05/31/15

Exposition Pierre Bonnard @musée d’orsay

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オルセー美術館で開催中のPierre Bonnardの回顧展に行ってきました。世界中で展覧会が行なわれ、ナビ派の画家でもよく知られているPierre Bonnardですが、オルセー美術館での回顧展は大規模なもので、大きな絵画、結構面白い肖像画や静物画、そして彼の好んだ水のテーマ(バスタブの中の女性)、寝室での親密な絵画など、数多く見ることが出来ました。
ナビ派はご存知ゴーギャンの大胆な色彩指導に影響を受けたBonnardやPaul Sérusier やMaurice Donisらがそれまでの印象派に対して提案した斬新で明るく強い、そして比較的平らなイメージを創った画家たちです。

«Il y a une formule qui convient parfaitement à la peinture : beaucoup de petits mensonges pour une grande vérité.»
(絵画とは、一つの大きな真実のための小さな噓の集積だ)

とPierre Bonnardが述べたのはよく知られています。
最近縁が会ってMusée Marmottan Monetで開催中の展覧会La toilette, naissance de l’intimeにおいてもやはり親密な行為を数多く描いたBonnardの絵画を拝見することが出来ました。細部が本当でなくても良いという指摘は、なるほど多くのことに通じている気がします。音楽もまた然りですしね。

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03/19/15

表現の自由のこと: Steven Cohen, COQ (2013) /スティーヴン・コーヘン「ニワトリ」

表現の自由のこと

2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件があってから、フランスはもちろん、世界中で今一度、表現の自由のことを多くの人が語るようになった。だがそれは、いわば、世界単位でシャッターがきられた瞬間に過ぎず、たとえば日本では、検閲や思想統制の危機に直面して、あるいは憲法改善の危機や個人の表現の自由を脅かす様々な法令の制定の危機に直面して、2015年1月7日以前にすでに、今と変わらない危機感が既にあった。思想や文筆の領域はもちろん、現代アートの領域にも、表現者を見せしめにするような象徴的な事件があった。たとえば、釈放されては再逮捕される、ろくでなしこさんの女性器3Dデータに関する問題は、法に触れるという明確な理由があったとしても、その周辺に存在するより商業的なポルノグラフィティの問題や、男性器に関する同質の行為は果たして同等に制裁をうけているのか、といった疑問をぬぐい去ることができない。また、昨年、愛知県立美術館の「これからの写真展」で鷹野隆大さんの写真作品が男性器を露にしているという理由で、わいせつ物として撤去を指示された問題も、今日のヴィジュアル・アートを俯瞰したならば、一瞬にして、ナンセンスな事件であったというしかない。ただし、「ナンセンスな事件」がもっともらしく、あるいは威圧的にまかり通り、人々がそれに従順にならざるをえないという状況こそが、もっともナンセンスであり、しかも、深刻な破綻を意味している。アートの空間は、美術館であれ、一時的に設定されたスペースであれ、そこに非常事態を抱え込む覚悟をしなくてはならない。アートの出来事は一種の非常事態にほかならないからだ。それは、アートが存在する理由にも、アートの存在する意味にも関わる。

何も覚悟することなく、人を驚かすつもりもなく、あるいは人々が驚いてしまったときに即座に「今のは噓でした!」と言ってしまうような表現が、我々に何かを残すだろうか。我々の何かを与えるだろうか。

このエッセイで書くのは、Steven Cohenという作家のパフォーマンス作品、COQのことだ。本作品は、前回のエッセイ、MAC VALの展覧会《Chercher le garçon》(Link : Last article)において現行展示中の作品だ。作者であるスティーヴン・コーヘン(Steven Cohen)は1982年に南アフリカ生まれた。アフリカ出身、ホモセクシュアル、ドラグクイーンとしてパリに暮す。2013年に、「人権広場」(エッフェル塔を見るための観光客があつまるシャイヨー宮殿)にて、自分のペニスにリボンを結び、そのリボンのもう一端にニワトリを繋いで、15センチあるいは20センチほどあろうというハイヒール、下半身をほぼ露出したコスチューム、ニワトリを思わせる羽飾りを纏って優雅に舞うというパフォーマンスを行なった。始終はヴィデオに収められており、その奇異な外観ーリボンを巻いた性器を露出し、ニワトリを引き連れているーにも関わらず、人権広場の観光客たちはさほど動揺した様子はない。スティーヴン・コーヘンは、パフォーマンスを続け、青空の中にそびえるエッフェル塔を背に、鳥の羽根のシルエットが美しいコスチュームで舞う。アーティストはフランス国家「ラ・マルセイエーズ」(La Marseillaise)を歌い続ける。飛べないニワトリはときどき一メートル程の高さより羽ばたいては歩き、スティーヴン・コーヘンは始終このニワトリを真のパートナーあるいは分身のように大切に扱う。程無く、警備の男が近寄る。数分の後、二人の警官がスティーヴン・コーヘンを囲み、壁際に連行する。アーティストは激しくは抵抗しないもののニワトリを守ろうと抱きかかえる。さて、この広場は先に書いたように1948年以降「人権広場」と呼ばれている。それは、1948年の世界人権宣言を採択した国際連合の総会が、このシャイヨー宮殿で行なわれたからだ。全ての人々は平等である、つまり、それがアフリカンでもホモセクシュアルでも、どの宗教を信仰していようと変わらず平等である、そして宣言によれば皆表現の自由を有する。スティーヴン・コーヘンの実験は、彼が警官に捉えられるという形で幕を下ろし、この作品は長い間訴訟によって公開も叶わなかった。
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スティーヴン・コーヘンの奇妙な行為をよりよくわかるために幾つかの情報を書き加えておきたい。

(I)
まず、なぜニワトリなのか。

ニワトリは、フランスの象徴の鳥だったのである。つまり政治的・国民的エンブレムを担っていた。中世より使用され始め、ルネッサンス期以降フランスの国王の象徴、とりわけヴァロワ朝とブルボン朝の時代、国王はしばしば肖像画にニワトリを伴ったり、銀貨にニワトリが描かれたりした。ナポレオンが « Le coq n’a point de force, il ne peut être l’image d’un empire tel que la France ».(ニワトリなんかダメだ!強い鷲にしよう!)といって国鳥を鷲にしてしまうまではニワトリこそフランスを象徴する鳥だった。つまり、元フランスを象徴する鳥であるニワトリを、性的被差別者であるペニスに結びつけたリボンによって引き連れることの比喩的意味が明らかになるだろう。

Coq gaulois, monument dédié aux Girondins, Esplanade des Quinconces, Bordeaux

Coq gaulois, monument dédié aux Girondins, Esplanade des Quinconces, Bordeaux

Écu constitutionnel, 1792

Écu constitutionnel, 1792

(II)
つぎに、世界人権宣言採択の現場であるシャイヨー宮殿をパフォーマンスの場として選択する意味についてである。シャイヨー宮殿は、世界中からエッフェル塔の名写真を撮影するために観光客や写真家がおとずれるほど、フランスのイメージのひとつであるエッフェル塔が最も美しく俯瞰できる場所として知られている。おそらくその強烈なシチュエーションからか、1940年6月にナチスドイツの侵攻によって陥落したパリを、ヒトラーが訪れ、ここでエッフェル塔を背景に撮影した写真が有名である。したがって、この場所は、ナチスドイツによって陥落したパリと、世界人権宣言が採択された人権擁護の象徴としてのパリと、今日のフランスのあらゆるイメージを背負ったモニュメント「エッフェル塔」が見える場所、という三重の意味を担うのだ。スティーヴン・コーヘンがこの場所を選択し、警官に連行されることも戦略的計算に入れた上で、エッフェル塔を背景にパフォーマンスを行なった意味もこれで明らかになるだろう。

