03/30/13

尋常な話 – 3 ひげ抜き / Des histoires ordinaires – 3 L’épilation des barbes

3  L’épilation des barbes

Chacun a des manies de différentes choses.
On ne sait pas pourquoi mais il y a des enthousiasmes irrésistibles
qui bouleverse fondamentalement la sensation corporelle juste avec l’imagination.

Une de mes manies est d’épiler les barbes des hommes.
La racine des poils est une drôle de chose.
Ni poils corporels, ni cheveux, la racine des barbes donne une  impression magique

lorsque l’on les arrache de leurs trous sur la peau.
Le son produit lors de l’épilation est fin et agréable.
La forme de leur racine représente une ligne parfaite.

Une chose qui ne me contente pas suffisamment
est la difficulté de rencontrer des hommes généreux qui me permettent de le faire
à cause du peu de cette population existant dans le monde.

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3 ひげ抜き

それぞれ人には、好きでたまらないことというのがある。
なぜだかわからないが堪え難い情熱と言おうか
それをするのをイメージするだけで身体がぞくっとするようなことがあるのである。

わたしは男の人のひげをぬくのがたまらなく好きである。
毛根というのはなんとも不思議なものである。
髪の毛でも体毛でもなく、ひげの毛根。
それが皮膚から引き抜かれる瞬間の、あの感触はほかにはない。

キュッと毛根が穴から抜ける音はきもちがいいし、
ひげの毛根は完全なかたちを持っている。

このことでたったひとつだけわたしを満たさないことがあるとすれば、
わたしがこれをすることを好き好んで許してくれる人に
世界で巡り会うのがほとんど難しいという事実である。

 

*ce série représente un univers où se mêle l’histoire vraie et la fiction.

03/30/13

尋常な話 – 2 踏切 / Des histoires ordinaires – 2 Le passage à niveau

Le passage à niveau

Je déteste le passage à niveau.
Encore plus le passage à niveau d’une journée agréablement ensoleillée de l’été.

Un homme me visita à Kyoto que je ne voulais pas voir.
Je m’enfuis et m’abritai chez mes amis car j’eus peur.
Lorsque je décidai de le voir finalement,
cet homme arrêta décidément son pas devant un passage à niveau,
comme s’il attendit le train qui allât venir vers lui,
comme s’il attendit le train qui courût vers lui pour l’écraser.

Je déteste le passage à niveau,
notamment un passage à niveaux qui me rappelle
une image effrayante sous la lumière très forte
et ses mains tremblant du désespoir…

 
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2 踏切

わたしは踏切が嫌いだ。
夏のつよい陽の光がさし過ぎてしまったような午後の踏切は、とりわけ嫌いだ。

ある男が京都にわたしを尋ねてきて、わたしは会いたくなかった。
恐ろしいのでわたしは友人の家などにさんざん逃げ回った。
しかし仕方ないので会うことにした際、
男は踏切の前で立ち止まって、
あたかもいつかやってくる電車を待つかのように
電車がやってきたらそれに轢き潰してもらうのを待つかのように。

わたしは踏切が嫌いだ。
あの夏の日をわたしに思い出させる
強すぎる光と震えた手を思い出させる
そういう踏切はとりわけ嫌いだ。

 

*ce série représente un univers où se mêle l’histoire vraie et la fiction.

03/30/13

尋常な話 -1 おじいちゃん様 / Des histoires ordinaires -1 mon cher papi

これらの短いテクストは、パリ第8大学でL1,L2の学生を対象に行っているCréation Littéraireの授業の2つ目の課題、Ecriture sur « le moi », errant entre le journal intime et l’auto-fiction ( Ecriture sur le réseau sous forme de journal intime) のプロジェクトのために、例としてわたし自身が作成したものです。お話は、したがって、自伝的—私小説的(ノンフィクション−フィクション)な内容です。
タイトル『尋常な話 / Des Histoires Ordinaires』は、現在5つの短編を含みます。番号順にフランス語、日本語テクストを掲載します。また、今後の別の作品の動向はこちらのサイトに掲載されます。

le cours site.

 

des histoires ordinaires / 尋常な話
Miki OKUBO 


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1 Mon cher papi 

Mon grand père du côté paternel décéda quand j’eus 6 ans.
Le téléphone sonna pour nous informer de son état critique.
J’entrai dans la chambre de l’hôpital où mon grand père était allongé avec ses grands yeux ouverts.

Mon père fut son dernier fils né.
Son père le chérit beaucoup plus que les autres enfants selon ce que ma tante me raconta un jour.

Le jour où il décéda, je me réveillai toute seule en pleine nuit.
Dans notre chambre à côté de l’entrée, je vis mon grand père s’allongeant sur le dos tout près de mon père.
Ils furent presque de la même taille, la même tête et la même constitution.

Le lendemain matin est venu sans revoir mon cher papi.
Je ne lui ai rien dit ni bonsoir ni au revoir.
Je ne racontai jamais cette histoire à ma famille.

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1 おじいちゃん様

父方の祖父はわたしが6歳の時死んだ。
祖父の危篤を知らせる電話が鳴って、
わたしは両親とともに病室に入る。
大きな目を見開いた祖父がそこに横たわっているのを見るために。

父は祖父にとって末の子どもで、
父をいちばんに可愛がっていたということをいつか叔母から聞いた。

祖父が死んだその日、おしっこがしたくなり夜中にひとりぼっちで目が覚めた。
寝室は玄関のすぐ隣で、わたしは父の眠るすぐ横に祖父が仰向けに横になっているのを見た。
彼らは同じくらいの慎重で、良く似た顔で、同じ体格をしていた。

明くる朝は祖父をふたたび見つけることなく静かにやってきた。
何も言わなかった、おはようも、それにさよならも。
このことは家族の誰にも、いちども話したことがない。

 
*ce série représente un univers où se mêle l’histoire vraie et la fiction.

03/24/13

におうものに対して / facing odors

におうものに対して

 

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いつのことだったかはっきりと思い出せないが、英語の子ども向けの短いストーリーを読んだ。主人公の少女が母のお使いでカマンベールチーズをどこかに持っていかなければならないお話である。カマンベールチーズとはカマンベール地方の人にとっても世界の人にとっても臭いものの代名詞である。日本で言うと常温で密閉されてない香る納豆みたいなものだろうか。とにかくそれで少女は、その日せっかく好きな少年に会う約束を楽しみにしているのに、そんな臭いものを身につけていなければならないという事実に絶望するのである。とにかくもお約束はお約束ということで少年に会うのだが、少女はお母さんのお使いのカマンベールチーズの凄まじい匂いをその小さな身体にまとうことになるのである。行く先で、本当はしあわせなはずの少年との時間はミルクの発酵した匂いによって台無しにされてしまう。すれ違う人は顔をしかめ、正直な人は鼻をつまんで露骨に嫌な顔をし、少女は悲しみでついには泣き出してしまう。

 

このお話は子どものためのお話なので、救いようのない結末で物語が締めくくられていて、それはつまり、この少年は決して少女に対して「おまえ超くっせえ」「みんな見てんじゃん、カマンベール女!」みたいなことを言わず、それどころか、カマンベールチーズの匂いだろうと納豆の匂いだろうと、キミはキミじゃないか、といった馬鹿馬鹿しいことを言うのである。そして少女は、道行く人がみんな彼女を臭がっても、愛する少年に全肯定され、受け入れられることによって、自分へのネガティブな心の働きからすっきりと救われるという、めでたしなお話なのである。

