02/25/13

梶村昌世 「物語は水の中へ」/ Masayo Kajimura, « folding stories into water »

梶村昌世さんは、 »二世 »としてベルリンに生まれ、ヴィデオアーティスト、パフォーマーとして国際的に活躍している現代アーティストである。彼女の両親がベルリンに移住し、梶村さんはドイツで生れ、そこで育ち、学んだ。展覧会やパフォーマンスなどの活動を除いて彼女が日本に住んで生活したのは、2005-2006年の岐阜県のIAMAS(Institute of Advanced Media Arts and Sceince/イアマス)で学んだ一年間である。彼女はこの一年間の日本での生活の間の制作を2006年にベルリンに帰国した後の5月にSolo Exhibition « One Year Japan » において、 »genjitsushinkiro »を含む3本の映画作品を発表している。(こちらでプログラムが確認いただけます。) そうした生い立ちから、日本はいつもその外側から見つめるべき存在であるという。しかし一方で、両親や家族を生み育て、彼らの文化や思想やそのほかのすべてを育んだ国としての日本は、自分自身もその内側に含める。梶村さんは、外部の者の視線で外側から日本を見つめると同時に、自分も内包されながら内側からも見つめることができる特殊なスタンドポイントをもってアーティストとして表現活動を行ってこられた。彼女のこの、自主選択に拠らない、産み落とされた瞬間付与されたとも言える運命的なアイデンティティへの問いは、彼女の表現のなかに様々な色彩を帯びて浮かび上がってくる。

 

2013年1月9日、ENSAD(Ecole Nationale Supérieure des Arts Décoratifs)とパリ第8大学(Université Paris 8) の合同カンファレンスのプログラム »Cycle du Japon »という一連の企画の中で、梶村昌世さんを招待し、ご自身の制作や作品について講演していただいた。このブログでも先日アナウンスさせていただいた。 »Cycle du Japon »という企画は、私が所属するUniversité Paris 8(パリ第8大学)の Nouveaux Médias et Arts Contemporains(ニューメディアと現代アート)の教授であるJean-Louis Boissierが担当する2012-13年度の公開カンファレンスで、日本のメディアアートの現在を扱う企画である。このプログラムは、2011年に構想が始まり、メディアアートを巡るフランスにおける日本へ高い関心と、同分野関係者に結びつきが強い日本で2011年3月11日に起きた惨事、それに対してアート領域からどのようなアプローチが可能であるかを考えたいという意志により実現に至った。(私自身この企画と運営には構想時から関わらせていただき、思うこともあり(そのことにかんして)、日本でご活躍される多くの研究者の方々、アーティストの方々にも情報を頂いたりお越し頂くことを検討していただく等、ご協力を頂いた。そのご協力のお陰で当企画の実現に至ったことを心より感謝したい。)

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さて、1月の講演において、梶村さんは、これまでの制作活動を私たちに紹介すると同時に、彼女のもっとも重要なテーマとしての「 水」を、3.11および続くカタストロフィーを引き起こした異型の水としての津波にも結びつけながらより大きなコンテクストのなかへその問題を開いた。勿論これまでも、フランスメディア上で社会的あるいは政治的コンテクストで議論や報道がなされることは多々あった。しかし、日本のナショナルボーダーから飛び出して、この問題の深い部分を捉えながらそれでもなお積極的にコミットする意志を有するアーティストの活動はこれまでたくさんあったわけではない。それ勇気のいることだし、だからこそ、意味のあることだと私は思う。彼女の講演はとても印象的で素晴らしい内容を含んでいた。

 

この記事では、彼女が2010年から取り組んでいるAqua Ephemeraという作品について主に紹介させていただくこととし、このカンファレンスの全貌は、Observatoire des Nouveaux Médiasのサイト(こちら)にある当日の録画ビデオにてご覧頂きたい。英語での講演であるが、梶村さんのご快諾のおかげで、ビデオインスタレーション作品などの貴重なドキュメンタリー映像などもご覧になることが出来るので、ぜひぜひご覧頂ければと思う。

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さて、Aqua Ephemeraは水面下の音とそのイメージを、紙で作られた傘型の立体スクリーンに投影する、音響と映像のビデオインスタレーション作品である。作品は約10分、作曲家である宮内康乃さんとのコラボレーションで実現した。展示室の中はプロジェクションの光と水が作り出す音響で満たされていて、鑑賞者は自由に出入りでき、つまり作品を部分的に鑑賞することもでき、さらには傘のフォルムをしたスクリーンの回りを歩いて映し出された映像を好きなアングルから見ることができる。鑑賞する人に与えられた何にも縛られない動きは、あたかも作品を受け取る人々自身が、留まらず常に流れ続けている水とそれが含む命のありかたを再現しているかのようである。

 

2010年、ポルトガルのNodar Artist Residencyでの滞在中この作品は生まれた。アーティストレジデンスの近くを流れるPaiva川(Paiva River)の水の姿。川の水は澄んで極めて美しく、その水が育む生命の姿もまた視覚的にも聴覚的にも美的なものである。湖底に根を張る水草の姿や健康そうな小魚の群れ。あまりに透明な流れは、湖底から空を見上げたならば鳥たちが羽ばたいてゆくのをかくもありのままに映し出し、あるいは木々の高い位置で枝や葉が風に揺られているのが、流れ自身のゆらぎに強調される様を描き出す。連続しながらも変化する多様な水面下の音は、世界はとても音楽的に創造されていたということを改めて私たちに聞かせるかのようである。この作品は、Paiva川のみならず、氷が溶けたり、水滴が池に滴る音や映像、あるいは我々の身体が発する様々な音もまたそこに含んでいる。強かで透き通り、歌いながらきらめく水。我々はこれに魅了される。

