09/12/19

ホメオパシー(同種治療)について9脱線2 「葉脈が浮き出ているタイプのキャベツを買いなさい。」

ホメオパシー(同種治療)について 9(2019年9月13日)
脱線 その2 「葉脈が浮き出ているタイプのキャベツを買いなさい。」

そういえば、せっかく乳腺炎がらみで処方されるホメオパシーをひたすら列挙したついでに、処方箋には記載されないのだが、とにかく勧められたケアについて、この機会に書き留めたいと思う。実は、この記事はホメオパシーについて書いているけれども、この(ちょっと冗談みたいな)脱線2はそこそこ大事な話だと思っていて、なぜなら、個人化された医療であるホメオパシーはひたすら繰り返している通りエビデンスがなくプラセボ同等とみられているけれど、そもそも一人一人が異なる個体である個人の身体をさらにはその生活習慣や環境まで全体を見渡して処方を行うホメオパシーでは、リメディーが効いたか効かなかったか、結局その個人でしか実験不能なところがあって、つまり、実践したその人にとって効果があったと認識されれば、それは薬が症状に働いたというに十分なのである。したがって、以下に書くキャベツの話は、それこそ日本ではコテンパンに言われてきた民間療法だけれども、今日でも大真面目に推してくる助産師がいて、一定数以上の授乳中の女性がキャベツでケアしたことがあり、そのうちの一定数以上の患者が「キャベツ湿布は効く」ことを経験していることを踏まえ、白菜でも小松菜でもチコリの葉でもなく、「キャベツ」がなぜ乳腺炎で湿布に使えと言われるのか、いや、別にキャベツが他の野菜に対して特殊だということを言いたいのではなく、むしろ、ただのキャベツがどうやって一定数以上の痛がってた女性を救ってきたのか、考察してみたい。

話を始める前に、「は?なになに、キャベツキャベツってさっきからなんの話?」という方のためにざっくりキャベツにまつわる歴史的な療法を紹介しよう。

一聞すると、風邪の時梅干しをおでこに貼るといいとか、ネギを首に巻いて寝るといいとか、おばあちゃんの知恵袋ちゃうん?と思えるのですが、「乳腺炎の時(乳房が腫れて熱を持っているとき)キャベツの葉を乳房に貼りなさい、炎症が取れて乳の出が良くなるよ」というのがあるのです。おばあちゃんの知恵袋じゃなくて、医療のプロである助産師に大真面目に言われる。え、キャベツ?ときき返そうものなら、目の奥をまっすぐ見つめて、「葉脈が浮き出ているタイプのキャベツを買いなさい。」と彼女は言う。はあ、葉脈の浮き出てるタイプのキャベツ、あれね。(画像を参照。普通の白キャベツじゃなくて、葉っぱがもこもこと盛り上がってヴォリュームのあるやつだ。)

キャベツによる療法とは、熱を持っている乳房に冷やしたキャベツの葉を湿布することで、熱や痛みを緩和し、乳腺の詰まりを解決しようとするものだ。さて、調べても、なぜキャベツが(他の葉菜じゃなくて、どうしてもキャベツが、しかもどんなキャベツでもいいわけじゃなくて葉脈のもこもこのキャベツが)優れた効果をもたらしてくれると断言されてるのか、どうやって乳腺の炎症を取るのか、乳腺の詰まりがどんなからくりで開通するのか、キャベツが私の乳に何をしてくれるのか、正直一切わからない。(葉脈のモコっとしたキャベツじゃなくても白キャベツでもいいと言う人もいる)あまりにわからないので、探求は続く。そうすると、日本でもキャベツ湿布は助産師のカリキュラムの中に登場するほどポピュラーな療法であることを知ったけれど、同時に、それはエビデンスの無さから今日ではだいたい「こんなものを真面目に薦めるなんてありえん」と一掃されていることも知った。(さらには日本のキャベツ湿布は乳首の部分は穴を開けて貼るように指導しているらしいことも知った!)

疑問は尽きない。

・葉は一回きりで効き目がなくなってしまうので次々新しい葉を使うべきなのか、それともなんども使えるのか。

・何度も使い回しできるとして、どうしたらいいのか。冷やしたら効き目がチャージされるのか。

・何分くらい乳房に当てていればいいのか。

・何という成分がどう炎症に作用するのか。

彼女は自信満々に言った。「処方したホメオパシーはもちろん、キャベツはむちゃくちゃ効くから、帰り道キャベツを買ってすぐに実践しなさい!授乳前に毎回貼るといいわよ!葉脈のモコっとしたやつね!」

キャベツだけに優れた乳腺の炎症を取るための成分があると、私は思っていない。ひょっとしたらパラレルワールドではキャベツじゃなくてアスパラだったかもしれない(いや、棒状の形状では胸に貼れないし不便だからそれは無理か…)同時に、大真面目な助産師さんたちと助産師さんたちに「いや~、こないだ教えていただいたキャベツ湿布、めっちゃ効きましたよ!」とキャベツ湿布サポーターとなった患者さんたちが嘘を言っているわけでも、物事の効果を見極められなくなっているわけでも、非科学的な物事が大好きなわけでも、ないと思う。彼女らにとって、キャベツ湿布は窮地を救ってくれた代物だったのだろう。つまり、<効いた>と認識されたんだろう。その限りで、キャベツ湿布は、その役目を十分にになったことになる。例えば、何の客観的エビデンスがなくて、成分とか効能が立証されてなくて、全く効き目がないと述べる人がたくさんいたとしても。

ちなみに、効く効かないの前に、別に毒はなそうなキャベツ湿布を批判するもっとも説得力ある説明だと、野菜の表面には多数の細菌が付着している可能性があって、生野菜をまだ食べないし腸内細菌の発達や消化機能が未発達の新生児や乳児が、キャベツ湿布のせいで乳房に付着していた悪い細菌(リステリア とか)を摂取してしまったら危険だ、と言うもの。キャベツにどんな細菌がついている可能性があるのか、詳しくないのだが、何とも恐ろしくなる説明である。

まとまりのないキャベツ湿布談義になってしまったが、私の結論は以下である。

キャベツには、乳腺炎に効く成分があるわけじゃないと思う。ただし、キャベツ湿布に救われた切羽詰まってた女性がたくさんいるのは馬鹿げたことじゃなく本当だと思う。キャベツ湿布のポイントはキャベツの葉っぱのちょうど素晴らしい形状とひやっとする温度と、(葉脈がモコっとしたタイプならなおさら素晴らしい)ひんやり感を効果的じわじわに乳房に伝えるテクスチャーだと思う。キャベツ湿布の効き目は以下のように分かれる:

キャベツ湿布実践の結果、

①ひんやりして気持ちが良かった・熱が取れた・実践しているうちに乳腺炎が落ち着いた(偶然、タイミング的に)=キャベツはすごい!

