05/16/15

少女文字の研究! @日本記号学会 「美少女の記号論」

美少女の記号論、昨日から始まっています!
日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学、今日の朝10時から、少女文字について発表します!

「自己表象としての筆致―書くことと書かれたものへのフェチシズム、現代のスタイルとは何か」
大久保美紀
<要旨>
「書く」行為は、今日の情報化社会において〈電子的に書く〉=〈キーボードを叩いて文字を入力する〉という新たな意味を帯びる以前、長い間、我々の身体的動作と深く結びついていた。研いだ石を用いて石板に傷を付けるのであれ、墨を含ませた筆を木簡に押し付けるのであれ、あるいは、ペンを紙の上に滑らせるのであれ、書く動作は書かれたものを生み出し、書かれる対象は、何らかの不可逆の作用を被る。例えば、ひとたび文字が綴られた石板は何世紀経っても内容を伝え、公的文書が書き記された木簡や巻物は、今日も重要な歴史的資料として保存されている。また、あたかもその不可逆性をキャンセルしてしまう発明のように見える〈鉛筆/消しゴム/紙〉による記述は、なるほど、書いたものを擦り取った後にまたその上から書くことが出来ると言う点で、それ以前の使い捨ての媒体とは一線を画すが、それもまた、鉛筆の筆圧による紙面の物理的変容や消しゴムの摩擦による紙表面の綻びを考慮すれば、伝統的な「書く」行為の枠組みを出ないと言わざるを得ない。

「書く」行為の物理的軌跡である「筆致」がしばしば、個人的で親密な表現と見なされるのは、上に述べたように、この行為が身体性に深く根ざしているためである。日本社会では、個人の筆致(あるいは筆跡)が、ある個人のアイデンティティを確定する一要素であることを越えて、その個人の属するコミュニティーを確定する特徴としての役割を担ってきた。例えば、1980-1990年代に女学生の間で流行した丸文字(丸字)や、2000年代のギャル字、あるいはヤンキー文字やグラフィティー文字。ある特定のコミュニティーのメンバーによって共有されている特定の字体を身体的鍛錬によって習得し、その字体を「書く」ことは、すなわち、自分がそのコミュニティーに属するのだという、外側の世界に向けて意思表明することを意味した。

あるいは、丸文字やギャル字という特定の字体を追求しなくとも、日本社会における個人の「筆致」が、アルファベット言語圏と比較すると、高度にフェティッシュな表現として認識されていることは特筆すべきである。この要因は、日本語の文字の形状的特徴や教育・文化的背景など、様々である。いずれにせよ、個人の「筆致」は、男女問わず、大人になっても自らの字体を恥じ、それを改善しようとペン字を習い、字体を好まぬばかりに筆無精となってしまう状況を生むほど、個人にとってデリケートな問題なのである。さらに、身体的動作によって紡ぎだされた直筆の文章―たとえば手書きの手紙―は、あたかも書く者の肉声を媒介し、その身体的存在を〈いま、ここ〉に具現化するような特別なオブジェとしての役割すら引き受けることができる。字体のみならず、文体(=スタイル)もまた、本来「筆致」の身体性と深く結びついたものであったと考えられる。

本発表では、「筆致」がどのように、書く者の身体的存在を代替するフェティッシュな存在としての役割を与えられ、それを演じて来たのか、伝統的な意味での手書きから、1990~2000年代の丸文字とギャル文字文化における直筆のあり方までを分析しながら明らかにする。そして、今日「書く」行為が引き受けた新たな意味と、それに呼応して起こる、表現としての「書かれたもの」の変容について考察する。

有毒女子通信第16号もでたよ!ここに少女文字について書いてるヨ!
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05/16/15

日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」


日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学
「美術(史)の美少女たち/美少女の美術(史)たち―少女たちの行方」
実施日時:2015年5月17日(日)13:30-15:30 ※当日9:40-10:00の受付が必要
会場:秋田公立美術大学 大講義室
 美術のなかの少女たちはどこに向かうのか?
 2014年から2015年にかけて開催された展覧会『美少女の美術史』は、すでに江戸時代の「美人画」に見られる伝統的「美少女」像から、現代アートやマンガやアニメなどポップ・カルチャーに欠かせないモチーフとしての少女にいたるまで、日本社会において「少女」がどのように描かれ、演出され、鑑賞され、消費されてきたのか、その系譜を明らかにした興味深い試みであった。美術において少女は繰り返し隠れた焦点になっていたのである。それでは現在、彼女たちはどこに向かっているのだろうか? あるいは逆に、「美術」は「少女」を媒介にしてどこへ向かいつつあるのだろうか? これが第一の問いになる。
 もちろん、「美術(史)」と「少女」という問題圏においては、美術を作り出す側の「少女」も見逃すことができないだろう。「超少女たち」と呼ばれる女性アーティストたち、その多様で拡散していく表現はむしろ、先の試みとは逆方向から「美術(史)」という枠組みを揺るがす契機にもなっている。彼女たちはいったいどこへ向かおうとしているのか? 
 また、美術との境界がしだいに曖昧になりつつある広範な文化表象のなかでの美少女像を考えるならば、写真というメディアもこの議論に不可避的にかかわることになるだろう。往々にしてフィクショナルな存在にとどまる、だからこそ特権化されていたはずの美少女が、写真に写しとめられ、交換されるヴァナキュラーで散漫なアイコンになるとき、どのような変容を被っているのか。映像における美少女はいったいどこへ向かおうとしているのか。それは、ここまでの問いとどのように切り結ぶ可能性があるのだろうか。
 以上のような緩やかな枠組みで美術の美少女/美少女の美術を自由に議論してみたい。
登壇者:
工藤健志(青森県立美術館学芸主幹)
藤浩志(十和田市現代美術館館長/秋田公立美術大学教授)
大久保美紀(パリ第8大学非常勤講師)
佐藤守弘(京都精華大学教授)
司会:前川修(神戸大学教授)

