11/17/13

Christian Lacroix « Mon île de Montmajour » @Abbaye de Montmajour/ クリスチャン•ラクロワ

Mon Île de Montmajour
Par Christian Lacroix, avec le Cirva
du 5 mai au 3 novembre 2013
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クリスチャン•ラクロワがマルセイユのガラス美術館CIRVAとの協力により実現した、『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』展に際し、Lacroixは次のような言葉を寄せている。

『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』
モンマジュールはその名前(最も高い丘)が示すように、10世紀よりアルルとその周辺の地域を収めた要地であった。修道院のまわりには魚がたくさんいるような沼地と草原が広がっており、モンマジュールの島と呼ばれ、15世紀にプロヴァンスを治めたあの善良王のルネ王(Roi René)が秋に果物を食するため足を運んだという。(中略)ガラス美術館CIRVAの協力、ムーランと南仏の聖母訪問修道女会の18世紀から現代までのコレクション、そしてFérard Traquandiによる教会のインスタレーション、そして私(ラクロワ)のケルンでの『アイーダ』のコスチュームの数々の展示で展覧会は構成されている。(略)
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巨大な修道院はアルルの北方に位置し、フランスでも最も美しい町のひとつに数えられるBaux-de-Provenceに隣接している。修道院の建設が始められたのは948年のことであり、11世紀から13世紀、宗教的•軍事的要地として機能した。なかでも12世紀に建設された教会部分は最も重要な空間として保存され、9つの独立した部分からなる丸天井は16メートルの高さをもち、張り間は未完のままである。3つある窓は南に開いている。この展覧会では、修道院の礼拝堂から宝物室、塔までを利用したセノグラフィとなっている。道筋はまず、鑑賞者を礼拝堂へと案内する。
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CRYPTE
Pascal BroccolichiによるEspace résonné(2013)は、CIRVAとアーティストが2年間をかけて取り組んできたプロジェクトであり、『終わらないハーモニー』をガラスの中に響く共鳴現象を利用して実現したものである。一度発生した音はガラスの空間の中で共鳴を続け、その響きは更なるハーモニーを作り出し、それは果てしないループとなって止むことがない。
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Christian LacroixのCostumes pour le choeur femme « Aïda »(2010)は、 ラクロワがケルンでオペラ『アイーダ』のために制作したコスチューム(女性)のインスタレーションである。ラクロワは1951年にアルルに生れ、モンペリエで美術史を専攻している。クチュリエとしてのラクロワの表現には、今日ではますます貴重になっている西欧の伝統的な服飾技術、刺繍やレースの装飾の極めて質の高いものを追求しており、それらのアートへの彼の関心を明らかにしている。
オペラの中で身体に纏われる場合と異なり、肉体から自由になって宙を舞うドレスの群れは、差し込んでくる光の隙間を縫うように漂い、軽やかである。
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(Robert Wilson, Concept 1.2.3.5.6(1994-2003))

