松田有加里/Yukari Matsuda, 奏でられるイメージ
松田有加里(写真家)インタビュー
私が松田有加里の作品とはじめて出会ったのは、パリのバスチーユ広場の眼の前にあるギャラリー、メゾンダール・パリでの個展においてであった。その時展示されていた作品の中で、陽の光が差し込む草原風の緑色のなかに、ひとつの壊れかけた白っぽいベッドが佇んでいる。その一枚のイメージが鮮明に目の裏に焼き付いて、忘れることが出来なかった。
パリでの個展のタイトルは »Fantasia »(ファンタジア)。展覧会に一歩足を踏み入れてみればわかる。彼女が提示する写真たちはそれぞれが、たしかにどこか妙なオーラを放っていて、同じものを今まで目にしたことがない。こわれたベッドの作品もそのうちの一つだ。いつどこでどんな季節に撮影されたものなのか、まったくわからない。それどころか、あらゆる属性を突き放して、ある日ある場所に陽のあたるジャングルがあって、そこには鮮やかな色彩の花が咲いていて、壊れた白いベッドがそこにありました、という物語だけがこの作品の真実であるようにすら思えてくる。実際に作品を目にして頂きたく思うが、光の捉え方が素敵な作品だ。
彼女の写真のモデルとなるのは、私たちが生を受けるずっと以前、父も母も生まれる以前から世界にひっそりと存在し、すこしずつ歳をとってその役割を終え、とても静かに世界から消えていってしまおうとしている古い古い建物やアパート、学生寮などである。昭和初期に竣工された京都市左京区の銀月アパートメント、東京の同潤会アパートメントハウス、さらに京都大学の吉田寮などが彼女の被写体となってきた。
個人的な話だが、私は京都大学交響楽団の出身で、吉田キャンパスの南西端の空間を練習場所のひとつとしていた。松田有加里が今日まで10年以上にわたり撮影を続けてきた吉田寮を毎日視野にいれながら、「焼け跡」と呼ばれる吹きっ晒しの空き地(昔に火災があり、建造物が消失した後空き地のままであった)で楽器を練習していた。隣り合わせの集会場は交響楽団の練習場としても使用されており、構造を含めよく知っている。今思えばこの上なく残念だが、吉田寮自体に深く足を踏み入れた経験はなく、通過した程度だ。1913年に建てられ、いまや日本最古の学生寮である吉田寮は、昨年3月11日に東北地方を襲った震災以降の見直しのダメ押しを受けて、遠くない将来の取り壊しが囁かれているという、そんな話を耳にした。
吉田寮は人々の心をとらえるフォトジェニックな建造物であるらしい。通りすがりの旅行者が大きなカメラを構えて撮影にやってくるのをしばしば目にしたし、映画『コクリコ坂』の素敵なカルチェ•ラタンはまぎれもなく、この敷地内にあるサークル棟、「集会所」そのものである。しかし、実際にこの界隈を知る人が松田作品を目にしたなら、とにかくそのイメージの異化されように驚くのは約束された運命であろう。種明かしをされてからよくよく見れば、知っている建物であるに違いないのに、思わず、彼女の創り出す »Fantasia »の世界観にのみ込まれてしまうようだ。たしかにこんな写真は目にした経験がない。
「もうなくなってしまうものを、作品として残し、それを後世の人に伝えていきたい。そして出来るだけ多くの人に見てもらいたいと思う」、そのために作品をひたすらつくり続けていくのが自分の使命であると松田は語る。ただし、細部まで鮮明で物件資料として使えてしまうような、時と場所に縛り付けられたつまらない写真は一枚もない。あくまで自分の直感を信じて、見えた色や感じた光を一ミリの妥協も許さず再現していく。いずれ世界から消えていってしまうけれど、かつてはそこに存在したものたちの記憶の集積を、彼女の持つ色彩とリズムによって表現していく。これが、アーティストとしての松田有加里の活動の核である。
松田有加里という写真家は、写真家である以前に一人の明瞭な表現者である。ピアニストであり、オルガニストである。詩も書く。ライブで演奏され、時間の中に消えていってしまう音楽とマテリアルとして残り続けていく写真。写真という手段は、音楽の領域で様々な問題に出会いながら、伝えるものを最もベストな形態で表すためにたどり着いた表現手段の一つに過ぎない、と語る松田は、音楽において養ってきた身体訓練と集中力、芸術的直感をもって、表現を実現するための様々な写真のテクニックをほぼ一年間で集中的にマスターしたという。いくら表現すべきものをもつ表現者であったとしても、メディウムを変えるというのはものすごくエネルギーのいることで、誰もが実現できることではない。彼女は、自分が写真という表現手段に向いているのだという事実を、これもまた直感で感じ取っていたに違いない。
「タイマーは使いません。テンポは自分の中にあるし、撮影したときからつくりたいイメージは出来上がっています」
松田は暗室の中で自分の身体の中にあるメトロノームのテンポを基準にイメージを紡ぎだしていく。作品は時に幻想的な色をおび、フルーでピンぼけであるものすらある。写真はリアルを写し取るメディアではあり得ないということを作品は語っている。視野に入っているものと見ているものは同一ではない。
(略)ファンタジアが鳴りやむその日には、降るはずのない季節外れの雪がそっと舞うだろう。(松田有加里)
「文章をつけることで、解釈の幅を狭めるかもしれないということは危惧しました。でも、見る人というのは自分の経験や感情に引きつけて見ているので、意外とテクストに左右されないことに気がつき、それからは詩も付けて発表しています」
鑑賞者に解釈をゆだね、作品が一人ひとりの人間の中で消化されることを受け入れながら、出来る限りコミュニケーションをとっていこうとする態度を持ち続けている。とりわけ現在彼女が取り組んでいる作品を集めた「本」づくりも、様々な事情で展覧会会場へ足を運ぶことができない潜在的鑑賞者を考慮してのことでもある。
彼女の今まで創ってきた、そしてこれから創っていくであろうイメージが、後々多くの人々の目に触れるように伝えられていけばよいと思う。彼女が語るように、どこのなんと言う名前の建物であるとか、何年の竣工であるとか、必ずしも時と場所の情報に縛られるのではなく、人々の生きた物語の記憶として、いろいろな国の様々な人々に受け取られてゆけば、とても素敵であると思う。
インタビューに快く応じてくださり、お時間を割いてくださったご好意に心より感謝したい。
(2012年3月14日、大阪にて)
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