 

シンポジウム! 美少女表象のこれからのために喋ります!
美少女表象の反復、変身、受肉–「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」
現代美術において実践されている「美少女表象」には、典型的な二つの立場があります。それは、
(a)美少女崇拝的orポジティブなファム・オブジェ的表現
(b)女性性忌避的orフェミニズム的表現
のふたつです。発表の中では具体例を見ながらその存在と手法を確認します。

相異なる二つの立場から提案される美少女表象の方法について、その目的や効果を鑑みると、両者の間には意識的にも無意識的にも、「歩み寄り放棄/対話への不意志」が深い溝として横たわっていることに気がつきます。これが美少女表象の限界です。実例に基づいて検証し、このプロセスを通じて、現在の「美少女表象」が抱える問題を明らかにしていきます。

このような今日の「美少女」をめぐる状況=行き止り状況を打破するための案として、二つのオルタナティブな見方について提案します。理想少女ファンタジーの現実世界への連れ戻しおよび、女性によるヴァーチャル美少女の内面化という二つの案に焦点を当て、この有用性について考えます。

今日私たちはいい加減、美少女表象の新しい言説に向かっていくべきです。

さて、「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」お楽しみに!
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03/19/15

表現の自由のこと: Steven Cohen, COQ (2013) /スティーヴン・コーヘン「ニワトリ」

表現の自由のこと

2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件があってから、フランスはもちろん、世界中で今一度、表現の自由のことを多くの人が語るようになった。だがそれは、いわば、世界単位でシャッターがきられた瞬間に過ぎず、たとえば日本では、検閲や思想統制の危機に直面して、あるいは憲法改善の危機や個人の表現の自由を脅かす様々な法令の制定の危機に直面して、2015年1月7日以前にすでに、今と変わらない危機感が既にあった。思想や文筆の領域はもちろん、現代アートの領域にも、表現者を見せしめにするような象徴的な事件があった。たとえば、釈放されては再逮捕される、ろくでなしこさんの女性器3Dデータに関する問題は、法に触れるという明確な理由があったとしても、その周辺に存在するより商業的なポルノグラフィティの問題や、男性器に関する同質の行為は果たして同等に制裁をうけているのか、といった疑問をぬぐい去ることができない。また、昨年、愛知県立美術館の「これからの写真展」で鷹野隆大さんの写真作品が男性器を露にしているという理由で、わいせつ物として撤去を指示された問題も、今日のヴィジュアル・アートを俯瞰したならば、一瞬にして、ナンセンスな事件であったというしかない。ただし、「ナンセンスな事件」がもっともらしく、あるいは威圧的にまかり通り、人々がそれに従順にならざるをえないという状況こそが、もっともナンセンスであり、しかも、深刻な破綻を意味している。アートの空間は、美術館であれ、一時的に設定されたスペースであれ、そこに非常事態を抱え込む覚悟をしなくてはならない。アートの出来事は一種の非常事態にほかならないからだ。それは、アートが存在する理由にも、アートの存在する意味にも関わる。

何も覚悟することなく、人を驚かすつもりもなく、あるいは人々が驚いてしまったときに即座に「今のは噓でした!」と言ってしまうような表現が、我々に何かを残すだろうか。我々の何かを与えるだろうか。

このエッセイで書くのは、Steven Cohenという作家のパフォーマンス作品、COQのことだ。本作品は、前回のエッセイ、MAC VALの展覧会《Chercher le garçon》(Link : Last article)において現行展示中の作品だ。作者であるスティーヴン・コーヘン(Steven Cohen)は1982年に南アフリカ生まれた。アフリカ出身、ホモセクシュアル、ドラグクイーンとしてパリに暮す。2013年に、「人権広場」(エッフェル塔を見るための観光客があつまるシャイヨー宮殿)にて、自分のペニスにリボンを結び、そのリボンのもう一端にニワトリを繋いで、15センチあるいは20センチほどあろうというハイヒール、下半身をほぼ露出したコスチューム、ニワトリを思わせる羽飾りを纏って優雅に舞うというパフォーマンスを行なった。始終はヴィデオに収められており、その奇異な外観ーリボンを巻いた性器を露出し、ニワトリを引き連れているーにも関わらず、人権広場の観光客たちはさほど動揺した様子はない。スティーヴン・コーヘンは、パフォーマンスを続け、青空の中にそびえるエッフェル塔を背に、鳥の羽根のシルエットが美しいコスチュームで舞う。アーティストはフランス国家「ラ・マルセイエーズ」(La Marseillaise)を歌い続ける。飛べないニワトリはときどき一メートル程の高さより羽ばたいては歩き、スティーヴン・コーヘンは始終このニワトリを真のパートナーあるいは分身のように大切に扱う。程無く、警備の男が近寄る。数分の後、二人の警官がスティーヴン・コーヘンを囲み、壁際に連行する。アーティストは激しくは抵抗しないもののニワトリを守ろうと抱きかかえる。さて、この広場は先に書いたように1948年以降「人権広場」と呼ばれている。それは、1948年の世界人権宣言を採択した国際連合の総会が、このシャイヨー宮殿で行なわれたからだ。全ての人々は平等である、つまり、それがアフリカンでもホモセクシュアルでも、どの宗教を信仰していようと変わらず平等である、そして宣言によれば皆表現の自由を有する。スティーヴン・コーヘンの実験は、彼が警官に捉えられるという形で幕を下ろし、この作品は長い間訴訟によって公開も叶わなかった。
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スティーヴン・コーヘンの奇妙な行為をよりよくわかるために幾つかの情報を書き加えておきたい。