ÉGLISE
礼拝堂から教会へと足を進める。細い通路をくぐり抜けて辿り着くと、真っ白な光に満ちた世界が広がって、16メートルあるという丸天井のもとには赤いガラスで構成されたJames Lee Byarsの天使のインスタレーションと、そこから丸天井の上まで昇ることを許されたもののための、真っ白の階段がぐるりとぶら下がっている。 (Lang / Baumann, beautiful Steps #4(2009))
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Christian Lacroix
Robe de mariée créée pour Philoména de Tornos(2009)
さらには天に続く真っ白な階段の右手の部屋には、ラクロワのウェディングドレスが、やや空気の中で緊張した様子で佇んでいる。
Jean-Luc Moulène の鳥かご(For Birds(2012))が窓のすぐ前におかれており、空っぽのガラスの鳥かごは、外から入ってくる眩しい光をさらに集めて青白くしながら、花嫁のウェディングドレスに対峙している。ガラスの鳥かごに住む小鳥は、どんな鳥だろう。ガラスの鳥かごは溢れんばかりの光を通し、窓を持たない。明るすぎる教会の中に独りで立ち続けるラクロワの花嫁もその階段を上ってそこから逃げ出すことはできない。
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SACRISTE
15世紀に建設された聖具納室。聖職者たちのコスチュームやアクセサリーが保存され、 « Vraie Croix »のレプリカがおかれている。聖職者のコスチュームはゴージャスである。金糸の刺繍(キャネティール)、宝石、銀のラメ、上質の絹地、レース、金メッキの金具、輝くサテン地。人間は金や宝石のような輝く物を身にまとうことによって「聖なる」存在に近づくことが出来るのだろうか。
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CLOÎ TRE
12世紀に修道院が拡大する途中で建設されたときからある修道院の回廊である。4つの部屋の入り口に面し、その中心には中庭を持つ。ここではまたラクロワの『アイーダ』より男性コーラスの衣装である。先ほどの明るく空を舞う女性の衣装とは異なり、黒や紫を基調としたおどろおどろしい色彩に、衣装を纏うマネキン人形もファントムのような人形を使用している。この展示では『アイーダの悪夢』と題されている。 (Christian Lacroix, Costime pour le choeur homme, Cauchemar de « Aïda »(2010))
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RÉFECTOIRE
食堂には数多くのガラス作品の展示と共に、Thorsten Brinkmannのポートレートシリーズ、 Série « Portraits of a Serialsammler »(2006-2008)が展示された。奇妙なポートレートは全て、アーティストが収拾した日用品や廃棄物、不要となったオブジェをマスクとしてすっぽりと頭部を覆っている。頭部が与える印象は大きいのは言うまでもないが、彼のコスチュームや画面の構成によって、頭部が変容した肉体は残された部分すら、その向きや性別、特徴などそれまで当たり前に見ていたはずのルールが抜け落ちて、バラバラに解体されるような印象を与えるのは驚きである。
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TOUR
『私のリル•ド•モンマジュール(Mon Mon Île de Montmajour )』の終盤は、いつかまた明るい部屋に至れることを無根拠に信じて、塔を登って行く。そこに吹き荒れる風の強さ、そこに10世紀に渡って存在してきた巨大な石の塊の頑固さ、広がる畑や人々の生活に無関係の山肌と森、雲がすごい早さで動いて行くのと独立してある青い空。
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Jana Sterbakが構成するのは、石の壁によって覆われる静かな部屋で再現されるプラネタリウム (Planétarium(2002-2003))である。惑星のことを思うのが突飛ではないと感じられるような時間が、そこには流れている。
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11/17/13

Sarah Moon « Alchimies » @Musée Nationale d’histoire naturelle/ サラ•ムーン 『アルケミー』展

Sarah Moon
« Alchimies » – Récits pas très naturels du minéral, du végétal et de l’animal
Jusqu’au 24 novembre 2013
Muséum national d’histoire naturelle