 

現実世界はもうちょっと厳しかろう。

臭うものに対して私たちは非常にプリミティブである。
つまり、視覚や聴覚あるいは触覚や味覚のような他の感覚と比較した時、我々は、環境における匂いを意図して取捨選択するシステム(人工的な手段を使ってすら)を持っていない。
見たくないものは見なければよく、うるさい人がいたら耳栓をすればよい。
触りたくない人には近寄らなければいいし、嫌いなもんは食わなければよろしい。
しかし、「におうもの」に対してはどうかというと、臭いはもちろん粒子であるので、粒から遠ざかればそれはそれは感じにくくなる。が、基本的には鼻栓というのもあまり一般化されていないし、我々は使い慣れておらず、何かが強烈な臭いを発した時、それはしばしば、受容者がそれを選択しないための努力の有無をまったく問うこと無しに、臭いを発している原因と同定される対象が一方的に攻撃の的となる。
これはなかなか面白いことで、なぜならば、嗅覚以外の他の感覚についても結局は刺激をキャッチするかどうかだけの違いなのだが、たしかに味覚は口に入れさえしなければよく、触覚は触りさえしなければ何事も起こらず、視覚は人間の視野が限られているお陰で見ずに済ますことができそうである。しばしば聴覚と嗅覚に関して、我々は環境的な制御を要求するような、つまりは自分自身でコントロールする術を持たないのですみませんがどうにかしてくださいと告白するような事態に陥る。

 

におうものに対して、我々は何ができるのか。それとも何もできないのか。
臭わなくするための努力がある。その一方で、臭う時、別のもっと強烈な臭いでごまかすための努力がある。
個人的な話しになるがわたしは殆どずっと同じ香水を使い続けているのだが、毎日使っているわけではない。何ヶ月も使わないときもあるし、一日に10回くらいスプレーしたこともある。それがオブセッションになるような時は、コートも車の中も、コップの中も(身体に悪い!)同じ臭いがする。おそらくこのような時、わたしは別に自分の体臭を感じたり必ずしもそれをカムフラージュしようとしているのではなくて、しかし、明らかに自分の回りにあるニオイよりも強烈な香りをまとうことによって外側の環境から自分を保護しようとしていたのではないかと思う。日本女子が真夏の太陽を避けるために、日傘や手袋をしたり、つばの大きい帽子を被って隙間無く日焼け止めクリームと日焼け止めリップクリームを塗るようなことと基本的には同じである。
一日に何回もスプレーしたようなときは、回りの人にとっては鼻栓に並んで効果的な環境制御が望まれるほどわたしは臭っていたに違いない。あるとき、一人の男性が「くさい」と発言した。しかし、残念ながら、その人の苦労に報いるほど、わたしは十分に傷つき反省するには至らなかった。なぜなら、それがわたしの体臭ではなく香水の臭いであることを誰もが知っているからである。

 

出来事はつい数日前起こった。クラスで生徒が喧嘩を始めた。体臭のきつい少年に対して、(ざっくりと要約するならば)、近寄ってほしくないのだがその明らかな態度を不愉快に思った少年がこれまたチャイルディッシュなパフォーマンスをしたために、少女がキレていた。少女は全力でキレていて、少年は不愉快に思っていて、わたしは誰かがキレているのをそのとき効果的に無視するための耳栓を不運なことに持ち合わせていなかったので、仲裁に入った。誰かがキレているのを、そのまま鼓膜と耳小骨に振動が伝わって、聴神経から脳に刺激が伝わり続けるイメージを想像するにつけ、わたしはそれが好きではないのである。わたしは常々思っていたいくつかのことを誰にむけるともなく話した。現実の物語は、幸せな少女のカマンベールチーズ事件とは全然違って、さらには体臭は、身体と分離可能なカマンベールチーズではないのであるから、体臭を「くさい」と言われたとしたら、十分に不愉快に感じる理由となるだろう。

 

わたしは、すべての生徒がわたしの授業に参加する権利があると言った。鼻栓を買いなさいとは言わなかった。
社会の中には、たくさんの人が嫌だけど我慢していることがあり、その一方でどちらかというとどうしようもないのにその対象を迫害するような態度がなんとなく支持されている現実もある。それを意図的にしているような場合はまだ正視することができるのだが、そうじゃない場合には、とても残念である。違うように見られるようなとき、わたしは少しうれしいと思うだろう。

03/18/13

食することとセックスをすること / eating and sex act

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バナナをほおばりながら、もくもくと歩いていって、道ですれ違う人の視線が自分がバナナを食べる人に対して向けるのと比べ物にならないほど穏やかであることに気がつきながら、それでもしゅんとして食べようかがつがつと食べようか悩みながら歩いていって、ほっとすることにちょうどゴミ箱のある交差点で食べ終わってその黄色いバナナの皮をぽいと捨てたところ、ゴミ袋の一番上に私の捨てたのじゃない、私の捨てたのよりも酸っぱそうなバナナの皮がぽいっと捨ててあって、そうか、道で積極的にバナナを食べてもよいのだということに気がつく。部屋の外に出るということは、それだけで解らないことにたくさん出会うということであり、それを避けてはとおれないのであって、湿度が高くて目の奥が痛い日などにはそういったことは身にこたえる。

家の中にいても恐ろしいことは起こる。わたしはほとんどテレビを見ない。テレビから得られる情報や提示される物事の見方なんかにケッと思っているという訳でもなくて、それはたしかにもっとずっとずっと若いときにテレビ番組でコメントする人たちの恥ずかしげのない感じを見るにつけさらに恥ずかしくなるということをおぞましく思ったのだが、いまテレビを見ないのはただ単にみるチャンスがないからだ。大量の豚の死体が川から流れてくる映像が、それも大量の豚は川で溺死したのでまっさらに白っぽくなってフワフワに大きくなって、しかし川の流れの中でその身体はところどころに傷ついて、その生きていない肉の大量の塊をその川の近くに住む人が恐れながら、しかし乱暴に機械などを使って掃除しているという映像が画面を通じて音もなく次々に映し出された。システマチックに行われる家畜の管理などは、もちろん海の生き物を養殖することや、そもそも農耕も人間を養うという目的のもとに繰り広げられている崇高な営みであるらしいけれども、それは現代の人々の生活において、スーパーで食べ物を買う際にいろいろなことに気をつけるという以上に決して遡らないことになっており、大量の豚が運悪く病気になってしまったので燃やすのも費用のかさむことですので捨てられて川で溺死していることもとりわけ仕方なかったりやむおえなかったりするだけで、また今日もおいしく豚の生姜焼きなどが食べられるのである。わたしは肉を殆ど食べないけれども肉を食べて育ったし、魚は今でも食べることはあるし、植物は食べるし、いちいち何が混ざっておるか厳密に詳細に確認したりしないし、したがって自分を蚊帳の外に置いているのではぜんぜんない。それに、動物がかわいそうだから肉を食わないのでも何でもなく、それどころかどうしても摂取できないものなどはサーブされても放置しまくって日々を過ごしているので、もしそんなものが存在するならばだが「罪深さ」を競えば負ける気がしない。

