2011年3月11日と2013年2月の間のこと —remerciement pour les concerts

2011年3月11日から、もう少しで2年経とうとしている。あの日、私はいつも通り仕事に行っていて、夜遅く帰ってきて立て続けにフランス人の友人からの連絡を受けたことや、大家さんにニュースを見るように言われて初めて自分をメディアに接続した。日本の人々は地震の対応を知ってるからだいじょうぶだと、そう答えた。落ち着くようにと。フランスのニュースを見ると、しばしば海外のメディアがそうであるように、誇張した報道があったり、関連するがそのものではない画像を使ってリアル画像がやってくるまでの隙間を埋めているのではないかと思うような、およそ日本の景色からはかけ離れた画像が映し出されていた。いま、その時目にしたものをはっきりと思い出せない。泥色の水の塊が街をうごめく景色が広域にひたすら広がっている映像だったようにも思うが、そうではなかったのかもしれない。私がその地震(とそれが招いた津波)が大事であったことを信じるに至ったのは、インターネットに繋ぎ、日本のメディアが日本語で確かにそのことを伝えており、同じ情報がどのニュースにも一様に報じられていることを確認したその時である。それからSNS上での人々のやりとりが目に入り、9000キロメートル離れた日本のことをやっと確かに感じたのだった。遠くにいるのとはそういうことで、普段いくら、本能とか直観とか、感覚的なことを言ったところで、所詮そんなものは常に100%働くわけでもなくて、いまにここでフワフワと生活して一刻の重さなど微塵も感じていないその隙にも、たくさんの人が死んだり、大切な人がいなくなったり、私たちがそんなにも大切なことを感じることが出来ないのは、泣きじゃくっても恨んでもどうしようもないことなのだ。

 

その日を含め、その後日本で過ごさなかった数ヶ月間(あるいは今日まで)、祖国や連帯といった問題について毎日のように考えていた。心配をして声をかけてくる日本人ではない人、報道される「日本人性」について質問してくる日本人ではない人、汚染について意見を求めてくる日本人ではない人。日本人ではない人が発する所謂「日本人的」でない発想に基づく幾つかのセリフは、深く私を驚かせ、傷つけ、その結果、私はそれまで感じたことのない孤独感に苛まれた。なぜか。それは、私にとって、日本人ではない人が発する幾つかの発言が驚き以外のなにものでもなく、私は彼らではない、と率直に感じたのが一つの理由であり、もうひとつには、そうかといって、あの日とあの日の後に流れた時間を、時差が7、8時間あり、日々完全にズレたまま生活をする私には、肌で感じるような感覚としての大事なことがなにひとつ、わからないのではないかと、取り返しのつかないことをしたような気分につきまとわれたからだ。自分がどこにもいないのではないかと思った。今だけではなく、この先も。その一方で、メディアを通じて報道される日本政府の被災者への対応の問題点や国内メディアがその真偽を疑われるような報道を行ったという事実、さらには非常時に高まった連帯への声と愛国心を歌った数々の美しい声明とその裏返しとして様々な事情から日本を去った人たちに対して暴力的な非難の言葉が飛び交ったこと、解決困難な問題を外側から指摘する海外メディアや外国人に向かって容赦ない排他的言論が交わされたこと。これらのこともまた、私を孤独にした。

 

多くの人が災害で死ぬということが、人間の歴史のなかで初めて起こったことではなかったように、それはまた別の形で明日私が生きるこの場所に姿を現すかもしれない。ただし、常に明らかであったことは、今生きている人たちは、生きており、その生の一つ一つは非常に微少で、世界のあり方を何一つ変化させないものであるけれども、身体というフィジカルな入れ物を持った私たちはそれを様々に利用して、自分の外側に出て行くことが出来る。入れ物は閉じているのに、外側に繋がることができるのである。他の人のために何かをしようとすること、それは本質的に、自分が何かすることと繋がっている。

 

これまでフランスで行った2回のチャリティーコンサートは、そのような少しカオティックな自分への問いかけを続けながら、もしかしたらこのような問いかけを一部分的にも共有する人たちを結びつけて、繋がろうとする意志の実現でもあったように今は思う。その意志を数的に換算できる形にすることは、意志みたいな形のないものが9000キロ離れた場所に届くための手段の一つでもある。もっと意味の深い結果を得るために大きなことをすることは可能だと思うし、そのようにしている人もいる。むしろそうでないと意味がないと考える方もいらっしゃるだろう。それはそれで素晴らしいことだと思う。ただし、私はこの2回の演奏会において、共に実現した友人たちに何度も救われ、および参加してくださった方々に深く感謝しているし、演奏を聴きに駆けつけてくださったフランスに住む様々な国から来た人々にも心を寄せており、実現において広報やあらゆる物理的協力に尽力してくれた国際ロータリー財団のムードンクラブの会員の数名の努力は無償であったと感じている。

 

昨年12月15日に2度目の演奏会が開催されてから、参加してくださった音楽家の方々の演奏、協力してくださった方々の無償の支援に救われながら、なかなかきちんとお礼を申し上げることが出来なかったので、大変遅くなってしまったのですがここに少しだけ長く感謝の意を綴らせていただきます。これからも、どうか素敵な音楽を届けてくださることを心から祈ってやまない。

 

2013年2月24日 大久保美紀

(一度目の2011年4月29日のコンサートはこちらに記事として掲載されています。宣伝にご協力くださいましたブロガーの皆様、SNSユーザーの皆様にも感謝いたします。)

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