09/13/14

エルヴェ・ギベールの文学創作について / Autofiction ou parler du « moi » : enjeux esthétiques pour la nouvelle création littéraire – les recherches à travers l’analyse des ouvres d’Hervé Guibert

フランス人のジャーナリスト/写真家/日記作家/小説家であるエルヴェ・ギベール(Hervé Guibert, 1955-1991)の文学について、現代の電子テキストによる私たちの書く行為を視野に入れて、日記を基軸にして私小説を書くという彼の文学創作の方法について、その着想や意味を考察します。9月18日に発表します!ぜひ聞きにきてください〜。

詳しくは:http://semio2014.org

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Autofiction ou parler du « moi » : enjeux esthétiques pour la nouvelle création littéraire – les recherches à travers l’analyse des ouvres d’Hervé Guibert

Quant à l’écriture contemporaine, nous sommes fréquemment témoins d’une attitude audacieuse de ceux qui écrivent, même plutôt exhibitionniste pour dévoiler leur vie personnelle, la confidentialité et l’intimité. Non seulement dans le domaine de la littérature mais aussi dans les activités des amateurs, cette tendance est très présente. Ce constat serait issu de la nouvelle situation environnementale dans notre société de l’information. Concrètement dit, nous avons souvent des moyens pour publier un texte sur un espace virtuel tels le blog et les réseaux sociaux, grâce à l’accès internet. Cette possibilité d’exposition de soi nous encourage de nous engager passionnément dans une activité à la fois ludique à la fois sérieuse : écrire sur le moi, ma vie et mon histoire intime.
Comme genres littéraires, le terme d’« autofiction » n’existait pas avant les années 1970. Ce fut Serge Doubrovsky, écrivain français, qui inventa ce nouveau genre littéraire pour définir sa propre œuvre, intitulée Fils (1977) dans laquelle l’auteur désira distinguer la fiction autobiographique d’avec l’autobiographie. Sa définition simple est celle-ci : l’auteur est aussi le narrateur et le personne principale. L’appellation du protagoniste peut être variée comme « je », « il » ou « elle ». Il y a toujours une complexité pour la déterminer puisque quand le récit basé profondément sur une vie réelle de quelqu’un, il est difficile de justifier si c’est une fiction ou une vérité, il n’est même pas important ni intéressant de le vérifier pour sa qualité littéraire. Dans tous les cas, la nature « autofictionelle » est toujours présente dans les expressions littéraires.
En France, Philippe Lejeune, théoricien de la littérature, notamment spécialiste de l’autobiographie, a réalisé ses recherches riches sur l’activité historiquement répandue en Europe, « tenir un journal intime » dans Le pacte autobiographique (1971). Il est évident que le journal intime n’est pas toujours un recueil des histoires vraies, comme démontra Sophie Calle, artiste française, à travers son ouvrage intitulée Des histoires vraies (2002). En jetant un regard sur les lieux de création littéraire, la relation entre l’écriture sur soi comme le journal intime et la littérature contemporaine est interactive et dynamique. À mon avis, il est temps de considérer une problématique : enjeux esthétiques de l’autofiction afin d’interpréter une dernière tendance puissante dans la littérature.
Dans cette communication, j’analyserai certaines œuvres autobiographiques d’Hervé Guibert son écriture expérimental de l’autofiction afin de réfléchir à la signification de la valeur esthétique de l’écriture de soi.

05/10/13

「わたしの母」がアートになるときー1.ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)/ »Ma mère » en tant qu’art – 1. Sophie Calle « Rachel, Monique » 

この記事は、二回続く『「わたしの母」がアートになるとき』の第1回である。
第1回 ソフィ•カル『ラッシェル、モニック』(母の日記)
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品)

 

じつに幅広い主題が「アート」になりうる今日この頃、「母がアートになってたまるか!」と文句を言う人はもう誰もいない。そもそも現代アートはアーティストのありとあらゆる私事で占拠されている。愛する恋人とのラヴ•ストーリー、赤裸々な独白、個人の政治主張やスローガンのアート化、芸術的手法で綴る自伝。その様々な私事の中に家族を扱ったアートがある。家族は言うまでもなく自分という存在の最も近くにいる人たちであり、「私」について考え取り組むアートがそれを主題にすることは自然な成り行きなのであろう。自分と家族のストーリー、あるいは子どものこと、祖父母のこと、両親と自分の関係のこと、そして、父のことと母のこと。世界にたった一人であり、その人でしかない「わたしの母」がアートになる事態について考えてみることは、現代アートにおける私物語の実態を理解するためにも重要である。

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

当ブログでもしばしば参照されているパリ生まれのフランス人アーティスト(1953年生れ)ソフィ•カルもまた、母をアートにした作品を発表したことのあるアーティストの一人である。現在ソフィ•カルは東京品川区の原美術館で「ソフィ•カルー最後のとき、最初のとき」という展覧会(盲目の人が最後に見たイメージを質問し、その証言に基づいてソフィ•カル自身が写真やテクストでその時の物語を再構成した「最後に見たものの」とイスタンブールに住みながら海を見たことのない内陸の人が初めて海を眺めこちらを振り返った表情を捉えた写真という独立した二つの部分で成る)を行っており、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。(本作品については、パリのギャラリーEmanuel Perrotinにおいて展覧会が行われた際、本ブログでもレビューを書いた。記事は日本語とフランス語で掲載されている。(Sophie Calle / ソフィカル:見えることと見えないことをめぐる3つの対話 1986~2011年, Sophie Calle : À Propos Du «Capable De Voir» Et De L’«Incapable De Voir») 本記事で取り上げるのは別の作品、2012年7月、アヴィニョンのアートフェスティヴァルにおいてセレスタン教会で行ったパフォーマンス•インスタレーション作品『ラッシェル、モニック』(Rachel, Monique, Eglise des Célestins, Avgnon, 2012)である。彼女の母は2006年に亡くなった。亡き母の残したたくさんの日記帳の中から選ばれた16冊の日記を娘であるカルがヴィジターを前にして朗読する。(当インスタレーションは2010年10-11月にパリのパレ•ド•トーキョーで先行して行われた。)

