11/24/15

Conférence : Intimité dans la création sonore et les nouveaux médias

(À PARTAGER)

Bonjour à toutes et tous, 

J’ai le plaisir de vous inviter à la conférence de Hiroshi YOSHIOKA, philosophe et professeur en Esthétique à l’Université de Kyoto, sur la réflexion sur l’intimité dans la création sonore et les nouveaux médias. Dans cette conférence, Hiroshi YOSHIOKA abordera le sujet de voix de synthèse dans la création sonore en présentant des artistes concernés tels Miku Hatsune et The Formant Brothers. Il analysera également le système de Siri à propos de la notion d’intimité.
Cette conférence sera suivie par la discussion avec Sophie Daste, artiste et chercheuse des espaces de fiction généré par les nouveaux médias.

Vous trouverez en pièce-jointe les informations.
La conférence dura une heure + une discussion avec Sophie Daste et le public. Je serai heureuse de vous accueillir le mardi 1 décembre à Paris 8.

Cordialement, 

Miki OKUBO

(宣伝お願いします!)

12月1日12時より吉岡洋さんの講演およびソフィ・ダストさんとのディスカッションを行ないます。「音楽創作とニューメディアにおける親密性」がテーマです。私たちの現代生活は様々な「声」に取り囲まれています。電車のアナウンス、電話のメッセージ、Siriなんかもあります。チャットや電話ですら、電子的に媒介された「声」です。よく考えてみると、実は私たちは肉声よりも電子的な声を聞くことのほうが多いのかもしれません。それらの声は人間の声を模倣するか電子的に作られたものですが、我々はそのような「声」に親近感を抱きもする。Siriやボーカロイドに人格を感じもする。
さて、来週火曜日、お昼からです。1時間半くらいを予定しています。パリにいらっしゃる方どうぞお越し下さい。お待ちしています。ご質問あれば連絡ください。
大久保美紀

Hiroshi Voix 20151201 Paris 8 のコピー

11/18/15

2015.11.18.  13日以降の生活のこと 大久保美紀

土曜日の出来事から5日経ち、確かに現地の生活は「生活」レベルで影響を受けている。

土曜の夜、21時までパリ市内で仕事をした後、シャヴィルという郊外へ2日後に控えたオーケストラのコンサートの練習に向かった。乗り番の曲の練習を終えて、友人を地下鉄駅まで車で送り、23時過ぎに帰宅する。友人は事件により混乱するパリの東部へ向けて移動を開始しており、下ろしたばかりの友人の安否を思う。友人はiPhoneですぐさま情報を得ており、迂回して帰宅し無事だった。
非常事態宣言を受けて翌日の仕事は全てキャンセルになり、教育機関や文化施設が閉鎖、パリ市内ではないがシャヴィル市長の決断により、コンサートは中止となった。ポンピドーセンターでの多数イベントも中止、私の勤めるパリ第8大学はサン・ドニ市にある。サッカースタジアムの近くだ。周辺に住む学生も多い。彼らの不安を思う。

思考が停止したりよくない方向に立ち止まることを避けて、外の世界と繋がりながら自分を勇気づけ続ける土曜日と日曜日が経過するうちに、マス・メディアやソーシャルメディアでは「連帯」の名の下に、逆説的にも、無邪気な暴力的な言葉が連なったり、的を得ない論争が繰り広げられるのを目の当たりに、テレビやソーシャルメディアを介して情報を得続けなければならない必要の一方、心底辟易させられる。それはメディアの性質である。ディスコースを演出し、まったくそれがクリティカルでない人々すらも闘牛の舞台に連れ出してスペクタクルが盛り上がるのを勇気づけるような、レシの自動生成装置のような性質が、今日のソーシャルメディアには、ある。

情報は手に入れて身の危険を避ける一方で、ずっと釘付けになってメディアの宇宙に住み続けないように、人に会ってリアルに喋り、目を見たり肩を抱いたり、肉声に鼓膜をふるわせ、自分もまた相手にとってリアルな会話相手となるように、気をつけなければならないと告げた。

丹念に準備されたイベントが次々と中止になる中、恩師であるジャン=ルイ・ボワシエの講演会がポンピドーセンターで11月16日月曜日に開催された。シネマ2の部屋は殆どの席が埋まり、彼の50年分の積み重ねられた時間が詰まったカンファレンスはパリのど真ん中で、それを観たいと足を運んだ人と2時間の時間を共有し、大成功に終わる。深夜のメトロに走って飛び乗り、駅で自転車をピックアップし、急いで漕いで帰宅する。

