07/28/12

ダミアン・ハースト展/ Damien Hirst, Exhibition @Tate Modern, London

巨大なガラスケースの中に大量のハエの死骸と、皮を剥がれて既に少し肉が乾燥した牛の頭部。私達の日々の生活からも、「アート・エキジビション」という洗練された響きからもあまりにかけ離れた尋常ならざる装置を目の当たりにして、ワクワクしてやって来ていたはずの8歳くらいの少女は悲鳴を上げて彼女の母親のもとに走り寄った。

A thousand Years, 1990, photo by Oli Scarff/Getty Images

私は5分くらいの間、まだ生きているハエと、床に転がっている山のような死骸と、彼らの餌となっている真っ赤な牛の頭部、そして彼らの幼虫が住むハウスをまじまじと観察した後に、中でも最も親切そうにしているスタッフに、だれがどうやってこれを設置したのか、会期中どんな具合に環境を保っているのか尋ねた。いくら大きな美術館で仕事ができるからといって、こんなハエだらけのハードワークを覚悟できる人間が世の中に大勢いるとは思えない。

やる気に満ちた感じのスタッフは笑顔で答える。
「これは私達が設置したんじゃないんです、ハーストは専属のサイエンティスト・グループを持っているの。うちのキュレーターたちでも、こんなヤバイ装置の設置は無理。ハエの死骸の除去や餌交換もサイエンティスト・グループが行ってるんです。」

なるほど、現代アートはもはや、アーティストの手にも、アシスタントの手にも、そしてキュレーターの手にも負えなくなっているのか。ではハーストは一体、何を作っているのだろう?

私が最も愛している画家の中のひとりに、アンリ・マチスがいる。晩年ニースで制作したマチスは年をとって自ら筆をもって描くことができなくなり、切り絵をしたりアシスタントに命じて制作させていたのは周知の事実だ。なにもマチスまで遡らなくたって、アーティストがコンセプトやアイディアを実現するためにアシスタントや専門家に仕事を依頼したり、業者に発注したり、さらには何も実態あるオブジェを作らないことすら、よくあると言ってよい。絵画展を見に行けば、そこに展示された絵画は画家本人によってデッサンされ、彩色され、サインされたのだろうと予想できるが、草間彌生の巨大なカボチャや花の彫刻が彼女一人の手で造形されていると予想する人はいないだろう(と信じたい)。

Flower Sculpture, Yayoi Kusama, photo by Miki OKUBO

ダミアン・ハーストの展覧会に足を踏み入れると、そこに展示された「物」の量や集合体としての「物」のインパクト、ホルムアルデヒド漬けにされた巨大なサメや縦割りにされた牛の親子の美しい薬品漬けを目の当たりにして、たしかにハーストすごいな、と感心せざるをえないのだが、現在これだけ著名なアーティストで、強烈な作品を通じて多くの鑑賞者に新たに衝撃を与え続けているハーストの、未だ十分に語られていない本質的な部分が残されているのではないか、という気がしてならない。動物の剥製やホルムアルデヒド漬け、薬品の陳列棚、生と死に関わる制作、現代の新しい死の概念、それ以外の何か。

The Physical Impossibility of Death, 1991, photo by Prudence Cuming Asociates

Mother and Child Divided exhibition copy, 2007 (original 1993)

photo by Graeme Robertson for the Guardian

さて、前置きが長くなったが、ロンドンの現代美術館、Tate Modernで今年の夏開催されている2大展覧会は、Damian HirstとMunch展。このムンク展はポンピドゥーに2011年9月~2012年1月まで開催された、あの展覧会であり、(私の過去展覧会レポートはこちら)そういうわけで、迷わずDamian Hirst展へ。おそらくこの展覧会、来年にはパリのポンピドーセンターに巡回するのではないかと思われるが、とにかくレポートしようと思う。

ダミアン・ハースト/ Damian Hirstといえば、1965年生まれ、1993年にはイギリス代表としてヴェネツイア・ビエンナーレに出展し、まっぷたつに縦割りされた牛の親子の標本彫刻(上の写真)で一躍有名となり、1995年に同作品でターナー賞を受賞した。先にも述べたように、それが発注であろうと、サイエンティストの仕事によろうと、彼の作品は常にマテリアル性を離れてはいない。アート市場では最も作品が高いアーティストの一人であるそうだ。ショーケースに入れられた色とりどりの錠剤、同様にケースの中に芸術的に並べられたマルボロの吸い殻、これらはなぜアートかなんて問わなくたって、そこにあるだけで、なんとなく「センスのいい」ものだ。剥ぎ取られた無数の蝶の羽根を綺麗に並べて貼り付けた祭壇画は美しいし、1995年ごろより覚せい剤などの薬物中毒であると告白している作家が錠剤を抽象的に描いたスポットペインティングは、そのポップカラーとシンプルな配置で人気だ。

damien hirst’s pharmacy, 1992

Damien Hirst poses infront of ‘Doorways to the Kingdom of Heaven’, photo by Graeme Robertson for the Guardian