Paris, Eifelturm, Besuch Adolf Hitler

(III)
ちなみに、パフォーマンス中、アーティストが口ずさんでいたフランス国家「ラ・マルセイエーズ」は、フランス革命の際にマルセイユの義勇軍が歌ったとされ、それ以来のものである。

ご覧のように、スティーヴン・コーヘンのパフォーマンス「COQ」(ニワトリ)は、彼自身の抱える性的な問題の個人的苦悩を越えて、人類の人権の問題、移民の人権、性的マイノリティの人権、人種差別撤廃の希求という大きなディメンションに及んだ作品である。
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もう一つ、全く別の問題を指摘して、このエッセイを締めくくりたい。それは、この作品を展示する側の戦略的態度である。本作品はスティーヴン・コーヘンの下半身や性器が殆ど露出された映像作品で、客観的なヴィジュアルの美しさとエキセントリックな状況のコントラストのなかで、一見するとただただ滑稽、「なぜこれがアートなの?」という議論のなかに煙に巻かれる作品でもあるし、あるいは性的マイノリティーと表現の自由の問題に収斂される可能性もある作品だ。しかし、この展覧会が2015年3月より始まっていること、それがはっきりとシャルリー・エブドの後の社会的・政治的文脈の影響下にあるということ(もちろん作品選択や企画はその前に決定されているが、展覧会開催に当たり美術館側は問題に意識的にならざるをえないし、鑑賞者も当然考慮するに違いないということ)、そして上述したように様々な政治的エンブレムが散りばめられていることを思えば、この作品が展示されるという意味は、極めて愛国主義的なものであると考える。つまり、政治的で、戦略的な態度であると、思うのである。そしてこれもまた、美術館の「権利」であると思う。

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(コーヘンの作品に関連して以下に世界人権宣言の部分を添付した。)
『世界人権宣言』
(1948.12.10 第3回国連総会採択)
〈前文〉
人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 

人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、(略)

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎であるので、

人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 

人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権を保護することが肝要であるので、(略)

よって、ここに、国連総会は、

社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身の人民の間にも、また、加盟国の管轄下にある地域の人民の間にも、これらの権利と自由との尊重を指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として、この人権宣言を公布する。

第2条
すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的もしくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる自由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。
さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると、非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その国又は地域の政治上、管轄上又は国際上の地位に基ずくいかなる差別もしてはならない。

第19条
すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

01/4/15

Fondation Louis Vuitton, architecture et expositions / ルイ・ヴィトン財団美術館 

年の瀬、秋より新しくオープンしたFondation Louis Vuittonの美術館に行ってきました。
Bernard Arnaultがアメリカの建築家Frank Gehryに依頼して、2002年ころより昨年のオープンまで10年越しのプロジェクトになったのですね。
Frank GehryとLa Fondation Louis Vuittonのネゴシエーションやその歩みは、「I:50 Confirmation Model」が出来るまでのたくさんのアイディアやマケットの展示によって見て取ることができます。個人的には、下に掲載したモデルと原画が良かったですが。 

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そして、Olafur Eliasson の展覧会「Contact」です。この巨大なスペースにあまりに展示が少ないことで、「???」と思われるヴィジターもいるようなのですが、ファンデーションからの説明では、オープン初期は、何よりもFrank Gehryの建築を体験してもらうのを目的として、ギャラリー/美術館としての機能は後にとっておくそう。Olafur Eliassonは1967年生まれ、アイスランドとデンマークで育った現代アーティストです。絵画・彫刻・写真をあわせたインスタレーション作品で、独自の空間の使い方を模索しています。本展覧会でも、Fondation Louis Vuittonの建築から着想を得て、この特殊性と協働しながら、彼がこれまでテーマとしてきた空間における確からしさや、振動、光と影といった要素を展開させています。

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そして、コレクション(財団収蔵品)の部屋。
今回は15名ほどのアーティストによる作品の展示がありました。そのなかでも、Wolfgang Tillmansの植物の写真は、好きですね。生が勝手にあり、それを満たす光が射し込んで、広がる雰囲気がとてもいいです。
また、Ed Atkins の Us Dead Talk Love (2012)ですね。アバターのような人物が視角的・聴覚的にシュミレーションしながらあるテーマについてモノローグを繰り広げるという、近年の作品のうちのひとつ。
続いては、Rachel Harrison のZombie Rothko (2011)、そしてAnnette Messagerのコレクション展示です。

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新しいアキジションの作品、Cerith Wyn EvansのA=F=L=O=A=T (2014)は、1990年代から作家が取り組んでいる、オーディオ・ヴィジュアルのインスタレーションの試みの一つで、空間の持つ特殊性と空間を満たす音/静寂との関係によってインタラクティブな作品である。20本のフルートは、作家によって作曲された音楽を奏でているのだが、その音楽は、室内のコンポジッションが異なれば、別の方法で共鳴するのである。

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ブローニュの森からはちょうど、ラデファンスが見渡せる。
パリの、気球も。

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06/30/14

Indiens des Plaines @quaibranly, インディアン・ファッション

本展覧会« INDIENS DES PLAINES »は、エッフェル塔から少しセーヌ沿いに東に移動したPont d’Arma近くのMusée Quai Branlyにおいて現在開催中の展覧会である。「プレーンズのインディアンたち」と題された本展覧会で出会ったのは、鑑賞者の注意を喚起するのに成功したセノグラフィーであり、展示作品であり、物語であった。

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Musée Quai Branlyは、パリの大きな国立美術館がそれぞれの担当領域によってある程度棲み分けをはかっているといったあまりに一般的な見方から紹介するならば、世界のプリミティブアートとアフリカやオセアニアのアート、少数民族の文化や手工業のコレクションを数多く収蔵しており、企画展もまた、こういったプリミティブアートやアフリカ・オセアニアの工芸に焦点を当てたもの、人類学的観点からある文化を展開・紹介するような傾向が見られる。ただし、この美術館の一つの強さは、「アートとはなんであるか」「アーティストとは誰か」という、自分がアートに関わっていると自負している人なら誰しもつい溺れてしまうくだらない問いから、完全に解放されている点であると思う。

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我々がここで目にすることの出来る展示作品は、しばしば作者不明あるいは匿名の表現者たちによる作品である。イリノイのある地方、ミシシッピ上流の谷、グレートプレーンズ、それぞれの地域で名も無き作り手たちが丁寧に作り上げた精巧な衣類や織物、人形や祭りのための飾りといったものが17世紀よりその地を訪れたヨーロッパ人を驚愕させてきた。