②良くならない・症状が悪化した=キャベツなんか効かねーよ!

このいずれかである。ネガティブフィードバックは助産師の個人のキャビネットではなかなか吸い上げにくいだろう。なぜなら、全然効かなかったら、同じ医療者のところに戻ってこないかもしれない可能性が多いから。一方で、効いたら、そのプロのところにまた戻るから。だから助産師たちはポジティブフィードバックをこの件に関しては耳にしやすいと私は予測する。

今回キャベツの話ばっかりだったのだが、効き目の判断の下りなんかは、特に、効く人と効かない人の両方がいて、どちらも嘘つきなんかじゃないと言う点については、私たちは割といろいろなことを、一つが正しければもう一方は誤っていると言いがちな価値観を植えつけられていることを思い出して、そうとも限らんと一歩後ろに下がって考えてみるために、意味があるのではないかと思う。

09/12/19

ホメオパシー(同種治療)について8 リメディーの原料と効き目の例

ホメオパシー(同種治療)について 8(2019年9月6日)
リメディーの原料と効き目の例

ヒキガエル、というのだろうか。フランス語ではアマガエルのような小さいやつじゃなくてこういうドッシリしたカエルをクラポー(crapaud)という。小さいカエルであるグルヌイユ(grenouille)よりもキャラが立っていて、個人的には雨が降った後の田舎道で車に轢かれて残念な感じになっていることの多い、アイツである。

個人的な話になるが、夏からの数回の助産師診察のたびにホメオパシーをたくさん処方されたのだが、その中の一つに、上のヒキガエルから作られるリメディーRana Bufoがあった。Rana Bufoのホメオパシー利用とその効能について詳しく説明した論文も見つけて、読んで見た。ものすごい多岐にわたる効能が期待されていることがわかった。あまりに長い論文だったので簡潔にいうと、背の方から分泌される毒を抽出して作られており、皮膚の化膿やリンパ系の炎症、コントロール不能な性的興奮、知的活動の衰え、感情の制御不能など行動に関する問題にも効くらしい。

あとは、ヨーロッパ蜜蜂の全身をすりつぶしたものが元になっているApis mellifica。蜜蜂が使われているというので、主なる効用は、虫刺されのチクチクする痛みや晴れ。蜂に刺されたのと似たような症状が現れる水膨れの類。このリメディーは、即効性があるけど長くは効かないので、頻繁に摂取しないといけないらしい。

また、Phytolacca decandraは、アメリカブドウとして知られ、ブドウのような実がなるが、毒性が強い。実は子供や動物にとって毒であるが、根も茎も葉も樹液も毒を持っている。大人でも、妊娠中の女性は摂取すべきでないとされる。中毒になってしまったら、吐き気、唾液過剰、下痢や血便、呼吸困難、痙攣、死ぬ恐れもあるとか。この植物はホメオパシー的には、女性の生理不順や乳房の問題、リュウマチの炎症に使われる。特に、授乳期の女性の胸の痛みや炎症(化膿の始まり)、乳首の傷などに効くことになっているので、複数の助産師が乳腺炎のケースでこれを処方していた。

それからBryoniaは中央ヨーロッパの高地に生息するヒョウタン科の植物。耳鼻咽喉の炎症を抑える効果があるほか、肺炎にも効くとか。また炎症ということではリュウマチに効き、便秘にも効く。そして乳腺炎にも。母乳が出るようにもなるとか。この植物を食べると炎症が起こるとか、どのような毒性があるのかまだ調べられていない。

Belladonnaはイタリア語でズバリ「美しい女性」。ナス科オオカミナスビ属の植物で、小さい丸いナスっぽい実がなる。根と茎に毒性があり、葉には油が浮いていて触れただけで酷くかぶれる。トロパンアルカロイドを含み、中毒を起こすと、嘔吐、異常興奮、死に至ることすらあるらしい。恐ろしい。ちなみにこの植物はベラドンナコンという薬品として実用化されている。ホメオパシー的には、熱や炎症に関わる症状に効く。粘膜の乾燥や肌のかぶれ、更年期の体の火照りにも効くらしい。ちなみに、「美しい女性」以外にもたくさん呼び名があって、黒いボタン、怒りのナス、悪魔のさくらんぼなどと呼ばれる。中世の女性はこの毒ナスを目元のお化粧するのに使用していたらしい。

この辺りはしばしば乳腺炎を含む授乳の問題に関する外来で助産師が処方するホメオパシーである。症状や処方する助産師にもよるが、だいたい1日に3回、5粒くらい飲んでくださいということだとして、4、5種類あった場合、普段飴とか甘いお菓子とか食べないので、舌下に20粒くらいの砂糖玉をダラダラ舐めてること自体が相当甘ったるく、蜂とかカエルのことを想像してみても希釈のことがあるのでやはり甘さだけが口の中に戻ってきてしまった。たとえヒキガエルエッセンスを摂取していようとも、粉々になったミツバチのカケラを水溶液の記憶程度に飲み込んでいようとも、<毒によって毒を制す!>イメージとは程遠い甘ったるい体験なのである。

(もしホメオパシーの他のリストをご覧になる場合、http://www.doctissimo.fr/sante/homeopathie/souches-homeopathiques こちらに一覧がある。)

