01/13/17

conference : miki okubo & florian gadenne vol.2

本記事は、12月28日および12月30日に大阪の日常避難所511において開催された、miki okuboとflorian gadenneによるカンファレンスの報告(後半)です。講演前半においては、florian gadenneの制作においてキーワードでもある »flânerie »(そぞろ歩き)に関して、またそぞろ歩き的思考によって可能となる表現の模索が主題となり、Robert Filiouや谷崎潤一郎、Francis Pongeらの思想からの引用を紹介しながら、考察を行ないました

講演会の後半では、このような制作の背景を踏まえた上で、具体的に作品とそのコンセプトを解説しながら、「モノの記憶」、「身体の記憶」、「物々交換」、「動物―植物ー無機物間のインタラクション」という主題について考察しました。

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Objets cultes 

« Culte »は、宗教的な「カルト」である以前に第一義的に、崇拝や敬愛を表す。Objets cultesはしたがって、モノに対する崇拝、あるいは注意を払われるべき物に関する一連のコレクションである。関心を向けるのは、我々が普段思いを寄せることすらほとんどない道具のくたびれた様子だとか、使用によってほころびた状態、人々のエネルギーが物体に何らかの変化をもたらした形跡や、時間の経過をそのヴォリュームに留めた数えきれない「オブジェ」たち。

たとえば摩耗しきったスコップや、人々の流れを記憶に留めるメトロの出口(最も人が通るドアの表示がすり減っている)、歩き方のクセが現れる靴の底や、画家が筆を洗い続けたことによって穴の空いた石けん。それらのオブジェは、何らかのエネルギーを受けて、変形したり摩耗したり本来の機能を失ったりしている。

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*「物々交換」の実践

« flânerie »(そぞろ歩き)の二つ目のシチュエーションに、se perdre(道に迷う)があった。宛もなく歩き、見知らぬ人に出会う。目的地への最短ルートを急ぐことと対極にある、彷徨い歩いて見知らぬ人々と出会って会話をするような行為。Objets cultesとしてコレクションされている物には、アーティストがオブジェの持ち主と交渉して物々交換した物が幾つも含まれている。アーティストは持ち主に、くたびれたオブジェを模倣して作ったレプリカあるいはオブジェの弱点を修正して作った補強されたレプリカとオブジェを交換してくれないかと提案するのだ。「物々交換」については、またの機会に焦点を当ててじっくりと考察してみたい。

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Expérience hasardeuse

偶然的体験は、化石や動物の骨の鋳型、絵の具の軌跡、動物の骨や奇妙な環境下に栽培された植物などを含む。このコレクションは、インスタレーションとして展示された。

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Chitine-kératine-céllulose

chitineは生き物の抜け殻を構成しており、kératineは髭や爪のような死んだ表皮細胞を構成している。アーティストは、蝉の抜け殻をコレクションした。蝉の種類にもよるが、一般に知られているように、蝉は成虫としては非常に短い期間だけを生き、それ以外の生の大半は、脱皮をしながら木の中で過ごす。アーティストはこれについて、木と蝉の一生のアナロジーを見いだし、インスタレーションとして展示した。また、2013年より三年間、12ヶ月ずつ髭を伸ばし続け、各年のケラチン質をラボラトリーで分析するために保存している。ケラチン質は、食生活や生活環境、ストレス状況など心身の状態を反映する他、金属(水銀、銅など)や放射能の影響を受けることが知られている。生の記憶が身体から切り離された形で、解読を待っている。

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cellule babélienne

“ alors que les hommes parlent plusieurs centaines de langues (en diminution avec le temps), le code génétique, le langage de la nature qui traduit les gènes en protéines, est le même partout. le langage génétique, fondé sur l’arn et l’adn, a émergé de la babel chimique des temps archéens.”

バベルの塔としての細胞は、デッサン、石彫刻など多様な作品形態をとりうる、バベルの塔という一つのコンセプトを共有する作品群である。人類は世界中で異なる言語を話すにもかかわらず、遺伝子のコード、つまりは塩基配列のパタンが基本構造となっている遺伝情報を翻訳する「自然の言語」は異なる言語を話す人々の間でも共通なのである。遺伝子言語は、RNAおよびDNAに基づいていて、それは太古から変わらない化学のバベルの塔を形成する。
lynn margulis et dorion sagan – “l’univers bactériel” – p.57. ed. albin michel 1986.