ときどき、物を食するというサイクルから完全に逸脱することができたら、楽しいのではないかと思う。物を食するというのはサイクルである。だから、もちろんぐるぐる回る仕組みからぽーんと離れることができたら、それは楽しいに決まっているのである。たとえばお釈迦様も食物をどんどんシンプルにしていって、お水だけを飲んで、そのうちお水も飲まないでしばらくしばらくすると、それまでとは次元の違うことになったのである。人間のすることは中途半端なので、世の中にはずーっと続けるわけではない絶食なども存在する。宗教的な絶食も、健康のための絶食も、積極的な目的で行われる絶食のたぐいは、おそらく、そうやってサイクルから外れることによって、つまり今までただひたすら繰り返してきたことから決別するようなことなのだとおもう。つまりはそこで、決別したといっても完全に決別できないのは残念なことであり、身体を伴っているわれわれはこれがどんなに魅力的でも、とても意味のある形でこれと決別することがなかなかできない。一般に、身体を持ち続けるために食するサイクルを巡り続けることは必要不可欠であり、身体を持ち続けることが生きることのポジティブな意味と考えられているのは事実であり、大きな流れにしたがうことはある意味で楽であろうとおもう。

肉体が肉体としてやむおえず感じられるケースでふたつの強烈なものの例は、やはり、食べるサイクルに関わることが一つと、もう一つはセックスに関わることである。食べるサイクルは、異物が自分の(と思っている)肉体を通過して、なんらかの影響を与えてでてゆき、また入ってくる過程であり、セックスは異物との境界(があるならば)が破壊され、それが具体的な結果を伴う可能性を持つような過程である。食べるサイクルを逸脱することにたいして、セックスをするという営みから完全に決別することは比較的不可能ではないように思われる。ただし、セックスはしなければ死ぬというものではないために、逸脱したからといって、そんなに画期的に楽しそうでもない。

ひとつ言えるのは、セックスをしないまま食のサイクルに属し続けることはあるが、
食のサイクルから自由になったものにはセックスも必要ないということである。このことは、ありそうもないことに聞こえるかもしれないが、それはけっこうポジティブなことであって、ちょっとしたお札のように、それを遠くに想像するだけで、いろいろなことがもう恐ろしくない。

02/24/13

2011年3月11日と2013年2月の間のこと —remerciement pour les concerts

2011年3月11日から、もう少しで2年経とうとしている。あの日、私はいつも通り仕事に行っていて、夜遅く帰ってきて立て続けにフランス人の友人からの連絡を受けたことや、大家さんにニュースを見るように言われて初めて自分をメディアに接続した。日本の人々は地震の対応を知ってるからだいじょうぶだと、そう答えた。落ち着くようにと。フランスのニュースを見ると、しばしば海外のメディアがそうであるように、誇張した報道があったり、関連するがそのものではない画像を使ってリアル画像がやってくるまでの隙間を埋めているのではないかと思うような、およそ日本の景色からはかけ離れた画像が映し出されていた。いま、その時目にしたものをはっきりと思い出せない。泥色の水の塊が街をうごめく景色が広域にひたすら広がっている映像だったようにも思うが、そうではなかったのかもしれない。私がその地震(とそれが招いた津波)が大事であったことを信じるに至ったのは、インターネットに繋ぎ、日本のメディアが日本語で確かにそのことを伝えており、同じ情報がどのニュースにも一様に報じられていることを確認したその時である。それからSNS上での人々のやりとりが目に入り、9000キロメートル離れた日本のことをやっと確かに感じたのだった。遠くにいるのとはそういうことで、普段いくら、本能とか直観とか、感覚的なことを言ったところで、所詮そんなものは常に100%働くわけでもなくて、いまにここでフワフワと生活して一刻の重さなど微塵も感じていないその隙にも、たくさんの人が死んだり、大切な人がいなくなったり、私たちがそんなにも大切なことを感じることが出来ないのは、泣きじゃくっても恨んでもどうしようもないことなのだ。

 

その日を含め、その後日本で過ごさなかった数ヶ月間(あるいは今日まで)、祖国や連帯といった問題について毎日のように考えていた。心配をして声をかけてくる日本人ではない人、報道される「日本人性」について質問してくる日本人ではない人、汚染について意見を求めてくる日本人ではない人。日本人ではない人が発する所謂「日本人的」でない発想に基づく幾つかのセリフは、深く私を驚かせ、傷つけ、その結果、私はそれまで感じたことのない孤独感に苛まれた。なぜか。それは、私にとって、日本人ではない人が発する幾つかの発言が驚き以外のなにものでもなく、私は彼らではない、と率直に感じたのが一つの理由であり、もうひとつには、そうかといって、あの日とあの日の後に流れた時間を、時差が7、8時間あり、日々完全にズレたまま生活をする私には、肌で感じるような感覚としての大事なことがなにひとつ、わからないのではないかと、取り返しのつかないことをしたような気分につきまとわれたからだ。自分がどこにもいないのではないかと思った。今だけではなく、この先も。その一方で、メディアを通じて報道される日本政府の被災者への対応の問題点や国内メディアがその真偽を疑われるような報道を行ったという事実、さらには非常時に高まった連帯への声と愛国心を歌った数々の美しい声明とその裏返しとして様々な事情から日本を去った人たちに対して暴力的な非難の言葉が飛び交ったこと、解決困難な問題を外側から指摘する海外メディアや外国人に向かって容赦ない排他的言論が交わされたこと。これらのこともまた、私を孤独にした。

 

多くの人が災害で死ぬということが、人間の歴史のなかで初めて起こったことではなかったように、それはまた別の形で明日私が生きるこの場所に姿を現すかもしれない。ただし、常に明らかであったことは、今生きている人たちは、生きており、その生の一つ一つは非常に微少で、世界のあり方を何一つ変化させないものであるけれども、身体というフィジカルな入れ物を持った私たちはそれを様々に利用して、自分の外側に出て行くことが出来る。入れ物は閉じているのに、外側に繋がることができるのである。他の人のために何かをしようとすること、それは本質的に、自分が何かすることと繋がっている。

 

これまでフランスで行った2回のチャリティーコンサートは、そのような少しカオティックな自分への問いかけを続けながら、もしかしたらこのような問いかけを一部分的にも共有する人たちを結びつけて、繋がろうとする意志の実現でもあったように今は思う。その意志を数的に換算できる形にすることは、意志みたいな形のないものが9000キロ離れた場所に届くための手段の一つでもある。もっと意味の深い結果を得るために大きなことをすることは可能だと思うし、そのようにしている人もいる。むしろそうでないと意味がないと考える方もいらっしゃるだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。ただし、私はこの2回の演奏会において、共に実現した友人たちに何度も救われ、および参加してくださった方々に深く感謝しているし、演奏を聴きに駆けつけてくださったフランスに住む様々な国から来た人々にも心を寄せており、実現において広報やあらゆる物理的協力に尽力してくれた国際ロータリー財団のムードンクラブの会員の数名の努力は無償であったと感じている。

 

昨年12月15日に2度目の演奏会が開催されてから、参加してくださった音楽家の方々の演奏、協力してくださった方々の無償の支援に救われながら、なかなかきちんとお礼を申し上げることが出来なかったので、大変遅くなってしまったのですがここに少しだけ長く感謝の意を綴らせていただきます。これからも、どうか素敵な音楽を届けてくださることを心から祈ってやまない。

 

2013年2月24日 大久保美紀

(一度目の2011年4月29日のコンサートはこちらに記事として掲載されています。宣伝にご協力くださいましたブロガーの皆様、SNSユーザーの皆様にも感謝いたします。)

