01/10/17

recent pictures – jingo temple, mt. atago – kyoto 2016 dec.

年末2016年12月29日に愛宕山にお邪魔しました。雪がふわふわに積もって、すれ違う人々はスカートと普通の靴で斜め掛けの鞄を持って山を歩く私にしきりに上のほうは寒いからと注意を促し、愛宕山に登るのは三回目でしたが久しぶりでとても嬉しくて、何よりも真っ白な山が嬉しくて。

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神護寺を訪れたのは2016年12月28日、到着の次の日です。神護寺は私は夏と冬に時間をゆっくり過ごすのが好きです。シダ植物やコケ植物、地衣類の素晴らしい様子は、秋の色鮮やかな赤色や黄色よりも私にとって大切です。緑色の多様性のことなど。生命の形の面白い事など。

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01/1/17

ことしもよろしくお願いします meilleure année 2017

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今年もみなさんとみなさんの大切な人に素敵なことと幸せが溢れますように。これからもどうぞよろしくお願いします。
年末より帰国し、大阪でたくさんの方にお世話になり、パートナーと共に活動を紹介するイベントを行なわせていただいたのち、故郷札幌で年を越しました。上の写真は三歳まで住んでいた生家で撮影されたもので、このたびの帰省で初めて目にしました。下の写真は愛宕山の4分の3地点くらいまで登った際にあまりに美しかったので撮影したものです。元旦は人生初めてスノーボードを手稲ハイランドで滑りました。滑っていると言うよりは、人生にこれほど短時間でこんなに激しく転ぶ(転がる、飛ぶ、落ちる、打つ、滑る)経験がこの先にもあろうかいやあるまい。という素晴らしい経験で幕を開けました。もうしばらく滞在したのちまたフランスに戻ります。どうか楽しく幸せなお休みをお過ごしください。

Happy new year to dear my friends. I hope your smiles, happiness and chances for this new year 2017 and hope your and your dears’ healths and peaceful lives.
Returned in my country several days ago, realized small conferences in Osaka with my partner about our activities thanks to kind friends help. We climbed up Mt. Atago and encountered this beautiful landscape covered with snow… For starting new year, I experienced for the first time snowboarding in Mt. Teine. In fact, not exactly snowboarding but rather sliding, falling, rolling on the New Year’s Eve, we arrived in Sapporo. For starting new year, I experienced for the first time snowboarding in Mt. Teine. In fact, not exactly snowboarding but rather sliding, falling, rolling on the ski slopes. I had never fallen so many times in a short time in my life!
Before returning in France, we will stay extra some days here.
This picture above was taken in the house where I was born and lived until 3 years old, that I had never seen before this visit with my parents :-)
I hope your excellent holidays and peaceful moments!
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08/15/16

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim

本テクストは、『有毒女子通信』第12号 特集:「食べないこととか」(2013年刊行)のために執筆・掲載した食と産業についてのエッセイです。庭で赤くなるまで太陽を浴びたトマトがなぜこんなにも美味しいのかと反芻することは、グロテスクな口紅のようなピンク色のトマトの、それらもまた食べられるべくしてそれらを基盤として生計を立てる人々の関係から関係を通って、我々のフォークを突き立てるその皿にスライスされて登場するにいたっているということを了解した上でもなお、それを摂取することへの苦痛を催すきっかけとなる。あるいは、食物がクリーンであることへのオブセッションや、それが肉体に与えうる恩恵や損害を思うとき、ひょっとするともう何ものも摂取することができないのではないかという恐れと、いっそのこと一切の執着を捨てるのが良かろうとする相反する二つのアイディアの板挟みになるかもしれない。

環境においてのみ生きる我々が、それを望むエッセンスのみに収斂することなど叶わず、同時に思うことを放棄することもまた叶わないことを、どこかで直観しているにも関わらず。

『ありあまるごちそう』あるいはLe Marché de la Faim
大久保美紀

We Feed the Worldは、オーストリアの作家・映画監督のエルヴィン・ヴァーゲンホーファー(Erwin Wagenhofer, 1961-)の撮影による長編ドキュメンタリーである。2005年の初上映以来、ドイツ、フランスを始め、ヨーロッパ諸国で反響を呼び、日本でも字幕を伴って 『ありあまるごちそう』 というタイトルで上映された。映画は、食糧生産やその廃棄に携わる人々の日々をありのままに伝え、彼らの率直な言葉と労働の現状を淡々と映す。あるいは、 「世界は120億人を養えるだけの食料を生産しながら、今この瞬間にも飢餓で死ぬ者がいる。この現実は、殺人としか言いようがない」と 当時国連の食糧の権利特別報告官であったJean Zieglerが憤慨し、他方、遺伝子組み換えの種子開発の最先端を行き、世界の食糧大量生産を支えるネスレの元ディレクター、Peter Brabeckがこの世界の行く先を語る。