 

しかし、次の瞬間、彼女が語るAqua Ephemeraをめぐる想い出に衝撃を受けずにはいられない。ポルトガル滞在中、この作品の公開が始まろうするちょうどその頃、奇しくも水の「美」に焦点を当てた作品を完成させて発表に至ったそのとき、日本での水を巡る甚大な被害が報告された。大地震、それに続く福島の原子炉での一連の事故を引き起した水の「暴力性」、すべてを押し流した津波。彼女のなかで、水は言うまでもなく様々な姿をもっていて、暴力的でも危険でもあり得ること、そして自然も生命も水の上に成り立っていること、そういったことは理性的にあるいは前提として当たり前でありながらも、この事件には深く心を動かされたと彼女は伝えた。

 

数千キロメートル離れた場所で、ある国の水が全てを押し流し、人間の生活に甚大な被害を与え、人間やその他の動物のたくさんの命を押し流した一方で、また別の場所では、川は昨日と一昨日と同じように流れ、魚たちは戯れて、子どもたちはその浅瀬で水面がキラキラするのを喜ぶ。これは世界の日常である。

 

ふと、水が奏でる音とは不思議なものだと思い直す。水の音は、自らが水に包まれている時にはなかなか水の音を冷静に聴けない。というのも、個人的な経験に基づくが、自分が水の中に潜っている時というのは鼓膜にやってくる圧力のせいか、自分の身体のなかの音を聞いているような錯覚に陥るのである。あるいはその状況こそが水の音を聴く行為であるのか私には解らないのだが、耳のなかの音や、もっと深いところの、心臓の鼓動とか血液が巡る音などが自分の鼓膜に帰ってきて、それを自分の聴神経で受け止めているのではないか、と感じるのだ。だから、私自身は、水の音を自分が水の中で耳にしたことがあまりないように感じてならないのだが、Aqua Ephemeraを聴くと、異なる状況の水の音は自分を圧迫することも怖がらせることもなく、とても心地よく広がっていく感じがする。したがって、Aqua Ephemeraで奏でる水の音とイメージは、そんな兼ねてからの疑問「水の中で聴いたあの音は、自分の身体の中から来るのか、それとも本当に身体の外側にある水の音なのか」という問いは、どちらともつかなくてもよく、むしろどちらでもないということを教えてくれ、私を安心させてくれた。そもそも、水は流れてとどまらず、どこにでもありどこにでもゆく。私たちの身体も七割くらいが水で満たされており、それは、私たちの記憶をそのなかに含めて、流れていく。彼女によれば、それが水の本質である。彼女は自分のもっとも大切なテーマである「水」をそのように明瞭に語るときの彼女の視線はとても素敵だ。

 

ひとたび流れる水に乱れが訪れた後、静寂が戻ってくる。そしてそれは少しずつとても優しく浮かび上がってくる。おそらくポルトガル語で歌い上げられる教会の賛美歌とオルガンの伴奏の響き。この場面の転換は秀逸だ。さらに秀逸なのは、ずっと遠くから聞こえてきた音楽が、また少しずつ先ほどの水面下の音と混ざあうのだが、それは異なるものが混ざっているのではなくて、それはもともと一つであったのではないかと思えるほど自然なのである。私は西洋の宗教音楽ととりわけオルガンという楽器に特別な思い入れがあり、教会で奏でられる宗教音楽には信仰や教義をそっちのけにしてもなお絶対的な赦しの存在を彷彿とさせる何かが潜んでいると感じている。つまり無条件に神様に救われるようなアガペーの象徴みたいなモノなのであり、オルガンという楽器は不完全な人間が神様の絶対性と威厳を無理に真似ようとした努力の結晶みたいないびつな名楽器なのである。子どもたちの歌声とオルガンのハーモニーは、水の音をその中に含めることでより完全なポリフォニーとなり、そうしているうちに、その解釈は実は間違いで、つまり、賛美歌に水の音が混ざったのではなく、それらが水の中から生まれてそこに戻ったということを描き出すようにこの作品は作られている。傘型のスクリーンは流れを移し続け、子どもたちの響きはその中に少しずつ吸収されていく。決して怖がらせることのないように、あたたかく包み込むよう。真っ白な傘がその中にすべてを吸収してしまったところで静寂にもどって、この作品は幕を下ろす。最後にかすかに耳にのこるのは水の呼吸であり、水の呼吸とはすなわち生命の全ての呼吸を意味する。

 

この作品は上述したように、Paiva川の水面下の音や映像をベースに制作されているが、断片的に多くのイメージや音楽がその中に溶けている。 »folding stories into the water », 彼女が本カンファレンスにつけてくれたタイトルである。
水はきっと、いつかは亡びてしまう私たちのかわりに私たちの記憶を持ち去るのだ。そんなふうに思った。

 

クリアーな作品コンセプト、会ってすぐにそれが解った。私が強い印象を受けた別の作品に、Envelopeという彼女の初期ビデオ作品(2002)がある。「ときどき、私たちが記憶と呼ぶものと想像と呼ぶものははっきりと区別できない。」«But sometimes what we call ‘memory’ and what we call ‘imagination’ are not so easely distinguished.»
このビデオ作品はカナダのLil’watという原住民族のドキュメンタリーを含んでおり、彼らが伝統的にどのように鮭を大切に食し、彼らとの共存の中で生きてきたか、彼らの記憶を伝える口頭伝承(storytelling)を記録した作品。鮭の血抜きや幾つかのシーンがあまりにも鮮やかに美しくたちまち魅了される。この作品は、彼女の生い立ちにも触れる問題意識を含んでいる。つまり、より強い支配者によってマイノリティーとなった原住民族たちは彼ら祖先の教えを口頭伝承で伝えることによって命の記憶としての物語を守り続けていくのだが、「移民」としてドイツに生きることは、ディアスポラの経験を体現し、他者性を生きることでもある。彼女はそのことを、多重的に異なる空間、時間のイメージを重ね合わせ、それらをしかしながらリアリティとして関連させることによって自らのアイデンティティに向き合っている。