私は一昨日から開催予定で予定通りのプログラムを維持していた研究集会「記憶としてのアーキテクチャ」に出席している。サッカースタジアムの事件があり、今朝警察による作戦があったサン・ドニへは毎日赴いている。今日も参加予定だった。今日はさらに自分の講義もサン・ドニのパリ第8大学で行なう予定で、土曜日から特に辛い状況を過ごしてきた学生もいるだろうと心苦しく思いながら、教員の誰もが心を込めて行なうように、そしていつもよりもなおさら、今日の授業の準備を夜な夜な何度も見直した。

今日目が覚めると友人から一通のメッセージがあり、朝のニュースで詳細を確認する。早朝の出来事であるため、オフィシャルな決定についての情報にも先行して、必要があれば何らかの方針や学生の身の安全のための情報を伝えるのは、一部、教員の責任である。すぐに登録学生100名以上に、しかし多すぎて一斉には送れないので何通にも分割して、市や大学からの情報や決定があるまでは決して大学に赴こうとしないように告げるメールを泣きながら書いた。泣いても仕方のないことだが、どうしても涙が出たし、出るものは仕方がない。今年の年始からの状況に不安を抱かなかったことはないが、涙が出たのは今朝が初めてだった。9時過ぎに交通機関の停止を再確認、10時に大学側より講義中止と図書館の閉鎖の情報が発表され、再度学生にコンファームする。共有ブログを通じての記事提出などで質問や問題のあった学生とメールでやり取りをしたり、学生が受けることのできなかった授業内容について、なんらかのフォローを考える。彼らの心が今日も明日も強くあること健やかにあり続けることを祈りながら。

出来事の近くにおり、自己満足のために言葉を発すること、有用でないと思われる情報について言及することを先週末より制御してきた。この文章も、その点で、なんら役に立つ情報を含むテクストではないとは思う。そんな文章をわざわざ公開することを決めたのは、出来事に関して何を言うか、どのような配慮をするか、誰に対して発するか、を熟考した上でならば、人々が何かを「発話する」「声に出して誰かに何かを言う」「生きている状況を共有する」行為を支持したいと思ったからである。しかるべき表現行為を支持するために、私は自分自身に過度に表現を「制限」する沈黙を破る。

幾つもの満たすべきコンディションを尊重した上で、人は、表現することを必要としているし、表現する人を受け入れ、勇気づけるべきであるし、共に感じ、共に生き続けようと思考するセンスを持っている。

如何なるコンテクストにおいてすら、単なるヘイトスピーチや攻撃的な言論や漠然とした印象に基づく不確かな誹謗中傷は、実質的な状況改善の装置となり得ない。

「連帯」という状況がもしそのシステムに結びつけられていない何らかの他者を自ずと敵として想定することなしに存続できないのなら、「連帯」は即ち永遠に我々を救わない。

肉体というマテリアルな存在である我々人間は、どれだけ高度情報化社会にあってもユビキタスな存在では有り得ない。遠くの出来事を想像し思いを馳せ共感することはとてもかけがえのない行為であると同時に、どうか国内の状況あるいは現在の国際的な状況に対して自国のとりうる対応やそれが与えうる身近な生活環境への具体的影響・潜在的影響にも最大限注意深くあってほしいと心から思います。そのことは今最も伝えたいことです。

土曜日以降声をかけてくれた友人・知人の皆様どうもありがとう。私はまいにち元気で走りまわり喋りまくっています。

2015年11月18日 大久保美紀

写真:サッカースタジアム周辺(11月16日撮影)、パリ第8大学図書館窓より(11月17日撮影)

11/15/15

思うことのできること。

土曜日は閉鎖した大学が明日からまた門を明け、学生たちを歓迎します。私の勤める大学は、サッカー場のあるすぐ近く、サンドニにあります。サンドニに住んでいる学生ももちろんたくさんいます。「自由」がフランスの美徳であることを私は誇りに思っているし、これからも素晴らしいことであると思い続けるでしょう。異邦人である私は、この国のありとあらゆるものが「るつぼ」になっておりながら互いを懐柔し尊重する態度に眩暈を覚え、そんなリバティのあり方ががこの世界にもあったのか!と知ったのです。2006年のことです。そんな異国で先生になってしまってから4年が経ちます。マダム!と呼ばれると「誰やねん!」と思います。土曜からソーシャルメディアを介して何かを発話することを避けてきました。今も特に言いたいことはありません。ただただ、友だちの子どもや親戚の子どもや将来の自分の子どものように大切な学生たちが元気にポジティブに、明日からの世界を生き続けてほしいと、そのために自分もポジティブに生き続けようと思うだけです。

