09/29/12

Camille Henrot/カミーユ•アンロ, ジュエリーは押し花に敷かれて

どこの街にもきっとそういう場所があるのかもしれない、と思う。活気ある通りを一本中通りに入り、impasse(行き止り)に数歩入っていくだけで、周りの雑踏が消し去られて自分がどこにいるのか分からなくなってしまう、パリにもそういう場所がある。そこは、オペラ界隈の人の多さを横目にLaffayette通をまっすぐ東にメトロの駅2つ、3つ分進んで行くと辿り着く、東のパリの活気を感じさせるエリアだ。交通量もレストランも多く、とてもにぎやか。このギャラリー、ROSASCAPEは一見そのようなカルティエにある。impasseに一歩足を踏み入れると、とりあえず、正面の壁の時代錯誤ぶりに言葉を失うことができる。そうか、ここは21世紀ではない。19世紀後半とか20世紀の、古き良き時代のパリが息をひそめて隠れていたのだ!

ギャラリーの扉を開けると、そこにはテーブルにずらりと並んだ、押し花。いや、よく見ると、各々がホンモノである押し花は一つ一つ丁寧に何か文字がプリントされた紙の上に貼付けられている。色々な花がある。葉と茎だけのものもあれば、パンジーのような大きな花をもつ植物も押し花にされて、色の鮮やかさを失った代償として、花びらもがくもそのままに丁寧に保存されている。

展覧会のタイトルは、« Jewels from the Personal Collection of Princess Salimah Aga Khan »。押し花と宝石のコレクションを結ぶアーティスト、Camille Henrot / カミーユ•アンロ(1978生、パリ)の個展だ。こんなセレブ感溢れる素敵なギャラリーでのことだから、サリマー姫の世界のコレクターも目を見張るような素晴らしいジュエリーの数々が見られる、なんて勘違いしてはいけない。ここに展示される姫のジュエリーコレクションは、姫のジュエリーコレクションのリスト(活字として印刷されたもの)だけであり、Camille Henrot の展覧会はむしろ、ホンモノのジュエリーどころか、一欠片のダイヤモンドの押し付けがましい輝きすら必要としていない。

展覧会の解説を始める前に、まずこのプリンセスがどれくらいセレブなお方であるのかをざっと知識を得ておく必要があるだろう。Princess Salimah Aga Khanは、49代イマールのアーガーハーン4世の元妻である。1940年、ニューデリー生まれのPrincess Salimahは、ファッションモデルとしてモード界に名を轟かせ、1959年19歳の時、ひとり目の旦那と結婚、9年後離婚し、翌年アーガーハーン4世と再婚した。さて、26年に渡ったアガーハーン4世との結婚生活の間贈られ続けた彼女のジュエリーコレクションは世界でも有名である。ヴァリエーション、質の高さ、珍しさ、それに由来する価値(価格)の前には、もはや、ゼロが幾つあるか、幾つあるからどうなのかすらよくわからない。
1995年にハーンと離婚した後、宝石コレクションを次々売りに出すようになる。ハーンからのプレゼントである宝石は、ハーンの妻としてふさわしく美しい輝きを放つように、プレゼントされたものなのだから、彼から離れることになれば、それらはむしろ消えてしまった方がいい。あるウェブサイトで販売に出しされたジュエリーの例を見ることが出来るが、ざっと、数千万単位のジュエリーがポンポン売りに出されて、富めるコレクター達の手に渡って行った。このレベルのジュエリーを何百も番号を振り、数十ページのリストブックにするほどたくさん持っていた。離婚以来、ジュエリーを売りに出している彼女は、そのお金をもとに人道奉仕活動を展開している。

彼女は幾度となくフランスを訪れ、元夫は馬を持っており、二人でゴルフをしばしば楽しんでいたこともあり、フランスの国に縁あるプリンセスとして、フランスの人々親しまれているようだ。そういうわけで、Camille Henrotが、サリマー姫のJewels Collectionを自身の表現の出発点として、対照する目的で参照するのには以上のような文脈がある。