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最近では、2012年から、ダンサーで演出家である 伊達麻衣子さんとのコラボレーション作品で、Between Islandsを制作、発表されている。上述のサイトodnmでその一部をご覧頂ける。さらに、梶村さんは3月日本に滞在予定で、パフォーマンスをされるとのことである。

詳しくは、サラヴァ東京のサイトでご確認いただきたい。
(パフォーマンス日程詳細)
2013年3月20日 15時および19時開演

参考
Masayo Kajimura : http://artnews.org/artist.php?i=4227
Paivascapes #1 : http://www.paivascapes.org/en/participantes/artistas-residentes/yasuno-miyauchi-masayo-kajimura
Observatoire des Nouveaux Médias : http://www.arpla.fr/odnm/?page_id=13040

02/24/13

2011年3月11日と2013年2月の間のこと —remerciement pour les concerts

2011年3月11日から、もう少しで2年経とうとしている。あの日、私はいつも通り仕事に行っていて、夜遅く帰ってきて立て続けにフランス人の友人からの連絡を受けたことや、大家さんにニュースを見るように言われて初めて自分をメディアに接続した。日本の人々は地震の対応を知ってるからだいじょうぶだと、そう答えた。落ち着くようにと。フランスのニュースを見ると、しばしば海外のメディアがそうであるように、誇張した報道があったり、関連するがそのものではない画像を使ってリアル画像がやってくるまでの隙間を埋めているのではないかと思うような、およそ日本の景色からはかけ離れた画像が映し出されていた。いま、その時目にしたものをはっきりと思い出せない。泥色の水の塊が街をうごめく景色が広域にひたすら広がっている映像だったようにも思うが、そうではなかったのかもしれない。私がその地震(とそれが招いた津波)が大事であったことを信じるに至ったのは、インターネットに繋ぎ、日本のメディアが日本語で確かにそのことを伝えており、同じ情報がどのニュースにも一様に報じられていることを確認したその時である。それからSNS上での人々のやりとりが目に入り、9000キロメートル離れた日本のことをやっと確かに感じたのだった。遠くにいるのとはそういうことで、普段いくら、本能とか直観とか、感覚的なことを言ったところで、所詮そんなものは常に100%働くわけでもなくて、いまにここでフワフワと生活して一刻の重さなど微塵も感じていないその隙にも、たくさんの人が死んだり、大切な人がいなくなったり、私たちがそんなにも大切なことを感じることが出来ないのは、泣きじゃくっても恨んでもどうしようもないことなのだ。

 

その日を含め、その後日本で過ごさなかった数ヶ月間(あるいは今日まで)、祖国や連帯といった問題について毎日のように考えていた。心配をして声をかけてくる日本人ではない人、報道される「日本人性」について質問してくる日本人ではない人、汚染について意見を求めてくる日本人ではない人。日本人ではない人が発する所謂「日本人的」でない発想に基づく幾つかのセリフは、深く私を驚かせ、傷つけ、その結果、私はそれまで感じたことのない孤独感に苛まれた。なぜか。それは、私にとって、日本人ではない人が発する幾つかの発言が驚き以外のなにものでもなく、私は彼らではない、と率直に感じたのが一つの理由であり、もうひとつには、そうかといって、あの日とあの日の後に流れた時間を、時差が7、8時間あり、日々完全にズレたまま生活をする私には、肌で感じるような感覚としての大事なことがなにひとつ、わからないのではないかと、取り返しのつかないことをしたような気分につきまとわれたからだ。自分がどこにもいないのではないかと思った。今だけではなく、この先も。その一方で、メディアを通じて報道される日本政府の被災者への対応の問題点や国内メディアがその真偽を疑われるような報道を行ったという事実、さらには非常時に高まった連帯への声と愛国心を歌った数々の美しい声明とその裏返しとして様々な事情から日本を去った人たちに対して暴力的な非難の言葉が飛び交ったこと、解決困難な問題を外側から指摘する海外メディアや外国人に向かって容赦ない排他的言論が交わされたこと。これらのこともまた、私を孤独にした。

 

多くの人が災害で死ぬということが、人間の歴史のなかで初めて起こったことではなかったように、それはまた別の形で明日私が生きるこの場所に姿を現すかもしれない。ただし、常に明らかであったことは、今生きている人たちは、生きており、その生の一つ一つは非常に微少で、世界のあり方を何一つ変化させないものであるけれども、身体というフィジカルな入れ物を持った私たちはそれを様々に利用して、自分の外側に出て行くことが出来る。入れ物は閉じているのに、外側に繋がることができるのである。他の人のために何かをしようとすること、それは本質的に、自分が何かすることと繋がっている。

 

これまでフランスで行った2回のチャリティーコンサートは、そのような少しカオティックな自分への問いかけを続けながら、もしかしたらこのような問いかけを一部分的にも共有する人たちを結びつけて、繋がろうとする意志の実現でもあったように今は思う。その意志を数的に換算できる形にすることは、意志みたいな形のないものが9000キロ離れた場所に届くための手段の一つでもある。もっと意味の深い結果を得るために大きなことをすることは可能だと思うし、そのようにしている人もいる。むしろそうでないと意味がないと考える方もいらっしゃるだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。ただし、私はこの2回の演奏会において、共に実現した友人たちに何度も救われ、および参加してくださった方々に深く感謝しているし、演奏を聴きに駆けつけてくださったフランスに住む様々な国から来た人々にも心を寄せており、実現において広報やあらゆる物理的協力に尽力してくれた国際ロータリー財団のムードンクラブの会員の数名の努力は無償であったと感じている。