02/21/13

ICOMAG 2013「批評」のテーマから考えたこと/reflexion on the aim of ICOMAG 2013

先日、文化庁主催のメディア芸術コンヴェンションが東京六本木で開催された。私は遠方におり、非常に関心があったにもかかわらず参加することが出来なかった。しかし、海外でメディア芸術に携わるアーティストや研究者からもこの会議のコンセプトについてのコメントをもらうという座長吉岡洋さんの提案のおかげで、第3回メディア芸術コンヴェンションのテーマ(icomag site)について、すなわちハイブリッドカルチャーにおける批評の可能性について、パリ第8大学のジャンルイボワシエさんおよび彼のセミナーに所属する数名の研究者と意見を交換することが出来た。日本で行われたリアル会議とは別の文脈であるが、日本のポピュラーカルチャーについての考察(あるいは、一般的に文化の越境という現象を考えること)にかんして、あくまで私自身が日頃抱いている問題をまとめながら、この議論のことをこのブログに記録したい思う。

今日よく知られているようにフランスは、世界的で日本に次ぐマンガの消費国である。パリでは毎年(昨年は20万人を動員)ジャパンエクスポや、大規模なコミケ、パリ•マンガサロンなどが盛況を収め、日本のマンガは、彼らのオリジナルカルチャーであるバンド•デシネ(Bandes desinées)を経済効果の点で遥かに上回って(しまって)いる。日本のアニメやゲームの人気も高い。その勢いは日本食、日本語教育、伝統文化も一緒くたに波及し、ジャポンは、所謂「クールジャパン」でプロモーションされてきたセクターのみならず全体的にクールである。こういったファンタジー的憧れは、ワンダーランドとしての遠き島国を思い描く想像力がいかにも簡単に紡ぎだしそうな物語のひとつである。そしてこのシステムは、日本に対してのみ向けられる特異な視点を裏付けるものでは全くないのであり、むしろ、日本のガールズが花の都パリ(死語?)に憧憬の念を抱く際の一生懸命さ(およびそれを支える日本のコマースとツーリズムの努力)のほうがよほど素晴らしいし、この程度のファンタジーは世界中に溢れている。ただ、日本を巡る物語についてやや驚くべきことがあるとすれば、そのファンタジーが今日においてもまだ機能するという日本のしつこいワンダーランド性である。

座長吉岡洋さんが昨年の3月にブログに掲載した「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」を先日フランス語に翻訳し、ウェブに掲載した。( text in French on salon de mimi, on blog by Hiroshi Yoshioka, original text in Japanese is here.) その記事の末尾は「「メディア芸術」をめぐる過去2回の国際会議の企画とはわたしにとっては、日本におけるポスト植民地主義を目指す文化的闘争であったのだ。」と結ばれている。このテクストは、1980年代に成熟し90年代には既に海外で積極的に受容されたマンガやアニメを、生みの親である日本がなぜ、2000年代後半になるまで自らのナショナルな文化と認め、外交戦略化しなかったのかをクリアーに説明する。(なるほど、そういえば精華大学におけるマンガ学部設置は2006年、京都マンガミュージアムの会館も2006年、外務省のポップカルチャー発信士/通称カワイイ大使任命は2009年である。)このテクストは、さらに、なぜ海外で日本人としてポップカルチャーを発信する際になんとなく後ろめたさが伴うのだろうという私個人の内省的体験にも、ひとつの解釈を提示してくれた。(このことは自分のブログでゴシックロリータの装いで文化レクチャーをすることを綴った記事や、高嶺さんの展覧会を論じた記事でも書いた。) 私はこのテクストを次の二つの点で重要と見なし、日本語以外の言語に訳される意義を見いだしている。一つ目は、日本人が日本のポップカルチャーをに対して抱いている「恥ずかしさ」(「恥ずかしい」というのはつまり、何らかの後ろめたさやそれを認めたくないとする気持ち)の存在を率直に肯定したこと。二つ目は戦後日本の植民地主義/意識を巡る問題について、日本社会がこの問題を隠蔽し直接対峙することなく現代まで先延ばしにしてきたという筆者の考えを通じて正面から文章化したことである。もちろんこの二つの点は互いに強く関係し合っていて切り離すことは出来ない。

まずは、「恥ずかしさ」を切り開らくことから始めよう。

当たり前のことだが、我々日本人がクールジャパンを恥ずかしく思っているなどということは、特定の社会的コンテクストを共有しない外国人には知られておらず、この内実は理屈で理解されることは可能であれ、いささか複雑化され過ぎており、日本人自身が言語化しきれずにいるという事実がある。ともあれ、そんなことは彼らの日本現代文化への熱意を邪魔もしなければその魅力を傷つけもせず、つまりは比較的どうでもいいことですらある。つまり、日本の外(あるいは内)でサブカルで括られる表現活動を受容吸収する多くの若者(あるいは若くない人々)にとって、異種混交的文化(hybride culture)とは、ある程度国際的で一般的な状況に収集できる事態である。誤解を恐れず言うなら、大きな流れとして今日の世界は、日本でもヨーロッパでも共通の枠組みに置かれていると見なしうる。文化の商業化•脱政治化傾向もまた、国際的なコンテクストで語られ得る。

それはそれでよいのだと私は考えている。日本固有の社会•歴史的背景に基づき、日本的ハイブリッドの特殊性を分析し、それを語ることは繊細で丁寧な仕事であり、必要不可欠なプロセスである。一方、日本でしばしば議論されてきた「メディア芸術/Media Geijutsuとは何か?」に代表される問いはとても厄介である。なぜなら、「メディア芸術」という言葉をMedia ArtではなくMedia Geijutsuと英訳すること自体がややもすれば対話を拒絶する姿勢の表明であると解釈されかねないからだ。このことはもっと丁寧に説明されるべきであり、ひょっとしたら語弊があるかもしれないが、私は「メディア芸術とはなにか」とか「メディア芸術のどの点をもって芸術なのか」という命題の答えを定めることに重要性を感じていない。むしろ、芸術という日本語の言葉が予め持っている特性に関わりすぎることに拠って、もっと大きなものが見えなくなる恐れがある。こういうのこそ実は、潜在的にotaku-likeな言説の一つになりかねない議論であり、言語ゲームに終始するならばただのdis-communicationに陥ってしまう。

オタクは「彼らが属するコミュニティー内では社会的態度でふるまうが、その社会性はコミュニティー内部に限られる」という側面がその意味の核を作っており、オタク的○○あるいはotaku-likeな○○という表現に応用されることによって、マンガ•アニメのフィールドに関わらず、広く使用できる。たとえば、メディアートを語るための専門的でテクニカルな言葉、科学の研究者が使う一般人の理解を全く期待しない専門用語、あるいは、(言語の壁までもその対象になるとすれば)、日本人にしか理解しがたい議論、それをあたかも翻訳不能であるかのように努力もせずに語る態度はすべてotaku-likeである。じつは、日本のマンガやアニメ、ゲームの領域が自己再生産的に成長できる自給自足のシステムをもっていることが、この領域の批評の難しさの本質をついている。フィールドのオタク的なあり方それ自身が、自らが理解される可能性を自己閉鎖していると言えよう。専門化したフィールドに対話の可能性を見いだしていくのが批評だとすれば、そのプロセスは、そのフィールドの内側にある言葉を大切にし、その言葉を通じる言葉(もっと意味のある言葉)に言い直すことから始まるに違いない。

