07/21/15

Installation par Keita Mori @Galerie Catherine Putman

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Installation par Keita Mori @Galerie Catherine Putman
(Voici, c’était cette exposition)
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Keita Mori, artiste japonais, est un spécialiste de dessin fait par le « fil ». On connait des artistes qui utilisent des fils comme matériaux principaux tel Chiharu Shiota (qui représente actuellement le pavillon japonais à la Biennale de Venise) mais l’usage des fils de Keita Mori est différent. Différent ou bien précaire.

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Le fil comme matériau est en principe utilisé pour nouer des objets, créer un lien entre les deux objets, fixer des corps solides, construire une structure des fils, voire même pour devenir une masse (comme un de ces aboutissements serait un tissu). Chez la série de « Bug report » de Keita Mori, le rôle du fil ne s’y limite pas.

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Son fil ne crée pas forcément un lien stable mais laisse des objets en suspens. Au lieu de construire une architecture absolue, son fil est pendu avec son bout libre. Une construction déjà faite est parfois toute démolie par l’artiste lui-même tout en gardant des traces de la colle (mise par le pistolet) sur sa surface rêche. C’est le fil même qui cherche sa place. Le fil cherche à s’installer à son lieu. C’est pourquoi sa série s’appelle peut-être « Bug Report ». Le destin (le résultat) est fondé sur le hasard – le mouvement libre du fil ou l’intuition de l’artiste.

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Nous avons récemment travaillé ensemble (lors de l’installation – performance « Peace Report 2015 – Corpus » : web article http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=3777). Son fil a joué encore un rôle différent. C’était, une part, un dominant qui détermine l’ensemble de la signification de tous les écrans ouverts sur le mur. D’autre part, un subordonné qui est ballotté par la forte image (des fragments des articles des journaux coupés par les participants), qui est pré-déterminé par le lien sémantique (textes et images des articles). Ce qui me tient comme intéressante signification du fil chez l’oeuvre de Keita Mori est, me semble-t-il, cette nature éphémère.

Keita Mori : artiste website http://keitamori.com

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06/1/15

PEACE REPORT 2015 – « CORPUS » 盛圭太・西澤みゆき・大久保美紀

PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »

パフォーマンス=インスタレーション作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、西澤みゆき(新聞女)の作品「ピース・ロード」と、盛圭太による糸をメディアとしたドローイング・シリーズ「Bug Report」におけるコンセプトとモチーフが出会い、ダイナミックに結びつき、分断され、互いが変容する中で生み出された異型の再解釈の提案である。作品コンセプトの構築に関わって、私自身、盛圭太・西澤みゆきと語り合った。
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作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、何よりもまず、世界への積極的コミットを念頭に置いた表現である。平和への希求、端的に要約すればそのことに他ならないかもしれない。しかし我々が体現しようと試みたのは、あくまで現実の中にある幸福の追求に似た行為であるように思う。我々は、自由で豊かな想像の中では、パラダイスのような夢を見たり、理想主義的なディスコースを繰り広げたり、眩くて直視できないほど美しい客体などをでっちあげることが可能だ。カタルシスのようなもの、それはなるほど、芸術の一つのミッションであるのかもしれない。私たちが、盛圭太と西澤みゆきが、シャルリー・エブド襲撃事件から3ヶ月が経過したパリの中心で構築しようとしたのは、しかし、フィクションとしての平和の希求ではない。
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盛圭太のドローイング・シリーズ「Bug Report」とは、ピストル型のノリで糸を固定し、カッターで切断することによって壁やキャンバスに描き出される糸によるドローイングである。盛によって描き出される画面は、あるときは密集した構造を表し、あるときは放っておかれた自由な一本の糸がたるんだまま存続することを許している。また時には、精緻に構築された糸の造形は、アーティスト自身によって、バリバリと音を立てて破壊され、そこには造形の跡としてのノリの欠片や剥がされた紙の毛羽立ちが遺る。シリーズのタイトルである「Bug Report」は、誤謬(Bug)を孕んだ関係性の構築と読むことも出来るし、あるいはその誤謬そのものがオートノミーの性質を持っていて霊媒(fantom)的に客体を結びつけようとする自律的な営みそのものであるとも、読むことが出来る。
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盛のコンセプトが西澤のピース・ロードと結びつくのは偶然とも必然とも言うことができるが、西澤の作品「ピース・ロード」が2001年9月11日のニューヨーク連続テロの世界的衝撃と一瞬にして崩れ去った平和の脆さへの気づきから始められ、世界中を平和の象徴である一本の道で繋ぐことを目指しながら、これまで日本国内はもちろん、ベネチアなど海外でも実践されていることを鑑みれば、出会いは運命的であると感じられる。「新聞による一本の道」は無論メタファーで、断片として世界に遍在しうるし、オートノミーでもあり得る。突如パリの中心にある盛のアトリエを拠点に、これを結ぼうとする参加者によって自主的に道が開かれることも、作品「ピース・ロード」の延長線上にある出来事なのである。
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私たちの日常は、おぼつかない安心の元に拠っている。無根拠な平和への信頼、安全への信用、穏やかな日々は、束の間に失われる。あるいはまた、常に生きにくい人生を生き続ける人だって大勢いる。アートはそのような非常事態において有用性を問われ、直ちに無用であると切り捨てられるか、あるいは傷ついた人々の心を癒すために必要であるとかろうじてセラピストとしての才能を認められるか、高々その程度の評価である。それ以上の意味や有用性が、表現行為にはあるだろう。リアリティを直視しながら、その過酷な世界に、私たちの家族や、恋人や、子どもや子孫たちが置き去りにされていくという事実から目を背けることなく、生き続けるということについて積極的に紡ぐべき表現行為を、共有する術はきっとあるだろう。

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盛のアトリエの壁は、参加者たちによって切り出された昨今の新聞記事の見出しや写真、記事の一部、政界の著名人、経済界のニュース、紛争や戦争のニュースや写真、意味の分からぬ言語を切り抜くもの、偶然裏表が違ってしまったまま壁に貼られたもの、本来の記事の文脈を失ったテクスト、分断されたイメージ、それらが糸によって結びつけられたり、糸によって孤立させられることによって、無数の窓を持つことになった。切り出された各々の平面はつまり、個別のスクリーンとしての役割を果たし、それらは盛がコントロールするレゾーの構成要素となったり、なり得なかったりする。思えば我々の情報の受容とはこのように断片的・主観的でしか有り得ないものなのだが、その情報のピックアップとリエゾンの行為が複数の個人によって同時に行なわれ、共有される空間のなかで、可視的で可触的なスクリーンとして遍在するとき、その意味はもはや別のものになる。

« CORPUS »。盛はこの集積を想像して、こう呟いた。

共有される空間は我々にとっての内側であり、それには外側を想像することができる。共同体が包まれているものをひっくり返したとしたら、新しい内側にもやはり曖昧な結びつきが広がるだろう。情報のアーカイブのような空間としての »CORPUS »、意味があるようで意味のない、関係があるようで関係のない、存在様態の「集積」。それは我々の身体の内側にまでレゾーを引き込むことができる、リアルなあり方なのだ。

パフォーマンス=インスタレーション作品「PEACE REPORT 2015 – « CORPUS »」は、2015年4月17日、盛のアトリエで生じ、開かれた無数の窓は、潜在的に、閉じない。

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感謝:
アーティスト 盛圭太、西澤みゆき
写真 Manon Giacone
撮影 杉浦岳史
参加者の皆様