 この映画を見て震え上がり、明日の食卓をゼロからの見直し決意し、スーパーの安価な魚や鶏を貪るのを断念し、最小限の消費と廃棄を誓って、貧しい国で今も飢える幼子の苦しみに心を痛める、ナイーブで心優しい鑑賞者を前に、「この偽善者め!」と言い放って彼らの気を悪くするつもりはない。しかし、その程度のインパクトに留まるのなら、このフィルムは所詮、これまで幾度となくマスメディアが特集し、ドキュメンタリー化し、国際社会が早急に取り組むべきだと声高に叫ぶその問題を描く無数の試みの水準を逸することなく、今日の世界を変えはしないだろう。我々は、もはや聞き飽きてしまった問題を別の方法で聴く努力をするべきなのだ。そのことより他に、不理解という現状を乗り越える術はない。

 さて、We Feed the Worldはヨーロッパの食糧問題に焦点を当てたドキュメンタリーである。ヴァーゲンホーファーはまず、最重要の食糧であるパンの生産と廃棄に携わる人々の声を聴く。十年以上の間毎晩同じルートを往復し、トラック一杯のパンを廃棄場に運ぶ男は、時折、年配者の厳しい批難に遭う。彼が廃棄するのは、少なくともあと二日は食べられるパンである。年間に捨てられる何千トンのパンで救える飢餓民を想像せよという憤りは勿論理解可能だが、豊かな国で過剰生産されたパンはいずれにせよ廃棄される。そこに在るのは、「 あなたはこのパンを買うか、買わないか」という問いのみだ。我々の無駄な消費の有無に関わらず、店には常に品物が溢れて大量のパンが捨てら、そのことはもはや、我々の行為と直接的因果関係を持たない。
 トマトを始めとするヨーロッパ産の野菜の多くは、その生産をアフリカ人移民の低賃金労働力に頼っている。国産の三分の一という破格で農産物を売りつけるヨーロッパ諸国のダンピングはアフリカの農業を破綻に追い込み、彼らを不安定な移民労働者にする。
 ついさっき生まれたばかりのひな鳥が養鶏場から屠殺・加工工場へ送られて行くシーンは、このドキュメンタリーのクライマックスと言える。にもかかわらず、一切の付加的演出がないどころか、ブロイラーと加工場労働者は、短期間・低コストで若鶏を生産し、効率的に加工するメカニズムの情報を我々に与えるのみである。詰め混まれた雌鳥の中に数羽の発情期の鶏が放り込まれ、たった数秒で雌と交尾を済ませる。産み落とされた卵は大きなマシンに回収され、40℃の温かい構造の中で数日保存された後、数十日後の屠殺を予め運命づけられた雛が殻を突き破る。雛鳥の小さな足ですら足の踏み場がない場所にどんどん詰め込まれ、飼料を頬張って成長する。「鶏には暗闇に感じられ、動物のパニックを避けることが出来る」と屠殺業者が説明する青い光の中で、鶏は撲殺から鶏肉パックになるまでのベルトコンベアーに乗る。ハンガーのような機械に両脚を引っ掛けて宙づりされ、撲殺、脱羽機をくぐり抜け、頭と両脚を失ってパックされる。

