>という一見本末転倒のような問題について考えました。つまり、アーカイブ的な手法をとる芸術作品が芸術作品たる必要条件をあとから考える、といったようなちょっとしたチャレンジです。

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みなさんの作品は、それぞれのコレクションが非常に異なるものであったために、また、皆さんが時間の制約もありながらできるだけその場で作品を作る、ということにこだわってくれたために、ユニークなものが完成しました。ワークショップでは、アイディアを考え、つくり、発表する、という肯定をだいたい2時間ちょっとで行ないました。全員が発表できて、他の人の作品も体験したり鑑賞することができたので、良かったと思います。

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作品を簡潔に説明していきましょう。まずは「Ne pas toucher」不可触の作品です。これは作者が実際に日々の記録をとり、研究や論文のアイディアを綴ったり、スケジュール管理に利用してきた手帳を展示するというリスキーな作品です。そこにある手帳の束は単なる紙の束である以上に作者の十数年分の記憶が物質化したものです。見る者はそれに触れることを禁止されていますが、そこにある個人にって非常に大切なものを物理的には提示されています。

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また、1990年代後半より現代でも撮影されているプリクラは、長年に渡って少女たちの友人や恋人との思い出、家族との思い出や旅行の思い出の小さなフォトアルバムとしての役割を果たしてきました。この作品では、作者のプリクラコレクションを人生のフェーズや撮影の機会に分類し、プリクラによる自分史を構築しています。

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ペットと過ごす時間もまた、個人の人生の大切な時間を築きます。作者は、飼い猫と過ごす思い出を「家」という空間の記憶と結びつけました。空っぽの間取り図に配置される飼い猫の写真は、それが配置されることによって撮影された瞬間の思い出として色鮮やかに蘇ります。作者は間取り図に写真を貼るのではなく、敢えてこれを配置する、という方法を選びました。このことも、空間が孕んでいる自由な可能性と開放性、私たちの存在が刹那的なものであることと関係するように感じられます。

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もっともニューメディアな作品でした、AR(拡張現実)を構築する携帯のアプリケーションを利用した作品です。私の人生にとって(ラジオ番組に関するものでした)思い出深い数冊の本があります。これには、様々なレジェンドがあるのですが、携帯の画面で本の部分(表紙や特定の頁)をキャッチするとそのストーリーが浮かび上がってきます。

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漫画やイラストを長年描いてきた作者は、自分の画風が誰に/どんな絵に/どんな影響を受けてきた結果、現在の画風が出来上がったのかを、数枚の絵と自分の絵を比較することによって私たちに説明しました。絵の変化や文字の変化といった表現の歩みは、身体的動作に由来するものですから、その経験や痕跡は常にひとりの人間の身体と結びついた個人的なものでしかないのですが、個人のストーリーは、共有されることによって本当の話となったり、同時に作られたりする、そのような不思議なものでもあります。

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自分の名前をインターネットの検索エンジンで検索する「エゴサーチ」を題材に作られた作品もありました。張り巡らされたレゾーの中に日々クラス私たちには、パノプティコンの牢獄で始終監視され続ける囚人たちのように、ある意味で「隙のない」人生を送っています。私のイメージは、あるいは私の行動は、私が意図するしないに関わらず常にウェブ上を漂っているかもしれません。この作品では著者は、私のコントロールの外側にある、つまり他者によって公表され、名付けられた「私のイメージ」を集積し、メディアタイズされた私の輪郭を描き出しました。

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ほつれたジャージの裾がアップで映し出された一枚のイメージがあります。コレクションを元にした作品を作る、というとモノがたくさんなければならない気がしますが、作者は敢えてたった一枚の写真を選びました。アーカイブは実は、写真というマテリアルにあるのでなく、ほつれたジャージの裾に隠されています。ボルタンスキーが示したように、肉体から放り出された衣服はそこにあるだけで、不在の意味を強烈に訴えてきます。ほつれた裾には、ジャージの持ち主がそれを履いて歩き回った時間の蓄積とその歩行の特徴や行動の積み重ねが刻印されています。

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さて、そういえば私もプロトタイプとして、皆さんにアンケートをお願いして二つの証明写真コレクションに関わる作品を作りました。ご協力いただいた皆さんにお礼と結果を申し上げられずじまいで一ヶ月が過ぎてしまいましたが、本ワークショップで作品アイディアを考えるために提示させていただきました! というわけで、次回プロトタイプの結果を掲載しようと思います。

