04/20/20

« œ » – 共生のための(?)新しい思考の枠組み

下に添付したテクスト(« œ »と題されている)は、昨年と一昨年前に神戸Gallery8と京都の想念庵で展示されたフロリアン・ガデン の巨大なドローイング(2m×4m)について、作家本人がコンセプトの説明および自身の研究について記述したものである。« œ »というのは作品のタイトルであり、フランス語で使われるoとeが合わさった特殊な文字だが、ラテン語由来のいくつかの単語をかき表す時に使われている。フロリアン・ガデン がこの作品のロゴと言おうかかサインとしてデザインした記号(図)はサケの稚魚がまだ腹部に卵嚢をつけてそこから養分を得ているような様子もうかがわれる。絵画は寸法こそ大きいが、その内容は細部が詳細に描かれたミクロスコピック曼荼羅のようであり、鬱蒼としている多種多様な器官や(非/)生命体の群はしばしば共依存の関係を築く様を描き出す。あるいはそれは一時的に一方がもう一方を侵食する脅威となっていても、それらは時間の経過の中で(短いスパンも途方も無い長いスパンもある)やはり共生的な生を営むことが運命付けられている。

絵画の構造を端的に振り返るならば、作品« œ »は、多数の器官や生命体(およびウイルス)が成す複雑な建築物であり、バベルの塔から着想を受けた上部と、ダンテの時獄篇からイメージした下部の建築が中央のゾーンで地平線を対称軸としてつき合わされた形となっている。上部構造では生命の起源としての「卵」が輝かしく君臨するのを最上部として、それにまとわりつくように精細胞が続き、神経細胞や毛細血管の構造が複雑にレゾーを織り成しながら、やがてそれらが退廃したり、細胞が変異を起こして病的な分裂を反復する様子を表す中央のゾーンへ降りてくる。そこには食細胞が免疫反応のために活躍しており、次第にそれらは変異した細胞や、人類が歴史的に直面してきた多数のバクテリアやウイルスが蠢くエリアへと変貌する。地獄の構造は下へ下へと降りてゆき、無数のウイルスが棲息する深遠な穴へと遠ざかってその絵は終わる。

この絵画の「上」「中」「下」の構造は、人類中心主義的なヒエラルキーの思想と二元論的パースペクティブに基づくものだ。テクストで作家自身が述べているように、« œ »が敢えてこの形をとったのは、まさに、現社会に浸透したその人類中心の視点を覆すためにほかならない。上部が「健全」、下部が「病的」という説明そのものが、意味をなさなくなる瞬間がある。はりめぐらされた毛細血管が生命体において正常に機能している、変質した細胞が無制限に分裂を続けるような現象がある、バクテリアがそれぞれの生命活動を営む上で宿主の中に留まってそこから栄養を取り、ウイルスが同じく宿主にタンパク質からなる殻を突き立てて、そこに自身のDNAを送り込んでいる…。これらの出来事に、善悪の価値判断が与えられたとすれば、それは、ひとえに物語のせいである。例えば、ヒトという生命にとって有益か害かといった枠組みが、本質的にニュートラルな現象を意味付ける。« œ »にはエボラウイルスやHIVウイルスのような、これらのウイルスによる死を避けるために人類が真の脅威として「戦って」きた対象も描かれている。現在世界で感染が広がるCovid-19もまた、「戦争」とか「撲滅」などの語彙によって意味付けられ、« œ »においては下部に挿入されるべきキャラクターということになるのだろう。

さて、人類中心主義的な二元論の物語を覆すと言っても、「生命は視点を変えれば皆ただ生きているだけだ、上下などない」など言い放つことしかできないのであれば、わざわざ絵を描いたり、ものを書いたりしなくてもいいと思うのである。そんなつまらないことしか言えないのであれば。「生命は皆同じ」なんて言ったって、私たちが生きているのはヒトの生であり、生命として生き続けているからには物語がつきまとってくるのは当たり前だ。それでもなお、いやそれゆえに、つまり、生き続けるために考えるべき(あるいは考え直すべき)ことがあり、フロリアン・ガデンの絵画も、新たなエコロジーに焦点をあてるアーティストたちの挑戦も、結論を言い放ちたいのではなくて新しい思考に見る人を巻き込み、それによって生き方を作り変えて行こうとしているのだと思う。