 ある日理科の授業で眼球の構造を学ぶため、少し生臭くなった牛の目の解剖をし、子どもたちの多くがその日の給食で「もう肉は食べられない」と言って残した。ならば一生食べなければよろしい。そう心の中で呟いた。
 フランスでは年に一度、ヨーロッパ最大の農業国としてのこの国のパワーを眩しすぎるほど誇示するイベント、国際農業見本市 が開催される。食肉業者も数多く出展し、1600キロもある巨大な肉牛や可愛らしい子豚などの食用動物が日頃動物など目にすることのないパリジャンの大人と子どものアイドルとなる。見本市は商品販売を同時に行っており、立派な食用動物がちやほやされているすぐ隣には、おぞましい様子で飾り立てられた最高品質の肉が販売されている。(写真1)フランスは飽食の国である。さすがは食糧自給率が120%の国だ。マルシェがたたまれた後の午後は大量の野菜や貝などが置き去りにされ、レストランで大盛りの御馳走を平らげることを皆あっさりと諦め、食べ物は余るくらいで丁度良く、食べ物のケチは悪徳である。
 日本人は、「もったいない」の精神を歌い、食べ物を粗末にしたがらず、ビュッフェレストランですら余分にサーブしないよう注意され、生ゴミを極力出さない食材使いを提案する料理をオシャレで「粋」と見なす。ひょっとすると、世界の他の先進国と比較しても食物の扱いに敏感だ。だからこそ、それが全くの事実であるにも関わらず、一人当たりの食糧廃棄量が世界一と批難されても全くピンと来ない。背景には問題の根本的な不理解がある。なぜ、日本語のタイトルは『ありあまるごちそう』なのか。わざわざ平仮名表記し、飢えるアフリカの子どもをキュートなイラスト化して、かわいらしい演出で「食の社会見学」と銘打つのはなぜか。態度の端々に滲むもの全てが、問題に対する我々の無関心と、世界現状の因果に自分が無関係だという認識を暴露する。(写真2)我々は、表層的なエコの賛美歌を熱唱し、欺瞞に満ちた「地球に優しい市民」を演じるのを直ちにやめ、それが途方もない狡猾な悪であるために、皆がこぞって我々の認識から乖離させようと必死になっている巨大なメカニズム、産業構造そのものを凝視せねばならない。食糧廃棄の構造的カムフラージュに甘んじる時代は終わった。
 ちなみに、フランス語タイトルはLe Marché de la Faim(飢餓市場)、世界全体が飢餓を生産する巨大な歯車の部品である。それは、我々が日々恩恵を受ける構造そのものへの懐疑であり、ハイブリッド野菜が地力を貪り尽くした畑に立つ男は、引き過ぎた手綱を緩めることを我々に問う。「ヒヨコが可哀想」などと戯言を言っているヒマは、本当はない。

“We Feed the World”(2005) by Erwin Wagenhofer, 96分, Allegro Film
http://www.we-feed-the-world.at/index.htm

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写真2 『ありあまるごちそう』チラシ(2011)
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01/7/16

« Super Premium Soft Double Vanilla Rich » スーパープレミアムソフトダブルバニラリッチ, チェルフィッチュ

« Super Premium Soft Double Vanilla Rich »(スーパープレミアムソフトダブルバニラリッチ)を観てからモゴモゴ口からでそうで出てこないことがあるので、しかしそれは口からぽろりと出してもいいのだけれどもそれを言ってはお仕舞でしょみたいなことかもしれんと思って遠慮して言わなかっただけかもしれないので、もう1ヶ月半ほど経過したこともあり、そろそろ書いてみたいと思います。

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スーパープレミアムソフトダブルバニラリッチは、日本のコンビニ文化を舞台とした物語です。岡田利規主宰の演劇カンパニー、チェルフィッチュによる公演はパリ日本文化会館において行なわれました。コンビニをめぐる話ですが、勿論、日本の社会問題である若者の失業あるいはニート問題とか、貧困・格差の問題、働き方の変化や生き方の変化、都市生活の不穏や孤独、現代社会の隙間なく行き届いた「光」がもうそれ以上届くところはないようなある種の絶望感、といった主題を鋭く適確に表現していると思います。

所謂「日本人らしさ」も随所で浮き彫りになります。無論カリカチュアですから、ああ、これやるよね、ああ、こういう態度するよね、という必ずしも観ていて嬉しくはならない「典型的な仕草」などで「日本人らしさ」は描き出されていきます。たとえば、ドングリの背比べ状態のなかで制裁し合う若い従業員の姿とか、目を合わせることなくしかしながら丁寧に話す対人関係とか、我慢は極限に達して「怒って」いるのにちっとも声を荒げも行動にも出すことなく言葉だけ非常に暴力的なことを録音テープが再生されているように繰り返す姿だとか。

この公演中非常に不快だったことが一点あります。それは数列前で観劇していた日本人でないマダムが公演の間中声高らかに爆笑し続けていたことであります。どういったツボで爆笑しているかと言うと、それはまさに面白いだろうな!と狙われたタイミング、非常に正しい箇所において、彼女は模範的に爆笑しつづけていました。その楽しそうな様子を見ながら、ふと、このコンビニを巡る日本社会の心の問題や社会の問題、経済の問題や日本人らしさの問題を描く作品が、どうしてわざわざパリだとか、他の国の都市において上演されて、共有されて、いったいそれが求めていることあるいは残しうるものって一体何なんだろう?とナイーブな疑念に取り憑かれてしまいました。

