09/4/14

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(3)

展覧会 Les Papesses 女教皇たちはアヴィニョンに在り(3)

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キキ・スミスの作品をこんなにも集合的に見たことがなかったということに気がつく。彫刻、ファブリック・ワーク、コラージュ、ミクストメディアの作品。子どもと動物、動物と植物、鳥と星、人体と木、薔薇と虫。こんなにキキ・スミスの世界に長居したのは後にも先にもこれきりになるかもしれない。そんな気がした。キキ・スミスは、24歳の時アーティストとして生きることを決意し、それから今日まで、学び、創り続けている人だ。アートが生きるためになる力に確信を持って、表現を模索し続けている人である。

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キキ・スミスは1954年、ニュルンベルクに生まれる。オペラ歌手の母とミニマルアートの先駆者として知られるトニー・スミスを父に持つ。ニュージャージー州に移住し、父の影響下でアートに触れて精力的に彫刻を学んで行くが1980年、88年に相次いで父と双子の片割れであるベアトリスを失い、彼女にとって、生きることに関わり生命を宿す箱としての肉体の意味を考えることの転機が訪れる。90年代、分断された身体や死のイメージを数多く表現し、翻って、自らが誕生したことについて、生命の複製のシステムについて関心を抱くようになる。

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それまでのアート・ワールドでタブー視されていた生の複製を露骨に表現することや身体器官を露にした彫刻をつくることに集中した。

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彼女にとって、動物たちは我々の生命システムのほぼすべてを共有する存在だ。我々は虫の脆弱さ、鳥の歌声、ヒツジの従順さ、狼の獰猛さを併せ持ち、からすや蛇、フクロウたち、あらゆる生き物と同様に自らを複製する。

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彼女の多岐にわたる表現は、彼女のひとつのスタンスに由来する。
「文化的な方法、つまり、見て、学ぶという方法でアプローチできる経験を求めています。あらかじめそれがどんなものかを決めつけるのではなく、私の作品がそれに合った表現を見つけるのを受け入れるんです。」
彼女は、版画もするし、タペストリーもつくる。陶器もつくるし、ブロンズ彫刻も扱う。

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とりわけ、教皇庁の一室に展示された一連のタペストリーの描き出す世界は、中世のカトリック世界を体現し、それは同時に彼女が生まれ育ったカトリック文化でもあるのだが、それはいたるところでエンブレムがすり替えられ、意味を転覆し、厳格な神話的世界の平和はキキ・スミスの創り出す調和のなかで朽ち果てている。そのかわり、彼女は現代のイヴがどうやって産まれるか、我々に見せる。アダムのわきがどうして必要であろうか。イヴはほら、子鹿の腹から産まれるのだから。(Born, 2002)

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カミーユ・クローデルの一生が、ロダンとの関係のために悲劇的であったとか、ロダンの名声のために力を尽くしたのだが、自らは彫刻家として十分に評価されることをなくして、精神を病み、発狂してしまったために不幸な一生をおくった女だったということを、当たり前のこととして受け入れるのが疲れてしまうほどに、できすぎた不幸な女の物語が彼女を深く包み隠している。

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早くに才能を認められたカミーユ・クローデルは、弟子入りした作家の卵がしばしばそうであるように、ロダンの作品を助け、彼の名声に貢献し、そこで彼の強烈な表現を学んだために、彼女の作家としての独自性なぞ見いだすことはなかなか叶わず、苦しんだことは事実だろう。しかし、ロダンとの人間関係、家族との不理解、自分の作家としての追求の中で悩みながら、入院に至るまでの間、精力的に創り続けたカミーユ・クローデルという人は、やはり作家として凄いのではないかと思う。

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彼女の作品は、彼女が精神を病んだ際に、自分でかなりの数を破壊してしまったため、残っていないものも多いのだが、いずれにせよかなりの作品を制作し続けていたはずである。表現するエネルギー、それがどのような形であれ、今日の我々までそれが伝えられたことを有難く思わざるを得ない。

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人の幸福について語るのは難しい。人の不幸についても然りである。

しかし、表現する方法を知っていたということ、そのことは救いだったのではないだろうか。

これで、第三回に及んだパラ人二号のエッセイ『パラソフィア・ア・アヴィニョン』追記を終わりにします。

10/4/13

ILYAURA The Window @The Window, Nuit Blanche Event

« ILYAURA The Window »

@The Window rue Gustave Goublier 75010 PARIS
2013年10月5日20時〜
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ニュイブランシュというのがある。10月5日パリは眠らない。一晩中続くアートイベント、アートの白夜祭だ。2002年に初めてパリで開催されて以来、翌年にはローマ、その翌年にはモントリオールで開催され、都市の文化事業として重要な役割を果たしている。日本では、2011年より京都で毎年の「ニュイブランシュ京都」の開催が始まり、今年で第3回目になる。日本のほうが7時間も早いので、パリの夜は日本の夜が更け始める頃、ようやく明かりを灯し始めるのだろうか。