本レクチャー&ワークショップ、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。開催に当たって全てにおいて大変お世話になりました鹿児島大学の中路先生、太田先生に感謝を込めまして。

2015年10月2日

05/10/13

「わたしの母」がアートになるときー1.ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)/ »Ma mère » en tant qu’art – 1. Sophie Calle « Rachel, Monique » 

この記事は、二回続く『「わたしの母」がアートになるとき』の第1回である。
第1回 ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品)

 

じつに幅広い主題が「アート」になりうる今日この頃、「母がアートになってたまるか!」と文句を言う人はもう誰もいない。そもそも現代アートはアーティストのありとあらゆる私事で占拠されている。愛する恋人とのラヴ•ストーリー、赤裸々な独白、個人の政治主張やスローガンのアート化、芸術的手法で綴る自伝。その様々な私事の中に家族を扱ったアートがある。家族は言うまでもなく自分という存在の最も近くにいる人たちであり、「私」について考え取り組むアートがそれを主題にすることは自然な成り行きなのであろう。自分と家族のストーリー、あるいは子どものこと、祖父母のこと、両親と自分の関係のこと、そして、父のことと母のこと。世界にたった一人であり、その人でしかない「わたしの母」がアートになる事態について考えてみることは、現代アートにおける私物語の実態を理解するためにも重要である。

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

当ブログでもしばしば参照されているパリ生まれのフランス人アーティスト(1953年生れ)ソフィ•カルもまた、母をアートにした作品を発表したことのあるアーティストの一人である。現在ソフィ•カルは東京品川区の原美術館で「ソフィ•カルー最後のとき、最初のとき」という展覧会(盲目の人が最後に見たイメージを質問し、その証言に基づいてソフィ•カル自身が写真やテクストでその時の物語を再構成した「最後に見たものの」とイスタンブールに住みながら海を見たことのない内陸の人が初めて海を眺めこちらを振り返った表情を捉えた写真という独立した二つの部分で成る)を行っており、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。(本作品については、パリのギャラリーEmanuel Perrotinにおいて展覧会が行われた際、本ブログでもレビューを書いた。記事は日本語とフランス語で掲載されている。(Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986~2011年, Sophie Calle : À Propos Du «Capable De Voir» Et De L’«Incapable De Voir») 本記事で取り上げるのは別の作品、2012年7月、アヴィニョンのアートフェスティヴァルにおいてセレスタン教会で行ったパフォーマンス•インスタレーション作品『ラッシェル、モニック』(Rachel, Monique, Eglise des Célestins, Avgnon, 2012)である。彼女の母は2006年に亡くなった。亡き母の残したたくさんの日記帳の中から選ばれた16冊の日記を娘であるカルがヴィジターを前にして朗読する。(当インスタレーションは2010年10-11月にパリのパレ•ド•トーキョーで先行して行われた。)

16冊の日記帳は1981ー2000年の20年間にわたって彼女の母親自身によって付けられたものである。それぞれのテクストは多くの人の日記がそうであるように、短く断片的で、親密であり、熟考して書かれたものではない。インスタレーションのタイトル『ラッシェル、モニック』は彼女の名だが、彼女は3つの名前の他にも、Calle, Sindler, …複数の名前を持っていた。ラッシェル、モニックの他にもたくさんの名前で彼女は存在し、全てが彼女の名である一方、あたかもある日は異なる人物としてその日を生き、また別の日は別の人物であるかのように、生きた記録を日記帳に綴っていた。その複雑な人格は娘のソフィ•カルにとっても必ずしも理解可能なものではなかったと思われる。彼女の母親は、日記の中だけでなく現実に恋多く忙しい人生を送っていたようだ。教会には日記の朗読をするアーティストの他に、ヴィデオや写真が展示され、あるいは遺品であるオブジェや彼女の残したテクストも公開された。教会の床には墓石をイメージした大きなフォルマの長方形のプリントが一列に並べられた。実は、このインスタレーション自体がヴィジターである赤の他人を巻き込む大掛かりな葬送プロジェクトなのである。