Edge, 1988, photo from the exhibition catalogue

あるいは、「黒い太陽/ Black Sun」は息を呑む作品の一つで、無数のハエの死骸で構成されている。我々の世界に唯一存在することになっている太陽は光を放っているが、黒い太陽はその太陽と向きあって、そのすべての光を吸収しているかのようだ。そして、発信されたすべての光が行き着いた先には黒炭にも見紛うことのできる、大量の死骸。黒い大きなハエの死体の塊は、地球上の有機体が太陽によって燃え尽されてしまった、固く静かな集合のようにも見える。

Black Sun, 2004, photo from Museo Madre’s Site

よく議論される問題であるが、その作品制作の殆どをアシスタントや専門家や業者に発注するハーストが作家であるかどうかなんて難問は残念ながら実際には議論しても無駄である。なぜならば、「物理的な意味での作品を作るのがアーティストである」という前提は、メディア・アートやインターネット・アートを例に挙げるまでもなく、崩壊しているのであるし、現に奇抜なコンセプトをプロポーズして、それを形にし続けるハーストが世界で最も成功しているアーティストの一人として作品を売りまくっているのだから。

そんなことよりもむしろ、彼の作品がしばしば我々に見せつける、皮肉的なまでの楽観、あるいは、諦め尽くされた苦悩のようなものを直感的に感じた瞬間こそ、ダミアン・ハーストの作品群がよりクレイジーに一人歩き始める瞬間であるのだ。

Detail of Doorways to the Kingdom of Heaven, 2007, photo from the exhibition’s catalogue

ハーストは、動物たちをホルムアルデヒド漬けにし、カラフルな薬を陳列棚に並べながら、物理的な死の不可能性や、自然的な死とはかけ離れた歪められた生の現実を我々に見せつける。大量の健康サプリや薬、医療の恩恵によって、私達はなるほど、私達の意志の及ばないところで世界に生かされているのかもしれない。そして、それは時に覚醒剤などの薬物によって、狂気じみたポップカラーで彩られるとても楽しい世界でありながら、同時にヘヴンに続くドア(Doorways to the Kingdom of Heaven)を美しい蝶の羽で彩り、ドアの向こうのその存在を望むことによってしか、生き続けることのできない、ハードな世界でもあるようなのだ。

ダミアン・ハースト/ Damien Hirstの回顧展は、Tate Modern, Londonにて2012年4月4日より9月9日まで、開催中である。

07/16/12

Exposition « Joue le jeu » @Gaîté Lyrique, Paris

ゲームの展覧会がアートの領域で市民権を得るのが難しいなんて議論は、もはや時代遅れですらある。ゲームやメディア・アートを芸術の中にどう位置づけるか、それが従来のアートカテゴリーに対してどのような存在であるか、難しい議論を繰り広げているうちに、アーティスティックなゲームは多くの人の目に触れ、経験され、いずれは当たり前のものになってゆく。そう、こういったものは、人がどうにかして収まるべき場所を与えるというよりもむしろ、現象として蔓延し、浸透するなかでむしろ我々が中に取り巻かれていくというふうに、肩の力を抜いて受け止めたほうが楽ちんだ。

ゲームは、任天堂などの大手の世界的活躍や携帯ゲームの目を見張る発展の具体例をあげるまでもなく、日本が世界の注目を集めながら今日まで飛躍的にヴァリエーションを作りあげてきた分野である。日本でゲームがアートとして認められようと、そうでなかろうと、世界が各国のゲーム史のなかで、日本の果たした重要な仕事を最大限にリスペクトしながら受け止めていることは事実として間違いないのである。その日本で、学術的視点を豊かに備えた大規模な「ゲームの展覧会」が未だ実現されてこなかったことは、ある意味、奇妙なことであるようにすら感じられる。