現代のハイブリッドカルチャーにおける批評可能性は、したがって、通じる言葉で語る人々とそれに心静かに対応するotオタクの人々のやりとりを活性化することにある。私はotaku-likeな言説それ自体を否定しない。なぜなら、otaku-likeな語りこそ、各々の表現活動の現場にもっとも違い場所で生まれて語られる言葉だからだ。それらはただ、開かれて相互理解可能になればいい。

また、マンガやアニメ、ゲームが堂々と日本文化の仲間入りするのを長年妨げた日本的思想に「文化や芸術を経済•産業に結びつけるなんて、なんだかはしたない!」という暗黙の了解がたしかにある。(「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」で指摘された通りである。)マンガやアニメ、ゲームの強力な経済活動との結びつきに批判的な目を向ける考え方だ。この妙にエレガントで日本的な思想は話し合いの参加者を驚かせることとなり、いわゆるハイアートであっても本質的に経済活動のコンテクストから逃れられないのだから、その点をもってハイとローの文化•芸術を分けることは出来ないという結論に至らせた。このハイとローの価値観、カルチャーとサブカルチャーといった対比そのものが今日やや時代遅れの議論ではないかという率直な感想も上がった。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)の意味するところは、4つある。大衆にさし向けられる文化、大衆が消費する文化、既存のものを覆すために大衆が生みだすアヴァンギャルド的な文化、そして、消費者の大衆が生産者も兼ねるような過渡段階に位置する文化。ポピュラーカルチャーと言う時、一般には大衆が消費する文化をさす場合が多いのだが、上述の4つの意味を考えるならば、なるほど、現在いわゆるハイカルチャーと考えられているフィールドだって一定時間よりも以前、オリジナルのものが大衆により「日本化」したこともあるし、既存のものを破壊する芸術運動から作り出されたものだって含まれる。そう思ってみれば、この区別も線を引くことに目くじらを立てずともよろしい。たしかに我々は、誰から教わったのか今となっては思い出せない超謙虚な姿勢を美徳として共有している。日本のハイカルチャーにはオリジナリティがなくていつも西洋の真似をしてきた、マンガとアニメくらいしかソフトパワーになってない、という考えがその典型だ。この考え方はいささかペシミスティックすぎる。

さて、otaku-likeなパロールの(悪)循環は、各々のフィールドのみならず、「日本語」という言葉すらその仕組みのなかにそのまま含むことができてしまう。どういうことか。特定の社会や文化についての共通知識を前提として要求するような話(存在する殆どの議論はもちろん何らかのコンテクストをもっているが)では、デリケートな内容はなかなか翻訳されにくいので、そこには高い言葉の壁があるように見える。あるストーリーが言語間を越境する困難はあっていい。それがうまく伝わらないのも、理解が難しいと受け止められるのも、いい。ただ、それを自己を防御し他者を攻撃する手段として利用するようなくだらないスタンスがあるとすれば、それは直ちに放棄するべきだと思う。非日本語話者に解らないからとインターネット上で日本語で誹謗中傷すること。水戸芸術館における高嶺さんの展覧会「高嶺格のクールジャパン」の「自由な発言の部屋」という大事な章は、日本社会のそういった問題にも焦点を当てる。ネットの言論は本来すべからく誰の目にも触れ、誰にも理解される可能性を孕む。今日明日ではなく、いつまでも。なぜなら、それはひとたび書かれたものだからで、ネットに接続された世界で生き、そして書き、そこで何かを語るクリティークという行為は、すべてそういう性質を請け負う。展覧会「天才でごめんなさい」の会田誠さんが、膨大なツイートを無許可転載し作品に利用したことがたいそう騒がれたようだが、そんなことに目くじらを立てることほどナンセンスなことはなく、現代における発言とはもはやそのようなものだと諦め認めて、むしろそれを慈しむ「おしゃべり/talkative」な語り手になることが、異種混交文化の中で「生きた」批評をすることに繋がるのではないかと今のところ信じている。

 

02/12/13

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ? / « クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか(traduction en français du texte de Hiroshi Yoshioka)

このテクストは、「文化庁世界メディア芸術コンベンション」の座長をされている吉岡洋さんのブログに2012年3月6日に書かれた、「 »クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか」をフランス語訳したものです。第一回「メディア芸術の地域性と普遍性」、第二回のコンベンション「想像力の共有地(コモンズ)」について包括しながら、クールジャパン概念がどうして我々を不安にさせるのかを解釈したテクストです。きたる2013年2月16•17日は、そのコンベンションの第3回「異種混交的文化における批評の可能性」というテーマで開催されます。批評がテーマだそうです。

ネットに書いている以上、テキストは原理的にリンクやコピー・ペーストに開かれているのであり、やりたければ勝手にやればよろしい。(略)してほしいのはただ、著者名と出典(このブログのURL)をクレジットすること、明白な誤字脱字や誤変換の訂正以外は内容を改変しないこと、これは契約とかルールとかいう以前の、当たり前のことです。ぼくのテキストに関心を持つレベルの人は、当然そんなことはご承知だと信頼しています。

同ブログに先日掲載された記事で、上記のように書かれておられたので、繊細な内容を持つテクストですが、外国語話者にもぜひ読んでほしいと思って今回フランス語訳しました。フランス語読者でご興味を持たれる方には教えてあげていただければ幸いです。

 

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ?

(sources: blog, hirunenotanuki , auteur: Hiroshi YOSHIOKA, traduit par Miki OKUBO)

 

La deuxième convention internationale du manga, de l’animation et du media art, «Commons, partage de l’imagination » s’est terminée. Cette fois-ci, grâce à l’appui de Jaqueline Berndt, professeur de l’Université Seika, nous avons invité des chercheurs internationaux sur le manga, d’Europe, de Corée, d’Indonésie. Les diverses discussions ont été très riches dans la durée limitée de la convention.
Comme je l’avais déjà décrit au début de l’article précédent de ce blog, intitulé « Que signifie le partage de l’imagination ? », en effet, le thème de la première convention de l’ICOMAG a été « le caractère local et universel des médias geijutsu » avec le sous-titre « au-delà du Cool Japan ». Voici ce j’ai déclaré en ouverture de l’abstract de cette deuxième édition :

 

Manga et Animation sont généralement considérés comme le secteur principal du « Cool Japan ». Cependant, en considérant certaines phrases employées pour présenter l’originalité et la subtilité de la culture japonaise à caractère industriel, je ne pense pas qu’elles sont COOL.

 

Il n’est pas difficile d’imaginer que certains soupçonnent les organisateurs de cet événement, en dépit de leur préoccupation officiellement nationale, de détester paradoxalement le Cool Japan. (Car ces conventions sont organisées au nom du ministère de la culture.)

 

A mon avis, il y a pas mal de gens qui partagent une sorte de sentiment honteux pour le Cool Japan (pour le terme et pour le phénomène général) sans savoir pourquoi. A vrai dire, c’est moi qui ai présidé ces deux conventions internationales en les orientant audacieusement sur un message d’anti-Cool Japan. Il est donc logique d’ expliquer précisément moi-même, pas vaguement mais rigoureusement, pourquoi l’on a honte de cette notion de Cool Japan. C’est ce que j’essaie de développer ici.

