08/15/16

Redonne-lui une vie, もういちど球根が花を咲かせるか試すこと

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Redonne-lui une vie.
球根がもう一度花を咲かせるか試すということ。
それはすっかりカラカラになったヒヤシンスの球根がもういちど暫くの期間準備を行なって、水や空気の恩恵を受けながら再び芽吹くのかどうかを知ろうとすること。それを成すために行なわれる全てのオペーレションと、このカラカラになった球根がなるべきだった生というのは、命をコントロールする実験を行なう介入者がその介入を行なわなかったら、というパラレルワールドの中にしか思うことができない。あらゆる生は、動物的な生も、とりわけ我々の人間的な・社会的な・文化的な生も、我々が既に認識することから突き放されている数多くの異なる場合的世界の中で、「なるべく」過ぎていくことができているのかもしれないことを想像するのは自由だ。

Quand on fait n’importe quelle expérimentation: pensons que nous essayons de donner à une bulbe gravement séchée jusqu’à la perte de vie, quand nous voulons savoir si elle est capable de revivre encore l’année prochaine pousser, fleurir, grâce à l’aide de l’eau et de l’air du sol riche, tout en attendant l’éventuelle renaissance, il ne serait plus possible de visionner une vie « telle quelle », comme elle était sans intervention du pouvoir l’un ou l’autre, nous ne pourrions plus savoir comme cette bulbe séchée pose la fin de sa vie si toute opération extérieure ne la amenait pas vers une déviation proposée.  « La vie telle quelle » n’existe que dans un monde parallèle, un monde qui alors n’est pas choisi. Toutefois nous sommes tout à fait libre d’imaginer, soit sur la vie végétale soit sur la vie animale, notamment celle humaine, « la vie qui vit comme elle est destinée de nature », bien que nous soyons souvent forcés à nous éloigner de toute cognition humaine, sociale et culturelle, à propos de ce sujet.
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07/13/16

nature morte: éponge, lunettes, verre et collier

 

 

 

 

 

 

Nature morte, le 11 juillet 2016, Normandie

Miki OKUBO, modifié par Floriannature morte miki florian

05/17/16

La vie et les couleurs de la forêt, mai 2016

Les images prises du 14 au 16 mai 2016 à Malancourt la montagne.
Photo par Miki OKUBO
©MikiOkUBO

S’il y une chose qui revient sans arrêt à mon esprit quand je prends n’importes quelles images de la nature, c’est l’impossibilité ou notre incapacité de présenter ces existences en les cadrant en tant qu’une image photographique. Que faudrait-il faire avec cet appareil? Représenter la nature via les médias que nous apprivoisons? Non, ce ne serait pas nécessaire, nous ne sommes pas capables. La vie et les couleurs sont là.
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12/7/15

ソーシャルメディアを生きること、守られることの意味

Facebookにアップロードした写真がひとりのユーザーから「ヌード」報告を受けて、不正画像アップロード防止の委員会の審査対象となっているとの連絡を受けた。実はこの報告を受けたのは初めてではない。以前、9月に日本で撮ったプリクラをアップロードしたところ、同じように「ヌード」報告された。もちろん、ヌードのプリクラではない。露出度が高い服を着ているのでもない。ただのセーターとジーパンを履いたプリクラ写真であった。(写真1)

ご存知の方も多いかと思うが、不快な写真や暴力的な写真がFacebook上でシェアされた場合に、それぞれのユーザーがこれを「不適切なコンテンツ」であると判断した場合に「報告」することができる。さて、どのようなものを「不適切なコンテンツ」であると、判断するべきなのだろうか。Facebookの提案するカテゴリーとしては、「ヌード」「差別発言」「脅迫」などが「不適切なコンテンツ」としての報告の対象となっている。

私の場合だと、報告された二つの写真はいずれも1名のユーザーからの「ヌード」としての報告を受けて、審査対象となったということである。
ちなみに、二件目の写真は次の写真であり、プロフィール写真として昨日設定したものである(写真2)。ヌードかヌードでないか判断するという以前に、顔しか写っていないのでそもそも報告者の意図が分からない。