09/10/19

ホメオパシー(同種治療)について7 脱線その1 胎盤食について

ホメオパシー(同種治療)について 7(2019年9月10日)
脱線 その1 胎盤食について

ホメオパシーについて書き始めたとFacebookで報告した時、何人かコメントをくださって、そこで胎盤食について数名の方々とやりとりした。胎盤は、出産時、子が出てきたのちに役割を終えて脱落するため、後産として産み落とすことになっている見た目非常にグロテスクな代物であるが、そもそも妊娠期間は子宮に形成され母体と胎児の連絡器官として機能する。哺乳類は一部を除いてその多くが胎盤を作る。重さはだいたい500グラムくらいあるらしい。形状は平べったく丸いため、プラセンタ(=胎盤)は平らなケーキという意味らしい。えー、ケーキかあ…。ともあれ、この胎盤、現在ではそもそも胎盤そのものを意味する「プラセンタ」という呼び名で医薬品とか健康食品になって出回っているらしい。私は日本でそういった商品を消費したことがないのだが、ググってみると、健康食品の典型的フレーズが出てくる出てくる。<美肌><アンチエイジング><美白><体調改善><更年期障害に効く>…。そのうち、「馬の方がいい、豚の方がいい」という文字が目に入る。ええ?!やっぱり健康食品となると加工品なので、そもそも人の胎盤からすらも遠ざかってしまうようである。

胎盤食は人においては象徴的意味が大きい。人以外の哺乳類ではクジラやラクダなど例外を除いて霊長類を含め胎盤を食べる。栄養的な面と出産の形跡を消す二つの意味があると調べると書いてある。非常に腑に落ちる二つの解釈だなあと思う。(ただ、はっきりとそうだとは断言されておらず、面白いのだからどなたかちゃんと調べればいいのになあとか思ってしまう。)

人間は出産はどうせバレバレでじっくり行うし、産み落とした直後に証拠を消さなければならないほど切羽詰まった状況もないので、栄養面のメリットから胎盤食について考えることにする。

よく言われる更年期障害防止は、産み落とした後更年期になるわけじゃないから、なんとなくこじつけっぽい。まあなんとなく<雌=産む動物>としてのパワーが満ちてそうだから、理屈は理解できるが、更年期って、そういった雌性から身体が変化していくのだから、逆戻りしようと胎盤を食べるのってなんだか違う気がする。母乳分泌に効くとか、産後の貧血に効く滋養強壮とか、出産後に即戦力になるような効能がある方が納得がいく。うつ対策というのは、なんとなく胡散臭いが、ひょっとしたら、産後の体で新生児のお世話があまりに大変で気が遠くなるのを防止してくれる、とかだったら分からなくもない。が、ちょっと(笑)って感じだろう。そしてちょっと面白いと思ったのが、胎盤摂取がオピオイドを増大させ痛覚脱失を起こす研究があるらしいことである。(ちょっとつまらないのが、ヒトではそれが証明されておらず、ラットで、というところなのだが、、、)オピオイドというのは、手術や癌の疼痛を管理するために使用される鎮痛作用のある物質で、アヘンの類の麻薬であるため、摂取量によっては陶酔作用がある。なぜだろう。なぜ一般的に大変痛い出産時じゃなくて後産で産み落とす胎盤を食べて出産後にアヘンでふわふわになる必要があるの?と思うが、よく考えたら痛いのは出産時だけじゃない。その後も相当痛い。個人的な記憶では出産後の方が色々とよっぽど痛かった。しかしながら、実際のところなぜ胎盤にオピオイドが含まれているのか、私にはよく分からない。

胎盤のことを考えていたら、今日の出産では胎盤をどうしますか?なんて聞かれることがないので10ヶ月の妊娠期間を経てしか生成されない大変貴重な代物であるのにほとんどの人が産後自分の胎盤がどこに回収されたかわからない状態であるが、時々いらっしゃる、川とか森とか(そこまでせんでも自宅のお風呂とか)で極力自然に分娩する方々なんかの中には胎盤食を実践する人もいるんだろう。500グラムの「平たいケーキ」を出産直後に完食するって、見たことないけど想像するだけで生きる力がみなぎってて素晴らしいし、カッコイイだろうなあとちょっとうっとりする。

09/9/19

ホメオパシー(同種治療)について 6  ホメオパシーは妊産婦の味方?

ホメオパシー(同種治療)について 6 
ホメオパシーは妊産婦の味方?(2019年9月9日)

こだわりや詳細な知識あるいは信仰を持たずに、ひょっとするとそれがなんであるかさほど疑問視することもないままにホメオパシーを試したことがある人の中には、それが妊娠と出産をめぐるコンテクストだったという人も多いはず。ホメオパシーは、フランスでは2019年現在で、なんと半数ほどの大学の医学部や薬学部で教えられている。つまりそこでは、ホメオパシーを専攻してディプロむを取得することが可能だ(http://www.psychomedia.qc.ca/sante/2019-07-06/homeopathie-enseignement-universitaire)。しかし、これまでも述べてきたように、現行の実験ではホメオパシーがプラセボ(偽薬)以上の効果がないことなどを理由に、「似非科学」「似非治療」と罵る厳しい批判の声が尽きず、複数の大学でホメオパシー教育に終止符を打って、全面的に廃止する動きが起きている。

一方で、ホメオパシーを処方する助産師(sage-femme)の数は増え続けており、2011年処方が合法化された当初、24%であったホメオパシーを主として処方する助産師は、2013年では42%まで増加している。この背景には、人手不足かつキャリアが正しく認められていなかった助産師の社会的権利と医療実戦における権利の見直しと拡大がある(http://www.doctissimo.fr/html/grossesse/accouchement/15349-droits-sages-femmes-elargis.htm)。あまり知られていないが、助産師になるためには5年間の専門教育が要求され、これは一般医や歯科医と同様であるのに関わらず、助産師は薬の処方や処置の点でかなり限られた権利しか持たない。そこで2011年以降何度か起こった権利見直しのための運動の結果、助産師は新たに、妊婦の胎児の問題に関わる抗生物質、授乳の痛みや問題に関わる治療薬、つわりや頻尿の問題、生理痛の問題、産後の避妊などについて、ホメオパシーのリメディーを含め、薬の処方の拡大が認められたのだ(助産師が処方できる薬のリスト:https://www.legifrance.gouv.fr/affichTexte.do?cidTexte=JORFTEXT000024686131)。

