05/31/15

Exposition Pierre Bonnard @musée d’orsay

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オルセー美術館で開催中のPierre Bonnardの回顧展に行ってきました。世界中で展覧会が行なわれ、ナビ派の画家でもよく知られているPierre Bonnardですが、オルセー美術館での回顧展は大規模なもので、大きな絵画、結構面白い肖像画や静物画、そして彼の好んだ水のテーマ(バスタブの中の女性)、寝室での親密な絵画など、数多く見ることが出来ました。
ナビ派はご存知ゴーギャンの大胆な色彩指導に影響を受けたBonnardやPaul Sérusier やMaurice Donisらがそれまでの印象派に対して提案した斬新で明るく強い、そして比較的平らなイメージを創った画家たちです。

«Il y a une formule qui convient parfaitement à la peinture : beaucoup de petits mensonges pour une grande vérité.»
(絵画とは、一つの大きな真実のための小さな噓の集積だ)

とPierre Bonnardが述べたのはよく知られています。
最近縁が会ってMusée Marmottan Monetで開催中の展覧会La toilette, naissance de l’intimeにおいてもやはり親密な行為を数多く描いたBonnardの絵画を拝見することが出来ました。細部が本当でなくても良いという指摘は、なるほど多くのことに通じている気がします。音楽もまた然りですしね。

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05/16/15

少女文字の研究! @日本記号学会 「美少女の記号論」

美少女の記号論、昨日から始まっています!
日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学、今日の朝10時から、少女文字について発表します!

「自己表象としての筆致―書くことと書かれたものへのフェチシズム、現代のスタイルとは何か」
大久保美紀
<要旨>
「書く」行為は、今日の情報化社会において〈電子的に書く〉=〈キーボードを叩いて文字を入力する〉という新たな意味を帯びる以前、長い間、我々の身体的動作と深く結びついていた。研いだ石を用いて石板に傷を付けるのであれ、墨を含ませた筆を木簡に押し付けるのであれ、あるいは、ペンを紙の上に滑らせるのであれ、書く動作は書かれたものを生み出し、書かれる対象は、何らかの不可逆の作用を被る。例えば、ひとたび文字が綴られた石板は何世紀経っても内容を伝え、公的文書が書き記された木簡や巻物は、今日も重要な歴史的資料として保存されている。また、あたかもその不可逆性をキャンセルしてしまう発明のように見える〈鉛筆/消しゴム/紙〉による記述は、なるほど、書いたものを擦り取った後にまたその上から書くことが出来ると言う点で、それ以前の使い捨ての媒体とは一線を画すが、それもまた、鉛筆の筆圧による紙面の物理的変容や消しゴムの摩擦による紙表面の綻びを考慮すれば、伝統的な「書く」行為の枠組みを出ないと言わざるを得ない。

「書く」行為の物理的軌跡である「筆致」がしばしば、個人的で親密な表現と見なされるのは、上に述べたように、この行為が身体性に深く根ざしているためである。日本社会では、個人の筆致(あるいは筆跡)が、ある個人のアイデンティティを確定する一要素であることを越えて、その個人の属するコミュニティーを確定する特徴としての役割を担ってきた。例えば、1980-1990年代に女学生の間で流行した丸文字(丸字)や、2000年代のギャル字、あるいはヤンキー文字やグラフィティー文字。ある特定のコミュニティーのメンバーによって共有されている特定の字体を身体的鍛錬によって習得し、その字体を「書く」ことは、すなわち、自分がそのコミュニティーに属するのだという、外側の世界に向けて意思表明することを意味した。

あるいは、丸文字やギャル字という特定の字体を追求しなくとも、日本社会における個人の「筆致」が、アルファベット言語圏と比較すると、高度にフェティッシュな表現として認識されていることは特筆すべきである。この要因は、日本語の文字の形状的特徴や教育・文化的背景など、様々である。いずれにせよ、個人の「筆致」は、男女問わず、大人になっても自らの字体を恥じ、それを改善しようとペン字を習い、字体を好まぬばかりに筆無精となってしまう状況を生むほど、個人にとってデリケートな問題なのである。さらに、身体的動作によって紡ぎだされた直筆の文章―たとえば手書きの手紙―は、あたかも書く者の肉声を媒介し、その身体的存在を〈いま、ここ〉に具現化するような特別なオブジェとしての役割すら引き受けることができる。字体のみならず、文体(=スタイル)もまた、本来「筆致」の身体性と深く結びついたものであったと考えられる。