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Sarah Moonは、1941年ユダヤ人家庭に生れ、生まれるとすぐナチスに侵攻されたフランスを離れ、家族と共にイギリスに移住する。そこで1960年から6年間ファッションモデルを務め、写真家として転身したのは1970年のことである。女性の視線を通じたモデルとの独特な関係性と世界観は、ファッション写真の領域ですぐに注目を集めるようになり、Sarah Moonがファッション写真家として評価していたGuy Bourdinが長く所属した雑誌『Vogue(パリ•ヴォーグ)』においても、シャネルやディオールといったメゾンから依頼を受けるようになった。アルル写真祭でもこれまで5回選出されている。
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Sarah Moonの作品で興味深いのは被写体と写真家の関係性であろう。ファッションモデルや若い女、子どもや動物、植物や鄙びた環境、遊園地、一見すると多種多様に見える彼女の主題は、Sarah Moon自身の明確な問題意識によって貫かれている。人々の記憶、遠い子ども時代の想い出、命あるものが滅びること、女という存在、そして生き物の孤独。
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Sarah Moonは写真家であるが彼女の写真はどれ一つとして見えるままに受け取ることを許さない。あるいは、そこに見えるものの語りに耳を傾けるような状況に我々を招き入れる。念入りに作り上げられた画面、小さな物があまりにも引き延ばされてみたことのない様相を示すもの、異化された色彩、見つめると眩暈をもよおすような動き、沈黙した生き物の呼吸すら感じられない静けさ。彼女が写真を通じて表現するのは、複数の「ものがたり」である。ものがたりは、彼女の側から提案されることもあれば、被写体によってもたらされるものもある。激しくピンぼけしたイメージ、その向こう側には何かがあるのだが、それはどれだけ見つめ続けても浮かび上がっては来ない。ただし、我々の目が時々ピンとを合わせることに成功するならば、絵画のような牡丹が出来事を話し始める。モノクロームの画面は我々の時の感覚を麻痺させる。息をひそめてこちらを見つめるライオンの血が通ってその身体が熱をもっていたのはいつの日のことなのか、歴史の中に吸い込まれるように遠ざかっていく。ネガについた細かな傷、それは引き延ばされて大きな斑点となり、それは日常目に見えない光の粒や空気の粒を可視化したそれのように、撮影されたその場所が本当らしくある一方でやはりそれは偽物であるのではないかと疑いを引き起こす。彼女はフィクショナルな状況を自身の表現に導入することを実験的に行い続けてきた。おとぎ話の世界観を作品にしのばせることなどもSarah Moonが得意とする手法である。
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さて、国立自然史博物館で行われた本展覧会 »Alchimies »は、その場所で開催するにふさわしい主題を集めた展示となっている。大きく細部まで露にされた植物、剥製であったり実際に生きている動物、植物園の環境やそこにある建造物の風景。Sarah Moonの提示するイメージには、生き生きとした艶やかな生命よりはむしろ、いつもどこかに乾燥した生命や死、沈黙した物質性が感じられる。植物たちはカラー写真で大きく見せられているが、その色彩はくすんで、ネガの斑点によって距離を保ち、それらが今このときにはすでに存在しなくなっていることを感じる。剥製の動物たちはやってくる光をその深い闇の中に全て吸収してしまう黒い目をして彼らが死んでもなおそこに沈黙していることを訴えている。剥製は、Sarah Moonにとって興味深いテーマである。それはその動物が既に死んでいるということと、そもそも生き物を写真に撮るという行為が一定の共通点を持つからだ。生き物は、瞬間の中に切り取られることによってある空間や媒体の中で凝結するのであり、そこに残るのは次の瞬間には消え失せてしまった何かなのである。
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展覧会タイトル »Alchimies »であるアルケミー(錬金術)は、中世〜16世紀のヨーロッパで盛んに行われた卑金属に化学的な反応を起こすことによって貴金属に作り替えよるための努力であり、現在の科学では勿論否定されているが、そのたゆまぬ探求によって蓄積した知識が17世紀以降の自然科学の発展の基礎を築いたとも言われている。アルケミーは本質的には、雑多な物質を完全な物質に変化させたいという人類の夢に関わっており、不完全な人間の霊魂を精錬して神のそれに近づけるといったような呪術的•宗教的なもくろみすら含んでいた。こう言ったわけで中世ヨーロッパにおける錬金術師はしばしば神話的で魔術的な存在に見なされた。Sarah Moonの織り成す「ものがたり」達は、中世のアルケミーが自らをもその魔法にかけてきた暗室での怪しげな企みを、彼女のひっそりとしたキャビネットの中で、現代の人類の目に再度可視化するような試みであるように思える。
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11/17/13