パリでは昨年(2011年)11月から、グランパレで開かれたGame Story( site here )という、どちらかというと歴史的・回顧展的な大規模な展覧会が2ヶ月に渡って開催され、5.7万人の鑑賞者を集めた。(はっきりいって、この入場者数は、たとえばParis Game Weeksが5日間で18万人、ジャパン・エクスポが4日間で20万人を動員することを鑑みれば勿論微妙な数字ではある。) TVゲームの始まりの、非常にプリミティブなゲームカセットがその場で遊べるようになっており、歴代のゲーム機やコントローラの展示、ゲームボーイやもっと簡単なポータブルゲーム機がコレクションされていた。あるいはたまごっちのような変わり種、戦士モノやポケモンのフィギュアもちゃっかり展示され、そこは自分の子供時代過ごしたゲーム環境がくまなく復元されているかのような空間であった。ふと我に返ってみると、化石のような古めかしいルールに難色を示す現代の子供たちを尻目に、夢中になっているのはもちろん懐かしいオブジェに数十年ぶりに対面した大人たちの方だ。(blog de mimi)

 

game, street fighter 2で遊ぶ少年とわたし。

この展覧会は全体として、歴史、思い出、ノスタルジーを大人のヴィジターが共有し、子供たちがその隙間を走り回りながら、設置されたゲーム機で遊びまくるような展覧会であった。

 

さて、今回2012年6月21日~8月12日、パリのGaîté Lyriqueで開催される展覧会”Joue le jeu »はどうだろう。Gaîté Lyriqueはパリの中心、Arts des métiersの近くにある非常に新しいメディア・アートのための展示空間。現代アートのポンピドゥー・センターからも歩いていけるくらいよい場所に、昔のテアートルを改装する形で昨年オープンした。petite salleやgrande salleといった独立した展示室・イヴェントルームの他、図書館やオープンゲームスペースでは会館中常にゲーム機が開放されており、そこで遊ぶこともできる、まだまだ若くて注目の施設である。


7月には子供たちが夏休みに入ってしまうフランスなので、この展覧会はもちろん、子供の夏休みアトラクションを念頭に構成されている。展覧会のサブタイトルはParcours(小旅行)、スタンプラリー的な4つのアトラクションが用意されており、子供たちはそこで、Gaîté Lyriqueという擬人化された巨大な構造物と電話をしたり、音楽を奏でたり、見つめたり、触れたりする。子供たちのパフォーマンスがどれくらいGaîté Lyriqueをわくわくさせることができたかによって、ポイントが与えられ、次のステージに進んでいく。展覧会自体を一つのゲームコースに見立てるという発想だ。

parcoursを攻略するために渡されるカード。

上述の、グランパレにおける展覧会が、テレビゲームとディヴァイスの歴史をたどるゲームの回顧展であったとすれば、今回のjoue le jeuはゲームの中でもまだ市場に発表されていないもの、実験的なもの、アーティスティックな色彩が強いもの、あるいは複数の人が参加することの出来るインタラクティブ・インスタレーションとしてのゲームなどにポイントを絞って作品選びがなされたようだ。(blog de mimi:more pictures)

Gaîté Lyriqueに電話してみる?

Parcours一つ目のインタラクティブゲームはGaité Lyriqueに電話をかけ、何か言葉を投げかけるというもの。個人の携帯電話から定められた電話番号に電話する。最近、アートと名乗ったり、名乗らなかったりだが、ソーシャルアプリといってメールアドレスをその場で簡単に登録させたり、smsで画像がゲットできるといって携帯電話番号を登録させたり、Gaîté Lyrique内に来ているというのに、Gaîté Lyriqueに電話をかけろというのは何事か。とは言わず、仕方ないのでかけてみる。

さて一番下の階には、Fred & Companyの光と音のインタラクティブ作品が。光のプロジェクションと音楽が、鑑賞者の足が触れた場所によって反応する。動きの速さや性質によって反応するのではなく、それぞれのプロジェクションの前に敷かれたカーペットが幾つもの正方形に区切られており、それぞれが音楽のリズムと光り方に対応している。未来的なイメージのインタラクティブ楽器を構想したようだ。