(I)
まず、なぜニワトリなのか。

ニワトリは、フランスの象徴の鳥だったのである。つまり政治的・国民的エンブレムを担っていた。中世より使用され始め、ルネッサンス期以降フランスの国王の象徴、とりわけヴァロワ朝とブルボン朝の時代、国王はしばしば肖像画にニワトリを伴ったり、銀貨にニワトリが描かれたりした。ナポレオンが « Le coq n’a point de force, il ne peut être l’image d’un empire tel que la France ».(ニワトリなんかダメだ!強い鷲にしよう!)といって国鳥を鷲にしてしまうまではニワトリこそフランスを象徴する鳥だった。つまり、元フランスを象徴する鳥であるニワトリを、性的被差別者であるペニスに結びつけたリボンによって引き連れることの比喩的意味が明らかになるだろう。

Coq gaulois, monument dédié aux Girondins, Esplanade des Quinconces, Bordeaux

Coq gaulois, monument dédié aux Girondins, Esplanade des Quinconces, Bordeaux

Écu constitutionnel, 1792

Écu constitutionnel, 1792

(II)
つぎに、世界人権宣言採択の現場であるシャイヨー宮殿をパフォーマンスの場として選択する意味についてである。シャイヨー宮殿は、世界中からエッフェル塔の名写真を撮影するために観光客や写真家がおとずれるほど、フランスのイメージのひとつであるエッフェル塔が最も美しく俯瞰できる場所として知られている。おそらくその強烈なシチュエーションからか、1940年6月にナチスドイツの侵攻によって陥落したパリを、ヒトラーが訪れ、ここでエッフェル塔を背景に撮影した写真が有名である。したがって、この場所は、ナチスドイツによって陥落したパリと、世界人権宣言が採択された人権擁護の象徴としてのパリと、今日のフランスのあらゆるイメージを背負ったモニュメント「エッフェル塔」が見える場所、という三重の意味を担うのだ。スティーヴン・コーヘンがこの場所を選択し、警官に連行されることも戦略的計算に入れた上で、エッフェル塔を背景にパフォーマンスを行なった意味もこれで明らかになるだろう。

Paris, Eifelturm, Besuch Adolf Hitler

(III)
ちなみに、パフォーマンス中、アーティストが口ずさんでいたフランス国家「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の際にマルセイユの義勇軍が歌ったとされ、それ以来のものである。

ご覧のように、スティーヴン・コーヘンのパフォーマンス「COQ」(ニワトリ)は、彼自身の抱える性的な問題の個人的苦悩を越えて、人類の人権の問題、移民の人権、性的マイノリティの人権、人種差別撤廃の希求という大きなディメンションに及んだ作品である。
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もう一つ、全く別の問題を指摘して、このエッセイを締めくくりたい。それは、この作品を展示する側の戦略的態度である。本作品はスティーヴン・コーヘンの下半身や性器が殆ど露出された映像作品で、客観的なヴィジュアルの美しさとエキセントリックな状況のコントラストのなかで、一見するとただただ滑稽、「なぜこれがアートなの?」という議論のなかに煙に巻かれる作品でもあるし、あるいは性的マイノリティーと表現の自由の問題に収斂される可能性もある作品だ。しかし、この展覧会が2015年3月より始まっていること、それがはっきりとシャルリー・エブドの後の社会的・政治的文脈の影響下にあるということ(もちろん作品選択や企画はその前に決定されているが、展覧会開催に当たり美術館側は問題に意識的にならざるをえないし、鑑賞者も当然考慮するに違いないということ)、そして上述したように様々な政治的エンブレムが散りばめられていることを思えば、この作品が展示されるという意味は、極めて愛国主義的なものであると考える。つまり、政治的で、戦略的な態度であると、思うのである。そしてこれもまた、美術館の「権利」であると思う。

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(コーヘンの作品に関連して以下に世界人権宣言の部分を添付した。)
『世界人権宣言』
(1948.12.10 第3回国連総会採択)
〈前文〉
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 

人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、(略)

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 

人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、(略)

よって、ここに、国連総会は、

社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この人権宣言を公布する。

第2条
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる自由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基ずくいかなる差別もしてはならない。

第19条
すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

03/16/15

Corps Étranger:Agata Kus, Kelly Sinnapah Mary, Dani Soter/ 「奇妙な肉体」展

Corps Étranger
Agata Kus, Kelly Sinnapah Mary, Dani Soter

13 Février – 14 Mars 2015
Maëlle Galerie
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アーティストたちは今日、割り当てられた性的役割を異化することが可能だ、ということを知っている。
これまで数多くの女性アーティストに焦点を当てた展覧会が、フェミニストや美術史家、批評家たちによって実現されてきた。女性のホもセクシュアリティへの着目もそのうちの比較的新しいもののひとつかもしれない。Centre Poupidou(ポンピドーセンター)では女性アーティスト200名を紹介した大規模な展覧会が2009年に既に開かれている。
本展覧会で選ばれた三人のアーティストAgata Kus, Kelly Sinnapah Mary, Dani Soterはこれまで一緒に展示したことはない。三人とも親密で独自の世界への視線を表現する作家である。
共通しているのはAgata Kus, Kelly Sinnapah Mary, Dani Soterの三人ともが、既存の性に対しての異なる身体のあり方を暴きだすことだ。自然としての性、本能的な身体、暴力の対象や主体あるいは破壊者となりうる肉体。これらはすべて、《Corps Étranger》(奇妙な肉体)であろう。
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Dani Soter:
Dani Soterはルイーズブルジョワに多くを学んだ女性アーティストである。個人的な世界観、家族の想い出やカップルの記憶。人間関係に蓄積した時間の形跡。彼女はブラジルで生まれ、ソルボンヌ大学でポルトガル語学と文学を学んだ後、現在も祖国で制作する。彼女はアーティストのフォーメーションは持っておらず、独学の作家だ。