この権利拡大のきっかけとなった助産師たちの運動の背景には、妊産婦から薬処方の強い要求があるにも関わらず何も処方できない状況があった。妊娠中、あるいは授乳中は、食生活、経口薬はもちろんのこと、塗布薬に至るまで制約がある。私自身の妊娠期の経験では、つわりの症状が強く出て、それも2ヶ月ほど続いたので、産婦人科医が検診のとき、「症状を抑えるような薬は何にも飲めないし、つわりに薬なんかないのよ、そのうち治るんだから大丈夫よ」と彼女が言い放った際、本気でイラっとした。そして、そんなことがあって良いものかと本気で思った。そこから、たとえ薬の処方がデリケートだったとしても今日こんなにも医療が多方面に発達し、研究が進んでいるのだから、女性の妊娠期の不快感(時に悠に不快感を通り越して、苦痛といっても過言でない)に対して何も対処しようとしないのは、産む女性を「苦しむべき存在」と見なすような、「産み出すのは苦しくて当たり前」と古臭いマッチョな美徳をなおも押し付けるような恥ずべき実状じゃないのか!と深く憤るまで感情が高まったのを熱さが喉元過ぎた今ですら全然忘れていない!世の中の女性たちよ、<当たり前>、<仕方ない>、<そういうもの>、とか甘んじてないで奮起しようよ!絶対ちゃんと効くお薬が人類には作れるよ!と本気で思った。というか今も思っている。現状は絶対(苦しんで生むべし美学に基づく)怠惰の結果なのである。しかし、女性は妊娠期の直後(つまり出産の後)新生児を抱えてたちまち大変忙しくなってしまうので、残念ながら(あるいは怠惰でマッチョな人たちには幸運なことに?)、過ぎてしまったつわりの苦しみや妊娠期の不調に対して今後の人々のためにマニフェストするエネルギーも時間もないのだ。そうして、今日まで「苦しむのが当たり前でしょ」というフレーズがまかり通っている。ホメオパシーの話題からちょっといやだいぶ逸れているが、もう一度言いたいのだが、女性は(あえて苦しみたい場合を別にして)生むために苦しまなくてもいい、と思う。

さて、この話で何を言いたかったかというと、妊産婦は摂取できる薬が大変限られた(あるいはほとんどない)状況におかれているので、心身の不調をきたした時、これまでいとも簡単にお薬を飲んで不調をサクッと改善して生きてきた人々は、かなりパニクる。なすすべがないなんて?苦しいまま過ごさないといけないなんて?そこに、ホメオパシーが提案される。完璧なシチュエーションである。これしかない、というわけだ。産婦人科医は処方しないだろうが、そこで困って助産師に相談しに行けば処方してもらえるというわけだ。

ちなみに、また繰り返して申し訳ないが、私はホメオパシーを馬鹿にするためにこれを書いているのでない。困った時にホメオパシーを処方されて症状が緩和した、助かった!という人やそもそもホメオパシーを実践している人の肯定的な証言を無下にする気は無い。症状が改善したなら良かったし、効かなかったら残念だと思うだけだ。

ただ、強調するのは、ホメオパシーは妊産婦に処方される時、それは唯一の可能な投薬として処方され、彼女らはしばしば妊娠という非日常的で(多くの場合慣れてもいない)身体の異常事態に直面してしばしばパニクっているので、ホメオパシーはこのタイミングで、なんていうか、もうあるだけでたいそう有難い代物として登場する。よく知らない人も疑い深い人も、本当に困っている時の唯一のお薬として提示されたホメオパシーをやってみないわけにはいかないだろう。だってやって損はないのだから。だって本当に困っているのだから。そういうわけで、思うに、ホメオパシーの居場所が妊産婦の体調管理であり助産師による処方が主流なのは大変わかりやすいなあと思う。

09/9/19

ホメオパシー(同種治療)について 5 <個人化された医療><優しい医療>というイメージ

ホメオパシー(同種治療)について 5 
<個人化された医療><優しい医療>というイメージ
(9月9日)
ホメオパシー(homéopathie)は、代替医療(médecine douce)の一種であり、原材料から抽出した原液をかなり希釈した上で砂糖玉と合わせて仕上げているために副作用がほとんどなく、その処方は個人の体質、生活環境に対応している。ホメオパシーは、患者の<全体>(globalité)を見ることを原則とする。症状が観察できる部分だけでなく、患者がどのように症状を訴えているか、よく症状の周辺を観察するのはもちろんのこと、患者の精神的状況やこれまでの生活について、さらにはどのような生活環境で日々を送っているのか、患者の<全体>を見極めた上で最もあったリメディーを選択する。遺伝による病や、体質的にかかりやすい病気などの素質を熟知した上で、病になることを避けるための予防すら行うことが可能だ。この点は、現行の医療で処方される薬が基本的には予防ではなく治療を目的としているのと大きく異なる。(私が以前取り組んだmédecine personnaliséeのプロジェクトのことも思い出される。)

ホメオパシーの重要な特徴の一つは、個人化された医療であり、ありうる病を見極めてそれを予防しようとする医療だということである

この点がいかに魅力的であるか、現行の医療と比較すると直ちに明らかになる。現行の医療はしばしば、上に述べたように、症状が現れてから、あるいは病気になってからの治療を目的とした投薬や処置しか行うことができず、将来なるかもしれない病気に対して手を打つために医者にかかるというのはあまりない。さらには、もちろん体質に合わない薬や、飲んでいる他の薬と合わない薬を処方されるということは今日あり得ないにせよ、現行の医療においては患者が副作用を受け入れることはある程度当たり前の現状がある。「選択肢がない」と説明されてしまう場合には、相当キツイ副作用すら我慢してくださいということが当たり前のようにある。

そもそも、19世紀すでに怪しげだと言われていたホメオパシーを信仰していた人々が魅力を感じた理由が、ホメオパシーが「優しい医療」だったことは知られている。その当時は今よりもずっと、医療は痛みを伴う恐ろしい経験だったのだ。確かに、昔の治療は想像するだけで痛そうである。その当時、痛い治療や手術もせずに、微量の毒(しかも超希釈されていて害はない)を服用すれば病が良くなるとすれば実践しない手はない。それがきちんと効果を上げて病が治るのならば!