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デッサンは、50cm×60cmのものと、さらにカオティックで複雑なバベル的細胞の建造物を表した2m×1.5mの巨大なデッサンがある。石彫刻では、植物―動物ー無機物のインタラクションが象徴的あるいは物理的に実験されており、2015年より生き続け、現在も変化し続けている作品である。

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miki okuboとflorian gadenneによるカンファレンスの報告(後半)をお読みくださって有難うございました。十分に言及できなかった「物々交換」や「禅」的思想と表現の関係については、また番外編で掲載したいと考えています。

フェイスブック、Twitterやブログを通じて、もしご質問やコメントがあればどんどん声をかけてくださいね。

最後に、今回企画を引き受けてくださった日常避難所511リーダーの田中さん、28日オーガナイズを中心にしてくださったみゆきちゃん、30日の段取りをたくさんしてくれた阿曽沼くん、またお料理や設営などたくさんお仕事をしてくださった皆々様、お越し下さった皆様、本当に有難うございました。 miki okubo & florian gadenne

florian gadenne :  http://floriangadennecom.over-blog.com
miki okubo :  http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/

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09/13/16

un récit lucide d’une survie rituel

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expérimentation physique – isolation volontaire – tentation déshabituée

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sensation honnête – simulation naturelle – illusion réaliste

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mythe spatiale – rite animalier – prêtresse sonore

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peinture dynamique

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douleur extasiée

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intuition – soif – lucidité

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vide – cure – bonheur

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compréhensibilité réspirable – oxymoron inquiétante – pluralisme théâtral

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art mur – but simple – ouverture intelligente

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affection relative – sympathie cathartique – cycle répétitif

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nid – acte – vie

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images par miki okubo et florian gadenne (blog d’artiste)

tous droits réservés. toutes utilisations, reproductions sans accord des auteurs ne seront pas aimées

08/15/16

Redonne-lui une vie, もういちど球根が花を咲かせるか試すこと

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Redonne-lui une vie.
球根がもう一度花を咲かせるか試すということ。
それはすっかりカラカラになったヒヤシンスの球根がもういちど暫くの期間準備を行なって、水や空気の恩恵を受けながら再び芽吹くのかどうかを知ろうとすること。それを成すために行なわれる全てのオペーレションと、このカラカラになった球根がなるべきだった生というのは、命をコントロールする実験を行なう介入者がその介入を行なわなかったら、というパラレルワールドの中にしか思うことができない。あらゆる生は、動物的な生も、とりわけ我々の人間的な・社会的な・文化的な生も、我々が既に認識することから突き放されている数多くの異なる場合的世界の中で、「なるべく」過ぎていくことができているのかもしれないことを想像するのは自由だ。

Quand on fait n’importe quelle expérimentation: pensons que nous essayons de donner à une bulbe gravement séchée jusqu’à la perte de vie, quand nous voulons savoir si elle est capable de revivre encore l’année prochaine pousser, fleurir, grâce à l’aide de l’eau et de l’air du sol riche, tout en attendant l’éventuelle renaissance, il ne serait plus possible de visionner une vie « telle quelle », comme elle était sans intervention du pouvoir l’un ou l’autre, nous ne pourrions plus savoir comme cette bulbe séchée pose la fin de sa vie si toute opération extérieure ne la amenait pas vers une déviation proposée.  « La vie telle quelle » n’existe que dans un monde parallèle, un monde qui alors n’est pas choisi. Toutefois nous sommes tout à fait libre d’imaginer, soit sur la vie végétale soit sur la vie animale, notamment celle humaine, « la vie qui vit comme elle est destinée de nature », bien que nous soyons souvent forcés à nous éloigner de toute cognition humaine, sociale et culturelle, à propos de ce sujet.
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07/13/16

nature morte: éponge, lunettes, verre et collier

 

 

 

 

 

 

Nature morte, le 11 juillet 2016, Normandie

Miki OKUBO, modifié par Floriannature morte miki florian

10/4/15

Nuit Blanche 2015

Félicie d’Estienne d’Oves et Julie Rousse
EXO (installation)
@Espanade du millénaire Aubervilliers

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Encore Heureux
Extinction (installation)
@Square Claude Bernard
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Sinato+ARCHIRR+Izumi Okayasu
Spectrum (Installation)
@Tunnel piétonnier de la Gare Rosa Park
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Keita Mori
Bug Report (Dessin)
Terrain d’éducation physique Archereau
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@Centquatre-Paris
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10/3/15