Eglise des Cléstins

Eglise des Cléstins

なぜ「わたしの母」の葬送の事をアヴィニョンのフェスティヴァルを訪れるたくさんの観客とシェアする必要があるのだろうか。そして、2006年に亡くなった母の葬送の事を2010年にパリで行い、なぜもう一度(あるいは今後も)繰り返さなければならないのだろうか。その答えは実はとてもシンプルである。そのことをアーティストのソフィ•カルが自分のために必要としており、同時に、鑑賞者がその儀式を覗き見る喜びはそれをアートとして成立させるために十分なのである。(ちなみに、彼女の母の本当の墓は、パリのモンパルナス墓地にあり、その墓碑銘には »Je m’ennuie déjà./もう退屈。 »と綴られている。なんてこった。)

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

いったい、死者の日記を読むという機会があるものだろうか。その本来ならば決して知られることのない他愛の無い日常の情動を事細かに生き生きと耳にする機会があるだろうか。ないことはない。我々は普段から、著名人の書簡や歴史の重要資料としての手記や手紙を本の中で、美術館で、図書館の書庫で、あるいはドキュメンタリー番組で、常日頃盗み見、盗み聞きしているではないか。なるほど、たしかに我々は日々プライバシーとか○○権と目くじらをたてながら、著名な人々の私生活にはさほど配慮しなくても良いらしいことを常識として共有している。ラッシェル、モニックと呼ばれたソフィ•カルの母の日記が朗読されること、そしてしばしばロマンチックなその内容に羞恥心を覚えたり、あまりに直接的感情の吐露に対してばつの悪いと感じるのは、ソフィ•カルの母が我々と同じ「ふつうの」女であり、今日ではインターネット上に直接公開されるブログというスタイルを知っている我々でさえ、紙媒体にこつこつ綴られた匿名の個人の「日記」は、まさか持ち主が亡くなったからといって大勢の前で突如は暴露されるまいという私たちの無邪気で可愛らしい信仰をソフィ•カルがざっくり裏切るからである。

日記帳に綴る日記は、通常こっそりと綴られ、公開も出版も目的としない。したがって、それがたとえ娘の口を通じてであれ亡き本人の意志を介さず暴露されている現場に遭遇すると否応無しに覗き見の心情が掻き立てられる。聴いてはならないものを聴く居心地の悪いエクスタシー。ソフィ•カルが母の日記を暴露することで目指しているのは、彼女の未だ分からない母親のその空白を探しに行くという途方もない作業であり、その不安を掻き立てるエクスタシーの代償に、彼女が一人で持ちきれない作業を人々に共有させることなのである。母をアートにするというのは、自己の外側にあるラインを明確化する行為なのだが、その試みは本質的に失敗するよう運命づけられており、終わりのないループ映像に似た反復サイクルがそこにある。母は子どものときから最も近く、我々は彼女を通じて世界に現れたにもかかわらず、今や絶対的な他者となり、身体のどの部分も繋がってはいない。親が子どもに自分の欲望を投影したり、彼らを通じて自己実現しようとする親の心理的な働きはよく知られているが、子どもから親に向かうベクトルではどうか。子どもは親を作り直すことは出来ないので、親の参照に基づいて終わりなき自己の彫像が繰り返す。ソフィ•カルのたった一人の必要はこの果てしないサイクルの中にあり、「彼女の母」はこの大きな枠組みに行き着いて初めて、全ての人にとっての普遍的な「母」になる。一人の女の日記は、こうして読まれ続けるのであり、それは女の望みには関係のない、綴られた何かなのである。
(イメージ参考:Festival d’Avignon Archive
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品) は次回書きます。

10/5/12

Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986〜2011年

ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986年〜2011

『盲目の人々/ Les Aveugles(1986)

『最後のイメージ/La Dernière Image(2010)

『海を見る/ Voir la mer(2011)

 この短いテクストにおいて、ソフィカルが80年代以降引き続き取り組んできた、「見えること」と「見えないこと」にかかわる問題提起と、彼女なりの現時点での結論をあえて言語化してみることにより、美のイメージと人々のコミュニケーションの主題について考えてみたい。
ソフィカル(1953年生、パリ)は、1981年に写真とテクストで構成された『眠る人々/Les Dormeurs』(制作は1979年)を発表し、アーティストとしての活動を始める。物議を醸し出したストーカー行為の『尾行/À Suivre』(1978−)や、自身の想い出や物語を写真とテクストで綴った『本当の話/Des Histoires vraies』が国際的に評価を受ける。2008年の第52回ヴェネツィアビエンナーレでは、フランス代表のアーティストとして選出され、ダニエル•ビュランのキュレーション協力を得て、年齢も国籍も職業もさまざまである107名の女性達にカル自身が過去に交際男性から受け取った別れの手紙を朗読してもらうというプロジェクト『Prenez soin de vous』を発表した。現代では、フランスのみならず世界的のコンセプチュアルアーティストのうち、もっとも重要な作家の一人になっている。