今日ホメオパシーを信仰するためには、もう少し別の理由があるだろう。

抗生物質のように、世界中で大量に処方されているけれど、副作用があったり、病の原因である細菌以外の最近にも作用してしまうことで体内常在菌にダメージを与えて、結果的に体調を崩すことがある投薬など、化学療法には、ある病を治療するために身体の何かしらが犠牲にされるか、ダメージを受けることを甘受するようなシチュエーションがよくある。また、乱用が耐性菌を生み出すことによる問題もある。化学的な経験により、我々の身体は<変容>してしまう。ある時は望まない意味で不可逆的な変化を遂げるかもしれない。治療の<前>と<後>では元の身体は戻ってこないかもしれないのだ。一方で、私たちの身体がもともと持っているという<記憶>に訴えかけ、これを呼び起こすに過ぎないホメオパシーでは、身体を象徴的な意味で<変化させ>、<傷つける>ことなく体調を整えることができることになる。

身体の自然治癒力を信頼すると同時に予防のための医療であることも重要だろう。ここでは、中国の医者にまつわる逸話を思い出すことができる。東洋医学や中医もまた、伝統的に<全体を看る>ことが重要視されており、問診は時間をかけて大変丁寧に行われ、病気や症状のある部分だけでなく患者の全体を見渡し、予期される病や症状が出ないようにするための気配り(ケア、治療、soins)を促す。逸話では、医者は患者が病にならずに健康を保っている間は報酬をもらえるが、一度体調を崩すと報酬を受け取らない。何故なら、患者が健康を維持することが医者の任務であるので、患者を病ませてしまったことが医者の責任であるという。興味深い話ではある。ホメオパシーも、<全体をみる>という点では、こういった東洋医学と共通する思想があるのだろう。

一方、ホメオパシーは現代ヨーロッパ(日本でも)コテンパンに言われることが多いが、東洋医学はなお重視されていたり、正当性が認められている。西洋でも中医を学ぶのはちょっとブームになってさえいるのはやや皮肉に思われる。何故なら、<科学的であるかどうか>というスタンダードでは、東洋医学の基礎となっている人体論や陰陽論は「科学的」ではないだろう。中医はそのエキゾチズムによって西洋人を魅了し続けることができている気がするが、東洋医学が今日も有効だとされているのはエキゾチズムのせいだけではない。となれば、違いは効果が認められているかどうかだろうか?

09/6/19

ホメオパシー(同種治療)について 4 水の記憶との関係

ホメオパシー(同種治療)について 4
水の記憶との関係 (2019年9月5日)
今日はホメオパシーに少し距離を置いて、「水の記憶」について取り上げてみたい。1988年にジャック・バンヴェニスト教授がNatureに発表したセンセーショナルな論文「水の記憶」は、当時たいそうホメオパシー支持者を喜ばせた(テーズが反証されたのち、Banvenisteが水の記憶についてまとめた著作は日本語訳も出版されている:『真実の告白 水の記憶事件ーホメオパシーの科学的根拠「水の記憶」に関する真実のすべて』)。それもそのはず、「水の記憶」理論が立証されれば、ホメオパシーのリメディーに原材料となった物質の分子が一個も含まれていないことが問題にならないし、希釈によってどれだけ引き伸ばされても物質の効能が記憶されていることが明らかになるかもしれないからだ。結論から言ってしまったような、いつも通り順序の悪い記事になってしまったが、さて、「水の記憶」について手短に紹介しよう。

「水は記憶する」という考え方は、1988年にジャック・バンヴェニスト(Jacques Banveniste)が明らかにした、免疫における抗原抗体反応の影響に関するテーズからきており、バンヴェニストは、水溶液をもとの分子が含まれていないほど極度に希釈しても抗原抗体反応を引き起こす能力を保持すると主張した。水溶液が希釈されて元の分子が含まれていないということはつまり、水分子のみの状態。その水分子がそれ以前に溶けたものを記憶していて、それによって抗原抗体反応を記憶していると述べた。この斬新なテーズは、瞬く間に論争となり、科学的反証のすえ否定され、現在、<科学的思考に基づく><一般的な理解>では、水分子が記憶するなんてありえない!ということになっている。

いうまでもなくホメオパシーは、この「水の記憶」的な考え方が基礎となっていて、つまり極度の希釈によっても失われない<記憶>のような(水の記憶が否定されてしまうような現行の科学によっては計測できない)現象があって、それゆえに微量の毒物の刺激を適切に身体に与えることができると考えている。

「正しい」「正しくない」の議論をしたいだけなら、ここでもう何もいうことはなくなってしまいそうだが(なぜなら、バンヴェニストの実験と結論は、同様に実験した研究グループによってことごとく反証されているのだから、科学的に水の記憶が立証されなかったことは認めざるをえない)、私はもう少しこの興味深い現象について考え続けたいように思う。人はあるとき直感によって左右され、それこそ何故と万人にわかるように説明することが難しいけれども本当であるところの直感は実在して、私には、水の記憶をベースとするホメオパシーという療法がたとえ科学的に立証されなくても、それが全く無為のものと言い切れるのか、いや言い切る前にもっと考えるべきことはないのか、と思えてならない。

少し引っかかるのはホメオパシーが、個人に焦点を当てた個人化された医療だということである。このことは、そもそも実験によって計測可能なブレない結果が叩きだせなかったことをよしとしてしまわないだろうか。ホメオパシーは確かに曖昧でマージナルな発展を遂げてきた。完全に無根拠な民間療法とか言い伝えではもちろんなく、魔女の調薬を想像させる錬金術的であり化学的でもあるリメディーの生成方法。そしてあわよくば現行の科学の基準で効力を立証しようとしたが今の所うまくいっていない。次のようにいうと、結局考え語ることから逃げていると批判する人もいるかもしれないが、そうではない。大真面目に、科学で立証される物事は一つの物差しであって、私たちの生命を取り巻く全てのことがそのただ一つの物差しによって測られることはできない、といってみたらどうだろうか。私たちの生命は、毒が薬になったり、健康と病が判別不能になったり、生きるために死んだり、数多くの一見の<矛盾>を孕みながら複雑なダイアローグを行っている。そこには、単純な二項対立とか、相補的な構図では解りきることができないような、私たちが表現の仕方を獲得していない営みがあるのではないか