Electricity Comes From Other Planets, Fred & Company

繰り返しになるが、今回の展覧会のあるべきところは、展示されたゲームがまだ市場にでていないということ。ゲーム市場に出ることを目前にエンジニアがパブリックオピニオンを得て、改善・修正するために展示しているものや、どちらかと言うと非商業的な実験的インタラクティブ作品として、鑑賞者を歓迎しているゲームもあった。下の写真のゲームは、4人用。4人のキャラクターがそれぞれシステムに認識されると、動物の被り物がとれて、人間になる。この状態でやっとキャラクターを自分の動きとシンクロさせることができるようになる。この4人のキャラクターのうちの一人は、ブロックにつっかかっていて前に動くことができない。4人で力を合わせて一旦後ろに下がり、彼の動きを自由にしてやらなければならない。なるほど、2Dのパズルよりも肉体的で、面白そうではある。この他にも、一人や二人でできるTVゲームも幾つかは並べられており、自由に体験できるようになっている。

Games of Interactivity for 4 persons

一番下の階の、音と光のインスタレーションのすぐ近くに、Petite Salleの入り口がある。ここは、音とプロジェクションのインスタレーションをやるのに最も適した部屋となっており、天井も高く、すべての壁は格子状に区切られているので、ピクセル的にも使用出来るし、全面スクリーンとして利用できるようになっている。パフォーマンスなどもここでしばしば行われてきた。今回は、Opéretteのインスタレーションだ。実は歴史的にGaîté Lyrique、1862年に劇場としてオープンした。沢山のお芝居やオペラがここで上演された。その歴史にインスピレーションを受けたDaily tous les joursとKrista Muirは、この会場内を体験オペレッタ劇場に作り変えてしまった。鑑賞者はもはや鑑賞者ではなく、役者となり、舞台でダンスをし、コスチュームを身につけ、歌い、オペレッタを構成する一員となるのだ。
このインスタレーションでは、アイテムが多く、場所も広いため、10人以上で同時に体験することが可能になっている。(もちろん鑑賞するためには何十人も入ることができる。)

Opérette/ Daily tous les jours

体験する展覧会。展覧会の一つの在り方が変わっていく、その途中に私達はいるのかもしれない。これを見ろと言われるのでもなく、このビデオを3分間じっと鑑賞しろ押し付けられるのでもなく、触らないでくださいと怒られるためのマテリアルもなく、必要なルールを与えられることなく。いや、本当は、ゲームのルールは私達のどうすることもできない根本的な段階で、すでに与えられているのかもしれない。私達が、あたかも自由であるなどと錯覚してしまうほどに。

07/16/12

ひとびとの距離/ la distance entre personnes

良くも悪くも、驚きのすくない時代になったようだ。はじめて誰かと会うという時に、その人の容貌は愚か、これまでどんなことをしてきた人なのか、何を作り、どんなことを書き、どこで仕事してきた人なのかということをだいたい知っていることが多いのが、こんにちの初対面の真実である。

 

たった数年前にはまだ、所属先やキャリアなどを含む個人情報がウェブ上に流出してしまうことや、顔写真がネット上にアップされることはひとえにネガティブに捉えられ、迂闊にそんなものを駄々漏れさせてしまう人は、自己管理の行き届いていない人であるかのように見なされる傾向があったに違いない。

ところが現在ではだいたい、人に会うのも、お店に行くのも、旅行に行くのですら、いつもなんとなくデジャヴュである。デジャヴュというのは、必ずしも否定的なニュアンスではない。たとえば、私は初対面の人と、とりわけエライ人とか面接とかで誰かと会うようなとき、だいたい始めものすごく楽しみにして、その後非常に緊張して、しまいには定期考査の試験問題を予想するように、面接シミュレーションをしてしまったりするのだが、事前に多くの情報を知っていれば知っているほど、シミュレーションのシナリオが作りやすいのは事実だ。対面の恐怖みたいなものが軽減されるのも事実だし、写真を通じて顔や姿のイメージが何となくあるので、待ち合わせ場所で通りすがるすべての人に対してそわそわしなくてよいというのも素晴らしい点だ。ただしこのストラテジーの最大の弱点は、変化球に対して、情報開示されていない場合よりもさらにビビってしまう可能性が多いということだ。そして、人との出会いとは往々にしてそういうことが起こりやすくできている。

自分が安心するためという極めて小規模な幸せの追求を除けば、こんなにつまらない試験問題予想の方法はないように思える。与えられた材料からの、話題の再構築。例外的にアクティブな性質をもつ個体を除いて、人はみなある程度平穏な物事の成り行きを好むにしても、である。

