Ai Weiwei
Entrelacs
Jeu de Paume (Concorde)
21 février- 29 avril 2012
Jeu de Paume HP
ルーブル美術館からチュイルリー公園へ抜けて、芝生で太陽をたくさん浴びて憩っている人々の様子を見ながら、コンコルド広場の方まで歩いていくと南側にオランジュリー美術館、北側にジュ•ド•ポーム美術館がある。このJeu de Paumeは現代アートを中心にエクスポを開催していて、最近記憶に新しい展覧会では、Dian Arbusの回顧展が大盛況を収めていた。そして、現在開催されているのがAi Weiweiの展覧会、Entrelacsである。Entrelacsはフランス語で「絡み合うこと」「交錯するもの」といった意味。この展覧会では、建築家、彫刻家、写真家、コンセプチュアルアーティストとして活躍する一方、ブロガーでありツイッターでの活動家であり、政治的活動も行ってきた、Ai Weiweiの1983年以降の写真作品やビデオ作品、多様なプロジェクトと彼が中国と世界に向けたメッセージがJeu de Paumeの展示空間を越えて、交錯しながら発信されてゆく、そんな展覧会だ。
Ai Weiweiは1957年に北京に生まれる。北京でシネマアカデミーを卒業した後、1978年から数名のアーティスト達とともに星星画会を結成し、ソーシャル•リアリズムに反対し、芸術的個人主義と実験主義を打ち立てて文革後初の前衛芸術グループとして活動するが、政府の弾圧を受ける。1983年にはニューヨークに渡り、Andy WarholやMarcel Duchampといった重要なアーティストの活動に刺激を受ける。とりわけDuchampが彼のコンセプチュアル•アートに後々まで与えた影響はとても大きく、この頃に彼のキャリアの中で初めてのレディメイド作品と、ニューヨークでの中国人コミュニティーにおける彼や彼の友人撮影した何千枚ものドキュメンタリー写真を制作している。
彼をとりわけ有名にした作品のうちの一つに、《鳥の巣/Bird Nest》がある。2008年の北京オリンピックのために建設された北京国家体育場は、2002年に中国政府によって開催された国際建築設計競技において優勝したHerzog & de Meuronの案が採用され、デザインにAi Weiweiが芸術家として協力している。Ai Weiweiの作品の中には、今回展示された、《鳥の巣/Bird Nest》の建設中の経過を撮影した大きなフォーマットの写真の他にも、《北京空港ターミナル3/Beiging Airport TErminal 3》においてこれもまた北京オリンピックのために国を挙げて途方もなく大規模で現代的なターミナルを建設している経過の写真や、自分自身がデザイン•建築プロジェクトに関わったすばらしい建物がたてられ、まもなく弾圧によって取り壊されてしまうまでの記録写真、さらに2008年の四川大地震の実態を明らかにする多数の写真(ブログで公開されていたもの)も展示されていた。
Ai Weiwei の建築に関わる写真には、築造途中から完成までを記録した写真と崩壊を記録した写真がある。彼の仕事が伝える強烈なメッセージは、その双方に、始まりも終わりも、始まる前も終わった後も、すべてが二重写しされているという事実なのである。すばらしい北京空港のターミナル3は、永久に存続するはずはなく、いつかは取り壊されてしまうだろう。四川大地震で崩壊した建物のがれきはかつて、家族が住む小さな家の壁であり、子ども達が勉強する学校の教室の天井であった。人々はモノを作っては壊し、壊れては作るのであるが、Ai Weiweiの写真にはその完成と崩壊を喜ぶのでも悲しむのでも諦めるのではない、時の流れや自然の力を受け入れるという姿勢を感じさせる。
その一方で、四川大地震の建物崩壊について、Ai Weiweiは中国政府がうやむやにしてきた欠陥建築や安全性を欠く校舎のせいで多くの犠牲者が出た現実を許さなかったし、被害者の家族の抗議を無視して正しい情報を開示しない政府の対応を許さなかった。彼は2008年5月の地震発生直後より、2010年4月に中国政府によって自宅で軟禁されるまで、途中ブログの内容を強制的に削除されるなどの困難に遭いながらも、犠牲者のために情報を明らかにし、責任追及を行う活動を積極的に続けた。2011年4月3日には再び拘束され、6月22日に保釈された。
ここで少し別の作品を見てみよう。この展覧会では、2007年にKassel Documenta 12で発表されたFairytaleという大規模なプロジェクトの記録であるドキュメンタリービデオ(インタビュー)とKasselにつれていく人々を選ぶためにAi Weiweiが一人一人に面接を行ったのだが、その場所で撮影されたポートレートが壁一面いっぱいに展示された。Fairytaleは驚くべきプロジェクトであった。第12回ドキュメンタに招待されたAi Weiweiは人口20万人程度のKasselの街に1001人の中国人をつれていって、「生けるインスタレーション」を展示しようという試みであった。そもそも中国では海外旅行のためのビザの獲得はきわめて困難であるし、彼が連れてきた人々の中には少数民族地区に住むとても貧しい人々もおり、このプロジェクト自体が現実味を帯びていないむしろ「おとぎ話」とか「夢」のたぐいのもの。Ai Weiweiはこの小さな町に1001人の中国人を連れ込んで、一種の文化交流をしてやろうと目論んだ。
インタビューを聞けば明らかであるように、カッセルの街に1001人の中国人というのはそれだけで街の雰囲気を変えてしまったらしい。ドキュメンタ会場にはもちろん、町中にも市場にもどこにでも、カメラと地図を携帯した中国人の姿があるのだ。アートに関わらず、ドキュメンタの開催をしらない市民たちもこの変化に気がついていたほどである。インタビューの中で印象的だったのは、カッセルの人々が中国人のイメージが変わったと口々に語る場面である。礼儀ただしかったし、きちっとしていたし、レジデンスも綺麗に使っていたし、ということを述べるカッセルの人々の姿が映される。どれだけ海外を活発に動き回り評価されているアーティストであっても「わたしは何人であるか」というアイデンティティーのTatooを誰しも刻まれており、それは無視することが不可能な何かだ。Ai Weiweiのプロジェクトは色々な条件で生きている同じ祖国をもつ人々に異国Kasselの地で一生ものの想い出Fairytaleを経験させるとともにKasselでの出来事を通して自国の国民をポジティブに紹介するというハートフルな作品である。こういった多くの人々の人生すらも動かしうる作品を実現することは、芸術の中でも最も重要な活動であると思うのだ。
Shanghai Studio which Ai Weiwei worked for, was demolished just after its construction.
Chinese people’s bed room for their stay in Kassel Documenta 12