問題提起にするとたいそう月並みでどうしようもない表現になってしまったが、実はとても大切な何かがこの問題の周辺にはあるように思われてならない。

09/4/19

ホメオパシー(同種治療)について 3

ホメオパシー(同種治療)について 3 
(2019年9月5日)
ホメオパシー(homéopathie)の基本的な考え方とリメディーの生成について、今更だが言及しておきたい。これらの内容についてはより専門的で網羅的な情報を手にいれる手段があり、これから書くことは一応、私のような非専門家が端折ってまとめているに過ぎないとご理解いただいた上でお読みいただければと思う。

ホメオパシーは、同種治療つまり、病や症状を引き起こす原因となるもの(と似たもの)を微量摂取することによって、これを治療することができるとする考え方である。スルーしてはいけない。「え?待て待て、それってどういうこと?」とすかさずつっこむべきだ。病や症状を引き起こす原因を摂取することでなぜ病が良くなるの?と。ここにホメオパシー最大の仮説あるいは魅力的思想が横たわっていると思われる。それは、「身体は知っている」原則なのである。それは直ちに、ジャック・バンヴェニスト(Jacques Banveniste)が1988年にNatureに発表した論文のテーズ 「水の記憶」(« Mémoire de l’eau »)が言ってのけた、「水は憶えている」を思い起こさせる。バンヴェニストの「水の記憶」についても、のちの考察の過程で言及するつもりだが、この論文が発表された時、フランスの、いや世界のホメオパット(ホメオパシー専門家)たちは大変喜んでこれを支持したのはもっともなことだ。今回の話題に戻るが、ホメオパシーの最大のポイントは、私たちの身体が生まれながらに持っている自然治癒力たるものへの全面的な信頼(と信仰)なのである。
つまりこういうことだ。病や症状を引き起こす原因を摂取することでなぜ病が良くなる。なぜならば、身体はもともと病や不調が起こった時にそれを治癒する力を持ち合わせていて、しかし身体の不調においてはそれが忘れられているに過ぎない。それを思い起こさせてやるためには<適切な>刺激を与えることこそが必要であり、その刺激というのが、身体の不調の原因となった<毒>を超微量摂取することなのである。

次の図は、doctissimoというフランスの医療関係のウェブサイトにあるホメオパシーの原理を説明する記事から借用した。図は、絵を見ての通り、
<健康な人> + <希釈されていないホメオパシーのリメディー> = <不調がある人>
<不調がある人> + <適切に希釈され準備されたリメディー> = <健康な人>
という単純明快な方程式を表している。


また、以下の図も同様の記事から借用したものだが、ホメオパシーのリメディーに記されている「(数字)CH」「DH(数字)」という記号が、どのような希釈濃度を表していることを説明している。これはホメオパシーの創始者であるハーネマンの名にちなんでおり(ハーネマン式100分希釈、la dilution Centésimale Hahnemannienneあるいはハーネマン式10分希釈、la dilution Décimale Hahnemannienne)、1CH数字が上がるとそれは1/100に希釈される。リメディーにもよるが、処方されるリメディーでよく見るのは、7CHとか9CHとかが多く、5CHというのもあったが、それでも原液の100の5乗分の一の濃さなのでかなり希釈されていると言える。

ホメオパシーのリメディーの原材料は、植物、動物、ミネラル由来の三種類があり、そのうち60パーセントは植物由来のため、なんとなく身体に優しく自然なイメージがつきまとう。調べていくと、虫を丸まんますり潰したものとか、カエルとかイカスミとか、ウソ〜、希釈されててもなんだか摂取が憚られるよ?といった原料にも出会う。リメディーの原料と効果リストもかなり興味深いのでこの話題はまたのちにとっておきたい。今日のところは、ホメオパシーのリメディーがどのように作られているかごく簡単にまとめた。以下の図は同様のdoctissimoよりホメオパシー原料を説明する記事より引用した。お分かりのように、延々と希釈されたのちにそれはショ糖や乳糖と合わされて、あの色とりどりのプラスチックケースに入っている甘い小さなつぶつぶになるのだ。砂糖玉は舌下において溶けるまでゆっくり待つことによって摂取される。

さあ、この原材料から遠く遠く希釈されていく様子をご覧ください!原材料はすり潰したり濾されたりしたのち、アルコールに混ぜられる。三週間ほどアルコール漬けにされる。そして、濾されて、濾されて、ここでやっと上の希釈方法の図に出てきた原液が完成する。説明が前後してしまったが、材料となった物質が、リメディーには一分子も含まれていないのはどうやら本当で、この長い希釈の過程を経て、患者が摂取するリメディーが作られているのだ。

子供の時の薬が甘いシロップが多いからだろうか、この甘ったるい砂糖玉を舐めていると、嫌が応にも精神がリラックスして、この「優しい医療」(médecine douce)の毒?にあてられる気がする。この薬には恐るべきあるいは苦しむべき副作用もなく、苦くて嫌な味もなく、なんと私の身体に優しいことか!