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人々はしばしば、今自分たちが生きている、あたかもたった一つに結びつけられたかのようなグローバル世界が行き着くべき理想的体系であるかのように思って、それ以前に独立して存在していた別々の世界は、現在ある全てのものより洗練されておらず野蛮なものだと妄想しがちである。今の世界が最終的で最高の形と感じるのは、我々が今しか生きられない生き物だからなのである。現在のデザインや技術は存在した全てのものの上に立っていることは有り得ず、だから、我々の知らない物凄いものが時々発見されたとしてもそれは実はとてもナチュラルなことなのである。

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展覧会は7つの章に分けられ、最も素晴らしいことには、開かれた大きな展示スペースに至る前までの3つのセクションは、現在から遡って行く時間軸をとっている。
L’exposition est ainsi organisée en sept parties :
. Le renouveau artistique dans la vie contemporaine, 1965-2014
. Communautés et diaspora, 1910-1965
. Peuples anciens, Pré-contact
. La vie dans les Grandes Plaines, 1700-1820
. L’épanouissement d’une culture, 1820-1860
. La mort du bison, 1860-1880
. Dans les vestiges des terres ancestrales, 1880-1910

アイデンティフィケーションに血眼になるような展示はアートの可能性を広げないが、ならばどうしたらいいのか?という問いへの一つの解釈がここに展示されていると思えた。

Manteau d’homme and Souliers de femme (about 1920),
Artiste lakota
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Patchwork (about 1915)
Rebecca Blackwater, artiste dakota
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Manchettes de danseur (about 1925)
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Chaussures sabots (2014)
Jamie Okuma, artiste luiseno, Californie
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Robe de femme avec accessoires (2005)
Jodi Gillette, artiste lakota hunkpapa
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本展覧会は、2014年4月8日〜7月20日まで開催中である。
参考:http://www.quaibranly.fr/fr/programmation/expositions/a-l-affiche/indiensdesplaines.html

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01/2/14

みる、ふれる、きくアート─感覚で楽しむ美術@栃木美/ Expo : Touch is Love @Tochigi

企画展 [みる、ふれる、きくアート─感覚で楽しむ美術]
栃木県立美術館 Web

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栃木県に行ったことが無かった。東京からは鈍行でも二時間ほどで栃木県立美術館まで行けそうだということが分かると、どうしても、栃木県立美術館で開催中であった[みる、ふれる、きくアート─感覚で楽しむ美術]展を訪れたくてたまらなくなった。きっかけは、写真家の糸井潤さんからいただいたアナウンスメールであった。糸井さんは写真家で、2012年に小山私立車屋美術館で開催された個展『Cantos Familia』や昨年1月に国立新美術館にて開催された『第15回 Domani•明日展 』において、フィンランドの森で撮影された写真作品を発表している。私はフィンランドの森を見たことがない。その空気の冷たさも、木々の硬さや枝の細さも、雲がどのように流れ、雪の粒はどれほどに細かいのかを知らない。展覧会は12月23日までで、数日関東に滞在していた私は、その日の朝、宇都宮行きの鈍行に乗った。

企画展 [みる、ふれる、きくアート─感覚で楽しむ美術]というテーマには惹かれる。美術展が、あるいは美術そのものが、近くからも遠くからもとにかく「凝視するもの」になって久しい。触れてよいものは、デザインや素材の展示には登場しても、美術には滅多に現れない。あるいは、ゲームや一部のメディアアートのように、鑑賞者に決められた操作を要求する作品があり、規定されたオペレーションを遂行する場合はある。だが、時々はそんなつまらないものでない、ワクワクするような展示に出会うことがあり、そういったものを体験したかったのだ。

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栃木県立美術館は、JR宇都宮駅よりバスで15分ほどまっすぐ行ったところにある。企画展側の入り口は正面より左側、コレクション展の入り口が右側にある。入り口をすり抜けると、フクロウの群れが迎えてくれる。全力で石に触れている少年が見えて楽しくなる。手塚登久夫の黒御影石彫刻は、壁側に配置されたフクロウの群れと同じ、石材を切り出した後はほぼノミとハンマーだけで少しずつつくられた二羽のフクロウに触れることができる。御影石はご存知のように、花崗岩の一種で古くから石材として用いられてきた非常に緻密で固い素材の一つである。しばしば墓石などにも利用され、研磨されて光沢を帯びている黒御影石は、ここでは冷たく削り口を露にし、丸いヴォリュームのぎゅっと詰まった感触が手のひらから伝わってくる。

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また、栃木美保のインスタレーションでは、楠、檜、月桂樹の三種類の木々の香りを吸い込んで体験するものである。タイトル『結葉(むすびは)』は、インスタレーションに見られる布で作られた葉が重なり合って光を透過するように、若葉がひしめく様子を表している。

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松島さくら子は、漆工を学び、世界各国で創作を披露している。本展覧会では、undercurrentシリーズが展示され、あまり見たことの無い形をもった漆工作品の、その表面がどのように艶やかであるかということを目撃することができた。

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丸山浩二のフロッタージュ作品は、フロッタージュという技法そのものが体現する三次元的な奥行きが、完成した二次元の作品にも滲み出ている。簡単なフロッタージュが体験でき、近隣の小学生や中学生の作品が合わせて展示されているのも楽しい。

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糸井潤のCantos Familiaからの6枚の森の写真と、ビデオ作品 »Solitude'(5min)を目の当たりに、森の中を歩く。視覚情報から出発したはずの、ずっと北の、遠い森のイメージは、知っていることや知らないけれども思い描く風景と重なり合って、揺れ動き、そこにはやがて音があり、風の動きがあり、光と熱があり、森の感触がある。ビデオでは森の様々なシーンが、その森に混入し、ついには溶けようとする人間の鼓動とともに映し出される。

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丑久保健一の木のボールや、彫刻には触れたほうが良い。そこには触れることによる驚きと気づきがあるからである。

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岩本拓郎の水彩•油彩画には、光に関するタイトルがつけられている。たとえば写真は『生成—生まれる光/2012-W1』(部分)である。そこで画家は、ピグメントが化学反応を起こし、たとえば点滅したり、見る角度によって色が全く変わるような事態を引き起こそうとする。滲んで予想外の動きが時の中にそのまま固まった様子は、琥珀の中に閉じ込められた年老いた虫の羽に少し似ている。

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藤原彩人は、施釉陶の彫刻をつくる。写真は『揺れる男』(2013)のインスタレーションの様子である。誰にも似ていない、白くて光沢の在る頭部、それは風鈴のように揺らめく他の身体の部分を伴って、世界を漂っている。しかし彼らはその重くて硬い頭部のお陰で、結びつけられているのであり、自由ではない。また、『立像―雪は溶け、地に固まる』の三体の彫刻もよい。我々は雪よりも少しは長く生きるが、所詮、少しだけ沸き上がってきてぺたぺたと地を歩き、遠くに行ける気もするが、やはりいつかは死に絶えて、溶ける雪が地に戻るように、形を失うのだ。

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展覧会[みる、ふれる、きくアート─感覚で楽しむ美術]は、そのわかりやすいキャプションや体験のための丁寧な説明から、おとなしく見るだけでなく、触り、嗅ぎ、聴きたい人々がたくさん訪れ、鑑賞を楽しんでいた。美術は触れえぬものであるという前提は、効力を失った呪文なのである。