« œ »についてのテクストでは、我々の生命がそもそもウイルスやバクテリアや菌類と共に在るものと認識することを促すことによって、異なる物語を紡ぎ始めようと試みている。事例が列挙される。
*バクテリア、菌類、ウイルスは代謝の均衡維持の役割を担い、消化機能を助け、免疫機能を高める
*腸内菌が脳の機能に影響を与え、腸内菌と同じ種類の菌類が脳内にも存在する
*人間の遺伝子の一部はウイルスに由来している(ウイルスは人の進化に貢献してきた)
*人間はしたがってこれらの微生物に恒常的に侵されながら変化してきた

フロリアン・ガデン は次のようにテクストを締めくくる。
ウイルスはヒトの種の進化に貢献してきた。さあ、我々は地球の生態を尊重しながらその進化に貢献することができるのだろうか?
このテクストを日本語に翻訳したのは私なのだが、「貢献」と訳出しているのはもちろんcontribution (/contribuer)である。ラテン語のcontribuereの語源には「分け与える」とか「何かを共有するために与える」といった意味がある。多様な地球上の生命の一つの種にすぎない人類がその生態の進化に貢献するとは、なにやらそれでもやはりヒトという種を過大評価しているように聞こえる。一方で、ウイルスはヒトの遺伝子に自らのDNAを組み込むことに成功してきたように、ヒトもまた共に生きる(生きている、あるいはこれから共生する)微生物のホストとして彼らの乗り物になり続けていくだけであると結論するだけであれば、人類がこれまで少しずつ追究してきた地球の生命についての営みについての理解をあまりに蔑ろにしている。

私たちが生命について考える新しい枠組みをつかみとるために、« œ »を通じて再考できることがあるように思われ、作品について書くことにした。

注)
*本作品は、フロリアン・ガデン が2018−2019年にわたって取り組んだリサーチおよびドローイングであり、私が企画した2018年の展覧会「ファルマコンーアート×毒×身体」にて公開制作を行い、2019年には神戸のギャラリー8での「ファルマコンー生命のダイアローグ」で天井絵のように展示された。
*展覧会リンク:http://mrexhibition.net/pharmakon/?page_id=339http://mrexhibition.net/pharmakon/?page_id=347
*作家HPリンク:https://floriangadenne.com/2019/10/29/oe/

« œ »

« œ » において、科学、錬金術、神話的・宗教的物語が混在している。この作品は、マクロとミクロの視点による生物の観察に基づいている。

下にあるものは、上にあるものに等しく、上にあるものもまた下にあるものに等しい。
La Table d’Emeraude, Hermès Trismégiste, 3e ou 2e av. J.-C.

« œ »は « œcuménique »という単語に現れる。« œcuménique »は、16世紀の使用例では<全世界的な、普遍的な>という意味である。この言葉は、 « oecumene »つまり<我々の住む地球、宇宙>に由来している。
(« oe » comme « œcuménique » adj. est emprunté, sous la forme ecuménique (1547 budé) rectifiée en œcuménique (1599), au latin ecclésiastique oecumenicus « de toute la terre habitée » et « universel ». ce mot est dérivé de oecumene « la terre habitée, l’univers ». )

« œ »の形態は、バベルの塔の螺旋構造およびDNAの二重螺旋構造に基づく。この構造はボッティチェリが描いた地獄にもみられ、それはバベルの塔の上下を逆さにした建築となっている。
バベルの塔に関して、私たちはその崩壊を真っ先にイメージするが、塔を建設した時、人類は世界全体と調和しており神にも匹敵できると考えていた。楽園を追われ、人間は神々の言語を失わずにすんだ。人間は、無機物、植物、動物界の言語を理解する能力を持った。したがって、神への挑戦としてのこの塔の建設は、人間の際限のない傲慢さと自信過剰を明らかにした。この普遍的言語は、RNAとDNAに基づく遺伝情報という自然界の言語のことであると再解釈することができる。今日人間は生物を操作し、修正する、つまり<神の役割を演じる>技術を発達させた。