 

昨年12月15日に2度目の演奏会が開催されてから、参加してくださった音楽家の方々の演奏、協力してくださった方々の無償の支援に救われながら、なかなかきちんとお礼を申し上げることが出来なかったので、大変遅くなってしまったのですがここに少しだけ長く感謝の意を綴らせていただきます。これからも、どうか素敵な音楽を届けてくださることを心から祈ってやまない。

 

2013年2月24日 大久保美紀

(一度目の2011年4月29日のコンサートはこちらに記事として掲載されています。宣伝にご協力くださいましたブロガーの皆様、SNSユーザーの皆様にも感謝いたします。)

02/21/13

ICOMAG 2013「批評」のテーマから考えたこと/reflexion on the aim of ICOMAG 2013

先日、文化庁主催のメディア芸術コンヴェンションが東京六本木で開催された。私は遠方におり、非常に関心があったにもかかわらず参加することが出来なかった。しかし、海外でメディア芸術に携わるアーティストや研究者からもこの会議のコンセプトについてのコメントをもらうという座長吉岡洋さんの提案のおかげで、第3回メディア芸術コンヴェンションのテーマ(icomag site)について、すなわちハイブリッドカルチャーにおける批評の可能性について、パリ第8大学のジャンルイボワシエさんおよび彼のセミナーに所属する数名の研究者と意見を交換することが出来た。日本で行われたリアル会議とは別の文脈であるが、日本のポピュラーカルチャーについての考察(あるいは、一般的に文化の越境という現象を考えること)にかんして、あくまで私自身が日頃抱いている問題をまとめながら、この議論のことをこのブログに記録したい思う。

今日よく知られているようにフランスは、世界的で日本に次ぐマンガの消費国である。パリでは毎年(昨年は20万人を動員)ジャパンエクスポや、大規模なコミケ、パリ•マンガサロンなどが盛況を収め、日本のマンガは、彼らのオリジナルカルチャーであるバンド•デシネ(Bandes desinées)を経済効果の点で遥かに上回って(しまって)いる。日本のアニメやゲームの人気も高い。その勢いは日本食、日本語教育、伝統文化も一緒くたに波及し、ジャポンは、所謂「クールジャパン」でプロモーションされてきたセクターのみならず全体的にクールである。こういったファンタジー的憧れは、ワンダーランドとしての遠き島国を思い描く想像力がいかにも簡単に紡ぎだしそうな物語のひとつである。そしてこのシステムは、日本に対してのみ向けられる特異な視点を裏付けるものでは全くないのであり、むしろ、日本のガールズが花の都パリ(死語?)に憧憬の念を抱く際の一生懸命さ(およびそれを支える日本のコマースとツーリズムの努力)のほうがよほど素晴らしいし、この程度のファンタジーは世界中に溢れている。ただ、日本を巡る物語についてやや驚くべきことがあるとすれば、そのファンタジーが今日においてもまだ機能するという日本のしつこいワンダーランド性である。

座長吉岡洋さんが昨年の3月にブログに掲載した「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか?」を先日フランス語に翻訳し、ウェブに掲載した。( text in French on salon de mimi, on blog by Hiroshi Yoshioka, original text in Japanese is here.) その記事の末尾は「「メディア芸術」をめぐる過去2回の国際会議の企画とはわたしにとっては、日本におけるポスト植民地主義を目指す文化的闘争であったのだ。」と結ばれている。このテクストは、1980年代に成熟し90年代には既に海外で積極的に受容されたマンガやアニメを、生みの親である日本がなぜ、2000年代後半になるまで自らのナショナルな文化と認め、外交戦略化しなかったのかをクリアーに説明する。(なるほど、そういえば精華大学におけるマンガ学部設置は2006年、京都マンガミュージアムの会館も2006年、外務省のポップカルチャー発信士/通称カワイイ大使任命は2009年である。)このテクストは、さらに、なぜ海外で日本人としてポップカルチャーを発信する際になんとなく後ろめたさが伴うのだろうという私個人の内省的体験にも、ひとつの解釈を提示してくれた。(このことは自分のブログでゴシックロリータの装いで文化レクチャーをすることを綴った記事や、高嶺さんの展覧会を論じた記事でも書いた。) 私はこのテクストを次の二つの点で重要と見なし、日本語以外の言語に訳される意義を見いだしている。一つ目は、日本人が日本のポップカルチャーをに対して抱いている「恥ずかしさ」(「恥ずかしい」というのはつまり、何らかの後ろめたさやそれを認めたくないとする気持ち)の存在を率直に肯定したこと。二つ目は戦後日本の植民地主義/意識を巡る問題について、日本社会がこの問題を隠蔽し直接対峙することなく現代まで先延ばしにしてきたという筆者の考えを通じて正面から文章化したことである。もちろんこの二つの点は互いに強く関係し合っていて切り離すことは出来ない。

まずは、「恥ずかしさ」を切り開らくことから始めよう。

当たり前のことだが、我々日本人がクールジャパンを恥ずかしく思っているなどということは、特定の社会的コンテクストを共有しない外国人には知られておらず、この内実は理屈で理解されることは可能であれ、いささか複雑化され過ぎており、日本人自身が言語化しきれずにいるという事実がある。ともあれ、そんなことは彼らの日本現代文化への熱意を邪魔もしなければその魅力を傷つけもせず、つまりは比較的どうでもいいことですらある。つまり、日本の外(あるいは内)でサブカルで括られる表現活動を受容吸収する多くの若者(あるいは若くない人々)にとって、異種混交的文化(hybride culture)とは、ある程度国際的で一般的な状況に収集できる事態である。誤解を恐れず言うなら、大きな流れとして今日の世界は、日本でもヨーロッパでも共通の枠組みに置かれていると見なしうる。文化の商業化•脱政治化傾向もまた、国際的なコンテクストで語られ得る。

