01/7/12

Art Brut, les dessins d’hiver

アール•ブリュットは現代アートにおける新しい動きや芸術的な傾向を語る上で非常に重要なカテゴリーである。なぜなら今日、型にはまった芸術的教育を受けていない芸術家の活躍が注目されたり、テクノロジーの発展によって素人であるにもかかわらず写真や音楽を簡単に加工したりすることができるようになった結果、そもそも、「プロフェッショナルな芸術」とは一体何か、という根本的な問いが投げかけられるようになってきている為である。

芸術的教育を受けていないけれど彼らの制作が芸術領域で重要なものとして注目されている作家たちを「アウトサイダー」と呼んだりもする。遡れば、彼の死後に大量のデッサンが自宅から発見されて有名になったヘンリー•ダーカー/Henry Darger(1892年生)は日本的な「かわいい感性」に合致する為か日本で大変有名である。

ヘンリー•ダーカーは自身の中にある子どもの王国のイメージを制作し続けた。裸の少女にはしばしば男性器が見受けられる。それらは彼が19歳から構想を練っていた大長編小説、非現実の王国にて(In The Realms of the Unreal : The Story of the Vivian Girls, in What is Known as the Realms of the Unreal, of the Glandeco-Angelinnian War Storm, Caused by the Child Slave Rebellion)の本人による挿絵である。

彼が引きこもってこの長編物語を執筆していたことは知られている。
彼のイラスト的な絵画を当時のものとして斬新と捉えたり、大きな文脈での重要性を発見することは自由だが、彼はおそらく自分の持ちきれないイメージを体現化するためのひとつの手段として、この長編小説を執筆していたのだろう。そして、目に見える風景を挿絵として描いていたのだろう。

アウトサイダーアートとして彼が有名になることはアウトサイダーアートというカテゴリーを必要とする現代のアートムードの都合でしかないのだ。

先日、アール•ブリュットを専門とするパリのギャラリーであるgalerie christian berstにおいてクリスティアン•ボルタンスキーとギャラリスト、フィリップ•ダジェンによる鼎談が行われた。テーマは、「アール•ブリュットは現代アートのなかにとけ込むことができるのか?/L’art brut est-il soluble dans l’art contemporain?」。議論は全体として、ボルタンスキーが自分自身を現代アートの文脈の中にどう位置づけているか、そしてアウトサイダーアートと自分自身の制作をどう位置づけているか、というラインを軸に進められた。

そもそも今日あいまいであるプロフェッショナルなアーティストとアマチュアの境界線。さらにはもっと曖昧であるアウトサイダーの定義。美大のディプロム、アーティストとしてのフォーメーションを経ていないと言う点でボルタンスキーは自身をアウトサイダーであると言わざるを得ないようだ。しかし、2010年のドキュメンタ、数々の展覧会に代表されるアート界第一線における活躍はいわゆるアウトサイダーアートの典型的な姿ではもちろんない。

もう一方にあるアウトサイダーアートの強烈なイメージは知的障害者や精神障害者によるアート、あるいは彼らの治療としてのアートセラピーという形。ボルタンスキーはこのことに引きつけて、付け加える。自分自身が精神的に大きな問題を抱えていたこと、芸術作品の発表という形でその問題を外側へ向けて解放してきたことによって、作品を制作する以前に比べて幸福な人生を送っているということ。必要不可欠な行為としての芸術表現行為を明言するのである。

アール•ブリュットはパリにもこのジャンルを専門にしているギャラリーが複数存在するほどに、現在モードのアートジャンルの一つである。しかし、その発見と発表については、彼らを大きなコンテクストの中に巧みに位置づけ、イントロデュースするギャラリストやキュレーターといった第三者の貢献が大部分を占めているように思える。

たしかに、さまざまな芸術的コンテクストを知らなければまったく理解することのできないような複雑きわまりない作品に頭を悩ませる状況からすれば、しばしば、子どもの絵やアウトサイダーの絵は非常に新鮮であり、斬新である。なぜだろう。それはしばしばストレートであり、またあるときは秘密無く「意外」だからである。