彼女の作品《お入りください》(Entrez)は、家のような輪郭をもつシンプルな形がピンク色で塗られており、扉である場所、人々を受け入れるべき境界が男性器の形を成す。鉛筆で描かれた、Entrez(おはいりください)の文字があるだけの非常にシンプルな作品だ。鉛筆書きのEntrezの文字はとても頼りなくて、子供が書いたような、あるいは、人に聴こえないようにこっそりつぶやいたような、消えそうな言葉という印象を与える。もしかして、《お入りください》なんて、言いたくないのでは?と見る者を不安にするのだ。
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また、薄汚れたハンカチにさくらんぼの刺繍のある作品のシリーズ、これは近年Dani Soterが好んで取り組んでいるプロジェクトのうちの一つで、友人や家族の使い古しのハンカチを作品に用いる。ハンカチはしばしば酷く汚れたりカビていて、汚いのだが、それは個人の家に保存される中で生えたカビだとか、たまたま汚れを拭いたまま洗っても落ちなかったしみだとか、もしかして、食事の後に口を拭いたり、子供のよだれを拭ったりしたままながいことズボンの中に入れてわすれっぱなしになり、そのまま忘れられた布切れなのかもしれない。彼女はこれをキャンバスとして絵を描く。ハンカチは真っ暗な引き出しや物置からひっぱりだされて、眩しいギャラリーに展示される。
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Agata Kus:
Agata Kusは、1987年にポーランドのKrosnoで生まれ、クラコウで学んだのち、現在もポーランドで制作している。Agata Kusの作品ではしばしば、少女から大人の女性になる通過儀礼がテーマとなっており、少女としての自己が傷つけられる形で女性性を受け入れる《痛み》を繊細な方法で描くのが特徴だ。傷つけられながら大人になる少女も、生まれながらの女性であることに変わりない。傷つきやすく女性性の賛美が貫かれていることもAgata Kusの作品の特徴と言えよう。肉体はグロテスクなものである。

Agata Kusのデッサンの中に、内蔵をさらけ出して血を流して倒れている獣の赤い色と、白いワンピースを着た二人の少女の性器の部分が赤く塗られた作品がある。子供らしく可愛らしい真っ白なワンピースに保護された「肉体」は、地面に転がる非常に生々しい獣の死体と同様のコンポジションである。

一枚の布に、足を崩して座る少女。少女は床に散らばった赤いビーズで遊んでいるように見える。それは勿論、初潮以降毎月作られては流れ出される、月経の象徴なのだが、少女は小さかった頃と変わらない、笑顔を浮かべていて、その赤い粒を集めたりバラバラにしたり、独り遊びをしている。彼女はまだそれが何を意味するか分からず分かろうともしていないのだが、その粒が妙に赤いことだけが、何となく不穏で見ている者を心配させる役割を果たしている。
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Kelly Sinnapah Mary:
Kelly Sinnapah Maryは1981年にグアドループに生まれた。グアドループ(Guadeloupe)というのは、カリブ海の西インド諸島の島嶼群の中にある所謂フランスの海外県(Outre-mer français)である。紀元前30世紀ほどから現地文明がさかえ、ベネズエラとの交易や、Arawaksと呼ばれるインディアンの生活があったことが明らかになっている。この地は後に15世紀以降スペイン人が訪れるようになり、1635年以降フランス人によって支配され、フランス領植民地となる。以降、数世紀に渡って、砂糖の大規模農場、タバコ農園等で奴隷労働に従事させられた歴史を持つ。フランス革命後の1794年、一度奴隷制は廃止されるものの1802年にナポレオンが復活させてしまう。グアドループは、もう一つの大きな海外県マルティニークと同様に、歴史的要因から行政的・社会的な多くの問題を抱えている。
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Kelly Sinnapah Maryの作品は、フェミニンなオブジェを利用し、一見ポップ印象を与えるデザインを特徴とする軽やかで美しいイメージを描く。昔はどんな家にもあったような刺繍フレーム。典型的なお家にいる女性を思わせるオブジェを絵画は彼女のキャンバスとなる。中心には白い背景に衣服のはだけて下着姿の女性。女性の頭部は顔はなく、筒状の空洞が開いている。周りに散りばめられた無数のモチーフは中心に一人だけいる女を取り巻く男性器だ。女性の肉体を注意してもう一度見てみる。鎖骨の当たりのメッセージは »Ne pas toucher »(わたしに触れるな)とある。Ne pas toucher(Ne touchez pas)は、美術館でよく見かける。作品の前に気分を害する保護色のビニールテープが貼ってあって、《お手を触れないでください》と書いてある、あれだ。おそらくは既に傷つけられ、顔は内部に男性器を受け入れる筒の形状に変形してしまってもなお、その肉体はマニフェストする。《わたしに触れるな》と。
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Kelly Sinnapah Maryの顔のない女は、かなり直接的なファム・オブジェの表象である。セックスのオブジェとして利用されるだけの女というモチーフは作品に繰り返し描かれる。彼女自身の個人的な苦痛に満ちた性的体験に基づく表現は、作品や文化的背景を伴って、社会における現行の問題へと鑑賞者の関心を開く。デッサンの持つ軽やかな色彩とスタイルは、その苦痛を伴ってもなおあり得る、ある種の希望のようなものを感じさせてくれるのだが。