本発表では、「筆致」がどのように、書く者の身体的存在を代替するフェティッシュな存在としての役割を与えられ、それを演じて来たのか、伝統的な意味での手書きから、1990~2000年代の丸文字とギャル文字文化における直筆のあり方までを分析しながら明らかにする。そして、今日「書く」行為が引き受けた新たな意味と、それに呼応して起こる、表現としての「書かれたもの」の変容について考察する。

有毒女子通信第16号もでたよ!ここに少女文字について書いてるヨ!
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05/16/15

日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」


日本記号学会 第35回大会「美少女の記号論」
2015年5月16日(土)~5月17(日)
秋田公立美術大学
「美術(史)の美少女たち/美少女の美術(史)たち―少女たちの行方」
実施日時:2015年5月17日(日)13:30-15:30 ※当日9:40-10:00の受付が必要
会場:秋田公立美術大学 大講義室
 美術のなかの少女たちはどこに向かうのか?
 2014年から2015年にかけて開催された展覧会『美少女の美術史』は、すでに江戸時代の「美人画」に見られる伝統的「美少女」像から、現代アートやマンガやアニメなどポップ・カルチャーに欠かせないモチーフとしての少女にいたるまで、日本社会において「少女」がどのように描かれ、演出され、鑑賞され、消費されてきたのか、その系譜を明らかにした興味深い試みであった。美術において少女は繰り返し隠れた焦点になっていたのである。それでは現在、彼女たちはどこに向かっているのだろうか? あるいは逆に、「美術」は「少女」を媒介にしてどこへ向かいつつあるのだろうか? これが第一の問いになる。
 もちろん、「美術(史)」と「少女」という問題圏においては、美術を作り出す側の「少女」も見逃すことができないだろう。「超少女たち」と呼ばれる女性アーティストたち、その多様で拡散していく表現はむしろ、先の試みとは逆方向から「美術(史)」という枠組みを揺るがす契機にもなっている。彼女たちはいったいどこへ向かおうとしているのか? 
 また、美術との境界がしだいに曖昧になりつつある広範な文化表象のなかでの美少女像を考えるならば、写真というメディアもこの議論に不可避的にかかわることになるだろう。往々にしてフィクショナルな存在にとどまる、だからこそ特権化されていたはずの美少女が、写真に写しとめられ、交換されるヴァナキュラーで散漫なアイコンになるとき、どのような変容を被っているのか。映像における美少女はいったいどこへ向かおうとしているのか。それは、ここまでの問いとどのように切り結ぶ可能性があるのだろうか。
 以上のような緩やかな枠組みで美術の美少女/美少女の美術を自由に議論してみたい。
登壇者:
工藤健志(青森県立美術館学芸主幹)
藤浩志(十和田市現代美術館館長/秋田公立美術大学教授)
大久保美紀(パリ第8大学非常勤講師)
佐藤守弘(京都精華大学教授)
司会:前川修(神戸大学教授)

 

シンポジウム! 美少女表象のこれからのために喋ります!
美少女表象の反復、変身、受肉–「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」
現代美術において実践されている「美少女表象」には、典型的な二つの立場があります。それは、
(a)美少女崇拝的orポジティブなファム・オブジェ的表現
(b)女性性忌避的orフェミニズム的表現
のふたつです。発表の中では具体例を見ながらその存在と手法を確認します。

相異なる二つの立場から提案される美少女表象の方法について、その目的や効果を鑑みると、両者の間には意識的にも無意識的にも、「歩み寄り放棄/対話への不意志」が深い溝として横たわっていることに気がつきます。これが美少女表象の限界です。実例に基づいて検証し、このプロセスを通じて、現在の「美少女表象」が抱える問題を明らかにしていきます。

このような今日の「美少女」をめぐる状況=行き止り状況を打破するための案として、二つのオルタナティブな見方について提案します。理想少女ファンタジーの現実世界への連れ戻しおよび、女性によるヴァーチャル美少女の内面化という二つの案に焦点を当て、この有用性について考えます。

今日私たちはいい加減、美少女表象の新しい言説に向かっていくべきです。

さて、「実在しない《美少女》を追いかけるのは誰か」お楽しみに!
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