この建築に棲むのは、微生物、細胞、ウイルス、バクテリアなど、大きさの異なる生命体や器官である。« œ »の構造は一見すると二元論的である。つまり、上部は<健全な>生物が描かれ、下部は<病的な>生命体が描かれている。« œ »はこの二つの構造を一つに統合する。

上部構造には、共通言語の概念を象徴的な翻訳としての毛細血管と神経のレゾーが見られる。それらはその頂点に君臨する卵細胞によって司られている。卵細胞から八本の精細胞が伸び、それは二本ずつ撚った四本の糸となる。錬金術において、卵は宇宙の創造を象徴する。また、世界の創造について語る異なる神話においても<世界の卵>があらゆるものの起源として登場する。

下部構造は、<下にいるもの>を意味するラテン語のInfernus=地獄に関連する概念を想起させ、そこには、苦痛、退廃、略奪、死病がある。何かによって侵略され、氾濫するような感情や、差し迫った生命の危機を描き出すことを試みた。病原菌が鬱蒼としているその部分には、無数のウイルス、バクテリアを描きこんだ。また、癌細胞の密集し糸をひくような構造に私たちは思わずぞっとする。 « patho- »の語幹は « pathogenic »(病原体)や « pathology »(病理学)多くの単語に見られ、ギリシャ語のパトス pathos は「やってくるもの、被った経験、不幸、魂の感情」を意味する。私たちもまた、白血球やマクロファージが生命の危険に対して防衛する様子を目の当たりにし、畏れに似た感情を抱くかもしれない。例えば、マクロファージの中には癌細胞のような恐ろしい見た目を持つものがある。侵入者を捕らえるために吸盤のある無秩序なレゾーを広げている。病原体なのか健全な器官なのか、見た目にはもはや不明瞭だ。ウイルスはタンパク質からなる膜を実に多様な形態に発展させている。しばしば対称性の高い形態であり、円柱や球体、正二十面体など正多面体である。特に正二十面体はプラトンの正多面体の一つで非常に頑丈な携帯とされる。

ウイルスは、私たちの生命を脅かすという点で<悪>にカテゴライズされるが、その形態からは何の危険も機能不全も暗示されてはいない。それどころか、彼らの完全な形態は今日までその原始的生命が生き残ることを可能にした原因ですらある。たった5kbから200kbで可能になる完全な幾何学的形態に、嫌悪感よりむしろ魅惑されてしまう。

上と下二つの世界が出会う場は、ドローイングのなかでもっとも複雑な部分である。なぜなら、病原体、健全な細胞、免疫細胞の間で起こる多様な相互作用を描いているからだ。<健全>と<不健全>という二つの構造が出会う場はつまり、バベルの塔と地獄の二つの建築が上下対称に組み合わさる境界面になっている。そこでは、様々な戦いが繰り広げられており、<攻撃><防御><侵略><警戒><保護><武器><戦略>などの戦いに関わる語彙でしばしば描写される。
もっとも知られた免疫反応の形態は食細胞だろう。その名の通り、吸収する機能を持った細胞であり、異物を消化吸収してしまう。これはまさに、動物が自らを養うために行うような捕食行動であるのだが、ここでは生命維持の必要よりむしろ生き延びるための防衛としての意味がある。

病原体の例としてよく知られているのはパラサイト(寄生)だろう。健全な細胞の代謝機能を利用し、その細胞膜に穴を開け、自分の遺伝情報を送り込む。犠牲となった細胞は乗っ取られて自らのアイデンティティを失う。実はこのことは « host »という言葉の定義をよく表している。つまり、« host »とは、歓迎するものであり、歓迎されるものという相反する二者のことである。

この境界が不明瞭な二つの世界を結びつけるため、次のことを考えて見たい。私たちがふつう<病原体>と呼んでいる生命体は、単に私たちの視点から(私たちの利害関係から)判断してそのようにみなしているに過ぎない。

バクテリア、菌類、ウイルスは私たちの代謝の均衡を保つのに重要な役割を果たし、消化機能や免疫機能を高め、そのほかの病原体から私たちを守ることにも貢献している。さらに、最近の研究により、腸内菌が脳の機能に影響を与えるという驚くべきことが明らかになった。私たちはしたがって微生物に恒常的に<侵され>ており、彼らは私たちにとって<病原体>でないどころかなくてはならない存在といえる。この考え方は比較的新しいものである。私たちのアイデンティティは人間に由来する細胞だけではなされず、複数のバクテリア、ウイルス、菌類と共にある。我々の遺伝子の一部はウイルスに由来するものであり、ヒトという種は彼らによって侵されることによって進化してきたということを決して無視することはできない。
Jacques Lependu, directeur du Centre de Recherche en Cancérologie Nantes- Angers (CRCNA), Nouveaux concepts sur les microorganismes dans leurs relations avec leurs hôtes, exposition « L’un l’autre », 2015.