女性性への関心、少女から女性への通過儀礼の苦痛の表象、ファムオブジェのマニフェスト、これらは今日もなお人々の関心を捉えるだろうか。もちろん、それはある程度普遍的な問題なので、関心ごとであり続けることが出来る。あるいは、今日的な問題に訴えるなら、傷つきやすく対話不能な苦痛を内側に描くのではなく、演劇的な雄弁さとすこしだけハッピーな結論が求められているのかもしれない。

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02/4/15

心の平和のために書いた文章

海外は治安がわるいからと、時々心配される。外国は恐ろしい事件とかあって、銃による事件とか、薬物の事件とか、宗教や民族の問題とかあって、あぶないんじゃないの、と心配される。

たしかに、1月7日の事件は、それがあまりに近くで起こったということや、多くの人々と同じようにそのとき外出中で、「気をつけて!犯人は逃走中よ!」と言われてもどう気をつけたらいいのか気をつけようがないという事情から、数日間とても治安のわるい感じ、ではあった。

だがハッキリ言うが、それは、道を歩いていたら危ないとか、周りの人が怖いとか、銃撃される危険とか、突然捕らえられるかもしれない危機とは、似ても似つかないものだ。世界には、戦争状態の非常事態としての日常が実在しており、あやまってもそういった非常事態の日常とは比べ物にならないほどに、パリの1月7日以降の世界は平和である。

なるほど、たしかにそれは日本の平和感とは全く違う。誤って電車でウトウトしたり、鞄やズボンのポケットからスマホやお財布をペロリとしたまま優雅に歩いたのでは、一瞬にしてそれらは失われてしまうかもしれないし、本当は楽しくとも悲しくともある程度つねに戦々恐々とした雰囲気だけ演じて歩かないと、体力のなさそうで優しそうな日本人はしばしば金銭的価値ある物を盗まれる標的になってしまう。そういった意味で、めんどくさいといえばめんどくさく、ぴりっとしてなければならないといえばその通りだ。でも、平和だ。

そんな平和に対して日本のほうが心穏やかに過ごせるし、危険もすくないし、安心だ、とも思わない。むしろ、こちらでは思いのよらないことが日本にいると日常的に起こる。「キレる大人」を見ることはかなり印象的な出来事のうちのひとつだ。いや、誤解を避けて先に言っておくが、フランス人もかなりキレる。かなりのキレキャラであるし、突然怒って喧嘩して、見事なスペクタクルが繰り広げられる。が、わりとすぐにおさまる。キレたあと、言い尽くしたあと、20秒くらいしてから追いかけて行って殴ったりしないし、今生に渡って人々に悪行を言い継ぎながら引きずったりもなかなかしない。あくまでも印象だが、ノーコントロールでキレるというよりは普通に怒って静まる、という、ふつうの怒った人、なのである。そこにきて、日本社会での「キレる大人」はキレ方が本気である。コントロールがないのはもちろんのこと、ほとんどがキレている内容ではなくて、外的要因についてのストレスが限界で、なにかのキッカケでキレるのである。たぶんこのキレ方は、日本社会だけでなくて、先進国の、大都会の、ストレス過多の、どうしようも忙しくてイライラしてしまうような日常生活の、中にしゅっと起こりやすい。これからの世界はこんな「キレる大人」が増えるんだろうか。

約束か仕事に遅れそうなのか、それとも疾走したい気分なのか、ゆーっくり歩くおばちゃん二人のスレスレを豪速のチャリンコ男性が走り抜けた。たのしく歩いていたのにあんまり暴力的な出来事だったので、おばちゃんは思わず「危ないじゃない!」と口走ってしまいました。チャリンコ男性は、急いでいたなら走り抜けたらよさそうであるのに、止まって、折り返してきて、口汚い言葉でさんざんおばちゃんを怒鳴りつけました。男の人の怒鳴っているのって、子どもでなくても怖いと思うよね。それも、急に近づいてきて、感情的に制御無しに怒鳴っているのはとても怖いと思うよね。このおばちゃんたちは、この経験を一生忘れることはなく、ずっと、怖かったなって、思い続けるのですよ。

ある日飛行機が少し遅れて、そういうときは搭乗口の近くで、ボーディングタイムが更新されるのを待ちます。放送もかかるし、どっちにしても、チェックインしていたら、最悪たとえトイレに行ってて一人だけ搭乗しそこねていたりなんかしても、かなりしつこく探してくれるから、空港に取り残されるなんてことは殆ど有り得ません。数十分機材の整備などで搭乗時間が押していて、なんどか放送がかかったし、やれやれみんな、どんどん機内に流れ込んで行く。60歳くらいの男性が、ゲートの女の子二人に怒鳴りつけている。いつ放送がかかったんだ!(だから、今だよ…)とか、いつお客様を呼んだんだ!(だから、今だってば…)とか、失礼じゃないか!(なんでだよ…)とか、こんなんで分かるか!ふざけるな!(じゃあ他にどうするアイディアがあるかね…)とか。とにかく怒鳴り続けて、女の子たちは、ほかのお客さんのチェックをしながら、泣きそうになりながら、すいません、とか言っている。どう見ても、そのおじさんがキレているのは、アナウンスの仕方や飛行機の遅延についてじゃないよね、人はその程度のことでは本気で憤ることなどできないものだよ。ただの、八つ当たりだし、別のイライラの放出だよね。でもねー、係の子たちは本気で怖い思いをして、怒鳴られて、近くで汚い言葉を浴びせられて、しかも縁もゆかりもない怒りによって。この子たちはこのことをずっと忘れられないくらい、怖い思いをするのだよ。

「キレる大人」はいけないんです。なぜなら、本当に人を傷つけるから。本当に怖い思いをさせるから。傷ついたたくさんの心がこれ以上傷つけられませんように。こんなくだらない経験が、世界に増えませんように。
friends

01/11/15

Atsuko Tanaka : porter une robe électrique dans une lumière psychédélique

Miki Okubo. Atsuko Tanaka : porter une robe électrique dans une lumière psychédélique

このテクストは、2012年にジャンルイ・ボワシエ氏がキュレーションされた展覧会 »LEURS LUMIÈRES »(http://www.ednm.fr/leurslumieres/?page_id=1474)の際に、アートと光とメディアに関して、田中敦子さんの電気服について書いた記事です。Miki Okubo est doctorante en esthétique à l’Université Paris 8[Cliquer sur les mots bleus. En cliquant sur les images on se connecte aux sites d’où elles proviennent.]