Photoquai 2013 / フォト•ケ 2013, Paris

Photoquai 2013
http://www.photoquai.fr/2013/

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Photoquai は2007年から、Musée Quai Branlyの提案で始まった写真のビエンナーレである。一年おきに開催されるPhotoquai、2013年は第4回目の開催となった。Musée Quai Branlyには有名な庭があり、本写真展はその庭をセーヌ川のほとりまで延長する形でパブリックスペースを利用したオープン•ミュージアムの形をとっている。フォト•ケは世界中の現代写真家を対象にその展覧会を構成しており、第4回目となる全体のコーディネートはアーティストFrank Kaleroに一任され、彼の元に地域別セレクションを担当する8人のキュレーターが展示作品の構成に当たった。共通テーマは »regarde-moi »(私を見よ)である。

「私を見よ」というテーマは、世界の各地域から集められ、そこに展示された写真群を目にすれば、被写体となった人々が彼らのメッセージとして「私を見よ」という言葉を発していると考えるかもしれない。なるほど、多くのポートレートがそうであるように、レンズをまっすぐに見つめるモデルたちの視線は鑑賞者である我々にまっすぐに向けられているようであり、あたかも「私を見よ」という声が聴こえてきそうではある。だが、言うまでもなく、被写体はあくまでも被写体である。写真を撮る主体は写真家であり、写真に撮られた人々は、鑑賞者である我々に見られる以前に既に写真家によって見つめられた人々である。このような意味で、「私を見よ」は、レンズを通してこちら側を見ているように思える撮影された人々のメッセージではなく、カメラを向けたその人の言葉なのである。そして、それを見ることは、このトリックを破ることであり、本当は見られた人々に「私を見よ」という言葉の所存をこっそりと押し付ける張本人の視線を暴くことでもある。
そのような理由から、写真に現れた人々の視線を見返すこと、そのことだけによって物語を了承するのは不可能である。

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韓国のHein-Kuhnの画一的な流行のお化粧の白い肌に主張のない表情を浮かべる少女たちは、同じ髪型をして、他の少女との違いの中で写真に撮られることをためらっている。彼女たちは「私を見よ」と訴えておらず、沈黙しながら瞳の表面は潤って、向こうからやってくる光を反射している。 http://www.photoquai.fr/2013/photographes/hein-kuhn-oh/

