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日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」
開催日:2012年5月12日(土)・13日(日)

会場:神戸ファッション美術館 第一セミナー室/第二セミナー室/ギャラリー

1日目:5月12日(土)
13:00
会場・受付開始(学会員のみ)
13:30
総会(学会員のみ)
14:00ー16:45
実行委員長挨拶・問題提起 小野原教子(兵庫県立大学・現代ファッション)
セッション1「(人を)着る(という)こと」第一セミナー室
鈴木創士(フランス文学者/作家/音楽家)/幣道紀(曹洞宗近畿管区教化センター総監/妙香寺住職)/塩見允枝子(音楽家)/木下誠(兵庫県立大学・フランス文学)
17:00-17:45
企画パフォーマンス 西沢みゆき(新聞女)

2日目:5月13日(日)
10:00-12:45
研究発表(※詳細はサイトをご覧下さい)
13:45-16:00
セッション2「なぜ外国のファッションに憧れるのか」 第一セミナー室
高馬京子(ヴィータウタス・マグナス大学アジア研究センター・言語文化学)/池田淑子(立命館大学・カルチュラル・スタディーズ)/大久保美紀(京都大学大学院/パリ第八大学・美学)/杉本ジェシカ(京都精華大学国際マンガ研究センター・マンガ研究)
16:15-17:45
セッション3 「〈脱ぐこと〉の哲学と美学」 第一セミナー室
鷲田清一(大谷大学・哲学) VS 吉岡洋 (京都大学・美学)
17:45
閉会の辞 吉岡洋

日本記号学会ホームページはこちら(プログラムもこちらをご参照ください)

*上記研究発表内、第一セミナー室において
「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」
および、2日目午後のセッション「なぜ外国のファッションに憧れるのか」において、
「ファッションとキャラ的身体」というテーマで発表します。
発表要旨は以下★★★

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2012年5月 記号学会発表要旨

「モビリティ概念と身体意識 〜現代の自己表象行為を特徴づけるもの〜」

大久保美紀

本発表では、現代を生きる我々の身体意識とこれを特徴づけるモビリティ概念の関係について考察する。

モビリティとは文字通り可動的な性質であり、モバイル=可動性という言葉は、この20年間で瞬く間に技術的発展を遂げ、私たちの行動様式を再編成した携帯電話そのものをも意味する。また、エルキ・フータモは論文An Archaeology of Mobile Media(『モバイル・メディアの考古学』,2004)において、可動性を持ったメディア(ディバイス)をこれまでのメディア史において主として論じられてきた固定されたメディアと区別し、現代の速度論的社会(ポール・ヴィリリオ)の中で私たちの身体にいつも密着する形で移動するメディアとして定義した。

ウェアラブル・メディア、ポータブル・メディア、そしてモバイル・メディア。身体に密着し、いつも私たちの認識や経験と共にある新しいタイプのディバイスに対し、私たちは様々な呼び名を与えてきた。しかし、身体自体が運動し、メディアを介した情報コミュニケーションもまた潜在的なレベルで移動性を持っていることを鑑みれば、モバイル・メディアは適切な命名で、モビリティ概念こそが重要な意味をもつことが明らかになる。

さて、モバイル・メディアは身体意識(body consciousness)をラディカルに変質させた。ノートパソコン、タブレット、ケータイを通じてどこにいても常に外の世界に開かれ、そこに接続されている身体。 人々がディバイスをパーソナライズ化する行為はガラパゴス化した日本社会の特異現象と見なされてきたが、物質的な身体を離れた潜在的な身体のユビキタス的広がりを感覚する現代社会において、インターフェイスとなるディバイスを一つの身体の形代と見立てるのはむしろ自然なことですらある。