Atsuko Tanaka, est une artiste japonaise, née en 1932 à Osaka, principale protagoniste du groupe Gutai (Concret), mouvement d’avant-garde important de l’art contemporain japonais des années 1950 et 1960. Elle a arrêté ses études d’arts plastiques à l’École des beaux arts de la ville de Kyoto, et a commencé à faire de la peinture abstraite. En 1955, elle rejoint Jiro Yoshihara qui avait la direction artistique de Gutai. En suivant le manifeste de Jiro Yoshihara disant que « le groupe Gutai ferait des activités artistiques complètement nouvelles, jamais faites par les autres ni jamais entendues jusque-là», Tanaka a réalisé diverses performances et œuvres remarquables. Contrairement à Yoko Ono (artiste japonaise née en 1933, qui était membre du Fluxus) et à Yayoi Kusama (peintre, vivant à New York), de la même génération qu’elle et qui ont travaillé à l’étranger, Atsuko Tanaka est restée au Japon et a poursuivi son propre travail même après la dissolution officielle de Gutai. Elle est morte d’une pneumonie en 2005. L’exposition rétrospective de son œuvre, au Musée municipal d’Ashiya et au Musée départemental de Shizuoka est révélatrice du sens profond de son expression artistique grâce à une vue d’ensemble de quarante années d’activité créatrice.


Atsuko Tanaka, 1962, © Ryoji Ito. Photo: ART iT

Atsuko Tanaka, cinéaste, peintre et performeuse, a envoyé un nombre de messages très intenses en direction du monde extérieur: non seulement dans la société japonaise mais aussi dans le champ de l’art mondial. Ses tableaux étaient caractéristiques de l’avant-garde picturale, par leur composition en cercles et lignes de couleurs vives et psychédéliques reliés entre eux, jusqu’à ce que la composition de couleurs vives éblouisse fortement nos yeux et le champ de notre regard. Ceci est lié directement à la conception essentielle de La Robe électrique.


Atsuko Tanaka, La Robe électrique, (1956/1986) © Ryoji Ito. Photo: ART iT

Atsuko Tanaka, La Robe électrique portée par l’artiste en 1956

La Robe électrique (Denkifuku en Japonais), une des œuvres les plus reconnues parmi toutes ses créations, est appréciée internationalement par le fait qu’elle a approfondi la possibilité de la performance artistique et dépassé ses limites, à la recherche d’une nouvelle expression artistique. Cette robe est présentée lors de la deuxième exposition de Gutai en 1956 (l’artiste a 24 ans), intitulée Exposition de Gutai, sur la scène à Ohara kaikan, à Tokyo. Cette œuvre est constituée de plus de 200 ampoules de 9 couleurs différentes, de tubes peints et de très nombreux fils électriques. Ce costume «lumineux», qui pèse plus de 50kg, est plus lourd que l’artiste portant cette robe sur la scène, voire Atsuko Tanaka elle-même. L’objet inhumain couvert de fils électriques expose le corps fragile de l’artiste au danger d’une commotion grave, ainsi que d’une électrocution, avec la chaleur très élevée due à la densité de ces ampoules. Lorsque Atsuko Tanaka, dans cette parure brillante, apparaît sur la scène, son apparence semble, d’un côté celle d’un dieu absolu, d’un autre côté celle d’une victime offerte en sacrifice au dieu et qui a été choisie parmi toute l’humanité. Pour le moins, son corps complètement immobile dans ce costume violent et son regard fixé ont choqué profondément les spectateurs de cette époque. Son corps était parfois visible, parfois invisible comme si sa propre existence clignotait à la frontière entre la vie et la mort.

La performance audacieuse —porter une Robe électrique dans la lumière psychédélique en tant que femme et être exposée au regard d’autrui— que signifiait-elle dans la société japonaise des années 1960? Selon sa propre parole, l’artiste s’est inspirée du concept de Denkifuku, d’un paysage de nuit très lumineuse avec les néons multicolores, en marchant dans un quartier d’Osaka. Jusqu’ici, cette robe a été souvent interprétée comme une œuvre, par laquelle Atsuko Tanaka a réalisé l’assimilation de son propre corps à la technologie, ainsi qu’à sa création et à son expression artistique, en prenant le risque de l’électrocution.
De mon point de vue, l’essence de l’expression artistique chez Atsuko Tanaka semble toujours être l’offrande de sa propre vie aux technologies contemporaines en tant que sacrifice. Le corps enseveli dans la luminosité violemment puissante symbolise la menace de l’énergie dominante de nos jours depuis l’ère de la croissance économique des années 1960: l’électricité qui nous permet une vie sophistiquée, à la fois, nous menace gravement par le risque de l’accident nucléaire issue de la nécessité de la fourniture de cette énergie. Nous, le peuple contemporain, sommes enfermés dans une prison labyrinthique. De ce fait, sa performance et son concept de Denkifuku peuvent être considérées comme relevant d’un art audacieusement précurseur.