« œ »のバベルの塔と地獄は蔓延る微生物に棲みつくされ、その状況は、地球規模でみると人間とは、地球上の生命群の一部である取るに足らない種の一つに過ぎないことを象徴している。2011年8月現在一千万もの異なる種が地球上に生息していると言われるが、人類は、ものすごい速さで人口を増やしながら地球上の生態を破壊に導く唯一の種なのである。宿主と微生物の関係性が均衡を失った時、それは<病原体>と呼ばれる。« œ »は、人間がほかの生命体に対する支配者として自らを切り離しながら作り上げてきたヒエラルキーを突き崩すことを目指す。なぜなら、ヒトという種がすべきなのは、地球に対する病原体として振舞うことではないからである。宿主と病原体は長い時間をかけて相互に影響を与えながら共に進化してきた。ヒトという種は、地球にとってはむしろ寄生者なのだ。さらに、ジャック・レパンデュが上の引用で述べているように、ウイルスはヒトの種の進化に貢献してきた。さあ、我々は地球の生態を尊重しながらその進化に貢献することができるのだろうか?

フロリアン・ガデン Florian Gadenne(アーティスト)

テクストはPDFファイルもダウンロード可:20042020 œ text final jp

11/27/18

展覧会 松田有加里×フロリアン・ガデン「orbite elliptique」 −往き交う軌跡/奇跡

sala DM 1
sala DM 2

展覧会 松田有加里×フロリアン・ガデン「orbite elliptique」 −往き交う軌跡/奇跡

本展覧会は、写真家の松田有加里が美術家のフロリアン・ガデンに呼びかけ、二人の表現者を知る大久保美紀がキュレータとして一つの宇宙観として提案した、ある意味異形の展覧会である。

展覧会のタイトルである「orbite elliptique」は、フランス語で楕円形軌道を意味する。生の往き交いを詩的に奏でようという両者の試みは、興味深い事に、きわめて明瞭な普遍的物理運動に身を委ねているというわけだ。

松田の写真が今回テーマとする<生命のサイクル>(消えゆく命―燃える命―命と命の間)は、誕生から死後の魂の世界へのひた続く道のりを歩いていく私たち人間の運命や天を仰ぎ見ながら魂の行方に想いを馳せる振る舞いと同時に、おのずと、仏教思想における「輪廻」(=円環)のことを私たちに想起させる。私たち個人はあたかも個別の人生を歩みながら、生きる時代も場所も異なるけれども、同じように生まれ、生きて、死にゆく、同心円軌道を廻る星屑のようである。たとえ同時代を生きても、その軌道は往き交ってまた離れ、たとえ時代を共にせずとも空間や建造物やオブジェを通じて出会うことすらあるだろう。人々は生き、そこにある自然物やモノにその軌跡を刻んで消えていく。モノや世界はその束の間のエネルギーを記憶する。フロリアン・ガデンは物質性の記憶や物語に着目し、それらに繊細な注意を向け、尊敬をあらわし、大切に見守る。

展覧会は、このような「orbite elliptique/楕円形軌道」にのって、生まれた国も世代も表現方法も異なる松田とガデンのまなざしを通じて世界を覗き見ることを私たちに可能にしてくれる。

大久保美紀

11/23/18

展覧会「ファルマコンII アート×毒×身体の不協的調和」11月25日まで!