それはそれでよいのだと私は考えている。日本固有の社会•歴史的背景に基づき、日本的ハイブリッドの特殊性を分析し、それを語ることは繊細で丁寧な仕事であり、必要不可欠なプロセスである。一方、日本でしばしば議論されてきた「メディア芸術/Media Geijutsuとは何か?」に代表される問いはとても厄介である。なぜなら、「メディア芸術」という言葉をMedia ArtではなくMedia Geijutsuと英訳すること自体がややもすれば対話を拒絶する姿勢の表明であると解釈されかねないからだ。このことはもっと丁寧に説明されるべきであり、ひょっとしたら語弊があるかもしれないが、私は「メディア芸術とはなにか」とか「メディア芸術のどの点をもって芸術なのか」という命題の答えを定めることに重要性を感じていない。むしろ、芸術という日本語の言葉が予め持っている特性に関わりすぎることに拠って、もっと大きなものが見えなくなる恐れがある。こういうのこそ実は、潜在的にotaku-likeな言説の一つになりかねない議論であり、言語ゲームに終始するならばただのdis-communicationに陥ってしまう。

オタクは「彼らが属するコミュニティー内では社会的態度でふるまうが、その社会性はコミュニティー内部に限られる」という側面がその意味の核を作っており、オタク的○○あるいはotaku-likeな○○という表現に応用されることによって、マンガ•アニメのフィールドに関わらず、広く使用できる。たとえば、メディアートを語るための専門的でテクニカルな言葉、科学の研究者が使う一般人の理解を全く期待しない専門用語、あるいは、(言語の壁までもその対象になるとすれば)、日本人にしか理解しがたい議論、それをあたかも翻訳不能であるかのように努力もせずに語る態度はすべてotaku-likeである。じつは、日本のマンガやアニメ、ゲームの領域が自己再生産的に成長できる自給自足のシステムをもっていることが、この領域の批評の難しさの本質をついている。フィールドのオタク的なあり方それ自身が、自らが理解される可能性を自己閉鎖していると言えよう。専門化したフィールドに対話の可能性を見いだしていくのが批評だとすれば、そのプロセスは、そのフィールドの内側にある言葉を大切にし、その言葉を通じる言葉(もっと意味のある言葉)に言い直すことから始まるに違いない。

現代のハイブリッドカルチャーにおける批評可能性は、したがって、通じる言葉で語る人々とそれに心静かに対応するotオタクの人々のやりとりを活性化することにある。私はotaku-likeな言説それ自体を否定しない。なぜなら、otaku-likeな語りこそ、各々の表現活動の現場にもっとも違い場所で生まれて語られる言葉だからだ。それらはただ、開かれて相互理解可能になればいい。

また、マンガやアニメ、ゲームが堂々と日本文化の仲間入りするのを長年妨げた日本的思想に「文化や芸術を経済•産業に結びつけるなんて、なんだかはしたない!」という暗黙の了解がたしかにある。(「クールジャパンはなぜ恥ずかしいのか」で指摘された通りである。)マンガやアニメ、ゲームの強力な経済活動との結びつきに批判的な目を向ける考え方だ。この妙にエレガントで日本的な思想は話し合いの参加者を驚かせることとなり、いわゆるハイアートであっても本質的に経済活動のコンテクストから逃れられないのだから、その点をもってハイとローの文化•芸術を分けることは出来ないという結論に至らせた。このハイとローの価値観、カルチャーとサブカルチャーといった対比そのものが今日やや時代遅れの議論ではないかという率直な感想も上がった。

ポピュラーカルチャー(大衆文化)の意味するところは、4つある。大衆にさし向けられる文化、大衆が消費する文化、既存のものを覆すために大衆が生みだすアヴァンギャルド的な文化、そして、消費者の大衆が生産者も兼ねるような過渡段階に位置する文化。ポピュラーカルチャーと言う時、一般には大衆が消費する文化をさす場合が多いのだが、上述の4つの意味を考えるならば、なるほど、現在いわゆるハイカルチャーと考えられているフィールドだって一定時間よりも以前、オリジナルのものが大衆により「日本化」したこともあるし、既存のものを破壊する芸術運動から作り出されたものだって含まれる。そう思ってみれば、この区別も線を引くことに目くじらを立てずともよろしい。たしかに我々は、誰から教わったのか今となっては思い出せない超謙虚な姿勢を美徳として共有している。日本のハイカルチャーにはオリジナリティがなくていつも西洋の真似をしてきた、マンガとアニメくらいしかソフトパワーになってない、という考えがその典型だ。この考え方はいささかペシミスティックすぎる。