鹿児島大学法文学部レクチャー&ワークショップ「アーカイブと自己表象」

鹿児島大学法文学部レクチャー&ワークショップ
開催2015年9月2日
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「あっ!」という間に1ヶ月が経ってしまいました。なんてことでしょう!1ヶ月前、鹿児島大学でレクチャー&ワークショップをさせていただいたのでその報告です。

2015年9月2日、鹿児島大学法文学部にお邪魔し、レクチャー&ワークショップを行ないました。テーマは「アーカイブと自己表象」。今日の芸術作品を制作する手法として顕著である「アーカイブ的な方法」に着目し、アーカイブ的な方法を通じて表現される作品の意味や有用性、アーティストの意図について考えることを目指しました。そして、確かに今日、美術館・ギャラリー・アートイベント、さまざまな展示空間で頻繁に<オブジェの集積>のような形をとる作品を目にするのですが、この潮流はいったいどのように解釈することができるのでしょうか?

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具体的に、現代美術史のなかから、アーカイブを手法とした<オブジェの集積>たる作品を思い起こすことはそう難しくありません。たとえばゴミを集めたアルマンとか、クリスチャン・ボルタンスキーのMonumentaにおける大量の古着の展示( »Personne »)とか、ソフィ・カルのLe rituel d’anniversaireやジャン=ルイ・ボワシエのMémoire de crayonsなど、多くの作品がなるほど、絵画や彫刻のように芸術家の手仕事によって創作したオブジェではなくて、なんらかのルールによって集積したものを分類し、展示しているのですね。

込められた意味は様々です。産業的に大量生産されたオブジェを文脈から切り離して大量に見せることによって、モノを異化することもできるでしょう。大量の古着は、かつてそれを着たはずの身体が不在となる状況のなかで、逆説的にも衣服の身体性を感じさせるでしょう。私が忘れられるのが怖いという全く主観的な悩みから毎年盛大に誕生日パーティーを行い、そこでいただいた誕生日プレゼントを詳細にメモをとって保存する奇妙な儀式は、自己存在の記憶について鑑賞者にひとつのアイディアを与えるでしょう。個人のコレクションの1024本の鉛筆をコンピュータのデータから探したり、気に入った鉛筆のレジェンドを読んだりすることは、一個人の思い出に留まったはずのオブジェが潜在的な複数の鑑賞者の記憶まで広がって共有されることが可能になるでしょう。

つまり、単なるコレクションと、それを芸術作品として作り上げることの間には、言うまでもなくそれが作品として鑑賞者に共有されることの意味が見いだされる必要があります。

ワークショップでは、参加してくださった先生がた、学生のみなさんそれぞれが、<「私の思い出/私のコレクション」を芸術作品にするにはどうしたらいいか?>という一見本末転倒のような問題について考えました。つまり、アーカイブ的な手法をとる芸術作品が芸術作品たる必要条件をあとから考える、といったようなちょっとしたチャレンジです。

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みなさんの作品は、それぞれのコレクションが非常に異なるものであったために、また、皆さんが時間の制約もありながらできるだけその場で作品を作る、ということにこだわってくれたために、ユニークなものが完成しました。ワークショップでは、アイディアを考え、つくり、発表する、という肯定をだいたい2時間ちょっとで行ないました。全員が発表できて、他の人の作品も体験したり鑑賞することができたので、良かったと思います。

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作品を簡潔に説明していきましょう。まずは「Ne pas toucher」不可触の作品です。これは作者が実際に日々の記録をとり、研究や論文のアイディアを綴ったり、スケジュール管理に利用してきた手帳を展示するというリスキーな作品です。そこにある手帳の束は単なる紙の束である以上に作者の十数年分の記憶が物質化したものです。見る者はそれに触れることを禁止されていますが、そこにある個人にって非常に大切なものを物理的には提示されています。

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また、1990年代後半より現代でも撮影されているプリクラは、長年に渡って少女たちの友人や恋人との思い出、家族との思い出や旅行の思い出の小さなフォトアルバムとしての役割を果たしてきました。この作品では、作者のプリクラコレクションを人生のフェーズや撮影の機会に分類し、プリクラによる自分史を構築しています。