写真1

写真1

写真2

写真2

そこで、Facebookの「報告」についてもう少し調べてみた。
参考:https://www.facebook.com/help/263149623790594/

質問:Facebookに何かの問題を報告するとどうなりますか。私が報告する問題の人物には通知が送信されますか
回答:Facebookに何か問題が報告されると、弊社でその内容を確認し、弊社のコミュニティ規定に違反する内容はすべて削除されます。責任を負うべき人物に連絡をとる場合でも、報告者に関する情報は一切開示されません
Facebookに何か問題を報告しても、その対象が削除されるとは限りませんので、ご了承ください。Facebook規約には違反していないが、Facebook上で気に入らない内容が表示されることがあります

なるほど、私の場合は二件とも言うまでもなくヌードでないし、誰を傷つける内容を含んでいた写真ではなかったため、審査の結果、次の連絡を頂き、削除されなかった。つまり、報告者にとっては依然として「気に入らない内容が表示される」事態が継続することになった訳だ。

Facebookからの返信
あなたの写真がヌードに関するFacebookコミュニティ規定に違反しているという報告がありましたが、審査の結果違反していないと判断されたため、削除されませんでした。

ところで、報告する側とされる側の立ち位置について考えてみたいのだが、そもそもこの機能は、Facebook上で公共のために「不適切なコンテンツ」が表示されることを阻止し、ユーザーの心の平和を守るための目的で設定されている。つまり、報告する側が報告される側を訴えるために最良の気配りがされている。報告する側は報告される側の投稿によって不快な思いをし、傷ついたり、辟易したりしているのだから、ここでは、報告する側は報告される側に対して一方的に「報告する権利」を与えられる。それは次のような報告の仕組みによっても明らかである。

質問:写真を報告するリンクをクリックしましたが、友達にメッセージを送るよう求められました。写真を報告したら、そのことが友達に通知されますか。
回答:いいえ。これらの報告は匿名です。写真をFacebookに報告したくない場合は、報告リンクを使って友達にメッセージを送り、その写真を削除するよう依頼できます。この方法では、Facebookに報告は送られません。

質問:Facebookに報告した内容の状況を確認することはできますか。
回答:Facebook利用規約に違反する内容を報告した場合は、サポートダッシュボードから報告の状況を確認できます。あなたのサポートダッシュボードを見られるのはあなた自身のみです。
このページで、以下のことを実行できます。
▪ 報告をクリックして、弊社のポリシーの詳細を確認する
▪ 報告をキャンセルする
▪ 報告に対して何らかの措置が取られた日時、および措置の内容を確認する

したがって、報告された側は、報告されるままにサポートダッシュボードからの審査報告の連絡を待つことしかできず、それがなぜ報告されたか、誰によって報告されたか、サポートセンターの決定の過程にどのような話し合いがあったか、等の詳細を一切知ることはできないのである。知ることができるのは、あるユーザー(匿名)によって不適切なコンテンツとして「報告された」という事実と、その後のサポートセンターによる「決定事項」のみである。

この仕組みについて、今一度考えてみたい。先ほど書いたように、私の件では2度に渡り、まったくヌードではない写真が「ヌード」として不適切なコンテンツとしての報告がなされ、アップロードは一時的に審査対象となり、履歴においても不適切コンテンツのアップロード報告歴としてこの情報は保存され続けている。結果として、「ヌードではない」というサポートセンターの審査報告を受けて、「あなたの写真は削除されませんでした」と連絡されるのみである。

私はなぜ、誰の報告か、なぜヌードではない写真をヌードだと報告されたのかわからないまま、この審査状況と結果報告を甘受しなければならないのだろうか?