このマダムが爆笑するように、まあ確かに滑稽だし、コンビニもオカシイのかもしれないし、誇張されてはいるもののしかし真実であるところの日本人らしい対人態度や働き方や喋り方や所作や我慢の限界の越え方も可笑しいのだろうけれども、そもそもなんの期待を込めて、あるいは価値を認めて、この、言ってみれば「ミクロ問題」を世界にさらしているのだろう?と。

つまり、これらの問題は重要な問題で、指摘の仕方は適確だし、問題提起も素晴らしいと思っているけれども、それらにたいして何かするのは海外において問題提起して種をばらまかれた先に期待するのではないだろうし、日本の問題であるに違いないと思ったためで、より分かりやすく言えば、なぜこれを海外で見せるのか、見せて何がしたいのか、あるいは何ができるのかを疑っているのだと理解しています。見せるだけでいいじゃん、という風には思いません。見せるからには見せる意味がないと行けないと思います、意味のある、目的が少なくともあってほしいしあるべきだと信じます。そして、それは、放り投げるとか共有するだけでなく、それよりも先にあるものを見据えてほしいとも思います。

演劇そのものからは外れた話になってしまったのですが、書かなければいけないと心に残り続けていたことを書きました。

最後に、もっとも感動的なのは最後に店長がおキレになるシーンです。あれは見事です。今日人々はたしかにあのようにキレます。呟くように、節度を持って、しかし溢れ出すように、それはホンモノのカセットデッキのように。

12/7/15

ソーシャルメディアを生きること、守られることの意味

Facebookにアップロードした写真がひとりのユーザーから「ヌード」報告を受けて、不正画像アップロード防止の委員会の審査対象となっているとの連絡を受けた。実はこの報告を受けたのは初めてではない。以前、9月に日本で撮ったプリクラをアップロードしたところ、同じように「ヌード」報告された。もちろん、ヌードのプリクラではない。露出度が高い服を着ているのでもない。ただのセーターとジーパンを履いたプリクラ写真であった。(写真1)

ご存知の方も多いかと思うが、不快な写真や暴力的な写真がFacebook上でシェアされた場合に、それぞれのユーザーがこれを「不適切なコンテンツ」であると判断した場合に「報告」することができる。さて、どのようなものを「不適切なコンテンツ」であると、判断するべきなのだろうか。Facebookの提案するカテゴリーとしては、「ヌード」「差別発言」「脅迫」などが「不適切なコンテンツ」としての報告の対象となっている。

私の場合だと、報告された二つの写真はいずれも1名のユーザーからの「ヌード」としての報告を受けて、審査対象となったということである。
ちなみに、二件目の写真は次の写真であり、プロフィール写真として昨日設定したものである(写真2)。ヌードかヌードでないか判断するという以前に、顔しか写っていないのでそもそも報告者の意図が分からない。

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写真2

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そこで、Facebookの「報告」についてもう少し調べてみた。
参考:https://www.facebook.com/help/263149623790594/

質問:Facebookに何かの問題を報告するとどうなりますか。私が報告する問題の人物には通知が送信されますか
回答:Facebookに何か問題が報告されると、弊社でその内容を確認し、弊社のコミュニティ規定に違反する内容はすべて削除されます。責任を負うべき人物に連絡をとる場合でも、報告者に関する情報は一切開示されません
Facebookに何か問題を報告しても、その対象が削除されるとは限りませんので、ご了承ください。Facebook規約には違反していないが、Facebook上で気に入らない内容が表示されることがあります

なるほど、私の場合は二件とも言うまでもなくヌードでないし、誰を傷つける内容を含んでいた写真ではなかったため、審査の結果、次の連絡を頂き、削除されなかった。つまり、報告者にとっては依然として「気に入らない内容が表示される」事態が継続することになった訳だ。

Facebookからの返信
あなたの写真がヌードに関するFacebookコミュニティ規定に違反しているという報告がありましたが、審査の結果違反していないと判断されたため、削除されませんでした。

ところで、報告する側とされる側の立ち位置について考えてみたいのだが、そもそもこの機能は、Facebook上で公共のために「不適切なコンテンツ」が表示されることを阻止し、ユーザーの心の平和を守るための目的で設定されている。つまり、報告する側が報告される側を訴えるために最良の気配りがされている。報告する側は報告される側の投稿によって不快な思いをし、傷ついたり、辟易したりしているのだから、ここでは、報告する側は報告される側に対して一方的に「報告する権利」を与えられる。それは次のような報告の仕組みによっても明らかである。