皆様、

お元気でしょうか。
今年は11月10日よりファルマコン展開幕しています。

いよいよラスト三日となりました、展覧会「ファルマコンII アート×毒×身体の不協的調和」@想念庵(京都市左京区田中里の前町49−2)
本日も作家在廊(大久保、フロリアン・ガデン)で19時まで開館しています。明日、明後日も11時−19時(13−14時を除く)皆様のお越しをお待ちしています。
公開制作の「バベルの塔的細胞3」インタラクションゾーンを超えて、地獄ゾーン入り、目が離せません。パンも随時増えています。どうか、足をお運びいただけましたら幸甚です。

クロージングの25日の午後は皆様にこれまで面倒を見ていただいた酵母を元にパンを焼いて試食します。お誘い合わせの上ぜひ、いらっしゃってください。

Last three days of our exhibition « Pharmakon II » @Sonen-an, Kyoto.
Please come to see us! The last day, Nov 25th in the afternoon, you will taste natural yeast breads (cultivated during the exhibition). Please join us.

pharmakon2_affiche_1page

10/10/18

pharmakonII/展覧会「ファルマコンIIーアート×毒×身体の不協的調和」開催します!

2018年11月10日〜11月25日 想念庵(京都)にて展覧会「ファルマコンIIーアート×毒×身体の不協的調和」を開催します。参加アーティストはflorian gadenne, Akira Inumaru, Jérémy Segardと私自身です。会期中イベントは、11月17日(会期中レセプション)、11月11日(京都大学稲盛財団記念館でシンポジウム )、また開幕当日11月10日も17時に皆様を会場でお待ちしております。第一版のプレスリリースを掲載いたしました。どうぞお楽しみに!

展覧会「ファルマコンIIーアート×毒×身体の不協的調和」(2018年11月10日開幕、京都)の第一版プレスリリースvers.10/10はこちらよりダウンロードください。

プレスリリース_pharmakon2_1010

04/21/18

Bettina Rheims « Vous êtes finies, douces figures »

つい先日にBettina Rheimsの展覧会 »Détenues »についてポストをしたばかりなのですが、Quai Branlyでも6月3日まで彼女の展覧会が見られます。展示スペースのコンパクトさと共存するオブジェとのコミュニケーションを効果的にするため写真は全てポラロイド。

Link:http://www.quaibranly.fr/fr/expositions-evenements/au-musee/expositions/details-de-levenement/e/bettina-rheims-37856/

この展覧会は、Bettina Rheimsが2014年に実現したシリーズ »Heroïne »

展覧会タイトルは « Vous êtes finies, douces figures »、このフレーズはローマ帝国の詩人ペトロニウスの詩からの引用であり、ウクライナで起こったフェミニズム運動フェメンに参加した一人の女の体に刻まれている。シリーズ »Heroïne »では、一つの岩のようなオブジェを巡るポーズをそれぞれの女たちがとっており、それは一つの<カリスマ的信仰を駆り立てる台座>の役割をする。あるいはその岩はまた、 »Détenues »において写真家が浮き彫りにしたような、囚われていること、自由の身ならざること、というテーマを浮かび上がらせる。女たちは皆、岩にまとわりつき、逃れることのできない、逆らうことのできない、何かに取り憑かれたように、ポラロイドの写真に現れる。

FullSizeRender 20 copie

FullSizeRender 21 copie

IMG_5139 2

IMG_5143 2

04/16/18

Banksy / バンクシー @amsterdam 2018

resized_IMG_4800

イースターの週末に、ゴッホ美術館へ行くのが一つの大事な目的でアムステルダムへ赴いた。ゴッホ美術館は、美術館が集まっている地区にあり、全く幸運な巡り合わせで、Mocoで開催中だったBanksyの展覧会を観ることができた。
Link: https://mocomuseum.com/exhibitions/

IMG_4808

バンクシーは、ラクガキ(無断でペイントを行う)「ストリートアーティスト」として今や世界に名を轟かせているがご存知のように個人としてのアイデンティティは隠しまくっていて、今となっては「ストリートアーティスト」と呼ぶにはどうなのかと思うほどの大規模プロジェクトを手がけているにも関わらず、その素性は知られていないことになっている。

IMG_4815

IMG_4828

反戦争や政治的なメッセージを込めたラディカルなペインティングで知られるバンクシーだが、美術館での展示となるとそれはまた奇妙なものであって、いうまでもなく美術館で展示するということは、あるいは展示空間で作品として展示するということは、コンクリートの壁を切り取ってきてそれをガラスケースに入れたり、工事の時に用いる三角コーンや道路標識なんかもそこから取り除いてきてしまって「バンクシーのペインティング」として鑑賞するということで、グラフィティとかストリートアートがそれらたることを考えるとなんだかな。とも思わざるを得ない。