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ペットと過ごす時間もまた、個人の人生の大切な時間を築きます。作者は、飼い猫と過ごす思い出を「家」という空間の記憶と結びつけました。空っぽの間取り図に配置される飼い猫の写真は、それが配置されることによって撮影された瞬間の思い出として色鮮やかに蘇ります。作者は間取り図に写真を貼るのではなく、敢えてこれを配置する、という方法を選びました。このことも、空間が孕んでいる自由な可能性と開放性、私たちの存在が刹那的なものであることと関係するように感じられます。

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もっともニューメディアな作品でした、AR(拡張現実)を構築する携帯のアプリケーションを利用した作品です。私の人生にとって(ラジオ番組に関するものでした)思い出深い数冊の本があります。これには、様々なレジェンドがあるのですが、携帯の画面で本の部分(表紙や特定の頁)をキャッチするとそのストーリーが浮かび上がってきます。

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漫画やイラストを長年描いてきた作者は、自分の画風が誰に/どんな絵に/どんな影響を受けてきた結果、現在の画風が出来上がったのかを、数枚の絵と自分の絵を比較することによって私たちに説明しました。絵の変化や文字の変化といった表現の歩みは、身体的動作に由来するものですから、その経験や痕跡は常にひとりの人間の身体と結びついた個人的なものでしかないのですが、個人のストーリーは、共有されることによって本当の話となったり、同時に作られたりする、そのような不思議なものでもあります。

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自分の名前をインターネットの検索エンジンで検索する「エゴサーチ」を題材に作られた作品もありました。張り巡らされたレゾーの中に日々クラス私たちには、パノプティコンの牢獄で始終監視され続ける囚人たちのように、ある意味で「隙のない」人生を送っています。私のイメージは、あるいは私の行動は、私が意図するしないに関わらず常にウェブ上を漂っているかもしれません。この作品では著者は、私のコントロールの外側にある、つまり他者によって公表され、名付けられた「私のイメージ」を集積し、メディアタイズされた私の輪郭を描き出しました。

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ほつれたジャージの裾がアップで映し出された一枚のイメージがあります。コレクションを元にした作品を作る、というとモノがたくさんなければならない気がしますが、作者は敢えてたった一枚の写真を選びました。アーカイブは実は、写真というマテリアルにあるのでなく、ほつれたジャージの裾に隠されています。ボルタンスキーが示したように、肉体から放り出された衣服はそこにあるだけで、不在の意味を強烈に訴えてきます。ほつれた裾には、ジャージの持ち主がそれを履いて歩き回った時間の蓄積とその歩行の特徴や行動の積み重ねが刻印されています。

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さて、そういえば私もプロトタイプとして、皆さんにアンケートをお願いして二つの証明写真コレクションに関わる作品を作りました。ご協力いただいた皆さんにお礼と結果を申し上げられずじまいで一ヶ月が過ぎてしまいましたが、本ワークショップで作品アイディアを考えるために提示させていただきました! というわけで、次回プロトタイプの結果を掲載しようと思います。

本レクチャー&ワークショップ、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。開催に当たって全てにおいて大変お世話になりました鹿児島大学の中路先生、太田先生に感謝を込めまして。

2015年10月2日

08/15/15

Demande de participation (3 min !) / アンケートのお願い (3分くらいで♥)

Chers amis,
Je vous remercie infiniment pour votre participation à cette petite enquête que je prépare pour un workshop de la création autofictionnelle (sur la question de l’archive et de l’exposition de soi) !
Le jeu est très simple.
1 Choisissez 3 portraits qui vous plaisent plutôt.
2 Notez le numéro des portraits et choisissez 5 mots qui correspondent à chaque portrait choisi dans la liste ci-dessous.
3 Pensez à choisir les mots différents des autres participants, pensez à choisir même les portraits originaux par rapport les choix des autres.

La liste vocabulaire:
brillante, raisonnable, égoïste, extravertie, sincère, généreuse, modeste, altruiste, sensible, prétentieuse, inventive, tranquille, cordiale, consciencieuse, audacieuse, responsable, directe, détendue, sérieuse, maligne, stressée, active, dominante, bavarde, serviable, chaleureuse, instable, ordonnée, attirante, créative, méticuleuse, heureuse, hypocrite, souriante, optimiste, ambitieuse, mûre, entreprenante, fière, ennuyeuse, amusante, exigeante, intolérante, autoritaire, impitoyable, violente, naïve, débrouillarde, tenace, perfectionniste, affectueuse, solitaire, prudente, fragile, émotive, étourdie, fiable, volontaire, sympathique, sociable, agréable, arrogante, superficielle, attentive, agressive, impulsive, jalouse, lâche, sûre de soi, triste, avare, timide, réservée…

