Day(s)dreaming @Galerie 59, Paris / 展覧会 « Day(s)dreaming » @ギャラリー59
Day(s) Dreaming
@Rivoli 59,
Rivoli通にある見るからに奇怪なアーティストアトリエと併設してGalerie 59 がオープンしたのは記憶に新しい。59 Rivoliは1999年の死者の日にKalex, Gaspard, Brunoという3人のアーティストがCrédit Lyonnaisに放置された建物を発見し、そこをアーティストの拠点としようと決意したのがきっかけだった。« Chez Robert, électron libre »のもとにアーティストの居住およびアトリエと展覧会会場となる。2006年には一度パリ市の判断のもとに59 Rivoliは閉鎖され、工事を経た後の2009年、再びアーティストを受け入れ、パブリックへ門戸を開放することとなった。Rivoli 59 はルーブルから徒歩数分、ポンピドーセンターも勿論徒歩圏、コンコルド広場からサン•ポールまで続く(ルーブル周辺はアーケード街で有名)パリの目抜き通り沿いにある。この建物の一階(RDC)、Galerie 59で2013年8月20日~9月2日の予定で開催中の展覧会« Day(s)dreaming »(site on facebook here)を訪れた。
参加アーティストは、5名:ポーランド出身の油彩画家であるZofia Blazko, ワコウ・ワークス・オブ・アートをはじめ東京のギャラリーやヨーロッパにおいて展覧会を行い、独自のアプローチで重層的イメージを描くTomohito Ishii, ソルボンヌ大学で学位を取得したのちパリを拠点に様々なマテリアルで彫刻作品を発表しているSouya Kim, パリ第8大学にて修士号を取得、フランス各地において、糸の妙が織りなす新しいスタイルの絵画 »Bug Report »を発表するKeita Mori, 日本の気候をテーマに写真作品を発表するLola Reboudというメンバーであった。(référence : http://www.59rivoli.org/gallery.html )
展覧会タイトル「Day(s)dreaming/白昼夢」が意味するのは、昼間、目覚めたままで空想や想像をあたかも夢の映像ように見ることであり、起きたままでそのような非現実的幻想に耽ることである。展覧会を訪れる人が出会うのは、溢れる光の中ではっきりとした意識と光りに溶けていく意識が交差する瞬間に生まれる、白昼夢のイメージのそれぞれのアーティストによる表現である。
この、Day(s)dreamingの(s)はなかなか気になる。sは第一義的に名詞の複数性を示唆するし、それがカッコに入れられている場合には、単数であることと複数であること両方の可能性を暗示する。名詞に性があるような言語の場合には、男性名詞単数にはそれ以上の奥行きを持たないが、現行の多くの言語システムにおいては、男性複数では全ての可能性を包括できることになっている。この(s)のニュアンスを出展作家の一人である石井友人さんに尋ねたところ、タイトルDay(s)dreamingに寄せた解釈をお聞きすることが出来たのでここに掲載したいと思う。(一部略は筆者による)
展覧会タイトルとして採用された「Day Dreaming」とは、記憶の戯れからなるイメージの想像的な飛躍を体験する、という意味が込められています。参加アーティストの言葉に由れば、「Day Dreaming」とは、まるで緩やかな洪水の後の様な豊穣なイメージ郡を想定しており、全てが押し流され、既存の意味や時系列、あるいは所有関係を離れたイメージ群 (記憶)を再構成する、流動的な過程を含意しているようです。
この流動的な過程 において、集合しつつ離散するあらゆる不可避的イメージの遭遇が、我々の思い出/忘却とが幾重にも交差する場所を作り出し、そこにはひょっとすると記憶に対する物憂い空間(真夏の蜃気楼)が立ち上がっているのかもしれません。
あなたはこの真夏の白昼夢の空白の中にただ一人取り残され、想像することの能動的/受動的な経験に奇異な思いを馳せることでしょう。(石井友人)
Le titre de l’exposition, à savoir, « Day Dreaming », veut dire une expérience de l’association accidentelle, non-ordonnée, et non-maîtrisable des images à partir du jeu de mémoire. D’après les mots de l’un des artistes participants, ce titre suppose « une série des images comme un paysage, en quelque façon, “ dépaysé ” de l’après-inondation, où se rendrait possible la mise en relief des significations originelles de choses, qui sont pourtant à la fois cachée dans notre vie quotidienne et sédimentée dans notre mémoire. C’est à travers ce processus fluide et flottant, consistant à délibérer et à dégager l’« archi-sens » de choses à l’aide des images, que se crée un lieu où se croisent et se superposent la mémoire et l’oubli. Dans cette exposition souhaitons-nous ainsi vous offrir divers expériences de la rencontre inévitable, voire, passive des images qui se rassemblent tout en s’écartant dans le Day Dream. (Tomohito Ishii)
なるほど、Day(s)dreamingはその重層的な性質、記憶とイメージの重なり合い、さらには空間におけるアーティストたちの記憶とそれを見る人の白昼夢が混じり合うこと、それらを含む奥行きを意味しているのだ。
ポーランドのZofia Blazkoは、数々の眠る女を描いている。彼女が表すのは特定の眠っている女というよりもイメージとしての眠る女である。眠る様子は自分自身で見ることができず、そこにどんな身体の動きや表情が浮かび上がっているのかを我々は知らない。穏やかで美しい眠り姿はやはり創り出されたもので、一つのイメージなのだろう。
Tomohito Ishiiの絵画には複数のイメージが混在する。それは完全に混ざることなく微妙にずらされ、重なり合うことによって本来それらが持てる具体的意味を失って漂う。そこにあったはずの明確な風景、写真が留める遠い昔の記憶、抽出された断片といったものは、知らず知らずのうちに我々の白昼夢のフラグメントとなる。我々はしばしばそのことを意識化できず、そのことは実は、外在する記憶と内なるイメージの差異の本質的な無意味を暗示する。抽象画とは、本当はそういったことなのかもしれない。そしてそれをあくまで身体的な物として表現するこれらの絵画を前に、鑑賞者は自らのイメージを重ねる。
ギャラリーに足を踏み入れるとSouya Kimの大きな3つの水滴が、床に表面張力によってそのまるさを保っている。奥へと歩を進めると、球面に映る我々の姿は突如ぐにゃりと様相を変える。現実に留まっていると信じるためには、水滴はあまりに透明で、大きい。彼女の作品は磨き上げられた巨大なアクリル樹脂の彫刻である。静かにそれを見つめるならば、作家により信じがたいほど繰り返されたプロセスの層の中に自己を見失うだろう。
Keita Moriは、Pistolet à Colleと糸という独自のアプローチで、Bug Reportというシリーズを制作している。真っ白な紙面に浮かび上がってくるのは、ときに幾何学的なモチーフであり、またあるときはいつか夢のなかでみた迷宮の構造のようである。いずれのイメージも、我々の目にはっきりと知覚できる部分と、すでに失われたか隠されている部分、あるいは、世界の中に遍在するのは確かなのに、もはやその全体像は掴み得ないものを紡いでいる。我々は絵の前で、その見えないものを求め、そのさらに遠くまで行って気を失う。
さて、当展覧会は、9月2日(月)までGalerie 59にて開催中である。Day(s)dreaming/白昼夢はそこに漂っている。
Zofia Blazko
http://www.zofiablazko.com/index.html
Tomohito Ishii
http://www.tomohitoishii.com
Keita Mori
http://keitamori.com