IMG_4816

IMG_4823

様々なプロジェクトで知られるバンクシーだが、反戦や政治批判に加え、資本主義社会批判や風刺のペインティングも多い。同時に彼のアイディアは世界中で反復され、多種多様なグッズと化して消費のサイクルに取り込まれ、このような大きな美術館での展覧会にで入場料を支払った人々によって鑑賞される。

IMG_4817

IMG_4826

文脈からひっぺがしてきたものということを考えると、そもそも我々が鑑賞する多くの彫刻や宗教界がや肖像画なんかももちろん文脈からぴっぺがされて冷静な観衆によってまじまじと見つめられることになったモノたちだ。

resized_IMG_4820

それでもやっぱり、描かれたコンクリの壁を切り取って、それをコンテナで送って、その労働力とか費用とかを思い、アムステルダムの美術館地区にガラスケースに入ってその分厚いコンクリート片が大事に入れられていたりすると、美術は改めてハリボテの遊園地みたいな仕組みで演出されているのかなと思う。いけなかったけど、Banksyが2015年に手がけたイングランドのDismaland、経験してみたかった気もしてくる。

04/15/18

Martin Margiela 1989/2009 @palais galiera

Martin Margielaの回顧展がパリのガリエラ美術館で開催中である。
会期:2018.03.03 – 2018.07.15
本展覧会は、アンチ・ファッション、あるいは異なるファッションを実験し続けたデザイナー、マルタン・マルジェラの30年間(1989年から2009年まで)を包括的に振り返る大変貴重な機会である。マルジェラはメディアにほとんど姿を表さないし、インディヴィジュアルとしてとことん謎めいたアイデンティティを貫いているが、世代としては1957年ヘンク生まれ、アントワープ王立芸術学院に学び、アントワープ・シックスと同期である。そのスタイルには、ボロルックあるいは黒のアンチファッションを作った川久保玲の影響や、フラットの構造にこだわった三宅との共通点を感じさせるアイディアなど、パリのモード界で活躍した日本人デザイナーとのインタラクションが見て取れる。そもそもマルジェラの足袋ブーツは基本ルックといってもいい。履いたことが無いのではき心地がいかなるものかわからないが、硬いブーツで足袋的に足指が割れている履物とはどんな感覚なのか、ちょっと興味がある。

IMG_4991

私がマルジェラに興味を持ったのは、言うわずもがな著名なカビドレスのコンセプトを知ったのがきっかけだ。白いドレスやシャツにバクテリアや菌類が培養されて時間がたつにつれて展示された衣服たちは紫とか茶色とかオレンジとか黄色とか、美的な点から見ても美しい色彩を帯びて朽ちて行く。これはロッテルダムMUSÉE BOIJMANS VAN BEUNINGENで1997年に発表されたコレクションだった。
当時のリベラシオンの記事がこちら:http://next.liberation.fr/culture/1997/08/04/margiela-du-moisi-dans-le-froufroule-couturier-expose-un-vrai-projet-artistique-a-rotterdam-martin-m_213787

また、関心を持ったのは衣服のありうべき形態のラディカルな覆しである。小学生の時、古着リメイクが流行し、いわゆる個性派ファッションというものに憧れて、古くなった服を切り刻んだり縫ったり組み合わせたりした。着られるものもあったが、着れられなくしてしまったものもあり、そんな時は自分の技術と計画の浅はかさに嫌気がさしたが、もっとも深刻だったのは、自分が着られると思っても世間的に社会的に着られない状況に出会った時である。具体的にいえば、着てたら変だといわれ、そこで頑張ればよかったのだろうけれどもそんなに変ならば仕方ないかと折れてしまったこともある。マルジェラの提案するスタイルを改めて見直すと、服を着ることに希望を感じる。

FullSizeRender 9

アメリカの昔のものだそうだが、非常に大きなサイズのトルソ。またマルジェラは梱包に使うビニールシートやスーパーのビニールシートみたいな着心地も目的も無視した、しかし面白い素材を発見し続けた。