09/3/19

ホメオパシー(同種治療)について 2

ホメオパシー(同種治療)について 2 
(2019年9月3日)

ホメオパシー(homéopathie)について、前回の記事で、医学的に効果が証明されていない療法に保険適応をすることや処方を認め続けることについて議論は尽きないことを書いた。それ自体に心身への害はない単なる砂糖玉であるリメディーを処方することについて、どのような理由で厳しく批判があるのだろうか。プラセボ(偽薬)は医療としても適切に用いられることについてはその効果が認められているのだから、もしただの砂糖玉であったとしても、それがなんらかのポジティブな働きかけを患者に対してしうるとすれば、処方を全面的に禁止するまでの批判が出るまい。

戦後のホメオパシー実践では、いくつかホメオパシーによるリメディー処方による死亡事故が起こっている。日本でホメオパシーの問題について語られる時必ず引かれるのが、2010年に起こった新生児死亡事故である。これは、新生児は出血時に血液凝固の働きを助けるビタミンKを十分に持たず、母乳でもこれを補うことはできないことから、稀にある消火器や頭蓋内出血を防ぐため、今日は産院で出産するとビタミンK2シロップを処方され、これを新生児に飲ませることになっている。新生児死亡事故では、適切に与えられるべきビタミンK2シロップの代わりにホメオパシーのリメディを与えたことにより、新生児ビタミンK欠乏性出血症により新生児が死亡してしまった。

また、イタリアではホメオパシーの処方のみを受けていた7歳の子供が中耳炎を悪化させ脳に炎症が及び死亡したという事件が2017年に起きている(http://www.lefigaro.fr/flash-actu/2017/05/27/97001-20170527FILWWW00072-homeopathie-l-italie-s-emeut-de-la-mort-d-un-enfant.php)。この悲惨なケースでは、子供の両親は3歳からホメオパシーのみそれ以前も耳鼻咽喉の不調を治療してきており、中耳炎についても過去にホメオパシーのリメディーで治療したことがあったが、二週間も熱が下がらず緊急病院へ連れていったという。子供にホメオパシーを実践する親の数は決して無視できない中で、ヨーロッパでのホメオパシー見直しが厳しくなるきっかけとなる一件であったことは間違いない。

上述のような極端なケースでなくとも、反対派の主要な主張としては、ホメオパシーのリメディーを与えられて、患者がホメオパシーのみで治療が可能であると信じることによって、癌や他の病など急を要する治療に取り組むことが遅れてしまい結果的に重篤な事態を招きうるのだから、ホメオパシーに基づく処方を患者が信じてそれのみで病気が治ると考えてしまうことは危険だ、というものだ。

ここまで考えてみると、<実はこんなにも危険な(可能性のある)>ホメオパシーが一体どのようにして広く利用され、公的に処方され、その効果が信じられるところでは信じられ続けている状況が今日もあるのか、わからなくなるかもしれない。

これ以上考察を進める前に断っておきたいのが、私自身がここで行いたいのは、ホメオパシーがいいか悪いかを議論することではないということだ。ホメオパシーの実践者に対して、あるいはホメオパシーの非実践者に対して、個人的な意見の介入や批判をすることは全く目的ではない。私が心に刺さっているのは言ってみれば、「今日私たちがだいたいは信じ切っている科学的なことでは証明されない療法であるホメオパシーを、自立させ得ているものの正体はなんなのか?」、「科学的見地に基づく医療を超えた力みたいなものを、私たちは再度味方にすることができるのか?」、「その力は私たちをよりよく生き抜くいこと可能にするのか?」そんな好奇心に満ちた疑問なのである。

09/2/19

ホメオパシー(同種治療)について 1

ホメオパシー(同種治療)について 1
2019年9月2日

ホメオパシー(homéopathie)は、同種療法、つまり、ある病や症状を起こしうる物質によってそれを治療することができるという考えに基づく治療法である。病や症状を起こしうる物質とは時に毒や身体に害のある物質のことであり、それを薬として利用することで心身の不調を治そうとする考え方だ。身体にとって毒となるような刺激によって病を防ぐという原理だけ聞くと、今日科学に基づく西洋医学に慣れている私たちは、「ワクチン」のことを思い出すかもしれない。しかしワクチンとホメオパシーのリメディ(ホメオパシーに使われる薬のこと)は決定的に異なる。ワクチンはご存知のように感染症の予防のために接種され、それは対象となる病の病原体から作られる抗原(弱毒化あるいは無毒化されている)を含んでおり、結果、身体は病原体に対する抗体を産生して感染症に対する免疫を獲得するというものだ。ここで、ワクチンの効果は医学的に証明されている。一方、ホメオパシーの効果は、現代の医学的見地から、プラセボ(偽薬、placebo)以上の効果はないとされ、それ自体に害はないがリメディーはただの砂糖玉に過ぎないとされている。

ホメオパシーは、用語としては18世紀末にドイツ人医師のサミュエル・ハーネマン(Samue Hhnemann, 1755-1845)によって用いられ、ヨーロッパにおいて各国で研究がなされた。ナチス・ドイツ時代にアドルフ・ヒトラーがホメオパシーを厚遇したことはよく知られているが、ユダヤ人強制収容所で行われた人体実験においてホメオパシーの偽薬以上の効果が検証されることはなかった。ドイツ以外の各国でも、今日までホメオパシーのリメディーによる治療が医学的見地から効果を認められたことはない。

にもかかわらず、戦後も、どころか今日においても、ホメオパシーは「代替医療」として普及し実用化されている。ヨーロッパの国々の中でもフランスはホメオパシー実践が今日もなお盛んな国の一つである。ホメオパシーのリメディーの処方は、30パーセントまで保険が適応される<オフィシャルな治療>と現行の医療ではみなされている。(ただし、昨年の医療関係者124名による署名運動を含め、医学的に効果が証明されていない療法に保険適応をすることや処方を認め続けることについて議論は尽きない)

ホメオパシーは、現代主流の医学的見地から偽薬以上の効果がないことは明らかであるのに、医学先進国であるフランスにおいて今尚実践されていることはとても奇妙な事象だと思うし、そもそも効果がないということが一般に理解されているのかどうかも微妙なところであり、その現状も非常に謎めいている。なんとなくだが、ただの砂糖玉だと気がついてはいる一方で、砂糖玉にすらすがりたいと思わせるような魅力がホメオパシーにはあるのではないか、あるいはホメオパシーという不明瞭な代替医療が確からしく科学的な現代医学に対して一般の人々が抱く不満のようなものを受け止める役割をしているのではないか、と感じられてならない。

これから、どのくらいゆっくり考えていくことができるかわからないが、このなんとなく不穏な問題について、そのありうる答えを探っていきたいと思う。なぜホメオパシーを現代人の我々が頼りにするのか考えることは、私たちが抱えている身体に関する問題、現代医療に対する問題、よりよく生きることに対峙する仕方について思考を深めることを可能にしてくれると直感するからだ。