08/9/13
人形、おもちゃなど

アウシュヴィッツ−ビルケナウを訪れること / Musée national Auschwitz-Birkenau

アウシュヴィッツ−ビルケナウを訪れること / Musée national Auschwitz-Birkenau

車窓より

車窓より

2013年7月27日、暑い日だった。クラコウでの学会が終わり申し込んでいた見学ツアーのバスに乗る。ホテルを通じて申し込んだ見学は現地で使用言語別の小グループに分散して、私はフランス語で説明を受けられるグループに混ざった。そのグループに説明を与えたフランス語バイリンガルのポーランド人の女性は、家系的にアウシュヴィッツ近郊に代々住む祖父母を持ち、この地で行われたことについて自ら研究してきたことを我々に述べ、私は彼女が語る言葉に何の努力もせずに耳を傾け続けた。それらの言葉は、勿論データとしての数字や客観的事実であったり、この地に来る以前に私が書物によって学んだ事でありもするが、彼女の印象や見解を述べる事もあった。それらには臭いも色もなく、不思議にも、情報であったのだ。

私は1984年生れで、末っ子である父は1949年生れ、親も戦後生の世代である。戦争に行った父方の祖父は私が学校に上がるか上がらない頃に死んだので、私にとっては父が私に話した祖父の話というのが自分におおよそ近い戦争体験のストーリーである。北海道における戦争体験は立て続けの空襲や深刻な本土被害があった本州の戦況とはたしかに別の次元であるのかもしれない。父はとことん、祖父の話したがらない様子について言葉を濁しながら語るのみであるが、その中でも無謀なシベリア出兵や戦後何年も続いたシベリア抑留中に受けた精神的苦痛の記憶は何度も耳にしており、生涯苦しんでいた様子は深く印象に残っている。

戦争とは、非常事態である。それまでアイデンティファイされていた人間がたちまち骨と肉からなる物体として匿名化される。全ては狂ったような信じがたいような事と突き放すことは、万人にとっておそらく可能な手段だが、そのことが紛れもなく繰り返されてきた歴史であり、進行中の現在である。違いを認識し、異物を恐れる営為それ自体は生命の保存のための本能的な防衛である。だが、そのことと、認識した自己と異なる個体を排除するために暴力に訴える事、それが如何なる種類の暴力であれ、その命を奪う事とは絶対的に無関係なのである。そのために毒ガスを用いる事も、核兵器を用いる事も、いかなる説明によっても説明されうる可能性はない。そのような言論は、始めから妄語である。

アウシュヴィッツ-ビルケナウを訪れることとそれについて書く事は、その非常事態の中でどのようなことが起こったかを知るためではなく、その非常事態全体を回避しなければならない必然性を理解するためであり、そうでないならば直ちに消してしまったほうがよっぽどマシであると私自身は考えている。

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働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)

働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)

「働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)」と書かれた入り口の門。ユダヤ人は、「東の地に移住し、そこで働く」ことを信じて彼らの家を後にした。働いても、自由にはならない。働くために集められたのではない。

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オーケストラのコンサートが行われていた場所。収容されたユダヤ人にはプロの演奏家も含まれていた。彼らは飢えや病気で死んでゆく他のユダヤ人が運ばれて行くのを見ながら、美しいクラシック音楽を演奏した。それは一体誰のために。

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広域なヨーロッパの国々から人々が強制収容された。28カ国に及ぶ国々、ハンガリー、ポーランド、そしてフランスではDrancyというパリの北郊外の街が強制収容のトランジットの拠点となっていた。41年から始まった強制収容は実際には43年と戦況が絶望的に悪化していた44年にその収容の大部分が実行された。

IDに関わる資料

IDに関わる資料

収容された人々のID書類は敗戦時ほぼ廃棄されたが一部が発見されている。収容された人々の個人情報が完全に把握されていた。しかし「選別」を境に、それまでのアイデンティティを無に帰され、番号を身体の一部に黒インクで刻印されて、管理された。

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アウシュヴィッツまでの移動は狭い貨物列車の車両の中に荷物と共に限界まで詰め込まれ、座る事もできないまま一週間や十日にも及ぶ事がしばしばで、衛生的でなく肉体的負担の過剰な移動の途中で多くの年配者や子どもが亡くなった。

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生きて辿り着くと「選別」がある。女と子ども、老人や身体能力が重労働に耐えられぬものはガス室に送られた。青年であっても、傷ついた軍人や障害のあるものはガス室に送られた。たった一つだけ手にしてくる事が許された個人の大切なトランクは、下車と共に手放す事を余儀なくされ、それらは彼らが去った後、宝石は盗まれ、再利用可能な金属は戦争続行のために役立てられ、衣類や高価なものも奪われた。

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上は近年になって見つかった貴重な写真資料であり、ガス室で殺戮された人々の死体が撮影されている。チクロンBを大量に使用しての殺戮が実際に行われたことを証明する重要な資料である。

補助器具、義足、松葉杖など

補助器具、義足、松葉杖など

補助器具や義足、松葉杖が大量に残されている。これらを携えて貨物列車に詰め込まれた人々はすなわち、「選別」の際に働く事ができないと判断された人々である。

人形、おもちゃなど

人形、おもちゃなど

子どもは到着と同時に母親から引き離された。43年以前、14歳未満の子どもはガス室に送られた。収容所で生まれた子どもはビルケナウの16号棟で生活した。飢餓や病気で成長を妨げられていた。

生存者の写真

生存者の写真

7人の生存者の写真。赤子に見える子どもは2歳、小学生のような小柄な少年は14歳、殺されなかった女性は30キロを下回る危機的状況で発見された。

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アウシュヴィッツ第一収容所はその収容キャパシティーを上回るようになり、一階建てのバラックは建て増しされた。煉瓦の色の違いが明らかに見られる。(下)

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銃殺刑の壁と拷問器具のある空間。壁は後に人々がこれを忘れないために作り直されたものである。花を供える人々がいる。

銃殺に使われた壁(再現)

銃殺に使われた壁(再現)

ここに毎日10人の犠牲者が見せしめのために殺され、吊るされた。

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敗戦時証拠隠滅のため壊されたが当時の様子を再現されたガス室と火葬器具。

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ビルケナウの広大な敷地には今日緑が茂り、日光が注ぐ。バラックの中にあった機能していたのか定かではない暖炉と煙突の部分だけが残されている。

ビルケナウ、煙突が所々残る

ビルケナウ、煙突が所々残る

ここで人々は肉親と分たれ、たった一つの持ち物であったトランクを奪われ、「選別」され、殺された。

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列車は人々を乗せてここに停車し、人々を下ろし、また出発し、そしてまた別の人々を乗せてここに戻ってきて、また下し、そして出発した。

80人〜100人を運んだとされる車両

80人〜100人を運んだとされる車両

一つの車両には80人から100人もの人々が荷物と共に詰め込まれていたと言われる。

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各バラックには中央に暖房設備と両側に三段ベッドがある。三段ベッドは、個人用ではない。わざわざ三段ベッドを作った理由は、かぎられた面積に最も多くの人間を効率よく並べるためである。

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穴が空いただけのトイレ。人々は一日2回決められた時間に強制的に使用させられた。清掃はなされず、極めて非衛生的で病気が蔓延した。ここにあるのは当時使用されていたもので、今設置されたばかりであるかのように、きれいに掃除されている。