16冊の日記帳は1981ー2000年の20年間にわたって彼女の母親自身によって付けられたものである。それぞれのテクストは多くの人の日記がそうであるように、短く断片的で、親密であり、熟考して書かれたものではない。インスタレーションのタイトル『ラッシェル、モニック』は彼女の名だが、彼女は3つの名前の他にも、Calle, Sindler, …複数の名前を持っていた。ラッシェル、モニックの他にもたくさんの名前で彼女は存在し、全てが彼女の名である一方、あたかもある日は異なる人物としてその日を生き、また別の日は別の人物であるかのように、生きた記録を日記帳に綴っていた。その複雑な人格は娘のソフィ•カルにとっても必ずしも理解可能なものではなかったと思われる。彼女の母親は、日記の中だけでなく現実に恋多く忙しい人生を送っていたようだ。教会には日記の朗読をするアーティストの他に、ヴィデオや写真が展示され、あるいは遺品であるオブジェや彼女の残したテクストも公開された。教会の床には墓石をイメージした大きなフォルマの長方形のプリントが一列に並べられた。実は、このインスタレーション自体がヴィジターである赤の他人を巻き込む大掛かりな葬送プロジェクトなのである。

Eglise des Cléstins

Eglise des Cléstins

なぜ「わたしの母」の葬送の事をアヴィニョンのフェスティヴァルを訪れるたくさんの観客とシェアする必要があるのだろうか。そして、2006年に亡くなった母の葬送の事を2010年にパリで行い、なぜもう一度(あるいは今後も)繰り返さなければならないのだろうか。その答えは実はとてもシンプルである。そのことをアーティストのソフィ•カルが自分のために必要としており、同時に、鑑賞者がその儀式を覗き見る喜びはそれをアートとして成立させるために十分なのである。(ちなみに、彼女の母の本当の墓は、パリのモンパルナス墓地にあり、その墓碑銘には »Je m’ennuie déjà./もう退屈。 »と綴られている。なんてこった。)

Rachel, Monique, 2012, Festival d'Avignon Archive

Rachel, Monique, 2012, Festival d’Avignon Archive

いったい、死者の日記を読むという機会があるものだろうか。その本来ならば決して知られることのない他愛の無い日常の情動を事細かに生き生きと耳にする機会があるだろうか。ないことはない。我々は普段から、著名人の書簡や歴史の重要資料としての手記や手紙を本の中で、美術館で、図書館の書庫で、あるいはドキュメンタリー番組で、常日頃盗み見、盗み聞きしているではないか。なるほど、たしかに我々は日々プライバシーとか○○権と目くじらをたてながら、著名な人々の私生活にはさほど配慮しなくても良いらしいことを常識として共有している。ラッシェル、モニックと呼ばれたソフィ•カルの母の日記が朗読されること、そしてしばしばロマンチックなその内容に羞恥心を覚えたり、あまりに直接的感情の吐露に対してばつの悪いと感じるのは、ソフィ•カルの母が我々と同じ「ふつうの」女であり、今日ではインターネット上に直接公開されるブログというスタイルを知っている我々でさえ、紙媒体にこつこつ綴られた匿名の個人の「日記」は、まさか持ち主が亡くなったからといって大勢の前で突如は暴露されるまいという私たちの無邪気で可愛らしい信仰をソフィ•カルがざっくり裏切るからである。

日記帳に綴る日記は、通常こっそりと綴られ、公開も出版も目的としない。したがって、それがたとえ娘の口を通じてであれ亡き本人の意志を介さず暴露されている現場に遭遇すると否応無しに覗き見の心情が掻き立てられる。聴いてはならないものを聴く居心地の悪いエクスタシー。ソフィ•カルが母の日記を暴露することで目指しているのは、彼女の未だ分からない母親のその空白を探しに行くという途方もない作業であり、その不安を掻き立てるエクスタシーの代償に、彼女が一人で持ちきれない作業を人々に共有させることなのである。母をアートにするというのは、自己の外側にあるラインを明確化する行為なのだが、その試みは本質的に失敗するよう運命づけられており、終わりのないループ映像に似た反復サイクルがそこにある。母は子どものときから最も近く、我々は彼女を通じて世界に現れたにもかかわらず、今や絶対的な他者となり、身体のどの部分も繋がってはいない。親が子どもに自分の欲望を投影したり、彼らを通じて自己実現しようとする親の心理的な働きはよく知られているが、子どもから親に向かうベクトルではどうか。子どもは親を作り直すことは出来ないので、親の参照に基づいて終わりなき自己の彫像が繰り返す。ソフィ•カルのたった一人の必要はこの果てしないサイクルの中にあり、「彼女の母」はこの大きな枠組みに行き着いて初めて、全ての人にとっての普遍的な「母」になる。一人の女の日記は、こうして読まれ続けるのであり、それは女の望みには関係のない、綴られた何かなのである。
(イメージ参考:Festival d’Avignon Archive
第2回 石内都『マザーズ』(母の遺品) は次回書きます。