ここに、60歳を持って初めて定期的に絵を描き始めた私のよく知る一人の男性の一連の作品をあげる。絵というよりは、クロッキー帳になにげなく描かれたイラストのようだ。
私にとって、組み合わされたイラスト的要素や、多視角的な描写、色彩の組み合わせ方は非常に興味深い部分であるが、そのことについて論じることが大切である気はあまりしない。名作とアウトサイダーの作品、素人の作品と子どもの絵、これらにどのように言葉を与え、評価することができるのか、と考えてみることはわくわくするが同時にとても難しい。

2011 winter 1

2011 winter 2

2011 winter 3

2011 winter 4

2011 winter 5

2011 winter 6

2011 winter 7

01/1/12

Edvard MUNCH, L’oeil moderne

Edvard Munch
L’oeil moderne
21 septembre 2011 – 9 Janvier 2012
Centre Pompidou

エドワード•ムンク展を訪れた。
パリのポンピドー美術館で2011年9月から開催されていたのだが、ぼうっとしていたら見逃してしまいそうだったので、年が明ける前にと慌てて訪れた。実は草間弥生展も平行して開催中である。こちらの展覧会については別の記事でご紹介したい。

エドワード•ムンクは1863年に生れ、1880年頃から絵を描き始めている。象徴主義や前表現主義の枠組みの中で捉えられ、20世紀の画家というよりはむしろ19世紀末の画家として認識されることが多いのだが、彼の著名な作品の多くは1900年以降に制作されている。1944年に没するまでの長い芸術家人生の中で、エドワード•ムンクは絵画の他にさまざまなジャンルを広く越境しながら、彼の主要なテーマである人生の孤独や愛というものを多様に表現してきた。

今回のポンピドーセンターにおける展覧会 »L’Oeil Moderne »では、ムンクの絵画作品だけではなく、彼が興味を持っていた映画製作や写真、雑誌やラジオという多岐にわたる表現活動も視野に入れることにより、ムンク作品のモダニティの性質と彼の問題意識について我々を考察に誘うことになる。

この展覧会の門をくぐると、我々はまず最初に、ムンク自身の撮影による映像作品を目にすることになる。

展覧会は、『叫び』とそのほか僅かの作品しかムンクの世界としてイメージを持たない鑑賞者にも丁寧に多様な作品世界を開くようにしてスタートする。

『思春期』は原題で文字通り「変わり目」。少女の背後には不定形のしかしはっきりとした影がある。ムンクはこのテーマをのちにも描いているが、やはり暗色で少女の内なる変化を具現化した形でのなにかを絵画上にはっきりと描いている。

『二人の人間、孤独』(1905)、一人の男と女が距離を保ったままお互いの足で地面に経っている。後ろ姿からはその二人の視線は見えない。二人の人間は男女であるけれどもその二人の間にはなんの関係性も会話も聞こえてこない。向こう側には渦の巻く海のような世界が見え、二人を取り囲む空気は不安定で心もとないニュアンスがある。ムンクは孤独をテーマにした作品を後にも作っているが、この作品は後のものに比べて背景や地面のタッチに質感が感じられる。孤独であるけれども描かれた空気や地面の質感によって少し救われている感じがするのだ。

主要なテーマの反復はムンクの回顧展を一周すれば明らかである。たとえば、孤独、嫉妬、病む少女といったテーマは何十年にわたりしばしば繰り返されている。テーマの反復は、アーティストの関心の深いことを表しているのだが、別の見方をすることもできる。テーマの反復性は作品の複製可能性も意味する。10年後に同じテーマに着いて別の視点で全く新しい作品を制作するというのではなく、構図や色彩がほぼ同じものとしてのテーマの反復は、ムンクが写真や映画というメディアに関心を持っていたことを鑑みれば、19世紀末ロダンがすでに彫刻を鋳型で量産することで実施していたような芸術作品の量産への関心を期待させる。

繰り返されるテーマの作品をまとめた第一章「反復」を終えると第二章は写真メディアを通じたムンクの「自伝」へと導かれる。

病める少女

ムンクは自画像も多く撮影しているが、私にとって興味深かったのは、自己の展覧会の様子を多く撮影していることである。展覧会場に人が居ない様子や、額におさめられた「病める少女」など絵画作品を撮影し、写真メディアという形で記録をのこしている。とりわけこの写真では、会場の様子や訪問者を含めて撮影したのではなく、作品をフレームいっぱいに収めている。つまり、現代であればカタログを制作する際にすべて作品はイメージ化されるというプロセスが、アーティスト自身により行われたという点で興味深い。アーティストは自身の絵画が写真となることによってより軽やかな記録となることを知っていたのだ。