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この場所がこんなに無臭で、真夏でも風が流れてゆき、地面には雑草がびっしりと茂っていることなどは、最も拭いがたい一つの印象である。

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04/29/13

新聞女論 vol.1 新聞女@グッゲンハイム美術館 – 新聞は纏うとあったかい。/Newspaper woman @guggenheim museum

本記事は、これより第三弾に渡る新聞女レポート&新聞女論の第一弾、 新聞女論 vol.1「新聞女@グッゲンハイム美術館- 新聞は纏うとあったかい。」です。

 

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

神様の偏西風が逆向きに吹いて、全く訳の分からないまま、私を乗せた飛行機はぐいぐいとニューヨークに引っ張られ、私がグッゲンハイム美術館の裏口に侵入したのは、19時半すぎ。「新聞女パフォーマンス@グッゲンハイム美術館 in NY」(Art after Dark, site )の開始時間の1時間以上前だ。本来JFK空港着予定が19時55分で、そこからうまく渋滞がなかったとしても、美術館に着くのは22時近くなりそうだったのだ。ミステリーである。私はその前日も飛行機でも寝ておらず神様の追い風のせいで頭の芯がしびれており、図々しいとはもちろん思いながら、準備中で確実に大忙しの西澤みゆきさん(新聞女, 新聞女HP)にコールしてもらった。新聞女はまだ新聞を纏っておらず、白いぴたっとしたカットソーを着ていた。彼女は私が着いたのを喜んでくれ、私はとてもわくわくし、三日分の荷物を詰めたちっちゃいスーツケースを引きずって、彼女が手伝わせてくださるという制作の現場にひょこひょことついていった。


kobe, 2012

kobe, 2012

私が新聞女パフォーマンスに出会ったのは昨年、2012年5月12日に神戸ファッションミュージアムで行われた記号学会においてである。小野原教子さんが実行委員長をされた『日本記号学会第32回大会 「着る、纏う、装う/脱ぐ」』(JASS HP)の学会第一日目、アーティスト「新聞女」が現れて、たくさんの研究者とか大学の先生とか学生さんで溢れる学会の会場がたちまち新聞で覆い尽くした。彼女は台の上で新聞一枚でぐるりと回りを覆われながら、そのなかで、全部脱いで、裸になって、ドレスを纏った。
(記号学会でのパフォーマンスの写真やコメントは以下ブログ うきうきすることが起こった。日本記号学会 5月12,13日 神戸にて。Part1

after the performance, kobe, 2012

after the performance, kobe, 2012

ダンサーの飯田あやさんらによる新聞の舞にうっとりしている間に、周りの大人たちが笑顔で新聞だらけになっていく。みんなが楽しそうに、「私にもぜひ新聞巻き付けてくれ」と遠くにいた人たちもどんどん新聞女のほうに吸い寄せられていく。新聞の海のヴォリュームの中からわき上がるように高く高く登って、いつの間にかデコルテのロングドレスにエレガントな日傘を携えたの超笑顔の女が頂に姿を現し、パフォーマンスは完成した。纏った新聞はあったかくて私はとても幸福だった。彼女のパフォーマンスに初めて取り込まれた日のことだ。

 

グッゲンハイム美術館から直々のインヴィテーション。新聞女と新聞女ズ、そしてAU(Art Unidentified)の一団はニューヨークの郊外アーレンタウンを拠点に2013年2月初頭にアメリカに渡り、そこでFUSE Art Infrastructureの支援を得て寝食を共にしながら、 »Lollipop »(lollipop itinerary)という一連の企画でアーレンタウンとニューヨークで連日制作発表の多忙且つアーティスティックな日々を送っていた。グッゲンハイム美術館からのパフォーマンス依頼が届いたのは、彼女の最愛の師匠嶋本昭三さんが亡くなったその瞬間であったということを知る。全ては、小さな人間には手の届かない遥かに大きな「なにか」にうごかされた運命なのである。彼女たち数名は意を決して帰りの飛行機チケットをどぶに捨て、来る3月9日夜、嶋本ミーム*を共有する者たちのエネルギーでグッゲンハイム美術館を新聞で覆い尽くすことを誓ったのであった。私は突然の渡米を決めた。私はアメリカに行ったことが無い。自分がアメリカに行くというのはとても不思議に思えた。京都からは吉岡洋さんが具体と新聞女についてのインタビューを受けたりするため渡米する予定で、私もいっしょに新聞女のパフォーマンスを体験することにした。この記念すべきパフォーマンスのために、仙台の中本誠司美術館は嶋本氏の作品を西澤みゆきがグッゲンハイムのスロープで衣装として纏うことを許可し、当美術館からも当パフォーマンスへの協力者がかけつけ、ユタ州からは元新聞女ズの強力な助けがあり、フロアに設置された巨大新聞と新聞女号外の制作者やニューヨーク在住の知人協力者、そしてもちろん一ヶ月間連日制作発表を共にしてきた新聞女ズの中心に、笑顔で皆を率いる新聞女の姿があった。新聞女は、笑っている。舞台裏で制作に汗を流す仲間たちに指示を出し、自らも運び、走り、彼女のエネルギーがそれが遠くにいても感じられたりするなにかであるようにまばゆかった。

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

 

舞台裏にはたくさんの仲間たちがさすがはプロの手早さで作業をしており、私なんかが急に邪魔しにやってきて説明していただく時間や労力を割いてもらうのすら恐縮だったので、見よう見まねで出来るだけ頑張った後はジャーナリストに徹して写真を撮りまくろう(つまりサボり!)とひとり決意し、それでも教えていただきながら皆さんの巧みな新聞さばき/はさみさばき/ガムテープさばきを盗み見しながら、作品のほんの一部だけ制作に貢献した(ような気もする)。それぞれの分担作業に取りかかる前に、ボス新聞女から皆にパフォーマンスの段取りの説明があった。このパフォーマンスはなんと、21時から24時までの3時間持久レース、幕開けはPlease walk under hereの裾が30mにも及ぶレースでできた新聞ドレスでの登場。その後グッゲンハイムの名物スロープを利用して様々な新聞コスチュームを纏ったパフォーマーがヴィジターを巻き込んでパレードする、パレードが終わるとフロアでは巨大テディベアがどんどんその実態をあらわし、その傍らシュレッダーされたモサモサの新聞を生やしたニュースペーパー•モンスターがそれをフサフサさせながら踊る。フロアにいる人は、演歌や新聞女のテーマというジャパン的BGMに乗って「半額」とか「30円」のレッテルをぺたぺたくっつけられながらそこにいるだけで面白くなってしまう。そして、スロープには大きな「gutai」の文字をバックに嶋本昭三作品をエレガントに纏う、みゆきさんの姿が…。

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

 

Princess !

Princess !



フルで3時間続くパフォーマンスなんて、いったいどんな体力であろう。しかも彼女らは連日の制作•発表•制作•パフォーマンスの多忙の中で寝ずに今日の日に突入しているという。フロアは入場者で満たされていく。Please walk under here ! の長い裾を皆で丁寧に支え、スタンバイ状態に入る。ああ、なんて、皆を巻き込むパフォーマンスはただひたすらにワクワクし、そこに存在するだけで楽しいのだろう。Please walk under here ! は新聞女の師匠、嶋本昭三氏の「この上を歩いてください」(Please walk on here, 1955)のオマージュである。女の子のスカートの下(というか中?)を歩く。めくり上げられたスカートの内側をあなたは堂々と歩いてよい。その長い長いスカートの裾はとても繊細なレース模様が施されており、それをばっさばっさまくり上げながら、観客であるあなたは中に取り込まれるのだ。盛大なスカートめくりであり、あなたはそれを覗く者となる。

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

fantastic !

fantastic !