FullSizeRender 21

誰がタイツやストッキングは隠されていないといけないと決めたのか。タイツでシャツインするスタイル。

IMG_5001

有名な、靴下から作るセーター。靴下はむしろセーターを作るためにあらかじめ存在していたのではないかと疑いたくなるほどにずば抜けた発見だと思う。マルジェラはこの手の、既に出来上がった形の組み替えや分解、誇張やデフォルメを得意とした。

IMG_5004

IMG_5005

イッセイミヤケを思い出させる平面トレンチ。簡単そうに見えるが実際によく考えてみるとやっぱりそんなに簡単にはできそうにない。でもそれを纏う感じは大変きになる。

FullSizeRender 23

どうしても好きなのは袖ずらし(袖の四本ある)トレンチ。袖は腕を通すという目的のためにあり、腕の形をとっていて、我々は腕が二本あって、という全てが身体のために計画されているのが基本的な衣服のあり方である。それを覆そうとする試みには色々なジャンルがあるように思える。例えば、全く見たこともないフォルムを作ってしまおうと頑張るというのは、割と常套手段だろう。マルジェラはそれに対して、何も作らないことを選んだように思える。ポケットとか袖とか、襟とかウエストとか、作り方がわかっていてそれがなんであるかが誰にでもわかるものが急に別の目的で使用されたりあるいは目的が失われたりする。

IMG_5021

新しいものを作ろうとすることの多い芸術的な分野にあって、作らないことを選ぶのはそれだけで反抗的ですらある。リサイクルや既製服の組み合わせのアイディアを提唱しつつも、ある矛盾があるとするとすればそれは、ファッションの提案者としてそれを発表し続けることはそれだけでおぞましい材料を使い、ゴミを出し、労働力を貪って、消費社会に貢献することだろう。

マルジェラの展覧会は、服を着ることや着るものを選ぶこと、着たいものをいかにして得るかを久しぶりに思い出させてくれた気がするし、そして着ている身体が社会に現れることのテンションや摩擦を少しだけ楽にしてくれたような気がする。

01/22/18

publica18

スクリーンショット 2018-01-22 10.06.45

Download program here!
publica18 program

I am very happy to announce my participation in PUBLICA 18, taking place in Madrid on 25th January 2018. I will argue the utility of medical and ecological approach for arts awareness; possibility of artistic activities for social/cultural/scientific applications. I will introduce my recent experimental practice – exhibition « Pharmakon » I organized in Kyoto and Osaka in December 2017 (official website of exhibition « Pharmakon »)as well as other realizations around this subject. Here my brief presentation of speech.

you can take a look any information on : http://www.fundacioncontemporanea.com/publica18/

Arts awareness:

Practice of medical and ecological approaches for well being or happiness

Miki Okubo

The lecture will focus on significations and utilities of artistic approaches for bien-être (living better) in today’s society where our consciousness of medical issues/hygienic/healthy life is highly controlled by markets or other factors issued from economic system. I attempt to dig deeply possible practices and realizations of arts contextualized in medical and ecology. How artistic practice such as exhibitions and manifestations, can contribute to public sensibilisation in particularly specialized fields, such as advanced technics and new methods in medicine, where theirs specialized information is hardly accessible for ordinary people? What is the actual situation around medical art or therapeutic art in French and Japanese society?
Introducing my recent project – exhibition « Pharmakon » taking place in Kyoto and Osaka in December 2017, I will consider social role of art as « poison-remedy » ambivalence.

09/18/17

展覧会「ファルマコン:医療-エコロジーアートによる芸術的感化」Exposition Pharmakon

pharmakon exposition affiche 0920

ウェブサイト: 展覧会ファルマコン公式ウェブサイトはこちらをご覧ください! @MREXHIBITION.NET/PHARMAKON

「ファルマコン:医療とエコロジーのアートによる芸術的感化」
Pharmakon: Medical-ecological approaches for artistic sensibilization

展覧会:「ファルマコン:医療とエコロジーのアートによる芸術的感化」
Pharmakon: Medical-ecological approaches for artistic sensibilization