これらを踏まえるとき、現代の自己表象の特徴と傾向はどのように分析、理解されうるだろうか。表現方法は、テクスト、イメージ、パフォーマンス、オブジェ、それらを組み合わせたもの等様々である。今日では、絵画、小説、音楽、演劇、写真、服飾という芸術家の作品のみならず、ブログやmixiでの日記、写真共有サービス上でのアマチュア写真家のプレゼン、フェイスブックでの活動、ツイッターを介した交流もまた、現代的な自己表象行為を代表する重要な発表形態とみなすことができる。モビリティの時代における自己表象行為がどのような方法・形態で実践され、そしてそれは身体意識とどのように関係しているかという問題について取り組む。

本発表では、ハイ・アートの領域において身体をメディアとして扱ってきたオルランやぴゅ〜ピル、あるいはファッションにおける川久保玲らの活動を新たな観点から分析し、ウェブカムやデジカメ、インターネットの普及以降台頭したアマチュア・アーティストの活動やゲーム・コスプレの身体感覚にも言及し、その歴史的意味を読み解く。Mechanical Turkを利用した実験的作品の発表も行う。
以下、シンポジウム発表要旨
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キャラ的身体とファッション

 大久保美紀

人々は往々にして外国のファッションが好きだ。日本人は今昔フランスの老舗ブランドの重要な顧客であり、「パリ」「フレンチ」という言葉はオシャレで洗練されたイメージを想起させる。一方、フランスでは、日本語の形容詞「Kawaii」が未曾有のマンガ•アニメブームの中で堂々と市民権を獲得し、日本のKawaiiファッションもまたこの追い風を受けて熱心に受容されている。

さて、このように日本女子がヨーロピアンテイストを模倣し、パリジェンヌが着物やコスプレを愛好する今日の状況は、日仏の上流階級女性の間で19世紀後半に見られた洋装ブームやジャポニズムの流行と同様に「外国ファッションへの憧憬」であると見なされ得るのだろうか。本発表では、現代社会において経験される身体様態の変化に着目しながら、人々のファッションに対する今日的なスタンスがいかなるものかを明らかにする。

そもそも「憧れ」とは、理想とする物事や人物に心惹かれる有様である。また、自分自身が同一化したい対象、あるいは所有物として獲得したい対象を指す。現代社会を生きる人々は、ファッションに対して何を求め、どのような欲求実現を目指しているのかを具に分析すると、表層的にはかつての洋装模倣と同質で継続的に見える今日の外国ファッション受容は、従来とは全く異なる身体様態と対象意識に基づくものであるということが明らかになる。私たちは、一見外国ファッションを熱心に模倣し続けているかのようで実はそうではない。もはや「憧れ」てすらいない。

ゲームやヴァーチャルリアリティーという多様なシミュレーション体験、あるいは、既に日常的となったアバターや絵文字に依存するウェブ上のコミュニケーションを通じ、私たちの身体像は遍在的•虚構的で、極度に簡略化されたものとなった。シンプルで抽象的な図柄によって代表される自己イメージは「キャラ」的な身体様態を形成する。フェイスブックなどのソーシャル•ネットワーク•サービスに見られる特定のプロフィール写真は、アイコン化された自己認識を創り出し、ブログやミニブログのアイコンとそれを肉付けするテクストは、世界に「キャラとして私」をさらけ出すための自己演出を実践する。

キャラ化された身体は、自分自身の身体イメージを生々しいリアルな世界に置き続けながらも、他方でそれを記号的なモチーフとして作り直し、自分であり自分ではない別の存在として知覚する。このような身体的知覚を通じて得られるものが、ゲーム感覚的な人生観にもつながる、現実に対するある種の非直接的な意識である。自らと共にあるにもかかわらず、同時に無感覚なほど遠くにあるような身体。これが現在のファッションが依って立つところの身体様態の正体である。

人々は、西洋人のボディラインを手に入れることや、外国人らしい顔立ちになること、それをたとえば整形手術によって手に入れようと熱心に追求するのをもうやめてしまった。一方で、それに取って代わるアニメキャラやお人形、アイコン化された自己イメージが新たな憧れの対象として台頭してきている。それは、簡略化と修正を経ているにせよ、本質的には自分自身が関与するアイコン的イメージに還元されるという点で、逆説的にも、深い自己愛に満ちた愛されるべき身体様態であると言えるのではないだろうか。

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