質問:写真を報告するリンクをクリックしましたが、友達にメッセージを送るよう求められました。写真を報告したら、そのことが友達に通知されますか。
回答:いいえ。これらの報告は匿名です。写真をFacebookに報告したくない場合は、報告リンクを使って友達にメッセージを送り、その写真を削除するよう依頼できます。この方法では、Facebookに報告は送られません。

質問:Facebookに報告した内容の状況を確認することはできますか。
回答:Facebook利用規約に違反する内容を報告した場合は、サポートダッシュボードから報告の状況を確認できます。あなたのサポートダッシュボードを見られるのはあなた自身のみです。
このページで、以下のことを実行できます。
▪ 報告をクリックして、弊社のポリシーの詳細を確認する
▪ 報告をキャンセルする
▪ 報告に対して何らかの措置が取られた日時、および措置の内容を確認する

したがって、報告された側は、報告されるままにサポートダッシュボードからの審査報告の連絡を待つことしかできず、それがなぜ報告されたか、誰によって報告されたか、サポートセンターの決定の過程にどのような話し合いがあったか、等の詳細を一切知ることはできないのである。知ることができるのは、あるユーザー(匿名)によって不適切なコンテンツとして「報告された」という事実と、その後のサポートセンターによる「決定事項」のみである。

この仕組みについて、今一度考えてみたい。先ほど書いたように、私の件では2度に渡り、まったくヌードではない写真が「ヌード」として不適切なコンテンツとしての報告がなされ、アップロードは一時的に審査対象となり、履歴においても不適切コンテンツのアップロード報告歴としてこの情報は保存され続けている。結果として、「ヌードではない」というサポートセンターの審査報告を受けて、「あなたの写真は削除されませんでした」と連絡されるのみである。

私はなぜ、誰の報告か、なぜヌードではない写真をヌードだと報告されたのかわからないまま、この審査状況と結果報告を甘受しなければならないのだろうか?

この一方通行性はソーシャルメディア、ひいてはインターネットやマスメディアの性質ですらある。わたしたち一人一人は、ユーザーの権利という名目で最大限に暴力や脅迫やイジメから守られている。困ったことがあったらサポートセンターに迷惑報告できる、ヘイトスピーチや差別発言は許されない、悪いユーザーの発言力や発進力は正義の名の元に阻止しましょう。すばらしい善意のシステムにも落とし穴がある。報告される側の、実は、差別を受けているような事態、イジメをうけているような事態、悪意で発言権を阻害されているような事態にはこのシステムでは十分に対応できないのではないかと思う。

実際、ネット上に散らばる画像には、それらが特定の文脈から切り離されたとき(あるいはそもそも文脈などなしに)直ちに、わいせつだとか暴力的だとか不快だと、ある個人が認識しうる画像がやまのようにある。それらに対し、いちいち、発信者の意図を予測することとか、自分の報告が発信者の権利に対してどのような影響を及ぼすかなどを、頭をかかえている時間も労力もわれわれにはないのだろう。そういった意味では、上述してきた一方的な匿名の報告により、報告される側が傷つくことも、報告する者が万が一恣意的(あるいは悪意)に報告を行うことも、あとからその事実に着いて十分に検討されることなどないのだ。

私たちの生きているソーシャルメディアの世界というのは、それほどに膨大で、途方もなく、時間もなく、配慮もなく、したがって、今まさに私がこの文章を通じて行なっているように、「立ち止まって考える必要がない」。

この世界はずっと向こうまで広がっており、色調を増しており、大きな音で私たちの鼓膜を絶えず震わせているけれど、そのこともまた、「立ち止まって考える必要がない」。

12/6/15

音楽とか植物とか、今日を生きることや書くこと

11月13日の事件が起こってから、初めて、生活を、前のめりのままじゃなくて、ああ今日は日曜日だなと思って部屋を掃除して仕事をなるべくしないで、やりたいことをたくさんして美味しいワインを飲んで、選挙速報をテレビで観て、百合が咲いたのを愛でて、今度練習するグリエールのホルン協奏曲を3回聴いて、やんなきゃいけなかったのにやってなかったたくさんのことなどを思い出した。

多くの人がそうだったように、なんだかどうしたの?ってくらい過活動に、社交的に、敢えて外で生活し、顔を出したり、走り回ったり、やけっぱちではないかというほど元気に、なぜですかというほどポジティブに、笑顔で毎日を、過ごしているのだ。