さて、otaku-likeなパロールの(悪)循環は、各々のフィールドのみならず、「日本語」という言葉すらその仕組みのなかにそのまま含むことができてしまう。どういうことか。特定の社会や文化についての共通知識を前提として要求するような話(存在する殆どの議論はもちろん何らかのコンテクストをもっているが)では、デリケートな内容はなかなか翻訳されにくいので、そこには高い言葉の壁があるように見える。あるストーリーが言語間を越境する困難はあっていい。それがうまく伝わらないのも、理解が難しいと受け止められるのも、いい。ただ、それを自己を防御し他者を攻撃する手段として利用するようなくだらないスタンスがあるとすれば、それは直ちに放棄するべきだと思う。非日本語話者に解らないからとインターネット上で日本語で誹謗中傷すること。水戸芸術館における高嶺さんの展覧会「高嶺格のクールジャパン」の「自由な発言の部屋」という大事な章は、日本社会のそういった問題にも焦点を当てる。ネットの言論は本来すべからく誰の目にも触れ、誰にも理解される可能性を孕む。今日明日ではなく、いつまでも。なぜなら、それはひとたび書かれたものだからで、ネットに接続された世界で生き、そして書き、そこで何かを語るクリティークという行為は、すべてそういう性質を請け負う。展覧会「天才でごめんなさい」の会田誠さんが、膨大なツイートを無許可転載し作品に利用したことがたいそう騒がれたようだが、そんなことに目くじらを立てることほどナンセンスなことはなく、現代における発言とはもはやそのようなものだと諦め認めて、むしろそれを慈しむ「おしゃべり/talkative」な語り手になることが、異種混交文化の中で「生きた」批評をすることに繋がるのではないかと今のところ信じている。

 

02/12/13

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ? / « クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか(traduction en français du texte de Hiroshi Yoshioka)

このテクストは、「文化庁世界メディア芸術コンベンション」の座長をされている吉岡洋さんのブログに2012年3月6日に書かれた、「 »クールジャパン »はなぜ恥ずかしいのか」をフランス語訳したものです。第一回「メディア芸術の地域性と普遍性」、第二回のコンベンション「想像力の共有地(コモンズ)」について包括しながら、クールジャパン概念がどうして我々を不安にさせるのかを解釈したテクストです。きたる2013年2月16•17日は、そのコンベンションの第3回「異種混交的文化における批評の可能性」というテーマで開催されます。批評がテーマだそうです。

ネットに書いている以上、テキストは原理的にリンクやコピー・ペーストに開かれているのであり、やりたければ勝手にやればよろしい。(略)してほしいのはただ、著者名と出典(このブログのURL)をクレジットすること、明白な誤字脱字や誤変換の訂正以外は内容を改変しないこと、これは契約とかルールとかいう以前の、当たり前のことです。ぼくのテキストに関心を持つレベルの人は、当然そんなことはご承知だと信頼しています。

同ブログに先日掲載された記事で、上記のように書かれておられたので、繊細な内容を持つテクストですが、外国語話者にもぜひ読んでほしいと思って今回フランス語訳しました。フランス語読者でご興味を持たれる方には教えてあげていただければ幸いです。

 

Pourquoi avoir honte du « Cool Japan » ?

(sources: blog, hirunenotanuki , auteur: Hiroshi YOSHIOKA, traduit par Miki OKUBO)

 

La deuxième convention internationale du manga, de l’animation et du media art, «Commons, partage de l’imagination » s’est terminée. Cette fois-ci, grâce à l’appui de Jaqueline Berndt, professeur de l’Université Seika, nous avons invité des chercheurs internationaux sur le manga, d’Europe, de Corée, d’Indonésie. Les diverses discussions ont été très riches dans la durée limitée de la convention.
Comme je l’avais déjà décrit au début de l’article précédent de ce blog, intitulé « Que signifie le partage de l’imagination ? », en effet, le thème de la première convention de l’ICOMAG a été « le caractère local et universel des médias geijutsu » avec le sous-titre « au-delà du Cool Japan ». Voici ce j’ai déclaré en ouverture de l’abstract de cette deuxième édition :

 

Manga et Animation sont généralement considérés comme le secteur principal du « Cool Japan ». Cependant, en considérant certaines phrases employées pour présenter l’originalité et la subtilité de la culture japonaise à caractère industriel, je ne pense pas qu’elles sont COOL.

 

Il n’est pas difficile d’imaginer que certains soupçonnent les organisateurs de cet événement, en dépit de leur préoccupation officiellement nationale, de détester paradoxalement le Cool Japan. (Car ces conventions sont organisées au nom du ministère de la culture.)

 

A mon avis, il y a pas mal de gens qui partagent une sorte de sentiment honteux pour le Cool Japan (pour le terme et pour le phénomène général) sans savoir pourquoi. A vrai dire, c’est moi qui ai présidé ces deux conventions internationales en les orientant audacieusement sur un message d’anti-Cool Japan. Il est donc logique d’ expliquer précisément moi-même, pas vaguement mais rigoureusement, pourquoi l’on a honte de cette notion de Cool Japan. C’est ce que j’essaie de développer ici.

 

Tout d’abord comme première raison vraisemblable, on se sent honteux du Cool Japan parce que cette expression a une odeur un peu trop commerciale. Autrement dit, elle est associée fortement à l’économisme et au mercantilisme, et elle est effectivement orientée par ces domaines. Á la base, il y a une sorte de foi traditionnelle qui rappelle aux gens ce sentiment d’infériorité (en même temps, je trouve cette « foi » elle aussi honteuse). Il ne faut jamais interpréter la CULTURE du manga et de l’animation du point de vue de l’économie. Dans le passé, ce credo a été souvent partagé par les intellectuels de gauche modérés. Certes, cette affirmation qui sépare la culture de l’économie n’est peut-être pas erronée. Cependant, il est irréfutablement évident que cette position n’est plus viable dans les conditions actuelles de la démocratie et de la globalisation. Puisque la réalité est que la culture a entièrement perdu son autonomie, ce serait une véritable duplicité que de trop insister sur l’existence abstraite d’une autonomie de la culture.