パレードでは写真家のヤマモトヨシコさんが撮影された素晴らしい作品がパネルとして掲げられ、新聞女と新聞ドレスを着た女たち、そして巨大ジャケットを着た普通のサイズの人たちが練り歩く。このデカジャケのコンセプトは「着てたのしい、見てたのしい」。ファッション科出身の西澤みゆきの手にかかりジャケットは新聞と言えどきちんと裁断され、(巨人使用だけど)リアルな洋服の作りとなっている。着るととにかく面白いこのジャケットは「吉岡洋が着てもアホに見えるところがポイント」だとかなんとか。このジャケットを着て改めて思ったのだが、新聞は普通の服や紙より明らかにあたたかい。それがただ何枚も重ねられたり文字が印刷されているためだけでなく、新聞女とその仲間たちが創り出すそのものたちは、纏うととてもあたたかい。

Yoshiko Yamamoto's picture works

Yoshiko Yamamoto’s picture works

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

 

これらの大量の新聞は、アーレンタウンで彼女らの活動を支援したFUSE Art InfrastructureのLolipop Co-Directorでアーティストのグレゴリー•コーツが現地で入手してくれたものだそうだ。素晴らしいディテールのレースのドレスも、労力を要求するシュレッダー•モンスターのコスチュームも、可愛い巨大テディベアも、その一夜限りのニュースペーパー•ドリームを演出するために生み出され、そして、処分される。新聞女の作品はダイナミックで、パフォーマンスはエネルギーに満ちている。それらが全て撤収されて、片付けられて、元の世界が舞い戻ってくるような瞬間は、なんだか奇妙にすら感じられる。しかしそこには、たとえば夏が終わったときのような哀愁や寂しさは漂わない。なぜなら、一度新聞女に出会った者はその日の出来事をもう二度と、忘れることが出来ないからだ。そのエネルギーは出会ったあなたの中に既に送り届けられ、それはより多くの人たちと「ハッピー」を共有するために、増殖を続けるのみである。

 

a big teddy bear after the performance

a big teddy bear after the performance

elegant lace dress after the performance

an elegant lace dress after the performance

「いま目の前にいるみんなが喜んでしあわせにいれるように。地球の誕生から様々な生命が繰り返されてきたように、その大きな生命体の一部として。作品は残らなくても、みんな(や地球)がニコニコはっぴーでいれることに貢献したい。」(西澤)

(グッゲンハイム美術館でのパフォーマンス、その他の写真はこちら
*嶋本ミーム ミーム(meme)とは人から人へと行動や考え方を伝達する文化的遺伝子のこと。京都ビエンナーレ(2003)では嶋本昭三と弟子の作品を集めた「嶋本昭三ミーム」展が開催された。

新聞女は明日から三日間(4月30日ー5月2日)、高の原AEON MALLに現れる。

(リンク http://www.aeon.jp/sc/takanohara/event/

日程 / 時間
・4月30日(火)
13:00~高田雄平 自分だけのブレスレット作り
15:00~新聞アーティストと一緒に巨大テディベア作り
・5月1日(水)
13:00~岡田絵里 はし袋でパレードしよう
15:00~新聞アーティストと一緒に新聞ドレスで館内パレード
・5月2日(木)
13:00~八木智弘 自分だけのミサンガ作り
15:00~巨大新聞こいのぼりを作ってトンネル遊び
場所:2F 平安コート他

 

「新聞女論  vol.2「アートは精神の解放」 – 裸のたましい、ハッピーを伝染する。」もお楽しみに。

 

04/8/13

ARRRGH ! HYBRIDE MONSTERS / ARRRGH ! 身体のハイブリッド性 @Gaîté Lyrique

ARRRGH! Monstres de mode / モードの怪物たち

あるとても寒い日、といっても世界の他の国々と同様に既に4月を迎えているのだが、郊外では雪すらうっすら降り積もったというその日、数日前まで最終日までに行けないのではと思っていた展覧会に思い立って行ってきた。展覧会は気になったら行ったほうがよく、人は気が向いたら会うほうがいい。

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ARRRGH! http://www.gaite-lyrique.net/theme/arrrgh-monstres-de-mode
du 13 février au 7 avril 2013
@Gaîté Lyrique
Arteの展覧会ビデオでも気になってたまらない、(ビデオはこちらです)黄色いスウェードの衣をまとった生き物は『千と千尋の神隠し』に登場し、その愛らしい動きと顔がないその顔によって一躍有名になった、あのカオナシ様に似ている。だが、なんだいジブリのパクリやないか、と勝手に一件落着してはならない。実はこの洗練された顔、IAMAS出身のグラフィック•アーティスト大石暁規さんの、あのキャラクターのお顔なのである。正面から見ても近寄っても横から見ても、たしかに愛嬌のあるこの有名なモンスターは、PICTOPLASMAのPICTOORPHANGE LES PETITS BONHOMMES (2008)である。PICTOPLASMAはアートにおけるキャラクター的なものやファッションのデザインと身体の関係に着目し、キャラクターデザインやタイポグラフィデザインを手がけるほか、アートブックの出版も行うドイツのグループである。こちらは、2010年に行われたハンブルグでのPICTOPLASMAの展覧会だが、こちらで大石暁規さんのタイポグラフィック・キャラクターが登場する。

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*大石さんのサイトはこちらAkinori Oishi

 

ARRRGH!は日本語でいえば、ギャー!といおうかウギャー!といおうか、そんな展覧会タイトルである(と思う)。残念ながらふざけてるわけではないのだが、さすがにタイトルだけではちょっと訳が分からないのでコンセプトを見てみよう。
ISABELLE MOISYによる解説によるとこうある。
——-
「ファッション•クリエーターが創造するハイブリッドなものたち。現代のヴィジュアル•クリエーションの中でも人間の身体や様々なコスチュームに関する作品を展示する。とりわけ、Atoposの創作活動と作品に焦点を当てながら、そのスタイリストやデザイナーが「モンスター」像を通じて浮き彫りにする、身体とアイデンティティーのハイブリッド化の過程をお見せする。」( D’une recherche étonnante sur la création visuelle contemporaine dédiée à la figure humaine et au costume, le collectif grec Atopos met en lumière l’univers de stylistes et designers qui explorent les processus d’hybridation du corps et de l’identité à travers l’image du monstre. )
ARRRGH!はしたがって、奇怪なモンスターたちに出会ってしまったときの、我々の驚きと恐怖と違和感に満ちた「叫び」をあらわす。この展覧会会場に所狭しと立ち尽くすマネキンやキャラクターたちはそんな我々の叫びに囲まれて日々を過ごしている。