企画:大久保美紀
共催:特定非営利活動法人キャズ
協力:The Terminal Kyoto、京都大学こころの未来研究センター
助成:ポーラ美術振興財団、朝日新聞文化財団

会場・日時:
ターミナル京都(2017年12月1日~23日): 〒600‐8445京都府京都市下京区新町通仏光寺下ル岩戸山町424
CAS(2017年12月2日~23日): 〒556-0016 大阪府大阪市浪速区浪速区元町1丁目2番25号 A.I.R. 1963 3階

オープニング・レセプション
京都会場・大阪会場におきまして、各オープニングの日、アーティストを交えてレセプションを行ないます。フランスから参加のアーティスト達にとっては初めての日本での展示となります。ぜひお越し下さい。
京都会場:2017/12/1  ターミナル京都 18時~21時 参加無料
大阪会場:2017/12/2  CAS 16時~ 参加500円(アーティストトーク17時~)

キュレーション:大久保美紀
アーティスト:Evor, florian gadenne, Anne-Sophie Yacono, Jérémy Segard, 石井友人, 犬丸晃, 大久保美紀, 田中美帆, 堀園美

<展覧会について>
展覧会「ファルマコン:医療とエコロジーアートによる芸術的感化」(Pharmakon : Medical and ecological approaches for artistic sensibilization )は、フランスより5名のアーティストを招き、日本で活躍する3名のアーティストとキュレータ自身を含める9名の作家からなる現代アートのグループ展です。本展覧会は、ターミナル京都(12月1日オープニング)、および特定非営利活動法人キャズ(CAS、12月2日オープニング)にて12月23日まで開催いたします。

本展覧会「ファルマコン」は、今日の芸術表現が有用性や存在意義を厳しく求められている社会的状況の中で、アートという手段によってこそ実現することのできる社会問題・環境問題への対峙と、芸術表現を通じて他領域への問題提起すること、その意識化の可能性を模索することをめざしています。とりわけ、自然環境と人間の営みの相互的関係や、自然の一部としての人間にとっての先端医療や科学技術の持つべき意味について、芸術的アプローチを介して丁寧に見つめ直すための新しいパースペクティブを提案したいと考えます。

薬理学の語源であるギリシャ語ファルマコン(Pharmakon=φάρμακον, Greek)は、「薬」=「毒」の両面的意味を併せ持つ興味深い概念です。本展覧会のタイトルとしての「ファルマコン」は、治療薬やドラッグ(remèdes, drogues)を意味すると同時に、染色剤や化粧品などの毒性のあるもの(poisons)を意味するこの言葉の語源に沿って、病が肉体に定着する以前に行なわれる不適切な行為(投薬など)が却って状況を悪化させる可能性を喚起しながら、身体の自然治癒能力と環境へのコミットメントのあり方を巡り、身体のより健全な生き方について考えるようわたしたちを導いてくれるでしょう。さらには、芸術表現は、特定のメッセージとして放たれ、個人や共同体や社会に深く享受されたとき、それがひょっとしてある既存の体制にとってラディカルなものであったとしても、将来の生活や環境に現在のあり方を改善し、それをより好ましい傾向へ向かわせるものとして、つまり「毒=薬」としてふるまうことに着目します。

本展覧会が、芸術領域、専門領域、鑑賞体験という個別のフィールドを超え、それぞれを有機的に結びつけながらダイナミックな対話を生み出す「感化的芸術」(Artistic sensibilization)の機会となるよう願っています。

09/13/17

monades – exposition de florian gadenne

flyer florian gadenne

« monades » – exposition de florian gadenne à la menuiserie à Therdonne du 16 septembre au 1 octobre 2017.
certaines images publiées de ses travaux artistiques sur le blog de florian gadenne
florian gadenneによる個展 »monades »は9月16日より10月1日まで開催中です。会場は、TherdonneのLa Menuiserie (site La Menuiserie de Therdonne)、制作課程などは作家のブログle blog de florian gadenneをご覧ください。
会場にて撮影した作品のイメージを少し掲載させていただきました。ご覧頂けましたら幸甚です。コンセプト・作品詳細については後日また記事でお伝えします!

IMG_2974

SONY DSC

21843983_10213596512213323_559450226_o

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

SONY DSC

IMG_2977

SONY DSC