デジャヴュ的出会いのもう一つの特徴は、そのつまらなさに比べものにならないほどクリティカルな問題である。それは、デジャヴュ感の一方通行性だ。ある人のブログを長年に渡って愛読しており、その人が日々綴る日常の出来事、家族の話、仕事の悩みや小さな愚痴、感傷的なことばの端々を通じて、読者は十分にその人を知っている錯覚に陥ることができる。ブログというのは(ブログにもよるが)、日記の盗み読みなのである。ウェブ上に、読まれるために書いておいて、盗み読みとは何事か、と思われる人もいるかもしれないが、世の中の多くのブロガー(職業的肩書きを背負ったブログであったとしても)が綴っているのは、本人は露出に無頓着なつもりでもそれが現実にどういうことかを真摯に受け止めていない程度に、限られた読者しか、実は想定していないのである。

そんなわけで、この親密な言葉で書かれた日記を、その人を思いながら長年読み続けてきた読者と、勝手な想定のもと言葉を発し続ける作者の間に、平行な2つのベクトルがあらわれることになる。平行なベクトルは決して交わることのできないベクトルだ。こんなふうにしてかわいそうな読者は、長年見守ってきてよく知っている書き手に対して、つい、非常に馴れ馴れしい言葉をかけ、ゼロから人間関係を築く代わりに、これまで一方的に積み上げてきた個人経験をもとにして、関係を築こうとしてしまうのだ。

この悲劇的なシナリオは、小説家とその読者の間では決して起こらない。小説家は自分が出版という特別な段取りを通して、自分の手から書いたものが世界に旅立っていく過程を意識的に経験しているし、小説の読者は、それが間違っても自分に当てて書かれたものではなく、本を手に取れば誰にでも受け取る事のできる客観的な媒体であることを知っているからだ。したがって、こっそりと作者の言葉を盗み読んでいるという感覚がここには介在し得ない。

 

なるほど、ひとびとの距離を図ることが、とてもむずかしいというのは、色々な原因を伴って、どうやらあながち嘘ではないようだ。たしかに誰かに出会う際、その人がどんな風かを少しだけ知っているのとそうでないのとでは、心にかかる負担が違うのは事実だろう。しかし一方で、ひとりの人間ともう一人の人間の間で築かれるべき「関係」というものに対して、自分の勝手な枠組みを押し付けるのはとても暴力的な行為だ。ひとびとがどうやって出会って、つまらない試験問題予想をするのではなく、おたがいが面白くぶつかり合えるのか。

知らない誰かとせっかく出会った時、わたしが彼(彼女)に対して同じ事を思い、彼(彼女)がわたしに、「思ってたとおりの人ですね」と言うほど、つまらなすぎて嫌気がさすことはないのだ。

07/3/12

畑田久美 大きなパレットで描く、色彩の画家 / Kumi Hatakeda, Peintre

畑田久美の絵は、前向きで強く、そして鮮やかだ。一目見たら忘れない、特徴あるかたちの捉え方と、明るく確信を持った色の配置。大阪で国際商学を学び大学を卒業した彼女が、絵を学び始めたのはフランス、パリにあるポール・ロワイヤル・アカデミー(Académie de Port-Royal)でのこと。2005年、若き画家の卵だった畑田久美は、力いっぱいアカデミーの扉を開けた。

学校の美術の時間、嬉々として熱心に絵を描いていたことを除けば、日本では一切美術のエチュードはしてこなかったそうだ。つまり、畑田久美という画家は、フランスのアカデミーで育まれ、認められながら日々進化し続けている一人の日本人アーティストなのだ。

Kumi HATAKEDA, Les échecs, 70×70cm

彼女がフランスに渡ってから、画家として6年間の日々を過ごしたアトリエにおじゃまさせていただいた。(Académie de Port-Royalのsite) 学長は、畑田久美の師匠であり、彼女が最も尊敬する画家であるジャン・マキシム・ルランジュ(Jean-Maxime RELANGE)。バカンス前の妙な時期の訪問と、ところ構わずの写真撮影を快く受け入れてくれた。若きアーティストとのツーショットにも快く応じてくれた。(二人でバラの花まで持って、ポーズをキメようとしている。チームワークは完璧そうだ。)
なるほど、師匠を心から尊敬でき、信頼出来るということは、真似たり参考にしたりしながら自分の型を作っていくようなワザモノを学ぶ際には特に重要なのだ。

Jean-Maxime RELANGE and Kumi HATAKEDA

以前、毎年グランパレで行われるFoire (siteはこちら) に彼女が出展したときにも一度お会いしているのだが、この師匠がいかに生徒たちを熱心に指導し、個人を尊重しながら芸術を教えてきたか、彼らの関係をちらりと見るだけで、とてもよく理解る。彼女自身は「最も信頼している師」と彼のことを語る。