30年間に及ぶ様々な表現行為のコンセプトから垣間見られるソフィカルのアート表現の特徴を確認しておこう。
1980年代前後から、自分のベッドに友人や知人を招待して眠っているところを撮影し(『眠る人々』)、街で見知らぬ人々を尾行して写真を撮影するという一風変わったコンセプチュアルな作品を作る(『尾行』や『ヴェネツイア行進曲/Suite Vénitienne』(1980))。彼女の制作のテーマは、しばしば偉大なアーティスト達がするような、人間の生死や人類全体の記憶という普遍的テーマに正面きって訴えようとする取り組みとは、きっぱりと対照的なアプローチをとる。きわめて個人的で親密な主題の選択。アーティスト自身の身の上話や想い出、見も知らぬ他人のとりとめのない語り、感傷に満ちた家族との想い出、恋人とのストーリー。それらは多くの場合、彼女自身による写真とテクスト、そしてその記憶を証明するオブジェとの組み合わせで展示される。ソフィカルアートにおける鑑賞者の態度の一つの典型は、アーティストの個人体験を追体験することだ。

本当のことと本当ではないことが混ぜこぜになっている事実を「どうでもよいこと」として受け止めるのが、ソフィカルアートに楽しく対峙するための第一歩でもある。どこまでが本当で、どこからがフィクションか思い悩む事は無意味だ。そもそも、彼女の作品の中で提示される写真の大半が後撮り(つまり、記憶からの再発見もしくは再構成)である。物語の真実性を裏付ける目的で挿入されるべき数々の写真はつまり、「証拠写真」でありながら、同時に、あからさまな噓であるのだ。彼女のコンセプトを作品として表現するプロセスにおいて、各々の物語やナラティブの真偽は本質的にどうでもよい。カメラのレンズを通して写真に収められたイメージが「リアル」でありえないのと同様に、ひとびとが思い出し語る物語というものは、いわゆる「たったひとつの真実」とは似ても似つかないものだからだ。

ソフィカル本人の経験を、追体験する事、これはソフィカルアートの一つの典型的方法であったのだが、『盲目の人々/Les Aveugles』(1986)のコンセプトとその実践は、この典型的方法をまったく逆の方向にたどるための試みであると言う事が出来る。盲目の人々の「ことば」によって再構築されたイメージ、これが彼女の唯一の創作であるわけだが、これを得るためのプロセスは、盲目の人々の想像力に基づく「ことば」を、カル自身が追体験しようとすることに依存しているのだから。

さて、『盲目の人々』(豊田市美術館展示2012年salon de mimi みえるもの/みえないもの)はスキャンダラスな作品であった。この作品ではソフィカルが生まれつき盲目の人々に「美のイメージ」を尋ねる。その答えをもとにソフィカル自身がそのイメージを再構成する。イメージというのは、なるほど目で見るものである。好ましい、気持ちがいい、愛するといった感情や感覚のために視覚は要求されない。触りごこちのよいものが美しいものであるということも出来よう。しかし、「美のイメージ」といったとき、それは視覚的な像であり、一枚の絵画や写真のようなものなのだろう。インタビューから得られた盲目の人々の答えから出発し、一枚のイメージを再構築するという行為は、なるほど、アーティストと彼らの想像力を重ね合わせるという点で、素敵な協働作品であると言えないことはない。

ソフィカル作品において、したがって、盲目の人々との対話、あるいは見えることと見えないことをめぐる問題提起は多岐にわたるようにみえるアーティストの表現コンセプトの中でももっとも長い期間取り組まれているテーマの一つである。というのも、盲目の人々との対話は、今をさかのぼる26年前、1986年カルが27歳のときのインタビューに始まる。上述した、盲目の人々が語る美のイメージをヴィジュアル化するといういわば協働作品だ。

