06/15/15

AYAKOさんの「パリの朝 〜 エールフランスのパンと一期一会」と親切を申し出ること

次の文章は、パリ在住の画家のAYAKOさんが6月5日にご自身のフェイスブックに載せていらっしゃった記事をご本人の許可を得て転載させていただいたものです。
***

「パリの朝 〜 エールフランスのパンと一期一会」

エールフランスでフランス人の乗務員に「明日の朝のために、少しパンを分けてくださいませんか。夕方ブランジェリーに行けないの。」とおねがいしたら、「近所にパン屋さん、ないの?」と聞かれた。
「私、目が見えないので、夕方買い物するのはちょっと無理なんだ。」と答えると、乗務員は私が目が見えないことに気づいておらず、少し驚いたようだった。離陸のとき、杖をたたんでくださいと言われて、しまっておいたから。

その乗務員がエレガントで親切で、親しみ深く、朗らかだったこと。間食にお菓子をたっぷり持って来てくださったりと、サンパティックだった。彼女がなぜ、私が失明者だと知らなかったのかというと、もともと私のシートは、日本人の乗務員の仕事のエリアだったためだ。その日本人の乗務員も既に充分に親切にしてくれていた。話したところ、私の友達の乗務員の知り合いだし、とてもリラックスしてた。

少しして、フランス人の乗務員が、余った小さなフランスパンを袋に入れて私に下さった。チーズやバターも入れてくださったとのこと。後でその日本人乗務員に、彼女の親切を伝えると、チーフパーサーなのだという。飛行中は、ファーストクラスやビジネスクラスの仕事で忙しいはず。ホスピタリティーを全ての人に分け隔てない、そのスピリットはすばらしく、素敵である。

飛行機は無事着陸する。今度はフランス人のアシスタントの手引きでトランクを取りに行き、出口に向かう。
私のトランクは年季が入りすぎて、ほとんど壊れかけているのですぐわかる。空港出口で、前もって予約していた乗り合いタクシーの運転手をさがす。家の前の通りに着いたら運転手がドアのところまで荷物を運んでくれる。住民に見つけられ、トランクをエレベーターに乗せてもらう。1996年から住んでいるアパート。小さなアトリエ。

翌朝、もらったフランスパンがひとつずつティッシュに包まれているのに気づく。そのチーフパーサーはめったに日本行きには乗らないのだと言っていた。パンに霧吹きで少し水分を含ませてオーブンで焼きながら、見えぬ一期一会を感じる。

***
他者に親切にすること、あるいは親切を申し出ることについて、時々思うことがあります。レベルの違う話や時と場合によること、一概に言うことが出来ないトピックでもあります。私はお祖母さんが大きな荷物を引きずって歩いていたり階段を登れずにいたら声をかけます。私自身が大きなスーツケースを持って、エスカレータのない駅で立ち往生してしまった時、大抵誰かが助けてくれます。それは男の人が軽々とスーツケースを持ち上げてくれることもあるし、女の人が声をかけてくれ、一緒に運んでくれるときもあります。言うまでもないことですが、基本的に独りで移動できない荷物は持ってはならないのが鉄則なので独りでも切り抜けることは勿論可能なのですが、手伝ってもらえば肉体的にとても助かるのは言うまでもありません。無論いつでも人を助けることが出来る訳でなく、自分がとても具合の悪いときなど、急いでいるときなど、どうしても出来ないこともあるのは事実です。

あるとき日本に帰国して、時々はエスカレータのない長い長い階段を30キロ近いスーツケースを持って一段一段上がっていると、ジロジロ見られるのですが、お願いしない限り相手のほうから声をかけてくれるということはないことに気がつきました。お願いすると、迷惑そうな顔をされたり、無視されたことももちろんありますが、手伝ってくれることもあります。どうして声をかけないの? と知人に訊ねてみたことがあります。すると、男性が女性に声をかけたり、手伝いを申し出ると不審に思われたり、警戒されたりしてしまうから、そういった反応を受けるのが嫌だから、困っていそうだとしても他者には話しかけないのだ、と。

文化的な違いは勿論大きい。パン屋でもレストランでも展覧会でもわりとそこら中話しかけるフランスと、店や飲食店は愚か、マンションのエレベータで隣人と出会っても会話をしない日本では、親切を申し出るためのハードルが全然違うのかもしれない。

そうはいっても、誰かにとってとてもたいへんなことは、別の誰かにとって全く簡単であることもあるし、独りで引きずるとしんどい荷物は、二人で持てば軽いかもしれないのだから、やはり残念なことだなあと思う。

AYAKOさんのお話では、最近では日本でも親切を申し出る人が多くなってきたというお話もお聴きした。親切を申し出て、その人が必要じゃないならそれで別にいいじゃないか。それを必要としている人のたいへんさが、時々は物凄く助かったりすれば、それでいいじゃないか。そう思う。自分が少し元気で究極に急いでいないとき、親切を申し出ることは、とてもよいことだとおもう。それが例え、迷惑だ、と投げ捨てられても、時々は、ありがとう、と言われることがあるかもしれないから。
takashi voyage paris 17