Pourrions-nous dire comme ci-dessous:
Atsuko Tanaka en tant que représentante de l’humanité consacrait son corps à calmer Dieu en donnant bravement sa vie. Après sa mort, ce costume qui était un habit a été abandonné, et est devenu «une sculpture électrique» en s’éloignant de sa signification originelle, sous les regards des spectateurs d’aujourd’hui. Denkifuku, une Robe électrique isolée de son contexte d’origine raconte peut-être encore des messages importants, dans la société où le monstre de l’électricité joue une musique inquiétante, en brillant, en clignotant, en se reliant et finalement en se mêlant dans l’ensemble de la lumière de toutes les couleurs psychédéliques.
M. K. septembre 2012

Liens

Media Art Net : http://www.medienkunstnetz.de/works/electric-dress/
Ubuweb: GUTAI – Japanese Performance Art, 1956-1970, film, 1 heure  http://www.ubu.com/film/gutai_comp.html
Publications sur GUTAI: http://www.hundertmark-gallery.com/180.0.html
Gutai, Painting with Time and Space: http://www.nipponlugano.ch/en/gutai/index.html

01/10/15

粒はほころぶ。 粒の存ることは、糾弾されない。

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「粒はほころぶ。粒の存ることは、糾弾されない。」

 

どこまでも具体的にあるいは抽象的に、
かぎりなく実践的にあるいは観念的に、
ひとは生きることができるだろう。
極と極のあいだで、折衷しながら生きることも。

積年の、個別の生の積み重なりの、
「連続」と見なされる歴史、文化あるいは叡智。
あたかも織られた絹糸のように物語られているのは、
僅かに互いを引き寄せたり突き放したりする、
独立した粒のようなものである。

かぞく、ムラ、クニ、世界、宇宙に
触れ、関わり、包まれ、育まれ、
マテリアルである肉体のマテリアルとしての限界まで、
世界を浮遊し時間を潰す、
粒のようなものである。

ミズナラの木は地面を覆うほどのドングリを与え、
蝉は夜明けまでじっと羽のパリっとした乾燥を待つ。
食べ物がなければ在る場所を探す他なく、
それでもなければ施しを乞うしかない。
凍えて生きられないほど寒いなら智惠をしぼって暖まるか、
他者の恩恵に与って温めてもらうしかない。

そこに選択の余地はなく、
生はつまり粒のように、
マテリアルがほころびて、運動をやめるまで、
そっとされるだけである。

意味を創り、詩を書き、音を奏で、ダンスする。
食欲を満たし、性欲を分け合い、睡眠し排泄する。

生そのものは、そっとされるだけである。

粒はほころぶ。
粒の存在は、糾弾されない。
創られた意味の糖衣がたとえ失われても、
そこに在り、生きることは、
ひたすらに明らかである。

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01/4/15

Manger, Boris Charmatz / 「食べること」をダンスする

Manger 

manger poster danse

2014年12月3日にThéâtre de la Ville, Parisでダンス作品「Manger」を鑑賞した。Boris CHARMATSによって構想された作品「Manger」(フランス語の動詞:「食べる」)は、そのタイトルの宣言する通り、人間の「食べる」行為に真正面から焦点を当てた作品だ。今日、非常事態を除いては飢餓による生命の危険に直面しない平和な食生活を送る人々にとって「食べる」とは、日常的で身近で、あえてとるに足らない行為と感じられるかもしれない。もちろん、食事を自由にとれない病気と共に生きている人、アレルギーのある人、止む負えず食事制限している人、その他あらゆる食のトラブルに出会ったことのある人々にとっては、「食べる」行為は自ずとグロテスクでつかみどころのない、奇妙な行為として立ちのぼるかもしれない。

だがじつは、そもそも、口からも異物を摂取し、内部に一時的にであれ一定の時間内包し、それを様々な消化酵素で消化し、吸収して、抽出されたものを自らの肉体の一部と成し、さらには、口から摂食したけれども不必要であり、廃棄できる内容を液体や固体として排泄するという一連のプロセスは、たとえば、植物が、道管と師管から水分や養分を吸収し、日光や二酸化炭素を利用して養分を生成していることに比べると、遥かに生々しく、インパクトある行為ではないだろうか。

異物を体内に受け入れたり、それを内部に同化しようとするのは、たとえば生殖行為にも通じる出来事であるし、つまり「食べる」行為は、よく見ると奇妙であり、もちろんとるに足らずつまらなく、それでもやはり分かりにくい行為なのである。

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「Manger」(2014) は、Boris CHARMATS(Dance Museumのdirector)によって構想された作品で、人間の口が持てる可能性を追求した作品である。口がかなでる音、それを作家は、噛むときのメロディーと表現する。食べものがすりつぶされるときの音や、それらが肌と奏でる音、そして食らう人の声。それらがダンサーの身体を通じて、彼らの感覚を経て、総合的な表現となって、舞台全体で動きのインスタレーションとして提示される。「食べる」人間の肉体と食べられる物との限りなく狭い境界線を具体化しようとしている。

舞台上で繰り広げられるのは、もはやなぜ舞台上でそれを見せ、見せられる観客は硬直してそれを見守らねばならないのか、わけの分からない出来事の塊である。10数名の演技者たちは、破れる際にいちいちよい音のする「白い紙」のようなものを何枚も手にもって、唇や歯、手で破り、それを口の中に含むことを繰り返す。繰り返される咀嚼、次々と破られた紙は口の中に送り込まれる。演技者たちは、異なる音をたて、異なる形でそれを食べ、異なる表情を浮かべて咀嚼する。やがて孤立していた演技者は、歩み寄り、絡み合ったり、影響し合い、食べることを続ける。ちぎりまくられて、口に入れられなかった白い紙は床に散らばり、それを舐めるように拾い集め、あるいは咀嚼の末をれを体外に放り出し、そしてまた、体内に送り込むことを繰り返す演技者がいる。