この一方通行性はソーシャルメディア、ひいてはインターネットやマスメディアの性質ですらある。わたしたち一人一人は、ユーザーの権利という名目で最大限に暴力や脅迫やイジメから守られている。困ったことがあったらサポートセンターに迷惑報告できる、ヘイトスピーチや差別発言は許されない、悪いユーザーの発言力や発進力は正義の名の元に阻止しましょう。すばらしい善意のシステムにも落とし穴がある。報告される側の、実は、差別を受けているような事態、イジメをうけているような事態、悪意で発言権を阻害されているような事態にはこのシステムでは十分に対応できないのではないかと思う。

実際、ネット上に散らばる画像には、それらが特定の文脈から切り離されたとき(あるいはそもそも文脈などなしに)直ちに、わいせつだとか暴力的だとか不快だと、ある個人が認識しうる画像がやまのようにある。それらに対し、いちいち、発信者の意図を予測することとか、自分の報告が発信者の権利に対してどのような影響を及ぼすかなどを、頭をかかえている時間も労力もわれわれにはないのだろう。そういった意味では、上述してきた一方的な匿名の報告により、報告される側が傷つくことも、報告する者が万が一恣意的(あるいは悪意)に報告を行うことも、あとからその事実に着いて十分に検討されることなどないのだ。

私たちの生きているソーシャルメディアの世界というのは、それほどに膨大で、途方もなく、時間もなく、配慮もなく、したがって、今まさに私がこの文章を通じて行なっているように、「立ち止まって考える必要がない」。

この世界はずっと向こうまで広がっており、色調を増しており、大きな音で私たちの鼓膜を絶えず震わせているけれど、そのこともまた、「立ち止まって考える必要がない」。

11/15/15

la vie continue

tant qu’on est en vie, la vie continue.

quand on ne voit plus rien quand on ne sent plus rien quand on pense à rien, l’être humain, en tant qu’animal affectueux, doit avoir une relation avec n’importe quoi, soit sociale soit physique; parler avec les autres, sortir de son coin, s’y mettre dans la nature, voir des plantes ou des animaux, marcher sans décider la destination, la vie continue.

la violence, la colère, l’angoisse, la stresse, la haine et d’autres sentiments négatives, ce sont des noms féminins bien que la conséquence de ces sentiments associent facilement une raison masculine. 

j’ai appelé à ma famille pour dire simplement que je suis en vie, je vais bien, il ne faut pas s’inquiéter car ce ne sont pas des lieux que je fréquente. de nombreux mensonges.

nous avons parlé des problèmes sociaux au Japon, notamment la pauvreté des jeunesses ainsi que la salaire souvent misérable des employées des maison de retraite.

le lendemain je suis partie pour en parler aux vaches qui ont toujours une bonne écoute…













11/12/15

À propos du paysage primitif

私が生まれ育ったのは、超住宅街で時々空き地くらいあるけれども割合都会らしき場所で、見渡すまでの果てしない向日葵畑が広がる景色とか、土のにおいのする野菜に触れることとか、真っすぐに続く田舎道を走行し続ける感覚とか、そんなものはまったく「原風景」ではないはずなのである。見たことのないものや大人になってから初めて見たものすらを「懐かしい」と感ずるとき、言うまでもなく、これまで読んだ全てのものや「観た」ものの影響を鑑みるが、それでもなおクリアーにならないこともあり、そんな時はあたかもある種普遍な原風景の存在をうたがうのであるが、真偽を知る以前に、もしも存在する原風景らしきものを思い浮かべることが素敵であり、人は不明瞭な記憶に基づいたとしても幸福を享受できることを知る。

10/4/15

Nuit Blanche 2015

Félicie d’Estienne d’Oves et Julie Rousse
EXO (installation)
@Espanade du millénaire Aubervilliers

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nuit blanche 2015 29
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Encore Heureux
Extinction (installation)
@Square Claude Bernard
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Sinato+ARCHIRR+Izumi Okayasu
Spectrum (Installation)
@Tunnel piétonnier de la Gare Rosa Park
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Keita Mori
Bug Report (Dessin)
Terrain d’éducation physique Archereau
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@Centquatre-Paris
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