Je n’arrêtais pas de penser à tout ce qui s’est passé ces jours-ci, dans la réalité, sur les réseaux sociaux, à travers les médias de masse. Demain mon université réouvre sa porte à nos étudiants. C’est déjà quatre ans passés depuis que j’ai débuté mon enseignement en France. J’ai évité de m’exprimer sur les réseaux sociaux durant ce weekend et je n’ai toujours rien à dire mais seule chose que je voulais dire longtemps c’est que c’était la France qui m’a appris ce que la liberté est en 2006. Née dans l’archipel, j’ai souffert longtemps de certains intolérances et non-respects face aux gens « différents » dans mon pays. Je suis fière de mes sept ans vécus dans ce pays et heureuse d’avoir appris cette façon de vivre dans un grand creuset. Maintenant ce que je veux est que mes étudiants, mes jeunes élèves, que j’aimes comme mon enfant ou ceux de mes proches, puissent vivre positivement. Pour cela nous continuons à vivre positivement comme aujourd’hui et demain.

11/15/15

la vie continue

tant qu’on est en vie, la vie continue.

quand on ne voit plus rien quand on ne sent plus rien quand on pense à rien, l’être humain, en tant qu’animal affectueux, doit avoir une relation avec n’importe quoi, soit sociale soit physique; parler avec les autres, sortir de son coin, s’y mettre dans la nature, voir des plantes ou des animaux, marcher sans décider la destination, la vie continue.

la violence, la colère, l’angoisse, la stresse, la haine et d’autres sentiments négatives, ce sont des noms féminins bien que la conséquence de ces sentiments associent facilement une raison masculine. 

j’ai appelé à ma famille pour dire simplement que je suis en vie, je vais bien, il ne faut pas s’inquiéter car ce ne sont pas des lieux que je fréquente. de nombreux mensonges.

nous avons parlé des problèmes sociaux au Japon, notamment la pauvreté des jeunesses ainsi que la salaire souvent misérable des employées des maison de retraite.

le lendemain je suis partie pour en parler aux vaches qui ont toujours une bonne écoute…













11/15/15

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIER

@Centre Pompidou, Cinéma 2
Lundi 16 Novembre, 19h
https://www.centrepompidou.fr/cpv/resource/cyXpbr7/rMbpa9x
メディアアーティスト、ジャン=ルイ・ボワシエのポンピドーセンターでの講演会、MOMENTS de JEAN-LOUIS BOISSIERが明日に迫っています。明日、ポンピドーセンターは開館しています。カンファレンスは19時から入場無料です、ぜひお越し下さい。ボワシエは、写真、映画、ヴィデオ、コンピュータ、CD-ROM、iPhone/iPad… 多岐にわたるメディアを通じて、インタラクティヴィティと遊戯性に関する作品創作を続けてきました。現在彼が名誉教授であるパリ第8大学は、現在のサン・ドニに移る以前、多様な実験的な芸術表現の追求の最先端の場所であったヴァンセンヌにありました。彼が多くのドキュメンタリーやシネマの実験を行なったのも、ヴァンセンヌでした。
明日のカンファレンスでは、彼の歩んできた半世紀近い »Itinéraire »を追体験するまたとない機会であり、歴史的重要な資料である彼の写真や未公開の映像作品なども初めて公開されます。
私自身、映画の中に少し出演させてもらっています。どうぞお越し下さい。
La conférence de Jean-Louis Boissier où nous découvrirons son parcours de (presque) une demie siècle, son expérimentation photographique, cinématographique et documentaire que nous verrons pour la première fois… Le Centre Pompidou sera ouvert au public demain. Venez nombreux pour cette conférence inédite !

16 nov JLB-1
16 nov JLB

11/12/15

À propos du paysage primitif

私が生まれ育ったのは、超住宅街で時々空き地くらいあるけれども割合都会らしき場所で、見渡すまでの果てしない向日葵畑が広がる景色とか、土のにおいのする野菜に触れることとか、真っすぐに続く田舎道を走行し続ける感覚とか、そんなものはまったく「原風景」ではないはずなのである。見たことのないものや大人になってから初めて見たものすらを「懐かしい」と感ずるとき、言うまでもなく、これまで読んだ全てのものや「観た」ものの影響を鑑みるが、それでもなおクリアーにならないこともあり、そんな時はあたかもある種普遍な原風景の存在をうたがうのであるが、真偽を知る以前に、もしも存在する原風景らしきものを思い浮かべることが素敵であり、人は不明瞭な記憶に基づいたとしても幸福を享受できることを知る。