演技者の行為は、我々の「食べる」行為のあり得べき姿、あるいはあり得る姿をひとつずつ具現化しているようでもあり、しかし単に実験的であるようでもある。そのカオティックな様子は、なるほどリアルである一方、表現として理解されることを期待してもいないようだ。

この作品は、「食べる」行為の多様なesquisse(素描)として、非常によく表現されており、研究されているけれど、ならば「食べる」我々をもっとあるままに肯定するアクションを、私は観劇中ずっと探していたのかもしれない。

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01/1/15

Jardin gelé, le 1 janvier 2015

Le matin du 1er janvier 2015,
dans un jardin était bien gelé,
l’air froid, le rayon du soleil calme,
les oiseaux qui sifflent sur les arbres,
je respire du fond de mes poumons,
afin que je me rappelle l’hiver de mon pays,
celui qui me réveille,
celui qui éveille mon corps et esprit…

Je vous souhaite une année heureuse et paisible.

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12/25/14

大谷悠:ソロ・ウエディング, Solo Wedding: HARU OTANI / 「独り挙式の意味と無意味」 

「独り挙式の意味と無意味」

Solo Wedding
結婚はしていません。
したこともないし、する予定もありません。
それでも無関心でいられないのはなぜなのか。

ウエディングドレス屋のショーウインドウにヘレン・ケラーの無数の指紋(穂村弘)

考えながらブルーになってきたとき、そのブルーをこの短歌に肯定された気がして、自分でやってしまおうと思いました。
王子様を待ってない。
結婚したら負けだとも思ってない。
どちらにせよ、私はソロで、ここにいる。
(大谷悠)

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2014年11月26日、パリの北郊外はサン・ドニ、パリ第8大学までお越し頂いて、大谷悠さんに作品 »Solo Wedding« を披露していただいた。公演が行なわれたのは、私の教えている »Exposition de soi »(自己表象)の講義内であったが、宣伝内容をご存知の方もいらっしゃるように(salon de mimi past article)、講義受講者に限らず、一般の方、学外の方にも一部お越し頂くことが出来たのは幸いであった。この場をおかりし、本公演のために遠方までお越し頂いた方々に感謝の意を表したい。

Photo par Manon Giacone

Photo par Manon Giacone

さて、Solo Weddingは、コンテンポラリー・ダンサーの大谷悠さんの自作自演の作品で、かの著名な結婚行進曲(メンデルスゾーン)に乗り、ウェディングドレス風の白い衣装を纏った大谷が踊るソロダンス作品である。2014年に構想されたばかりの本作品は、国内の発表会で初演され、フランスのパリ第8大学造形芸術学部の学生達に向けての公演は二度目の発表となった。すでにこの作品はつい12月22日に京都大学にて吉岡洋さんのオーガナイズしたエルキ・フータモさんの特殊講義後、三度目の公演が行なわれ、さらには明日、横浜での公演も予定されていると言う。極寒の中薄っぺらいウエディングドレスで舞う花嫁の姿は、冬が深まるほどにそのソロ感を増すのではないかと想像し、思わず楽しくなってしまう。

Photo par Manon Giacone

Photo par Manon Giacone

パリ公演が行われたのは、大学正門から造形芸術学部の建物入り口に進む手前の広い吹き抜けの空間で、真っ白な壁にガラス張りの明るい素敵な〈隙間〉である。大谷からこっそり届いた練習ヴィデオと衣装写真を目にし、即座に目星を付けていた場所。此処でないと嫌というほどイメージにぴったりだった。通りすがりの学生や職員もつい足を止める。視線の先には、真っ白なドレスとスニーカーの黒い短髪の花嫁。音楽が鳴る。1980年よりヴァンセンヌに移転してから一貫して若い表現者の自由を擁護してきたパリ第8大学だからこそできる公認のゲリラ公演。若い観客は、初めての海外公演に望む踊り手の熱意に敬意を払う。真剣なまなざしがこの異名のダンス〈Solo Wedding〉に注がれた。

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大谷悠は、幼少よりバレエ、ジャズ、タップ、コンテンポラリーと様々なダンスを学び、在学中より自身で振り付けも行なってきた。写真家として活動する傍ら、演劇作品にも参加している。大谷の表現は、時に象徴的で、時に概念的であるのだが、彼女の表現にしばしば見いだされる「自然の流れを自ら遮断するもの」の存在は、作品全体の中にある種の抵抗と予定調和しない意味を創り出すす。一貫した「意味」をなし崩しに理解されることを拒み、それなのに、なおも寄り添って共に考えるように我々を繋ぎ留めるつよい意志が伝わってくる。

Solo Weddingは、孤高の花嫁が、自らの憂いを誰に訴えるというのでもなく淡々と独白する作品である。作品中には明白な孤独の描写、つまり、花婿の不在や、不在を補完する花嫁自身の花婿化の動作が表されるが、それらは全体として、世界の中の孤独という直接感情からは遠く距離をとる花嫁の夢幻の遊びの中に収斂されてしまっている。無邪気に遊ぶ花嫁は、時々現実世界に引き戻されそうになりながらも、やはり象徴的な宙空を彷徨う。

独り挙式の意味を読み取ろうとすること、あるいはその無意味を受け入れること。
二つのチャレンジに大きな違いはなく、いずれの出会いを選ぼうとも、花嫁は我々にたたみかけ、そして遠ざかるだろう。我々もまた、問いながら遊びに没頭すればいいのだろうか?

それは花嫁に出会ってから考えても良い。

*** 作品 »Solo Wedding »をCourt-métrage作品にする予定で、悠さんと撮影に行きました。完成をお楽しみにー!photo