Si nous sommes ami sur Facebook, envoyez moi votre réponse par message ou répondez moi si vous avez reçu mon e-mail. Si on n’est pas ami sur Facebook et si vous pouvez répondre à cette enquête, envoyer moi votre réponse par message au compte facebook de Miki Okubo. Merci. Je vous remercie cordialement pour votre temps.(les photos plus grande taille sont après le texte japonais)

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ご協力いただける皆様へ
現在アーカイブと自己表象に関連し、オートフィクションの作品づくりのワークショップのために、アンケートを実施しています!ご協力いただけましたら大変たいへん助かります。よろしくおねがいします!
方法はたいへんシンプル!
1 気になる証明写真を3枚お選びください。
2 その証明写真の番号をお書きの上、それぞれの写真に対し、下の語彙リストから、その証明写真を説明する5つの語彙をお選びください。
3 参加者の皆さんが色々な語彙を選んでくださったほうがおもしろいです。さらには証明写真自体も他の方と違うと思われる写真を選んでくださったほうが面白いです。

語彙リスト:
聡明、合理的、エゴイスト、外向的な、誠実な、優しい、謙虚な、愛他的な、感受性豊かな、うぬぼれ屋、創意に富む、静かな、親切な、良心的な、勇敢な、責任感ある、直接的な、和やか、真面目、抜け目のない、ストレスフル、活動的、支配的、おしゃべり、世話好き、熱心な、不安定な、きちっとした、魅力的、独創的、細かい、幸せそうな、偽善的、にこやかな、楽観主義、野心的、成熟、進取の気性、高慢、面倒な、面白い、大げさな、忍耐力のない、いばった、無情な、暴力的な、お人よし、機転のきく、頑固な、自発的な、感じの良い、社交的、雰囲気の良い、傲慢な、うわべだけの、注意深い、攻撃的な、衝動的な、嫉妬しやすい、意気地なし、自信満々、悲しげ、ケチ、恥ずかしがり屋、控えめな

Facebookでお友達のみなさま、Facebookのメッセージに皆さんの回答をお返事いただけますと嬉しいです。またe-mailでお受け取りのみなさんはそのままメールでお返しください。いずれでもないけれどもご協力いただける方は、FacebookのMiki Okuboまでメッセージくださいませ。お忙しい中大変失礼いたしました。ありがとうございました。

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07/28/15

Joan Jonas « They Come to Us without a Word » Venezia Biennale / ジョ—ン・ジョナス 彼らは言葉なく私たちのところにやってくる

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« They come to us without a word » (The 56th Venezia Biennale)

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ジョーン・ジョナス(1936年ニューヨーク生まれ)の作品に関心をもったのは、2012年のドクメンタ以来である。その後もパリのギャラリーYvons Lambert(past article here : salon de mimi)などで彼女のインスタレーションを観る機会があった。彼女はいつも、独特のデッサン、神話や口頭伝承の民話などに基づく謎めいた映像、自然や動物の要素に重要な役割を担わせ、それらを彼女の方法で結びつけて一つの世界として立ち上げる。作品は多数のエレメントを孕みながら、それでも統一的な物語を為していて、そこにあるのはいつも「Joan Jonasの世界観」と言えるものなのである。

2015年の第56回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ館では、ジョーン・ジョナスは第6章に及ぶ世界を作り上げる。ビエンナーレのインスタレーションに先立ち、今年ニューヨークで幾つものワークショップを子どもたちと共に行ない、そのパフォーマンスが各部屋のビデオに映し出される。風景の映像には彼女がこれまでも好んで利用してきた幾つかの都市や田舎、Nova Scotia(カナダの東の島)、ニューヨークのブルックリンなど。

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各部屋の章立ては次のようになっている。
1 Bees, 2 Fish, Rotunda Mirrors, 3 Wind, 4 Homeroom and Courtyard Nine Trees.
各部屋にはスクリーンと、物語にまつわるオブジェ、たとえばBeeやFishの部屋にはジョナスのドローイングが、Windの部屋には日本製のカラフルな凧が、あるいはマスクやテクストがショーケースに展示されている他、鏡の部屋を飾る表面が波上になっている鏡はムラーノ島で製造されたものだ。