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登場人物やそこにある物の様子が奇妙なポジションで撮影されたロシアのAnastasia Rudenkoの作品は一度目にすると忘れることが出来ない。『楽園(Paradise)』と題されたシリーズ作品はロシア社会において精神病患者が偏見や誤った理解によって不当な扱いを受けてきたこと、そして現在もなおその状況は変わっていないことや、家族の不理解、医者の誤った治療や診断の犠牲になっている状況を露にすることを目指した写真だ。構成され、計算され抜いた画面には、患者たちがありのままに立ち尽くしており、その奇妙な印象は率直に魅力的である。それは写真家の意図がうまく機能したことの証でもあり、被写体と我々の関係性を感じさせさえする。
http://www.photoquai.fr/2013/photographes/anastasia-rudenko/

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Adriana Duqueはコロンビアの写真家で、今回、植民地問題、宗教および民族の問題に焦点を当てた『聖家族(Sagrada Familia)』を出展した。シリーズの写真は、それぞれ家族写真の体裁をとっており、それぞれの家族の中に明らかな異物としての白人少女がドレスで着飾ってプリンセスのように挿入されている。貧しそうな老夫婦、暗くて慎ましい部屋、ジャージを着て日に焼けた大きな子どもたち、そこに、19世紀の西洋絵画から抜け出してきたような着飾った少女が浮かび上がる。この全く奇妙な構成は、作家自身の子ども時代の記憶が着想源となっており、コロンビアという国の歴史、植民国のポジション、持ち込まれて根付いた外来の宗教、現在も爪痕として残る文化的侵略の臭いを彼女自身が見つめ返す作品である。
http://www.photoquai.fr/2013/photographes/adriana-duque/

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Rongguo Gaoの双子写真は、双子がこれまでしばしば作品の主題となってきた専攻する表現に対してどのような新しさがあるのだろうか。一つ目は、一枚の写真に同時に双子である二人が現れないことである。二つ目は双子の一方ともう一方の、右側からと左側からという、異なる側のみを撮影していることである。つまり、彼らが双子であるという自明性がわざわざ述べられていないのだ。アーティスト自身がこの作品について述べているように、二人の独立した個体をあたかも「鏡写し」のような構図で描き出すことによって見るという提案の前に、我々はその意図を想い、しばし戸惑う。
http://www.photoquai.fr/2013/photographes/rongguo-gao/

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Gustavo Lancerdaは2009年よりブラジル社会に生きるアルビノの人々を撮影し続けている。アルビノの人々がしばしば、その遺伝的原因によって他者と異なる外見を獲得していることによって社会で差別を受けたり、異なる者への厳しい視線を浴びせられているという事実に対し、写真家はひたすらに自身が彼らの持つ独特の美を見いだしていることを主張する。その主張をもって彼らにモデルを頼み、スタジオでパステルカラーの衣装を着てもらって撮影することで、写真家が「私を見よ」という言葉をアルビノの人々の口から発せられた言葉のようにでっちあげようとするならば、そのことは大きな勘違いであり、あまりにも浅はかな表現行為である。
人々は彼らの写真の前に立ち止まる。彼らを見つめる。その方法が、実際の生活の中で彼らにであったときに彼らを見つける方法と違うとすれば、それは、彼らの表情の中に、彼ら自身の社会における経験と、過去の人生における物語と、彼らの生き方が浮かび上がるからなのである。私にとってそれは、アルビノの人々を撮影したのではない、その他の無数のポートレートの中に浮かび上がるそれと本質的な違いを持たない。人々は、他者のポートレートに目を奪われる。それは、人間の表情や、からだの形、皮膚の色や、体勢に、彼らの歩いてきた道と経験が見えるような気がするからであり、彼らの発してきた言葉が聴こえるような気がするからであり、それらに興味を持つからだ。社会の中で、「少数派」の人々のポートレートが力を持つのはひとえに、我々がその人生に興味を持ってしまうからに他ならないのである。
http://www.photoquai.fr/2013/photographes/gustavo-lacerda/

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11/3/13

L’Art à L’Epreuve du monde / アートは世界を移し出す。@Dunkerque

L’Art à L’Epreuve du monde
Dunkerque 2013 Capitale Régionale de la Culture
Du 6 juillet au 6 octobre 2013

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ダンケルク(Dunkerque)は、百年戦争で、ジャンヌダルクの登場によって形成が大逆転した結果、唯一のイギリス大陸領土として残ったカレー(Calais)からほど近い、海岸線に沿って進んだ海の街だ。カレー同様、地理的にイギリス文化の影響を色濃く受けている。パリからはかなり遠いこの地で、François Pinaultのコレクションを中心とする重要な現代アート展覧会が開催された。
展覧会はPaul Mccarthyのクマとウサギが表紙であるカタログのデザインに似合わずなかなかシビアなテーマのだが、本展覧会の章立てを以下に記したい。