 

Tout d’abord comme première raison vraisemblable, on se sent honteux du Cool Japan parce que cette expression a une odeur un peu trop commerciale. Autrement dit, elle est associée fortement à l’économisme et au mercantilisme, et elle est effectivement orientée par ces domaines. Á la base, il y a une sorte de foi traditionnelle qui rappelle aux gens ce sentiment d’infériorité (en même temps, je trouve cette « foi » elle aussi honteuse). Il ne faut jamais interpréter la CULTURE du manga et de l’animation du point de vue de l’économie. Dans le passé, ce credo a été souvent partagé par les intellectuels de gauche modérés. Certes, cette affirmation qui sépare la culture de l’économie n’est peut-être pas erronée. Cependant, il est irréfutablement évident que cette position n’est plus viable dans les conditions actuelles de la démocratie et de la globalisation. Puisque la réalité est que la culture a entièrement perdu son autonomie, ce serait une véritable duplicité que de trop insister sur l’existence abstraite d’une autonomie de la culture.

 

Dans une réunion que nous avons eue il y a quelques jours, M. Eji Oguma a remarqué cette vérité historique que la base sociale ayant permis au manga et à l’animation de franchir les frontières a disparu il y a très longtemps, et que cette infrastructure n’existe plus aujourd’hui. En effet, la puissante prospérité du manga et de l’animation résulte de conditions particulières de la société japonaise dans les années 1960 et 1970. Le Cool Japan est un simple héritage du passé. Non seulement le manga et l’animation, mais à vrai dire, la notion de « croissance économique » sont nées dans le même vieux contexte tout comme le Prix Nobel qui honorait les chercheurs japonais grâce à leurs positions libérales, il y a une trentaine d’années. Je vous assure qu’aujourd’hui il n’existe plus cette infrastructure qui nous a mené à toutes ces belles histoires de réussite, et il n’est plus d’optimisme pour croire qu’elle marche toute seule.

 

C’est aussi la raison pour laquelle, aujourd’hui, je ne considère absolument pas efficace d’encourager le peuple japonais en disant : « nous, les Japonais, avons beaucoup de qualités formidables, tout ira très bien, ne nous inquiétons pas ! » Promouvoir ce Cool Japan faisant partie du spiritualisme stérile qui est l’équivalent de l’esprit d’Yamato (Yamato Damashi : esprit national) symbolisant la période du totalitarisme et du militarisme n’est pas viable, puisque l’ensemble des conditions sociales n’existent plus.  Après toutes ces réflexions, on pourrait dire que le Cool Japan semble stupide aujourd’hui. Toutefois, en observant cette critique plus précisément, cela avoue simplement que le Cool Japan est démodé, mais n’accuse pas sa notion même.

 

À l’opposé de ce type de critique, je crois, personnellement que c’est l’idée même de Cool Japan qui contient quelque chose de très mauvais. Alors, qu’est-ce-que cela peut être ?

 

Chez Oguma que je viens de citer, il est relevé que les commentaires caractéristiques et assez fréquents des critiques occidentaux disant que la culture populaire du Japon est très intéressante alors que la haute culture japonaise serait sans originalité. Ainsi, la culture « populaire » du Japon, celle de l’Ukiyo-e (l’estampe de l’époque Edo), du manga et de l’animation contemporains est réellement impressionnante alors que la « haute » culture japonaise ne serait qu’une imitation de celle de la Chine antérieurement ou de celle de l’Occident depuis l’époque moderne. Il est vrai que, moi aussi, j’ai entendu plus d’une fois cette série de commentaires sur la culture japonaise non seulement de la part des Occidentaux mais aussi par les Japonais qui partagent leur opinion. Chaque fois, j’ai eu une forte répugnance pour ces compliments.

 

Pourquoi ? C’est parce que cette sorte de discours équivaut exactement au pire snobisme qui suppose que la culture « supérieure » apprécie une culture « exotique ». Imaginons des indigènes qui tentent désespérément d’assimiler à la culture occidentale, et face à eux, des Blancs qui chanteraient : « Ce que vous nous copiez est nul ! Le shamanisme et l’animisme de votre propre culture traditionnelle sont beaucoup plus extraordinaires ! C’est, en fait, votre culture qui arrivera à réveiller notre cœur perdu dans l’histoire. » Le Cool Japan est exactement sur le même principe. Pourquoi cette intelligentsia des Blancs serait-elle assez généreuse  pour tolérer cette étrange tradition ? Puisque ce fait se situe bien après l’élimination de la tradition de ces indigènes, qu’ils ne pourraient plus récupérer leur propre culture. La race supérieure n’a peur de rien car ces indigènes sont mentalement neutralisés et castrés en tant que peuple calme et obéissant aux Blancs.

 

Je n’ai aucunement l’intention ici d’agiter une antipathie contre l’Occident ni contre les Blancs. Toutefois, cette histoire a eu lieu dans le monde entier y compris au Japon  dans un contexte colonialiste (sans doute sous un processus moins douloureux que les autres). Nous ne pourrons jamais modifier le passé. Ce que je voudrais mettre en lumière en revenant sur le passé est le mécanisme préexistant et la mentalité colonialiste larvée qui soutiennent généreusement une culture exotique inférieure des subordonnés. Je vous signale cette vraie signification d’un point de vue tel que celui-ci : « La haute culture japonaise n’est qu’une copie, mais toute ses subcultures sont vraiment créatives ! ».

 

En effet, les dominants ont ce discours qui exprime une tentative de rédemption de la culpabilité liée au fait que ce sont eux qui ont détruit une autre culture. En revanche, quand les subordonnés le répètent, cela signifie autre chose, c’est le rêve qui répond à la motivation d’assimiler ce sentiment coupable pour fusionner avec les dominants. L’idée de base du « Cool Japan » doit être traduite comme « colonialisme incarné et assimilé ». C’est le vrai noyau du « Cool Japan » que j’appelais « quelque chose de très mauvais » et aussi le contenu authentique d’un sentiment insupportablement honteux enveloppant ce terme. J’exagère peut-être un peu, cependant, je considère ces deux conventions internationales qui s’engagent dans la problématique du « Média Art » (Media Geijutsu) comme des batailles culturelles sérieuses afin de parvenir à l’époque du post-colonialisme au Japon.

 

Remerciement:
mes sincères remerciements pour la correction du français
à Jean-Louis Boissier et à Liliane Terrier

02/10/13

会田誠 « 天才でごめんなさい » / Makoto Aida « Monument for Nothing » @Mam

会田誠:天才でごめんなさい/ Makoto Aida « Monument for Nothing »
@森美術館/Mori Art Museum

November 17 (Sat), 2012 – March 31 (Sun), 2013
museum’s site here

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「天才でごめんなさい」とはなにごとか。この人は、いったい誰に対して、何を謝っているのか?アーティストが天才で何が悪い。天才でないほうがあやまって欲しいくらいではないか?