今日と言う日が今日までしかないかもしれないと、改めて理解することは、刹那的で快楽的な人生を賞賛するしないに関わらず、とにかく生きることがむしろとても楽しくなった。こどもの頃から大人になってもいつもいつも、明日より明後日、今年よりも来年のために生きているような心地で生活してきたように思い出すのだが、今日私は今日のために、ただ今日を生きているのが楽しいと、その本当の印象を奇妙で仕方なく感じながらもなんの苦もなく受け入れている。

教えているクラスの学生が、百合の花束を抱えてやってきて、百合の花ができればたくさんの人と良い時間を共有したほうがうれしいので、自分は四本だけを持って帰って、とってあったできるだけよいワインのボトルに水を入れて、さした。午後ホルンアンサンブルに出かけている間に一輪目が咲いて、今まさに二輪目がすこしずつその大きな花弁をそらせている。

この9月下旬からの二ヶ月半くらいの間、ほとんど毎日ホルンを練習した。目的もなく、見返りもなく、義務もなく、14歳になろうとしている楽器は、これまで一度も聴いたことのない楽器全体をもって音が響くようになり、私は初めてなんの心配もせず、疲弊する心配や曲の終わりに最善の状態でない心配やもう一度頭から通せない心配なんかをせず、誰にも噓をつかないで吹くのが楽しい。結果は明らかだ。ただし、これは一時的な幸福なコンディションだということは分かっていて、それでもそんなわけわからん音楽月間が得られたことは幸せ以外の何者でもない。生きてる間にもう二度とそんなチャンス訪れなかったとしても、それでもとてもとても有難い。

疲れている人やあたふたしている人がたくさんいて、怒っている人やどうしようもなくなっている人、ここぞとばかりに足元を見る人や超悪趣味なブラックジョークを終わりなく言う人、突然言い争いを始める人は多いし、会話の行方には十分すぎる注意が必要。

今までも全てのソーシャルメディアやケータイ電話を完全放棄するという実現しない夢を何度もみたけど、とりわけ事件後のディスコースの壁は心に響く。この国においてどうせ自分は外国人であるのだが母国語で書かれた大方の考えや主張にもほとんど心を寄せることができなかった。そこにあったのは、ここに長く居過ぎてしまったという喜びにも絶望にも似た感覚と、祖国で議論され支持もされているらしきディスコースへの強烈な違和感。

言葉を失ったフリをしたり、書くことを忘れたフリをするのも限界があって、私はやはり書くことを必要としていて、こういったことでなくてたとえば、走り回って参加しまくった研究集会のこととか、展覧会のこととか演奏会のこととか、作品のこととか、そしてやはり考えていることとか、誰かと一緒に書くこととか、そのような書き物を、せずに過ごすことはできない。

私がこんなことを綴っている間にも百合はさらに咲き、植物は明日の陽射しを待っているのかとかもうすぐたぶんウチにやって来るヒヤシンスの球根の膨らんでいることとか、クラシュラの葉のうらがわがなんとなく厚みを増していることなどを、想えるのがとても幸せである。

今日という日を生きるのを嬉しいというおめでたい錯覚みたいなものを、あたかも本当のお話であるかのようにして生きられたら、それがどこでもできたら、と。

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11/18/15

2015.11.18.  13日以降の生活のこと 大久保美紀

土曜日の出来事から5日経ち、確かに現地の生活は「生活」レベルで影響を受けている。

土曜の夜、21時までパリ市内で仕事をした後、シャヴィルという郊外へ2日後に控えたオーケストラのコンサートの練習に向かった。乗り番の曲の練習を終えて、友人を地下鉄駅まで車で送り、23時過ぎに帰宅する。友人は事件により混乱するパリの東部へ向けて移動を開始しており、下ろしたばかりの友人の安否を思う。友人はiPhoneですぐさま情報を得ており、迂回して帰宅し無事だった。
非常事態宣言を受けて翌日の仕事は全てキャンセルになり、教育機関や文化施設が閉鎖、パリ市内ではないがシャヴィル市長の決断により、コンサートは中止となった。ポンピドーセンターでの多数イベントも中止、私の勤めるパリ第8大学はサン・ドニ市にある。サッカースタジアムの近くだ。周辺に住む学生も多い。彼らの不安を思う。