『この世界に抗えるアート』
1 死、そこにお前の勝利がある
黙示録 / 忍び寄る死
2 人間は人間にとっての狼である
暴力 / 戦争
3 抵抗
一寸先は戦争 / 抗争
4 平和そして愛
武力の休息 / 生きる喜び

この展覧会は上述の用にフランスの著名なアートコレクターであるFrançois Pinaultのコレクションに拠っている。展覧会はテーマや章立てに見られるように、様々なアーティスト、文化圏や言語圏、時代を異にする芸術家たちが、いかにしてこの世界で生きることを考えて来たのか、という問いかけである。どう生きて、どんな意識で。世界という存在の中で、それに耐えてあり続ける、あるいは耐えて行き続けるために作られるアートとはどのような表現なのか。今回の展覧会に集められた作品はそのような作品たちである。
会場となったLe Depolandはダンケルクの新たなアートサイトとなるべく今回注目された。
チーフキュレータのJean-Jacques AillagonがコレクターであるFrançois Pinaultに象徴的作品を借りられるよう交渉した。そのおかげでダンケルクでは2013年当展覧会が実現することになった。
アートはしばしば理解されないこともあるし、読み解かれない。しかし、アクセスできない作品はない。マラルメの一節に以下のようなフレーズがある。
「アートは人間が人間へと何かを伝達するのに最も近い道である。」

Maurizio Cattelan
Maurizio Cattelanは1960年にパドヴァに生れ、Giottoの著名なフレスコ画のあるScorvegniのチャペルで洗礼を受ける。この問題の作品、 »La Nona Ora »(2000)では、先のローマ教皇Jean-Paul二世が落ちて来た隕石によって地上に固定され、その自由を奪われている。この作品はカトリック諸国すぐさま話題となり、批判を浴びた。 »La Nona Ora »はつまり、9時、キリストが磔刑に処され、十字架に括り付けられた時刻を意味する。死のときに際し、全ての人間はキリストがこう叫んだように、紙に問いかける。「神よ、神よ、どうしてあなたは私をお見捨てになったのですか」(Mt 27,45) 隕石の下でひん死の状態で、カトリック世界の頂点に立つ教皇すら、キリストとそして我々と同様にこの言葉を神に投げかけるだろう。
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Adel Abdessemed
Taxidermy(2010)はフランソワ•ピノーのコレクションに収められているAdel Abressemedの作品である。アルジェリアのコンスタンティン生れで1994年に亡命し、現在パリ、ベルリン、ニューヨークで制作している。アルジェリアでの惨い戦争の記憶、亡命までの恐怖、命の危険、それらは作家の芸術表現の根底を築いており、Abdessemedの作品ではしばしば死がテーマとなる。
Taxidermyは「剥製」と題された巨大な動物の死体の塊である。立方体を形成するため、鉄のロープでぐるぐる巻きにされ、それは次に真っ黒焦げに燃やされる。動物たちは三度殺された。一度は、生命を奪うために。二度目は剥製制作者によって死せる剥製として造形され、三度目は作家自身によって肉の塊として束ねられ、火の中に入れられた。三度殺された動物たちの山は、規則正しい立方体となり、ブロックのように、そこには臭いも無ければ、動物たちの目玉はもはや何も語りはしない。
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Maurizio Cattelan
All (9 sculptures)(2008)は、もう一度Maurizio Cattelanの作品である。9体の死体は、沈黙のまま床に置かれている。大理石彫刻である本作品は、アーティストによって、Gisant(横臥像、墓石の上に飾る人物彫刻で、リアルな大きさで作る像)であると言われているが、それにしては彼らは全て白い布で包まれていて、顔も見えないし、どのような姿であったのかも分からない。その大理石の透き通るような白さは、死者の凍り付くような温度を表しているようでもあり、あまりにもリアルな皺は、その布の中には死んでいない者を隠しているのではないかという予感を引き起こす。
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Josef Koudelka
1938年チェコ•スロヴァキア生れのKoudelkaが1961年以降ジプシーの人々の生活関心を持ち始めてから5年経った頃、1966年に撮影した作品である。若い一人の青年が手錠をされて、共同体を追放されている。共同体の住人が見守り、警察官の姿も見える。彼は一体、犯罪者か容疑者なのだろうか? 実は20世紀ヨーロッパでは、ジプシーはTsiganesやRomsと言った蔑称で呼ばれ、追放と粛清の対象となったのだ。ナチスの民族浄化の名の下に。
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Bruce Nauman
著名なナウマンのViolent Incident(1986)と名付けられたビデオ作品では、人類の心をを普遍的に貫く暴力的要素について焦点を当てている。なぜ人間は暴力的なのか? 暴力的行いはいったいいつからどのように存在し、我々の生活を今日も脅かすのか? 暴力には暴力で応えよといったのはハンムラビ法典だが、法律と道徳のみが、これを制御する方法なのだろうか。ビデオでは二人の男女が食事中に争い始める。その愉しいはずの時間と空間は突如として戦いの場所に一変する。
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Jake, Dinos Chapman
二人のアーティストユニットの構想したFuking Hell(2008)という作品が凄い。フランソワ•ピノーの作品の中でも名作と呼べる大きな作品だ。三万におよぶミニチュアフィギュアたちが所狭しと地獄絵的世界の中にうごめいている。ある者は戦いに破れ、またある者は殺した者の首をかかげて。風景から地形、建物や自然、動物や人間のコスチュームに至るまで、ハイパー•リアリスティックな表現に目を奪われる。この作品は、ヒトラーによって引き起こされたナチの暴挙のその詳細を半永久的に結晶化しようとする試みなのである。
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Jean-Louis Schoellkopt
Liévin, cimetières militaires (1991)はLiévinという産業革命および二回の世界大戦によってその名を知られる街にある軍人墓地を撮影した。整然と並ぶ、大理石の沈黙。軍人墓地というのはしばしばそうであるように、どこの国の者であろうと、死んだ地に埋葬される。死者とはその土地と一体である。
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Paul Mccarthy
Bear and Rabbit on a Rock(1992)は、Paul Mccarthyのスキャンダラスな作品のうちの一つである。ぬいぐるみを使用した表現、これらは子どもたちの大きなぬいぐるみという可愛らしい世界をすり抜け、屈託の無い笑顔を振りまき、セクシュアリティーのタブーをおかす。超えるべきでないものの超越、平和な時代の不穏なものをあらわにする。
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11/3/13

