Cheveux comme symbole de femme ? / 女たちの髪について
「髪は女の命」は、洋の東西を問わず、さらに古今も問わないらしい。だが、私自身、これまでの人生の中で「髪の毛」にはあまりいい想い出がなく、それをうまく手なずけたこともなければ、それを社会的•戦略的利用に成功したことも、それによって恩恵を受けたことも特にない。どちらかというとそれは、子どものときには「いい子だったら髪を伸ばしていい」とか「悪い子だからショートにしなさい」など、従属をコントロールさせるアイテムとしての役回りを果たし、あるいは思春期の時にはそれは、この世でお天気の次に手に負えないもの」として縮毛矯正だか脱色•染髪•トリートメントだかに金をつぎ込まされる。そして年齢を重ねてそんなことも全てどうでもよくなり、嫌いだった美容院にもついに殆ど赴かずに済むようになった現在ですら、社会生活におけるストレス(?)やおそらくは栄養状態に起因する過剰な抜け毛によって「いったいこんなに毛が抜けて、私は明日の朝にはどんな姿になってしまうのか」という脅迫に日々付きまとわれている。
私が述べたこれらの想い出や強迫など、過ぎ去った時代を生きた女性たちが経験した数えきれない暴力のまえにはゴミみたいなものだが、現代人が伴って生きている「髪の毛の意味」というのは、彼女らの生きた時代のそれとさほど変わらないのであり、なるほどたしかにそれは、人々が気にすれば気にするほど重要な意味を担い、皮肉なことに、それを転覆させようと執着すればするほど、決定的な存在となる。こうして髪の毛は現在もなお戦略的アイテムであり続けている。
セーヌ川沿いのプリミティブな美術を扱うケ•ブランリ美術館(Musée Quai Branly)は2006年に開館した新しい美術館で、アフリカ、アジア、オセアニア、ラテンアメリカの文化や芸術に関し、30万点にもおよぶコレクションを保持し、数々の企画展が行われている。そこで、2012年9月から2013年7月まで開催された展示『CHEVEUX CHERIS(愛しの髪の毛)』を見学した。Musée Quai Branlyが提示する「愛しの髪の毛」の意味はシンプルにカテゴリー分けされている。個人のアイデンティティとして、あるいは個人のスタイルを決めるものとしての髪型や髪の色は、人類学的な観点から重要である。個人主義の時代のオリジナリティの主張の役割を担うのはもちろんのこと、それは、日本のような民族的多様性に乏しい社会においてよりも、ヨーロッパやアメリカにおいてよりラディカルな意味を持ってきたのであり、現在もなお持っている。あるいは、それは時に、一人の人間が生の記憶として、長年にわたって遺族や恋人によって大切にされる。さらには、これらの意味を担った髪だからこそ、戦利品/トロフィー、あるいはその象徴として利用される運命に晒されてきたという事実もある。戦争でどれほどの敵を殺したかを量的にしめすこと、ある社会において女の重要なアイデンティティである髪を見せしめのために剃り落とすこと、さらに胸を悪くするのは、こうした意味を逆手に取った女性自身による自滅的なパフォーマンスを目の当たりにしたときである。
さて、展示された「髪」のいくつかを見てみよう。一つ目は、有名なエクアドルのヒバロ族のShuar(ツァンツァ)。これは、首狩りの風習にしたがって、殺した敵の首級を持ち帰り、乾燥させる(乾首)にしたもの。ヒバロ族の乾首には本来的に宗教的意味があり、殺された人間の頭部を束縛することによって、霊魂を鎮め(復讐の霊はムシアクと呼ばれる)、ヒバロ族に服従させる意味を持っていたとされる。
Jean-Jacques LebelのコレクションであるEmma(1900年ころ)で、André Breton(アンドレ•ブルトン)がSaint-Ouenの蚤の市で購入し、友人のLebelにプレゼントされたものである。見も知らぬ一人の若い女Emmaが死んだ時(あるいは何かのきっかけで)、おそらくはその形見として彼女の家族に与えられたものであろう。髪はここでEmmaのヒトガタのように在る。
また、荒木経惟の『無題』(1940年)では、荒木の写真において女たちがしばしばそうであるように、あたかも我々の知る世界ではないような奇妙な様子で一人の女が提示されている。長く美しかったであろう黒髪は、湿ったまま容赦なく切り刻まれて、裸の女の体中にまとわりつき、女は表情をひとつ変えていないが、あるいはもはや生きていないかのように見える。一方で散らばった黒髪は、その塊が女の身体を這うようにしてうごめいているようにすら見える。
次の写真は、フォトジャーナリストであるRobert Capa(ロバート•キャパ, 1913-1954)の撮影した写真のうちでもっとも重要な仕事のひとつで、1944年8月18日、シャルトル(Chartres, France, パリ南西)における出来事の一部始終を収めたものである。赤ん坊を抱えた一人の若い女(当時22歳)が、軍人によって、多くの観衆が見つめる広場の方に連行されている。広場の地面には黒っぽい塊が、幾つも落ちているのが見える。この日ここで行われたのは、ドイツ軍人と関係を持ち、ドイツ軍人との子どもを出産した女たちの「剃頭」という「見せしめイベント」である。女たちはここで人々が残忍な好奇心で見つめる中、丸坊主にされて、彼女らの幼い子ども共にシャルトルを追われた。当時の女性たちにとっての髪がいかなる意味を持っており、それを人前に晒されて剃り落とされることがどれほどの辱めであるか、敢えて言うまでもない。二枚目の写真には、剃髪後、足早に歩く彼女を囲む、人間の残忍性が克明に写されている。ののしるもの、惨めな剃髪姿をあざ笑うもの、憐れな者を見て見ぬ振りしようとする者、その全てがこの一枚の写真に現れているのである。
この女性は、ドイツ軍人の子どもを産んだ罪によって二年間のシャルトル滞在権の剥奪ののち、この地に戻り、その20年後の1966年に亡くなった。女性は精神を病みアルコール中毒に苦しみ、44歳の若さで生涯を閉じた。女性が公衆の面前で受けた辱めは、ドイツ軍人の子どもを産んだことに由来する。それ以上でもそれ以下でもない。その妊娠が女性の望むものであったのか、社会はそのことを全く問わなかった。女は、誕生した新しい生命を中絶せずに産み落としたということによって殺されたのだ。
まだ記憶に新しいことだが、日本のアイドルグループAKBのうちの一人、峯岸みなみがグループの暗黙のルールである「恋愛禁止」に違反して、異性と関係を持っていたことについて、「坊主頭」によって「ファンや関係者にたいする謝罪」を行ったことがたいそうスキャンダルになった。断髪後に撮影されたビデオがyoutubeなどにアップロードされ、その様子はマスメディアを通じて報道された他、動画の再生回数は合わせると数十万回に及ぶと見られ、ウェブでもテレビでも多くの人がこれについて議論した。この「謝罪」が尋常でない拡散力をもっていたのは、上のシャルトルの女の最悪な「見せしめイベント」を、多くの観衆が残忍な好奇心によって見つめた人間の性質とまったく同じ構造をこの「謝罪」が利用しているからである。私はこの行為自体については、純粋に、戦略的であると思う。その一方で、Robert Capaがカメラに収めた「見せしめ」は言うまでもなく氷山の一角で、歴史上数えきれない。それを憐れに思うにせよ、無関心であると言うにせよ、こんな「謝罪」のビデオを見入るという行為はまさしく、おしなべて、そういったシステムに支配されているその証拠なのだ。