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補足となるが、この展覧会と合わせて、PICTOPLAMAから出版されている一冊のカタログ »NOT A TOY. Fashioning Radical Characters »(Edited by V.Sidianakis,2011)についてもリンクを掲載させていただく。表紙は性同一性障害という長きにわたる自己の問題と向き合って去勢手術とそのほか幾つかの整形手術を行ったプロセス(2005ー2007年)をセルフポートレートで表した作品で著名のピューピルさんが制作した強い色のニットを纏って登場している。— http://www.atopos.gr/publications/not-a-toy/
また、覗かれるだけでも軽く眩暈がするけれども楽しいATOPOSのサイトもご覧になってみて頂ければと思う。ATOPOS

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さて、個人的にも、PICTOPLASMAの作品はこれまでも何度も目にしたことがある。たとえば、つい昨年、同Gaité Lyriqueでの展覧会PIctoplasma(http://www.gaite-lyrique.net/programmation/theme/festival-pictoplasma)が行われた際にも多くのキャラクターを目撃したし、Petite Salleでのインスタレーションパフォーマンス、The Missing Link(2011)もインパクトがあった。雪だるまというか雪男といおうか、しかしやはりどこかキャラクターらしく可愛らしい姿をした不思議な生き物が、真ん中のとりわけ大きな雪男にひれふし、からだに対して小さく細い腕を天にかざし、天啓を仰いでいるような、何かを祈り何かを求めているようなポーズ。

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それでは、数あるモンスターの中からその幾つかをご紹介しよう。フレークが詰まったタイツをたくさん被ったセクシーなモンスターは、ALEXISのTHEMISTOCLOEUS FREAKS (2011)である。ありとあらゆるマテリアルを挑戦的に使用したファッションモンスターの展覧会において、もっとも無意識に触ろうとしてしまいかけたコスチュームである。展覧会の入り口で見た「作品は非常にフラジャイルです」という注意をつい忘れてしまうところであった。細かいフレークがパンストにパンパンに詰められて、マネキンのボディを覆っている。マネキンのボディはつるっとしている一方で、ストッキングの表面に訴えかけるフレークのつぶつぶの質感は魅力的である。この形状は、月並みには有名な草間彌生のスカルプチュアや身体のフラグメントの表現のようだが、どうじに、それ自体が独立した別の生き物であるかのようにも見える。

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CHARLIE LE MINDU のヘア系スカルプチュアも一連のシリーズとして定評がある。髪の毛で作られた巨大な唇、長い髪の毛で身体を覆うようなコスチューム。髪の毛は、前述のフレーク入りの温かく柔らかそうなパンストの対極にあり、触りたく思いにくい代物である。モンスターと髪の毛の関係について思い起こしてみると、日本には、お人形さんの髪の毛が伸び続けるという怪談があるし、女の人の幽霊もたいてい皆長い長い髪の毛を垂らしている。だがそれらは決してすすんで触れたくなるようなものではない。そもそも、髪の毛というのが半分死んだ細胞であることは、我々は感覚的に知っているようだ。レストランのお料理の中に髪の毛が入っていたら、たいていの人は憤慨して不潔だと言ったりする。あるいは、ホテルに宿泊してお風呂や流しに見知らぬ人の髪の毛がたくさん落ちていたりしたら、不快に感じたりする。髪の毛は、なるほど我々を不安にさせるようなテクスチャーを持っている。それは彼らが死んでいるからでもあり、性器を本来保護する陰毛とも関係があるからである。髪の毛で造形された大きな唇は、もはやただの唇ではない。

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あるいは、Manon Kündigの風船服。我々の身体も時々こんなふうに深海を泳ぐフグのように、プウっと膨らんでは静かに縮んだりしたら面白い。あるいは、実は既にそのようであるのかもしれない。膨らんで膨らんで、破裂するすれすれにその表面が裂けていることにもなぜだろう、多くの場合ひとびとが気づくことが出来ないのは、我々が心外にもその痛みに鈍感であるからだろうか。

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またCHARLIE LE MINDU Kiss Freak(2011)は同様にヘア系スカルプチュアのうちの一つ。鏡を覗き込んで「世界で一番美しいのはだあれ?」と猫なで声で魔法の鏡に尋ねるうら若い女性の顔は唇だらけ。口はそう、身体と外界を繋ぐ管の境界部分として我々のからだに切れ目を生じさせている。彼女の顔を間違って覗き込んだりしてはならない。そのとき、我々もまた、その裂け目を自己身体の表面に意識せざるを得なくなるのだから。

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DIGITARIA(Collection Mind Over Matter en collaboration aver Hope)による2012年秋冬コレクションからは、やわらかい大きな抜け殻。暗闇の中にうかぶ真っ白な抜け殻はなんだか気持ち良さそうで、そこにからだを埋めれば今もまだ、見知らぬ生き物の温度を肌に感じることすらできそうである。これをみると、ああ我々はいつか映画で見たように宇宙からやってきたエイリアンかなにかで、カプセルの中に閉じ込められていて、時がやってきてその外に出ることが出来たのであり、われわれはそこをぬけだしてどこか自由になったのだと思うかもしれない。そのような幸福な想像力と同時にわたしはもうひとつの全く別のストーリーを想像することが可能だ。それは、これらの抜け殻は実は、もともと空っぽの抜け殻として準備されていたのであり、その空洞はなにかがその中に侵入してくるその瞬間を首を長くして待っているのだ。たとえば、あなたが迂闊にも、その中柔らかい内部に侵入してくるようなことを。

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04/7/13

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

The Fragile, Louise Bourgeois / ルイーズ•ブルジョワ 『The Fragile』

MoMA
Inside / Out, The making of Louise Bourgeois’s The Fragile

installation

初めて訪れたニューヨーク近代美術館(MoMA)で、未だかつて見たことのないとても素敵な絵を見つけた。2010年に98歳で亡くなったパリ生まれのアメリカアーティスト、ルイーズ•ブルジョワのThe Fragilesという一連のシリーズである。スペースの壁に展示されていたのは36枚のドローイング。青や水色で描かれた女性の身体。それらはある時は妊娠し、あるいはその胸を我々に向かって解放する。またある時は、かの有名な蜘蛛の姿になって紙の上を滑らかにうごめく。彼女の作品の幾つかを知っていれば、一目見て「ブルジョワの作品」と気づかないわけにはいかないほど、明確に一貫し、繰り返されるライン上に位置する作品であると言える。しかし、なぜだか、以前のこのような作品とは全く似つかない予感をこれらのドローイングは隠している。

ルイーズ•ブルジョワは、嫌われたり愛されたりするのに、ややハッキリしすぎる。しかしその方法は、上述した「一貫し、繰り返されるライン」によって固定化されるブルジョワ的世界観に囚われているだけなのだ。グロテスクなもの、不安をかき立てるもの、女性性の歪められた表象、男性性への恐れと憎しみ、生きることの痛みのある意味での物質化…。これらは確かに、分かりやすく理解可能な説明だが、その過剰に明解な定型文たちはぐるぐると同心円を描いて軌道を回り続け、そこには抜け穴も逸脱の可能性も、ない。わたしがこの素敵な絵を見て感じたことは、むしろ、それらの化石のような理解可能な説明とは無関係に、ブルジョワは世界に生きているということだった。「ラディカルに」しかしひたすら同じことを繰り返すアーティストは、これらを描いた95歳のその時も絶えず生きて、彼女の内部が変わり続けていたということに他ならなかった。このことをもう少し具体的に述べてみたい。