突然だが、パリでアートアソシエーション »ILYAURA »が設立された。パリを拠点に活動するアート•アドバイザー、キュレータ、アーティスト、クリティックが、これからのフランスー日本、もっと国際的には、エイリアン(異邦人)としてある場所から発信しようとする表現者たちの、出会いの場となり交流の場となり、出発と発展の場となるような活動を繰り広げて行くのが目的だ。私は、このサイトでも行っているような批評活動や現代アートのアーティストたちとの交流の報告を通じて、縁があり、このアソシエーションのメンバーとして、上述したような活動や目的について考えることになった。

私たちは、アートについて一晩中時間が与えられている一年にたった一度の10月5日の夜、創立イベントを構想した。白雪姫のパフォーマンスで国際的に知られ、アーティストとしてフランス内外で活発にプロジェクトを展開している、Catherine Baÿさんの運営するスペースThe Windowにて行われる当イベントは、ILYAURAとThe Windowのパートナーシップのオープニングを飾る意味でも非常に重要である。

当イベントは二つのパフォーマンスによって構成される。一つはコラボレーションと食をテーマにした私自身の構想したパフォーマンス作品で、もう一つは、この20時から始まるイベントに空間的•時間的な意味を与え、それらが重なり合い交錯し合うILYAURAとThe Windowの共同パフォーマンスである。本パフォーマンスは明日の晩に初めての発表となり、アソシエーションのメンバーでありアーティストの石井友人とThe Windowに所属するアーティストであるManon Harroisの合作である。

彼らのパフォーマンスの次第は是非、明日The Windowにお越し頂いて目の当たりにしていただければと思う。あるいは後日展示やトークイベントの予定もある。以下に構想についてのメッセージを掲載したい。

アート・アソシエーションILYAURAとThe Windowによる、ニュイブランシュの共同プログラムは、石井友人・マノンハロワの合作”La réponse de la plante à l’œuf”(卵に対する植物の応答)を発表します。
今回ILYAURA設立イベントにて発表される本作は、石井とマノンの相互交差的なコミュニケーションを通じて構想が練られました。本作において、石井とマノンのパフォーマンスは異なる場所(パリーランス)を通じて行われ、The Windowの中で二人はその遠く離れた距離を対象化することで、積極的に作品を生成しようと考えています。
パフォーマンスの中で、石井はインターネットを通じて、様々な彼の親しい友人達と交信を図ります。それ等のコミュニケーションはパリを起点として、東京(青木豊・千葉正也)・京都(木坂あおい)・ストラスブルグ(平石晃樹)など多岐に渡り、石井と彼らによりアーティスティックな往復書簡的なやり取りがなされ、その過程・結果はThe Window内部において可視化されます。
同時にこの様な親密な交信は石井によりランスにいるマノンへと同時中継され、彼女はこの中継に触発されることにより、独自のパフォーマンスを展開することになります。マノンはこのパフォーマンスにおいて、他者と隔絶された状況であると同時に展覧会場の空間に能動的な働きかけを行う特殊な存在です。この様なマノンと石井、マノンと観客の複雑な関係性は、距離を隔てたバーチャルなもので在るにもかかわらず、石井によって再度媒介され、具体的な実存をともなった創作物として会場内に展開される事でしょう。
二人の想像力は””La réponse de la plante à l’œuf”(卵に対する植物の応答)というタイトルに暗喩的に込められており、会場内での二人のパフォーマンスは一つのあるいは複数の応答として存在します。彼/彼女等による応答はフランス・日本のアート文化の相互交流の出発地点として相応しいと思われます。それらは常に揺れ動き・移動し、あたかも風によって運ばれる、小さな植物の種達のようなものかもしれません。
あなたがたが彼/彼女等の作品を通じて、新たな想像力の種を持ち帰る事を我々は祈っております。

さて、ケーキのことはまたの機会に喋ることにしよう。と思ったが、キーワードだけ。明日の創立+コラボオープニングイベント、様々の物事の始まりにはお誕生日ケーキがよい。ケーキ作りは孤独な仕事である。一つ一つの所作は単純であるけれども、時間のなかにある身体のことやそれが一貫性を伴うことが望ましいからだ。出来上がった素晴らしいケーキを食べるのは分け合う喜びである。アソシエーションの根底にあるのは我々が異邦人であるという強烈な意識である。我々は敢えて、異邦の土地で生れ、祝われることを選んだ。ケーキはフランス人におなじみのおやつや食材、古く彼らが愛してきた食べ物によって構成されている。彼らのエネルギーとなってきた食べ物たちによって。我々はそれらによって祝福され、受け入れられ、異邦のままにそこに生まれようとしている。この「不思議なケーキ」はそのようなものである。

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