とは言ってみたものの、本当はこの謝罪、もっと丁寧に説明されなければならないのだろう。「会田誠は天才である」。このことは半分くらいは本当で残りの半分は噓である。会田誠という表現者は、天才的な直観を持ち、その有無を言わさず天から勝手にやってきたインスピレーションを、どうすれば最大限のインパクトを以て社会に提示できるのかということを本能的に知っているという点で、やはり才能に恵まれた人である。ただし、この人が抱えている(かもしれない)迷いや悩み、葛藤みたいなものがあまりにも人間臭くて俗世の我々にも響いてくるので、この人もまた普通の人であるような気もしてくる。

そうはいっても、この展覧会タイトルを聞くと、1)なるほど、会田誠は天才なのか。それならひとつ見てみましょう、あらほんと凄いわね、とジーニアス•テーズを丸呑みする、あるいは、2)ウンコやらセックスのどこか天才じゃ、なんでこんなもんが芸術かと憤慨する、はたまた、3)神妙な顔で難しい言葉を使いながらウンコでもやはり素晴らしいアートなのだと頑張る。ざっとこのようにして、会田誠の表現しているものの周縁で煙に巻かれてしまう。それこそがナンセンスなことである。ナンセンスでもいいのだが、「面白」もしくは「気持ち悪」という率直な印象に耐えて、もう少しだけその絵(など)を凝視してみる必要がきっとあろう。

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私は日頃、相当しつこくフェミニストっぽい立場を表明しているので、キングギドラとか犬シリーズなどは、「女性や少女にそんな目を向けて、だから会田誠という美術家サイテーじゃないの」とどうせ非難するんだろうと思われるかもしれない。だが実際にはそうでもなくて、キングギドラの絵はあまりに素晴らしくてあまり長い時間見ると泣き崩れそうになってしまうし、犬シリーズに至っては、「こんなもん見たない」とおっしゃる殿方にこそ「よくよく見ました」とおっしゃるまで凝視してほしいと願い願って止まない次第なのである。ミキサーの中にぎっしり詰められた少女たちが少しずつ鮮やかな赤色を帯びていく「ジューサーミキサー」などは見ていて気持ちが良くなり、ついうっとりしてしまうほどである。

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キングギドラに犯され突き破られる大きな絵も、四肢が切られて首輪で結ばれた犬シリーズも、ギュウギュウ押された少女のお腹からつややかなイクラがポロポロひりだされる「食用人造少女・美味ちゃん」なども、直球である。あまりに正直にそれが包括する問題を提示するが故に、目も当てられない鑑賞者がいることは確かだ。ただし、描かれたものに虚偽は無い。ここにあるのが少女や女性やセックスそのものをとりまく日本社会の一つの局面あるいは一つの実在する視線を浮き彫りにしたものである。会田誠がたまたまここに形を与えたヘンタイとか飼育とか暴力に関わるようなものは、フェティッシュな趣味を持つ限られた個体だけに冷ややかな視線が注がれればいいという問題ではなく、大げさだが、人間の欲望の通奏低音として鳴り響き続けているような、しかしそれが様々な要因の生で歪曲した形で表出したものなのである。それを断固として見ないのはひょっとして、言ってみれば、自分だけ永遠のヴァージンであると信じているくらい高尚で愚かしいことである。(もちろん、ヴァージンはただの比喩であり、老弱男女みんなの話をしております)

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このようにして、会田誠の描き出す世界にはリアルな問題がたくさん具現化されているように思えるけれど、それらはユーモアとアイロニーとニヒリズムで構成されているだけではない。希望だってある。

イデアという作品がある。壁に書かれた大きな「美少女」という文字に向かって、素っ裸の会田誠ご本人がマスターベーションに励む。お部屋が寒かったことや素っ裸直立であったことなど、不慣れな環境におけるこのパフォーマンスは、シナリオコンプリートまでに1時間以上かかったらしい。素晴らしい。何時間かかってもよろしい。この作品は美少女を陵辱するものではなく、美少女を永遠にイデア界に解放する儀式の録画でもあり、さらには少女時代(少年時代)というしょうもない人生の時間を過ごしている世の中の個体を潜在的•永久的に救済する儀式ですらある。つまり、肉としての美少女なんて本当はどうでもいいのである。壁に文字を書けばいいのである。犬としての少女の絵を見たり、伊勢エビと交わる少女の写真を見たりすればよろしい。IDEAは、美術家自身は勿論プラトンのイデアのことを言っているのであるが、これは同時に一つの「アイディア=理想」を描きだす重要な作品なのである。

この他にも個人的には英語コンプレックスに関わる作品や難しい哲学コンプレックスに関わる作品は今回の記事では触れられなかったのでまたの機会に書いてみたいが、これらは会田誠という表現者の天才的なところと普通の人っぽいところが出会うためにハンパ無くエネルギッシュな作品群である。そして、最後に、「自殺未遂マシーンシリーズ」に触れて終わりにしよう。自殺マシンではなく、あくまでも自殺未遂のためのマシンであるこの何とも言えないアナログの装置は、裏も面も無く、自殺の国の日本国民にこの問題を朗らかに提示する。試行者は、頑丈そうでちょっとやそっとじゃ切れそうも無い輪に頭を突っ込み、意を決して段から飛び降りる。彼は(不運にも/幸運にも)自らの肉体をを伴ったまま、バラバラと分解するマシンとともに床に崩れ落ちる。「自殺未遂マシーン」の体験を通じて人々が得られるのは、「あかん、こんなマシンでは到底死ねん。」という途方もない事実である。こんなに絶望的で希望に溢れた試行の存在を知っただけで、芸術の表現っていうのはやはりあっていいのだ、と思える。

01/28/13

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN @水戸芸術館

高嶺格のクールジャパン/ TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN

2012/12/22 – 2013/2/17
水戸芸術館現代美術ギャラリー/Contemporary Art Gallery, Art Tower Mito

 

昨年末に帰国した折、幸運にも日程がぴったり合い、12月22日から始まったばかりの水戸芸術館における美術家高嶺格さんの展覧会、「高嶺格のクールジャパン(TADASU TAKAMINE’S COOL JAPAN)」(高橋瑞木さんによるキュレーション)を観た。これまでも高嶺氏の作品には非常に興味があって作品が見られる機会があればうかがわせていただいていた。また、展覧会タイトルであるクールジャパンにも惹かれたし、そして3.11以降に撮影された映像作品「ジャパンシンドローム」をどうしても見たかった。そして、長いあいだ戸芸術館はぜひ訪れてみたい場所でもあったので、ついに訪れることが叶った。京都から始発の新幹線に乗り、スーツケースが破壊するなどのアクシデントを経て上野からスーパー常陸に乗って水戸へ。駅からは気持ちよく晴れた空の下を歩き、堂々と魚を盗んでいる猫などを撮影し、水戸芸術館に辿り着いた。

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「高嶺格のクールジャパン」はインパクトのあるタイトルであるが、このパブリシティのデザインも凄い。クールジャパンという言葉は、1990年代のクールなイギリスカルチャーを盛り上げようとブレア首相が名付けたクールブリタニアという言葉がもとになっているらしい。(Wikipediaによる)クールジャパンは、日本のポップカルチャーを « Oh, it’s so cool !! » と手放しに褒めちぎる態度で、それは日本の外側にいる人々がその内側を覗き込む視線によって作り上げたイメージみたいなものだと私は考えてきた。もちろんこの10年間、日本の大人たちが隣国の「パンダ外交」並みに真面目な顔をして、現代日本文化を代表しうるこのソフトパワーを国益のための外交戦略に利用してきたのは人々の知る通りである。ただし、それはフィードバックの一つの結果に過ぎず、外で騒がれている出来事の実態が分からないまま、どこを歩きどこに行くかも決めないまま、現在までなんとなく来てしまったのではないかというのが私の言いたいことである。「かわいい大使」とか、世界コスプレサミットとか、マンガ•アニメ、ケータイ、アイドル、そして、アート。数えきれない雑多で瑣末な物事も、それがともかく日本のタグをつけたポップな存在ならば、なんの熟考を経る必要もない。とにかくクールな現代日本文化の枠組みに突っ込まれればそれだけでうまくいく。19世紀の西欧におけるジャポニズムの大盛況以来の黄金時代を純真無垢に享受し、日本文化と言えばちやほやしてもらえるハッピーな10数年間を我々は眺めてきた。私はこの間、フランスに住んだ4年近くの期間とそれ以前も何度かヨーロッパで知人に会う度に、「クールジャパン効果」というべき無条件なちやほやを体験してきた。以前はそれを、大陸の人たちが小さ過ぎて見えない島国日本の文化の上にロマンティックな幻想色の絵の具を塗り付けた結果に過ぎず、所詮は自分たちの知らないエキゾチックなものを崇め奉るようなものに過ぎないのではないかと、距離を置いて考えていた。一方で、その熱狂的なラブコールは未だ収束するわけでもなく、一次的な流行でもなければ無視してやり過ごせるものでもないことに否が応でも気づかざるを得ない。しかし、それが何であるのか、それを目の当たりに私はどうしたらいいのかについては一向に考えがまとまらぬまま生活を送っていた。