さて、そんな長い前置きをふまえて、Camille Henrotの作品を見てみよう。

彼女のコンセプトはとても明確である。一方、それが意味するものは、ゆっくりと絵の具が滲むようにして現れてくる。プリンセス•サルマーの売却用宝石リストは、上述したように、ほとんどのページが活字のみで表されている。ごくまれに写真でジュエリーイメージが添付されているが、一色刷りである。リストには何が記載されているかというと、ジュエリーの番号、どんな宝石の組み合わせで出来ているか、なんという名前か、おいくらなのか、である。それぞれページの上には押し花、押し草。ページの下部には、植物学者による植物名の同定が手書きの文字で書き込まれている。

彼女の植物コレクションは、お庭で手塩にかけて大切に育てた植物に由来するのではない。これら押し花と押し草はすべて、Camille HenrotがNew York滞在中の夜中に、道ばたのプランターや人様の庭先、窓の桟におかれた鉢植えなどのスポットから、「盗んで」きたものだ。窃盗行為を遂行するCamille Henrot のようすは、若い学生フォトグラファーによって撮影されたスナップショット的に犯行現場として、しっかりと記録されている。

彼女はその証拠写真と、盗んできた植物で大切に作った押し花を、惜しげもなく、遠慮なく、プリンセス•サリマーの宝石リストの上に貼付ける。重ねられた部分は、なんというジュエリーで、どのような宝石がちりばめられていたのか、記述事項が全く読めない。それぞれがホンモノであるところの押し花は、印刷物であるところのジュエリーリストなんか、注目に及ばないほどの存在感を放つ。この様子が、何かしらアーティストの挑戦的あるいは暴力的なまでの強い意志を感じさせる、と読む事はあながち間違いではない。

核心に及んでしまう前に、もう少しだけ、このインスタレーションを楽しむための鍵について説明しておこう。Camille Henrotは、ヴィデオアート、メディアアート、コンセプチュアル作品などの多様な表現で活動を展開しているアーティストであり、数年前日本に滞在した際、生け花に興味を持ち、講習を受けてこれを熱心に勉強している。彼女がこの作品を作るために手がかりにしたのは、花言葉である。どのジュエリーに対して、どの植物の押し花を選択するかというとても重要そうな問題に対して、アーティストは、宝石にも言葉があり、花にも彼女らを表現する詩的な言葉がある事を指摘する。花言葉そのものはヨーロッパにも日本にも古来存在したが、当てられた言葉やその意味は同じではない。彼女がどのような花言葉を採用したか、定かではない。しかし、彼女の花をマテリアルとした他の展示、« Est-il Possible d’être Revolutionnaire et d’aimer les Fleurs? » (Galerie Kamel Mennour, Paris)なども参照してみると、彼女が宝石と花の言語を結びつけると同時に、それらの「かたち」や「うごき」といったものに関心を示しているのがすぐに読み取れる。

あるいはもう一つのキーワードは、宝石と花が両方とも伝統的に女性性に結びつけられていた周知の事実を、新しい視線で着目しようとするアプローチである。たしかに、宝石も花もそれらは女性的なオブジェと性を断定されながらも、実は非常に異なる。宝石は歴史において、男性から女性にプレゼントされ、贈られた宝石がどれだけ素晴らしいかが、しばしば女の価値を象徴するものとなり、宝石は女が死んでも、保存され、売り渡され、再利用されて残り続ける。花はそうはいかない。花は宝石との対比で言えばむしろ女自身のように、ある時とても美しかったのが、すぐに枯れて朽ちてしまう。特別な技術を使わない限り、何百年も保存される事はなかなか難しい。しかし、押し花はある意味で儚い花でありながら、時を越え得る強さを持った花の姿であろう。それは石よりも生き生きとしており、そして美しい。

Camille Henrotがここで表現したものは「あるものが上になり、もう一方のものがそれの下敷きとなり、二つのものを重ね合わせて眺めること」に収斂する。紙に置かれたアーティスト自身の押し花コレクションは、それが盗まれたものであろうとなんであろうと、心を込めて作られた押し花という強かな媒体となり、もはやそこにないジュエリーコレクションを下敷きにして、階級の差を訴え富める人々のコレクションを足蹴に鑑賞者の目の前に提示される。だが、女による女の征服はいつもそこに曖昧さを包有する。ジュエリーを隠し、押しやるために選び抜かれた生きたコレクションである押し花は、そこにあったジュエリーと「言葉」によって結びつき、お互いの「かたち」と「うごき」で会話し始める。相異なる二つのコレクションは、それが女のコレクションであるという限りにおいて、それが二重にかさなりあいながら、それが実は戦えないということを鑑賞者に語るのではないか。