Rencontres d’Arles 2013 / アルル写真祭 2013

第44回 アルル•フォトフェスティバル
Les Rencontres Arles Photographie, 44ème édition
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会期:2013年7月1日~9月22日
7.1 – 9.22
« ARLES IN BLACK »

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アルル写真祭は毎年夏に開催される世界最大規模の国際写真祭である。1970年、アルルの写真家Lucien Clergue, 作家のMichel Tournier, 歴史家であるJean0Maurice Rouquetteにより構想された。2013年では、過去44年で最高の9万6千人の来場者を記録し、50もの展覧会が同時に開催され、アルルの街は写真祭ムードに染まる。写真祭の様子を写真に収めにきた、良いカメラを携えた訪問者で覆われた。(Sources:look here)
アルルはゴッホの「アルルの女(L’Arlesienne)」で誰もが耳にしたことのある街の名だろう。アルルは地中海に面し、重要な港町であるマルセイユからほど遠くない。紀元前6世紀にはギリシャ人によって建設され、その後ケルト人の侵略の際にArelateという名が与えられた。紀元前123年、ついにローマ人が治める地となり、カエサルがポンペイウスとの戦いに勝利すると現マルセイユの領地を譲り受けたこともある。中世には9世紀半ば、アルル王国として独立、重要な港町として反映するも19世紀には鉄道が開通し、レールの届かないこの地は不便な場所として時代に追いて行かれる。
写真のコロッセウム(円形闘技場)は旧市街の中心に現在も観光スポットとして保存されており、ローマ時代の繁栄を伝えている。
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Arles in Black
2013年のRencontres d’Arlesのエスプリは、白黒写真への再注目だ。ディレクターのFrançois Hébelは、今回敢えてモノクロ写真をテーマとするモチベーションを以下のように述べる。
「いまモノクロ写真に着目することは、逆行に思えるかもしれない。1980年まで、カラー写真は写真界ではなかなか受け入れられず、1990年代以降カラー写真が突如台頭し、もっと若い世代ではデジタル写真を撮影するようになった。2000年以降はとくに、誰もモノクロ写真など撮影しなくなり、今日、アマチュアもプロも、デジタルカメラで被写体を選び取って、鮮やかな色彩をひきのばし、大きな版のイメージを作品化する。写真家の仕事はおよそこのようになり、暗室(Chambre noire)での熟練を要する手仕事、そこで行われる精密な仕事と起こりうる魔法のような不可思議なことは、今日消滅してしまったのだろうか。では、今日、モノクロ写真が占めるのは、いったいどのような場所なのか。リアリズムかフィクションか、あるいは詩や象徴的なもの、または純粋なノスタルジーだろうか。(略)」
例えば、色に溢れること、変数自体が多様になることは魅力的だが、各々の要素を突き詰めることは疎かになるのは免れない。目移りするほどディヴァイスの種類があり、エフェクトがあり、コンセプトのアイディアがあり、モンタージュや加工の可能性がある。撮影したイメージはすぐさまカメラのスクリーンでほぼ正確に確認可能であるとき、暗室での経験、身体的•時間的なプロセスを経験することが今日はむしろ難しい。Hébelは現代におけるモノクロ写真を、リアリズム、フィクション、詩的などの言葉を使って形容しようとしている。確かに、同じ言葉Photographyで括られる二つのアート、暗室で生まれるものとデジタルイメージであるものは、全く異なる二つの存在だと言うべきである。根本的に、違うのである。
Sources : look here
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Erik Kessels
Erik Kesselsのインスタレーション »24HRS of Photos »の様子は会期中すぐに話題になっていた。何しろ、展覧会のうちの一部屋を印刷されたデジタル写真で埋め尽くす大規模インスタレーションだという。その写真の山の中に鑑賞者が忍び込んで、見知らぬ家族や恋人たちの写真を手にとって見ることができるという。FlickrやFacebook、Instagramなどのソーシャルメディアは個別のユーザーの膨大な写真をストックしている。これは、パブリックなものとプライベートなものに分けられており、誰もが閲覧できるパブリックなイメージだけでも途方も無い量が日々増え続けているのだ。Erik Kesselsはこれを24時間印刷し続け、それらを、部屋を埋め尽くす匿名のイメージとして提示した。
たしかに非常にフォトジェニックなこのインスタレーションは鑑賞者の目を引いたのだが、うずたかく積上っている部分全てが写真というわけではない。基礎となる構造が写真をインスタレーションする土台に構築されており、写真はその上に敷かれているのみなので、思ったほどの量ではないと思われる。とりとめの無い写真はソーシャルメディア上にアップロードされた、世界の誰かの写真であり、良い写真もあれば下らないものもあるだろう。撮影者あるいは関係者にとってとても大切な写真もあればどうでもいい写真もあろう。しかし鑑賞者にとっては、一様に匿名な写真でその向こう側に在るコンテクストは知り得ないものだ。
なんと展覧会は、会期第一日目に、鑑賞のルールを尊重しないヴィジターが乱暴に部屋の中に押し入り、堆く盛り上がっている部分によじ登ろうとしてインスタレーションが壊れてしまったそうで、こういった危険を回避するために、即座に部屋へ入場は禁止になったとのことである。愚かなことである。
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Erik Kessels自身は、理論家、批評家であり、とりわけ熱心な写真コレクターで、同建物内にあるもう一つの展覧会Ablum Beautyにおいて、自身のコレクションを披露している。過去の名もなき人々の生活のワンシーン、幸せ、青春時代、誕生と死、セクシュアリティー、様々なシーンの写真は、ケッセル自身が蚤の市やガラクタ市を探しまわってコレクションしたものだ。過去も現在も、我々は見知らぬ他人の予期せぬ生の一コマに興味を失っていない。
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Guy Bourdin
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Guy Bourdinは Paris Vague誌のファッション写真家で、30年ほど(年から1987年まで)務めた、著名なフランス人ファッション写真家だが、彼も1950年にマン•レイと出会い、それよりシュルレアリスムの影響を受けて、見る者が息をのむような(ビックリしてしまうような)白黒の写真を女性の身体を対象として数多く撮影した。