 

Dans une réunion que nous avons eue il y a quelques jours, M. Eji Oguma a remarqué cette vérité historique que la base sociale ayant permis au manga et à l’animation de franchir les frontières a disparu il y a très longtemps, et que cette infrastructure n’existe plus aujourd’hui. En effet, la puissante prospérité du manga et de l’animation résulte de conditions particulières de la société japonaise dans les années 1960 et 1970. Le Cool Japan est un simple héritage du passé. Non seulement le manga et l’animation, mais à vrai dire, la notion de « croissance économique » sont nées dans le même vieux contexte tout comme le Prix Nobel qui honorait les chercheurs japonais grâce à leurs positions libérales, il y a une trentaine d’années. Je vous assure qu’aujourd’hui il n’existe plus cette infrastructure qui nous a mené à toutes ces belles histoires de réussite, et il n’est plus d’optimisme pour croire qu’elle marche toute seule.

 

C’est aussi la raison pour laquelle, aujourd’hui, je ne considère absolument pas efficace d’encourager le peuple japonais en disant : « nous, les Japonais, avons beaucoup de qualités formidables, tout ira très bien, ne nous inquiétons pas ! » Promouvoir ce Cool Japan faisant partie du spiritualisme stérile qui est l’équivalent de l’esprit d’Yamato (Yamato Damashi : esprit national) symbolisant la période du totalitarisme et du militarisme n’est pas viable, puisque l’ensemble des conditions sociales n’existent plus.  Après toutes ces réflexions, on pourrait dire que le Cool Japan semble stupide aujourd’hui. Toutefois, en observant cette critique plus précisément, cela avoue simplement que le Cool Japan est démodé, mais n’accuse pas sa notion même.

 

À l’opposé de ce type de critique, je crois, personnellement que c’est l’idée même de Cool Japan qui contient quelque chose de très mauvais. Alors, qu’est-ce-que cela peut être ?

 

Chez Oguma que je viens de citer, il est relevé que les commentaires caractéristiques et assez fréquents des critiques occidentaux disant que la culture populaire du Japon est très intéressante alors que la haute culture japonaise serait sans originalité. Ainsi, la culture « populaire » du Japon, celle de l’Ukiyo-e (l’estampe de l’époque Edo), du manga et de l’animation contemporains est réellement impressionnante alors que la « haute » culture japonaise ne serait qu’une imitation de celle de la Chine antérieurement ou de celle de l’Occident depuis l’époque moderne. Il est vrai que, moi aussi, j’ai entendu plus d’une fois cette série de commentaires sur la culture japonaise non seulement de la part des Occidentaux mais aussi par les Japonais qui partagent leur opinion. Chaque fois, j’ai eu une forte répugnance pour ces compliments.

 

Pourquoi ? C’est parce que cette sorte de discours équivaut exactement au pire snobisme qui suppose que la culture « supérieure » apprécie une culture « exotique ». Imaginons des indigènes qui tentent désespérément d’assimiler à la culture occidentale, et face à eux, des Blancs qui chanteraient : « Ce que vous nous copiez est nul ! Le shamanisme et l’animisme de votre propre culture traditionnelle sont beaucoup plus extraordinaires ! C’est, en fait, votre culture qui arrivera à réveiller notre cœur perdu dans l’histoire. » Le Cool Japan est exactement sur le même principe. Pourquoi cette intelligentsia des Blancs serait-elle assez généreuse  pour tolérer cette étrange tradition ? Puisque ce fait se situe bien après l’élimination de la tradition de ces indigènes, qu’ils ne pourraient plus récupérer leur propre culture. La race supérieure n’a peur de rien car ces indigènes sont mentalement neutralisés et castrés en tant que peuple calme et obéissant aux Blancs.

 

Je n’ai aucunement l’intention ici d’agiter une antipathie contre l’Occident ni contre les Blancs. Toutefois, cette histoire a eu lieu dans le monde entier y compris au Japon  dans un contexte colonialiste (sans doute sous un processus moins douloureux que les autres). Nous ne pourrons jamais modifier le passé. Ce que je voudrais mettre en lumière en revenant sur le passé est le mécanisme préexistant et la mentalité colonialiste larvée qui soutiennent généreusement une culture exotique inférieure des subordonnés. Je vous signale cette vraie signification d’un point de vue tel que celui-ci : « La haute culture japonaise n’est qu’une copie, mais toute ses subcultures sont vraiment créatives ! ».

 

En effet, les dominants ont ce discours qui exprime une tentative de rédemption de la culpabilité liée au fait que ce sont eux qui ont détruit une autre culture. En revanche, quand les subordonnés le répètent, cela signifie autre chose, c’est le rêve qui répond à la motivation d’assimiler ce sentiment coupable pour fusionner avec les dominants. L’idée de base du « Cool Japan » doit être traduite comme « colonialisme incarné et assimilé ». C’est le vrai noyau du « Cool Japan » que j’appelais « quelque chose de très mauvais » et aussi le contenu authentique d’un sentiment insupportablement honteux enveloppant ce terme. J’exagère peut-être un peu, cependant, je considère ces deux conventions internationales qui s’engagent dans la problématique du « Média Art » (Media Geijutsu) comme des batailles culturelles sérieuses afin de parvenir à l’époque du post-colonialisme au Japon.

 

Remerciement:
mes sincères remerciements pour la correction du français
à Jean-Louis Boissier et à Liliane Terrier

02/10/13

会田誠 « 天才でごめんなさい » / Makoto Aida « Monument for Nothing » @Mam

会田誠:天才でごめんなさい/ Makoto Aida « Monument for Nothing »
@森美術館/Mori Art Museum

November 17 (Sat), 2012 – March 31 (Sun), 2013
museum’s site here

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「天才でごめんなさい」とはなにごとか。この人は、いったい誰に対して、何を謝っているのか?アーティストが天才で何が悪い。天才でないほうがあやまって欲しいくらいではないか?