 

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私にとって、この思考の単なる堂々巡りから少しズレるきっかけを与えてくれた文章に、吉岡洋さんがブログに掲載された「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」という記事がある。これは非常に多くの人に関心をもって読まれたようで、このことからも、かなりの人々が「クールジャパン」という現象と言葉の響きに対してうまく説明できない不愉快さや気持ち悪さを感じていたことが分かる。私自身、昨年に本ブログに掲載した「ゴスロリ衣装を外国で着ること。」というテクストにおいて、クールジャパン(あるいはジャパン•ポップ)の記号の一つであるコスプレ(ゴシックロリータ)を自分自身が纏うとは何を意味するのかについて書いた。しかし、実はこれは、クールジャパンをどう考え、それとどう向き合うのか、という自分自身への問いであったのだ。(余談だが、この当時私はこれをやはり多少なりとも「恥ずかし」く「不愉快」に感じ、同時にそれを言語化も他の手段でも表現化できないことに焦っていた。とりわけ、私はこのポップカルチャーにかんし、海外でプレゼンする誘いを引き受けて何度かこれについてレクチャーしていたし、2009年にはスペインのコルーニャにおける国際記号学会で、 »Cool Japan »と題されたセッションにも参加した。(Semiotix Cool Japan in Coruna )そういったわけで、この問題について、それがなんであるかを知らないまま無視し続けることはもはやできなかった。)

 

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「高嶺格のクールジャパン」に話を戻そう。そうそう、パブリシティのデザインの話である。アニメ文化のオノマトペ感が骨の芯まで染み渡った世代の人々なら、このレタリングをながめると自ずと、同じ音を内耳に響かせてくださるのではないかと思う。

シャキーン! とか ピキーン! とかいう音である。

シャキーン!もピキーン!も何かが瞬時に凍り付く様子を表すオノマトペであるが、ピキーン!に至ってはものすごく硬くて厚みのある氷がキラリとするような様子を読者に想像させる音である。この「クールジャパン」の字体はつまり、シャキーンとかピキーンの音が聴こえるようになっており、ものすごく平たく言うと、クロネコヤマトの「クール宅急便」的な字体である。この展覧会で問題化される「クールジャパン」は、したがって上述したような、海外からちやほやされ愛されてホカホカのクールジャパンではなくて、美術家高嶺格が自国の問題として、彼の視線を通じて静かに距離をもって観察するクールジャパンなのだと判る。それは中途半端に冷えているのではなく、凍り付いて溶けないほど「クール」なのである。

 

この展覧会のコンセプトについて高嶺格さん本人が書かれたテクストをここに転載したい。(水戸芸術館、高嶺格のクールジャパン

「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ」という、ボーヴォワールの有名な言葉があります。自意識が形成される過程で、個人に対しいかに社会の集団意識が影響するかを端的に言い表したこの言葉は、現在の日本でますます大きな意味を持つのではないかと思います。「日本人は、日本人に生まれるのではない。日本人になるのだ」あまりに身近にあったため、意識に上ることのなかった物事。あるいは巧みに操作され、意識に上がることを妨げられてきた物事。これらの物事に対し、私たちがついに当事者となったのが現在の状況だと言えるのではないでしょうか?

自分の中になにがあるのか?自分はどう作られてきたのか?3.11のあと、煙に燻されるように出てきたのはその問いだったように思います。「人はなんのために生きるのか?」古代から途切れることなく思想されてきたこの問いを、自分の生きてきた時間と重ねて、鑑賞者と共に考えてみようと思います。 高嶺格

 

展覧会は、上のコンセプトに従って8つの部屋に分かれていて、一つの部屋から別の部屋へ通過するためには、黒いビニールテープのフサやカーテンをくぐって行かねばならない。フサもカーテンも、其れ自体は一方通行ではないのだが、隣り合う部屋は分厚いフサや重たいカーテンでしっかりと区切られている。とりわけこの黒いフサの厚みは、通り抜ける途中、このままどこにも辿り着かないのではないかと一瞬鑑賞者を不安に陥れるような厚さなのだ。以下が8つの部屋の構成である。

 

クールジャパンの部屋
敗訴の部屋
標語の部屋
ガマンの部屋
自由な発言の部屋
ジャパン•シンドロームの部屋
核•家族の部屋
トランジットの部屋

 

まだご覧になっていない方もいらっしゃると思われるし、具体的な展示物についての言及は必要がないかと思う。何点かだけ、印象や記憶を付け加えさせていただきたいと思う。隣り合う部屋はしっかりとその二つの世界を隔てながらロジックに強く繋がっており、鑑賞にパワーを要する。

標語の部屋では、すべてが皮肉というよりはむしろ空虚に響いてくるように感じられる。日本社会はアナウンスや張り紙や標語だ大好きだが、それは言葉にすればするほど真実から離れていき、言えば言うほどそれが決して実現され得ない何かに変わっていく。よどみなく流れてくるたくさんの標語は、この国にはこんなにもできないことがあったのかと、静かに気がつき納得する。ガマンの部屋では、人々は色々な理由で色々なものを我慢していることが描き出される。他者にあるいは自分に色々なニュアンスで「我慢しなさい!」と言われたり言いながら私たちは生きている。実は、ここで光が当てられるひとつのことは、「我慢しなさい!」と言う人々自身が、さらに何かを我慢しているという冷たい事実だ。その声は苦痛に満ちていて、くるしい。じつは、我慢しているのは、そうするよう言われている子供や弱者などではなく、日本社会に属するすべての人がその中に、相対的な上位者も会社もみんなを取り込み、集合的に我慢をしいるような構造をとっている。それはなぜでそれからどうしようというのか?自由な発言の部屋は、いつも海外でニコニコしている私たちの他者への攻撃性が非常に工夫された方法で提示されていたのだが、やはりその意味するところのあまりの強さに、ジャパンシンドロームの部屋に辿り着く前に、少しだけ呼吸をととのえる必要があった。

トランジットの部屋に身を置いた時、とてつもなくはっきりしたデジャヴュ感に襲われた。その理由はわからない。私はこの直後美術館の階段をものすごい早さで駆け上がっていく高嶺さんの姿を目にした。あまりに驚いて、自分が会釈したかどうかもよく覚えていない。実はこの日、一時間の滞在が予定されている日であったらしい。