突然だが、何の悪意もなくわたしの個人的な印象を述べることが許されるのなら、ブルジョワが大嫌いな人は男性に多く、このことは事実である。なぜなのか? その理由はごく単純で、ブルジョワが作品制作を通じて、世の中の男という生き物を裸にして晒し者にし、それだけでは気がおさまらずに滅ぼしても滅ぼしてもなお、復活させ痛めつけ、滅ぼすことを飽くなく繰り返してきたからである。ルイーズ•ブルジョワは男性が嫌いだ。そのこと自体はいくら聞き飽きたからといって覆そうと思っても意味がない。彼女がボコボコに解体しようとする男性性というものが彼女の父親像に端を発していると言うこともまた揺るぎない事実だ。彼女の父は彼女の母と家庭教師であったもう一人の女性と肉体関係を持ち、この二人の女性と同居した。ルイーズもこの一つ屋根の下にいた。ルイーズもまた彼女の父によって性的に望まない被支配的状況に置かれたことも言われている。ルイーズの残した言葉の端々に、父による自己の破壊が読み取れる。

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Destruction of the Father (1974) という作品は、強烈な作品である。わざわざ読みほどくのも恥ずかしいほど明瞭だが、「父を破壊する」というタイトルについて、彼女は「父がわたしを破壊したので、今度はわたしが父を破壊する。それがいけないわけないじゃない。」と言い放つ。まことにカッコいいことである。破壊された父は、テーブルの上でルイーズに食物として食われたのでした。これではあまりに酷い説明であるため、もう少しだけ。Destruction of the Fatherは、ルイーズがすでに63歳の時の作品で、家族を苦しめた父をテーブルの上に引きずりあげて、あなたのせいで皆苦しみましたから、あなたは食べ物として食われてしまえ、という作品である。ヴィヴィッドな黄色の丸いスカルプチュアが薄暗く天井の低い部屋にたくさん並んでいる。その真ん中にはテーブルがあり、テーブルの上には既に人間の外見は留めていない、言うなれば臓物だとかエイリアンの断片として表象された父がいる。そのテーブルというのもインスタレーションに入ればすぐさま連想するように、ちょうどベッドのサイズなのだ。ベッドにぐちゃぐちゃに散らばった父。ルイーズにとってのベッドは、父と母の眠るところであり、父が浮気する場所であり、人が子孫を生み出すところであり、同時に人が死ぬ場所でさえある。この作品において、ルイーズ•ブルジョワはフロイトの女性性に関する理論(欠けた存在としての女性)を参照し、その理論に異義を唱えながらもそのことを不安に思うと言って、結局はそれを食べるのである。このことはフロイトをひとまず退け、彼女の父に対する距離を考えるならば、興味深く思える。破壊されるべき父を無惨にばらばらにしたのちに、彼女はそれを摂食することによって、自らの中に吸収•統合してしまうという行為。この一点において、Destruction of the Fatherは煮え切らず、気持ち悪いのであり、この一点においてのみ作られた意味があるとわたしには感じられる。

さて、それから彼女は長く生きた。2007年にそれらのThe Fragileシリーズを描くまでの33年の日々。まだ33年生きたことがないので、わたしはそれがどれくらい長いのか知らないが、どちらにしても同じ時間は流れないので、わたしには一生知り得ないことである。

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さて、The Fragileシリーズは、ルイーズ•ブルジョワの作品の中でずばぬけて平和的である。そこには攻撃性や暴力的なものがない。妊娠した女性の大きなお腹の青い色は丁寧で優しい。こどもを産む女性の膨らんだ胸から、赤子を育む母乳がほとばしるその様子なども、光が差し込むように明るい。赤などの色彩を帯びたときでさえ、そこにあるのは生命の温度である。あるいはまた、いまや世界中に点在する巨大な蜘蛛スカルプチュアの不気味を想起させる、中心に顔と放射線状に伸びた無数の腕をもつ生き物は、皆あっけらかんとしていて、かつてのようには苦しんでいない。それらは、フロイトによって「欠けた存在」と名付けられ、しばしば父なる存在に支配を受けながら子を産み続け、不運にも、世界の中に根を張ることのできるような普遍的に安定した場所を持たず、海の中をフワフワと漂う原始的な藻類の仲間のように、描き出される。それは、彼女がとても長い時間をかけて見いだしたひとつの生き物の形のことである。これらのドローイングが明らかにすることは、ルイーズ•ブルジョワが、恐れ続けていたものに対していっさいの恐れを失ったということであって、恐れがない彼女の作品は見る者に生き物の形を見せながら、それが酷くいびつなものであっても、いつかそれが怖くないのだということを語っているのが聴こえてくる。

03/16/13

新聞女@グッゲンハイム美術館 / Newspaper Woman @Guggenheim Museum

Photo album of Newspaper Woman’s performance @Guggenheim Museum, NY
March 8th, 2013, 21h-24h

Shinbunonna, Newspaper Woman, is a Japanese Artist, performer. Her master is Shozo Shimamoto, member of Gutai, Japanese artistic movement in 1950s-70s. She is invited for presenting the performance, and realized the event with her companies, artists, dancers, thanks to Fuse Art Infrastructure Allentown.

Shinbunonna HP
Fuse Art Infrastructure Allentown
Art After Dark
Guggenheim Museum, NY, Gutai Splendid Playground

Newspaper Woman's newspaper, special edition

Newspaper Woman’s newspaper, special edition

Newspaper Woman's bags

Newspaper Woman’s bags

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

Giant newspaper, special edition for the performance at Guggenheim Museum

wearing her beautiful dress made of Shinbun

wearing her beautiful dress made of Shinbun

preparing for the opening

preparing for the opening

on standby

on standby

on standby, her followers, too

on standby, her followers, too

Newspaper's fashion items

fashion items of newspapers

must be in bare feet !

must be in bare feet !

talking of her one-month experience in the U.S.A

talking of her one-month experience in the U.S.A to Hiroshi Yoshioka

Newspaper Princess' shoes

Newspaper Princess’ shoes

Princess !

Princess !

on a stepladder, followed by a crowd

on a stepladder, followed by a crowd

"Please walk under here" goes on

« Please walk under here » goes on

Newspaper Woman appears in public !

Newspaper Woman appears in public !

sophisticated lacework of her newspaper dress

sophisticated lacework of her newspaper dress

fantastic !

fantastic !

with 1000 visitors

with 1000 visitors

"Please walk under here" over

« Please walk under here » over

for next piece !

for next piece !

panels for Newspaper Woman Parade

panels for Newspaper Woman Parade

joyful mood

joyful mood

in her famous giant jacket, Parade

in her famous giant jacket, Parade

Half price

Half price

Special Price, 30 yen

Mr Yoshioka obtained a special price seal, 30 yen

Shred newspapers Monster is being born

Shred newspapers Monster is being born

Newspaper Woman wearing  Shozo Shimamoto's painting

Newspaper Woman wearing Shozo Shimamoto’s painting

Miyuki Nishizawa, artiste in her master's work

Miyuki Nishizawa, artiste in her master’s work

Next time, I’ll write the article about Newspaper Woman, Miyuki Nishizawa hopefully after interviewing with her !