とは言ってみたものの、本当はこの謝罪、もっと丁寧に説明されなければならないのだろう。「会田誠は天才である」。このことは半分くらいは本当で残りの半分は噓である。会田誠という表現者は、天才的な直観を持ち、その有無を言わさず天から勝手にやってきたインスピレーションを、どうすれば最大限のインパクトを以て社会に提示できるのかということを本能的に知っているという点で、やはり才能に恵まれた人である。ただし、この人が抱えている(かもしれない)迷いや悩み、葛藤みたいなものがあまりにも人間臭くて俗世の我々にも響いてくるので、この人もまた普通の人であるような気もしてくる。

そうはいっても、この展覧会タイトルを聞くと、1)なるほど、会田誠は天才なのか。それならひとつ見てみましょう、あらほんと凄いわね、とジーニアス•テーズを丸呑みする、あるいは、2)ウンコやらセックスのどこか天才じゃ、なんでこんなもんが芸術かと憤慨する、はたまた、3)神妙な顔で難しい言葉を使いながらウンコでもやはり素晴らしいアートなのだと頑張る。ざっとこのようにして、会田誠の表現しているものの周縁で煙に巻かれてしまう。それこそがナンセンスなことである。ナンセンスでもいいのだが、「面白」もしくは「気持ち悪」という率直な印象に耐えて、もう少しだけその絵(など)を凝視してみる必要がきっとあろう。

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私は日頃、相当しつこくフェミニストっぽい立場を表明しているので、キングギドラとか犬シリーズなどは、「女性や少女にそんな目を向けて、だから会田誠という美術家サイテーじゃないの」とどうせ非難するんだろうと思われるかもしれない。だが実際にはそうでもなくて、キングギドラの絵はあまりに素晴らしくてあまり長い時間見ると泣き崩れそうになってしまうし、犬シリーズに至っては、「こんなもん見たない」とおっしゃる殿方にこそ「よくよく見ました」とおっしゃるまで凝視してほしいと願い願って止まない次第なのである。ミキサーの中にぎっしり詰められた少女たちが少しずつ鮮やかな赤色を帯びていく「ジューサーミキサー」などは見ていて気持ちが良くなり、ついうっとりしてしまうほどである。

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キングギドラに犯され突き破られる大きな絵も、四肢が切られて首輪で結ばれた犬シリーズも、ギュウギュウ押された少女のお腹からつややかなイクラがポロポロひりだされる「食用人造少女・美味ちゃん」なども、直球である。あまりに正直にそれが包括する問題を提示するが故に、目も当てられない鑑賞者がいることは確かだ。ただし、描かれたものに虚偽は無い。ここにあるのが少女や女性やセックスそのものをとりまく日本社会の一つの局面あるいは一つの実在する視線を浮き彫りにしたものである。会田誠がたまたまここに形を与えたヘンタイとか飼育とか暴力に関わるようなものは、フェティッシュな趣味を持つ限られた個体だけに冷ややかな視線が注がれればいいという問題ではなく、大げさだが、人間の欲望の通奏低音として鳴り響き続けているような、しかしそれが様々な要因の生で歪曲した形で表出したものなのである。それを断固として見ないのはひょっとして、言ってみれば、自分だけ永遠のヴァージンであると信じているくらい高尚で愚かしいことである。(もちろん、ヴァージンはただの比喩であり、老弱男女みんなの話をしております)

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このようにして、会田誠の描き出す世界にはリアルな問題がたくさん具現化されているように思えるけれど、それらはユーモアとアイロニーとニヒリズムで構成されているだけではない。希望だってある。

イデアという作品がある。壁に書かれた大きな「美少女」という文字に向かって、素っ裸の会田誠ご本人がマスターベーションに励む。お部屋が寒かったことや素っ裸直立であったことなど、不慣れな環境におけるこのパフォーマンスは、シナリオコンプリートまでに1時間以上かかったらしい。素晴らしい。何時間かかってもよろしい。この作品は美少女を陵辱するものではなく、美少女を永遠にイデア界に解放する儀式の録画でもあり、さらには少女時代(少年時代)というしょうもない人生の時間を過ごしている世の中の個体を潜在的•永久的に救済する儀式ですらある。つまり、肉としての美少女なんて本当はどうでもいいのである。壁に文字を書けばいいのである。犬としての少女の絵を見たり、伊勢エビと交わる少女の写真を見たりすればよろしい。IDEAは、美術家自身は勿論プラトンのイデアのことを言っているのであるが、これは同時に一つの「アイディア=理想」を描きだす重要な作品なのである。

この他にも個人的には英語コンプレックスに関わる作品や難しい哲学コンプレックスに関わる作品は今回の記事では触れられなかったのでまたの機会に書いてみたいが、これらは会田誠という表現者の天才的なところと普通の人っぽいところが出会うためにハンパ無くエネルギッシュな作品群である。そして、最後に、「自殺未遂マシーンシリーズ」に触れて終わりにしよう。自殺マシンではなく、あくまでも自殺未遂のためのマシンであるこの何とも言えないアナログの装置は、裏も面も無く、自殺の国の日本国民にこの問題を朗らかに提示する。試行者は、頑丈そうでちょっとやそっとじゃ切れそうも無い輪に頭を突っ込み、意を決して段から飛び降りる。彼は(不運にも/幸運にも)自らの肉体をを伴ったまま、バラバラと分解するマシンとともに床に崩れ落ちる。「自殺未遂マシーン」の体験を通じて人々が得られるのは、「あかん、こんなマシンでは到底死ねん。」という途方もない事実である。こんなに絶望的で希望に溢れた試行の存在を知っただけで、芸術の表現っていうのはやはりあっていいのだ、と思える。