昨年2010年、畑田久美はパリのポール・ロワイヤル・アカデミーでグランプリを受賞する。グランプリ受賞者の個展は、パリの中心、シテ島内のギャラリー、Galerie LeHalleにて2011年2月3日より行われ、間の会期中、多くの美術ファン、畑田久美ファン、フランスの美術コレクターたちが訪れた。会場に黒いドレスに身を包み現れた小柄な画家は、大きなキャンバスいっぱいに明るくはっきりとした沢山の色彩を楽しく踊らせることのできる、超パワフルなアーティストだ。(会場の様子はギャラリーのHPを御覧ください。)

Kumi HATAKEDA, La Belle, 55×46cm

私はこの画家の色の鮮やかさが大好きだ。目にしたことのある風景であるのに、画家の視線によって異化されていて、描かれた対象について一生懸命思いを巡らせる瞬間も好きだ。その瞬間こそがまさに鑑賞者が畑田久美ワールドに引き込まれる瞬間であるからだ。作品を見るものが、絵を前にして、それが何か、何を意味するか、何を伝えたいのか、じっと考えているとき、鑑賞者は文字通り芸術家の世界の虜になっている。見えているものに対し、いまだ解釈を与えられずにいるその瞬間だけは、私は私の言葉を持っていない。提示されたものに率直に対峙している幸福なひとときである。彼女の作品は、豊かな色彩を伴いながら、このしあわせな時間を私達に経験させてくれる。

Kumi HATAKEDA, Eclats d'Aulx, 100×100cm

Kumi HATAKEDA, Rythmes de legumes, 100×100cm

フランスに来て、ゼロから絵を学び始めたことには大きなメリットがあったと彼女は語る。子供の時から学びたかったことを毎日疲れきるまで真剣に取り組むことのできる、日常的だがかけがえのないしあわせ。
ここからは私の勝手な推測に過ぎないが、信頼出来る師匠や話のできる仲間に恵まれてすら、制作とはおそらく孤独な仕事であるのだろうし、表現者は葛藤と闘いながら彼らの表現活動を行なっているのだと思う。描きたいもの、描かれるべきもの、それをどのように描くべきかという問題をめぐる6年間という時間は、彼女が悩みまくるために十分長い期間であっただろうし、これからも沢山の鑑賞者と「しあわせ」を共有するために、畑田久美の表現は進化していくのだろう。

彼女はシャガールが好きなんだそうだ。シャガールはご存知のように「色彩の画家」とか「愛の画家」と呼ばれる。生涯ロシアとフランスを行き来しながら、生涯愛した妻をアメリカで亡くしたあと、フランスで晩年を過ごした画家である。たしかにシャガールはとても素敵な色で素敵な構図で絵を描く。
彼女の色彩の源であるパレットは、パレットの板の部分から20センチ以上盛り上がっており、もはや絵の具の彫刻とも言うべき代物である。このパレット、実は作品より高価だとの噂もきく。「いちいち洗わないの〜。」と笑顔で説明してくれたが、毎回洗わないこととパレットを彫刻作品にしてしまうことは別次元である。次回個展をされる際にはぜひとも一緒に展示していただきたい、彼女の制作の思い出がぎっしりと詰まったパレットだ。

artist's palette

パリで6年間、日本と異なる光の色や緑や人々を目にした彼女はこれから、もっと新しいものを見つけるために旅に出るのかもしれない。シャガールが晩年を過ごした南仏の光を体いっぱいに浴びるために。もし仮にそうだとしても、この色彩の画家はずっと、パリが育んだ画家でありつづけるだろうし、パリの光の色を忘れることはないに違いない。

彼女の恩師であるジャン・マキシム・ルランジュは、2010年の畑田久美グランプリ受賞に際し、以下の様な言葉を述べている。

   畑田久美の絵において、もっとも驚かされるもの。それは、熟考された、しかしこの上なく素直な表現。彼女が主題とする静物、裸体、あるいは風景は彼女の効果的な表象の仕方と天才的な構図のセンスによって、完全に捉えられ、従順なモデルとなっている。(中略) 豊かな色彩を使い、彼女が見捨てる色は一つもない。すべての色を知っており、そのすべてを愛している。キャンバスがすっかり色で覆われた時、色調への深い愛をもってこれらを完全に、そして思慮深い方法で調和させる。それは彼女にしかできないことだ。

謝意:バカンス前に無理を言ってお邪魔させていただきありがとうございました!
(インタビュー:2012年6月28日)