思考が停止したりよくない方向に立ち止まることを避けて、外の世界と繋がりながら自分を勇気づけ続ける土曜日と日曜日が経過するうちに、マス・メディアやソーシャルメディアでは「連帯」の名の下に、逆説的にも、無邪気な暴力的な言葉が連なったり、的を得ない論争が繰り広げられるのを目の当たりに、テレビやソーシャルメディアを介して情報を得続けなければならない必要の一方、心底辟易させられる。それはメディアの性質である。ディスコースを演出し、まったくそれがクリティカルでない人々すらも闘牛の舞台に連れ出してスペクタクルが盛り上がるのを勇気づけるような、レシの自動生成装置のような性質が、今日のソーシャルメディアには、ある。

情報は手に入れて身の危険を避ける一方で、ずっと釘付けになってメディアの宇宙に住み続けないように、人に会ってリアルに喋り、目を見たり肩を抱いたり、肉声に鼓膜をふるわせ、自分もまた相手にとってリアルな会話相手となるように、気をつけなければならないと告げた。

丹念に準備されたイベントが次々と中止になる中、恩師であるジャン=ルイ・ボワシエの講演会がポンピドーセンターで11月16日月曜日に開催された。シネマ2の部屋は殆どの席が埋まり、彼の50年分の積み重ねられた時間が詰まったカンファレンスはパリのど真ん中で、それを観たいと足を運んだ人と2時間の時間を共有し、大成功に終わる。深夜のメトロに走って飛び乗り、駅で自転車をピックアップし、急いで漕いで帰宅する。

私は一昨日から開催予定で予定通りのプログラムを維持していた研究集会「記憶としてのアーキテクチャ」に出席している。サッカースタジアムの事件があり、今朝警察による作戦があったサン・ドニへは毎日赴いている。今日も参加予定だった。今日はさらに自分の講義もサン・ドニのパリ第8大学で行なう予定で、土曜日から特に辛い状況を過ごしてきた学生もいるだろうと心苦しく思いながら、教員の誰もが心を込めて行なうように、そしていつもよりもなおさら、今日の授業の準備を夜な夜な何度も見直した。

今日目が覚めると友人から一通のメッセージがあり、朝のニュースで詳細を確認する。早朝の出来事であるため、オフィシャルな決定についての情報にも先行して、必要があれば何らかの方針や学生の身の安全のための情報を伝えるのは、一部、教員の責任である。すぐに登録学生100名以上に、しかし多すぎて一斉には送れないので何通にも分割して、市や大学からの情報や決定があるまでは決して大学に赴こうとしないように告げるメールを泣きながら書いた。泣いても仕方のないことだが、どうしても涙が出たし、出るものは仕方がない。今年の年始からの状況に不安を抱かなかったことはないが、涙が出たのは今朝が初めてだった。9時過ぎに交通機関の停止を再確認、10時に大学側より講義中止と図書館の閉鎖の情報が発表され、再度学生にコンファームする。共有ブログを通じての記事提出などで質問や問題のあった学生とメールでやり取りをしたり、学生が受けることのできなかった授業内容について、なんらかのフォローを考える。彼らの心が今日も明日も強くあること健やかにあり続けることを祈りながら。

出来事の近くにおり、自己満足のために言葉を発すること、有用でないと思われる情報について言及することを先週末より制御してきた。この文章も、その点で、なんら役に立つ情報を含むテクストではないとは思う。そんな文章をわざわざ公開することを決めたのは、出来事に関して何を言うか、どのような配慮をするか、誰に対して発するか、を熟考した上でならば、人々が何かを「発話する」「声に出して誰かに何かを言う」「生きている状況を共有する」行為を支持したいと思ったからである。しかるべき表現行為を支持するために、私は自分自身に過度に表現を「制限」する沈黙を破る。

幾つもの満たすべきコンディションを尊重した上で、人は、表現することを必要としているし、表現する人を受け入れ、勇気づけるべきであるし、共に感じ、共に生き続けようと思考するセンスを持っている。

如何なるコンテクストにおいてすら、単なるヘイトスピーチや攻撃的な言論や漠然とした印象に基づく不確かな誹謗中傷は、実質的な状況改善の装置となり得ない。

「連帯」という状況がもしそのシステムに結びつけられていない何らかの他者を自ずと敵として想定することなしに存続できないのなら、「連帯」は即ち永遠に我々を救わない。

肉体というマテリアルな存在である我々人間は、どれだけ高度情報化社会にあってもユビキタスな存在では有り得ない。遠くの出来事を想像し思いを馳せ共感することはとてもかけがえのない行為であると同時に、どうか国内の状況あるいは現在の国際的な状況に対して自国のとりうる対応やそれが与えうる身近な生活環境への具体的影響・潜在的影響にも最大限注意深くあってほしいと心から思います。そのことは今最も伝えたいことです。