ムンクは若いとき美男子であったらしい。「通りかかったら人が振り返るほどの」なんてステレオタイプな形容がフランス語でされてあった。それだから、か、それなのに、なのかムンクは幸せな恋をあまりしなかったらしい。この裸婦の絵は、部屋いっぱいに彫刻を含め、さまざまなフォーマットで展示されていた。よく見れば、女性は涙を流していた。

ドラキュラ

吸血している女性も反復されたテーマの一つである。ムンクは神経を病み、入院生活を送ったこともあるそうだが、吸血鬼の絵を何度も反復してみせられると、その絵の具を運ぶタッチも生々しく感じられる。このようにウエイトのあるテーマをもって描かれた作品は再び描かれても、やはり重々しく辛いのであり、ここでは、テーマの反復はアーティストの世界を明確に描き出しており、上述したような作品の複製性とはほぼ関係がないようにすら思える。

嫉妬

彼の自画像における表情の描き方には特色がある。とりわけ、何らかの感情をテーマとしている作品において、彼自身が登場するけれど、はっきりと悲しいとか怒っているとか、そのような単純な表現ではないのだ。そこにあるのは、「放心」の類いであり、「欠落」の表現である。かの有名な「叫び」を見て、感情を述べよと言われても述べづらい。それは欠落しているゆえにそこに取り巻くすべての暗色を担うことのできる表情だからである。
ここに嫉妬のムンクがいる。彼は怒っているのではない。泣いているのでもない。ただ、部屋の隅にどうにか居続けることができているけれどもうすこしのところでなにかが壊れていきそうな、そんな頼りないオーラを感じさせるのだ。

後年に彼が描いた自画像。ちなみにやはり空虚な表情をしている。

時計とベッドの間の自画像

老年期のムンクの自画像だ。掛け時計とベッドの間に自分の老いた姿に望みを失ったかのような彼自身が居る。時計は言うまでもなく時間を刻むものだ。彼に残された時間を歯に衣を着せることなく刻々と告げていく。ベッドは彼が息を引き取るべき場所だ。そこには時間の終わりがある。

この展覧会に「叫び」はやってきていない。「叫び」がなくとも、ムンクの制作の全体像が小説を読むように丁寧に構成されているような展覧会であった。とりわけ、彼の写真や映画、雑誌という20世紀メディアへの強い関心と作品への影響について考えてみることは興味深い経験となった。

展覧会はあと8日間、2012年1月9日までの開催である。

10/25/11

秋の落ち葉の風景

耳の奥でシーンと速いけれど鋭くはない何かが響き、
きゅうに敷き詰められた落ち葉がカサカサと音を立てる。
落ち葉はどこに行くでもなく、人々が目にとめるわけでもなく。

空が晴れているということはそれだけで無条件に素晴らしく
雲におおわれて寒いということはそれだけで絶望的な気分を演出する。

黄色い落ち葉が敷き詰められた道を目にすると想い出す風景がふたつあり、
一つは大学生の時に楽器をたくさん練習していた場所の記憶。
もう一つはどことも限定できないのだけれど、高校生の時の通学路のある道の風景。

通っていた高校は家から自転車で20分くらいの場所にあり、
雪が降るまでは自転車、冬の間はJRか地下鉄で通っていた。

制服を着るのがたまらなく嫌で、よくわからずに日本の画一的教育を批判していた。
生きることや人生について考えたり、アンハッピーなふりをしたりしていた。
眠らないで頑張ろうと思ったり、できないことは全部できるようになろうとしていた。

何かを我慢して我慢して我慢して、次の日のこと次の年のことを考えれば
いつかとても幸せになれるのではないかとどこかで本気で思っていた。

考えなくてもよいことを考えすぎるのはおそらく無駄だということに気がつくのは
果たして素敵なことなのか、当たり前のことなのか、それとも誤解なのか

以前たくさん考えていたことは、ふと気がつけば今全然考えもしないことになっている。
時間がたくさん経ってしまうことはまだ怖いけれど、いつかそれすらも辛くない時が来るのだろう。

09/11/11

How do you do!

This is the test page of this blog, « salon de mimi ». This page is under the construction actually.Thank you for your visit in one week.
See you again soon!