2010年にはイスタンブールで13人の、かつて見えていたけれども今は見えない人々に出会う。(『La Dernière Image』,2010)彼らが最後に見たものは何か、という質問を投げかけ、その証言に基づいて、彼らの最後のイメージをヴィジュアル化する。彼らの答えは、しばしば強いエモーションやショックを我々に共感させるものだ。目の手術の医療ミスで見えなくなった人は、手術直前に見た医者の白衣を脳裏に焼き付けており、事故で見えなくなった人は物体が顔面に向かって飛んでくるまで見えていた緑色の風景を鮮明に語る。少しずつ見えなくなった人は、かつてぼんやりと見えていた家のソファや家具の様子を思い出すが、「私には、最後のイメージはありません」とはっきりと述べる。ここでもまた、カルは、彼らの最後のイメージを追体験しヴィジュアル化することを目指し続ける。

La dernière image, Aveugle au divan, 2010

La dernière image, Blind with minibus, 2010

2011年に舞台となったのは同じくイスタンブールの地で、人生の中で一度も海を目にした事のない人々に初めての海を見せるというプロジェクト『Voir la mer』を実現する。トルコの内陸からやってきた、これまで一度も海を見たことのない人々14人が海辺でその風と波の音に包まれたのち、自らのタイミングでこちらを振り返る、という数分間の短いヴィデオ作品14本である。最も長く見ていた人は4分、短い人は1分半ほど、噛み締めるように波の音と風と匂い、そして空と海の色で構成される環境としての「海」に包まれ、それを知り、振り返るときの表情をヴィデオは鮮明に捉える。

いったい彼らが目にしたのは、どんな海だろう。実は、かつて目にしたことがなく初めて海に臨む14人それぞれの見る海は、カル自身が見る海と同一ではない。我々は時間と空間を共有してもなお、同じ視野を持つことがなく、そこにはつねに齟齬がある。この事実はつまり、ディスコミュニケーションが「見えること」と「見えないこと」の間に横たわっているという言説を根本的に打ち消す。見える我々自身が見ていると信じる対象はそれぞれの視覚によって捉えられた主観的なものであり、本質的な意味でのディスコミュニケーションが内在するのはまさにこの段階においてである。我々は誰ひとりとして誰かと同じイメージを「見る」ことが出来ない、という人間の根本的な謎のようなものに接近する。

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

voir la mer, Jeune fille en rouge, 2011

「私が美しいと思うもの、それは海です。視野の果てまで(視覚を失うまで)広がる海です。広がる海です。」
ひとりの盲目の男性のこのような言葉にインスパイアされて始まったカルのプロジェクトは、
「美しいもの、私はそれを断念しました。わたしは美を必要としないし、頭の中でイメージを必要ともしません。自分が美を鑑賞できないので、私はいつもそれを避けてきました。」
という美のイメージを拒絶した男性の言葉を手がかりに、表層を遠ざかることに成功する。最後のイメージを尋ねるその意味は、見えることと見えないことの境界をカルなりに探ろうとした実践でもあった。そして、最終的に、一枚のイメージ(海)の前に、見えていたカルと見えていなかった人々を並べ、そのイメージの共有を試みる事に行き着く。しかしながら、明らかになったのは、我々が一枚の美のイメージの前に、美の存在を共有できるという幸せな幸福ではなく、我々は誰ひとりとして、海という大きな存在を前にしてすら美のイメージを共有する事はないという、皮肉に満ちた本質的な結論であった。我々の認識は、我々自身もよくわからない内部を通り抜け、たとえそこに絶対的に在ると信じられる母なる海を前にしてすら、だれかと分かち合うことはできない。
そのことは、寂しいことでも辛いことでもなく、ごく当たり前であるが故に、とても平和なことである。カルの一連の歩みを追体験する鑑賞経験においてもまた、我々は、それが変奏的追体験のだと納得した上でなお、なにかを感じる。それは、心の深い部分がかすかに「共振」するのを感じるような、繊細な感触なのだ。

*Sophie Calle « Pour la dernière et pour la première fois »
本テクストで取り上げた、二つの作品『最後のイメージ/La Dernière Image(2010)、『海を見る/ Voir la mer(2011)は、現在、Galerie Perrotin201298日〜1027日にかけて開催中の展覧会においてご覧になれます。

Galerie Perrotin: 76 rue de turenne 75003 Paris
 / www.perrotin.com

Galerie Perrotin, Sophie Calle « Pour la dernière et pour la première fois », 2012