土曜日以降声をかけてくれた友人・知人の皆様どうもありがとう。私はまいにち元気で走りまわり喋りまくっています。

2015年11月18日 大久保美紀

写真:サッカースタジアム周辺(11月16日撮影)、パリ第8大学図書館窓より(11月17日撮影)

11/15/15

思うことのできること。

土曜日は閉鎖した大学が明日からまた門を明け、学生たちを歓迎します。私の勤める大学は、サッカー場のあるすぐ近く、サンドニにあります。サンドニに住んでいる学生ももちろんたくさんいます。「自由」がフランスの美徳であることを私は誇りに思っているし、これからも素晴らしいことであると思い続けるでしょう。異邦人である私は、この国のありとあらゆるものが「るつぼ」になっておりながら互いを懐柔し尊重する態度に眩暈を覚え、そんなリバティのあり方ががこの世界にもあったのか!と知ったのです。2006年のことです。そんな異国で先生になってしまってから4年が経ちます。マダム!と呼ばれると「誰やねん!」と思います。土曜からソーシャルメディアを介して何かを発話することを避けてきました。今も特に言いたいことはありません。ただただ、友だちの子どもや親戚の子どもや将来の自分の子どものように大切な学生たちが元気にポジティブに、明日からの世界を生き続けてほしいと、そのために自分もポジティブに生き続けようと思うだけです。

Je n’arrêtais pas de penser à tout ce qui s’est passé ces jours-ci, dans la réalité, sur les réseaux sociaux, à travers les médias de masse. Demain mon université réouvre sa porte à nos étudiants. C’est déjà quatre ans passés depuis que j’ai débuté mon enseignement en France. J’ai évité de m’exprimer sur les réseaux sociaux durant ce weekend et je n’ai toujours rien à dire mais seule chose que je voulais dire longtemps c’est que c’était la France qui m’a appris ce que la liberté est en 2006. Née dans l’archipel, j’ai souffert longtemps de certains intolérances et non-respects face aux gens « différents » dans mon pays. Je suis fière de mes sept ans vécus dans ce pays et heureuse d’avoir appris cette façon de vivre dans un grand creuset. Maintenant ce que je veux est que mes étudiants, mes jeunes élèves, que j’aimes comme mon enfant ou ceux de mes proches, puissent vivre positivement. Pour cela nous continuons à vivre positivement comme aujourd’hui et demain.

11/15/15

la vie continue

tant qu’on est en vie, la vie continue.

quand on ne voit plus rien quand on ne sent plus rien quand on pense à rien, l’être humain, en tant qu’animal affectueux, doit avoir une relation avec n’importe quoi, soit sociale soit physique; parler avec les autres, sortir de son coin, s’y mettre dans la nature, voir des plantes ou des animaux, marcher sans décider la destination, la vie continue.

la violence, la colère, l’angoisse, la stresse, la haine et d’autres sentiments négatives, ce sont des noms féminins bien que la conséquence de ces sentiments associent facilement une raison masculine. 

j’ai appelé à ma famille pour dire simplement que je suis en vie, je vais bien, il ne faut pas s’inquiéter car ce ne sont pas des lieux que je fréquente. de nombreux mensonges.

nous avons parlé des problèmes sociaux au Japon, notamment la pauvreté des jeunesses ainsi que la salaire souvent misérable des employées des maison de retraite.

le lendemain je suis partie pour en parler aux vaches qui ont toujours une bonne écoute…













11/12/15

À propos du paysage primitif

私が生まれ育ったのは、超住宅街で時々空き地くらいあるけれども割合都会らしき場所で、見渡すまでの果てしない向日葵畑が広がる景色とか、土のにおいのする野菜に触れることとか、真っすぐに続く田舎道を走行し続ける感覚とか、そんなものはまったく「原風景」ではないはずなのである。見たことのないものや大人になってから初めて見たものすらを「懐かしい」と感ずるとき、言うまでもなく、これまで読んだ全てのものや「観た」ものの影響を鑑みるが、それでもなおクリアーにならないこともあり、そんな時はあたかもある種普遍な原風景の存在をうたがうのであるが、真偽を知る以前に、もしも存在する原風景らしきものを思い浮かべることが素敵であり、人は不明瞭な記憶に基づいたとしても幸福を享受できることを知る。