議論したいことはたくさんあるのだが、ひとまずは私がなぜホメオパシーのことが大変気になっているのか、そのきっかけについて述べたい。
私は2015年より、フランスのナント(Nantes)を基盤に医療と環境の問題を提起する大変興味深いアート活動を続けているアーティスト、ジェレミー・セガール(Jérémy Segard)との協働プロジェクトをいくつか展開してきた。彼とのプロジェクト展開において、やがて、ファルマコン (Pharmakon)という、ある物質や出来事はしばしば毒と薬の両義的役割を持っている、という興味深い概念に出会い、これについて、研究及び展覧会を通じて探求してきた(展覧会ファルマコン )。2017年に京都と大阪で9名のアーティストによるコレクティブな展示を行い、その開幕に合わせて開催したシンポジウムにお越しいただいた埼玉大学の加藤有希子さんは、新印象派のプラグマティズムについて色彩とホメオパシーに焦点を当てた講演をしてくださり、ホメオパシーが19世紀ヨーロッパである種の怪しげな宗教的な信仰を受けて支持されていたという状況や、同種療法が毒を用いて行おうとしたことに関心を抱く。そして、強烈だったのは自分自身のホメオパシー実戦である。私は2018年12月に出産し、半年ほど経った6月頃から度々授乳時の痛みや乳腺炎の手前までいくような乳腺の炎症を経験し、助産師に三回、医者に二回かかった。助産師は私に複数のリメディーを処方し、医者はアルコールと抗生物質を処方した。強い痛みや熱が伴い、崖っぷちの状況で、処方されたリメディーは言われるままに正しく摂取し続けたが、症状が落ち着くにつれて、ホメオパシーについて冷静に色々考え直してみると、砂糖玉によりすがったことが馬鹿らしくも思えてくるが、いやまさか、ちょっとは効いたのではないか、など思いたくもなってくる。多少保険が効くとはいえ、一時期だいぶん調子が悪くなって大量のリメディーを処方され、それを購入して摂取したのだ。偽薬でしたと片付けるには、助産師の処方もたいそう公的に行われているし、なんだか腑に落ちない。そもそも、この代替医療はかなり多くの妊婦・産婦、子供、老人、自然的なイメージの代替医療を好む患者によってしぶとく実践されている。これだけ情報の入手が可能な今日、自分が服用する薬がどんなものかは知らない手段がないわけでもないし、それなのにこれほどまでにホメオパシーが根強いとしたら、無視しづらい。
さて、こう言ったことが私の関心の原点だ。

08/5/19

Ludovia #16, La représentation de soi à l’époque numérique – la considération sur la nouvelle conscience corporelle

Je participe à Ludovia#16 du 20 au 23 août 2019, Ax-les-thermes.
Je présenterai mes recherches à propos de la représentation de soi à l’époque de l’information, me référant à la nouvelle conscience corporelle ainsi que la pratique d’avatar, d’un corps hybride.
Le site officiel: Ludovia.fr

Résumé :

Dans mon intervention, je fonderai une étude sur les modalités contemporaines de la représentation de soi à l’époque de l’information.

La représentation de soi à l’époque numérique nous fait vivre une expérience inattendue. D’abord, la représentation de soi dans le cyberespace tels que les réseaux sociaux, qui est fondée sur la manipulation facile et la diffusion quotidienne des images de soi, modifient complètement notre perception et conscience corporelle. Vivant une telle expérience de la conscience de soi « modifiée », l’image de soi perd alors sa nature identitaire jusqu’à ce qu’elle se réduise en une icône ambiguë, voire « fluide » selon le terme de Zygmunt Bauman. Cette icône, aisément employée comme image du profil, est alors considérée comme une image qui représente le soi. L’« avatar », qui est son double « modifiable » et « remplaçable » selon son gré et son envie, joue un rôle important pour établir une conscience de soi numérique. Bien qu’elle soit souvent basée sur l’image en deux dimensions tels une illustration, un dessin ou un manga, quand l’utilisateur le pousse à l’extrême, cette image prend une allure transcendante en devenant un soi virtuel mais « réel ». Soit un personnage existant soit une créature imaginaire, nous avons de plus en plus tendance à nous référer à ce qui remplace notre corps « physique » pour se présenter comme le moi numérique. Dans le cas extrême, cette nouvelle conscience corporelle pourrait s’atteindre à un état hybride : mixte du corps humain et celui du robot ou d’autres êtres technologiques.

Dans mon intervention, je développerai la théorie de la représentation de soi à l’époque numérique en me référant à l’analyse d’Azuma Hiroki, sociologue japonais qui la théorise par des notions comme « consommation de bases de données » et « de nombreux petits récits après le déclin du grand récit » (appliquant la théorie du postmodernisme de Jean-François Lyotard) afin de mieux comprendre le système contemporain autour de l’expression identitaire à travers les moyens numériques. Je compléterai mon interprétation sur la particularité identitaire de notre époque en m’appuyant sur la théorie de Zygmunt Bauman, notamment sa définition de la « fluidité ».

J’introduis ensuite Ayano Sudo, artiste photographe japonaise, et son travail d’autoportrait intitulé « Autoscopy » où l’artiste mêle sa propre image à celle de quelqu’un autre, ce qu’elle appelle une expérimentation identitaire où elle expérimente une sorte de modification génétique au travers des moyens numériques. L’artiste a conçu ce projet à cause d’un souvenir d’enfance : de nombreux amis et connaissances l’ont reconnue dans un endroit où elle n’a jamais été, ce qui signifie qu’ils l’ont mal reconnue. Cette expérience a permis l’artiste de réaliser que la reconnaissance du visage de quelqu’un est tellement ambiguë que l’on peut croire à l’avoir vue même si son visage ressemble peu à celui d’autrui. L’artiste cherche alors à créer un récit sous forme d’autoportrait modifié fondé sur les modalités corporelles numériques.

Je conclurai mon intervention sur la nouvelle conscience de soi établie par l’expérience des usages de l’avatar et de la photo de profil stéréotypée, se figurant en deux dimensions – en une forme hybride ou robotique, qui impacte notre image de soi « réelle ».