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口頭伝承の民話、自然、動物、パフォーマンス、立ち上げられた一つの世界観。インスタレーションを経験することは自ずと前述のdCUMENTA13(2012)のインスタレーション »Reanimation »を思い起こさせる。

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世界の変わりゆく様相を、人間の伝統、自然や動物、都市の生活に焦点を当てながら思考するジョナスの作品では、ジョナス自身の言うように彼女から積極的な答えを明示されることはないが( »Althought the ideas of my work involves the question of how the world is so rapidly and radically changing, I do not address the subject directly or didactically, rather, the ideas are implied poetically through sound, lighting, and the juxtaposition of images of children, animals, and landscape. »)、そのことをそもそも我々の目にしたことのないような方法や観点から、本質的に問題提起する。というか、恐らく、重要なのは気がつくことそのものであって、どうするか、何をするか、ということは、その思考が明瞭ならば自ずと続くプロセスなのである。

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ジョナスのインスタレーションの体験は非常に魅力的である。それは、同一の世界の、しかし我々の見知らぬ世界の音楽と光を我々が生きてみることを許してくれるからである。

Ref. Joan Jonas « Reanimation » @Galerie Yvon Lambert, Paris / ジョーン•ジョナス « Reanimation »

Ref. Joan Jonas in Venice official

07/27/15

Chiharu Shiota, la Biennale de Venise 2015, l’archive de la mémoire

第56回ヴェネツィアビエンナーレ、日本館。
塩田千春さんのインスタレーション。

アートは現代多様さを極めているけれども、作品に対峙することやそこに身を置くという物理的条件を満たすだけでその作品が持つパフォーマティブな要素に言葉を失うのは、作家の魅力である。何が起こるかおぼろげに分かっているのに、驚いてしまうというのは、塩田千春の作品の力なのだろう。

赤い糸、それが蜘蛛の巣のように、あるいは脳内の神経が張り巡らされているように、空間を満たす。
鍵というあまりに象徴的なオブジェ。それが世界中から集められて、持ち主の、鍵そのものの経てきた時間の集積を表す。
舟、海、錆び付いた金属、壊れた木片、舟と鍵のオブジェ自体が発する気のようなものがそこにはある。

塩田千春 ベネチア・ビエンナーレ:http://2015.veneziabiennale-japanpavilion.jp/ja/

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07/21/15

Installation par Keita Mori @Galerie Catherine Putman

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Installation par Keita Mori @Galerie Catherine Putman
(Voici, c’était cette exposition)
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Keita Mori, artiste japonais, est un spécialiste de dessin fait par le « fil ». On connait des artistes qui utilisent des fils comme matériaux principaux tel Chiharu Shiota (qui représente actuellement le pavillon japonais à la Biennale de Venise) mais l’usage des fils de Keita Mori est différent. Différent ou bien précaire.

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Le fil comme matériau est en principe utilisé pour nouer des objets, créer un lien entre les deux objets, fixer des corps solides, construire une structure des fils, voire même pour devenir une masse (comme un de ces aboutissements serait un tissu). Chez la série de « Bug report » de Keita Mori, le rôle du fil ne s’y limite pas.

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Son fil ne crée pas forcément un lien stable mais laisse des objets en suspens. Au lieu de construire une architecture absolue, son fil est pendu avec son bout libre. Une construction déjà faite est parfois toute démolie par l’artiste lui-même tout en gardant des traces de la colle (mise par le pistolet) sur sa surface rêche. C’est le fil même qui cherche sa place. Le fil cherche à s’installer à son lieu. C’est pourquoi sa série s’appelle peut-être « Bug Report ». Le destin (le résultat) est fondé sur le hasard – le mouvement libre du fil ou l’intuition de l’artiste.

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Nous avons récemment travaillé ensemble (lors de l’installation – performance « Peace Report 2015 – Corpus » : web article http://www.mrexhibition.net/wp_mimi/?p=3777). Son fil a joué encore un rôle différent. C’était, une part, un dominant qui détermine l’ensemble de la signification de tous les écrans ouverts sur le mur. D’autre part, un subordonné qui est ballotté par la forte image (des fragments des articles des journaux coupés par les participants), qui est pré-déterminé par le lien sémantique (textes et images des articles). Ce qui me tient comme intéressante signification du fil chez l’oeuvre de Keita Mori est, me semble-t-il, cette nature éphémère.

Keita Mori : artiste website http://keitamori.com

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