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アルルの展覧会では、UNTOUCHEDと題された展覧会において、まさに今回の写真祭のテーマだある暗室のモノクロイメージが中心に展示された。実はこの展覧会、2011年にBourdinの息子であるSamuel Bourdinが誰も手をつけたことの無かった一つの箱を発見することに端を発する。箱には、100枚ほどのカートン紙の封筒が入っており、そこに一枚ずつ、モノクロのネガとプリントが見つかったのだ。誰も見たことの無いBourdinの写真が眠っていた。これらをアルル写真祭で初めて展示することとなった。これらの写真は1950年代初頭に撮影されたものと見られ、遊びのあるパースペクティブや影の使い方、線の歪みなどに彼が師として仰いだEugène Atget(アジェ•ウジェーヌ)の影響が見られる。これらの作品は、Bourdinが初めての写真アルバムを編集するきっかけともなる作品群で、非常に大切にされていたものだ。
また、Bourdinはヴォーグに長く所属し、数々の著名な作品を残し、若い世代の写真家に多大な影響を与えた。
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Xavier Barrel
Mars (Une exploration photographique présentée par Xavier Barrel)は、Barrelが構想し、Nasa、JPL及びアリゾナ大学の強力を得て、実現した大規模なプロジェクトである。信じがたいほどその表面がよく見える彼らの作品は、こちらのリンクから参照することができる。link for Mars’ pictures! 火星は他の惑星同様、殆どの人類にとって想像上の場所に過ぎない。そこに生命が存在する話も、地表に見られる数々の火山活動の軌跡も、どれだけ詳細に映し出されても、それはなぜか手の混んだ絵のように見えてしまうのは逆説的なことである。決して我々が見るはずの無かったものを目の前にさらけ出す写真はやはり凄い。そして、ある瞬間を切り取ったそれは時間を超えて遍在する。
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Gordon Parks
Gourdon Parks(1912-2006)は、カンザスの貧しい家族の15人兄弟の長男として生まれる。17歳の時、仕事をしながら独学で写真を学び始める。その後、奨学金の獲得によって写真を続け、戦後1948年になりようやく »Life »という雑誌専属の写真家となる。アフロ•アメリカンとして彼が残した功績は大きい。黒人写真家として初のFSA(農業安定局)の役員になったこと、ギャング•ハーレムのルポルタージュを行った初めての写真家であること、ハリウッド映画における初の黒人映画監督であること、これに尽きず、生涯をかけて道を切り拓き続けた。
La mode Mannequins coiffés à la garçonne, New York(1949)では、流行の髪型で着飾った白人の女たちを撮影している。 La ségrégation dans le Sud, Ondria Tanner et sa grand-mère font du lèche-vitrine, Mobile, Alabama(1956)では、黒人の祖母と手を引かれた孫がウインドー•ショッピングをしている。彼女の小さな孫は白人のマネキンが身につけている素敵な洋服を眺めている。華やかで高価な洋服は、裕福な白人家庭の子女のためであって、彼女らの手の届くものではなかった。 La ségrégation dans le Sud, Un coup d’oeil par-dessus la clôture, Mobile, Alabama(1956)では、 頑丈な柵ごしに、数人の黒人の少女たちがいる。彼女らは。フェンスの向こうにある、手入れされた広大な庭と、その向こうにある裕福な白人ファミリーの家を覗いている。
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Robin Hammond
アフリカの国ジンバブエ(ザンビア、ボツワナの東、南は南アフリカ共和国と接する)は、「忘れ去られた地」としばしば言われ、貧しさの中、食料も支援も十分に得られないたくさんの人々が伝染病の蔓延やエイズの恐怖の中で苦しんでいる。ニュージーランド出身のRobin Hammondは、この地でルポルタージュを実現することを決意し、ジンバブエに滞在した。そこで目にしたのは、生まれてから5年間ずっとゴミの山の中で祖母と生活するパトリックの姿であり、小さな身体でゴミの山の中から一日中ほんの少しのリサイクル可能な物を探し出し、その努力によって一ヶ月に10ドルを稼ぐ。また、HIV感染が深刻であるここでは、親家族をエイズで失った子どもたちも多い。孤児院では子どもたちが自分たちで生き抜いており、そこには彼らの生活のすべてが在る。子どもたちは日々を一生懸命生きているが、彼らの中には、当然母親から感染している者もいる。(Un foyer de neuf orphelins du sida.)
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Daido Moriyama
森山大道の展覧会もこちらに。セノグラフィは見事である。空間全体が女の網タイツ、その盛り上がりや肉感が感じられる。
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Pierre Jamet
Pierre Jamet(1910−2000)はフランス人写真家で、中産階級の家庭に生れ、1935年より写真家としてのキャリアを開始した。彼のモデルであるDina Viernyは彫刻家マイヨールのモデルとして既に働いていた人物であるが、DinaとPierre Jametは意気投合し、バックパックの旅行に出かける。1936年のフランス人民戦線の勝利に基づく社旗会改革のお陰で、若者たちは旅をして世界をたずねるための有給の恩恵を得、このことが裕福でない若者が冒険に出ることを可能にした。事実上社会主義政権が成立したこの時期、フランスではユースホステルが飛躍的に発展し、リュックサックを背負って、運毒靴にショートパンツを履いて、青春時代を謳歌した若者が現れた。
Dina Vierny. Nudité Epanouie, France(1937)では、裸のDinaが、解放や自由の象徴としての裸になるのが嬉しくてたまらないという幸せな表情で、その若くて健康な肉体を披露する。幸せであることやエネルギーが溢れるようなイメージ、なるほど時に刻印される写真は、そこにあった人々のエネルギーすらもそこに封じることができる。
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